海本 慶治(かいもと けいじ、1972年11月26日 - )… 海本 慶治(かいもと けいじ、1972年11月26日 - )は、大阪府吹田市出身の元サッカー日本代表、Jリーグ・サッカー選手。ポジションはディフェンダー(センターバック)。 弟は元プロサッカー選手の海本幸治郎。弟とは名古屋グランパスエイトとアルビレックス新潟で、同時に在籍した事がある。 小学6年生のときにサッカーを始める。中学時代まではフォワードだったが、東海大学付属仰星高校からディフェンダーとしてもプレーするようになる。高校3年時に高校サッカー選手権に出場。1987年にジュニアユース日本代表に選出された。 東海大学を経て、1995年にテストに合格してヴィッセル神戸に加入。1997年からコンスタントに試合出場を重ね、レギュラーに定着した。
福井 勲(ふくい いさむ、1972年11月24日 - )は、… 福井 勲(ふくい いさむ、1972年11月24日 - )は、東京都出身の元サッカー選手。ポジションは、MF。 桐光学園高校から日本サッカーリーグ最終年となる1991年に同2部の住友金属工業蹴球団に加入し、住友金属が母体となった鹿島アントラーズでもJリーグ開幕前の1992年シーズンまで所属したが、日本サッカーリーグおよびヤマザキナビスコカップの出場機会を得ることはなかった。 1992年のJリーグオフィシャル書籍では、「柔かいボールタッチが特徴」と紹介された。
佐藤 洋平(さとう ようへい、1972年11月22日 - )… 佐藤 洋平(さとう ようへい、1972年11月22日 - )は、日本の元プロサッカー選手(1992年 - 2008年)。サッカーコーチ(2008年 - )。ポジションは、ゴールキーパー。宮城県仙台市出身。 鹿島アントラーズの前身である住友金属工業蹴球団時代から在籍していたが、Jリーグ開幕時には新加入の古川昌明にポジションを奪われ、ほとんど出場機会が与えられなかった。1994年に初めて試合出場するが、デビューから3試合で連続PK負けを喫した。 翌年の1995年に、古川の怪我もあり出場機会を得ると実力と成長をアピールしたものの、まだ併用されている状態であった。ジェフ市原戦では、主力選手の約半数を欠き、さらに退場者も出た中、佐藤の好セーブなどで0対0でのPK戦に持ち込み、味方のミスキックがあったにもかかわらず自らが2本のPKを止めて、4-2で勝利した。
原 美彦(はら よしひこ、1972年11月20日 - )は日… 原 美彦(はら よしひこ、1972年11月20日 - )は日本のサッカー指導者。大阪府大東市出身。 その後松下電器産業サッカー部(現ガンバ大阪)にて指導者としてのキャリアをスタートする。
水内 猛(みずうち たけし、1972年11月19日 - )は… 水内 猛(みずうち たけし、1972年11月19日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロサッカー選手、スポーツキャスター。現役時代のポジションはフォワード。 小学生の時はサッカーと野球をやっていた。横浜市立汲沢中学校、神奈川県立旭高等学校3年次に高校選手権に出場し、ベスト8進出。2回戦では強豪の清水東高校を破る決勝点を決める活躍を見せ、大会優秀選手に選出された。 卒業後の1991年に三菱自動車工業へ入社。1992年からは社員選手として浦和レッドダイヤモンズに入団。Jリーグ開幕後の1993年は柱谷幸一や福田正博といった主力選手の負傷などもあって、NICOSシリーズ(2ndステージ)からレギュラーに定着し、7点を挙げ、93年のチーム得点王となる。
實好 礼忠(さねよし のりただ、1972年10月19日 - … 實好 礼忠(さねよし のりただ、1972年10月19日 - )は、愛媛県南宇和郡の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。
路木 健(みちき けん、1972年10月16日 - )は、長… 路木 健(みちき けん、1972年10月16日 - )は、長崎県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。実弟は路木龍次。現在は京都サンガF.C.スタッフ。 現役時代はドリブルによるサイドの突破が魅力のミッドフィールダーであった。 国見高校3年時に全国高等学校サッカー選手権大会優勝、大会優秀選手にも選ばれた。 1991年にマツダSC(現、サンフレッチェ広島)に入団。同期は森山佳郎、森秀昭、柳本啓成、笛真人、松山大輔、小倉一浩がいる。その後引き続き、サンフレッチェ広島にも在籍したが、トップ出場はなし。 1993年に京都パープルサンガ(現、京都サンガF.C.)に移籍、2年間プレーしたあと1995年に現役引退。
