村田 貴世(むらた きよ、1991年9月21日 - )は、京… 村田 貴世(むらた きよ、1991年9月21日 - )は、京都府出身の元ハンドボール選手。 2014年に日本ハンドボールリーグの三重バイオレットアイリスへ加入。背番号は「9」。 2016年に広島メイプルレッズへ移籍。背番号は「4」。 2017-18年シーズン限りで広島を退団し、アイスランドのヴァルルへ移籍。
京都府立桃山高等学校:34人
※有名人ナビに登録されている34人を職業別に数えました。複数の職業を持つ人は、それぞれの職業に数えています。
村田 貴世(むらた きよ、1991年9月21日 - )は、京… 村田 貴世(むらた きよ、1991年9月21日 - )は、京都府出身の元ハンドボール選手。 2014年に日本ハンドボールリーグの三重バイオレットアイリスへ加入。背番号は「9」。 2016年に広島メイプルレッズへ移籍。背番号は「4」。 2017-18年シーズン限りで広島を退団し、アイスランドのヴァルルへ移籍。
丸野 一樹(まるの かずき、1991年(平成3年)8月5日 … 丸野 一樹(まるの かずき、1991年(平成3年)8月5日 - )は、京都府京都市伏見区出身の競艇選手。登録番号4686。身長166cm。血液型A型。109期。滋賀支部所属。 師匠は吉川昭男。同期に永井彪也(東京支部)、大上卓人(広島支部)、島村隆幸(徳島支部)らがいる。弟子は130期の藤原仙二。
中尾 真那(なかお まな、男性、1986年9月2日 - )は… 中尾 真那(なかお まな、男性、1986年9月2日 - )は、京都府宇治市出身のサッカー選手。関西サッカーリーグ1部・AS.Laranja Kyoto所属。ポジションは、ディフェンダー。 タンザニア人の父と日本人の母を持つ。 高さ、スピードともに高い身体能力を持ち合わせる。サポーターから「真那スペシャル」とまで呼ばれる、速い弾道で40m近く飛ばせるロングスローを得意とする。 小学2年の時、親に勧められ近所にあった御蔵山グーニーズに入団しサッカーを始める。中学では学校のサッカー部に所属せず、クラブチームのアドバンFCに所属する。このころからサイドバックとしてプレーしていた。 高校は実家近くの桃山高校に入学する。
青木 大介(あおき だいすけ、1984年8月9日 - )は京… 青木 大介(あおき だいすけ、1984年8月9日 - )は京都府出身のアメリカンフットボール選手。現在Xリーグの胎内ディアーズに所属している。ポジションはプレースキッカーおよびパンター。 専修大学時代からアメリカンフットボールを始め、大学4年生からアメリカンフットボール日本代表にも選ばれており、2011年アジア選手権に出場し同大会MVPを獲得、また同年に開催されたアメリカンフットボール世界選手権に出場し、大会ベストイレブンに選出された。 2009年に行われたノートルダム・ジャパン・ボウル2009では先制のフィールドゴールを決めた。 2010年、Xリーグの鹿島ディアーズ(現胎内ディアーズ)に加入し、同リーグのベストイレブンにあたるオールXリーグにルーキーイヤーの2010年から2014年まで5年連続選出された。
大前 りょうすけ(おおまえ りょうすけ、1984年4月16日… 大前 りょうすけ(おおまえ りょうすけ、1984年4月16日 - )は、日本のラジオパーソナリティ、テレビリポーター、お笑い芸人、漫才師。 京都府京都市出身。ワタナベエンターテインメント所属。 京都府立桃山高等学校、摂南大学経営学部を卒業。大学在学中に中学時代の同級生であるみんなのたかみちと出会い、大前の誘いにより2005年に「One and One」を結成。その後、2007年にプリンセス金魚に改名。2009年には新人漫才ライブ 「笑わんかい」で最優秀賞などを受賞。 その後大前は、2016年に活動の拠点を名古屋へと移し、10月にはRadio NEOの『OH! MY MORNING!』を、2017年9月には同局の『OH! MY SATURDAY!』が放送開始。
