森 和朗 (もり かずろう、1937年-2019年)は、元N… 森 和朗 (もり かずろう、1937年-2019年)は、元NHKチーフ・ディレクターで、文筆家。日本大学芸術学部文芸学科講師。 1937年、愛知県名古屋市生まれ。1960年名古屋大学経済学部卒業。日本放送協会で「NC9(ニュースセンター9時)」、「ニュース展望」、「NHKジャーナル」など報道番組の制作を担当。国際局チーフ・ディレクターを経て、日本大学芸術学部文芸学科講師。
髙井 伸夫(たかい のぶお、1937年 - )は、日本の弁護… 髙井 伸夫(たかい のぶお、1937年 - )は、日本の弁護士。髙井・岡芹法律事務所会長。経営法曹会議幹事。社団法人日中協会理事。愛知県名古屋市出身。東京大学法学部卒業。 専門分野は企業からの人事・労務問題、会社役員関係等々、使用者側に立つ労働法・労働問題。
宮地 健一(みやじ けんいち、1937年 - )は、日本の社… 宮地 健一(みやじ けんいち、1937年 - )は、日本の社会運動研究家である。 名古屋市生まれ。1959年名古屋大学経済学部卒業後、愛知県の損害保険会社に就職する。そこで労働組合幹部を経験、1960年に日本共産党に入党。民青地区委員長を経て名古屋の共産党専従(有給の常勤職員)を15年務める。日本共産党愛知県名古屋中北地区常任委員・県選対部員だった。 1975年の統一地方選挙の総括をめぐって5月に交わされた他の専従との雑談が規律違反とされたことをきっかけに、同年12月査問が開始され、1969年以降の正規の諸会議において10数回にわたり『赤旗』の一面的拡大追求路線について党中央を誤りとして批判したことにたいするペナルティとして、1976年8月5日専従を解任された。
吉岡 基次(よしおか もとつぐ、1936年12月27日 - … 吉岡 基次(よしおか もとつぐ、1936年12月27日 - 2015年3月22日)は、日本の実業家。第5代松坂屋代表取締役社長。 愛知県名古屋市出身。1959年名古屋大学法学部卒業、松坂屋入社。1989年名古屋駅店長。1991年取締役。1993年常務取締役名古屋店長。1995年専務取締役名古屋店長。1997年から代表取締役社長を務め、総会屋事件を受けて体制整備を行った。1998年名古屋中法人会会長。2015年病没。享年78。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大川 恵子(おおかわ けいこ、1936年7月26日 - )は… 大川 恵子(おおかわ けいこ、1936年7月26日 - )は、日本の元女優。愛知県名古屋市出身。本名は加古 啓子(かこ ひろこ)。愛知県立刈谷高等学校卒業。 1955年に名鉄デパートに入社するが、月刊誌『平凡』主催「ミス平凡」に選ばれ、1956年に東映ニューフェイスの第3期生となる。同期には里見浩太朗・桜町弘子・大村文武らがいた。芸名は当時の東映社長の大川博が命名したものである。黄金期の東映時代劇でお姫様女優として活躍。『姫君一刀流』は唯一の主演作である。1962年、時代劇ブームの去る前にサラリーマンと結婚、引退し映画界を去る。以降、マスコミに出ることはない。 1959年(昭和34年)3月2日から6日まで開催された「ベルリン日本映画芸術の日」と3月6日から11日まで開催された「ミュンヘン日本映画見本市」に出席のため同3月1日、芦川いづみ(日活)、大空眞弓(新東宝)、小山明子(松竹)、司葉子(東宝)、若尾文子(大映)ら他の映画会社代表女優たちと共に東映代表女優としてドイツへ出発。
荒川 修作(あらかわ しゅうさく、1936年〈昭和11年〉7… 荒川 修作(あらかわ しゅうさく、1936年〈昭和11年〉7月6日 - 2010年〈平成22年〉5月19日)は、日本の美術家である。愛知県名古屋市出身。 1936年、名古屋市に生まれる。生家はうどん屋。愛知県立旭丘高等学校美術科卒業で元ロサンゼルス在住の現代石彫家、国島征二と同窓だった。武蔵野美術学校中退。1957年、読売アンデパンダン展に初出品し、1960年、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズの結成に参加。1961年、渡米し、滝口修造の仲介でマルセル・デュシャンに会い以後ニューヨークを拠点に活動を続けた。渡米後、マドリン・ギンズと知り合い1962年頃から共同制作を始める。1970年、ヴェネツィア・ビエンナーレで代表作となる『意味のメカニズム』を発表。