森 秀昭(もり ひであき、1972年10月16日 - )は、… 森 秀昭(もり ひであき、1972年10月16日 - )は、長崎県諫早市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 現FCバイエルン・ツネイシU-13コーチ。 1991年にマツダSCに入団。同期は森山佳郎、柳本啓成、笛真人、路木健、松山大輔、小倉一浩。しかし、トップチームであるマツダSCでの出場機会はなく、サテライトチームであるマツダSC東洋での出場のみだった。サンフレッチェ広島設立とともにプロ契約。1995年にビム・ヤンセン監督によってレギュラーに抜擢されるも、翌1996年は怪我もあり出場は無かった。 同年途中にアビスパ福岡へ移籍すると、レギュラーとして活躍。1998年にはJ1参入決定戦にも出場し、得点した。
柳本 啓成(やなぎもと ひろしげ、1972年10月15日 -… 柳本 啓成(やなぎもと ひろしげ、1972年10月15日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは(DF)。現在は株式会社DF3代表取締役。YANAGI FIELD代表。YF NARA TESORO(ジュニアチーム)GM。元妻は女優・タレントの岡元あつこ。血液型B型。 大阪府東大阪市に生まれ、小学2年生のときに奈良県に転居。1991年に奈良育英高校からマツダSCに入団。同期は森山佳郎、森秀昭、笛真人、路木健、松山大輔、小倉一浩。トップチームであるマツダSCでの出場機会はなかった。 サンフレッチェ広島設立とともにプロ契約。創設期の広島では若手選手No.1の人気を博し、全国的にアイドル的な存在だった。
浜野 征哉(はまの ゆきや、1972年9月28日 - )は、… 浜野 征哉(はまの ゆきや、1972年9月28日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはゴールキーパー(GK)。桐光学園卒。パリオリンピックを目指すU-21日本代表GKコーチ。 学生時代は桐光学園高校サッカー部第11期生として活躍した。当時、自分でメニューを考え練習した経験がコーチとして役に立っていると語る。 1991年に入団テストを経てヤマハ発動機サッカー部(現ジュビロ磐田)に入団するも、負傷を頻発させ手術を繰り返したこともあって出場機会には恵まれなかった。 1996年、全国地域リーグ決勝大会出場を控えたフランツ・ファン・バルコム監督率いるアルビレオ新潟FCへ移籍。
松尾 一(まつお はじめ、英:MATSUO Hajime、1… 松尾 一(まつお はじめ、英:MATSUO Hajime、1972年9月26日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元サッカー審判員(プロフェッショナルレフェリー、元国際審判員)である。 茨木市立南中学校、大阪府立茨木東高等学校卒業後、大阪電気通信大学在学中、関西学連から“第1回レフェリースクール”に誘われ、審判の道を目指し始める。1997年に1級審判員登録。2004年からはJ1リーグの主審として活動している。 2005年に国際主審に登録されたが、大陸間プレーオフで第4審を担当した際、主審の吉田寿光をサポートできず、PKの誤審を招き、2006年に一度国際主審を外れた。しかし、2007年より再び国際主審として活動することになった。
根子 達也(ねこ たつや、1972年9月25日 - )は、岩… 根子 達也(ねこ たつや、1972年9月25日 - )は、岩手県花巻市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDF、FW。 盛岡商業高等学校から東北電力サッカー部(現ベガルタ仙台)に入部。Jリーグ参入を目指し、ブランメル仙台となってからも中心選手として活躍した。ベガルタ仙台がジャパンフットボールリーグに在籍していた時代を支えた選手のひとりである。 1999年には横浜FCに移籍し、ブランメル仙台でチームメイトだったピエール・リトバルスキー監督の下でプレーした。2005年には地元の岩手に戻り、グルージャ盛岡に入団した。2006年からは母校の盛岡商業高等学校でコーチなどをしながら盛岡ゼブラに所属している。
山岸 範之(やまぎし のりゆき、1972年9月22日 - )… 山岸 範之(やまぎし のりゆき、1972年9月22日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはゴールキーパー(GK)。 日本大学卒業後の1995年にNTT関東サッカー部(現:大宮アルディージャ)に入団。古島清人らと正GKの座を争った。1999年、チームのJリーグ加盟に伴い退団。NTTの社員を務めつつ、横河電機サッカー部(現:東京武蔵野シティFC)に入団して2003年をもって現役を引退した。 現役引退後は母校の日本大学サッカー部などでコーチを務めていた。2006年、植木繁晴に引き抜かれ、ザスパ草津に加入。5年間GKコーチを務めたが、2010年に「さらに上を目指したい」と退団。
