勝又 琉偉(かつまた るい、2004年10月7日 - )は、… 勝又 琉偉(かつまた るい、2004年10月7日 - )は、静岡県富士市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 小学生の時に大淵少年野球スポーツ団で野球を始める。進学した富士市立大淵中学校では軟式野球部に入部した。 その後、静岡県立富士宮東高等学校に進学した際は遊撃手に転向。1年次からレギュラーを務めた。3年次には春に4本塁打を記録し、プロの注目を集めた。夏の大会は3回戦敗退。この時は育成指名であれば大学へ進学する方針を示していた。 2022年のドラフト会議にて、千葉ロッテマリーンズから育成3位で指名を受けた。同校から直接プロ野球球団からドラフト指名されるのは史上初の出来事であった。
松浦 伊吹(まつうら いぶき、2001年10月16日 - )… 松浦 伊吹(まつうら いぶき、2001年10月16日 - )は、日本のプロ野球審判員。日本野球機構(NPB)所属の育成審判員。 静岡県富士市出身。静岡県立富士高等学校、大東文化大学を経て、NPBアンパイア・スクールを修了。 2024年、NPBアンパイア・スクール第10期修了生として研修審判員契約を結び、ルートインBCリーグに派遣された。 2025年1月1日付で日本野球機構と育成審判員として契約し、関東地区に配属された。 富士高校時代は、1年の夏から出場するなど、4番捕手として活躍した。
木須 フェリペ(きす フェリペ、1999年9月4日 - )は… 木須 フェリペ(きす フェリペ、1999年9月4日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。NPBでは育成選手であり、登録名はフェリペであった。 出生以来ブラジルの国籍を有していたが、静岡県内の中学校・高校に通算6年間在学していたため、NPBの規定に沿って日本人扱いでオリックスへ入団。2019年8月に日本の国籍を取得しており、同年まで本名表記は木須デソウザ フェリペとなっていた。 富士市立丘小学校3年時まで水泳を習った後に、4年時から野球を始める。富士市立岳陽中学校時代には、「1番・捕手」として対外試合に出場していた。 御殿場西高等学校への進学後は、1年時の秋から正捕手へ定着。
加藤 脩平(かとう しゅうへい、1999年3月28日 - )… 加藤 脩平(かとう しゅうへい、1999年3月28日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 小学2年生のときに田子浦ヤングファイターズ少年野球団(軟式)にて野球を始め、中学からは静岡蒲原リトルシニア(硬式)に所属。 中学卒業後は磐田東高校に進学し、1年の春季県大会から7番ライトで出場。その時、2学年先輩に齋藤誠哉と鈴木博志がいた。1年秋からはクリーンアップを務め、2年秋からエースとして二刀流で活躍した。 2016年10月20日に行われたドラフト会議にて読売ジャイアンツから育成2位指名され、支度金200万円、年俸240万円、背番号002で仮契約した。 2017年は三軍の試合にのみ出場し、79試合で、打率.177、3本塁打、21打点の成績を残した。
鈴木 将平(すずき しょうへい、1998年5月20日 - )… 鈴木 将平(すずき しょうへい、1998年5月20日 - )は、静岡県富士市出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。
土屋 健二(つちや けんじ、1990年10月4日 - )は、… 土屋 健二(つちや けんじ、1990年10月4日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 野球人生のスタートは、小学3年生時に、後に出身高校の先輩となる松坂大輔の投球に衝撃を受けた事と後に語っている。地元の「富士シニア」所属時代は投手として全国16強入りし、全日本選抜メンバーにも選出された。 2006年に横浜高校に進学。2007年秋の明治神宮大会では準優勝投手となった。この年の秋関東大会までは背番号1だったが、明治神宮大会では背番号10として出場した(エースとしての自覚を持ってほしい事から、監督が背番号を10に変更させた)。エースとして3年生時の春(2008年)に出場した第80回選抜大会は初戦(2回戦)で北大津高校の前に敗退するも、続く3年生時の夏の第90回選手権大会では浦和学院高校や広陵高校、仙台育英高校といった強豪を撃破したものの、準決勝で浅村栄斗を擁する大阪桐蔭高校に敗れベスト4。
山崎 憲晴(やまざき のりはる、1986年12月13日 - … 山崎 憲晴(やまざき のりはる、1986年12月13日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。現在は阪神タイガースの二軍内野守備走塁コーチ。所属事務所はトラロックエンターテインメント。 小学校3年生から野球を始め、富士シニアでプレーしていた。 埼玉栄高等学校時代には、2年時の秋季関東大会でベスト8まで進んだことが最高成績で、春夏ともに阪神甲子園球場の全国大会へ出場できなかった。その一方で、2学年先輩に星野真澄、2学年後輩に木村文紀がいた。 横浜商科大学への進学後は、1年時の春からレギュラーに定着。職人肌の守備とシュアな打撃が評価され、2・3年と大学日本代表に選出された。
