蟬川 泰果(せみかわ たいが、2001年1月11日 - )は… 蟬川 泰果(せみかわ たいが、2001年1月11日 - )は、日本のプロゴルファー。元世界アマチュアゴルフランキング1位。史上最年少日本タイトル3冠達成者。妻は久保葵。 兵庫県加東市出身。兵庫教育大学附属小学校→兵庫教育大学附属中学校→興國高等学校を経て、東北福祉大学卒業。 名前の『泰果』は、タイガー・ウッズに因んで父が命名し、祖父が漢字を考えたと云う。 ゴルフは2歳から始め、小学校3年の時には競技会に初出場。中学校3年の時に日本ゴルフツアー機構(JGTO)が主催する男子プロゴルフツアー大会の「全英への道 ミズノオープン」に出場している。 興國高等学校進学後は2017年関西ジュニアゴルフ選手権競技(男子15歳 - 17歳の部)及び第73回国民体育大会(2018年・福井県)ゴルフ競技男子少年の部にて優勝を飾っている。
上月 翔聖(こうづき しょうせい、2000年2月1日 - )… 上月 翔聖(こうづき しょうせい、2000年2月1日 - )は、兵庫県加東市出身のサッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー(MF)。 神戸弘陵学園高校からびわこ成蹊スポーツ大学に進学し、2022年に当時JFLだったFC大阪への加入が決まった。 2023年11月19日、FC大阪は同年限りで退団することを発表した。 2024年、高知ユナイテッドSCに移籍。この年はJFL全30試合に出場し、この年のJFLベストイレブンに選出されて高知のJ3加盟に貢献した。 J3・JFL入れ替え戦では貴重な同点ゴールを決めるなど活躍をした 2025年3月30日のFC琉球戦でJリーグでの初ゴール。
肘井 竜蔵(ひじい りゅうぞう、1995年11月13日 - … 肘井 竜蔵(ひじい りゅうぞう、1995年11月13日 - )は、兵庫県加東市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 現在は日本プロ野球選手会事務局の職員。 小学4年時生から野球を始めると、小野市立河合中学校時代に軟式野球部で全日本少年軟式野球大会に出場している。 兵庫県立北条高等学校への進学後は、2年秋から主将を務めた。硬式野球部は部員19人という少ないながら、兵庫県高校野球秋季県大会では、準々決勝で姫路工業高校に6対3で勝利し、初の大会4強入りを果たすという躍進をみせた。更なる上位進出を狙ったが、準決勝で神戸国際大附属高校と対戦するが敗戦、3位決定戦の関西学院高校との対戦では0-1と惜敗。
角 令央奈(すみ れおな、1987年4月20日- )は、男性… 角 令央奈(すみ れおな、1987年4月20日- )は、男性の自転車競技選手、競輪選手。兵庫県加東市出身。日本競輪学校第98期卒業。日本競輪選手会兵庫支部所属。0型。
下山 真二(しもやま しんじ、1975年12月1日 - )は… 下山 真二(しもやま しんじ、1975年12月1日 - )は、元プロ野球選手(外野手)、指導者。兵庫県加東郡社町(現・加東市)出身。
山口 衛里(やまぐち えり、現姓・岡井(おかい)。1973年… 山口 衛里(やまぐち えり、現姓・岡井(おかい)。1973年1月14日 - )は、兵庫県加東市(滝野地区)出身の女子陸上競技長距離走・マラソン元選手、陸上競技指導者。選手として1990年代中盤から2000年代前半にかけて活躍、2000年シドニーオリンピック女子マラソン日本代表・7位入賞。 現役引退後は、2011年3月末日まで岡山県岡山市の天満屋女子陸上競技部でコーチ業を務めていた。2015年度より岡山市内の環太平洋大学(IPU)・陸上競技部コーチ、同女子駅伝部監督に就任。2020年4月1日より天満屋女子陸上競技部ヘッドコーチに就任。ほか岡山県の桃太郎夢クラブ理事・コーチングスタッフ、スポーツ解説者などでも活動中。
堤 尚彦(つつみ なおひこ、1971年7月26日 - )は、… 堤 尚彦(つつみ なおひこ、1971年7月26日 - )は、日本の元アマチュア野球選手、野球指導者。 兵庫県加東市出身。小学校4年次に東京へ転居し世田谷リトルリーグで野球を始める。中学校へ進学すると一転してハンドボール部へ入るという生活を送った。 だが、野球への思いも断ち難く進路に迷っている時に佐藤道輔(当時=東京都立東大和高等学校野球部監督)の著書『甲子園の心を求めて 高校野球の汗と涙とともに』を読んで大いなる感銘を受けたことがきっかけで「都立高校で野球をしよう」と思い立ち、東京都立千歳高等学校(現:東京都立芦花高等学校)へ進学する。 高等学校卒業後は一年浪人して東北地区の大学野球の名門たる東北福祉大学へ入学し、内野手にコンバートされる。
糟谷 敏秀(かすたに としひで、1961年〈昭和36年〉7月… 糟谷 敏秀(かすたに としひで、1961年〈昭和36年〉7月12日 - )は、日本の経済産業官僚。資源エネルギー庁電力・ガス事業部長、特許庁長官などを経て、東京ガス代表執行役副社長。 兵庫県加東市出身。兵庫県立小野高等学校を経て、1984年(昭和59年)3月、東京大学法学部を卒業。同年4月に通商産業省に採用される。 ハーバード大学経営大学院留学を経て、通商交渉、流通産業などに携わり、通商産業省大臣官房人事企画官、機械情報産業局情報国際協力室長、経済産業省大臣官房企画官、経済産業省大臣官房参事官(国会担当)、製造産業局鉄鋼課長、産業技術環境局環境政策課長、経済産業省大臣秘書官事務取扱、経済産業省大臣官房政策評価広報課長、経済産業政策局企業行動課長、経済産業省大臣官房会計課長、通商政策局通商機構部長、資源エネルギー庁電力・ガス事業部長、経済産業省大臣官房総括審議官などを歴任。