マツモト アキノリ(1977年12月15日 - )は、京都府… マツモト アキノリ(1977年12月15日 - )は、京都府京都市伏見区出身のDJ。タレントオフィスともだち所属、本名:松本 昭範(読みは同じ)。愛称はアッキー。
松岡 正美(まつおか まさみ、1972年12月30日 -)は… 松岡 正美(まつおか まさみ、1972年12月30日 -)は、日本のフリーアナウンサー。プロデューサー。 京都府立桃山高等学校を経てノートルダム女子大学文学部英語英文学科卒業後、NHK京都・水戸両局で契約キャスターとして勤務した。水戸局退職後フリーとなったが、引き続きNHKの番組に出演。 NHK教育の番組『きょうの健康』の司会を2007年に産休で降板した岩田まこ都に代わり担当していた。共演していた福家睦とは当時同じ事務所。2012年4月1日現在担当していない。 2010年よりインターネット番組『ちいきのきずな』を担当。ちいきのきずなの後継番組『きづなの交通安全ナビ』のナビゲーターとして2013年にキャスター復帰。
櫻井 雄一(さくらい ゆういち、1972年9月17日 - )… 櫻井 雄一(さくらい ゆういち、1972年9月17日 - )は、日本のテレビプロデューサー、起業家、広告プランナー、コミュニケーションデザイナー。代表作は『地獄の花嫁』『スキャンダル専門弁護士 QUEEN』『tourist ツーリスト』。楽天カードマンの生みの親。『ソケット株式会社』代表取締役、『株式会社パンタグラフ』取締役、『株式会社1』代表取締役。京都府京都市出身。大阪市立大学経済学部卒業。 京都府京都市出身。京都府立桃山高等学校、大阪市立大学経済学部卒業。 1996年(平成8年)4月、広告代理店・大広に入社(~2006年12月)。楽天カードのCMキャラクター「楽天カードマン」を企画立案し、多数の賞を受賞した。
川畑 泰史(かわばた やすし、1967年〈昭和42年〉6月2… 川畑 泰史(かわばた やすし、1967年〈昭和42年〉6月22日 - )は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優、脚本家。吉本新喜劇元座長の座員。京都府京都市伏見区出身。吉本興業(大阪)所属。NSC9期生。身長167 cm、血液型AB型。愛称は「バタヤン」。 京都府立桃山高等学校(ラグビー部)卒業。卒業後、薬品卸の営業職、ホストクラブを経てNSCに入る。 身長167 cm、体重67 kg。 趣味は、テレビゲーム、散歩。西武ライオンズファン(田淵幸一ファン)。NMB48ファン。 同期には、ナインティナイン・宮川大輔・星田英利・矢野・兵動・へびいちごなどがいる。 1991年、吉本新喜劇に入団。NSC9期生でNSC卒業後、新喜劇に入団したのは川畑とナインティナインの岡村隆史のみだった。
大西 祐資(おおにし ゆうじ、1964年 - )は、日本の実… 大西 祐資(おおにし ゆうじ、1964年 - )は、日本の実業家。京都新聞社代表取締役社長、主筆。 京都市出身。京都府立桃山高等学校を経て、早稲田大学第一文学部卒業。 1989年4月に京都新聞社入社。社会報道部社会担当部長、文化報道部文化観光担当部長、編集局総務、南部支社長などを経て、2018年から取締役に就任。編集・論説、メディア、特命を担当し、同年から2020年3月まで編集局長を務めた。 2021年6月より現職。