佐藤 秀樹(さとう ひでき、1970年4月21日 - )は、… 佐藤 秀樹(さとう ひでき、1970年4月21日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ、スコアラー。 2014年シーズンより、2年間中日ドラゴンズの二軍投手コーチを務めた。中京大学附属中京高等学校在学時にU-18野球日本代表へ選出された現トヨタ自動車硬式野球部に所属の佐藤勇基は子息。 小学3年の時に野球を始め、中学でエースで4番打者になる。 富士宮西高でも1年秋からエースになり、県大会で2試合連続ノーヒットノーラン、19奪三振を記録。1987年、2年生の時に、第59回選抜高等学校野球大会に出場。3年夏は県大会決勝戦で完投するも、延長13回の末にサヨナラ負け。 その後、社会人野球の三菱重工横浜では補強選手で3年連続都市対抗野球出場、1992年のドラフト会議で中日ドラゴンズから1位指名を受け入団。
武藤 潤一郎(むとう じゅんいちろう、1969年3月15日 … 武藤 潤一郎(むとう じゅんいちろう、1969年3月15日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(投手)。 吉原商業高卒業後、専修大学に進学。岡林洋一(元ヤクルト)、杉山賢人(元西武など)が同期。1年後輩に町田公二郎(元広島など)がいた。東都リーグ最多となる31回目の優勝に貢献。1部リーグ通算35試合に登板、6勝8敗、防御率3.54。 大学卒業後、プリンスホテルでは1992年に都市対抗野球で完封や好リリーフにより優秀選手賞、1992年度ドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けて入団。ドラフト指名時は、千葉マリンスタジアム近くに建設中の幕張プリンスホテルで工事用のヘルメットを着用して写真撮影に応じた。
戸栗 和秀(とぐり かずひで、1964年10月11日 - )… 戸栗 和秀(とぐり かずひで、1964年10月11日 - )は、静岡県富士市出身の元アマチュア野球選手(内野手)、野球指導者。 富士宮北高校卒業後に駒澤大学に進学して硬式野球部に所属。入れ替わりとなるが広瀬哲朗と同じ経歴であった。東都大学野球リーグでは2度のベストナインに選ばれ、1985年春でサイクル安打を放ち、1986年春には首位打者になった。3年上の二塁手が白井一幸で、2年下の野村謙二郎とは二遊間を組み、同期に新谷博がいた。 大学卒業後は、社会人野球のプリンスホテルのチームに入団し、1988年の第14回カナダ・グランドホークス国際野球大会の全日本メンバーに選ばれ、当大会のベストナインにも選ばれた。
植松 精一(うえまつ せいいち、1955年10月10日 - … 植松 精一(うえまつ せいいち、1955年10月10日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手。
勝亦 治(かつまた おさむ、1952年4月30日 - )は、… 勝亦 治(かつまた おさむ、1952年4月30日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
加藤 初(かとう はじめ、1949年12月20日 - 201… 加藤 初(かとう はじめ、1949年12月20日 - 2016年12月11日)は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、野球指導者。 吉原商業高校(1年次は吉原市立、2年次より富士市立)から亜細亜大学に進む。入学早々に膝を悪くし、実家近くの信頼ある鍼灸医の治療をうけ回復した。その帰京の際、亜細亜大学を中退した友人宅へ途中下車して寄り、一泊の予定だったが大学でのシゴキがあったことから三週間も滞在してしまい、復学しづらくなって入学後3ヶ月あまりで中退した。 社会人野球の大昭和製紙へ入社し、4年目にエースとして第42回都市対抗野球大会へ出場。秋の日本産業対抗野球大会では優勝候補の熊谷組を1安打完封して優勝に貢献した。
望月 充(もちづき みつる、1948年10月6日 - )は静… 望月 充(もちづき みつる、1948年10月6日 - )は静岡県富士市出身の元プロ野球選手、コーチ、スコアラー。
佐藤 竹秀(さとう たけひで、1947年6月13日 - 20… 佐藤 竹秀(さとう たけひで、1947年6月13日 - 2001年3月13日)は、静岡県富士市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。
渡辺 秀武(わたなべ ひでたけ、1941年〈昭和16年〉9月… 渡辺 秀武(わたなべ ひでたけ、1941年〈昭和16年〉9月16日 - 2007年〈平成19年〉8月25日)は、静岡県富士市出身のプロ野球選手(投手)、スカウト。 愛称は「メリーちゃん」。 富士高校卒業後の1960年に本州製紙へ入社するが、後に日本軽金属へ移籍。1963年の都市対抗では河合楽器に補強され出場し、電電四国との1回戦で好リリーフを見せ、勝利投手となるなど活躍。チームの準決勝進出に貢献するが、積水化学に敗退した。この時のチームメイトに一枝修平がいる。 大会終了後の8月23日に読売ジャイアンツへ入団し、二軍では3年目の1965年に防御率1.83でイースタン・リーグ最優秀防御率に輝いたが、最初の3年間は僅か3勝と低迷。