熊本 史雄(くまもと ふみお、1970年- )は、日本の歴史… 熊本 史雄(くまもと ふみお、1970年- )は、日本の歴史学者、駒澤大学教授。専門は日本近代史、政治外交史。樫山純三賞、司馬遼太郎賞、大佛次郎論壇賞。 山口県山口市生まれ。山口県立山口高等学校卒、1993年筑波大学第二学群日本語・日本文化学類卒業。1995年同大学院博士課程中退。2012年「大戦間期の外務省と対中文化外交」で博士(文学)。1995年外務省外交史料館外務事務官、2004年駒澤大学文学部専任講師、2008年准教授、2014年教授。2025年『外務官僚たちの大東亜共栄圏』で第20回 樫山純三賞、第29回 司馬遼太郎賞、第25回 大佛次郎論壇賞を受賞。 3人兄弟の長男で兄弟全員が大学教授を務める研究職家系で、長弟の方雄は一橋大学経営管理研究科、末弟の尚雄は獨協大学経済学部に所属し、弟2人は共に国際金融を専攻する経済学者である。
青木 由行(あおき よしゆき、1962年〈昭和37年〉12月… 青木 由行(あおき よしゆき、1962年〈昭和37年〉12月9日 - )は、日本の建設・国土交通官僚。 山口県山口市生まれ。灘高等学校を経て、1986年3月に東京大学法学部を卒業。国家公務員採用Ⅰ種試験(法律)に合格して、1986年4月に建設省に入省。
藤井 泰(ふじい やすし、1954年1月28日 - )は、日… 藤井 泰(ふじい やすし、1954年1月28日 - )は、日本の教育学者。松山大学経営学部教授。博士(教育学)(1993年、広島大学にて)取得。 山口県山口市生まれ。1976年山口大学教育学部中学校教員養成課程英語専攻卒業、1978年-1979年ロンドン大学に学ぶ。1980年広島大学大学院教育学研究科比較教育制度学博士課程中退、1993年「イギリス中等教育制度史研究 -三類型別中等教育の系譜」で広島大学にて博士(教育学)。1981年松山商科大学講師、1985年同大学助教、1986年-1987年バーミンガム大学客員研究員を経て、1992年松山大学経営学部教授に就任。
杉本 昭七(すぎもと しょうしち、1932年10月8日 -2… 杉本 昭七(すぎもと しょうしち、1932年10月8日 -2022年2月11日 )は、日本の経済学者、京都大学名誉教授。 山口市出身。1961年京都大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、79年「現代帝国主義の基本構造」で経済学博士。京都大学経済研究所助教授、教授、88-90年所長を務める。95年定年退官、名誉教授、阪南大学教授。門下に有賀敏之がいる。
平田 義正(ひらた よしまさ、1915年5月30日 - 20… 平田 義正(ひらた よしまさ、1915年5月30日 - 2000年3月5日)は、日本の天然物化学者。名古屋大学名誉教授。 1915年、山口県山口市生まれ。山口高等学校理科甲類を卒業し、1938年に東京帝国大学理学部化学科に入学。1941年に卒業した。卒業研究および同大学大学院においては、有機化学の久保田勉之助教授(ポール・サバティエ門下)の下で黄変米の有毒成分を研究した。 1943年より、母校である東京帝国大学助手になる。1944年1月、名古屋帝国大学に理学部講師として着任し、6月には助教授に就任。太平洋戦争中の戦時下では、研究室疎開先の長野県上田市で江上不二夫の指導の下、乏しい物資の中で研究に当たった。
木村陽二郎(きむら ようじろう、1912年7月31日 - 2… 木村陽二郎(きむら ようじろう、1912年7月31日 - 2006年4月3日)は、日本の植物学者・科学史家。東京大学名誉教授。 1912年、山口県山口市生まれ。旧制長崎中学、旧制山口高校を経て、東京帝国大学理学部に進んだ。大学では中井猛之進に師事。卒業後の1938年、東京帝国大学副手に着任。1939年、同大学助手に昇進。1944年、学位論文『おとぎりそう科ノ研究』を提出して理学博士号を取得。 太平洋戦争後の1949年より、東京大学教養学部生物学科助教授。1960年に同教授に昇進。1973年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は中央大学教授として教鞭をとった。学界では、日本植物分類学会の創設に尽力し、1977年から1980年まで会長を務めた。