森下 仁志(もりした ひとし、1972年9月21日 - )は… 森下 仁志(もりした ひとし、1972年9月21日 - )は、和歌山県海南市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィルダー(MF)。 帝京高校では、2学年上に遠藤雅大(昌浩)、池田伸康、保坂信之、1学年下に日比威、清野乙彦と清野公彦兄弟、2学年下には松波正信、阿部敏之、丸山良明、時岡宏昌がいた。 順天堂大学卒業後の1995年にガンバ大阪に入団。2001年7月に、コンサドーレ札幌に期限付き移籍で加入し、翌2002年には完全移籍となった。2002年にはチームキャプテンを務めた。 2004年には大学時代の同期・名波浩が在籍していたジュビロ磐田に完全移籍 するが、若返りを進めるチームにあって出場機会にはあまり恵まれなかった。
武田 治郎(たけだ じろう、1972年9月18日 - )は、… 武田 治郎(たけだ じろう、1972年9月18日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはゴールキーパー。 1991年にヤンマーディーゼルサッカー部に入団。正GKの伊藤裕二がいたため、3年間公式戦での出場機会がなかった。 1995年、開幕当初は正GKだったものの、その後ジルマールにポジションを奪われ、再び控えGKとなる。 1997年、1stステージでジルマールが退団後も、下川誠吾が正GKとなり、1998年の退団まで控えGKであった。 1999年にヴィッセル神戸に移籍し、チームの年間MVPに選ばれた。2000年に三浦知良、中山雅史の二人に100ゴール目を決められたGK。
阿部 良則(あべ よしのり、1972年9月10日 - )は、… 阿部 良則(あべ よしのり、1972年9月10日 - )は、神奈川県藤沢市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 藤嶺学園藤沢高等学校在学中に読売クラブのユースチームに加入。高校卒業後、読売ジュニオールを経てトップチームの読売クラブに昇格し、1992年のJリーグ発足に伴いプロサッカー選手としての道を歩む。 1995年、ブランメル仙台(現 ベガルタ仙台)に期限付き移籍。1996年には当時ジャパンフットボールリーグ所属でJリーグ準会員としてJリーグ昇格を目指していた鳥栖フューチャーズに加入するが、チーム解散により翌年ヴェルディに復帰する。 1998年、再びブランメルに移り、チームの中心として活躍。
渡辺 毅(わたなべ たけし、1972年9月10日 - )は静… 渡辺 毅(わたなべ たけし、1972年9月10日 - )は静岡県藤枝市出身の元サッカー選手(ディフェンダー)。 1995年に柏レイソルに入団。2004年シーズン限りで現役引退し、現在はJリーグ・柏レイソルのジュニアチームでコーチを務めている。1999年のJリーグカップ決勝MVP。
小山 健二(こやま けんじ、1972年9月5日 - )は広島… 小山 健二(こやま けんじ、1972年9月5日 - )は広島県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー。 1995年、大分トリニティに入団。即戦力として入団直後から正GKの座を掴んだ。しかし、2000年になると元日本代表の前川和也が加入し控えに降格。前川引退後の2002年には同じく代表経験者である岡中勇人が加入し、出場機会は限られてた。結局、2003年に退団。 2004年に横浜FCへ移籍するも、既に菅野孝憲がレギュラーとして君臨しており、2005年にリーグ7試合に出場した以外は出場機会を得られなかったが、チームが初のJ1昇格から1年でJ2に降格し、菅野が柏レイソルへ移籍した2008年は大分時代以来となる正GKとしてプレー。
赤羽 邦彦(あかばね くにひこ、1972年8月20日 - )… 赤羽 邦彦(あかばね くにひこ、1972年8月20日 - )は、長野県出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。長野県出身者で初のJリーガーである。
足立 修(あだち おさむ、1972年8月19日 - )は日本… 足立 修(あだち おさむ、1972年8月19日 - )は日本の元サッカー選手。島根県八束郡宍道町(現松江市)出身。現サンフレッチェ広島強化部長。
