内藤 佐和子(ないとう さわこ、1984年〈昭和59年〉3月… 内藤 佐和子(ないとう さわこ、1984年〈昭和59年〉3月28日 - )は、日本の政治家、会社役員。徳島市長(1期)。徳島県初の女性首長であり、2023年10月までは、日本で最年少の女性市長であった。 徳島県徳島市出身。生光学園幼稚園、徳島市立応神小学校、徳島文理中学校・高等学校を卒業。2003年(平成15年)東京大学文科三類に入学したが、文科一類を受験し直して再入学し、2010年(平成22年)法学部第3類(政治コース)卒業。東大に在学中の20歳の時、神経を覆う髄鞘が壊れて剥き出しになる難病(特定疾患)多発性硬化症にかかった。 2005年、家業の機械製造会社、株式会社応神鉄工の取締役に就任。 2009年、東京で暮らす徳島県出身の学生らと「徳島活性化委員会」を結成し、代表に就いた。
RYOJI.M(リョウジ・エム、本名:前林 良治、1977年… RYOJI.M(リョウジ・エム、本名:前林 良治、1977年(昭和52年)8月24日 - )は、日本の音楽プロデューサー・ソングライター・実業家。徳島県徳島市出身。 徳島県徳島市出身。鳴門教育大学附属小学校・鳴門教育大学附属中学校・徳島県立城東高等学校を卒業。福井県立大学・東京水産大学を中退。東京水産大学を中退後、2002年に世界で初めて畜養(養殖)クロマグロの中国からの輸出に成功。その後、2004年のNHKアイテックの外注社員時にはB-SAT海外プロデューサーに就任。 2006年、香港の音楽プロデューサーであるMARK LUIと香港日本POPS輸出入提携協定の契約締結に成功。同年11月には韓雪、S.H.E、周華健、中孝介、元ちとせ、w-inds.等を中心に開催された「中華年記念音楽祭」のアテンダントオフィサーの代表に就任。
猪子 寿之(いのこ としゆき、1977年4月15日 - )は… 猪子 寿之(いのこ としゆき、1977年4月15日 - )は、日本の実業家。アーティスト集団チームラボ代表。四国大学特任教授。徳島県徳島市出身。東京大学工学部計数工学科卒業。大阪芸術大学アートサイエンス学科客員教授。 1996年3月に徳島県立城東高等学校卒業後、東京大学教養学部理科1類に入学。教養学部時代に1年間、アメリカに留学。 帰国後、工学部応用物理・計数工学科に進学。計数工学科の同級生と共同でチームラボを立ち上げる。2001年3月、東京大学工学部応用物理・計数工学科卒業。チームラボを会社組織とし、代表取締役に就任。 2016年4月、四国大学特任教授に就任。2017年、第67回芸術選奨新人賞受賞。
住友 真世(すみとも まよ、1965年10月26日 - )は… 住友 真世(すみとも まよ、1965年10月26日 - )は、日本のフリーアナウンサー、会社経営者。かつては共同テレビジョンに所属していた。 徳島県出身。国立音楽大学声楽科卒業。 1988年4月に福島テレビに入社し、同局のアナウンサーになる。在籍中、同局夕方のニュース番組と東北地方ブロックネットのニュース番組を主に担当していた。 1993年7月に福島テレビを退社。フリーに転向し、全国ネットの地上波テレビ番組でレギュラーを持つ。また退社直後には、慶應義塾大学法学部の社会人向け講座で法律を学んでいた。 1990年代後期からは、NHK衛星第1テレビで放送のニュース番組を中心に活動していた。この時期、福島女子短期大学の生活教養科と秘書科の客員講師も務めていた。
平井 康文(ひらい やすふみ、1960年11月17日 - )… 平井 康文(ひらい やすふみ、1960年11月17日 - )は、日本の実業家。シスコシステムズ社長を経て、楽天グループ副社長・最高情報責任者、楽天コミュニケーションズ会長兼CEO、楽天モバイル副会長。 徳島県徳島市生まれ。愛媛県立松山東高等学校を経て、1983年九州大学理学部数学科卒業、日本アイ・ビー・エム入社、四国営業所配属、徳島駐在。日本アイ・ビー・エム経営企画部門を経て、1995年IBMに出向。1997年日本アイ・ビー・エム社長補佐。1998年日本アイ・ビー・エムNTT営業統括部長。2001年日本アイ・ビー・エム理事ソフトウエア事業部長。2002年IBMソフトウエアグループヴァイスプレジデント。
