とうあ(Toua、2002年11月26日 - )は、日本のY… とうあ(Toua、2002年11月26日 - )は、日本のYouTuber、TikToker、歌手。YouTuberグループウチら3姉妹の元メンバー。アソビシステム所属。レーベルはアソビミュージック。 2002年11月26日、岐阜県羽島市に生まれる。家族構成は、父、母、自分、妹の4人。生物学的には男性であるものの、幼い頃から可愛いものが好きで女友達といることが多く、性別の枠に当てはめられることに疑問を抱いていた。小中学生時代には羽島市の学校に通い、9年間陸上競技の短距離走をやっていた。 2018年4月、愛知県名古屋市の服飾系の学科がある高等学校に進学。名古屋のファッションイベントに参加して新しい友人と出会ったり、好きなファッションを楽しんだりする中で、自身のアイデンティティが確立し、「今の自分」が作られていった。
ゴングマン(1999年8月6日 - )は、日本のキックボクサ… ゴングマン(1999年8月6日 - )は、日本のキックボクサー、ピン芸人。よしもとクリエイティブエージェンシー所属。2025年にKROSS×OVERスーパーライト級王座を獲得。キックボクシングとお笑い芸人の「二刀流ファイター」として活動している。岐阜県羽島市出身。 少年時代はサッカーをしていた。岐阜県立岐阜工業高校では、個人競技を志しボクシング部に所属。2016年の第28回全国高等学校ボクシング選抜大会ウェルター級に出場。高校3年時の国民体育大会(少年男子ライトウェルター級)に岐阜県代表で出場し、初戦勝利でベスト8。 中央大学進学後、2021年の国民体育大会・東海ブロック大会(成年ライトヘビー級)で優勝(決勝RSC)して本国体出場権を獲得。
箕浦 康太(みのうら こうた、1998年12月30日 - )… 箕浦 康太(みのうら こうた、1998年12月30日 - )は、日本の男性プロレスラー。岐阜県羽島市出身。DRAGON GATE所属。血液型O型。 岐阜県立岐阜工業高等学校卒業。 2018年7月5日、DRAGON GATE後楽園ホールにおける対吉野正人&Ben-K&ジェイソン・リー戦(箕浦のパートナーはパンチ富永&"brother"YASSHI)でデビュー。 11月6日、望月成晃率いる「望月道場」に加入。 2020年8月2日、和歌山大会でオープン・ザ・ツインゲート王座を初戴冠(箕浦のパートナーはジェイソン・リー)。同年12月16日、後楽園ホール大会にてジェイソン・リー、シュン・スカイウォーカーらとMASQUERADEを結成。
吉川 尚輝(よしかわ なおき、1995年2月8日 - )は、… 吉川 尚輝(よしかわ なおき、1995年2月8日 - )は、岐阜県羽島市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。 2026年シーズンから第22代選手会長を務める。妻はシンガーソングライターの足立佳奈。 小学生から軟式野球を始め、中学生になると父が監督を務める岐阜南ボーイズ(前・羽島フジクラブ)にて硬式野球を始める。中学時代は卓球部に所属。中京高校では1年夏から三塁手のレギュラーに定着し、秋からは遊撃手を守る。 吉川は、当初は亜細亜大学に進学する予定であったが、入学前に参加した野球部の練習が合わずに入部を取りやめ、地元の中京学院大学に進学した。1年春からリーグ戦に出場し、秋にベストナインを受賞。