若松 賢治(わかまつ けんじ、1972年8月16日 - )は… 若松 賢治(わかまつ けんじ、1972年8月16日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手(FW)、指導者(JFA B級コーチ)。登録名は「若松 賢治」 小学3年生から本格的にサッカーを始め、当初はゴールキーパーとしてプレーする。中学2年時からFWに転向、以降現役時代はポストプレーを得意とした。 鹿児島実業高等学校出身。同級生に笛真人、2期先輩に岩元洋成、1期先輩に片野坂知宏、1期後輩に前園真聖・仁田尾博幸・藤山竜仁、2期後輩に笹原義巳がいる。高校3年の時にエースとして第69回全国高等学校サッカー選手権大会準優勝に導いた。 1991年に福岡大学へ進学し、バルセロナ五輪代表候補にも選ばれている。 1991年から練習参加していたものの、1992年ヤマザキナビスコカップではサンフレッチェ広島の選手として登録されていない。
内田 利広(うちだ としひろ、1972年8月12日 - )は… 内田 利広(うちだ としひろ、1972年8月12日 - )は、長崎県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF(守備的MF)。 小学生時代に多比良少年団で全日本少年サッカー大会準優勝、中学時代に国見中学で全国中学校サッカー大会準優勝、高校時代に国見高等学校で全国高校サッカー選手権大会優勝の実績を持つ。またU-17サッカー日本代表やバルセロナ五輪予選代表にも選出されている。 1995年に入団した名古屋グランパスエイトでは1試合の出場に留まったが、1997年に移籍したセレッソ大阪では運動量の多い、いぶし銀のボランチとして66試合に出場した。 現役引退後はセレッソ大阪ユースのコーチを経て、2003年以降は国見町(現:雲仙市)役場に勤務している。
村田 達哉(むらた たつや、1972年8月8日 - )は、東… 村田 達哉(むらた たつや、1972年8月8日 - )は、東京都出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(左サイドバック)。 読売ユース、ジュニオールを経て、ヴェルディ川崎に加入後、旧JFLの東芝(今のコンサドーレ札幌)へ移籍。札幌では左サイドバックや、3バック時は左のウイングバックでプレーした。 2000年からはベガルタ仙台へ加入するも、怪我に泣かされることが多く、2003年シーズン途中からは大宮アルディージャにレンタル移籍し、2004年限りで現役を引退。ベガルタ仙台のフロントを経て、2005年5月よりキエーボ・ヴェローナ(イタリア・セリエA)にてコーチ留学。 2008年2月25日、コンサドーレ札幌の強化部スカウト担当、翌2009年にはトップチームコーチ、2013年にはU-15コーチに就任する。
鳥居塚 伸人(とりいづか のぶひと、1972年8月7日 - … 鳥居塚 伸人(とりいづか のぶひと、1972年8月7日 - )は、群馬県前橋市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。 群馬県立前橋商業高校時代に1学年先輩の服部浩紀らとともに高校選手権でベスト4を経験し、その後東海大学に入学。中心選手として大車輪の活躍を見せ、大学卒業後はコスモ石油に加入。 1997年、コンサドーレ札幌に入団。念願のJリーガーとなったが、第3節柏レイソル戦での幻のVゴール(一度は認められたが相手の抗議で覆されている)を除けば持ち味を出し切れず1998年限りで戦力外通告を受け退団。 1999年からは地元・群馬県の社会人チームの図南SC(現:tonan前橋)に移籍し、チームの精神的支柱としてチームを引っ張り、当時群馬県社会人サッカーリーグ1部に所属していたチームの関東リーグ昇格に大きく貢献した。
朝野 安之(あさの やすゆき、1972年8月3日 - )は、… 朝野 安之(あさの やすゆき、1972年8月3日 - )は、東京都杉並区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは、ゴールキーパー(GK)。 小学校4年生でサッカーを始めた。高校卒業後、2年間ブラジルへサッカー留学し、CAレンソエンセ(ポルトガル語版)、キンゼ・デ・ジャウー、スポルチ・レシフェのU-20でプレーした。ビザの関係で1993年に一旦帰国し、1994年に再びブラジルへ渡り、アメリカFC (リオグランデ・ド・ノルテ州)のトップチームに練習生として参加した。 1995年、パラグアイへ渡り、クラブ・ナシオナルの練習に参加。同年、さらにボリビアへ移り、ザ・ストロンゲストとプロ契約を結んだ。
奥原 崇(おくはら たかし、1972年7月31日 - )は、… 奥原 崇(おくはら たかし、1972年7月31日 - )は、東京都稲城市出身のサッカー指導者、元サッカー選手、フットサル選手。 堀越高校、中央大学を経て、1995年に東京ガスサッカー部(現 FC東京)に加入。高いテクニックと創造性のあふれるプレーでファンタジスタとして活躍し、FC東京の初代背番号10を背負った。スルーパスやボレーシュートに代表される攻撃センス溢れるプレーと、ポニーテールをなびかせた外見から「ロベルト・オク」、「東京のバッジョ」と呼ばれ愛された。 しかし、大学時代にファウルを受けた際に膝を負傷して以来、この怪我との戦いが続いた。髪型をバッジョに肖ったのも、バッジョが重傷からの復活を遂げた選手だからだった。
