山﨑 照英(やまさき しょうえい、2002年12月1日 - … 山﨑 照英(やまさき しょうえい、2002年12月1日 - )は、長崎県佐世保市出身のプロ野球選手(内野手、外野手、育成選手)。阪神タイガース所属。右投左打。 佐世保市立港小学校2年時に兄の影響でソフトボールを始め、佐世保市立崎辺中学校では軟式野球部に所属した。九州文化学園高等学校では硬式野球部に所属するも、大舞台とは縁がなかった。食物調理科在学中に調理師免許を取得し、一時は調理師専門学校への進学を検討するほどであったが、関西独立リーグ(さわかみ関西独立リーグ)・神戸三田ブレイバーズ(現・兵庫ブレイバーズ)からスカウトを受け翻意、入団を決めた。背番号は99。 2021年は29試合の出場ながらも.353の高打率をマークした。
野元 浩輝(のもと ひろき、1998年5月16日 - )は、… 野元 浩輝(のもと ひろき、1998年5月16日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 同郷の佐世保市出身の城島健司の活躍をMLB中継で見て「俺もああなりたい」と野球を始めた。中学時代は軟式野球部で捕手と投手を兼任した。 佐世保工業高校時代の2016年7月の第64回NHK杯長崎県高校野球大会では1回戦の長崎北高校戦で10奪三振を奪うも、2回戦で敗れる。同年夏の長崎県大会では、大会が始まってから体調を崩していたこともあり3回戦の長崎商高校戦で5回までに4失点して敗退。 同年のプロ野球ドラフト会議にて東北楽天ゴールデンイーグルスから7巡目で指名され、契約金2000万円、年俸500万円(金額は推定)で契約した。
中村 稔弥(なかむら としや、1996年7月8日 - )は、… 中村 稔弥(なかむら としや、1996年7月8日 - )は、長崎県佐世保市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 佐世保市立相浦西小学校1年生の頃にソフトボールを始め、3年生から硬式野球の「佐世保中央リトルリーグ」で投手としてプレーする。海星中学校時代は、硬式野球の「長崎海星リトルシニア」に所属し、2年生で日台国際野球大会(阿里山盃)に出場する。 高校は長崎県立清峰高等学校に進学。3年生の夏の第96回選手権長崎大会では、初戦の対島原工業高校戦において酒井圭一(元ヤクルトスワローズ投手)と並ぶ大会記録タイの18奪三振を記録する。続く3回戦は九州文化学園高校に2対5で敗れ、甲子園出場はならなかった。
森山 遥菜(もりやま はるな、1993年9月7日 - )は、… 森山 遥菜(もりやま はるな、1993年9月7日 - )は、長崎県佐世保市出身の女子ソフトボール選手(内野手)。日立サンディーバ所属。 9歳でソフトボールを始める。佐賀女子短期大学付属佐賀女子高等学校を卒業後、2012年にHondaに入団。2019年から2021年までキャプテンを務めた。2022年から日立サンディーバに所属。 日本リーグでは本塁打王(2017)と、一塁手でベストナインを2回(2017・2019)受賞している。2022年に開幕した新リーグ「JDリーグ」では初年度の東地区ベストナインに選出された。 日本代表には、Bチームが出場した2015年の第4回東アジアカップやカナダ代表との親善試合に出場。
今村 猛(いまむら たける、1991年4月17日 - )は、… 今村 猛(いまむら たける、1991年4月17日 - )は、長崎県佐世保市(旧北松浦郡小佐々町)出身の元プロ野球選手(投手)、YouTuber。右投右打。 小学3年生の時に楠栖クラブで一塁手として野球を始め、後に遊撃手と投手を兼任。佐世保市立小佐々中学校では遊撃・三塁手としてプレー。2年時に九州大会で優勝し、全国大会に出場。この年には城島健司や寺原隼人らがオフシーズンに開催した野球教室に参加して城島と対戦。今村は城島の内角を厳しくえぐった結果、脇腹に死球を当ててしまい、城島に笑いながら追いかけ回された。 清峰高校進学後は1年夏からベンチ入り。秋には球速が140km/hを超えるなど、徐々に成長する。
古川 秀一(ふるかわ しゅういち、1987年7月15日 - … 古川 秀一(ふるかわ しゅういち、1987年7月15日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 清峰高校時代はエースとして2年夏の県大会決勝で先発したが敗退、秋は県大会優勝も九州大会初戦で敗れた。2005年の第87回全国高校野球選手権大会に出場し、1回戦で十亀剣、柴田亮輔、堂上直倫擁する春のセンバツ覇者愛工大名電を下し、2回戦も福井優也擁する前年度選手権準優勝校・済美を下し旋風を巻き起こし(下剋上サウスポーと呼ばれた)3回戦に進出するも辻内崇伸、平田良介、中田翔擁する優勝候補筆頭の大阪桐蔭に1-4で敗れる。 卒業後は日本文理大学に進学し、野球部に入部。大学でも活躍し、2008年の第57回全日本大学野球選手権大会、2009年の第58回全日本大学野球選手権大会への出場に導いた。
森岡 良介(もりおか りょうすけ、1984年(昭和59年)7… 森岡 良介(もりおか りょうすけ、1984年(昭和59年)7月15日 - )は、大阪府大阪市城東区出身(長崎県佐世保市生まれ)の元プロ野球選手(内野手)。現役時代は中日ドラゴンズ、東京ヤクルトスワローズに所属した。2017年からヤクルトの一軍野手コーチ補佐を務める。
川島 慶三(かわしま けいぞう、1983年10月5日 - )… 川島 慶三(かわしま けいぞう、1983年10月5日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手)、プロ野球コーチ。右投右打。 佐世保市立戸尾小学校では1年生の時にソフトボールを始め、佐世保市立旭中学校1年生の時に軟式野球を始め、「1番・三塁手」として活躍した。 佐世保実業高校では遊撃手、二塁手として活躍し、4季連続九州大会に出場した。高校3年の夏の県大会ではベスト8に入ったが甲子園出場は叶わなかった。 九州国際大学法学部法律学科に進学した。九州六大学リーグでは、二塁手として早くから頭角を現し、2年秋と3年春に2期連続で首位打者となった。4年秋には本塁打王も獲得し、MVPに選出された。