宮本 雅史(みやもと まさふみ、1957年3月18日 - )… 宮本 雅史(みやもと まさふみ、1957年3月18日 - )は、日本の実業家・投資家。スマートコミュニティ代表取締役会長。かつて株式会社スクウェア(現スクウェア・エニックス・ホールディングス)初代社長として『ファイナルファンタジー』を世に出した。また、徳島市のサンピアゴルフクラブの運営会社の代表も務める。 徳島県徳島市生まれ。灘中学校・高等学校を経て、早稲田大学卒業。早大在学中にコンピュータの時間貸しビジネスを始めた。実家に戻ってから、父が経営する電気工事会社・電友社のソフトウェア制作部門を横浜市に開設し、自ら統括していたが1986年9月、電友社からソフト部門を買い取る形でスクウェアを設立。1987年12月、『ファイナルファンタジーシリーズ』の第1作『ファイナルファンタジー』を任天堂ファミリーコンピュータ用に発売。
橋本 圭一郎(はしもと けいいちろう、1951年(昭和26年… 橋本 圭一郎(はしもと けいいちろう、1951年(昭和26年)10月20日 - )は、日本の経営者。インフロニア・ホールディングス株式会社取締役会議長。元首都高速道路株式会社代表取締役会長兼社長兼最高経営責任者兼最高執行責任者、元経済同友会副代表幹事。 徳島県出身。一橋大学商学部卒業後、三菱銀行入行。国際畑を歩み在外勤務が長く、ニューヨーク支店長代理やドイツ三菱頭取、フランクフルト支店長等を歴任。 東京三菱銀行国際業務部長を経て、三菱リコール隠しなどの影響で経営難に陥っていた三菱自動車工業の副社長に就任し同社再建にあたる。 その後フィッチ・レーティングスの日本法人最高経営責任者を経て、2010年に首都高速道路の会長兼社長兼最高経営責任者兼最高執行責任者に就任。
犬伏 泰夫(いぬぶし やすお、1944年2月10日 - )は… 犬伏 泰夫(いぬぶし やすお、1944年2月10日 - )は、日本の実業家。元神戸製鋼社長。 徳島県徳島市出身。城南高校を経て、1967年3月に大阪大学経済学部を卒業、同年に神戸製鋼入社。 鉄鋼輸出部、海外事業企画部長、営業総括部長など神戸製鋼の中核である鉄鋼事業の本流を歩み、ニューヨーク事務所など北米で8年間勤務するなど国際経験も豊富なことからUSスチールとの合弁事業、プロテックの設立に力を発揮。阪神・淡路大震災では営業総括部長として倒壊した製鉄所の状況把握、顧客対応に奔走した。2004年より2009年まで神戸製鋼社長。鋼材・アルミ価格上昇、建機需要増大などにより業績回復を果たすが、2006年に加古川製鉄所におけるばい煙データ改ざん事件が発生するなど、コンプライアンス面の問題点も浮き彫りとなった。
佐川 眞人(さがわ まさと、1943年8月3日 - )は、日… 佐川 眞人(さがわ まさと、1943年8月3日 - )は、日本の研究者・実業家。ネオジム磁石の発明者として知られている。NDFEB株式会社代表取締役社長。インターメタリックス株式会社初代代表取締役社長。大同特殊鋼顧問。東北大学特別招聘プロフェッサー。大同大学特別客員教授。名城大学特任教授。眞は真の旧字であるため「佐川真人」と書かれることもある。 徳島県徳島市出身。 尼崎市立尼崎高等学校を経て、1966年神戸大学工学部電気工学科卒業、1968年神戸大学大学院修了、電気工学の分野で修士の学位、1972年東北大学大学院にて金属材料工学を研究し工学博士の学位を取得。博士論文が『金属表面皮膜のエピタクシャル歪に関する研究 』であるように、もともとは磁石を研究していたわけではなかったが、1972年富士通に入社し磁性材料の研究を命じられる。