志知 孝明(しち たかあき、1993年12月27日 - )は… 志知 孝明(しち たかあき、1993年12月27日 - )は、岐阜県羽島市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。ポジションはディフェンダー。 高校時代、FC岐阜U-18立ち上げ時の1期生として入団。3年次にはトップチーム昇格に近づいたが、身体の線の細さを理由にプロ入りの夢は叶わなかった。 高校卒業後は、他クラブの監督の推薦もあり、東海学園大学へ進学した。大学2年次から松本山雅FCの強化スタッフが注目し、2015年2月に静岡市で行われたキャンプに練習参加。同年4月に2016年シーズンからの松本への加入内定が発表された。 2015年5月、松本の特別指定選手に承認され、同月20日のヤマザキナビスコカップ予選リーグ第5節の湘南ベルマーレ戦で公式戦デビューを果たした。
辻本 達規(つじもと たつのり、1991年5月17日 - )… 辻本 達規(つじもと たつのり、1991年5月17日 - )は、日本のタレント、俳優。男性グループBOYS AND MEN、およびその派生ユニットYanKee5のメンバーである。 岐阜県羽島市出身。フォーチュンエンターテイメント所属。妻は元SKE48のメンバーでタレントの松井珠理奈。 2010年にBOYS AND MENに加入してデビュー。2013年に特撮ヒーロードラマ『黄金鯱伝説グランスピアー』の主演を務めた。BOYS AND MENでのメンバーカラーは赤。愛称は、つーじー、つじちゃんなど。羽島市アンバサダー。アサヒビール中日ドラゴンズ応援アンバサダーや、朝の情報番組で中日ドラゴンズのコメンテーターに抜擢されるなど、ドラゴンズ関連の出演が増えている。
樋口 恭介(ひぐち きょうすけ、1989年2月 -)は、日本… 樋口 恭介(ひぐち きょうすけ、1989年2月 -)は、日本のSF作家、SFプロトタイパー。岐阜県羽島市出身、愛知県在住。2023年より、東京大学大学院客員准教授。 1989年、岐阜県羽島市の生花店に生まれる。本人曰く、「家族はみんな明るい」。子供の頃の暮らしは貧しかったが、「でもなんとかなるっしょってみんな思ってて、僕もそう思ってて、実際なんとかなった」。パンクロックからの影響を公言しており、中学二年生の時にテレビのCMで流れてきたニルヴァーナを聴いたことがきっかけだったという。 高校の同級生にのちに映画監督となる堀江貴大がいた。 早稲田大学文学部卒。大学二年生のころには、要素還元主義的な読解に基づいて文章を書き、都甲幸治によくないと指摘されたという。
袴谷 亮介(はかまや りょうすけ、1988年11月1日 - … 袴谷 亮介(はかまや りょうすけ、1988年11月1日 - )は、日本の元男子バレーボール選手である。 岐阜県羽島市出身。12歳の頃、母と兄の影響を受けてバレーボールを始める。 岐阜県立岐南工業高等学校を経て日本体育大学に進学。2007年、2008年には全日本インカレ優勝に貢献した。 岐阜県立岐阜本巣特別支援学校に勤務していた2012年、地元岐阜県で行われたぎふ清流国体(第67回国民体育大会)では岐阜県選抜のメンバーとして出場。同年、ジェイテクトSTINGSに入団。 ポジションは基本的にオポジットだが、ミドルブロッカーとしてプレーすることもある。サーブが良く、相手に警戒されることもある。 2023年1月7日、V1男子の大分三好ヴァイセアドラー戦でVリーグ通算230試合出場を達成し、シーズン終了後にVリーグ栄誉賞を受賞した。
東松 寛文 (とうまつ ひろふみ、1987年10月24日 -… 東松 寛文 (とうまつ ひろふみ、1987年10月24日 - )は、日本の作家・リーマントラベラー・休み方研究家。岐阜県羽島市出身。神戸大学経営学部卒業。 平日は広告代理店で会社員として勤務する傍ら、週末で世界中を旅する「リーマントラベラー」。リーマントラベラー東松寛文の名称でも活動する。 社会人3年目に旅の楽しさに気づき、それ以降で85か国204都市に渡航。"週末海外"のスペシャリストとして、テレビ・新聞・雑誌・ラジオ等のメディア出演や執筆をおこなっている。 岐阜県羽島市に生まれる。岐阜県立岐阜高等学校を経て、2006年4月に[要出典]神戸大学経営学部に進む。高校時はバスケットボール部、大学時はアメリカンフットボール部(神戸大学レイバンズ)に所属した。