梶田 達二(かじた たつじ、1936年〈昭和11年〉5月24… 梶田 達二(かじた たつじ、1936年〈昭和11年〉5月24日 - 2011年〈平成23年〉10月8日)は、日本の画家、イラストレーター。ボックスアートを得意とした。愛知県名古屋市港区出身。理科美術協会、ミロの会会員。 愛知県立惟信高等学校を卒業。家業の楽器製造会社を手伝う傍ら、挿絵画家の小松崎茂の作品を摸写。1959年(昭和34年)、集英社より単行本の挿絵でデビュー。同年、上京。 秋田書店「冒険王」9月号で雑誌デビュー。また、小学館、講談社、光文社、少年画報社、徳間書店、学習研究社などの少年誌、学年誌に表紙、口絵、挿絵を発表する。また、プラモデルの箱に航空機や艦船を描くボックスアートの世界で活躍。
佐々木 元(ささき はじめ、1936年〈昭和11年〉4月6日… 佐々木 元(ささき はじめ、1936年〈昭和11年〉4月6日 - 2022年〈令和4年〉6月21日)は、日本の実業家。元NEC代表取締役会長。位階勲等は従四位旭日重光章。 1936年(昭和11年)4月6日に愛知県名古屋市で出生。父は佐々木直(第22代日本銀行総裁)で、父が日本銀行名古屋支店勤務の時に出生し、2歳まで名古屋で過ごした。祖父は佐々木藤太郎(朝鮮総督府官僚)。 東京都杉並区立第七小学校から、中高一貫校の成蹊中学校・高等学校へ進学し、卒業。 1959年に東京大学工学部電気工学科卒業後、東京大学大学院数物系研究科で修士課程修了。 1961年4月に日本電気に入社し、1999年に代表取締役会長となる。
岩間 一雄(いわま かずお、1936年3月16日 - )は、… 岩間 一雄(いわま かずお、1936年3月16日 - )は、日本の政治学者、岡山大学名誉教授。専攻は中国・東洋政治思想史。 愛知県名古屋市生まれ。名古屋大学大学院法学研究科博士課程修了。1967年「中国における封建的思惟の展開」で名大法学博士。名古屋大学法学部助手、1966年岡山大学法学部助手、同法文学部助教授、教授。2001年定年退官、名誉教授。1998年地方出版文化功労賞受賞。守本順一郎に師事した。門下生に伊藤恭彦等。
内藤 誠(ないとう まこと 1936年3月6日 - )は、日… 内藤 誠(ないとう まこと 1936年3月6日 - )は、日本の映画監督、脚本家、著述家。元中部大学人文学部教授。元日本大学芸術学部映画学科講師。 愛知県名古屋市出身。愛知県立刈谷高等学校を経て、1959年、早稲田大学政治経済学部新聞学科を卒業。唯一、受けた東映の入社試験に合格、東京撮影所に配属される。受験に当たっては師事する木村毅から紹介された雪代敬子に保証人を頼んだ。 佐伯清、成澤昌茂、マキノ雅弘、石井輝男らの助監督を経て1969年に監督に昇進し、主に当時の東映の主流である東映京都撮影所作品などの併映作品、俗に言う「B面映画」の職人監督として活躍した。山下耕作監督『釜ケ崎極道』のB面『ネオンくらげ』は「傑作青春ムービー」、深作欣二監督『仁義なき戦い 代理戦争』のB面『番格ロック』は「女性バードボイルド映画の傑作」と評される。
天野 鎮雄(あまの しずお、1936年(昭和11年)2月13… 天野 鎮雄(あまの しずお、1936年(昭和11年)2月13日 - 2023年(令和5年)11月5日)は、日本の俳優、タレント。劇団「劇座」代表。妻は、女優の山田昌。愛称は「アマチン」。 愛知県名古屋市港区出身。知多市新舞子在住。幼少期に福井県へ疎開し終戦を迎える。その後、兵庫県在住を経て、中学生の時に帰郷。名古屋市立菊里高等学校を経て、愛知学芸大学に入学。 大学時代にNHK名古屋放送劇団に入団。同大学学芸学部英語科卒業。文学座研究生、大島渚主宰の「創造社」、「山本安英の会」などを経て、1985年(昭和60年)に妻の山田昌と「劇座」を結成。あわせて付属俳優養成所の「名古屋劇塾」も設立した。 1968年(昭和43年)から3年間、東海ラジオの深夜番組『ミッドナイト東海』の初代パーソナリティを務め、森本レオらと共に人気を博した。
森 崇(もり しゅう、1936年 - 2024年)は、日本の… 森 崇(もり しゅう、1936年 - 2024年)は、日本の内科医。 名古屋市生まれ。1959年名古屋市立大学医学部卒業後、九州大学医学部心療内科医局に入局。1966年、福岡市の長尾病院が心療内科を開設するとのことで若者の診療の手がかりを得る。同時期、福岡家庭裁判所の医務官として勤務し、非行少年らの診療にあたる。その後、福岡教育大学体育科助教授、同保健管理センター教授を経て、北九州津屋崎病院副院長、青春期内科部長。2007年4月まで日本思春期学会副理事長、現在は名誉会員。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中山 俊丈(なかやま としたけ、1935年12月14日 - … 中山 俊丈(なかやま としたけ、1935年12月14日 - 2016年10月24日)は、愛知県名古屋市昭和区出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。
