磯田 範仁(いそだ のりひと、1995年8月6日 - )は、… 磯田 範仁(いそだ のりひと、1995年8月6日 - )は、日本の柔道家。宮崎県延岡市出身。階級は66kg級。身長173cm。血液型はA型。組み手は左組み。得意技は小外刈。 柔道は5歳の時に芦塚道場で始めた。一つ上には橋口祐葵がいた。小学校5年の時には全国小学生学年別柔道大会の40kg級で優勝した。6年の時には全国少年柔道大会の団体戦で優勝すると、全国小学生学年別柔道大会の50kg級でも優勝して2連覇を達成した。 国士舘中学へ進むと、2年の時には近代柔道杯団体戦で優勝した。3年の時には全国中学校柔道大会の66kg級で優勝すると、団体戦でも田崎健祐や江畑丈夫などとともに活躍して優勝を飾り2冠を達成した。
橋口 祐葵(はしぐち ゆうき、1994年6月8日 - )は、… 橋口 祐葵(はしぐち ゆうき、1994年6月8日 - )は、日本の柔道家。宮崎県延岡市出身。階級は66kg級。身長168cm。組み手は右組み。血液型はA型。段位は二段。得意技は背負投、袖釣込腰。 柔道は6歳の時に芦塚柔道場で始めた。1つ下には磯田範仁がいた。小学校5年の時には全国少年柔道大会の個人戦で2位になった。中学からは上京して講道学舎所属となり、弦巻中学3年の時には全国中学校柔道大会66kg級で優勝を果たした。その後地元に戻って延岡学園高校に進むと、インターハイでは6試合のうち1試合は反則勝ちであったものの、オール一本勝ちして山下泰裕、高木海帆に次ぐ史上3人目の1年生チャンピオンとなった。
羽賀 龍之介(はが りゅうのすけ、1991年4月28日 - … 羽賀 龍之介(はが りゅうのすけ、1991年4月28日 - )は、宮崎県延岡市出身の日本の元柔道家。階級は100kg級。身長186cm。血液型はO型。段位は五段。組み手は左組み。得意技は内股。現在は旭化成に所属している。父親は講道館杯などで優勝経験のある羽賀善夫。母親は国体やインターハイで活躍した元競泳選手。 幼少時に埼玉県に越すと、2歳年上の兄である善之介とともに5歳の時に柔道を始めた。当時は競泳も習っていて、自由形で県大会で2位になったこともあった。 小学校3年の時に横浜市に移ると、朝飛道場に所属して柔道に専念することになった。小学校6年の時には全国少年柔道大会の団体戦で3位になった。六角橋中学3年の時に全国中学校柔道大会90kg級で3位になった。
橋元 親(はしもと ちかし、1923年1月15日 - 200… 橋元 親(はしもと ちかし、1923年1月15日 - 2000年1月29日)は、日本の柔道家(講道館9段、大日本武徳会錬士)。 天理大学柔道部や旭化成柔道部の師範のほか、全日本柔道連盟参与、近畿地区柔道連盟評議委員、関西学生柔道連盟会長等を歴任した。 宮崎県延岡市出身。県立延岡中学校入学と同時に、幼少からの病弱を案じた両親の意向に従い剣道部に入部した。2年生になり柔道部へ移ると、武道専門学校出身の平野直の手ほどきを受けて成長したほか、家から学校までアップダウンのある片道15kmを自転車で毎日通学し、これにより強靭な足腰が出来上がっていったという。3年生で大日本武徳会の初段、翌年に2段、卒業時には当時少なかった3段にまで昇段している。
磯貝 一(いそがい はじめ、1871年12月8日(明治4年1… 磯貝 一(いそがい はじめ、1871年12月8日(明治4年10月26日) - 1947年(昭和22年)4月19日)は、日本の柔道家。段位称号は講道館柔道十段、大日本武徳会柔道範士。講道館柔道殿堂。 延岡藩藩士で関口流柔術家にして柔道教士の磯貝恒久の長男として、現在の宮崎県延岡市に生まれる。 1891年(明治24年)上京し講道館に入門する。 1893年(明治26年)京都の第三高等学校の嘱託柔道教師となる。 1899年(明治32年)、大日本武徳会柔道教授に就任。 1913年(大正2年)4月、大日本武徳会柔道範士の称号を授与される。 1923年(大正12年)12月22日、永岡秀一と共に、当時の生存者としては初の十段に昇進した。