櫛部 静二(くしべ せいじ、1971年11月11日 - )は… 櫛部 静二(くしべ せいじ、1971年11月11日 - )は、日本の陸上競技選手で運動生理学者。城西大学経営学部教授、城西大学男子駅伝部監督。1時間走の日本記録保持者。山口県宇部市生まれ。宇部鴻城高等学校・早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業、日本体育大学大学院修了。 宇部鴻城高等学校3年時の1989年、インターハイ3000メートル障害において、8分54秒27の大会新で優勝。同年スーパー陸上で8分44秒77の高校記録樹立(三浦龍司が更新するまで30年間保持)。 1990年、早稲田大学人間科学部に入学し、同期の武井隆次、花田勝彦らと共に早大三羽烏と呼ばれた。同大学競走部在籍1年目の1991年から箱根駅伝2区走者として抜擢される。
紀藤 正樹(きとう まさき、1960年〈昭和35年〉11月2… 紀藤 正樹(きとう まさき、1960年〈昭和35年〉11月21日 - )は、日本の弁護士、憲法学者。第二東京弁護士会に所属している。山口県宇部市出身。2001年9月にリンク総合法律事務所を開設した。主に消費者問題と旧統一教会(世界平和統一家庭連合)による霊感商法などのカルト宗教問題を専門とする。 実家は宇部の名家・紀藤家。生家の近所には林芳正の母親の実家がある。第3代・6代の宇部市長をつとめた紀藤閑之介の子孫筋にあたり、紀藤閑之介の叔父で、宇部村長、宇部銀行初代頭取、宇部共同義会会長等を務めた紀藤織文の孫にあたるのが弁護士の紀藤正樹である。母親は茶道教授をしている。なお大手総合化学メーカーであるUBEの旧社名・宇部興産にあった「興産」には、「地域社会に有用な産業を次々に興す」という意味が込められており、当時宇部共同義会の長老であった紀藤閑之介の案を俵田明(林芳正の曽祖父)が採用したものである。
ソルボンヌK子(ソルボンヌケイこ、1957年 - )は、日本… ソルボンヌK子(ソルボンヌケイこ、1957年 - )は、日本の漫画家、元大学講師。 山口県宇部市出身。ペンネームとして旧姓の鹿野景子を用いることもある。本名、唐沢景子。元夫は著述家の唐沢俊一。 高校卒業後、上京し庄司陽子のアシスタントとなる。講談社の少女漫画で司みい名義でデビュー、レディースコミックやホラー漫画を多く手がける。1976年にクモ膜下出血で倒れ、翌年には外科手術にともなう輸血がもとで血清肝炎を患っている。退院後、闘病生活をもとにした作品を多数発表し、その中の一編を読んだ唐沢俊一から文通をへて結婚。夫である俊一と共著も多く、俊一の本の挿絵や漫画の多くはK子の手による物も少なくない。貸本ホラー漫画は夫婦共通の趣味であり、旧作の復刻も行っている(唐沢俊一のK子の項も参照)。
佐藤 典司(さとう のりじ、1955年- )は、日本の経営学… 佐藤 典司(さとう のりじ、1955年- )は、日本の経営学者、立命館大学教授。 山口県宇部市生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒。1980年電通入社の後、ソフト化経済センター出向などを経て、1998年電通を退社し立命館大学経営学部教授。デザインマネジメントおよび、近年は情報・知識価値マネジメントを中心に研究。
浅野 茂隆(あさの しげたか、1943年2月7日 - 202… 浅野 茂隆(あさの しげたか、1943年2月7日 - 2020年8月12日)は、日本の医学者。東京大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。血液内科、遺伝子治療研究の第一人者。医学博士(東京大学、1978年)。 宇部興産(現:UBE)初代社長であった俵田明は母方の祖父。宇部興産専務取締役・富士車輌社長であった浅野正敏は父。宇部興産専務執行役員であった浅野正之は兄。山口県宇部市出身。叙従四位。
