脇 雅昭(わき まさあき、1982年〈昭和57年〉4月24日… 脇 雅昭(わき まさあき、1982年〈昭和57年〉4月24日 - )は、日本の政治家、総務官僚、弁護士。自由民主党所属の参議院議員(1期)。 宮崎県都城市生まれ。京都大学法学部卒業、神戸大学大学院法学研究科を経て東京大学法科大学院を修了後、弁護士資格を取得し、2008年に総務省に入省。2013年より神奈川県庁に赴任し、11年間勤める中で国際観光課長、市町村課長、理事(未来創生担当)、知事補佐官、産業労働局長を歴任。 2024年8月27日、在職中に死去した島村大参院議員の後継候補を決める、神奈川選挙区公募に応募し、自由民主党公認候補として内定した。 2025年、第27回参議院議員通常選挙に神奈川県選挙区から自由民主党公認で立候補し、初当選した。
池田 宜永(いけだ たかひさ、1971年〈昭和46年〉4月7… 池田 宜永(いけだ たかひさ、1971年〈昭和46年〉4月7日 - )は、日本の政治家、元財務官僚。宮崎県都城市長(4期)。 宮崎県都城市出身。宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。1994年(平成6年)3月、九州大学経済学部経済学科卒業。同年4月、大蔵省に入省(大臣官房調査企画課)。1999年(平成11年)3月、東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。同年7月、主税局調査課内国調査係長。2007年(平成19年)4月、宮崎県都城市の副市長に就任。2010年(平成22年)7月、財務省主計局主査(農林水産係)。2012年(平成24年)6月、財務省を退職。 2012年(平成24年)11月18日執行の都城市長選挙に、民主党と公明党の推薦を受けて無所属で出馬。
長峯 誠(ながみね まこと、1969年〈昭和44年〉8月2日… 長峯 誠(ながみね まこと、1969年〈昭和44年〉8月2日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、経済産業大臣政務官兼内閣府大臣政務官、参議院外交防衛委員長、財務大臣政務官、都城市長等を歴任。父は元参議院議員の長峯基。 宮崎県都城市出身。都城市立妻ヶ丘中学校、宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。大学時代は雄弁会に所属し、幹事長を務めていた。1995年(平成7年)から父の長峯基参議院議員の秘書、JC宮崎ブロック事務局長を務める。 1997年(平成9年)6月、宮崎県議会議員補欠選挙に自由民主党公認で出馬し、初当選。1999年(平成11年)4月、2期目の当選。2003年(平成15年)4月、3期目の当選。
今村 洋史(いまむら ひろふみ、1962年1月28日 - )… 今村 洋史(いまむら ひろふみ、1962年1月28日 - )は、日本の政治家、精神科医。元衆議院議員(1期)。 宮崎県都城市生まれ、福岡県育ち。埼玉医科大学卒業。精神科医として埼玉県や茨城県で勤務医を務める。その後愛知県一宮市今伊勢町で、医療法人有俊会理事長・いまむら病院院長を務める。 2011年、たちあがれ日本(青年部)に入党し、かけはし塾第一期生となる。 太陽の党を経て、2012年12月の第46回衆議院議員総選挙にて日本維新の会より比例東京ブロック単独(第2位)で立候補し、初当選。 2014年8月、日本維新の会分党にともない次世代の党の結党に参加し、党総務副会長と党選対副委員長に就任した。10月には次期衆院選を想定して選挙区を地元の愛知10区へ構えたが、解散による選挙前倒しにより「準備不足」を理由に立候補を辞退した。
東国原 英夫(ひがしこくばる ひでお、1957年〈昭和32年… 東国原 英夫(ひがしこくばる ひでお、1957年〈昭和32年〉9月16日 - )は、日本の政治家、コメンテーター、タレント、作家。1980年代から1990年代にかけてビートたけしの一番弟子およびたけし軍団の一員としてそのまんま東名義でお笑いタレントとして活動。 2006年に政治家に転身し、2007年から2011年まで宮崎県知事(公選第17代)、2012年から2013年まで日本維新の会の衆議院議員(1期)を歴任した。 宮崎県都城市出身。都城市立東小学校、都城市立妻ケ丘中学校、宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校、専修大学経済学部経済学科卒業。 専修大学卒業後の1980年、フジテレビ『笑ってる場合ですよ!』のお笑いオーディションコーナー「お笑い君こそスターだ!」に「オスカル・メスカル」という漫才コンビで出場した際に、同番組に出演していたビートたけしの楽屋を訪ねて弟子入りを願い出て(初回出演が水曜日だったため、火曜レギュラーだったたけしと会うには4日勝ち抜かなければならなかった)、1981年1月に付き人となる。
長峯 基(ながみね もとい、1941年2月11日 - )は、… 長峯 基(ながみね もとい、1941年2月11日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。宮崎県都城市出身。元参議院議員・元都城市長の長峯誠は長男。 1965年に福岡大学薬学部を卒業、山之内製薬に入社する。 1979年に宮崎県議会議員に初当選。以後4期を務める。1990年には宮崎県議会副議長に就任。 1995年7月、第17回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で宮崎県選挙区より出馬し初当選。総理府総括政務次官などを歴任。 2001年7月の第19回参議院議員通常選挙では、自民党宮崎県連幹部による投票の結果自民党の公認を得られず無所属で出馬。自民党公認の小斉平敏文に敗れる。 2004年7月の第20回参議院議員通常選挙では自民党公認候補である上杉光弘を支援せずに、長峯の元公設秘書である松下新平を応援したため、公示日後に自民党宮崎県連から除名処分を受ける。