丁子 惇(ちょうし あつし、1934年8月11日 -2026… 丁子 惇(ちょうし あつし、1934年8月11日 -2026年2月18日 )は、日本の経営者。東京書籍社長、会長を務めた。徳島県徳島市出身。 1957年に東北大学理学部生物学科を卒業し、同年4月に東京書籍に入社。1984年に取締役に就任し、1988年に常務、1990年に専務、1991年に副社長を経て、1992年12月に社長に就任。2000年10月に会長に就任し、2004年から取締役相談役を務めた。 2007年4月に旭日中綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
浅野 康介(あさの こうすけ、1923年10月11日 - 1… 浅野 康介(あさの こうすけ、1923年10月11日 - 1987年3月4日)は、日本の経営者。徳島県徳島市出身。 1947年に東京工業大学工学部機械工学科を卒業し、同年に日本軽金属に入社。1974年に取締役に就任し、1978年に常務、1980年6月に専務を経て、1982年6月に副社長に就任し、1983年11月には社長に昇格。 1987年3月4日脳出血のために死去。63歳没。
工藤 昭四郎(くどう しょうしろう、1894年7月30日 -… 工藤 昭四郎(くどう しょうしろう、1894年7月30日 - 1977年10月13日)は、日本の官僚、実業家。日本興業銀行大阪支店長、大蔵省物価部長、復興金融金庫理事長、東京都民銀行頭取、経済同友会代表幹事などをつとめた。従三位勲一等瑞宝章。 1894年 徳島県 徳島市に生まれる。旧制徳島中学校、 第六高等学校を経て1921年に東京帝国大学法学部卒業。卒業後、日本興業銀行に入行、参事、調査部長、融資第四部長と昇進し、終戦時は大阪支店長であった。 1945年 大蔵省物価部長に転じ、翌年2月16日から相次いで実施された預金封鎖、財産税徴収、国家補償の全面打ち切り、米の強制供出、隠退蔵物資の強制買い上げ、失業対策など一連の非常措置の実施を主となって行い、成果を上げた。
岡部 楠男(おかべ くすお、1894年 <明治27年> 3月… 岡部 楠男(おかべ くすお、1894年 <明治27年> 3月27日 - 1972年 <昭和47年> 12月3日)は、日本の経営者。日本鉱業社長を務めた。位階は正五位。 徳島県徳島市出身。1918年に東京帝国大学採掘学科を卒業し、久原鉱業に入社。1939年5月に日本鉱業に転じ、1945年5月に取締役に就任し、1947年4月から1957年11月までに社長を務めた。 1960年に藍綬褒章を受章し、1965年11月に勲三等瑞宝章を受章した。 1972年12月3日、肺化膿症で死去した。78歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
原 安三郎(はら やすさぶろう、1884年(明治17年)3月… 原 安三郎(はら やすさぶろう、1884年(明治17年)3月10日 - 1982年(昭和57年)10月21日)は日本の実業家。日本化薬会長、東洋火災海上保険株式会社(現・セコム損害保険)初代会長、日本化学工業協会会長、政府税制調査会会長などを歴任し、日本財界の重鎮として活躍した。徳島県徳島市生まれ。生家は江戸時代、蜂須賀家の家臣。徳島市名誉市民。娘婿は、坂野常和(元大蔵省証券局長、元日本化薬会長)。 1950年(昭和25年)、電波監理委員会はラジオ民間放送への門戸開放に際し、東京の新設放送局は二局に限ることを決定した。しかし既に民間放送開始に向けて新聞会社を母体とする朝日放送(朝日新聞系)、ラジオ日本(毎日新聞系)、読売放送(読売新聞系)、東京放送(電通系)が準備を進めており、どの新聞社系の会社が免許を取得しても軋轢が生じることが不可避となった。