志水 速雄(しみず はやお、1935年9月15日 - 198… 志水 速雄(しみず はやお、1935年9月15日 - 1985年3月24日)は、日本の政治学者。専門は、ロシア政治論。愛知県名古屋市生まれ。 1961年東京外国語大学外国語学部ロシア科卒業。1969年明治大学大学院修了。明治大学講師、東京外国語大学教授を務めた。 1960年の安保闘争時に全学連国際部長を務め、筋金入りの闘士だった。巣鴨を出たあとは清水幾太郎(当時、学習院大学教授)の現代思想研究会に入ったが思想上(政治信条)の整理がつけられず、明治大学大学院で5年間、ソ連関連と政治学を研究。後半生は対ソ警戒論を論じた。
日高 義樹(ひだか よしき、1935年6月22日 - )は、… 日高 義樹(ひだか よしき、1935年6月22日 - )は、日本のジャーナリストである。アメリカ合衆国在住。ハドソン研究所客員上級研究員、全米商工会議所会長首席顧問、ハーバード大学ケネディスクールタウブマンセンター諮問委員。 1935年(昭和10年)名古屋市生まれ。愛知県知多郡東浦町出身。愛知県立刈谷高等学校を経て、東京大学文学部英文科卒業。 親米派の論客として改憲論、特に日本国憲法第9条改訂の立場をとるジャーナリストとして知られる。2010年代後半以降はメディア登場がない。 1959年(昭和34年)、NHK入局。福岡放送局、佐世保放送局(現・支局)、1965年(昭和40年)外信部、1970年(昭和45年)ワシントン特派員、1972年(昭和47年)外信部、1975年(昭和50年)ニューヨーク特派員、1980年(昭和55年)ニューヨーク支局長、1982年(昭和57年)ワシントン支局長、1985年(昭和60年)特報部、1987年(昭和62年)NHKエンタープライズアメリカ会長、理事待遇アメリカ総局長を歴任した。
小坂 一也(こさか かずや、1935年5月30日 - 199… 小坂 一也(こさか かずや、1935年5月30日 - 1997年11月1日)は、日本の歌手、俳優。本名は同じ。 愛知県名古屋市守山区出生、東京都出身。成城学園高等学校中退。竹内事務所、六月劇場、グランパパプロダクションに所属していた。 世田谷区で工具製作所を営む小坂文男の子として、父の実家の名古屋で生まれる。父文男は1907年5月、土木請負業を営む小坂亥三郎の次男として生まれ、早稲田高等学院卒業後アメリカ行きを希望したが、父親の反対により叶わず、工業の道に進んだ経緯があった。そのため子の一也には英語を学ばせたく、知己の鈴木惣太郎のもとに通わせるなどした。小学校から高校まで成城学園で学ぶ。元衆議院議員の羽田孜とは同級生で親交が深かった。
村上 處直(むらかみ すみなお、1935年1月24日 - 2… 村上 處直(むらかみ すみなお、1935年1月24日 - 2024年10月20日)は、日本の都市計画家。防災の専門家で、戦後の都市防災において、中心的役割を果たしてきた人物。防災都市計画研究所名誉所長及び会長。元代表取締役所長。そのほか、社団法人環境情報科学センター評議員。杉並区まちづくり博覧会会長。 神奈川県地震被害想定調査委員会委員長、地域安全学会会長、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)後の国土審議会特別委員、中央防災会議専門委員を歴任。 学位は工学博士。名古屋市生まれ。広島育ち。父は天文学者の村上忠敬(広島大学名誉教授)。
早川 敏生(はやかわ としたか、1935年1月 - )は、元… 早川 敏生(はやかわ としたか、1935年1月 - )は、元東邦ガス代表取締役社長。愛知県名古屋市出身。 1958年、名古屋大学経済学部卒業。同年、東邦ガス入社。営業部門、企画部門、専務取締役等を経て、2000年代表取締役社長。社長を退き2004年、代表取締役会長。後任の社長は水野耕太郎専務。2008年佐伯卓常務が新社長に就任するのにともない、会長を退任し、相談役に就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