深川 友貴(ふかがわ ともたか、1972年7月24日 - )… 深川 友貴(ふかがわ ともたか、1972年7月24日 - )は、北海道室蘭市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代は主にフォワードを務めた。 室蘭市出身。小学校から中学校まで室蘭市で育ち、体格の良さなどサッカーにおいても数々の記録を残し、室蘭に深川ありと有名になる。しかし中学3年に大工だった父の仕事の都合で神奈川県に引っ越すが、その際北海道のサッカー強豪校、室蘭大谷高等学校の監督だった高橋正弘氏の計らいで当時室蘭大谷高校と親交のあった日産自動車サッカー部の監督だった加茂周氏を通じて日産FCジュニアユースに入る。中学卒業後単身で室蘭に戻り室蘭大谷高校へ入学し、サッカー部で1年時よりレギュラーをつかみ、1学年上の京谷和幸と道内敵無しの時代を築いた。
土橋 正樹(つちはし まさき、1972年7月23日 - )は… 土橋 正樹(つちはし まさき、1972年7月23日 - )は神奈川県横浜市出身で浦和レッドダイヤモンズに所属した元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー、ミッドフィルダー。 神奈川県出身であるが小学時代は静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で過ごし、6年生の時に清水FCの一員として山田隆裕らと共に全日本少年サッカー大会に出場。高校は宮城県の東北学院高校へ進学、3年次の1990年に高校総体でベスト4進出に貢献すると、日本ユース代表に選出され名波浩、藤田俊哉らと共にAFCユース選手権に出場した。 国士舘大学を経て1995年に浦和レッドダイヤモンズに入団。ホルガー・オジェック監督の下でボランチとしてレギュラーの座を掴むと、前年まで2年連続最下位に終わった浦和の1stステージ3位に貢献、翌1996年には日本代表にも選出された。
松山 大輔(まつやま だいすけ、1972年7月20日 - )… 松山 大輔(まつやま だいすけ、1972年7月20日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。 1991年にマツダSCに入団。同期は森山佳郎、森秀昭、柳本啓成、路木健、小倉一浩、笛真人。1992年のJリーグカップの横浜M戦でベンチ入りしたが出場機会は無かった。 1992年に広島を退団。1993年からは関西でプレーし1998年に現役引退。 現在はレバンテ大阪でコーチを務める他、2013年から大阪国際大学女子サッカー部のコーチを務めている。
新明 正広(しんみょう まさひろ、1972年7月16日 - … 新明 正広(しんみょう まさひろ、1972年7月16日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手である。ポジションはMF、FW。
関野 淳太(せきの じゅんた、1972年7月16日 - )は… 関野 淳太(せきの じゅんた、1972年7月16日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身の元サッカー選手、元フットサル選手、元指導者、経営者。 日本フットサルリーグ (Fリーグ) ディヴィジョン1 ASVペスカドーラ町田の運営会社「株式会社 CASCAVEL FUTSAL CLUBE」取締役社長。 1972年、神奈川県に生まれる。小学生時に地元クラブの松浪SCでサッカーを始める。中学まで地元茅ケ崎でサッカーを続け、藤嶺学園藤沢高等学校に進学。3年時の全国高校サッカー選手権神奈川県予選ベスト8ではのちに日本代表となる岩本輝雄擁する横浜商科大学高等学校に敗れる。 高校卒業後、1991年に単身ブラジルへサッカー留学。
永井 隆幸(ながい たかゆき、1972年7月13日 - )は… 永井 隆幸(ながい たかゆき、1972年7月13日 - )は、Jリーグ・サガン鳥栖のチームスタッフ。事実上の前身である鳥栖フューチャーズ時代から継続して所属している唯一のスタッフとして知られる。 佐賀県多久市出身。小学校のころからサッカーを始め、小城高校時代には県選抜チームにも選出された。進学した東洋大学でもサッカーを続け、東京都大学サッカー連盟の総務部長を3年間務めた。 1995年に鳥栖フューチャーズの運営会社「佐賀スポーツクラブ」に入社。マネージャーとしてチームを支える。97年に会社が倒産したときはボランティアで選手のケアを続けた。新チーム「サガン鳥栖」が結成されると、引き続き運営スタッフの一員として参加した。
