原 曻(はら のぼる、1922年(大正11年)5月8日 - … 原 曻(はら のぼる、1922年(大正11年)5月8日 - 2016年(平成28年)2月14日)は、日本の政治家。大阪府岸和田市長。大阪府市長会顧問。 大阪府岸和田市出身。元特攻隊隊員。1956年(昭和31年)関西大学経済学部を卒業後、岸和田市役所に入る。1962年(昭和37年)青少年課長、1965年(昭和40年)職員課長、1970年(昭和45年)総務部長と昇進を続け、1973年(昭和48年)の岸和田市長選挙に立候補、社会党と共産党の推薦を得て、当時4選を狙っていた自民推薦の現職・中澤米太郎を破り初当選する。泉州地域では初めて社共共闘による革新市長が誕生した。 定住外国人(主に在日朝鮮人)への地方参政権付与を認める決議を採択し、韓国の当時の大統領盧武鉉より修交勲章崇礼章を授与された。
岸本 義広(きしもと よしひろ、1897年〈明治30年〉4月… 岸本 義広(きしもと よしひろ、1897年〈明治30年〉4月30日 - 1965年〈昭和40年〉9月10日)は、日本の検察官、政治家。衆議院議員(1期)。 大阪府岸和田市生まれ。大阪府立岸和田中学校、第三高等学校を経て、1923年に東京帝国大学を卒業し、同年に検事となる。1945年に東京地検の検事正、1946年に札幌高等検察庁検事長となる。広島高等検察庁検事長を経て、1951年に大橋武夫法務総裁の強い要望で次長検事として中央に復帰(その過程で木内騒動が発生した)。1955年に法務事務次官、1957年に東京高等検察庁検事長となる。在任中の売春汚職事件で、読売新聞によって「売春汚職のため収賄容疑で召喚必至」と報じられた宇都宮徳馬が同紙記者を名誉毀損罪で告訴したため、これを逮捕。
武 為太郎(たけ ためたろう、1891年〈明治24年〉10月… 武 為太郎(たけ ためたろう、1891年〈明治24年〉10月 - 没年不明)は、日本の政治家、実業家。大阪府泉南郡山直下村村会議員。輸出内地向綾木綿製造販売、武織物工場代表。泉南郡北部綿織物工業組合理事長。 大阪府泉南郡山直下村三田(のち山直町、現・岸和田市)の人である。織物業を営む。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
寺田 利吉(てらだ りきち、前名・信三、1884年〈明治17… 寺田 利吉(てらだ りきち、前名・信三、1884年〈明治17年〉6月8日 - 没年不明)は、日本の政治家、実業家。岸和田名誉職市長。寺田銀行頭取。大阪紡績、寺田紡績工廠各社長。 大阪府・先代利吉の長男。1901年、大阪府立第二中学校を卒業する。1903年、岸和田紡績に入社する。1918年、家督を相続し信三を改め襲名する。 公共慈善に対しては深甚な理解を持ち、常に私財を投じる。趣味は書画、茶道。住所は大阪府岸和田市岸城町、同市堺町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
古藤 増治郎(ことう ますじろう、1881年〈明治14年〉2… 古藤 増治郎(ことう ますじろう、1881年〈明治14年〉2月6日 - 1945年〈昭和20年〉3月7日)は、日本の政治家。衆議院議員(立憲民政党)。大阪府浜寺町長。 大阪府泉北郡山滝村(現在の岸和田市)出身。井出清太郎の二男として生まれ、古藤家の養子となった。1901年(明治34年)、大阪府師範学校を卒業し、各地の小学校長を歴任した。1917年(大正6年)、浜寺町会議員に選出された。ついで1918年(大正7年)から1936年(昭和11年)まで浜寺町長を務め、泉北郡町村会長にも就任した。また1927年(昭和2年)と1931年(昭和6年)には大阪府会議員に当選し、参事会員、副議長を歴任した。 1936年、第19回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
寺田 徳三郎(てらだ とくさぶろう、1856年10月21日〈… 寺田 徳三郎(てらだ とくさぶろう、1856年10月21日〈安政3年9月3日〉 - 没年不明)は、日本の醸造家、実業家、政治家。貝塚銀行取締役。和泉水力電気監査役。貝塚町会議員。族籍は大阪府平民。 大阪府岸和田市の人・寺田甚与茂、寺田元吉の弟。寺田甚右衛門の三男。1881年の分家の際は岸和田本町に居を構え、綿糸商を営む。1882年に現住邸宅を買収し住所を変え、酒造業を営む。 家業の傍ら会社銀行等の営利事業に関与する。貝塚銀行については創立当時監査役だったが、数年ならず取締役に転じた。1892年より10年余町会議員をつとめた。郡会開設の当時、議員に挙げられ、1期間就任した。 分家して一家を創立する。
井阪 光暉(いさか みつあき、1855年7月20日(安政2年… 井阪 光暉(いさか みつあき、1855年7月20日(安政2年6月7日) - 1920年(大正9年)2月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 和泉国南郡、のちの大阪府泉南郡八木村(春木町を経て現岸和田市)出身。大阪府会議員、同常置委員となる。 1904年の第9回衆議院議員総選挙において大阪府郡部から無所属で立候補したが25票差で次点で落選した。1908年の第10回衆議院議員総選挙では立憲政友会公認で立候補して当選した。1912年の第11回衆議院議員総選挙でも再選。1915年の第12回衆議院議員総選挙は不出馬。1917年の第13回衆議院議員総選挙では次点で落選。しかし、7月に本出保太郎の死去により、繰上当選となった。