松浦 元男(まつうら もとお、1935年 - )は、プラスチ… 松浦 元男(まつうら もとお、1935年 - )は、プラスチック製小型精密部品メーカーの株式会社樹研工業の会長である。愛知県名古屋市出身。
北島 万次(きたしま まんじ、1934年12月23日(戸籍上… 北島 万次(きたしま まんじ、1934年12月23日(戸籍上は1935年1月3日) - 2018年5月14日)は、日本の歴史学者。専攻は日本中近世対外関係史。 愛知県名古屋市生まれ。1957年早稲田大学文学部史学科卒業。1959年東京都立大学 (1949-2011)大学院人文科学科日本史修士課程修了。1991年「豊臣政権の対外認識と朝鮮侵略」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。高崎経済大学助教授、教授、共立女子大学国際文化学部教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
吉川 雅夫(よしかわ まさお、1934年12月13日 - 2… 吉川 雅夫(よしかわ まさお、1934年12月13日 - 2019年4月10日)は、日本のマリンバ奏者。愛知県名古屋市生まれ。20代に東京に活動拠点を変更して以来、東京を活動の中心地とした。2019年4月10日 急性心筋梗塞のため死去。 音楽家であった父から木琴の指導を5歳から受け、父のアコーディオン伴奏で日本各地で演奏をする。天才木琴少年としてラジオやテレビ放送にも出演していた。 高校生の時に平岡養一の演奏を聴き、プロになることを決意。武蔵野音楽大学ピアノ科に入学。在学中よりスタジオ・ミュージシャンとして活動。スタジオ・ミュージシャン歴60年間で録音総数は3万曲に上る。 見砂直照(東京キューバン・ボーイズ)のマリンバ奏者、越路吹雪の日生劇場でのロングリサイタルの専属バンドメンバーを務めた。
米倉 明(よねくら あきら、1934年10月1日 - )は、… 米倉 明(よねくら あきら、1934年10月1日 - )は、日本の法学者。東京大学法学部名誉教授。専門は民法。加藤一郎門下。弟子に道垣内弘人、角紀代恵、沖野眞已など。 研究対象は財産法から家族法に至るまで全分野に及んでおり、それぞれで高い評価を受けているが、とりわけ担保法の権威として知られる。また、特別養子制度の創設においては、人道的見地から積極的にこれを支持し、法理論における指導的立場に立った。 また2005年には、穂積八束の有名な論文の題名「民法出デテ忠孝亡ブ」をもじった「法科大学院出デテ研究亡ブ」という言葉で法学教育のあり方に疑義を呈するなど、活発に活動を続けている。 愛知県名古屋市出身。
奈倉 道隆(なぐら みちたか、1934年7月29日- )は、… 奈倉 道隆(なぐら みちたか、1934年7月29日- )は、名古屋市出身の浄土宗の僧侶、医師、東海学園大学名誉教授。専門は共生人間論、老年医学。 名古屋市生まれ。1960年京都大学医学部卒。1973年医学博士。1974年 佛教大学文学部仏教学科卒。大阪社会事業短期大学助教授、大阪府立大学社会福祉学部教授、1986年龍谷大学社会学部教授、1997年東海学園大学教授、2005年同名誉教授、四天王寺国際仏教大学教授、放送大学客員教授。 2018年6月22日、奈倉ら吉田寮出身者で組織される「21世紀に吉田寮を活かす元寮生の会」が、京都大学の総長の山極寿一に2018年9月以降に吉田寮の旧棟を保存活用するよう求める要請書を提出した。
椙山 正弘(すぎやま まさひろ、1934年7月27日 - 2… 椙山 正弘(すぎやま まさひろ、1934年7月27日 - 2019年1月1日)は、学校法人椙山女学園学園長。教育学博士。藍綬褒章。椙山女学園創設者の椙山正弌は祖父。 愛知県名古屋市生まれ。妻は椙山美恵子、息子は椙山泰生。 名古屋大学教育学部卒業後、椙山女学園高等学校教諭。ハーバード大学客員研究員を経て、1973年-1994年椙山女学園大学短期大学部教授、学校法人椙山女学園理事長・学園長。 1994年1月11日、椙山女学園大学生活科学部学科新設にまつわる審査に便宜をはかってもらうため、文部省高等教育局大学課の係長に現金や50万相当の家族旅行をプレゼントした贈賄容疑で逮捕される。文部省、椙山女学園大学、椙山正弘宅に家宅捜索が入った。
