長坂 尚登(ながさか なおと、1983年5月24日 - )は… 長坂 尚登(ながさか なおと、1983年5月24日 - )は、日本の政治家。愛知県豊橋市長(1期)。元豊橋市議会議員(3期)。 愛知県豊橋市出身。豊橋市立中野小学校、豊橋市立南陽中学校、愛知県立時習館高校卒業。東京大学教養学部生命・認知科学科を卒業。2007年3月、東京大学大学院情報学環教育部修了。同年4月、広告業務などを取り扱う株式会社エボリューションに就職。 2011年、株式会社エボリューションを退職。2012年、豊橋市へ帰郷。愛知県商店街振興組合連合会の商店街マネージャーに就任。2013年、内閣官房より地域活性化伝道師に任命された。 2015年、豊橋市議会議員選挙に無所属で立候補し、最年少で初当選した。
木俣 佳丈(きまた よしたけ、1965年2月19日 - )は… 木俣 佳丈(きまた よしたけ、1965年2月19日 - )は、日本の事業家、政治家。元民主党所属の参議院議員(2期)。ミッションコネクト代表、一般社団法人暁の会代表理事、一般財団法人東京メトロポリタンオペラ財団理事、アチーブメント株式会社顧問。 愛知県豊橋市生まれ。豊橋市立中部中学校、愛知県立時習館高等学校を経て、1989年に一橋大学商学部経営学科を卒業し、社団法人経済団体連合会事務局入局。1992年4月から東三河研究センター研究員に就任し、1994年にはジョージ・ワシントン大学公共政策大学院に留学。但し卒業はしていない模様。日本同盟基督教団豊橋ホサナ・キリスト教会の会員である。趣味は陶芸、水泳、空手。
浅井 由崇(あさい よしたか、1962年3月1日 - )は、… 浅井 由崇(あさい よしたか、1962年3月1日 - )は、日本の政治家。前愛知県豊橋市長(1期)。元愛知県議会議員(4期)。 愛知県豊橋市出身。豊橋市立岩田小学校、豊橋市立豊岡中学校、愛知県立豊橋南高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部に進学。大学在学中は雄弁会に所属した。1987年3月、同大学卒業。同年4月、東陶機器(現・TOTO)に就職。1990年に退職し帰郷。同年から2006年まで浅井建築事務所に勤務。 1999年と2003年の愛知県議会議員選挙に無所属で立候補するが、いずれも落選。 2007年の県議選に民主党公認で立候補し初当選。その後民進党を経て、国民民主党に所属するも、2019年の県議選では無所属で立候補し、4期目の当選を果たす。
堀田 伸一(ほった しんいち、1961年4月11日 - )は… 堀田 伸一(ほった しんいち、1961年4月11日 - )は、日本の元競輪選手、政治家。元豊橋市議会議員(4期)。 愛知県豊橋市出身。愛知県立豊橋工業高等学校を経て、中部工業大学(現在の中部大学)工学部を卒業。同大学在籍時代には、国民体育大会自転車競技に3年連続で出場し成年スプリントで入賞(3位、7位、4位)した経験を持つ。 日本競輪学校第55期生を経て、1985年5月11日、久留米競輪場でデビュー(競走棄権)。初勝利は同年同月21日、当時ホームバンクだった豊橋競輪場で挙げた。 1994年4月15日、選手登録削除。通算戦績701戦145勝、優勝5回。引退後、家業の土木建設業(堀田建設株式会社)を継ぎ、主に市役所関係の公共事業を受注する。
佐原 光一(さはら こういち、1953年〈昭和28年〉11月… 佐原 光一(さはら こういち、1953年〈昭和28年〉11月10日 - )は、日本の政治家、国土交通官僚。愛知県豊橋市長(3期)を歴任した。 愛知県豊橋市出身。豊橋市立栄小学校、豊橋市立南部中学校、愛知県立時習館高等学校卒業。 1976年(昭和51年)3月、東京大学工学部航空学科卒業。同年4月、運輸省(現・国土交通省)港湾局に入省。1986年(昭和61年)、外務省に出向。在ブラジル日本国大使館一等書記官に就任。運輸省第三港湾建設局境港工事事務所長、パナマ共和国海運庁(国際協力事業団(現・国際協力機構(JICA))長期専門家)、国土交通省港湾局環境・技術課長などを務めた。境港工事事務所長時代には、鳥取県境港市の水木しげるロードプロジェクトに尽力した。
白井 捷一(しらい しょういち、1939年2月1日 - 20… 白井 捷一(しらい しょういち、1939年2月1日 - 2025年2月20日)は、日本の政治家。元北海道長万部町長(2期)。愛知県豊橋市出身。町長在任時はまんべくんが人気があったためファンの間で”長万部超長という愛称で親しまれていた。 戦後開拓農家として長万部町で育つ。長万部町立双葉中学校(現・長万部町立長万部中学校)卒業。長万部農業協同組合(現・新函館農業協同組合)の参事を務めていた1995年4月23日、長万部町議会議員選挙に初当選した。以後、1999年、2003年にも当選した。2003年5月に議長就任。 2006年7月23日の長万部町長選挙において当選、町長に就任した。※当日有権者数:5,726人 最終投票率:84.09%(前回比:-pts) 前回と同じ構図になったが、2010年7月18日に再選を果たした。
