臼杵 陽(うすき あきら、1956年6月14日 - )は、日… 臼杵 陽(うすき あきら、1956年6月14日 - )は、日本の政治学者(現代中東政治・中東地域研究)。日本女子大学文学部・同大学院文学研究科教授。 1956年、大分県中津市生まれ。大分県立大分上野丘高等学校、東京外国語大学外国語学部卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。大学院在学中、在ヨルダン日本国大使館専門調査員を務める。 佐賀大学講師・助教授、国立民族学博物館教授を経て、日本女子大学文学部・同大学院文学研究科教授。日本中東学会事務局長(2003-04年度)および同学会会長(2011-12年度)。2012年度より大同生命地域研究賞選考委員を務める。2009年に京都大学に『パレスチナ/イスラエル地域政治の研究 : 民族・宗教・国家の現代的相関をめぐる考察』を提出して博士号(地域研究)を取得。
田畑 章(たばた あきら、1954年(昭和29年)1月12日… 田畑 章(たばた あきら、1954年(昭和29年)1月12日 - )は、日本の実業家、起業家。一般社団法人倫理研究所理事、日本作家クラブ名誉理事、日本音楽著作権協会(JASRAC)会員。著作活動をする際は「田端彰」のペンネームを使用している。 大分県中津市で兼業農家の三男として生まれる。 1972年(昭和47年)3月、三菱レイヨンに入社する。 1992年(平成4年)1月16日、株式会社ウエルネス(2001年に株式会社オールコーポレーションに改称)を設立する。同社では活性酸素の抑制に着目した健康食品「Sオール」の製造販売を手がけた。1994年(平成6年)6月26日には、化粧品製造販売業の株式会社ラヴェリオを設立した。
久恒 啓一(ひさつね けいいち、1950年1月3日- )は、… 久恒 啓一(ひさつね けいいち、1950年1月3日- )は、多摩大学副学長・経営情報学部長、同大学総合研究所長、宮城大学名誉教授、NPO法人知的生産の技術研究会理事長。
石川 才顯(いしかわ わざあき、1935年8月10日 - 1… 石川 才顯(いしかわ わざあき、1935年8月10日 - 1996年11月28日)は、日本の法学者。専門は刑事法。元日本大学法学部教授。大分県中津市出身。 日沖憲郎に師事し、刑事法、特に、刑事訴訟法分野においての業績で著名。その著書、論文は多くの刑事訴訟法学者や法律実務家に影響を与え、立命館大学教授の井戸田侃とともに捜査手続の訴訟的構造化に基づいて、捜査機関の攻撃的捜査活動に対して、被疑者側の防御活動捜査活動を対等なものとして位置づけた。その当事者主義的捜査構造から導かれる捜査訴訟構造説(捜査独自性説)の有力な推進者として知られる。それら研究の集大成である主論文『捜査における弁護の機能』に対しては、慶應義塾大学より博士(法学)の学位が授与された。
染野 檀(そめの まゆみ、1920年2月25日 - 1994… 染野 檀(そめの まゆみ、1920年2月25日 - 1994年11月12日)は、日本の金属工学者。東京工業大学名誉教授。元鶴岡工業高等専門学校校長。元東京工業大学工学部附属工業高等学校校長。 大分県中津市出身。1944年東京工業大学金属工学科卒業、同助手。1960年工学博士。東京工業大学助教授を経て、1966年東京工業大学教授。1969年鉄鋼,非鉄金属および合金とガスの反応に関する研究により日本鉄鋼協会渡辺義介記念賞受賞。1977年東京工業大学工学部附属工業高等学校校長。1980年長岡技術科学大学教授、東京工業大学名誉教授。同年酸素濃淡電池の高温不均一反応の速度論的研究により日本鉄鋼協俵論文賞受賞。
横松 宗(よこまつ たかし、1913年(大正2年)7月19日… 横松 宗(よこまつ たかし、1913年(大正2年)7月19日 - 2005年10月15日)は、日本の近代中国思想研究者・教育学者。元八幡大学(現九州国際大学)学長。大分県中津市生まれ。魯迅、同郷の福沢諭吉研究の第一人者。 学外の役職として、中津市教育委員長、北九州市家庭教育調査委員長、福岡市中国研究センター理事長、福沢諭吉協会会長、九州大学講師、ケンジントン大学(日本校)客員教授等を務めた。 横松は研究対象である福沢諭吉と魯迅に「近代国家主義思想」と「近代的科学精神」という2つの共通の自己確認があると述べている。これは魯迅が東京に留学した経験等から、ある意味魯迅が福沢に影響され啓発された現れとも論じている。