奥本 保昭(おくもと やすあき、1960年 - )は、京都府… 奥本 保昭(おくもと やすあき、1960年 - )は、京都府出身の元アマチュア野球選手、監督である。ポジションは外野手。 小学生の時に野球を始める。桃山高等学校では、外野手としてプレーし、1978年の京都大会でサイクル安打を放ったが、甲子園への出場を果たすことができなかった。 その後は、大阪体育大学に進学し、南宇治中学校で体育教師として勤務。1986年から新規開校の京都成章高等学校の監督を2006年までに務め、1995年の夏の甲子園で初出場を果たし、1998年の夏の甲子園で準優勝を果たした。 2008年から2019年までに塔南高等学校の監督を務め、現在は花園大学のコーチを務めている。 2021年に育成功労賞を授賞した。
杉田 定大(すぎた さだひろ、1955年5月26日 - )は… 杉田 定大(すぎた さだひろ、1955年5月26日 - )は、日本の経産官僚。東京科学大学環境・社会理工学院特任教授、東京医科大学理事、KPMGジャパン顧問。 経済産業省中国経済産業局長・経済産業省大臣官房審議官・早稲田大学客員教授・日中経済協会専務理事等を歴任した。 京都生まれ。京都府立桃山高等学校を経て、1980年一橋大学経済学部卒業。荒憲治郎ゼミ出身。同年通商産業省入省。経済協力や、自由貿易協定、流通政策などに携わった。 通商産業大臣秘書官補佐、外務省在マレーシア日本国大使館参事官等を経て、1997年初代産業政策局新規産業課長。2002年通商政策局アジア大洋州課長兼早稲田大学客員教授。貿易経済協力局総務課長を経て、2005年内閣官房知的財産戦略推進事務局内閣参事官。
平木 収(ひらき おさむ、1949年8月7日 - 2009年… 平木 収(ひらき おさむ、1949年8月7日 - 2009年2月24日)は、日本の写真評論家、写真史研究家。 川崎市民ミュージアム学芸員、九州産業大学教授、大阪芸術大学非常勤、日本写真協会理事などを歴任。フリー以後、写真評論家という肩書きにこだわりを公言し、「時代性」「社会を映す鏡」「写真論写真」などの観点から写真批評や講義を行い多くの後進や写真家を育成した。 京都府宮津市に生まれ、小・中・高と京都市伏見区で育つ。早稲田大学第二文学部美術専攻卒業。大学時代には写真部に所属。フォトギャラリー・プリズムでは東京綜合写真専門学校や東京造形大学の在校生や卒業生らと立ち上げ、金銭面で閉廊したがその間自身の作品展示も行う。
荒木 実(あらき みのる、1949年2月9日- )は、京都市… 荒木 実(あらき みのる、1949年2月9日- )は、京都市右京区出身の元競輪選手。日本競輪学校第23期生。同期には阿部道らがいる。 京都府立桃山高等学校時代は野球部に在籍し、同部の主将を務めた。 1966年9月18日、和歌山競輪場でデビューするや、無傷の18連勝を達成。若い頃よりマーク型の選手としてトップスターへの道へと上りつめ、1974年に行われた高松宮杯競輪では、中を一気に割って伸び優勝。2年後の高松宮杯でも同じような形のレース内容で制した。ちなみに2回とも、雨が降りしきる中レースが行われたが、そのことにあやかって、雨男のニックネームがつけられた。 1988年、競輪発祥40周年を記念して、平塚競輪場で開催されたルビーカップのシニア杯に出走し優勝した。
野崎 六助(のざき ろくすけ、1947年11月9日 -)は、… 野崎 六助(のざき ろくすけ、1947年11月9日 -)は、日本の小説家、文芸評論家。 日本推理作家協会会員。 東京都品川区生まれ。京都府立桃山高等学校卒業。1960年から1978年まで京都に在住。コック、大工など多数の職を経る。 1984年、『幻視するバリケード 復員文学論』(田畑書店)でデビュー。 1992年、『北米探偵小説論』で第45回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)受賞。推理小説、推理小説評論を主に書く。 1994年、『夕焼け探偵帖』(講談社)で小説家デビュー。