横江 金夫(よこえ かねお、1934年〈昭和9年〉6月22日… 横江 金夫(よこえ かねお、1934年〈昭和9年〉6月22日 - 2025年〈令和7年〉2月3日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)、元愛知県議会議員(4期)。 愛知県名古屋市出身。1958年、明治大学法学部卒業。 24歳で下之一色漁業協同組合に入り、4年間組合長を務める。1963年、愛知県議会議員選挙に名古屋市中川区選挙区から日本社会党公認で立候補し初当選した。以後4期務め、この間社会党愛知県本部書記長や副委員長を歴任した。 1983年の第37回衆議院議員総選挙で旧愛知6区から立候補して初当選。1985年11月にはジャパンライフからの献金を巡って中曽根康弘内閣総理大臣を追及した。
大島 宏彦(おおしま ひろひこ、1934年4月26日 - 2… 大島 宏彦(おおしま ひろひこ、1934年4月26日 - 2023年8月23日)は、日本の実業家。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。中日新聞社最高顧問。愛知県名古屋市出身。 愛知県立旭丘高等学校を経て、1957年に東京大学法学部卒業。同年に中日新聞社に入社。 1968年にはワシントン特派員、1979年6月には取締役、1981年6月には常務、1983年6月には専務、1984年6月には副社長を歴任し、1987年6月から社長に就任し。1997年5月からは会長に就任し、2003年6月からは取締役最高顧問に就任した。 1995年から2000年までは株式会社中日ドラゴンズ代表取締役オーナーを務めた。第2次星野仙一政権をバックアップし、球団の黄金期を作った一人といわれる。
山口 玲子(やまぐち れいこ、1934年3月31日 - )は… 山口 玲子(やまぐち れいこ、1934年3月31日 - )は、日本の伝記作家。近代の日本を生きた女性の伝記を著した。 愛知県名古屋市生まれ。1957年に名古屋大学文学部社会学専攻を卒業後、1964年まで東海テレビ放送に勤務。当時は婦人向けの教養番組を作っており、仕事はおもしろかったと述べている。以降はフリーランスのテレビディレクターおよびライターとして活動。夫と娘の3人家族であり、夫は大学のゼミの先輩で、東海テレビでは同じ1期生であった。のちに名古屋市千種区山門町から静岡県伊東市へ移住。 1960年代末に『明治文学全集』に収録されていた『したゆく水』を読み、のちに伝記を著すことになる古在紫琴を知る。
和田 明広(わだ あきひろ、1934年1月3日 - 2022… 和田 明広(わだ あきひろ、1934年1月3日 - 2022年3月13日)は、日本の実業家。元トヨタ自動車副社長。元アイシン精機代表取締役会長。第76期日本機械学会会長。藍綬褒章受章。愛知県名古屋市出身。 1956年、名古屋大学工学部卒業。同年、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)に入社。主にボディー設計のエンジニアとしてコロナ、セリカなどの車種開発に従事。1986年トヨタ自動車取締役、1994年同社副社長に就任。トヨタ自動車副社長の時には、プロジェクトの最高責任者として、プリウスの開発を指揮した。その後、1999年アイシン精機代表取締役会長に就任。2005年からは相談役に就任している。
服部 英二(はっとり えいじ、1934年 - )は、日本の比… 服部 英二(はっとり えいじ、1934年 - )は、日本の比較文明学者。 名古屋市出身。南山大学文学部哲学科卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。フランス政府給費留学生としてパリ大学(ソルボンヌ)博士課程に留学。 1973年ユネスコ本部勤務、首席広報官、文化担当特別事業部長等。その間に「科学と文化の対話」シンポジウムシリーズ、「シルクロード・対話の道総合調査」等を実施。 1994年退官後、ユネスコ事務局長顧問、同事務局長官房特別参与、麗澤大学教授、同比較文明文化研究センター客員教授、道徳科学研究センター顧問、地球システム・倫理学会会長、比較文明学会名誉理事。
早川 太郎(はやかわ たろう、1934年 - )は、日本の医… 早川 太郎(はやかわ たろう、1934年 - )は、日本の医学者、医師。愛知学院大学名誉教授。元愛知学院大学歯学部生化学講座教授。 愛知県名古屋市出身。1959年名古屋大学医学部卒業、1963年同大学院修了。以後長崎大学助手、講師、助教授、カリフォルニア大学デービス校客員研究員、ロシュ分子生物学研究所客員研究員、愛知学院大学助教授を経て1977年より愛知学院大学教授に就任。2005年に退職し名誉教授。
