浅野 邦子(あさの くにこ、1946年〈昭和21年〉10月2… 浅野 邦子(あさの くにこ、1946年〈昭和21年〉10月28日 - 2023年〈令和5年〉2月9日)は、日本の実業家。株式会社箔一創業者・代表取締役会長、一般社団法人日本経済団体連合会審議委員会副議長などを歴任。日本で初めて金沢箔工芸品を作り、金箔打紙製法あぶらとり紙を開発、食用や美容分野、建築装飾などへも金沢箔の用途を広げ、金箔を金沢市を代表する文化・産業に育てた。2018年旭日単光章受賞。 京都市に生まれる。父は地方公務員で、母は専業主婦であった。邦子は四姉妹の次女として育てられる。高校を卒業後、京都の金属箔を扱う商社に就職。この時、金沢から出張に来ていた金沢箔を製造する浅野製箔の浅野志津雄に見初められ、求婚を受ける。
春名 幹男(はるな みきお、1946年(昭和21年)10月1… 春名 幹男(はるな みきお、1946年(昭和21年)10月14日 - )は、日本の国際ジャーナリスト。共同通信社記者、共同通信社論説副委員長、特別編集委員で退社、名古屋大学大学院教授・特任教授、早稲田大学大学員客員教授を歴任。 京都府京都市生まれ。1969年、大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒業後の4月、共同通信社に入社。 1971年まで大阪支社社会部、1971年から京都支局、1974年から本社外信部へ異動。1979年から外信部ニューヨーク支局特派員となり、1984年に帰国。その後、再び渡米し1987年からワシントン特派員となり、1990年に帰国。1993年から再び渡米し、ワシントン支局長。
中ノ堂 一信(なかのどう かずのぶ、1946年10月11日 … 中ノ堂 一信(なかのどう かずのぶ、1946年10月11日 - )は、日本の美術史研究者。京都造形芸術大学教授(芸術表現・アートプロデュース学科)。専門は工芸文化史、生活芸術史。東洋陶磁学会、芸能史研究会、意匠学会に所属。 京都府京都市生まれ。立命館大学文学部史学科卒業後、東京国立近代美術館(主任研究官)、国立国際美術館(学芸課長)を経て現職。1993年 - 94年には文化庁在外研究員としてオランダ、フランス、米国で研究活動に従事。1997年にはオーストラリア政府招聘美術館研究員として近代日本工芸作品の調査に参加した。研究活動の他、各地での講演や、展覧会の企画などにも携わる。
西川 ヘレン(にしかわ ヘレン、Helen Nishikaw… 西川 ヘレン(にしかわ ヘレン、Helen Nishikawa、旧姓:杉本、1946年〈昭和21年〉10月6日 - )は、日本のタレント。京都府京都市出身。夫はお笑い芸人・西川きよし。子供には喜劇俳優・西川忠志、タレント・西川かの子、元俳優・西川弘志がいる。 ヘレンがスチャラカ社員の4代目事務員として出演していた際、当時あまり仕事のなかったきよしは嫉妬してヘレンの台本をビリビリに破って捨てたことがある。2010年11月23日にABCで放送した開局記念番組『ABCお笑い60年史 てなもんやからM-1まで いま明かされるマル秘伝説』で西川きよしがVTR出演して上記のヘレンに養ってもらっていたときのエピソードとして語っていた。
金 鐘守(きん しょうしゅ、1946年9月7日 - )は日本… 金 鐘守(きん しょうしゅ、1946年9月7日 - )は日本のテレビディレクター。京都府京都市出身。 1971年に京都市立芸術大学彫刻科を卒業。同年8月、東映京都撮影所の助監督として入社。1989年の「八百八町夢日記」(里見浩太朗主演)で監督デビュー。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
荒川 實(あらかわ みのる、1946年9月3日 - )は、日… 荒川 實(あらかわ みのる、1946年9月3日 - )は、日本の実業家。任天堂の米国法人であるニンテンドー・オブ・アメリカ(NOA)の元代表取締役社長、テトリスオンライン・ジャパン元取締役会長。NOAの社長在職期間は1980年の設立から2002年まで。任天堂元社長の山内溥の娘婿でもある。京都市出身。 任天堂の看板キャラクター『マリオ』の名は、荒川らNOA社員によって命名された。 京都室町の繊維問屋、荒川益次郎商店(現:荒川株式会社)の次男として生まれ、裕福な生活を送る。荒川家は大阪において享保年間より繁栄した旧家であった。兄は荒川株式会社会長、二人の女兄弟は、それぞれ大学教授と物理学者に嫁いだ。