北村 晃一(きたむら こういち、1946年7月8日 - )は… 北村 晃一(きたむら こういち、1946年7月8日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 京都府京都市出身。身長172cm。京都府立桃山高等学校、多摩芸術学園(現・多摩美術大学)卒業。 1969年、新国劇に入り俳優となる。 1970年『新網走番外地 大森林の決斗』で準主役に抜擢されて以降、東映の映画やテレビドラマに出演し、テレビでは『特別機動捜査隊』(NET)や『イナズマン』(同)にレギュラー出演した。『イナズマン』では主人公の相棒・丸目豪作を演じ、共演した伴大介は「自分の存在意義をわきまえて、譲るべきところは譲るということがきちんとできる役者だった」と評している。また、当時すでに既婚者であった。 その後は、時代劇などの悪役に転じ、映像作品を中心に活躍。
清水 鴻一郎(しみず こういちろう、1946年3月5日 - … 清水 鴻一郎(しみず こういちろう、1946年3月5日 - )は、日本の政治家、脳神経外科医、医学博士(大阪医科大学)。 京都私立病院協会会長、京都府新型コロナウイルス感染症対策専門家会議委員、(公社)全日本病院協会理事、京都清水メディケアシステム会長。 衆議院議員(2期)、京都府議会議員(4期)を務めた。 京都市伏見区出身。京都府立桃山高等学校を卒業。1973年大阪医科大学卒業、京都大学医学部脳神経外科入局。1980年に大阪医科大学大学院博士課程を修了(医学博士)、論文題名は『脳血管攣縮の実験的研究:Ca[++]拮抗薬の脳動脈平滑筋弛緩作用について』。シカゴ大学研究員を経て大阪医科大学脳神経外科助手。
山中 諄(やまなか まこと、1943年(昭和18年)2月1日… 山中 諄(やまなか まこと、1943年(昭和18年)2月1日 - )は日本の実業家。南海電気鉄道相談役。三重県阿山郡島ヶ原村(現在の伊賀市)生まれ。日本国有鉄道職員の父の転勤で、京都、奈良、大阪を転々とした。
佐和 隆光(さわ たかみつ、1942年〈昭和17年〉11月1… 佐和 隆光(さわ たかみつ、1942年〈昭和17年〉11月13日 - 2025年〈令和7年〉5月17日)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授、滋賀大学名誉教授、国立情報学研究所名誉教授。第12代滋賀大学学長、第11代京都大学経済研究所所長などを歴任した。専攻は計量経済学、統計学、環境経済学。経済学博士(東京大学、1971年)。 1942年(昭和17年)、和歌山県伊都郡高野町に生まれる。京都学芸大学附属桃山中学校、京都府立桃山高等学校を経て、東京大学文科一類に入学。1965年(昭和40年)、東京大学経済学部を卒業。1967年(昭和42年)、東京大学大学院経済学研究科修士課程を修了。東京大学経済学部助手を経て、1969年(昭和44年)に京都大学経済研究所助教授に就いた。
奥山 茂彦(おくやま しげひこ、1942年9月4日 - 20… 奥山 茂彦(おくやま しげひこ、1942年9月4日 - 2017年12月18日)は日本の政治家、衆議院議員を2期務めた。旭日重光章受章。 京都市伏見区出身。京都府立桃山高等学校及び東京農業大学を卒業、慶應義塾大学を中退した。前尾繁三郎に共鳴し政治を志し1974年の補選で伏見区選挙区から京都市議に当選した。1986年市会議長、1995年の第13回統一地方選挙で7期目となる連続当選を果たした。 1996年第41回衆議院議員総選挙では自民党公認の新人候補として京都3区から立候補し、日本共産党の現職寺前巌に敗北したが比例復活で初当選を果たした。当選後は京都府政界の実力者野中広務の所属する総裁派閥平成研究会に入会した。
