孫 泰藏(そん たいぞう、韓国名:손태장、1972年9月29… 孫 泰藏(そん たいぞう、韓国名:손태장、1972年9月29日 - )は、日本の実業家、投資家。 2015年現在、A hub for startup ecosystemを標榜するMistletoe株式会社の代表取締役社長。その他、ガンホー・オンライン・エンターテイメント株式会社の創業者で取締役(元代表取締役会長)、実践型インターンシップ・社会起業・起業支援を行う特定非営利活動法人エティックの理事など。東京大学経済学部卒業。兄はソフトバンクグループの創業者である孫正義。 佐賀県鳥栖市出身。全教研久留米本部で学び久留米大学附設中学校・高等学校を卒業。東京大学経済学部在学中の1996年、Yahoo! JAPANの立ち上げに参画し、コンテンツ開発の統括者としてプロジェクトに大きく貢献した。
孫 正義(そん まさよし、손정의, 1957年8月11日 -… 孫 正義(そん まさよし、손정의, 1957年8月11日 - )は、日本の実業家、資産家。ソフトバンクグループの創業者として知られ、ソフトバンクグループ株式会社代表取締役社長、ソフトバンク株式会社代表取締役会長、福岡ソフトバンクホークスのオーナーなどを務める。
橋本 康志(はしもと やすし、1956年〈昭和31年〉1月1… 橋本 康志(はしもと やすし、1956年〈昭和31年〉1月11日 - )は、日本の政治家、実業家。前佐賀県鳥栖市長(4期)。 佐賀県鳥栖市出身。鳥栖市立鳥栖中学校、佐賀県立鳥栖高等学校卒業。1979年(昭和54年)3月、早稲田大学商学部卒業。同年4月、富士通に就職。システムエンジニアとして、主に国立大学病院のシステム開発を担当する。1986年(昭和61年)3月、富士通を退職。同年4月、株式会社中央軒に入社。5月に同社の代表取締役に就任。2006年(平成18年)12月、同社を退職。 2007年(平成19年)2月18日執行。自民党・公明党の推薦を受けた現職の牟田秀敏を破り初当選。3月15日、市長就任。
古村 至朗(ふるむら じろう、1955年(昭和30年)1月1… 古村 至朗(ふるむら じろう、1955年(昭和30年)1月18日 - )は、日本の実業家、銀行家。勲等は旭日双光章。福岡中央銀行代表取締役会長。 佐賀県鳥栖市出身。長崎大学経済学部卒。 1977年に福岡銀行に入行。北九州営業部長、執行役員を歴任。2009年にふくおかフィナンシャルグループ取締役執行役員と同行取締役常務執行役員に就任する。 2012年に代表取締役副頭取となり、2014年に退任する。 2014年6月、福岡中央銀行の代表取締役専務に就任し、翌年、同じく福岡銀行出身である末松修の後任として頭取に就任し、2022年6月、会長に退く。 2025年秋の叙勲で旭日双光章を受章した。
白水 宏典(しらみず こうすけ、1940年8月28日 - )… 白水 宏典(しらみず こうすけ、1940年8月28日 - )は、日本の技術者、実業家。トヨタ自動車取締役副社長や、ダイハツ工業代表取締役会長を務めた。 佐賀県鳥栖市出身。福岡県立明善高等学校を経て、1963年九州大学工学部造船科卒業。同年トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。田原工場第2製造部長を経て、1992年湯野川孝夫らとともに取締役に昇格。1997年常務取締役。2000年専務取締役。2001年取締役副社長。 2005年からダイハツ工業代表取締役会長を務め、系列の解体や軽自動車専用ラインの整備などを進めて、軽自動車販売台数で30年以上トップの座にあったスズキを抜き業界トップとした。トヨタ自動車の意向でグループ定年の68歳を超えても続投していたが、2011年相談役技監に退いた。
片山 仁八郎(かたやま にはちろう、1916年3月31日 -… 片山 仁八郎(かたやま にはちろう、1916年3月31日 - 1997年3月14日)は、日本の経営者。三菱電機社長、会長を務めた。佐賀県鳥栖市出身。 1935年に九州帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に三菱電機に入社した。1974年に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1980年から社長に就任し、1985年から会長に就任し、1991年から相談役に就任した。 日本電子工業振興会会長、新世代コンピュータ技術開発機構理事長なども歴任した。 1983年にマイクロ波放電光源装置の開発により、毎日工業技術賞に授賞し、1989年に勲一等瑞宝章を受章し、1993年にドイツ一等功労十字章を受章した。 1997年3月14日膀胱癌のために死去。