西塚 定人(にしづか さだと、1972年7月13日 - )は… 西塚 定人(にしづか さだと、1972年7月13日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、代理人。ポジションはゴールキーパー。 暁星高校3年時に高校選手権へ出場しベスト8進出。 青山学院大学在学中の1992年6月、同大学サッカー部監督が広報担当を勤めていた浦和レッドダイヤモンズへ加入。トップチーム、サテライトでの出場機会はなく、1993年1月に退団した。 その後は青山学院大学へ復学し学生コーチも務める、卒業後は横浜マリノスの主務を務めた。2001年に佃ロベルトと共に株式会社「スポーツコンサルティングジャパン」を設立、同社の取締役を務めている。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。
大石 尚哉(おおいし たかや、1972年7月7日 - )は、… 大石 尚哉(おおいし たかや、1972年7月7日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはGK。 高校年代は名波浩、薩川了洋、大岩剛、山田隆裕、望月重良ら錚々たるメンバーと共に清水商黄金期を築いた。 筑波大学を経て1995年にヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)へ加入。1997年には正GK菊池新吉の負傷もあり、レギュラー取りまで後一歩のところまで到達するが結局定位置を確保出来なかった。 1998年4月、前川和也の負傷によりGKの層が薄くなったサンフレッチェ広島にレンタル移籍、同年9月ヴェルディ川崎に復帰。1999年からは横浜FCに加入し、同チームの初代守護神として活躍した。
小原 一典(おはら かずのり、1972年7月5日 - )はサ… 小原 一典(おはら かずのり、1972年7月5日 - )はサッカー指導者。JFA公認指導者の海外派遣により、ブータン代表監督や、カンボジア技術委員長を歴任している。 1972年7月5日生まれ、千葉県船橋市出身。船橋市立船橋高等学校でプレーした後、獨協大学法学部に進学し、サッカー部に所属。 1996年より草加ジュニアユースで指導者としての活動を開始。1999年から留学のためスペインへ渡り、地域リーグでプレーしたほか、ユースチームを含む4つのクラブで監督やアシスタントコーチを務めた。2003年にスペインサッカー連盟コーチングライセンスレベル3を取得、帰国後の2004年には日本サッカー協会公認C級コーチライセンスを取得した。
皆本 勝弘(みなもと かつひろ、1972年7月2日 - )は… 皆本 勝弘(みなもと かつひろ、1972年7月2日 - )は、広島県広島市安芸区矢野出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはMF、中盤のあらゆるポジションを担当した。 広島市立矢野中学校出身で、先輩に佐藤康之、後輩に森崎和幸・浩司兄弟がいる。広島県立広島工業高等学校 では、1つ先輩に桑原裕義・梶山洋一がいる。桑原とはのちにサンフレッチェ広島で共にプレー経験がある。 1991年高校卒業後、ヤンマーディーゼルサッカー部(現セレッソ大阪)に入部する。1994年セレッソ大阪設立 後も主力メンバーとして活躍した。 1998年、地元のサンフレッチェ広島へ移籍。同年のシーズン終了後に戦力外通告を受け、現役を引退した。
滝 雅美(たき まさみ、1972年6月28日 - )は、東京… 滝 雅美(たき まさみ、1972年6月28日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 中京大学在学時にサッカー選手としてプレーしていた。1995年から2001年までセレッソ大阪アカデミーでコーチを務める。その後、FC琉球ユース監督を経て、2009年にタイ・ホンダFCの監督に就任。タイ・リーグ史上初の日本人監督となる。2010年に一度退任するが、2014年に再びタイ・ホンダFC監督に就任。2016年、監督を退任し、ゼネラルマネージャーに就任。。2017年、タイ・ホンダを退団。その後は2017年にパタヤ・ユナイテッドFCのゼネラルマネージャー、2018年に藤枝MYFCの強化部兼アカデミーダイレクター、2019年にセレッソ大阪サッカースクールのコーチを歴任する。
関 浩二(せき こうじ、1972年6月26日 - )は、東京… 関 浩二(せき こうじ、1972年6月26日 - )は、東京都青梅市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(FW)。 小学生の頃から読売サッカークラブ(現:東京ヴェルディ)の下部組織に所属。1990年にトップチームに入団(第2節より追加登録)したが、出場機会には恵まれず読売サッカークラブ・ジュニオールに登録変更し、JSL2部でプレーしていた。 1994年、ジャパンフットボールリーグ・東京ガスサッカー部(現 FC東京)に移籍。同部にとっては初の日本人選手とのプロ契約だった。関はアマラオと2トップを組み、負傷や累積による出場停止を除いてフル出場を続け得点を量産。攻撃の軸の一人としてサポーターからも絶大な支持を得ていた。