淀野 隆(よどの たかし、1937年4月15日 - 2022… 淀野 隆(よどの たかし、1937年4月15日 - 2022年7月31日)は、新聞記者、イベントプロデューサー、作家。 京都府出身。父は文芸同人誌「青空」同人、フランス文学者淀野隆三。京都府立桃山高等学校から慶應義塾大学文学部に進学し社会学専攻(1961年卒業)。産業経済新聞社社会部勤務。1964年東京オリンピックの取材、川端康成ノーベル賞受賞特派員などに従事した後1969年同社退社。1970年から万国博覧会等のプロデューサーとして活動。元電通総研客員研究員。NPO法人亜州友好協会の理事であり、上海万博開幕1000日まえの発行雑誌(2007年8月創刊)として、2か月刊日本PR雑誌の編集、執筆を担当。
大工 勝(だいく まさる、1936年6月13日 - )は、京… 大工 勝(だいく まさる、1936年6月13日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(投手)。 京都府立桃山高等学校卒業後、1955年に毎日オリオンズに入団。 大友工(巨人)ばりのシュートとスライダーを投げ、スタミナもあったので、新人にして開幕一軍入りを果たした。同年4月23日の大映スターズ戦(駒澤野球場)でデビューを果たした。しかし、6試合に登板したが勝利を挙げることができず、1957年に退団した。 プロ野球退団後は、社会人野球に転じ、富士製鐵広畑に入団。都市対抗野球大会に4回出場(うち1963年の大会では松下電器の補強選手として出場)した。1961年の都市対抗では準々決勝でエース田中勉を擁する東洋高圧大牟田を再試合の末に降す。
櫛田 胅之扶(くしだ てつのすけ、1935年11月19日 -… 櫛田 胅之扶(くしだ てつのすけ、1935年11月19日 - )は、日本の作曲家・編曲家・指揮者。 京都府立桃山高等学校、京都教育大学卒業。専攻は数学であった。在学中より福本正に作曲を学び、卒業後、本格的に作曲活動を開始する。伝統的な邦楽を基調とした日本的な作風で知られ、国内外で高い評価を得ている。 また、より広い作曲活動を求め、絵画・建築・写真・映像などの分野との一体化による、構造的芸術の創造を目指して取り組んでいる。作曲・編曲・指揮といった音楽分野を越えて、イヴェント・コーディネーターとして広く活躍している。 2000年代以降は、ジャズ楽曲を吹奏楽用に編曲した作品をウィンズスコアより発表しており、編曲家としての新たな一面を見せるなど、精力的な活動を展開している。
松尾 正武(まつお まさたけ、1935年8月15日 -没年不… 松尾 正武(まつお まさたけ、1935年8月15日 -没年不詳 )は日本の映画監督、東映俳優養成所講師。大阪府大阪市北区出身。兵庫県へ転居するが第二次世界大戦の影響で京都府に移住する。 1954年に京都府立桃山高等学校を卒業し同志社大学商学部に入学。1960年に卒業と同時に東映京都撮影所の助監督として入社。厳密に言えば第二東映(のちにニュー東映)の契約助監督。1964年2月1日に東映京都テレビプロダクションの設立に参加。同年2月16日に結婚。媒酌人は長谷川安人監督。1967年にテレビディレクターに昇進。 日本映画監督協会公式サイトの物故会員欄に名前が記載されており、現在は故人である。 井沢雅彦「お奉行様と娘たち」1961年 秋元清晴(秋元隆夫の別名義)「逆襲天の橋立」1961年 小沢茂弘「赤い影法師」1961年 内出好吉「てなもんや三度笠」1963年 (チーフ助監督 林伸憲) 佐々木康「浪人街の顔役」1963年 松田定次「血と砂の決斗」1963年 マキノ雅弘「八州遊侠伝・男の盃」1963年 長谷川安人「十七人の忍者」1963年 加藤泰「風の武士」1964年 註:B班助監督、B班監督は大西秀明 ▲テレビ映画(東映京都テレビプロダクション制作) タイトルに監督名のないものは、すべて河野寿一監督作品の助監督 「忍びの者」第一部 1964年 「つむじ風三万両」 1964~1965年 「新選組血風録」1965~1966年 「われら九人の戦鬼」1966年 「銭形平次」第13回 田坂勝彦 1966年 「銭形平次」第17回 田坂勝彦 1966年 「俺は用心棒」1967年 「剣」第29回 山内鉄也 1967年 「次郎長三国志」1968年 註:撮影は1967年、途中第10話で監督昇進。