中冨 正義(なかとみ まさよし、1905年10月23日 - … 中冨 正義(なかとみ まさよし、1905年10月23日 - 2011年11月23日)は、日本の実業家。久光製薬の社長、会長を務めた。 佐賀県鳥栖市出身。中冨三郎(久光三郎)の子で、明治薬学専門学校(現・明治薬科大学)を卒業。1929年、家業である久光兄弟合名会社に入社。1951年、株式会社化と同時に父の跡を継ぎ社長に就任。 1965年に社名を現在の「久光製薬」に改称。社長として消炎鎮痛剤サロンパスを開発、販売を開始し、同社の看板商品に押し上げた。1981年から1997年まで会長を務めた。 2011年11月23日、心不全のため死去。満106歳没。 社業以外でも、ホノルルマラソンを77歳から91歳まで連続15回完走するなど、その健脚で知られた。
中冨 三郎(なかとみ さぶろう、1876年(明治9年)2月 … 中冨 三郎(なかとみ さぶろう、1876年(明治9年)2月 - 1957年(昭和32年)3月17日)は、日本の実業家。久光製薬の前身にあたる久光合名会社の創業者であり社長である。 平成31年3月28日、中冨記念くすり博物館に銅像が建立された。 基肄郡田代村(現佐賀県鳥栖市)出身。久光与市の三男として誕生した。 1903年(明治36年)12月10日、佐賀県三養基郡田代村大字田代又203番地において、兄弟(安次郎・友三・伍郎)とともに久光兄弟合名会社を設立、代表社員となった。 1905年(明治38年)、旧筑後国久留米藩士族中冨家の養子となり、中冨姓となった。和紙に薬剤を展延した膏薬づくりを研究し、1907年(明治40年)に「朝日万年膏」を改良し、ついで健胃下剤の「快復丸」、消炎鎮痛の「アスピリン丸」、感冒薬の「赤龍丸」などを開発し、朝鮮・中国・台湾などへ販路を拡大。
八坂 甚八(やさか じんぱち、1853年11月10日(嘉永6… 八坂 甚八(やさか じんぱち、1853年11月10日(嘉永6年10月10日)- 1929年(昭和4年)3月29日)は、明治から昭和初期の大地主、篤農家、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、衆議院議員、佐賀県養父郡轟木村長。 肥前国養父郡、のちの佐賀県養父郡轟村(三養基郡轟木村、鳥栖町を経て現鳥栖市)で、素封家・八坂甚兵衛の長男として生まれる。漢学を修める。1868年(明治元年3月)家督を相続した。 養父郡真木村戸長、郡組合会議員、轟木村会議員、同村長、佐賀県会議員、同参事会員、鳥栖町会議員、三養基郡会議員、所得税調査委員などを務めた。 1897年(明治30年)佐賀県多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され、同年9月29日に就任し、1904年(明治37年)9月28日の任期満了まで1期在任した。
久光 与市(ひさみつ よいち、1843年(天保14年)- 1… 久光 与市(ひさみつ よいち、1843年(天保14年)- 1913年(大正2年))は、日本の実業家・起業家。久光常英堂(久光製薬の前身)の代表者である。 肥前国基肄郡田代村(現・佐賀県鳥栖市)出身。小松屋(現・久光製薬)の創業者である久光仁平の長男として生まれる。新しい薬の開発に力を注ぎ、1869年(明治2年)に健胃清涼剤「奇神丹(きしんたん)」を発売する。日清戦争の際に出征する兵士に販売し、そのことを契機として軍用薬に指定され業績を大いに伸ばしていった。 1871年(明治4年)、仁平より家業を譲り受ける。小松屋を「久光常英堂」と改称する。1881年(明治14年)、田代村で起こった大火に巻き込まれ久光常英堂も全焼したため、養父郡轟木村大字鳥栖字三角屋(現・鳥栖市)の徳渕家に身を寄せながら行商を続けた。