小松 達也(こまつ たつや、1934年 - )は、日英会議通… 小松 達也(こまつ たつや、1934年 - )は、日英会議通訳者(同時通訳者)。日本における会議通訳者(いわゆる同時通訳者)の第一人者であり草分け的存在として知られる。
松永 嘉夫(まつなが よしお、1933年12月15日 - 1… 松永 嘉夫(まつなが よしお、1933年12月15日 - 1996年11月3日)は、日本の経済学者。 愛知県名古屋市出身。愛知県立旭丘高等学校を経て、1956年名古屋大学経済学部卒、1961年名古屋大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、1965年「対外流動準備の機能に関する研究 適正対外流動準備の理論」で経済学博士。名大助手、1964年名古屋市立大学講師、1965年助教授、1971年教授、経済学部長。1994年名誉教授、1991年早稲田大学商学部教授。1996年定年退任、中部大学教授。
水谷 研治(みずたに けんじ、1933年10月18日 - )… 水谷 研治(みずたに けんじ、1933年10月18日 - )は、日本の経済学者。経済評論家。経済学博士(名古屋大学)、中京大学名誉教授。「日本経済の分析と展望」などを研究テーマとしてテレビ、ラジオへの出演多数。愛知県名古屋市出身。兄は名古屋大学名誉教授の水谷伸治郎。
江口 吾朗(えぐち ごろう、1933年10月3日 - 201… 江口 吾朗(えぐち ごろう、1933年10月3日 - 2019年4月3日) は、日本の生物学者。学位は、理学博士(名古屋大学・1964年)。名古屋大学理学部教授などを経て、 基礎生物学研究所名誉教授。元熊本大学学長。元学校法人尚絅学園理事長。従三位瑞宝重光章。 愛知県名古屋市生まれ。実家は工場で、名古屋大学医学進学コースに入学したが、周囲は医者の子供ばかりで違和感を感じ、生物学者になろうと考え、1956年名古屋大学理学部生物学科卒業。1957年名古屋大学大学院修士課程中退、名古屋大学理学部生物学科教務員。 1959年名古屋大学理学部生物学科助手。1964年名古屋大学より理学博士の学位を取得。1968年竹市雅俊ともに、京都大学に移籍し、京都大学理学部生物物理学科助教授着任。
服部 禎男 (はっとり さだお、1933年7月27日 - )… 服部 禎男 (はっとり さだお、1933年7月27日 - )は、日本の工学者、元電力中央研究所名誉特別顧問。放射線ホルミシスの研究者。 愛知県名古屋市生まれ。愛知県立旭丘高等学校を経て、1956年、名古屋大学電気工学科卒業後、中部電力に入社。入社翌年、東京工業大学大学院原子核工学修士課程に進学。修了後の1960年、アメリカ合衆国オークリッジ国立研究所原子炉災害評価研修課程へ留学。1972年、動力炉・核燃料開発事業団に在籍、ふげん建設電気機械課長として設計、許認可研究活動に携わる。 1980年、電力中央研究所・研究開発部の初代原子力部長に就任。1984年、アメリカ合衆国の生化学者トーマス・ラッキーの唱えた放射線ホルミシス論を知り、のちに同理論は正しいと考えるに至る。
松永 希久夫(まつなが きくお、1933年5月11日 - 2… 松永 希久夫(まつなが きくお、1933年5月11日 - 2005年10月11日)は、日本の神学者。東京神学大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。キリスト教徒の家庭に育つ。1957年国際基督教大学卒、東京神学大学大学院博士課程満期退学。神田盾夫に学ぶ。同大学助手、助教授、教授、学長を務め、2001年定年。 2005年10月11日、心不全のため死去。
堀田 郷弘(ほった さとひろ、1933年 - 2016年)は… 堀田 郷弘(ほった さとひろ、1933年 - 2016年)は、日本のフランス文学者・翻訳家。早稲田大学名誉教授。 名古屋市生まれ。南山大学卒。片岡美智に師事。1962年早稲田大学大学院博士課程満期退学。城西大学経済学部助教授、早稲田大学人間科学部教授。2004年定年退任。 アンドレ・マルローを研究した。
阿久根 治子(あくね はるこ、1933年〈昭和8年〉 - 2… 阿久根 治子(あくね はるこ、1933年〈昭和8年〉 - 2013年〈平成25年〉)は、児童文学作家、童謡詩人。 1933年(昭和8年)、名古屋市生まれ。愛知県立女子短期大学(現・愛知県立大学)国文科にて、当時の学長、高木市之助に師事、上代日本文学を学ぶ。1954年(昭和29年)に卒業後、約9年中部日本放送(CBC)に勤務。担当は音楽係。勤務中より童話等を発表。1955年、アンデルセン生誕150年祭実行委員会に参加。 1961年(昭和36年)、「「モクモク町」のある1年」を発表、講談社50周年記念児童文学賞入選候補作となる。 1963年(昭和38年)、中部日本放送を退職、中日新聞に「ぼくとアリンコピチくん」など数十編を連載。