持永 和見(もちなが かずみ、1927年7月1日 - 201… 持永 和見(もちなが かずみ、1927年7月1日 - 2017年9月3日)は、日本の官僚・政治家。自由民主党宏池会所属の衆議院議員で5期務めた。宮崎県都城市出身。父は元北海道庁長官の持永義夫、弟は元自治事務次官の持永堯民。子は持永哲志。 2003年11月の第43回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界から引退。地盤の宮崎3区には、子で元経産官僚の持永哲志を自身の後継者として擁立。自民党公認争いで古川禎久との調整がつかず、双方が無所属で立候補したが、古川に敗れて落選。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、哲志が自民党公認として立候補したが、再び落選。その後、2008年6月に哲志は旅行中の沖縄で急死した。
藤井 真透(ふじい ますき、1889年〈明治22年〉1月11… 藤井 真透(ふじい ますき、1889年〈明治22年〉1月11日 - 1963年〈昭和38年〉9月19日)は、日本の道路技術者、内務官僚、政治家。 宮崎県都城市生まれ。1914年(大正3年)、東京帝国大学工科大学土木工学科卒業。同年、兵庫県技師となった。1917年(大正6年)、明治神宮造営局技師に転任した。折下吉延とともに、明治神宮外苑の銀杏並木道路を手がける。1922年(大正11年)、東京帝国大学講師となり道路工学や都市計画施工法を担当した。1924年(大正13年)には内務省土木試験所の内務技師も兼任するようになる。1931年(昭和6年)に日本大学工学部講師となった。1932年(昭和7年)に工学博士を取得した。
佐々木 芳照(ささき ほうしょう、1877年(明治10年)7… 佐々木 芳照(ささき ほうしょう、1877年(明治10年)7月1日 - 1952年(昭和27年)6月27日)は、日本の僧、政治家。衆議院議員(1期)。 鹿児島県諸県郡、のちの宮崎県北諸県郡都城町(現都城市)で生まれた。京都本願寺文学寮本科で学ぶ。語学研究及び状況視察のため、シンガポール、オランダ領東インド、パリに留学する。帰国後、本願寺派摂護寺で布教活動に従事する。都城天竜幼稚園、日州学院を創立する。摂護寺住職、本願寺派本願寺執行所に出仕し、本願寺台湾別院輪番兼台湾開教教所賛事を経て、本願寺アメリカ合衆国開教総長となる。帰国後、内務省道府県感化院教諭となる。その後、宮崎県慎修学校(現・宮崎県立みやざき学園)校長に就任する。
財部 彪(たからべ たけし、慶応3年4月7日(1867年5月… 財部 彪(たからべ たけし、慶応3年4月7日(1867年5月10日) - 昭和24年(1949年)1月13日)は、日本の軍人、政治家。宮崎県都城市出身。階級は海軍大将。
坂元 英俊(さかもと ひでとし、1863年7月28日(文久3… 坂元 英俊(さかもと ひでとし、1863年7月28日(文久3年6月13日)- 1956年(昭和31年)2月14日)は、日本の政治家、衆議院議員(4期)。 日向国諸県郡都城郷西岳村(宮崎県北諸県郡庄内村、西岳村、荘内町を経て現都城市)で生まれた。東京で鱸松塘に学び、さらに慶應義塾で学ぶ。農業を営み、庄内村会議員、宮崎県会議員、同常置委員、徴兵参事員、陸軍省雇員、台湾総督府台中県属、宮崎県畜産組合長、中央事務所長、北諸県郡会議員、県産牛馬組合連合組合長となる。 1902年の第7回衆議院議員総選挙において宮崎県から立憲政友会公認で立候補して当選した。以来当選4回。1912年の第11回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。
安田 愉逸(やすだ ゆいつ、1853年(嘉永6年11月)- … 安田 愉逸(やすだ ゆいつ、1853年(嘉永6年11月)- 1904年(明治37年)8月23日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(2期)。 日向国諸県郡、のちの宮崎県北諸県郡都城町(現都城市)出身。農業を営んだ。1878年(明治11年)英国の測量船「シルビア」が日本近海にて測量をした際、これに従う。その数年後、鹿児島県の山鹿野鉱山嘱託となり、1886年(明治19年)長崎県属に転じ、外交事務に従事する。1889年(明治22年)オーストリアの皇族ハンリート・バルジー来朝の際は通訳として随行し全国を巡遊した。ほか、教師、造兵局通訳官、外務省訳官などを歴任した。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では宮崎県第2区から無所属で出馬し当選。
肥田 景之(ひだ かげゆき、1850年3月21日(嘉永3年2… 肥田 景之(ひだ かげゆき、1850年3月21日(嘉永3年2月8日)- 1932年(昭和7年)4月3日)は、幕末の薩摩藩士、明治から昭和初期の官吏・実業家・政治家。衆議院議員。 日向国諸県郡都城郷(宮崎県北諸県郡都城町を経て現都城市)で、薩摩藩士・肥田景正の二男として生まれた。1886年(明治19年)兄・景直が戊辰戦争で戦死していたため家督を相続した。 造士館で兵学を修め、都城明道館児輩指南、講武館兵式訓練教導を務めた。慶応3年10月(1867年)戦兵伍長となり戊辰戦争に従軍した。造士館助教授、都城神柱神社(神柱宮)祠官を務めた。西南戦争に従軍した。 1878年(明治11年)10月、鹿児島県警部に任官。