広川 純(ひろかわ じゅん、1946年8月26日 -)は、日… 広川 純(ひろかわ じゅん、1946年8月26日 -)は、日本の小説家。京都府京都市出身。名城大学法学部卒。会社勤務を経て、1986年に保険調査会社へ転職し、1988年に独立する。 2006年、『一応の推定』で第13回松本清張賞受賞。選考委員会全会一致での受賞であった。2013年、『回廊の陰翳』が第1回京都本大賞で最終ノミネートされ、一般投票数で第3位となる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
松山 猛(まつやま たけし、1946年8月13日 - )は日… 松山 猛(まつやま たけし、1946年8月13日 - )は日本の作詞家、ライター、編集者。京都府京都市生まれ。京都市立日吉ヶ丘高等学校卒。 ザ・フォーク・クルセダーズおよびサディスティック・ミカ・バンドの黒幕的存在であり、「イムジン河」の作詞者。後に、『BRUTUS』その他の雑誌の編集を務め、常に日本の音楽およびファッションをリードしてきた。 ザ・ドッグ・パウンドのDj2highは息子。 作詞を手がけたザ・フォーク・クルセダーズのデビュー曲『帰って来たヨッパライ』(1967年)が大ヒットする(同曲は元々アマチュア時代のザ・フォーク・クルセダーズの自主制作盤アルバム『ハレンチ』収録、後にプロデビュー・シングル曲になった)。
北村 晃一(きたむら こういち、1946年7月8日 - )は… 北村 晃一(きたむら こういち、1946年7月8日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 京都府京都市出身。身長172cm。京都府立桃山高等学校、多摩芸術学園(現・多摩美術大学)卒業。 1969年、新国劇に入り俳優となる。 1970年『新網走番外地 大森林の決斗』で準主役に抜擢されて以降、東映の映画やテレビドラマに出演し、テレビでは『特別機動捜査隊』(NET)や『イナズマン』(同)にレギュラー出演した。『イナズマン』では主人公の相棒・丸目豪作を演じ、共演した伴大介は「自分の存在意義をわきまえて、譲るべきところは譲るということがきちんとできる役者だった」と評している。また、当時すでに既婚者であった。 その後は、時代劇などの悪役に転じ、映像作品を中心に活躍。
北山 修(きたやま おさむ、1946年6月19日 - )は、… 北山 修(きたやま おさむ、1946年6月19日 - )は、日本の精神科医、精神分析家、臨床心理学者、作詞家、ミュージシャン。九州大学名誉教授。
青山 和子(あおやま かずこ、1946年5月4日 - )は、… 青山 和子(あおやま かずこ、1946年5月4日 - )は、日本の演歌歌手。代表曲は「愛と死をみつめて」など。日本クラウン所属。所属事務所は青山和子ミュージックカンパニー。1960年本名の榊原貴代子の名でデビュー。デビュー曲「さみしい花」。 芸名の名付け親は石坂洋次郎である。夫は敏いとうとハッピー&ブルーの元ボーカルの神戸たかし、東尾修は従弟にあたる。 その他、数々の歌番組に出演している。
秋道 智彌(あきみち ともや、1946年4月23日 - )は… 秋道 智彌(あきみち ともや、1946年4月23日 - )は、日本の人類学者。総合地球環境学研究所名誉教授、国立民族学博物館名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。専攻は生態人類学、海洋民族学、民族生物学(英語版)。
原田 伊織(はらだ いおり、1946年 - )は、日本の著作… 原田 伊織(はらだ いおり、1946年 - )は、日本の著作家、小説家、歴史評論家。本名、原正和。 京都府京都市生まれ。大阪外国語大学タイ・ベトナム語学科卒。広告代理店でマーケティング・プランニング、番組企画などに携わり、独立後、プランナー、コピーライター、編集ライターとして活動。株式会社SICクリエイティブディレクター。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加。株式会社Jプロジェクト代表取締役。 2005年に『夏が逝く瞬間』で作家デビューした。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