浅野 勝人(あさの かつひと、1938年〈昭和13年〉4月1… 浅野 勝人(あさの かつひと、1938年〈昭和13年〉4月19日 - )は、日本の政治家。 内閣官房副長官(麻生内閣)、外務副大臣(第1次安倍内閣)、外務政務次官(第2次森内閣)、防衛政務次官(第2次橋本内閣)、参議院懲罰委員長、参議院議員(1期)、衆議院議員(3期)などを歴任した。 愛知県豊橋市出身。愛知県立豊橋東高等学校、早稲田大学第一政治経済学部卒業。1961年、NHKに入局[要出典]。 NHKを退職後、1986年の第38回衆議院議員総選挙に旧愛知5区(定数3)から保守系無所属として出馬したが、次々点で落選。1989年に政策集団自由連合の旗揚げへ参加。 1990年2月18日に行われた第39回衆議院議員総選挙で、自民党は現職の村田敬次郎、竹下派の元職の近藤豊、宮沢派の浅野の3人に公認を出し、浅野は得票数2位で初当選した。
新間 正次(しんま しょうじ、1934年〈昭和9年〉11月3… 新間 正次(しんま しょうじ、1934年〈昭和9年〉11月3日 - )は、日本のタレント、ラジオパーソナリティ、俳優、リポーター、元政治家、元参議院議員。元民社党愛知県連副委員長。愛称は「新間ちゃん」。 長男は教育芸人(教育エンターテイナー)の新間竹彦。新日本プロレス専務やスポーツ平和党幹事長を務めた新間寿は従兄弟で、父の弟の新間信雄の息子である。 愛知県蒲郡市出身(出生は豊橋市)。靴屋「早稲田堂」を経営する新間邦次の三男として生まれる。邦次はスパイクシューズを作っていた。1945年6月の豊橋空襲で靴屋と自宅が焼失したため、蒲郡へ移住した。愛知県立蒲郡高等学校卒業、高校時代は生徒会長を務めた。高校時代の先輩の勧めでNHK名古屋放送劇団に入団。
村田 敬次郎(むらた けいじろう、1924年〈大正13年〉2… 村田 敬次郎(むらた けいじろう、1924年〈大正13年〉2月12日 - 2003年〈平成15年〉4月2日)は、日本の政治家、自治官僚。位階は正三位。 自由民主党衆議院議員(10期)、通商産業大臣(第44代)、自治大臣(第43代)、国家公安委員会委員長(第53代)などを歴任した。 愛知県豊橋市出身。愛知県豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)卒業。旧制第三高等学校に進み、1949年(昭和24年)、京都帝国大学法学部卒業。同年、自治省に入省。愛知県建設部長などを務めた。 1969年(昭和44年)4月、地元政財界から衆院選出馬を促され、県庁を辞職。同年12月の第32回衆議院議員総選挙に旧愛知5区から立候補し初当選を果たした(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・林義郎・渡部恒三・綿貫民輔・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
青木 茂(あおき しげる、1922年(大正11年)10月29… 青木 茂(あおき しげる、1922年(大正11年)10月29日 - 2016年(平成28年)1月27日)は、日本の経済学者、政治家、参議院議員(1期)、サラリーマン新党代表。妻は生活経済評論家の青木淑子。次女はノンフィクション作家の青樹明子(1955年7月5日 - )。長男はテレビ朝日プロデューサーの青木吾朗(1958年12月21日 - 2022年8月21日)、その妻はテレビ朝日元アナウンサーの坪内純子。 愛知県豊橋市生まれ。東京帝国大学経済学部卒業。愛知教育大学教授、大妻女子大学教授を歴任。 1980年(昭和55年)の第12回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で立候補したが落選した。1983年(昭和58年)5月8日、サラリーマン新党を結成し、代表となる。
中村 寿一(なかむら じゅいち、1892年〈明治25年〉5月… 中村 寿一(なかむら じゅいち、1892年〈明治25年〉5月29日 - 1956年〈昭和31年〉1月6日)は、日本の政治家。愛知県挙母市長(1期、挙母市は豊田市の旧市名)、挙母町長、愛知県会議員などを歴任した。 挙母町長在職中、トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)の工場誘致、土地買収に尽力したことで知られる。 愛知県八名郡下条村(現・豊橋市)出身。農業を営む中村桂次郎の長男として生まれる。下川村第一尋常高等小学校卒業。父の死をきっかけとして1906年(明治39年)、14歳のときに家を出て農業試験場養蚕部に入る。養蚕教師として西三河の農家の指導にあたった。 1912年(明治45年)、第15師団に入隊。