水谷 修(みずたに おさむ、1932年12月11日 - 20… 水谷 修(みずたに おさむ、1932年12月11日 - 2014年12月20日)は、日本の言語学者。日本語学者。元国立国語研究所長。名古屋外国語大学学長。 愛知県名古屋市出身。日本語学、日本語教育の分野で、日本語教育学会会長、日本言語政策学会会長等の要職を務めた。また、国際交流基金日本語教育懇談会委員等の役職を通じて、日本語能力試験の創設等、日本語教育の国際的普及と適正化に努め、2001年外務大臣表彰受賞。2004年4月瑞宝中綬章受章。妻は日本語教育の水谷信子。 2014年12月20日、老衰により死去。82歳没。
福田 秀一(ふくだ ひでいち、1932年11月19日 - 2… 福田 秀一(ふくだ ひでいち、1932年11月19日 - 2006年4月23日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(論文博士・1975年)(学位論文「中世和歌史の基礎的研究」)。愛知県名古屋市出身。 愛知県名古屋市出身。生理学者の福田邦三は父。言語学者の田村すず子は妹。1945年に東京都立第一中学校を卒業し、旧制武蔵高等学校に入学した。1951年に旧制武蔵高校を卒業し、東京大学教養学部理科に入学した。1955年に文学部国文科を卒業し、1960年に東京大学大学院を満期退学した。1975年に「中世和歌史の基礎的研究」で文学博士を授与された。 成城大学助教授を経て、1970年に武蔵大学人文学部助教授となった。
立石 孝雄(たていし たかお、1932年11月2日 - 19… 立石 孝雄(たていし たかお、1932年11月2日 - 1995年11月22日)は、日本の経営者。立石電機(現在のオムロン)社長を務めた。愛知県名古屋市出身。創業者の立石一真の長男 1956年に京都大学工学部電気工学科を卒業し、同年に立石電機(現在のオムロン)に入社。1959年9月に取締役に就任し、1960年9月に常務を経て、1962年9月に副社長に就任し、1979年6月には社長に昇格。温厚な人柄とバランス感覚が優れていることで知られており、多角化と国際化を推進し、経営基盤を固めた。1987年6月に会長に就任。1995年4月から京都商工会議所副会頭、1995年5月から関西経済連合会副会長を務めた。
朝井 ゆかり(あさい ゆかり、1932年10月30日 - 2… 朝井 ゆかり(あさい ゆかり、1932年10月30日 - 2010年11月28日[要出典])は、日本の声優。愛知県名古屋市出身。「浅井 ゆかり」表記もある。 かつて同名で活動していたとされる声優の浅井淑子とは別人である。 愛知県名古屋市で生まれ、福岡県で育つ。 福岡県立福岡中央高等学校卒業。在学時はスポーツが得意であり、陸上部でキャプテンを務めたほか、走高跳では当時のアマチュア全国大会で10位以内に入るなど好成績を残した。 1957年、東京女子大学短大部を卒業後に人形座を経て劇団舞芸座へ入団。1964年に同劇団が解散してからは、東京アーチスト・プロに所属していた。 1968年、量子生態学提唱者野上倫加(本名・導子)の夫・野上昭治と結婚、2男1女をもうけるが1987年に離婚。
瀧田 あゆち(たきた あゆち、1932年(昭和7年)10月2… 瀧田 あゆち(たきた あゆち、1932年(昭和7年)10月20日 - 2005年(平成17年)1月6日)は、愛知県出身の元日本航空役員。日本航空で初の女性役員。後年には日航財団常務理事を務めた。 瀧田英二、花柳はるみ(瀧田 意志)の長女として生まれる。兄は滝田文彦。 名古屋市出身で常滑市には小学校4年の夏に引っ越している。知多郡立高等女学校(現・愛知県立半田高等学校)を経て、愛知県立第一高等女学校(現・愛知県立明和高等学校)を卒業した。 愛知県立第一高等女学校では演劇班に在籍し、1946年(昭和21年)の卒業の予餞会にはシェイクスピアの「ヴェニスの商人」のポーシャを演じている。 母の花柳はるみは高名な女優であったが、あゆちは「小学校を卒業するまでは母が女優だと知らなかった。