山田 憲司(やまだ けんじ、1983年 -)は、日本の畳職人… 山田 憲司(やまだ けんじ、1983年 -)は、日本の畳職人。岐阜県羽島市生まれ。 2018年頃より変形した畳の研究を始め、世界で初めて畳とアートを融合させた作家として活動している。 畳そのものの色を変えるのではなく、畳表の織り目の向きを変えることによって、光の反射で畳の色が変化することを利用してデザインをしている。 特徴として極めてシンプルな一本線で表現をしており、空間の中でも床という最下層の面を平面的に捉えたスーパーフラットホライゾンを提唱している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術)。
葛谷 葉子(くずや ようこ、1977年8月2日 - )は、日… 葛谷 葉子(くずや ようこ、1977年8月2日 - )は、日本のシンガーソングライター。 岐阜県羽島市出身。ソニー・ミュージックダイレクト所属。 高校1年より本格的な作曲活動をはじめ、19歳の時にオーディションで認められ上京。1999年8月エピックレコードジャパンより松尾潔プロデュースの下デビュー。1stシングルから全国各地のFMステーションで、ヘビーローテーション、パワープレイ曲に選出され、大量にオンエアされる等、R&Bシンガーとして多くのリスナーからの支持を獲得。 以前はFM NORTH WAVE、K-MIXでレギュラー番組を担当した。自身の作詞・作曲のほか倖田來未、CHEMISTRY、中島美嘉、韓国の歌手イ・スヨンらに楽曲を提供。
英智(ひでのり、1976年5月9日 - )は、岐阜県羽島市出… 英智(ひでのり、1976年5月9日 - )は、岐阜県羽島市出身[注 1]の元プロ野球選手(外野手)、コーチ。1999年から2012年まで中日ドラゴンズでプレーした。2017年現在は二軍外野守備・走塁コーチを務める。
蔵本 雅由(くらもと まさよし、1973年2月8日 - )は… 蔵本 雅由(くらもと まさよし、1973年2月8日 - )は、岐阜県羽島市出身の元社会人野球の選手(投手)。
河出 智希(かわで ともき、1966年1月6日 - )は、日… 河出 智希(かわで ともき、1966年1月6日 - )は、日本の作曲家、編曲家。作詞・作曲・編曲のグループであるBOUNCEBACKのメンバー。主に作曲を担当している(作詞は竹内栄美子)。 岐阜県羽島市出身。愛知県立芸術大学作曲科卒業後に作曲した「吹奏楽のための斜影の遺跡」で1990年に第1回朝日作曲賞(吹奏楽)を受賞し、翌年(1991年)の全日本吹奏楽コンクール(朝日新聞社・社団法人 全日本吹奏楽連盟主催)の課題曲に選ばれた。その後、BOUNCEBACKを結成し、J-POPの作曲活動を開始する。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
山口 健次(やまぐち けんじ、本名及び旧芸名:山口 健二・読… 山口 健次(やまぐち けんじ、本名及び旧芸名:山口 健二・読み同じ、1963年5月10日 - )は、日本の元俳優。岐阜県羽島市出身。ティー・アーティストに所属していた。 岐阜県立羽島北高等学校卒業。高校生時代にはバンドを組んで活動していた。高校卒業後、インテリアデザイナーを目指して上京。1983年1月にモデルとしてスカウトされ、芸能界入り。1983年5月から約1年間「レッツゴーヤング」にサンデーズとして出演した後、4人組ロックバンド「ザ・モータースポーツ・ミュージック」に参加、ボーカル&ギターを担当(同グループには、山上輝美朗(g&cho)、松竹光男(Ba&cho)、小柳昌法(Dr&cho)が在籍)。