三代目 安藤桂甫(さんだいめ あんどう けいほ、本名: 安藤… 三代目 安藤桂甫(さんだいめ あんどう けいほ、本名: 安藤 忠彦(あんどう ただひこ)、1946年 - )は、京都市出身の雛人形・京人形作家。桂甫作 安藤人形店三代目当主。京都伝統工芸士(人形部門)。瑞宝単光章受章。 1946年、京都市生まれ。立命館大学経済学部卒業。在学中より二代目(祖父・初代桂甫)より雛人形のみならず五月人形の手ほどきを受ける。初代は元禄元年より続く京都雛形屋・中井又兵衛氏の伝統技術を受け継いだ人物であり、三代目はその技を一子相伝で継承した。1977年10月、安藤啓子と結婚。
大杉 喜彦(おおすぎ よしひこ、1945年12月30日 - … 大杉 喜彦(おおすぎ よしひこ、1945年12月30日 - )は、日本の建築家。京都市生まれ。日本建築家協会関東・甲信越支部所属。
宮崎 学(みやざき まなぶ、1945年〈昭和20年〉10月2… 宮崎 学(みやざき まなぶ、1945年〈昭和20年〉10月25日 - 2022年〈令和4年〉3月30日)は、日本の評論家・ノンフィクション作家・小説家。京都府京都市伏見区深草福稲高松町生まれ。 京都・伏見の暴力団寺村組の初代組長を父に、大阪・釜ヶ崎の博徒の娘を母に持った、4人きょうだいの末っ子である。父の宮崎清親(旧姓・寺村)は京都府の南端、木津川沿いの綴喜郡井手村(現在の井手町玉水)の貧しい農家の次男坊であり、10代の初めに京都に出てきた。戦後になってから中島源之介の中島会(のちに中島連合会)と正式に関わりをもって盃を受け、ヤクザの世界に加わる。父は博徒であったが、その一方で鳶や土方を数十人抱える解体屋寺村組の親方でもあった。
松久(広中) ミユキ(まつひさ(ひろなか) みゆき、1945… 松久(広中) ミユキ(まつひさ(ひろなか) みゆき、1945年(昭和20年)8月15日 - )は、日本の体操選手。 京都市出身。日本体育大学出身。 1967年ユニバーシアード東京大会において団体総合優勝、個人総合優勝を果たした。 1968年、1972年、1976年の夏季オリンピック、1970年、1974年の世界体操競技選手権に出場した。 引退後は、花園大学創造表現学科教授となった。 この項目は、体操に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
森岡 順子(もりおか じゅんこ、旧姓:長束 順子、1945年… 森岡 順子(もりおか じゅんこ、旧姓:長束 順子、1945年8月9日 - )は、日本画家。滋賀県出身。京都府京都市育ち。京都産業大学言語学科スペイン語学部卒業。 18歳の頃に日本画家・堂本印象に師事。27歳のときに建築家の森岡邦彦と結婚し、現在の姓を名乗る。 1966年に第15回関西展日本画において『花』が2席受賞して以降、第16回関西展日本画で『春園』、第17回関西展日本画で『ラン』、第19回関西展日本画 で『花』、第20回関西展日本画で『寺の思い出』がそれぞれ入選した(関西展は現在、全関西美術展と名称を変更)。また1972年には第7回日春展日本画において『胡蝶蘭』が入選した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
千 宗守(せん そうしゅ、1945年(昭和20年)7月21日… 千 宗守(せん そうしゅ、1945年(昭和20年)7月21日 - )は、日本の茶人。武者小路千家第14代家元。公益財団法人官休庵理事長。京都府京都市生まれ。 洛星中学校・高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学院文学研究科美学美術史専攻修士課程修了。 1989年(平成元年)12月、武者小路千家第14代家元を継承し「宗守」を襲名。1997年(平成9年)、第15回京都府文化賞功労賞を受賞。 東京芸術大学、大阪音楽大学、大手前大学、帝塚山学院大学客員教授を歴任。
林 みのる(はやし みのる、1945年7月16日 - )は、… 林 みのる(はやし みのる、1945年7月16日 - )は、日本の実業家、自動車技術者。京都府京都市出身。レーシングカーコンストラクター・童夢の創業者。また日本自動車レース工業会(JMIA)会長なども務めた。大阪産業大学自動車工学部中退。 本名は林穂(読みは同じ)だが、一般的には下の名前をひらがな表記した林みのるの表記が使われる。一部の書籍等では林ミノルと表記されていることもある。 太平洋戦争の終戦直前、洋画家の長男として疎開先の広島で生まれる。幼少期よりオーディオ機器の自作に没頭していたが、同志社中学校の同級生だった鮒子田寛からスーパーカブを借りたことで、乗り物を作ることへと興味が移る。鮒子田や横山靖史(後のホンダ・ファクトリー・ドライバー)と共に通いつめていた鈴鹿サーキットで浮谷東次郎に出会い、親しい付き合いが始まる。