佐藤 大治(さとう だいじ、1932年9月19日 - 200… 佐藤 大治(さとう だいじ、1932年9月19日 - 2007年5月4日)は、日本の経営者。名鉄百貨店社長を務めた。 愛知県名古屋市出身。1955年に関西学院大学商学部を卒業し、同年に名鉄百貨店に入社。1974年10月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1992年5月に副社長に就任し、1995年5月には社長に昇格。2001年5月に会長に就任。 2007年5月4日に悪性リンパ腫のために死去。85歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
江口 圭一(えぐち けいいち、1932年〈昭和7年〉8月12… 江口 圭一(えぐち けいいち、1932年〈昭和7年〉8月12日 - 2003年〈平成15年〉9月26日)は、日本の歴史学者。愛知大学名誉教授。専門は日本近現代史。十五年戦争研究をライフワークとした。 愛知県名古屋市生まれ。1955年京都大学文学部卒業。大学の同期には木坂順一郎(木坂は法学部へ転学部)・戸田芳実・松浦玲らがいる。1958年同大大学院修士課程修了、京都大学人文科学研究所助手。大学院時代に小葉田淳の指示で、『日本近代史辞典』(東洋経済新報社、1958年)の編纂事務を担当した。京大人文研では飛鳥井雅道が助手の同期。渡部徹・井上清の指導を受けた。1966年愛知大学法経学部助教授、1977年同大法経学部教授、1989年同大法学部教授、1994年同大法学部長( - 1997年)、2003年定年退職し、同大名誉教授。
矢入 一男(やいり かずお 1932年(昭和7年)7月27日… 矢入 一男(やいり かずお 1932年(昭和7年)7月27日 - 2014年(平成26年)3月5日)は、日本の実業家、ギター製造職人。現代の名工。ヤイリギター社長。
室伏 信助(むろふし しんすけ、1932年7月3日 - 20… 室伏 信助(むろふし しんすけ、1932年7月3日 - 2021年9月30日)は、日本の国文学者。跡見学園女子大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。1955年國學院大學文学部文学科卒業。1960年國學院大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。1965年跡見学園女子大学専任講師、1971年同助教授、1976年同教授。1993年、跡見学園女子大学名誉教授、東京女子大学文理学部教授。1996年『王朝物語史の研究』で、國學院大学より文学博士の学位を取得、角川源義賞を受賞。2001年、東京女子大学定年退任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
木戸 蓊(きど しげる、1932年5月5日 - 2000年6… 木戸 蓊(きど しげる、1932年5月5日 - 2000年6月10日)は、日本の政治学者。神戸大学名誉教授。第11代日本国際政治学会理事長。専門は、国際関係論、バルカン地域の政治。 1932年、愛知県名古屋市生まれ。1955年に京都大学法学部を卒業。1957年名古屋大学大学院法学研究科修士課程修了。国際政治史を専攻した。 卒業後、1957年に名古屋大学法学部助手に着任。1958年より日本国際問題研究所研究員。ユーゴスラヴィア国際政治経済研究所客員研究員を経て、1968年に神戸大学法学部助教授に就任1970年に教授昇任。1988から1990年まで、神戸大学法学部長を務めた。学界では、1992~1994年、日本国際政治学会理事長。
松本 俊夫(まつもと としお、1932年3月26日 - 20… 松本 俊夫(まつもと としお、1932年3月26日 - 2017年4月12日)は、日本の映画監督、映像作家、映画理論家。元日本映像学会会長。愛知県名古屋市出身。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
桑山 忠明(くわやま ただあき、1932年3月4日 - 20… 桑山 忠明(くわやま ただあき、1932年3月4日 - 2023年8月20日)は、日本の美術家。ミニマル・アートの先駆者として知られる。 愛知県名古屋市生まれ。東京芸術大学日本画科卒業。1958年に渡米して以降、ニューヨークを拠点に活動した。2023年8月20日、脳出血のため米国で死去、91歳没。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。