石原 初音(いしはら はつね、1958年11月20日 - )… 石原 初音(いしはら はつね、1958年11月20日 - )は、日本の元女優である。岐阜県出身。渡辺プロダクション所属(活動当時)。 岐阜県羽島市生まれ。二男二女の長女。1974年、羽島市立竹鼻中学校を卒業。岐阜県立羽島高等学校二年に在学中の1975年、「必殺仕置屋稼業」のオーディションに合格した。渡辺プロのスカウトを受けて上京し、1977年、文華女子高等学校を卒業。伴睦人の映画『杳子』や平凡パンチ、週刊プレイボーイなどの誌上に、その豊満な肢体を披露した。キティアーティスト所属。
河合 孝憲(かわい たかのり、1958年5月10日 - )は… 河合 孝憲(かわい たかのり、1958年5月10日 - )は、日本の地方公務員。岐阜県危機管理部長や、岐阜県商工労働部長を経て、岐阜県副知事。 岐阜県羽島市出身。南山大学経営学部卒業後、1982年岐阜県庁に入る。2008年知事直轄秘書課長。2009年総合企画部観光交流推進局観光・ブランド振興課長。2012年秘書広報総括監兼ぎふ清流国体推進局国体報道監。2012年危機管理副統括監。2013年商工労働部観光交流推進局長。2014年危機管理部長。2016年商工労働部長。2017年から上手繁雄の後任として副知事を務め、豚熱(豚コレラ)拡大防止などにあたった。2022年東海国立大学機構経営協議会委員。 2024年6月5日、副知事室で喫煙を繰り返していたとして、譴責の懲戒処分を受けた。
安田 善治郎(やすだ ぜんじろう、1946年(昭和21年)8… 安田 善治郎(やすだ ぜんじろう、1946年(昭和21年)8月1日 - )は、岐阜県羽島市出身のフィールドホッケー選手・監督である。 岐阜西工から明治大学に進学。大学4年で1968年メキシコシティーオリンピックの日本代表として出場して11位となる。 卒業後の1969年(昭和44年)に岐阜女商に赴任。インターハイ20回優勝の強豪に育て上げる。 その実績を買われ、1978年(昭和53年)から1982年(昭和57年)まで女子日本代表コーチを務める。1987年(昭和62年)からは監督に就任し、1990年(平成2年)W杯11位、アジア大会3位に成績を残し同年退任。 1996年(平成8年)県民栄誉賞を受賞。
山田 日登志(やまだ ひとし、1939年 - )は、日本のコ… 山田 日登志(やまだ ひとし、1939年 - )は、日本のコンサルタント。専門は生産管理。PEC産業教育センター所長。セル生産方式の発案者。生産現場のムダを排除する「ムダとり」の生みの親とされる。 1939年、岐阜県羽島市生まれ。南山大学文学部を卒業後、1963年中部経済新聞入社。1965年、岐阜県生産性本部に転職。工場改革に行き詰っていたとき、トヨタ自動車の大野耐一と出会い、弟子入りする。トヨタ流工場運営のノウハウを学んだ後、1978年にPEC産業教育センターを設立し、現職。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
羽嶋山 昌乃武(はじまやま まさのぶ、1922年(大正11年… 羽嶋山 昌乃武(はじまやま まさのぶ、1922年(大正11年)4月23日 - 2011年(平成23年)6月13日)は、岐阜県羽島郡桑原村(現・羽島市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は山内 昌乃武(やまうち まさのぶ)。身長176cm、体重120kg。最高位は西張出関脇(1956年(昭和31年)3月場所)。得意手は左四つ、櫓投げ、上手投げ。 一時期「羽島山」、「岐阜錦」を名乗った。 17歳の時に出羽海部屋へ入門し、1939年(昭和14年)5月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名でもある「山内」。以来順調に出世し、1945年(昭和20年)6月場所で新入幕を果たした(その間、初名の「山内」から「羽嶋山」→「羽島山」と2度四股名を変えた。