大岩 剛(おおいわ ごう、1972年6月23日 - )は、静… 大岩 剛(おおいわ ごう、1972年6月23日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(U-23日本代表監督)。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。JFA(日本サッカー協会)指導者養成インストラクター。 静岡市立清水商業高等学校を卒業後、1995年に筑波大学から名古屋グランパスエイトに入団。ルーキーながら出場機会を獲得し、また当時は左サイドバックとしてのプロ入りだったが、当時のアーセン・ベンゲル監督から足元の技術や視野の広さを買われ、センターバックにコンバートされた。2000年にはA代表にも選ばれ順調なスタートを切ったに思えたが、シーズン途中に当時監督だったジョアン・カルロスとの確執が表面化し、主力で自身と同じ清水市商OBの平野孝と望月重良と共に「チームの和を乱したとして」突然解雇される。
藏田 茂樹(くらた しげき、1972年6月22日 - )は京… 藏田 茂樹(くらた しげき、1972年6月22日 - )は京都府城陽市出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはDF(センターバック)。 順天堂大学では名波浩と同級生。体を張ったハードでタイトな守備を得意とした。またキャプテンシーに優れ、セレッソ大阪では選手会長、アビスパ福岡ではキャプテンを務める。現役引退後は古巣セレッソなどでコーチを務めた。
岩崎 勇二(いわさき ゆうじ、1972年6月18日 - )は… 岩崎 勇二(いわさき ゆうじ、1972年6月18日 - )は、日本の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 古河第一高校を卒業後の1991年、日本サッカーリーグの東日本JR古河サッカークラブ(後のジェフユナイテッド市原)に加入。JR古河時代、市原時代を含めてトップチームでの出場機会はなかった。その後、プリマハム土浦でプレーした後に引退した。 1992年から母校の古河第一高校でコーチを務めるなどサッカー指導者として活動し、2007年から育成年代のサッカークラブ・FC古河の代表兼監督を務めている。このほか、茨城県クラブユース連盟の理事や理事長、関東クラブユースサッカー連盟理事などの役職を歴任している。
西形 浩和(にしがた ひろかず、1972年6月15日 - )… 西形 浩和(にしがた ひろかず、1972年6月15日 - )は、静岡県出身のサッカー指導者。 福岡大学大学院ではコーチ学を専攻し、2004年からは大分トリニータのフィジカルアシスタントコーチに就任。2006年に湘南ベルマーレへ移り、育成部やフットサルクラブでフィジカルコーチを務めた。2012年よりトップチームのS&Cコーチに就任。
石井 豊(1972年6月12日 - )は、埼玉県出身のサッカ… 石井 豊(1972年6月12日 - )は、埼玉県出身のサッカー指導者、元サッカー選手。選手時代のポジションはディフェンダー(DF)。 浦和学院から明治大学に進学すると、2年生時からセンターバックとして活躍。4年時に同校の関東大学サッカーリーグ一部復帰に貢献し、二部リーグのベストイレブンに選出された。 大学卒業後は鳥栖フューチャーズに入団。DFながら強烈なフリーキックで得点を挙げるなど活躍したが、チーム解散の憂き目にあい、東京ガス(後のFC東京)へ移籍。4バックを採用していた東京ガスではサイドバックでも起用され、攻撃参加時にはしばしば豪快なロングシュートを放った。 引退後は4年間、母校の浦和学院高校サッカー部コーチを務め、2003年からFC東京に普及部コーチとして復帰。
蓮見 知弘(はすみ ともひろ、1972年6月6日 - )は、… 蓮見 知弘(はすみ ともひろ、1972年6月6日 - )は、東京都保谷市(現西東京市)出身の元サッカー選手。現役時代のポジションは主にミッドフィールダー(MF)。 Jリーグのヴェルディ川崎やベガルタ仙台でプレーした後、2001年限りで現役を引退。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