加藤 六蔵(かとう ろくぞう、1891年〈明治24年〉12月… 加藤 六蔵(かとう ろくぞう、1891年〈明治24年〉12月10日 - 1969年〈昭和44年〉8月11日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。幼名・正雄。 愛知県宝飯郡前芝村(現豊橋市前芝町)で、先代加藤六蔵の長男として生まれた。農業を営み、前芝村長、愛知県議、同県山林会議員となり、前芝漁業協同組合長、豊橋市議、同議長、(株)三河海苔販売取締役社長を務める。 1924年の第15回衆議院議員総選挙において愛知12区から憲政会公認で立候補して初当選。1928年の第17回衆議院議員総選挙において愛知5区から立憲民政党公認で立候補したが落選。1930年の第17回衆議院議員総選挙で再選し、1932年の第18回衆議院議員総選挙では次点で落選した。
加藤 六蔵(かとう ろくぞう、1858年6月6日(安政5年4… 加藤 六蔵(かとう ろくぞう、1858年6月6日(安政5年4月25日) - 1909年(明治42年)6月21日)は、明治期の政治家、衆議院議員(6期)。醤油醸造家、実業家。諱・尚正。 三河国宝飯郡前芝村(現・愛知県豊橋市前芝町)で、豪商にして代々郷士の加藤家当主・加藤六蔵正文の長男として生まれる。豊橋で漢籍を修めた後、1875年(明治8年)東京に出て慶應義塾に学び、愛知県第二中学校、宝飯郡教育会議長、尾三農工銀行、宝飯銀行各取締役、豊橋米麦取引所理事長、豊橋商業会議所会頭、ほか鉄道等の設立に関わる。 政治面では宝飯郡連合村会議員、同郡会議員、同郡農会長、所得税調査委員、愛知県会議員を経て、1890年の第1回衆議院議員総選挙において愛知県第10区から大成会で立候補して当選する。
高橋 小十郎(たかはし こじゅうろう、1845年2月9日(弘… 高橋 小十郎(たかはし こじゅうろう、1845年2月9日(弘化2年1月3日)- 1911年(明治44年)9月5日)は、明治期の実業家、政治家。旧名・小野田久助。 三河国渥美郡高塚村(愛知県渥美郡高塚村、豊南村、高塚村、高根村、高豊村を経て現豊橋市高塚町)で、小野田久二郎の二男として生まれた。同村、小野田吉次郎の寺子屋で学んだ。1854年(安政元年)吉田(豊橋)船町の回漕肥料店・高橋小十郎家に奉公した。1870年(明治3年)主人、高橋小十郎が死去し、跡取り不在のため高橋家を継承し、小十郎を襲名した。 継承した回漕業の経営を次第に拡大し、豊橋一の回漕問屋に成長させた。また、豊橋市街第一番組長会議員、渥美郡町村連合会議員、豊橋商談会議員、豊橋町会議員、豊橋商業会議所常議員、豊橋米穀取引所監査役などを務めた。
竹尾 彦九郎(たけお ひこくろう、天保10年8月10日〈18… 竹尾 彦九郎(たけお ひこくろう、天保10年8月10日〈1839年9月17日〉 - 1907年〈明治40年〉7月20日)は、江戸時代末から明治時代の政治家、篤農家、水利家。愛知県会議員を務め、牟呂用水の開発で知られる。 天保10年(1839年)、三河国八名郡賀茂村(現・愛知県豊橋市)に、竹尾新五左衛門茂幹の三男として生まれる。早くに両親を亡くしたため、叔父・竹尾茂樹に預けられたが、万延元年(1860年)に生家に戻った。明治維新後は戸長や八女郡書記を務めた。1882年(明治15年)愛知県会議員となる。 1884年(明治17年)7月賀茂報徳社を設立。隣接する萩平村の鈴木平五郎とともに牛馬耕の普及に努めた。
朝田 又七(あさだ またしち、1839年2月11日〈天保9年… 朝田 又七(あさだ またしち、1839年2月11日〈天保9年12月28日〉 - 1914年〈大正3年〉1月4日)は日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧姓・勘解由、旧名・甚吉。横浜市会議長。 三河国渥美郡、のちの愛知県渥美郡七根村(現豊橋市)で、漁農・勘解由甚四郎、りと子夫妻の二男として生まれる。吉田船町(現:豊橋市)の高橋小十郎回漕店に丁稚として奉公し、22歳で独立して下地町に肥料商を開業した。しかし資金繰りが滞り文化元年(1804年)に廃業した。その後、遠江国新居宿(現静岡県湖西市新居町新居)に移り肥料商・尾崎嘉右衛門家で働いた。文久元年(1861年)、肥料買付を主人に勧めて行ったところ多額の損失を蒙り、責任を感じて店を辞し横浜に移った。