岩根 正(いわね ただし、1955年(昭和30年)4月6日 … 岩根 正(いわね ただし、1955年(昭和30年)4月6日 - )は、日本の政治家。兵庫県加東市長(2期)。 兵庫県加東市出身。神戸商科大学(現兵庫県立大学)卒業後、1978年に兵庫県に入庁。その後埼玉大学大学院政策科学研究科(現政策研究大学院大学)を修了し、1986年には旧通産省に移る。1988年に県庁に戻り、但馬県民局局長などを経て2018年5月からは加東市副市長を務めた。 2022年1月11日、同年4月24日投開票の加東市長選挙への立候補を表明。市長選では自由民主党・公明党と連合兵庫の推薦を受けた岩根が新人4人の争いを制し、初当選した。 2026年4月26日投開票の市長選でも自民党と公明党の県組織から推薦を受け、再選。
安田 正義(やすだ まさよし、1954年〈昭和29年〉10月… 安田 正義(やすだ まさよし、1954年〈昭和29年〉10月26日 - )は、日本の政治家。元兵庫県加東市長(3期)。 兵庫県加東市出身。1973年(昭和48年)3月、兵庫県立社高等学校卒業。同年4月、社町役場職員に採用される。生活環境課長などを務めた。旧加東郡の3町が合併して加東市が発足した後は助役となり、翌年から副市長。 初代市長を務めた山本廣一が2010年(平成22年)の市長選出馬を見送ったことから立候補、元市議の候補者を破って当選。2014年(平成26年)の市長選では対立候補が無く、無投票当選した。2018年(平成30年)、自民党・公明党の推薦を受けて市長選に立候補し3選。 2022年に行われた市長選には出馬せず、2022年4月29日に退任。
芥田 武夫(あくた たけお、1903年10月20日 - 19… 芥田 武夫(あくた たけお、1903年10月20日 - 1987年9月5日)は、日本のアマチュア野球選手・プロ野球監督・プロ野球球団経営者、スポーツ記者、野球解説者。兵庫県加東市出身(姫路市野里町とする資料もあり)。旧姓:氷室(ひむろ)。 兵庫県立姫路中学校卒業後、1922年に早稲田大学へ入学。早大野球部では飛田忠順監督の「精神野球」に鍛練され、外野手として活躍。1925年秋季には東京六大学リーグ最初の首位打者を獲得した(当時は「氷室武夫」)。1926年には主将を務めた。大学時代の通算成績は65試合出場、240打数63安打、打率.263、2本塁打(六大学リーグ以前も含む)。卒業後、満洲国へ渡り南満洲鉄道に入社し満洲倶楽部(大連市)の選手として活動。
三木 翠山(みき すいざん、明治16年〈1883年〉7月20… 三木 翠山(みき すいざん、明治16年〈1883年〉7月20日 - 昭和32年〈1957年〉3月25日)は、大正時代から昭和時代にかけての京都の日本画家、版画家。 竹内栖鳳の門人。本名三木斎一郎。兵庫県社町(現加東市)で、服部寿七と母やすの4男として生まれる。幼少より絵を好み、紺屋を営んでいた三木利兵衛(号南石)から画を習う。明治33年(1900年)前後に竹内栖鳳に師事し、竹杖会において日本画の研鑽を積む。なお、翠山の紹介で栖鳳に入門した森月城は従弟にあたる。明治35年(1902年)利兵衛の養嗣子だった又蔵の養子となり、同時に同家のじんと結婚する。大正2年(1913年)第七回文展に「朝顔」を出品して初入選。
小口 みち子(おぐち みちこ、1883年2月8日 - 196… 小口 みち子(おぐち みちこ、1883年2月8日 - 1962年7月27日)は、日本の美容家、婦人運動家、小説家。出生名は寺本みち子(てらもと みちこ)、号は美留藻(みるも)。兵庫県出身。 1883年(明治16年)2月8日、兵庫県加東郡社村(加東市)出身。教育者の寺本武・ぬいの長女。旧姓は寺本。号は美留藻(みるも)。小学校卒業後、独学で教員検定試験に合格し、郷里で2年間、神戸市立神戸小学校で3年間、上京後も2年間、小学校正教員の教職に就いた。 同じ時期、平民社の社会主義婦人講演会に出席し「生まれて初めてわが魂をゆさぶる内容」に感銘し、社会主義そのものよりも女性解放に魅せられて平民社に出入りする。
高瀬 藤次郎(髙瀨、たかせ とうじろう、1838年8月28日… 高瀬 藤次郎(髙瀨、たかせ とうじろう、1838年8月28日(天保9年7月9日) - 1913年(大正2年)1月6日)は、明治時代の政治家、実業家。新聞経営者。衆議院議員(2期)。 播磨国加東郡、のちの兵庫県加東郡永富村(上福田村、社町を経て現加東市)の大庄屋の家に生まれる。1872年(明治5年)永富村戸長に就任し、学区取締などを経て、1879年(明治12年)兵庫県会議員に当選。1887年(明治20年)まで務めた。この間、1884年(明治17年)同志と共に五州社を設立し、神戸又新日報を発刊。のち神戸相生町に神戸日報社を設立し愛国新聞を発刊した。ほか、加東郡社村長を務め、神戸法律学校や山陽鉄道の設立にも関与した。