小澤 敦彦(おざわ あつひこ、1956年〈昭和31年〉7月1… 小澤 敦彦(おざわ あつひこ、1956年〈昭和31年〉7月14日 - )は、日本の政治家、元地方公務員。鳥取県西伯郡伯耆町長(2期)。 鳥取県西伯郡伯耆町(旧岸本町)出身。 2021年(令和3年)4月、森安町長の退任に伴う伯耆町長選挙に無所属で立候補。ほかに立候補の届け出がなかったため、無投票で初当選を果たした(同年4月25日就任)。 2025年(令和7年)4月8日告示の町長選挙においても、現職の小澤氏のほかに立候補がなく、2回連続での無投票再選(2期目)を果たした。
三谷 秀治(みたに ひでじ、1915年8月5日 - 1999… 三谷 秀治(みたに ひでじ、1915年8月5日 - 1999年10月20日)は、日本の政治家。元日本共産党衆議院議員。 鳥取県日野郡溝口町(現・西伯郡伯耆町)出身。小学校を卒業後、戦前より日本プロレタリア作家同盟に属し労働運動などに参加。1951年に大阪市生野区から大阪府議会議員に立候補し当選した。府議を5期務め1972年の衆院選で旧大阪4区から出馬し初当選を果たす。当選4回。議員在任中は共産党議員団部落対策委員長などを歴任した。1983年の衆院選には出馬せず引退し、地盤を経塚幸夫に譲る。 1999年10月20日、呼吸不全のため奈良県生駒市の自宅で死去。84歳。
矢田貝 顕造(やたがい けんぞう、1905年〈明治38年〉1… 矢田貝 顕造(やたがい けんぞう、1905年〈明治38年〉11月13日 - 1992年〈平成4年〉)は、日本の政治家。鳥取県西伯郡岸本町長。矢田貝家4代目。 鳥取県西伯郡大幡村大字上細見(のち西伯郡岸本町大字上細見、現・西伯郡伯耆町大字上細見)出身。矢田貝猶治の長男。1926年、松江高等学校文科乙類卒業。京都帝国大学法科に入学、1年在学し、中退する。 農業を営む。1967年に岸本町長に就任し、1976年に退任する。岸本町議会議員・同議長、教育委員会委員長、民生委員会会長、西部議長会会長などをつとめる。1985年に5代目淑朗の住む東京に転居する。 趣味は旅行、読書。座右の銘は、「禁酒禁煙」。処世観は、「誠実、断行、冷静、公平」。
矢田貝 猶治(やたがい ゆうじ、1880年〈明治13年〉 -… 矢田貝 猶治(やたがい ゆうじ、1880年〈明治13年〉 - 1921年〈大正10年〉)は、日本の会社役員、政治家、醸造家、素封家、鳥取県の大地主。矢田貝家3代目。中国貯蓄銀行取締役。米子信託監査役。鳥取県西伯郡会議員。大幡村会議員。大幡信用購買組合監事。 鳥取県会見郡大幡村大字上細見(のち西伯郡岸本町大字上細見、現・西伯郡伯耆町大字上細見)出身。酒、醤油醸造業を営む。連合国傷病兵罹災者慰問会寄付者である。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
木下 義之(きのした よしゆき、1866年9月24日〈慶応2… 木下 義之(きのした よしゆき、1866年9月24日〈慶応2年8月16日〉 - 1923年〈大正12年〉6月9日)は、日本の政治家、衆議院議員(鳥取市選出、当選1回)、地主。旧姓は足羽。族籍は鳥取県士族。 伯耆国日野郡二部村(のち鳥取県日野郡溝口町二部、現・伯耆町)出身。士族・足羽純亭の六男。1889年、木下家に養子入りする。鳥取市会議員、同議長、鳥取県会議員、同参事会員、鳥取県農工銀行取締役となる。 鳥取電燈創立の際に監査役となり、のちに取締役となる。 1908年の第10回衆議院議員総選挙において鳥取市選挙区から立憲政友会公認で立候補して当選した。1912年の第11回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。
野坂 金治郎(のさか きんじろう、1859年1月24日〈安政… 野坂 金治郎(のさか きんじろう、1859年1月24日〈安政5年12月21日〉 - 1937年〈昭和12年〉2月2日)は、日本の醸造家、政治家。鳥取県会議員。鳥取県日野郡会議員。日野家畜、根雨銀行各取締役。中国貯蓄銀行監査役。日野酒造組合副組長。野坂家第9代。 伯耆国日野郡溝口宿(のち鳥取県日野郡溝口町、現伯耆町)出身。酒造業を営む。銘酒「玉の井」を醸造する。住所は日野郡溝口村大字溝口宿。 野坂家は天保年間から明治初年にかけて口日野郡の大庄屋、続いて区長・戸長などをつとめた。野坂金治郎の嗣子は野坂誠之。遺族は日野郡溝口町溝口の野坂和子。「野坂和子氏所蔵文書」は、大庄屋文書は藩からの到来書及び御用留、郡村役人同志との往復文書、構内各村からの嘆願書類がその主な内容である。
野坂 清一郎(のさか せいいちろう、旧字体: 野坂 淸一郞、… 野坂 清一郎(のさか せいいちろう、旧字体: 野坂 淸一郞、1847年5月4日〈弘化4年3月20日〉 - 1916年〈大正5年〉10月10日)は、日本の政治家、地主。鳥取県会議員。鳥取県西伯郡大幡村長。族籍は鳥取県平民。 鳥取県西伯郡大幡村(のち岸本町、現・伯耆町)出身。弥十郎の長子。1872年に第九十六区副戸長に任ぜられる。1874年、岸本、吉長両村戸長。1875年、押口村戸長兼務。 吉定学校保護人、旧会見郡吉定村、上細見村、立岩村、岸本村、押口村、吉長村戸長、同郡上細見、立岩、吉定、岸本、吉長、押口の6村戸長再任、同郡第四番学区学務委員、同郡十七連合戸長、同郡第三四番学区学務委員。 1889年、町村制実施に付八幡村、古豊千村、王子村の主担命ぜられ、村政施設事務取扱、同年大幡村会議員、同年大幡村長。