日野原 重明(ひのはら しげあき、1911年〈明治44年〉1… 日野原 重明(ひのはら しげあき、1911年〈明治44年〉10月4日 - 2017年〈平成29年〉7月18日)は、日本の医師、医学者。位階は従三位。学位は医学博士(京都帝国大学)。聖路加国際病院名誉院長、上智大学日本グリーフケア研究所名誉所長、公益財団法人笹川記念保健協力財団名誉会長。 京都帝国大学医学部副手、大日本帝国海軍軍医少尉などを経て、聖路加看護大学学長、聖路加国際病院院長、国際基督教大学教授、一般財団法人聖路加国際メディカルセンター理事長、一般財団法人ライフ・プランニング・センター理事長、公益財団法人聖ルカ・ライフサイエンス研究所理事長、英知大学客員教授などを歴任した。 京都帝国大学医学部第三内科副手、大日本帝国海軍軍医少尉等を経て、聖路加看護大学学長、聖路加国際病院院長、国際基督教大学教授、自治医科大学客員教授、ハーバード大学客員教授、国際内科学会会長、一般財団法人聖路加国際メディカルセンター理事長等を歴任した。
村田 四郎(むらた しろう、1887年9月2日 - 1971… 村田 四郎(むらた しろう、1887年9月2日 - 1971年2月7日)は、日本の神学者、牧師、明治学院5代目院長。 村田沰冶の四男として山口県吉敷郡山口に生まれた。1911年6月明治学院神学部を卒業した。その後1912年9月に渡米してオーバン神学校(英語版)で学んだ。1916年に帰国し、大阪同志館神学校教授に就任した。1918年に母校の明治学院に来任し、翌年中学部長となる。しかし、1920年に起きた中学部同盟休校事件の責任をとり部長を辞任し、朝鮮の大邱教会牧師となった。 1925年に明治学院に戻り、神学部で基督教史を担当した。1930年の明治学院神学部廃止後日本神学校教授となり、1933年に同校校長となる。
大村 益次郎(おおむら ますじろう、 文政8年5月3日〈18… 大村 益次郎(おおむら ますじろう、 文政8年5月3日〈1825年6月18日〉 - 明治2年11月5日〈1869年12月7日〉)は、幕末期の日本の官僚・洋学者。維新の十傑の一人。旧姓は村田(むらた)、幼名は宗太郎、通称は蔵六(ぞうろく)、良庵(または亮庵)、のちに益次郎(ますじろう)。雅号は良庵・良安・亮安。諱は永敏(ながとし)。位階は贈従二位。家紋は丸に桔梗。 戊辰戦争では東征大総督府補佐として勝利への立役者となった。太政官制において兵部省初代大輔(次官・長官の卿は皇族が就いたため、事実上の最高責任者)を務め、日本陸軍の創始者、陸軍建設の祖とされる。兵部省は陸軍省・海軍省の前身であり、教え子からは伊藤雋吉ら海軍の重鎮も輩出しており、近代日本軍全体に対する創業の功績も大きい。
富永 有隣(とみなが ゆうりん、文政4年5月14日(1821… 富永 有隣(とみなが ゆうりん、文政4年5月14日(1821年6月13日) - 明治33年(1900年)12月20日)は、江戸時代末期(幕末)の長州藩士・儒学者。諱は徳、後に悳彦。通称は弥兵衛。有隣は字で、『論語』の「徳は孤ならず必ず隣あり」から命名したとされる。 文政4年(1821年)、周防国吉敷郡陶村(現在の山口県山口市)にて誕生。 幼少の頃に天然痘にかかり右目を失明する。9歳で長州藩藩校・明倫館に入り、13歳で藩世子(藩主嫡男)に『大学』を講じた。成人後、小姓を務めるが、他人と打ち解けなかったために、同僚・親族らに憎まれ、嘉永5年(1852年)に冤罪で見島に流され、嘉永6年(1853年)には萩野山獄に移された。