山村 美紗(やまむら みさ、1931年8月25日 - 199… 山村 美紗(やまむら みさ、1931年8月25日 - 1996年9月5日)は、日本の小説家、推理作家。父は民法学者で京都大学名誉教授の木村常信、4人姉弟の長女であり、弟は政治学者で北海道大学名誉教授の木村汎、他に妹が2人いる。配偶者は東山高校の元数学教師で退職後画家に転身した山村巍(たかし)(1928年 - 2022年)、長女は俳優の山村紅葉。 京都府京都市で生まれ、父親は朝鮮総督府京城法学専門学校校長事務取扱に任じられて終戦まで朝鮮に在住し、山村も日本統治時代の朝鮮の京城で育ち、京城師範付属小学校から京城第一高女へ進学した。帰国後にぜんそくを患い家で療養する時期もあったが、1957年に京都府立大学女子短期大学部を経て文学部国文科を卒業する。
藤永 幸治(ふじなが ゆきはる、1930年7月11日 - 2… 藤永 幸治(ふじなが ゆきはる、1930年7月11日 - 2001年5月5日)は京都府出身の検察官。 1945年8月15日の敗戦を大阪陸軍幼年学校で過ごし、1946年旧制京都府立桃山中学校に復学。旧制第三高等学校を経て、1953年京都大学法学部卒業。司法修習8期を経て、東京地方検察庁検事に任官。海外のロースクールへ留学。東京地方検察庁特別捜査部長、最高検察庁刑事部長、次長検事、東京高等検察庁検事長などを歴任。退官後帝京大学法学部教授。 2001年5月5日、急性多臓器不全のため死去。71歳没。叙正三位、叙勲一等授瑞宝章。 1990年代後半の司法試験制度について、あまりにも単純に法律知識に偏り過ぎており、経済や歴史、文学、一般社会を幅広く知る人間を司法界は求めるべきだとの考えを持っていた。
木村 草弥(きむら くさや、1930年2月7日 - 2023… 木村 草弥(きむら くさや、1930年2月7日 - 2023年6月12日)は、日本の歌人、詩人。本名は重夫(しげお)。 京都府綴喜郡青谷村(現在の城陽市)の宇治茶問屋・丸京山城園製茶場の経営者であった木村重太郎とトヨの三男として出生。姉兄妹六人きょうだいの四番目である。太宰治が『パンドラの匣』の元とした日誌の書き手である木村庄助は長兄であり、大阪大学教授、国立国際美術館館長、兵庫県立美術館館長などを歴任した美術史家の木村重信は次兄。 青谷小学校、京都府立桃山中学校(旧制)を卒業後、1948年に大阪外事専門学校(後の大阪外国語大学、現在の大阪大学外国語学部)フランス語科入学。同級生に言語学・国語学者の玉村文郎や田辺保らがいた。
村田 良平(むらた りょうへい、1929年(昭和4年)11月… 村田 良平(むらた りょうへい、1929年(昭和4年)11月2日 - 2010年(平成22年)3月18日)は、日本の外交官。外務事務次官、駐アメリカ合衆国大使、駐ドイツ連邦共和国大使などを歴任した。退官後、日米核持ち込み問題について、日米核密約の存在を実名で証言した。 京都府出身。旧制桃山中学校、旧制第三高等学校を経て、京都大学法学部卒業後、1952年(昭和27年)外務省入省。 ドイツ語研修、在ドイツ連邦大使館、経済局欧州課、在オーストリア大使館などを経て、経済局国際機関第二課長、在アメリカ合衆国日本大使館参事官、条約局参事官、中近東アフリカ局長、駐アラブ首長国連邦大使、駐オーストリア大使、経済局長、外務審議官(政務担当)、外務事務次官を歴任。
西村 豁通(にしむら ひろみち、1924年2月26日 - 2… 西村 豁通(にしむら ひろみち、1924年2月26日 - 2010年12月3日)は、日本の社会政策学者。同志社大学名誉教授。 京都市伏見区深草出身。桃山中学校卒、第三高等学校卒、1947年東京帝国大学経済学部卒、京都大学大学院入学。1953年大阪市立大学講師、1953年同志社大学経済学部専任講師、1955年助教授、1961年教授、1969-1971年経済学部学部長、1995年定年、名誉教授。90年「現代社会政策の基本問題」で、経済学博士(北海道大学)。短歌も詠んだ。