廣池 千九郎(広池 千九郎、ひろいけ ちくろう、1866年5… 廣池 千九郎(広池 千九郎、ひろいけ ちくろう、1866年5月13日〈慶応2年3月29日〉 - 1938年〈昭和13年〉6月4日)は、日本の法学者、歴史学者、教育者、宗教家。法学博士。モラロジーの提唱者。道徳科学研究所、学校法人廣池学園の創立者。早稲田大学講師、神宮皇學館教授、天理教教育顧問を歴任。号は鵬南、扇城、西海、蘇哲、幹堂など。 慶應義塾の関連校である中津藩の洋学校の中津市学校に学ぶ。歴史家として論文と書物を著したのちに法学を学び、早稲田大学講師を経て、神宮皇學館教授となる。当時の国家的事業である『古事類苑』(日本の古事に関する大百科事典)の編纂に携わるとともに、「東洋法制史序論」について研究し、独学で、1912年(大正元年)12月10日に東京帝国大学から法学博士号を取得する。
渡邊 重石丸(わたなべ いかりまろ、天保8年11月15日(1… 渡邊 重石丸(わたなべ いかりまろ、天保8年11月15日(1837年12月12日) - 大正4年(1915年)10月19日)は、幕末の中津藩士、国学者、神道学者。明治初年には新政府の神道政策を担当し、大日本帝国陸軍将軍の乃木希典が師事したことで知られている。蘭学者の福澤諭吉と国学者の増田宋太郎は共に縁戚に当たる。号は鶯栖園隠士、捫虱庵主人、通称は鉄太郎。 1837年(天保8年)、豊前国中津藩の神官の家に生まれた。藩校の進脩館に入り、藩儒の野本白巌や手島物斎に漢学を学んだ。安政4年(1857年)には中津藩において子弟に国学を教授し、元治元年(1864年)にこの私塾を「道生館」 と命名した。慶応3年(1867年)には平田篤胤の思想を取り入れて、後嗣の平田銕胤に入門して没後の門人となった。
渡辺 重春(わたなべ しげはる、天保2年3月10日〈1831… 渡辺 重春(わたなべ しげはる、天保2年3月10日〈1831年4月22日〉 - 1890年〈明治23年〉5月9日)は、幕末から明治期の国学者。通称、上野介。号は桜園、欽英書屋。国学者の渡辺重石丸は、弟である。 1831年(天保2年)、豊前国中津に生まれる。渡辺重蔭の長男で、渡辺重名の孫。18歳の時、定村直孝に国学を修め、その後、萩原広道、佐久良東雄、大国隆正らに学び、平田篤胤の没後の門人となる。 1871年(明治4年)、豊前中津藩校進脩館教授。のちに廣田神社、龍田神社、大鳥神社などの大宮司をつとめ、正七位・小教正に進む。国典に通じ、和歌・詩を能くする。 1890年(明治23年)、60歳で死去。
白石 照山(しらいし しょうざん、文化12年8月10日(18… 白石 照山(しらいし しょうざん、文化12年8月10日(1815年9月12日) - 1883年10月3日)は、江戸時代後期の儒学者、漢学者。初名は牧太郎、通称は五郎右衛門、のちに常人。雅号は照山、または素山。名は牧。字は伯羊。 中津藩の下士で祐筆の久保田武右衛門(号は勇閑)の長男として生まれるが、白石団右衛門の養子となる。藩校・進脩館は上士の子弟でなければ入学できない風潮となっていたため、進脩館の教授野本白巌の私塾で学び、その優秀さから藩校に推薦された。同校では若くして督学に任命された。 1838年(天保9年)督学の職を辞して江戸に上り、はじめは古賀侗庵に師事し、翌年に昌平黌に入学する。その優秀さから、書生を牽引する役職である斎長詩文掛に任じられた。
恒藤 規隆 は、大分県中津市出身の農学者、実業家、探検家であ… 恒藤 規隆 は、大分県中津市出身の農学者、実業家、探検家である。人生の大部分をリン鉱石の資源探査に費やしたと言われ、ラサ島で有望なリン鉱床を発見し、ラサ工業を設立したことで知られている。また日本最初の農学博士の一人であり、日本での土壌学の創始者とされている。