田中 敬人(たなか ひろと、1979年8月26日 - )は、… 田中 敬人(たなか ひろと、1979年8月26日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、広島東洋カープの球団職員。
城島 健司(じょうじま けんじ、1976年6月8日 - )は… 城島 健司(じょうじま けんじ、1976年6月8日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手・釣り師・タレントである。
村田 善則(むらた よしのり、 1974年4月24日 - )… 村田 善則(むらた よしのり、 1974年4月24日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、プロ野球コーチ。 現役時代は読売ジャイアンツ(巨人)でプレーした。引退後は同球団のスコアラー、コーチを務めているほか、2016年より野球日本代表のバッテリーコーチを務めている。 佐世保実業高等学校時代は、4番主将としてチームを率い、1992年の甲子園大会に出場。同年のドラフト5位で巨人に入団。背番号は92。同姓の村田真一がいたため、スコアボード等の表記は「村田善」となる。 1995年、一軍に初昇格。オフに背番号を56に変更した。 1996年、フレッシュオールスターゲーム出場。 1998年オフに背番号を12に変更した。
吉田 直喜(よしだ なおき、1967年6月14日 - )は、… 吉田 直喜(よしだ なおき、1967年6月14日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 佐世保実業高ではエースとして甲子園に2回出場。1年秋は九州大会決勝で都城高の田口竜二と投げ合って敗退。2年1984年春の選抜では、1回戦で湯上谷宏らのいた星稜高を完封するが、続く2回戦で明徳高に惜敗。夏の県大会はベスト4。2年秋は九州大会準々決勝で東筑高・桧山泰浩と投げ合うが敗退。翌1985年夏の選手権は、県大会で骨折したため決勝以降は登板できず、1回戦で立教高に敗退。 高校卒業後は、青山学院大に進学。東都大学野球リーグでは、1年生の1986年春季リーグ開幕戦から登板。3年時の1988年秋季リーグでは長谷川寿(本田技研)とバッテリーを組み8勝1敗を記録。
古賀 豪紀(こが ひでとし、1966年11月8日 - )は、… 古賀 豪紀(こが ひでとし、1966年11月8日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(外野手)、政治家。 中学校までは経済的な事情でバレーボール部に所属しており、誘いがあった西海学園高では野球部に入部。社会人野球の九州三菱自動車に進み、1988年オフにドラフト外でオリックス・ブレーブスへ入団する。 しかし、壁は厚く内野手に転向するなどしたが、結局一度も一軍へ上がることなく1993年限りで現役を引退した。 引退後は、佐世保市で居酒屋を経営。また、社会人野球クラブの佐世保ドリームスターズ(長崎セインツの前身)で監督を務めた。 2007年に長崎国際大学を卒業し、高校野球指導者になるために教員免許を取得した。
大坪 幸夫(おおつぼ ゆきお、1961年12月22日 - )… 大坪 幸夫(おおつぼ ゆきお、1961年12月22日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 佐世保実業高から、1979年オフにドラフト外で南海ホークスに入団。 高い制球力が武器で、1984年には二軍戦でノーヒットノーランを達成している。 スリークォーターから、スライダー、カーブを武器とした。 1989年オフに退団し、1991年にマイナーリーグA級のサリナス・スパーズ(英語版)に在籍したのち現役引退。 現在は会社員の傍ら、福岡陸上競技会所属まどかランニングクラブ代表委員。
垣野 多鶴(かきの たづる、1951年6月15日 - 202… 垣野 多鶴(かきの たづる、1951年6月15日 - 2021年4月4日)は、野球選手(内野手)・監督。元社会人野球・NTT東日本硬式野球部監督。第15回アジア競技大会野球日本代表監督。 長崎県佐世保市出身。長崎県立佐世保工業高等学校では、1968年の2年次に右翼手、一番打者として夏の甲子園県予選決勝に進むが、海星高に敗退。翌1969年夏も県予選準決勝で長崎工に敗れ、甲子園には届かなかった。 1970年に卒業後、東海大学に進学し内野手として活躍。首都大学野球リーグでは、いずれも秋季に4回の優勝を経験。リーグ戦通算82試合出場、297打数95安打、打率.320、12本塁打、52打点。ベストナイン6回(遊撃手1回、二塁手5回)受賞。
浮田 逸郎(うきた いつろう、1932年3月27日 - 20… 浮田 逸郎(うきた いつろう、1932年3月27日 - 2017年4月29日)は、長崎県佐世保市出身のプロ野球選手。 佐世保北高校から1950年に西日本パイレーツへ練習生として入団。 同年の6月頃に、独立二軍チームだった山陽クラウンズへ他3選手と一緒に派遣されたとみられる。 1951年に西日本が西鉄と合併すると、西日本からの派遣組4人は全員解雇される。浮田は地元・佐世保の市役所に勤務するが、野球への思いは断ちがたく、1選手として山陽クラウンズに復帰した。 1952年にチームが解散し、1953年に高橋真輝とともに大洋松竹ロビンスへ入団。プロ入り初登板を果たすが、肩を痛め同年引退。カーブが武器だった。