巽 外夫(たつみ そとお、1923年(大正12年)10月7日… 巽 外夫(たつみ そとお、1923年(大正12年)10月7日 - 2021年(令和3年)1月31日)は、日本の実業家。住友銀行頭取を歴任したほか、マツダ再建に尽力したことでも知られる。福井県出身。旧姓は中野。 旧制京都府立桃山中学校、旧制松江高等学校を経て、1947年京都大学法学部を卒業後、住友銀行入行。 1963年平野支店長、本店営業部次長、一宮支店長、1968年審査第二部長、1971年審査第一部長、融資部長を経て、1972年取締役。1975年常務取締役。1979年代表取締役専務。1982年副頭取。 1975年に東洋工業(現:マツダ)の再建を担当。同社とフォード・モーターの資本提携交渉では橋渡しを務め、米国の独占禁止法の審査では英語で証言に臨むなど奔走した。
安立 スハル(あんりゅう すはる、1923年1月28日 - … 安立 スハル(あんりゅう すはる、1923年1月28日 - 2006年2月26日)は、昭和・平成期の歌人。京都府京都市東山区出身。 1939年、肺結核の療養中に作歌を始める。1940年、京都府立桃山高等女学校卒業。1941年、北原白秋主宰の歌誌「多磨」入会。1949年、宮柊二に初めて会い、指導を受けるようになる。1953年、宮柊二主宰の歌誌「コスモス」創刊に参加。1956年、第三回コスモス賞受賞。1964年、第一歌集『この梅生ずべし』を刊行。生前に歌集はこの一冊のみである。母親の介護を終えて間もなく、83歳で死去。生涯独身だったという。 少女時代から肺結核による長い療養生活を送り、多くの歌人にその作品を慕われながらも素顔さえあまり見せないという地味な生涯だった。
杉 柾夫(すぎ まさお、1909年4月24日- 1975年1… 杉 柾夫(すぎ まさお、1909年4月24日- 1975年1月11日)は、日本の漫画家、政治家。本名:杉浦 茂。 1909年、京都市左京区に生まれる。桃山中学校を卒業。1908年生まれの同姓同名の漫画家杉浦茂は同い年である。杉が上京して漫画家として活動する前から、杉浦は田河水泡門下で漫画家デビューし少年少女向けで活動していた。杉は杉浦と相談した結果、「杉柾夫」のペンネームを用いて漫画家活動を開始することにした。杉は子供向け漫画の杉浦とジャンルを住み分けるために、政治漫画や左翼系の風刺漫画の執筆を中心に活動し、また朝日や読売等の新聞にも風刺漫画を連載した。1931年にはプロレタリア美術家同盟(ヤップ)に加入し、その後はヤップの後身である日本プロレタリア文化連盟(コップ)で活動した。
稲垣 巌(いながき いわお、1897年(明治30年)2月15… 稲垣 巌(いながき いわお、1897年(明治30年)2月15日 - 1937年(昭和12年)8月15日)は、日本の教育者。元京都府立桃山中学校(現:京都府立桃山高等学校)の英語科教員。 明治の文豪小泉八雲の次男。
松本 和朗(まつもと かずお)は、日本の外交官。 在ギリシャ… 松本 和朗(まつもと かずお)は、日本の外交官。 在ギリシャ、在ハンガリー 特命全権大使を歴任後、関東学園大学および大阪学院大学で教授を務めた。 1941年(昭和16年)2月5日生。1959年(昭和34年)3月京都府立桃山高等学校卒業。1963年(昭和38年)3月京都大学法学部卒業。 1964年(昭和39年)4月外務省入省、在ドイツ日本国大使館公使を経て、1995年(平成7年)1月参議院事務局渉外部長。1998年(平成10年)1月在ギリシャ国駐箚特命全権大使、2000年(平成12年)2月特命全権大使(大阪担当)、2001年(平成13年)2月在ハンガリー日本国大使館駐箚特命全権大使、2003年(平成15年)11月退官。