小栗 仁志(おぐり ひとし、1968年6月1日 - )は日本… 小栗 仁志(おぐり ひとし、1968年6月1日 - )は日本の政治家、実業家。岐阜県中津川市長(1期)。元共栄液化ガス代表取締役社長。 1968年6月1日生まれ。岐阜県中津川市出身。 岐阜県立恵那高等学校、東京国際大学を経て三菱液化ガス(現:アストモスエネルギー)に入社。東京には10年間過ごした。 1997年、郷里の中津川に戻り家業である共栄液化ガスに入社。2009年、代表取締役社長に就任した。 この間、岐阜県LPガス協会会長、中津川市倫理法人会会長、中津川市教育委員会委員長も務めた。 2024年1月14日投開票の中津川市長選挙に地元経済界などに擁立され出馬。現職の青山節児を大差で破る。※当日有権者数:61,728人 最終投票率:59.21%(前回比:16.82pts) 開票結果は、当選 小栗仁志 55歳 無所属 新 22,977票、青山節児 72歳 無所属 現 13,059票だった。
杉本 達治(すぎもと たつじ、1962年〈昭和37年〉7月3… 杉本 達治(すぎもと たつじ、1962年〈昭和37年〉7月31日 - )は、日本の政治家、自治官僚。元福井県知事(公選第19代・20代)。 官僚時代から続くセクハラ行為が2025年に発覚。同年12月4日に福井県知事を辞職した。 岐阜県中津川市出身。岐阜県立多治見北高等学校卒業。1986年3月、東京大学法学部卒業。1986年4月に旧自治省に入省。 2018年11月2日、任期満了に伴う福井県知事選挙に立候補する意向を表明。同月、総務省を退官。 2019年4月7日に行われた福井県知事選挙は、福井県議会の自由民主党所属議員(県会自民党)のうち、党本部の方針により福井県連は杉本を支持した。これに反発して現職知事の西川一誠を支持する議員が別会派を結成するなど分裂選挙となった。
大山 耕二(おおやま こうじ、1949年(昭和24年)9月2… 大山 耕二(おおやま こうじ、1949年(昭和24年)9月29日 - )は、日本の建設・国土交通技官、政治家。元中津川市長(2期)。 岐阜県中津川市出身。中津川市立西小学校、中津川市立第一中学校、岐阜県立中津高等学校、名古屋大学工学部土木工学科卒業。1975年3月、名古屋大学大学院工学研究科修士課程修了。同年4月、建設省に入省。1992年4月、豊田市助役に就任。1999年、和歌山県土木部長に就任。その後、名古屋国道事務所長などを経て、2003年7月、国土交通省中部地方整備局副局長に就任。 2004年4月18日に行われた中津川市長選挙に自民党・民主党・公明党の推薦を受けて立候補。現職の中川鮮を破り、初当選を果たした。
伊藤 恭一(いとう きょういち、1888年(明治21年)4月… 伊藤 恭一(いとう きょういち、1888年(明治21年)4月15日 - 1950年(昭和25年)3月16日)は、明治末から昭和前期の教育者、政治家。衆議院議員。 岐阜県恵那郡付知村(付知町を経て現中津川市付知町)で、伊藤文弥の三男として生まれる。付知小学校卒業後、検定試験で准教員の資格を得て郷里の学校で教員を務め、1910年(明治43年)3月、岐阜県師範学校を卒業した。 加納小学校訓導に就任。以後、付知小学校訓導、同校長、岐阜県視学、岐阜市白山小学校長、同市徹明小学校長などを歴任。さらに、白山商工実修学校長、徹明商業青年学校長、岐阜県教員購買組合監事、同県国民学校長会副会長、大日本教育会岐阜県支部参与などを務めた。
牧野 彦太郎(まきの ひこたろう、1866年7月15日(慶応… 牧野 彦太郎(まきの ひこたろう、1866年7月15日(慶応2年6月4日) - 1940年(昭和15年)7月9日)は、明治から昭和時代戦前の政治家。実業家。衆議院議員。 牧野丈之助の長男として、美濃国恵那郡付知村(岐阜県恵那郡付知町を経て現中津川市付知町)に生まれる。1904年(明治37年)3月、家督を相続する。1890年(明治23年)慶應義塾を卒業する。 農業を営み、東京木管製造所を経営した。 1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙では岐阜県郡部から出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。
野呂 駿三(のろ しゅんぞう、1865年7月27日(慶応元年… 野呂 駿三(のろ しゅんぞう、1865年7月27日(慶応元年6月5日) - 1945年(昭和20年)12月7日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。旧姓・菅井。 美濃国恵那郡、のちの岐阜県恵那郡中津町(中津川町を経て現中津川市)で菅井九三の三男として生まれ、先代万次郎の養子となり1898年(明治31年)家督を相続した。酒と醤油醸造業を営む。御嵩町長、岐阜県会議員、同議長、東美銀行、濃飛商工銀行各頭取、東美鉄道取締役、中央製紙、木曽興業、樺太工業各(株)監査役となる。 1920年の第14回衆議院議員総選挙において岐阜7区から立憲政友会公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1924年の第15回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。
千早 正次郎(ちはや しょうじろう、1856年8月12日(安… 千早 正次郎(ちはや しょうじろう、1856年8月12日(安政3年7月12日) - 1938年(昭和13年)10月18日)は、明治から昭和時代戦前の政治家。大日本帝国海軍軍人。衆議院議員。 苗木藩留守居役・千早正理の次男として、美濃国恵那郡日比野村(岐阜県恵那郡苗木村、苗木町、中津川町を経て現中津川市)に生まれる。1878年(明治11年)海軍主計学校を卒業する。同年、兄の千早正路が割腹自殺する。 海軍省に出仕し、1886年(明治19年)供給課長を経て累進し海軍大主計(大尉相当官、後の主計大尉)に進んだ。このころ、同じ海軍主計学舎第一期卒業生の飯村知、加唐為重とともに軍を辞め、生命保険会社設立を企画するも断念(加唐はその後帝国生命保険を設立)。
市岡 政香(いちおか まさか、1855年(安政2年9月) -… 市岡 政香(いちおか まさか、1855年(安政2年9月) - 1933年(昭和8年)1月10日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 美濃国恵那郡中津川村(のち岐阜県恵那郡中津川町、中津町、中津川町を経て現・中津川市)に生まれる。東美銀行取締役となる。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において岐阜6区から無所属で立候補したが落選した。同年8月の第6回衆議院議員総選挙は不出馬。1900年、前島丈之助の辞職による岐阜6区の補欠選挙に立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1933年に死去した。
熊谷 孫六郎(くまがい まごろくろう、1832年3月22日(… 熊谷 孫六郎(くまがい まごろくろう、1832年3月22日(天保3年2月20日) - 1902年(明治35年)8月3日)は、明治時代の政治家。実業家。養蚕家。衆議院議員。官選初代岐阜市長。岐阜県会議長。 美濃国恵那郡付知村(岐阜県恵那郡付知村、付知町を経て現中津川市付知町)で、製糸業・熊谷孫六の息子として生まれた。和漢学を学ぶ。 岐阜県会議員、同常置委員、同副議長、同議長を歴任した。また、近隣町村と合併して人口不足を解消し私財を投じるなどして岐阜市の市制を実現し、同市の初代市長に就任した。 実業家としては資金貸与、濃南各会社社長、岐阜米糸取引所理事長、東京硝子、日本運輸各取締役を務めた。ほか、蚕業試験場を設立し蚕糸改良に尽力した。