東明 有美(とうめい ゆみ、1972年(昭和47年)6月1日… 東明 有美(とうめい ゆみ、1972年(昭和47年)6月1日 - )は、日本の元女子サッカー選手、博士、大学教員。選手時代のポジションは主にディフェンダー(右サイドバック)だが、フォワードやミッドフィールダーとして登録されたこともある。 岐阜県岐阜市出身。岐阜県立岐阜高等学校を経て天理大学卒業。後に大阪教育大学大学院にも在籍した。 岐阜高校に在学していた1988年、プリマハムFCくノ一に加入。ディフェンスの要として日本女子サッカーリーグでは第7回日本女子サッカーリーグ(1995年)と第11回日本女子サッカーリーグ(1999年)の2度の制覇に貢献した。 日本代表でも活躍し、世界選手権(W杯)では第2回大会(1995年)と第3回大会(1999年)に、またアトランタオリンピック(1996年)にも出場した。
山橋 貴史(やまはし たかし、1972年5月31日 - )は… 山橋 貴史(やまはし たかし、1972年5月31日 - )は北海道札幌市出身の元サッカー選手。ポジションはFW、MF。 札幌第一高等学校から1991年に日本サッカーリーグ(当時)のヤンマーに入部。チームがセレッソ大阪となった1994年シーズンにレギュラーポジションを獲得し、森島寛晃、マルキーニョス、モウラらとともに、攻撃の中心として活躍。同年のJFL優勝・Jリーグ昇格に貢献した。 Jリーグデビューとなった1995年シーズンは、バルデスらの加入もあって先発出場は減るが、開幕戦の対広島戦では途中出場ながらVゴールを決めるなど、スーパーサブとして活躍した。その後1997年にコンサドーレ札幌、1999年に夕張ベアフット(現ベアフット北海道)に移籍した。
森 敦彦(もり あつひこ、1972年5月31日 - )は、日… 森 敦彦(もり あつひこ、1972年5月31日 - )は、日本の元サッカー選手、現ファッションデザイナー。兵庫県出身。 妻はモデルで、子供服・婦人服ブランド「HUG O WaR」(ハグ・オー・ワー)のデザイナーでもある雅姫。また、一女 (1996年生) の父である。 滝川第二高校卒業後、1991年に日本サッカーリーグ所属の全日空横浜サッカークラブ(後の横浜フリューゲルス)に入団。Jリーグ草創期の人気ゴールキーパーとして活躍。ロングヘアやドレッドヘア、バンダナといった風貌で一躍有名となり、レゲエ音楽の愛好家でもあることから「レゲエくん」と呼ばれた。 Jリーグでの活躍から日本代表候補に選出されるなど、順風満帆な時期を過ごしていたが、1995年8月12日の長崎県立総合運動公園陸上競技場での対浦和レッドダイヤモンズ戦において、判定を不服とし審判に対し故意に肩を当てた暴力行為で、3か月出場停止という厳しい処分が下された(当該試合は0-6で完敗。
小倉 一浩(おぐら かずひろ、1972年5月10日 - )は… 小倉 一浩(おぐら かずひろ、1972年5月10日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手。 大阪府立三島高等学校卒業。1991年にマツダSC東洋に入部。同期は森山佳郎、森秀昭、柳本啓成、路木健、松山大輔、笛真人。
野々村 芳和(ののむら よしかづ、1972年5月8日 - )… 野々村 芳和(ののむら よしかづ、1972年5月8日 - )は、第6代日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)理事長(チェアマン)、第3代日本女子プロサッカーリーグ(WEリーグ)理事長(チェア)。元プロサッカー選手で、現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。現役引退後はサッカー解説者、Jリーグ・北海道コンサドーレ札幌の運営会社である株式会社コンサドーレ代表取締役会長などを務めた。 静岡県清水市(現・静岡市清水区)で生まれ、小学1年の時にサッカーを始める。小学6年から原因不明の発作に襲われるも試合に出続けたが、試合中に発作が起きるようにもなった。清水市立第四中学校から静岡県立清水東高等学校へと進学。
岩本 輝雄(いわもと てるお、1972年5月2日 - )は、… 岩本 輝雄(いわもと てるお、1972年5月2日 - )は、神奈川県横浜市金沢区出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。ベルマーレ平塚を皮切りに名古屋グランパスエイトを退団するまで6チーム(ベルマーレの前身、フジタを除く)に在籍した。 2004年に名古屋グランパスエイトを退団後、約2年間選手生活から遠ざかっていたが、2006年10月、ニュージーランドのオークランド・シティFCと契約を結び、12月に行われたFIFAクラブワールドカップのオセアニア地区代表として2試合に出場した。独身。 横浜商科大学高等学校卒業後の1991年、フジタサッカークラブに加入。高校時代まではミッドフィールダーだったが、同年7月にニカノールヘッドコーチによって左サイドバックにコンバートされた。