国広 哲弥(くにひろ てつや、1929年7月23日 - 20… 国広 哲弥(くにひろ てつや、1929年7月23日 - 2022年2月6日)は、日本の言語学者、東京大学名誉教授、神奈川大学名誉教授。 1929年、山口県宇部市生まれ。旧制宇部中学校を卒業し、1947年に旧制山口高校文科甲類に入学。1950年、東京大学文学部言語学科に進んで1954年に卒業。 卒業後は、山口県立萩高等学校の英語教員となった。1959年10月、島根大学文理学部英語英文学科の講師となり、英語学を講じた。1964年、助教授に昇進。1967年、茨城大学教育学部助教授に就任。さらに翌1968年、母校の東京大学文学部言語学科助教授となった。1974年から1975年まで、フルブライト上級研究員としてコーネル大学日本語学科に滞在。
粟屋 和彦(あわや かずひこ、1922年9月15日 - 19… 粟屋 和彦(あわや かずひこ、1922年9月15日 - 1995年5月11日)は、日本の教育者、医学者。山口大学第7代目学長。医学博士(1956年、京都大学にて取得)。 山口県宇部市出身。1943年、九州帝国大学附属医学専門部卒業。1955年、山口県立医科大学(現:山口大学医学部)解剖学教室にて「核酸と形質細胞反應」(共著)を著す。1956年、京都大学にて「卵アルブミン刺戟に対するリンパ系の反応様式:特にリンパ球造血における二次小節の役割について」で医学博士となる。1965年より山口大学医学部教授、1977年から1981年まで医学部長。1984年同大学第7代目学長に就任(1990年まで)。1990年より宇部短期大学学長。
桜井 光堂(さくらい こうどう、1915年11月23日 - … 桜井 光堂(さくらい こうどう、1915年11月23日 - 没年不明)は、日本の国際法学者、駒澤大学名誉教授。 山口県宇部市生まれ。旧制松江高等学校を経て1941年東京帝国大学文学部国文科卒、同大学院に進む。1942年同法学部政治学科に入学し1944年卒業、1946年東北大学法学博士。 1953年九州大学助手、1955年北九州大学商学部助教授、1958年麗澤短期大学助教授、1961年国士舘大学政経学部助教授、1964年教授、1966年駒澤大学法学部教授、1992年定年退職。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
道重 信教(みちしげ しんきょう、1856年4月8日(安政3… 道重 信教(みちしげ しんきょう、1856年4月8日(安政3年3月4日) - 1934年(昭和9年)1月29日)は、日本の仏教学者・浄土宗僧侶。浄土宗学本校(佛教大学の前身)教授や大本山増上寺法主などを歴任した。 安政3年(1856年)3月4日、長門国厚狭郡宇部村(現在の山口県宇部市)の農家、道重十次郎の五男として生まれる。 1879年に京都知恩院内の浄土宗大教校に入学。1885年に宇部松月庵の住職となる。 1896年に上京して浄土宗学本校教授となる傍ら、曹洞宗大学、早稲田大学、慶應義塾大学、東京女子高等師範学校などで仏教学を講じた。 1900年、増上寺山内に仏学院を創設して仏教を講じ、徳富蘇峰・寺内正毅らもその門を叩いた。
新家 増美(しんや ますみ)は、中華人民共和国在住の日本人学… 新家 増美(しんや ますみ)は、中華人民共和国在住の日本人学者。中国国内の住宅保障、災害リスク管理ソーシャルワーク研究者の第一世代。山口県宇部市生まれ。 1980年のシンガポール国立大学への文部省海外派遣留学生時代にアジアの住宅保障研究を志す。1985年、住宅制度変革期に中国政府国費留学生として清華大学建築系において張守儀教授に師事し、中国の住宅保障研究を行う。1988年には高級進修生として同済大学建築学院の李徳華教授のもとで住宅制度改革の実地調査を行い、アジア経済研究叢書等に執筆。帰国後、早川和男教授(居住福祉)、小島麗逸教授(中国経済)の指導で、中国の住宅保障研究についての博士論文をまとめる。