渡辺 穣(わたなべ ゆたか、1945年7月15日- )は、日… 渡辺 穣(わたなべ ゆたか、1945年7月15日- )は、日本の経営者。住友大阪セメント社長を務めた。 京都府京都市出身。1969年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年にチッソに入社した。1974年1月に住友セメント(のちの住友大阪セメント)に転じ、2002年6月に取締役に就任し、2004年6月に常務を経て、2006年6月に社長に就任。2011年1月に会長に就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
河田 悌一(かわた ていいち、1945年5月18日 - )は… 河田 悌一(かわた ていいち、1945年5月18日 - )は日本の中国哲学研究者。関西大学東京センター長(2021年4月1日~)。一般社団法人大学基金推進機構理事長(2020年9月1日~ ※一般社団法人大学資産共同運用機構から名称変更)。一般社団法人大学資産共同運用機構理事長(2018年7月1日~ 2020年8月31日)。日本私立学校振興・共済事業団理事長(2010年1月1日~2018年3月31日)。関西大学教授・学長(第38・39代)。専門は中国思想史、現代中国論。大阪大学博士(文学)。 1945年、京都府京都市生まれ。1958年、京都市立北白川小学校を卒業。同志社中学校に進み、1961年に卒業。
山本 孝之(やまもと たかゆき、1945年3月11日 - )… 山本 孝之(やまもと たかゆき、1945年3月11日 - )は日本の大蔵官僚。東京税関長、大臣官房金融検査部長、印刷局長、佐賀共栄銀行代表取締役頭取などを歴任。 京都府京都市出身(父は京都府、母は大阪府)。洛星高等学校、東京大学法学部卒業。1967年4月 大蔵省入省(銀行局総務課)。1972年7月10日 坂出税務署長。1973年7月から横浜市財政局で勤務。本省帰還後は主に主計局で主査(課長補佐)を務める。1990年6月29日 中国財務局長。1991年6月24日 内閣官房内閣審議官(内閣内政審議室)。1993年6月25日 東京税関長。1994年7月1日 大臣官房金融検査部長。1995年5月26日 印刷局長。
はしだ のりひこ(本名:端田 宣彦〈読み同じ〉、1945年1… はしだ のりひこ(本名:端田 宣彦〈読み同じ〉、1945年1月7日 - 2017年12月2日)は、日本のシンガーソングライター、フォークシンガーである。身長163cm。愛称はのりちゃん。長男は、元長野大学准教授の端田篤人(故人)、娘は舞台女優の端田新菜。 京都府京都市生まれ。4人兄弟の長男。同志社高等学校を経て、同志社大学神学部に進学。8年と2年の休学で10年在籍し、退学。 高校2年の文化祭でギターを始める。1964年にドゥーディ・ランブラーズの一員としてデビューした後、加藤和彦に請われて1967年にザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)の1年限定のメジャー活動の一員として参加する。フォークルは予定通り1年で解散。
段本 幸男(だんもと ゆきお、1944年(昭和19年)12月… 段本 幸男(だんもと ゆきお、1944年(昭和19年)12月12日 - 2012年(平成24年)3月18日)は、日本の農水官僚、政治家。 参議院議員(1期)、財務大臣政務官を歴任。京都府京都市出身。 議員在職中は、財務大臣政務官、参議院政策審議会副会長などを経験。 他に、土地改良換地対策全国協議会中央委員、土地改良測量設計技術協会会長、全国土地改良事業団体連合会顧問などの要職を歴任した。
和崎 信哉(わざき のぶや、1944年11月22日 - )は… 和崎 信哉(わざき のぶや、1944年11月22日 - )は、WOWOW相談役。社会人類学者で京都大学名誉教授の和崎洋一は実父。文化人類学者で中部大学教授の和崎春日は実弟。 京都府京都市出身。京都府立山城高等学校へ進学。元日本サッカー代表選手の釜本邦茂とは同級生。卒業後、京都大学教育学部進学。卒業後の1968年にNHK入局。NHK入局時代は番組制作局教養科学部チーフ・ディレクター、同社会教養部チーフ・プロデューサーを経験。1992年6月に同生活情報番組部長に就任し、1995年6月に同衛星放送局(ハイビジョン)部長、2001年6月に同総合企画室(デジタル放送推進)局長、2003年6月に同理事をそれぞれ歴任。