坂倉 準三(さかくら じゅんぞう、1901年(明治34年)5… 坂倉 準三(さかくら じゅんぞう、1901年(明治34年)5月29日 - 1969年(昭和44年)9月1日)は、日本の建築家。 ル・コルビュジエに師事し、モダニズム建築を実践した。1937年(昭和12年)のパリ万国博覧会では、日本館の設計を手がけ、日本のなまこ壁を思わせるデザインとモダニズムの理念を統合し、世界でも高い評価を受けた。 妻は西村伊作の次女の坂倉ユリ(1912-2007)。息子に同じく建築家の坂倉竹之助、孫にはヒップホップMCのSPHEREがいる。
長良川 彦三郎(ながらがわ ひこさぶろう、1898年12月9… 長良川 彦三郎(ながらがわ ひこさぶろう、1898年12月9日 - 没年不明)は、岐阜県羽島市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は吉村 彦三郎。最高位は十両11枚目。 出羽ノ海部屋に入門し、「長良川」の四股名で1918年5月初土俵を踏む。1923年1月十両に昇進、3勝6敗と負け越し、幕下に落ちる。1925年5月再十両となるも1勝4敗1預と負け越し再び幕下に落ちた。「金華山」と改名後の1927年1月、十両に復帰したが2場所連続で負け越し、四股名を「長良川」に戻した後の同年10月は3勝8敗と負け越し、1928年10月に廃業した。 長良川→金華山→長良川
山田 守(やまだ まもる、1894年4月19日 - 1966… 山田 守(やまだ まもる、1894年4月19日 - 1966年6月13日)は日本の建築家。逓信建築の先駆者的存在、モダニズム建築を実践し、曲面や曲線を用いた個性的、印象的なデザインの作品を残した。 岐阜県羽島郡上中島村字長間(現・羽島市)生まれ。上中島小学校、岐阜県立大垣中学校、第四高等学校を経て、1917年、東京帝国大学建築学科入学。1920年、青年建築家のグループ分離派建築会を結成する。同年、同校卒業。逓信省営繕課に入り、電信局・電話局(逓信建築)の設計を行う。東京中央電信局(1925年、現存しない)ではパラボラ型アーチの並ぶ個性的なデザインが注目された。1924年から復興局土木部に所属し、永代橋、聖橋に代表される関東大震災後の震災復興橋梁のデザインを行った。
安藤 源五郎(あんどう げんごろう、嘉永3年5月〈1850年… 安藤 源五郎(あんどう げんごろう、嘉永3年5月〈1850年〉 - 1921年〈大正10年〉1月26日)は、明治期の司法官僚、大審院判事。 美濃国中島郡駒塚村(現・岐阜県羽島市)生まれ。1867年(慶応3年)江戸に出て安井息軒に漢学を学び、1874年(明治7年)慶應義塾法律科一期生として卒業する。卒業後司法省八等出仕となり長崎上等裁判所の裁判官となり大審院検事となる。1886年(明治19年)大審院法律諮問会員、1890年(明治23年)青森地方裁判所検事正、1892年(明治25年)福島裁判所検事正等、各地方に歴任し、のちに退官し京都に移る。
原 亮三郎(はら りょうざぶろう、1848年11月13日(嘉… 原 亮三郎(はら りょうざぶろう、1848年11月13日(嘉永元年10月18日) - 1919年(大正8年)12月8日)は、明治から大正時代の政治家。公吏。実業家。出版経営者。銀行家。衆議院議員。 美濃国羽栗郡平方村(岐阜県羽栗郡平方村、福寿村を経て現羽島市)出身。原忠左衛門の子。生家は代々農業を営み、同地の里正を務めた。亮三郎は16歳にして家業を継ぎ、大庄屋となった。 1871年(明治4年)東京に出て藤川三渓の門に入り、のち神奈川県史生に任ずる。ついで権少録に進み戸長も務めた。1875年(明治8年)横浜に出版社金港堂を創業し、翌年東京日本橋に移転する。教科書や文芸雑誌、書籍などの出版にあたった。