宮城 康博(みやぎ やすひろ、1959年12月18日 - )… 宮城 康博(みやぎ やすひろ、1959年12月18日 - )は、日本の沖縄県の政治家、作家、劇作家。前南城市議会議員(1期)、前名護市議会議員(3期)、ジュゴン保護キャンペーンセンター共同代表。市民グループ「オキュパイ普天間」代表。 名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票を担った、市民団体「ヘリポート基地建設の是非を問う名護市民投票推進協議会」の代表を務めた。 1959年、沖縄県名護市に生まれる。 1980年代、「東京演劇アンサンブル」にて活動 1992年、沖縄に帰郷し、企画・編集プロダクションを営む 1997年、同年に結成された市民団体「ヘリポートいらない名護市民の会」に所属し、名護市においてヘリ基地反対運動を行う。
安里 カツ子(あさと カツこ、1947年6月16日 - 20… 安里 カツ子(あさと カツこ、1947年6月16日 - 2013年12月5日)は日本の実業家、政治家(沖縄県副知事)。沖縄県名護市屋我地出身。 1947年(昭和22年)6月16日生まれ。 那覇商業高校(現:沖縄県立那覇商業高校)、商業実務専門学校卒業。1967年、琉球石油(現:りゅうせき)に入社。1987年、りゅうせきビジネスサービス設立に参画。1993年、りゅうせき社長、その後専務などを経て2006年からりゅうせき副社長。また、1996年には県経営者協会の女性リーダー部会を立ち上げた。2007年から4年間沖縄県副知事を務めた。 2013年12月5日11時40分、心不全により死去。享年66歳。
稲嶺 進(いなみね すすむ、1945年(昭和20年)7月17… 稲嶺 進(いなみね すすむ、1945年(昭和20年)7月17日 - )は、日本の政治家。オール沖縄共同代表、元沖縄県名護市長(2期)。 沖縄県国頭郡久志村(現:名護市字三原)生まれ。久志村立三原小学校、琉球政府立宜野座高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、琉球大学法文学部卒業。1972年(昭和47年)1月、名護市役所に就職し、厚生課に配属される。その後、名護市総務部長や収入役を経て、2005年(平成17年)に名護市教育長に就任。以後4年間同市教育長を務める。2010年(平成22年)1月24日執行の名護市長選挙に「普天間飛行場県内移設反対」を掲げて出馬し、初当選した。同年2月8日、市長に就任。
岸本 建男(きしもと たてお、1943年(昭和18年)11月… 岸本 建男(きしもと たてお、1943年(昭和18年)11月22日 - 2006年(平成18年)3月27日)は、日本の政治家。沖縄県名護市長(2期)。 沖縄県名護市出身。親は教員を務めていた。琉球政府立首里高等学校(現・沖縄県立首里高等学校)時代はボクシング部に所属した。1967年(昭和42年)3月、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同大学大学院に在学中、沖縄の本土復帰運動に身を投じた。1969年(昭和44年)12月刊行の『ドキュメント沖縄闘争』(亜紀書房)の編集に新崎盛暉や全国沖縄闘争学生委員会委員長の渡名喜明らとともに携わった。1970年(昭和45年)、北米・南米へ向かい、放浪。チェ・ゲバラに心酔し、ゲバラが死を遂げたボリビアでベレー帽をかぶった写真を撮るほどであった。
徳田 球一(とくだ きゅういち、1894年〈明治27年〉9月… 徳田 球一(とくだ きゅういち、1894年〈明治27年〉9月12日 - 1953年〈昭和28年〉10月14日)は、日本の政治運動家、共産主義者、革命家、弁護士、政治家。衆議院議員(3期)、戦前の非合法政党時代から戦後初期に至るまでの日本共産党の代表的活動家で、戦後初代の書記長を務めた。徳球の愛称で知られる。 沖縄県国頭方名護間切(現:沖縄県名護市)で、鹿児島の豪商の庶子であった父とウチナーンチュの母の間に生まれる。家は沖縄の中にあっては裕福で、「球一」の名は「琉球一の人物」になることを願って付けられた。母方の祖母は高利貸しと泥藍売りを営み、徳田もこの稼業を手伝っていたが、強欲な祖母に反発して「お金を借りてはだめだ」と借りに来た者に対して注意するなど、正義感が強い子供であった。
東恩納 琢磨(ひがしおんな たくま)は、日本の政治家、環境活… 東恩納 琢磨(ひがしおんな たくま)は、日本の政治家、環境活動家、エコツアーガイド。名護市議会議員(4期、無会派)。オール沖縄参加団体のヘリ基地反対協議会事務局長、元共同代表。ジュゴン保護基金委員会事務局長。エコツーリズム事業を行う環境保護団体「じゅごんの里」代表。沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団団長。 沖縄県名護市瀬嵩出身。1977年に名護市立久志中学校を卒業、1980年に沖縄県立宜野座高等学校を卒業。 1982年、那覇市の設計コンサルタント会社に勤務。 1987年、潜水士免許を取得し、海洋調査などに携わる。 1996年、建設会社に勤務働しつつ、1級土木施行管理技士となる。 1997年、名護市の人材育成市民講座「親方塾」にて「久志山海塾」を設立、塾長を2期務め、同年の名護市米軍ヘリ基地建設の是非を問う住民投票に参加し、建設会社を退社。