高崎 秀夫(たかさき ひでお、1944年11月2日 - )は… 高崎 秀夫(たかさき ひでお、1944年11月2日 - )は、日本の銀行家。 京都府京都市出身。1952年に立命館大学法学部を卒業し、翌年に京都銀行に入行。1997年6月に取締役に就任し、2001年6月に常務、2008年6月に専務を経て、2010年6月に頭取に就任。2015年6月に会長に就任し、2020年6月から相談役を務めた。 2017年7月から学校法人立命館の理事を務めている。 2020年4月に旭日中綬章を受章した。
黒田 アキ(くろだ あき、本名: 黒田 明比古(くろだ あき… 黒田 アキ(くろだ あき、本名: 黒田 明比古(くろだ あきひこ)、1944年10月4日 – )はフランス・パリ在住の日本人画家、芸術家。男性。 京都府京都市出身。1970年にパリに渡り、以降ヨーロッパを中心に活動している。 彼の作品には、ギリシャ神話にまつわる迷宮・ラビリントスの半人半牛のミノタウロスが象徴的に描かれており、アリアドネの糸が空間を走る。またカリアチードのシルエットでも有名である。キャンパスがパサージュとしての存在を放つ、極めて独創的な作品制作を続けている。 1992年から現在まで「COSMOGARDEN」(コスモガーデン)と呼ばれる、流動的、「異種混合的」なトータルアート・スペクタクルの活動を続けている。
高田 公理(たかだ まさとし、本名・高田康孝 1944年10… 高田 公理(たかだ まさとし、本名・高田康孝 1944年10月1日 - )は、日本の生活文化学者、武庫川女子大学名誉教授。元佛教大学教授。 1944年、京都市生まれ。京都大学理学部で学び、1968年に卒業した。 広告制作業を経営した後、1976年にシー・ディー・アイ(文化をテーマとするシンクタンク・京都市中京区)に入社、主任研究員となった。1982年、愛知学泉大学専任講師に就いた。1987年に教授に昇任。1992年より武庫川女子大学教授。1999年、学位論文『生活文化と世相の変容にかんする研究 20世紀日本の高度経済成長期を中心に』を総合研究大学院大学に提出して学術博士の学位を取得。 2009年からは佛教大学教授として教鞭をとり、2015年に定年退職した。
二之湯 智(にのゆ さとし、1944年〈昭和19年〉9月13… 二之湯 智(にのゆ さとし、1944年〈昭和19年〉9月13日 - )は、日本の政治家。 国家公安委員会委員長(第98・99代)兼国土強靱化担当大臣兼領土問題担当大臣兼国家公務員制度担当大臣兼内閣府特命担当大臣(防災、海洋政策)(第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)、総務副大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、総務大臣政務官(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、参議院文教科学委員長、同決算委員長、参議院議員(3期)、京都市会議長(第69代)、京都市会議員(5期)、自由民主党参議院政策審議会会長、全国市議会議長会会長(第53代)などを歴任。 京都府京都市左京区生まれ。父は二之湯正義。1957年、三重県の小学校を卒業。
八木 晃介(やぎ こうすけ、1944年9月 - )は、日本の… 八木 晃介(やぎ こうすけ、1944年9月 - )は、日本の社会学者、差別問題研究家。花園大学名誉教授。 京都市生まれ。1967年大阪市立大学文学部社会学科卒、毎日新聞記者となり、千葉支局、東京・大阪両本社学芸部で勤務した後、1991年退社、1992年花園大学文学部教授・同人権教育研究センター所長。2009年退職、特任教授、2015年名誉教授。上田正昭、水野直樹らと共に「朝鮮学校を支える会」の呼びかけ人も務めている。また、部落解放同盟と連携し、部落差別問題に取り組んでいる。 安楽死、尊厳死の法制化に反対であり、「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」の世話人も務めている。 近年は禁煙ファシズムなど国家による健康統制に疑念を表明している。
