藤原 芽子(ふじわら わかこ、1981年2月22日 - )は… 藤原 芽子(ふじわら わかこ、1981年2月22日 - )は、日本の元プロボクサー。鹿児島県大島郡徳之島町生まれ兵庫県神戸市長田区出身。神戸市立須磨高等学校(現神戸市立須磨翔風高等学校)卒業。真正ボクシングジム所属。第2代OPBF女子東洋太平洋フェザー級王者、初代日本女子フェザー級王者。 1男2女のシングルマザーで、長男の勇生も2023年1月15日にプロテスト合格を果たし、母子プロボクサーとなった。2024年3月時点で、日本国内最年長の現役女子プロボクサー(男女通じては野中悠樹、堀川謙一に次いで3番目)であった。 徳之島で生まれ、2歳から神戸で育つ。 高校卒業後に結婚し1男2女を出産。 31歳の時にフィットネス目的でボクシングを始めたが、32歳の時に離婚し、これを機にプロを目指し年齢制限ギリギリでプロ転向。
東心山 徳幸(とうしんやま のりゆき、1974年7月28日 … 東心山 徳幸(とうしんやま のりゆき、1974年7月28日 - )は、鹿児島県大島郡徳之島町出身で玉ノ井部屋に所属していた元大相撲力士。本名は廣田 徳幸(ひろた のりゆき)。最高位は西幕下10枚目(2000年9月場所、2001年1月場所)。 高校時代は鹿児島県の相撲大会で優勝の経験があった。高校時代は調理科に在学していたが、3年次に高校を中退して鹿児島県内の寿司屋に勤務開始。その後、玉ノ井部屋から勧誘を受け「上京のチャンスだ」という趣旨の言葉から入門を決意。1994年1月場所初土俵。初土俵同期は安壮富士、玉春日、成松勇起夫(智ノ花の従弟)。入門時は部屋の力士に敵わなかったというが、部屋の兄弟子である大日岳や後に出世頭となる弟弟子の栃東に刺激を受け、初土俵から所要11場所で幕下に昇進するなどそこまでの出世は速かった。
木村 寿之介(きむら ひさのすけ、本名:波田 寿和(はた と… 木村 寿之介(きむら ひさのすけ、本名:波田 寿和(はた としかず)、1967年6月27日 - )は、鹿児島県大島郡徳之島町出身で、大島部屋(一時、友綱部屋)所属の大相撲の三役格行司。血液型はA型。 行司としての初土俵は、1983年5月場所。27代木村庄之助の弟子である。 実兄は元小結・衆議院議員でタレントの旭道山で、中学生の頃に兄が相撲部屋で小さな身体を泥だらけにして稽古をしている姿を見て助けになりたいと思ったという。高校受験して受かっていたが、進学をせず行司になった。 次男の波田大和は、帝拳所属のプロボクサーとして2015年にデビューしている。 東京場所で用いる軍配は、同じ一門の横綱白鵬と共通の後援会関係者から贈られたもので、表面に鳳凰の蒔絵が描かれ、裏面には27代木村庄之助が揮毫した「精神一到(白鵬が横綱昇進時の口上で述べた四字熟語)」、軍配の漆塗は輪島塗の人間国宝と角界内外のトップの最高級を凝縮したものである。
淵上 孝(ふちがみ たかし、1967年〈昭和42年〉1月23… 淵上 孝(ふちがみ たかし、1967年〈昭和42年〉1月23日 - )は、日本の文部・文科官僚。 鹿児島県大島郡徳之島町生まれ。両親も徳之島町の出身で、父が教師だったことから、その後奄美大島に移住し、小学校5年生からは鹿児島市で過ごした。その後、ラ・サール中学校・高等学校を経て、1992年(平成4年)、東京大学法学部を卒業。同年文部省に入省。入省後、香川県教育委員会義務教育課長、同高校教育課長、初等中等教育局初等中等教育企画課 教育制度改革室長、文部科学省大臣官房総務課法令審議室長、国立教育政策研究所教育課程研究センター基礎研究部総括研究官、文部科学省大臣官房人事課人事企画官、初等中等教育局幼児教育課長、高等教育局私学助成課長、初等中等教育局教育課程課長、高等教育局国立大学法人支援課長、同局高等教育企画課長などを歴任。
旭道山 和泰(きょくどうざん かずやす、1964年10月14… 旭道山 和泰(きょくどうざん かずやす、1964年10月14日 - )は、鹿児島県大島郡徳之島町出身(東京都世田谷区三軒茶屋生まれ)で大島部屋に所属した元大相撲力士、元政治家、タレント、実業家。新進党→新党平和→無所属の元衆議院議員(1期)。本名は波田 和泰(はた かずやす)。血液型はO型。実弟は、三役格行司の木村寿之介、元五等呼出の松男(2023年現在でも現役の十両呼出とは別人)。2015年に帝拳ジムよりプロボクサーデビューした波田大和は甥(寿之介の次男)に当たる。 1964年10月14日に東京の三軒茶屋の小児科病院で長男として生まれる。未熟児として生まれ、黄疸・小児喘息が出ていて、交換輸血を3回した。