野川 由美子(のがわ ゆみこ、本名;山像<やまがた&g… 野川 由美子(のがわ ゆみこ、本名;山像<やまがた>由美子、1944年8月30日 - )は、日本の女優。京都府京都市出身。京都府立朱雀高等学校卒業。夫は演出家の逢坂勉(本名・山像信夫)、山像かおりは義娘。所属事務所は中田プロ→渡辺プロダクション→フリー→オフィスまとば→さち子プロ→オフィス天童。身長160cm、体重52kg。
下村 正彦(しもむら まさひこ、1944年7月22日 - 2… 下村 正彦(しもむら まさひこ、1944年7月22日 - 2023年2月17日)は日本の作曲家。 京都市出身。大阪府立大手前高等学校、東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。 神戸山手短期大学表現芸術学科教授を務めた。2015年4月より神戸山手短期大学名誉教授。 神戸芸術文化会議、神戸音楽家協会、作曲集団「たにしの会」各会員。神戸波の会理事、兵庫県音楽教室研究協議会役員。兵庫音楽活動推進会議福代表、兵庫県立美術館アートフュージョン実行員、神戸新聞文化財団評議員、東京芸術大学音楽学部同声会兵庫支部長なども努めた。 音楽教師であった父・下村米太郎(しもむら よねたろう)の影響で音楽を志す。東京芸術大学では池内友次郎に師事。
葉方 丹(はかた たん、1944年7月8日 - )は、演出家… 葉方 丹(はかた たん、1944年7月8日 - )は、演出家、脚本家、作家、作詞家。 日本アカデミー賞協会、日本音楽著作権協会、日本シナリオ作家協会、日本放送作家協会に所属する。東京都在住。別名、「はがたたん」。 京都市出身。大将軍(白梅町)で生まれる。父は西陣の職人。京都府立山城高等学校卒業後、日本大学芸術学部在学中から映像関係の仕事に携わる。後に大学中退。 アルバイトで日本劇場で働いていた時に叡南覚照と知り合い、「ごぜんさま」と呼ぶようになり、世話になる。ある時、叡南に将棋で勝ち、叡南に「おまえには歯が立たない。おまえ、はがたたん、にせえ」と言われる。また、叡南に「八百屋で行け」と言われ、「来るもの拒まず」で種々の仕事をするようになった。
桑原 征平(くわばら しょうへい、1944年〈昭和19年〉5… 桑原 征平(くわばら しょうへい、1944年〈昭和19年〉5月14日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者、ラジオパーソナリティ。ニックネームは「征平さん」(もしくは「征平ちゃん」)で、2015年度からは種智院大学人文学部の客員教授を務める。 1969年8月から2004年5月までは、アナウンサーとして関西テレビに勤務。2004年度から2014年度までは、アナウンサーとして活動するかたわら、大阪芸術大学で客員教授や教授を歴任した。また、一時は「丹後ふるさと観光大使」(京都府)も務めていた。 京都府京都市右京区西院の出身で、京都で「水泳一家」として知られた家庭の三男として出生した。 高校進学の際には、2人の兄の母校でもある京都市立西京高等学校商業科を受験するも不合格。
宇山 日出臣(うやま ひでお/ひでおみ、1944年4月9日 … 宇山 日出臣(うやま ひでお/ひでおみ、1944年4月9日 - 2006年8月3日)は、日本の文芸編集者。本名、宇山秀雄。戸川安宣とともに、ミステリ小説のジャンル「新本格」の仕掛け人として知られる。 京都市出身。同志社大学を卒業後、三井物産に入社するが、2年後の1969年、中井英夫『虚無への供物』を文庫化したいという思いから、講談社に途中入社する。すぐに星新一宅を訪れて、1971年『エヌ氏の遊園地』を講談社文庫から刊行。1974年3月、『虚無への供物』を講談社文庫のAXシリーズ(日本SF・ミステリのレーベル)の最初の本として刊行開始し、また同1974年に「海外SF・ミステリのレーベル」であるBXシリーズも刊行開始する。
立木 貞昭(たちき さだあき、1944年4月2日 - )は、… 立木 貞昭(たちき さだあき、1944年4月2日 - )は、日本の経営者。京進の創立者。京都府京都市出身。 1969年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に藤三商会に入社。1975年6月に京都進学教室を立ち上げ、1981年4月に株式会社京都進学教室(のちの京進)を設立し、社長に就任。2009年5月には社長の座を白川寛治に譲り、自身は会長に就任。この間、1979年には、京都府議会議員選挙に日本社会党公認で東山区選挙区から出馬したが落選した。