桂 楽珍(かつら らくちん、1962年4月26日 - )は、… 桂 楽珍(かつら らくちん、1962年4月26日 - )は、日本の落語家。本名は中山 行治(なかやま ゆきはる)。出囃子は『ワイド節』。吉本興業所属。上方落語協会会員。鹿児島県大島郡天城町(徳之島)出身。 徳之島で生まれ育ち、子供のころ河童と相撲をとったことがあると自称している。 鹿児島県立徳之島高等学校卒業後、一度は和歌山県で就職するも桂文珍「ヤングおー!おー!」や「花王名人劇場」での「老婆の休日」を聴いて落語に興味を持つ。1982年4月10日に桂文珍に入門。文珍の一番弟子となった。弟子入りを申し込む際、あまりの緊張からか出身の徳之島の方言で一方的にまくし立ててしまい、意思が全く伝わらなかったという。
一ノ矢 充(いちのや みつる、1960年12月28日 - )… 一ノ矢 充(いちのや みつる、1960年12月28日 - )は、鹿児島県大島郡徳之島町出身で高砂部屋(入門時は若松部屋)所属の元大相撲力士。本名は松田 哲博。得意手は押し、出し投げ、肩透かし。2007年11月28日の引退時点で現役最年長力士だった。また、2017年5月27日までは昭和以降の最高齢力士の記録も保持していた。初の国立大学出身の力士でもある。血液型AB型。最高位は東三段目6枚目(1991年7月場所)。 亀津中学校、徳之島高校時代は柔道部。琉球大学理学部物理学科在学中に相撲部を興す。大学卒業後、元関脇・房錦の若松部屋に入門、国立大学出身力士としては史上初の角界入りを果たした。身長が規定に及ばず(身長165cm、合格基準173cm)新弟子検査を合格することができないまま半年ほど過ぎたが、1983年(昭和58年)11月場所の新弟子検査で身長の計測係だった鏡山親方(元横綱・柏戸)のお情けで合格、大学時代の実績がほぼ皆無であったため幕下付出の資格は得られず前相撲から初土俵を踏んだ。
徳田 秀子(とくだ ひでこ、1938年〈昭和13年〉6月2日… 徳田 秀子(とくだ ひでこ、1938年〈昭和13年〉6月2日 - )は、日本の薬剤師。徳洲会創設者徳田虎雄の妻。 医療法人徳洲会副理事長、社会福祉法人愛心会理事長、社会福祉法人秀心会理事長を歴任した。 鹿児島県徳之島町出身(生まれは大阪府大阪市だが、広島県安芸郡坂町で幼少期を過ごし、終戦後に両親の出身地である徳之島に移住)。鹿児島県立徳之島高等学校卒業後、鹿児島銀行徳之島支店に勤務する。 1学年上の幼馴染である徳田虎雄とは、徳田が阪大医学部生だった1959年に結婚。上阪。苦学の末1961年近畿大学薬学部に入学し、出産・子育てをしながら1967年卒業。卒業と同時に国家試験に合格し、薬剤師の資格を取得。
八波 むと志(はっぱ むとし、1926年〈大正15年〉12月… 八波 むと志(はっぱ むとし、1926年〈大正15年〉12月1日 - 1964年〈昭和39年〉1月9日)は、日本のコメディアン、俳優。本名、坪田 稔(つぼた みのる)旧姓、富沢(とみさわ)。 1926年(大正15年)12月1日、鹿児島県大島郡徳之島町に生まれる。父は道楽好きで母が四人も変っており、幼少期を極貧で過ごす。 東京工専卒業後1943年(昭和18年)に志願兵で兵隊入り、1946年(昭和21年)に森川信の一座に入り、浅草常盤座で八波むと志の名で初舞台。浅草フランス座1代目座長。1956年(昭和31年)に南利明、由利徹と脱線トリオを結成し浅草を中心にテレビ・ラジオ、はたまた役者として活躍する。
嶺山 時善(みねやま ときよし、1862年11月4日(文久2… 嶺山 時善(みねやま ときよし、1862年11月4日(文久2年9月13日) - 1930年(昭和5年)10月28日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 鹿児島県出身。鹿児島師範学校卒(年代不明)。 1902年の第7回衆議院議員総選挙において大島選挙区から無所属で立候補したが落選した。1903年の第8回衆議院議員総選挙で政友倶楽部公認で立候補して初当選した。1904年の第9回衆議院議員総選挙では無所属で立候補して再選した。衆議院議員を2期務め、1908年の第10回衆議院議員総選挙では大同倶楽部から立候補したが落選した。以後の立候補はなく、1930年に死去した。
林 元俊(はやし げんしゅん、1861年3月30日(万延2年… 林 元俊(はやし げんしゅん、1861年3月30日(万延2年2月20日)- 1904年(明治37年)10月31日)は、明治期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。 琉球国薩摩藩領大島郡花徳村(鹿児島県大島郡花徳村、天城村、東天城村を経て現徳之島町花徳)で生まれた。今藤勇に師事し、漢学、数学を修めた。 経済界では、1896年(明治29年)1月、大阪第七十九国立銀行取締役に就任。以後、同行大島支店主任、鹿児島県農工銀行設立委員、大島興業社長を務めた。 政界では、1889年(明治22年)1月、大島郡第19学区学事委員に就任。同年7月、大島郡山村外五ヶ村戸長となる。1898年(明治31年)8月、第6回衆議院議員総選挙(鹿児島県第7区、無所属)で当選し、その後立憲政友会に所属して、衆議員議員に1期在任した。