石田 太郎(いしだ たろう、本名:石田 弦太郎(いしだ げん… 石田 太郎(いしだ たろう、本名:石田 弦太郎(いしだ げんたろう)。1944年3月16日 - 2013年9月21日)は、日本の男性俳優、声優、僧侶。別名義として本名のほか、石田 絃太郎(いしだ げんたろう)を1980年代の一時期に使用していた。京都府京都市出身。 父は俳優の石田茂樹。妻は女優の立花房子。 上智大学外国語学部イスパニア語学科中退。 劇団雲、劇団昴、野間事務所、オフィスPSCなどを経て、最後はグランパパプロダクションに所属していた。 浄土真宗本願寺派の僧侶でもあり、石川県金沢市乗敬寺の住職も務めた。 2013年9月21日午後1時頃、フジテレビ系で放送された連続ドラマ『独身貴族』第1話の収録において、神奈川県相模原市緑区の城山スタジオにて水着姿でプールに入っての撮影後、突然意識を失って倒れた。
夢童 由里子(むどう ゆりこ、1944年3月14日 - 20… 夢童 由里子(むどう ゆりこ、1944年3月14日 - 2015年3月21日)は、日本の人形作家、造形作家、アートプロデューサー、コラムニスト。京都市出身。京都市立芸術大学卒業。 西陣織を使った衣装と、大陸的な和洋折衷の作風が特徴である。人形以外にも石像、ブロンズ像、金属・コンクリートを使った屋外彫刻などの作品も手がけ、造形作家としても幅が広い。企業顧問、アドバイザー、客員教授などを務め、講演回数も多数に上った。
大橋 良介(おおはし りょうすけ、1944年2月8日 - )… 大橋 良介(おおはし りょうすけ、1944年2月8日 - )は、日本の哲学者、美学者、元大阪大学文学部教授、京都工芸繊維大学名誉教授。 龍谷大学の特任教授であった時、大阪大学の女子大学院生へのセクハラ疑惑が持ち上がり龍谷大学を解雇される。大橋は解雇が不当であるとして龍谷大学を訴えた。裁判の結果、2013年1月29日に京都地裁が、2014年3月5日に大阪高裁が、それぞれ大橋に対する処分を「無効」と判決を下した。この判決を受けて、龍谷大学は最高裁への上告を断念し、大橋に対して特任教授期間3年分の退職金を支払うこととなった。 京都市生まれ。1969年京都大学文学部哲学科卒、74年ミュンヘン大学文学部哲学科博士課程修了、哲学博士。
松岡 正剛(まつおか せいごう、1944年〈昭和19年〉1月… 松岡 正剛(まつおか せいごう、1944年〈昭和19年〉1月25日 - 2024年〈令和6年〉8月12日)は、日本の実業家、編集者、著述家。株式会社松岡正剛事務所代表取締役、編集工学研究所所長、ISIS編集学校校長、連志連衆會理事、角川武蔵野ミュージアム初代館長。 京都府京都市出身。東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授を歴任。 雑誌編集、書籍や映像の企画・構成など多方面で活躍。各界の研究者と交流し、情報文化の考察を深め、独自の日本文化論も展開する。著書に『知の編集術』『日本数寄』(2000年)、書評『千夜千冊』(2006年)など。 京都の呉服屋に生まれる。3歳の時、父親の仕事の都合で東京府日本橋区日本橋芳町に転居。
青木 康征(あおき やすゆき、1944年1月12日 - )は… 青木 康征(あおき やすゆき、1944年1月12日 - )は、日本のラテンアメリカ史学者、神奈川大学名誉教授。 京都府京都市生まれ。上智大学外国語学部スペイン語学科卒業。上智大学院文学研究科史学専攻(西洋史)博士課程満期退学。神奈川大学外国語学部講師、助教授、教授を務め、2014年定年。 専門はアメリカ大陸の発見からスペインによるアメリカ大陸の植民地化期のラテンアメリカ史。
岡村 倫行(おかむら りんこう、1944年(昭和19年) -… 岡村 倫行(おかむら りんこう、1944年(昭和19年) - )は日本画家。京都府京都市出身。
明田 功(あけた いさお、1943年〈昭和18年〉12月29… 明田 功(あけた いさお、1943年〈昭和18年〉12月29日 - 2015年〈平成27年〉7月28日)は、日本の政治家、京都府八幡市長(1期)。京都府議会議員(5期)。位階は従五位。旭日小綬章受章。 京都市出身。京都大学農学部を経て、京都大学大学院農学研究科博士課程単位取得。1971年京都大学より農学博士を取得。高等学校教諭やPTA会長などを務め、1994年京都府議会議員補欠選挙に当選。5期務める(会派は自由民主党)。2008年八幡市長選挙に立候補し当選する。八幡市長を1期務め、2012年に退任した。2015年死去。死没日付をもって叙従五位、旭日小綬章を受章。
西村 喜久(にしむら よしひさ、1943年11月17日 - … 西村 喜久(にしむら よしひさ、1943年11月17日 - 2025年10月31日[要出典])は、日本の英語教育者。滋賀英会話学院主宰。西村式語学教育研究所代表取締役。早稲田大学エクステンションセンター講師。京都市出身。 「英語は限りなくやさしくなければならない」という英語教育の核を求め、その研究と実践に取り組んだ。代表的な著書に、『英語は前置詞だ』『中学英語でこんなにペラペラ』『英語がいとも簡単に話せる』などがある。 京都市中京区の二条城近くに生まれる。1968年、京都外国語大学外国語学部英米学科を卒業後、同時通訳のかたわらECC大阪外語学院の英会話講師を勤める。 医学、企業向けの翻訳等も行っていたが、これまでの英会話、英語教育とその成果に疑問を抱き始め、独自で英語教育のあり方の研究を開始する。
坂井 東洋男(さかい とよお、1943年10月19日 - )… 坂井 東洋男(さかい とよお、1943年10月19日 - )は、日本の中国文学者。京都産業大学名誉教授、追手門学院大学名誉教授。京都産業大学学長や、追手門学院大学学長、追手門学院学院長、大学コンソーシアム京都副理事長などを歴任した。 京都市生まれ。1969年神戸市外国語大学外国語学部中国学科卒業。1972年京都大学大学院文学研究科中国語学中国文学専攻修士課程修了。1975年京都産業大学外国語学部講師。京都産業大学外国語学部助教授を経て、1987年京都産業大学外国語学部教授。1994年京都産業大学図書館長・生涯学習センター室長。1997年私立大学図書館協会会長。1998年京都産業大学外国語学部長・外国語学研究科長。
守屋 毅(もりや たけし 1943年10月2日 - 1991… 守屋 毅(もりや たけし 1943年10月2日 - 1991年2月4日)は日本の歴史学者。専攻は日本文化史(主に中世・近世)。元国立民族学博物館教授。文学博士(筑波大学、1985年)(学位論文「近世芸能興行史の研究」)。
江里 康慧(えり こうけい、1943年9月7日 - )は、仏… 江里 康慧(えり こうけい、1943年9月7日 - )は、仏師。妻は江里佐代子。子は左座朋子と江里尚樹。 京都市生まれ。1962年に京都市立日吉ヶ丘高等学校美術課程彫刻科卒業。松久朋琳、松久宗琳の弟子となる。1996年に同志社女子大学嘱託講師、2001年に龍谷大学客員教授、2004年に東京芸術大学非常勤講師となる。
梅村 正廣(うめむら まさひろ、1943年8月8日 - 20… 梅村 正廣(うめむら まさひろ、1943年8月8日 - 2007年12月25日)は、京都市出身の日本の経営者。京セラ元代表取締役副社長・副会長/CFO。 1966年大阪工業大学工学部卒業後、同年京セラ入社。1968年に当時の京セラ貿易部長の上西阿沙(後に京セラ副社長)と部員の梅村正廣の2人が米国丸紅(ロサンゼルス)の中に事務所を開設、駐在した。1991年 京セラ取締役。1993年 同社常務取締役。1997年 同社代表取締役専務。1999年 同社代表取締役副社長およびエア・ドゥ取締役を兼任。2005年 京セラ代表取締役副会長/CFO。その間、上海京瓷房地産開発有限公司董事長、上海京瓷貿易有限公司董事長も経験。
田村 正和(たむら まさかず、1943年〈昭和18年〉8月1… 田村 正和(たむら まさかず、1943年〈昭和18年〉8月1日 - 2021年〈令和3年〉4月3日)は、日本の俳優。京都府京都市右京区太秦生まれ。東京都世田谷区育ち。成城大学経済学部卒業。最終所属は自身の個人事務所である新和事務所。 阪東妻三郎の三男で、長兄の田村高廣、弟の田村亮と共に、「田村三兄弟」と呼ばれるが、実際には次兄の田村俊磨を含め4兄弟である。異母弟に俳優の水上保広。家族は妻(一般人女性)と娘。 父・阪東妻三郎が建てた阪妻プロダクションの跡地に建つ東映京都撮影所近くの京都太秦に生まれる。その後同じ京都の嵯峨野に移住した。小学4年生(9歳)の時に父・阪東妻三郎を亡くすが、翌年小学5年生の時に世田谷・成城へ移住。