花岡 優平(はなおか ゆうへい、1952年1月6日 - )は… 花岡 優平(はなおか ゆうへい、1952年1月6日 - )は、大分県別府市出身で、同県を拠点に活動する日本のミュージシャン、ラジオパーソナリティである。日本著作家連合常務理事。花岡優平音楽事務所。 別府市立浜脇中学校卒業。16歳の時、大分から単身上京。新聞配達店に住み込みで働きながら学校に通う。 1978年、弟の花岡茂、同級生の久保豊と結成したフォークグループ音つばめでデビュー。その後、作曲家として活動。 高田みづえ「愛の終りに」(作詞・作曲)で得た印税が、自身の音楽活動で得ていた収入の何倍もあったため、裏方に回る。 花岡自身が作詞・作曲・編曲を全て手掛け、2008年に発売された秋元順子の「愛のままで…」は、翌2009年1月にはオリコン総合シングルチャート第1位を獲得しロングセラーとなった。
カズコ・ホーキ(本名:法貴 和子(ほうき かずこ)、1952… カズコ・ホーキ(本名:法貴 和子(ほうき かずこ)、1952年 - )は、イギリス在住の日本人ミュージシャンである。 東京都出身。大平正芳の姪。東京大学文学部宗教学科卒業。東大時代の同級生に四方田犬彦がいる。 1978年に日本からイギリス・ロンドンに渡る。 1982年、ロンドンで日本人のボーカル・グループ「フランク・チキンズ」を結成し、これまでに「WE ARE NINJA」などのアルバムをリリースし、日本、オーストラリア、ニュージーランド、米国、カナダ、ソビエトのツアーを敢行したことがある。 ロンドン在住の作曲家・佐藤道朗とは親しい間柄にあり、1996年のチキンズのドイツでのツアーでは前座を務めている。
角田 順(すみだ じゅん、1952年 - )は、日本のギタリ… 角田 順(すみだ じゅん、1952年 - )は、日本のギタリスト、スタジオ・ミュージシャン。鳥取県米子市出身。 小学校の時に流行っていたパット・ブーンに興味を持ったことをきっかけに洋楽に夢中になり、中学3年の頃にはベンチャーズの魅力に嵌る。同級生の家に遊びに行った際、たまたま目に入った彼の父親のクラシックギターに魅かれ、ギターを弾こうと決意する。元々音楽は好きだったが、歌うことが苦手だったため歌は向いていないと自覚し、楽器に興味を向けたという。 つのだ☆ひろ&スペース・バンドへの参加でプロデビューを果たす。以降、小坂忠&ウルトラ、ふきのとう、自身のバンドNASAを経て、1980年にフリーランスとなる。
小林 和生(こばやし かずお、1951年12月5日 - )は… 小林 和生(こばやし かずお、1951年12月5日 - )は、日本のフォーク、ロックミュージシャン、ベーシスト。林小 和生(りんこ わせい、リンコワッショー)こばやし やわおとも。RCサクセション時代の愛称は「リンコ」「リンコさん」。 東京都国分寺市出身。忌野清志郎とは小学生の時からの同級生。忌野とともにRCサクセションの最古参メンバー。1966年に忌野、破廉ケンチと共にバンド「ザ・クローバー」を結成。ザ・クローバーは1968年にRCサクセションとなる。 RCサクセションの不遇時代には東京芸術大学のベース科に入学して腕と理論を強化した。実弟の小林キンスケ(一樹)もPAエンジニアとしてRCサクセションと関わっている。
松尾 清憲(まつお きよのり、1951年12月5日 - )は… 松尾 清憲(まつお きよのり、1951年12月5日 - )は、福岡県出身のミュージシャン。九州大学工学部合成化学科卒業。ソニー・ミュージックパブリッシング所属。
木原 慶吾(きはら・けいご、1951年11月12日 - )は… 木原 慶吾(きはら・けいご、1951年11月12日 - )は、佐賀県を拠点に活動する日本の歌手、ラジオパーソナリティ、ローカルミュージシャン、音楽プロデューサー。「サウンドスピリッツ」代表取締役。血液型はO型。
立花 ハジメ(たちばな はじめ、1951年10月28日 - … 立花 ハジメ(たちばな はじめ、1951年10月28日 - )は東京都出身のミュージシャン及びグラフィックデザイナー、映像作家。
破廉 ケンチ(はれん けんち、1951年9月19日 - )は… 破廉 ケンチ(はれん けんち、1951年9月19日 - )は、日本のフォーク、ロックミュージシャン。本名 桶田賢一。RCサクセション時代の愛称は「ケンちゃん」。 九州出身。中学時代に国分寺市立第三中学校に転校し、忌野清志郎、小林和生らと出会う。1966年に忌野、小林と共にバンド「ザ・クローバー」を結成。ザ・クローバーは後の1968年にRCサクセションとなる。主にアコースティック・ギター(リード)を担当。コンサートでの毒舌は忌野と双璧をなしていた。RCのセカンドアルバム「楽しい夕に」には彼の数少ないソロ・ヴォーカル曲「忙しすぎたから」が収録されている。 RCの不遇時代には福生で三浦友和と同居していた。
ジョニー 大倉(ジョニー おおくら、1951年〈昭和26年〉… ジョニー 大倉(ジョニー おおくら、1951年〈昭和26年〉9月3日 - 2014年〈平成26年〉11月19日)は、ミュージシャン・俳優。本名:大倉 洋一(おおくら よういち)、韓国名:朴 雲煥(박운환 / パク・ウナン)。神奈川県川崎市出身。在日韓国人2世。血液型AB型。身長172cm、体重67kg(1982年)。 1972年にキャロルを結成し、ミッキー・カーチスのプロデュースでデビュー。キャロルでは、ギターと作詞を担当。矢沢永吉と共に曲作りのコンビを組んで、1973年には「ファンキー・モンキー・ベイビー」などの大ヒット曲を生み出した。1975年にキャロルによる共著『暴力青春』で在日韓国人二世であることを告白する。
鈴木 慶一(すずき けいいち、1951年8月28日 - )は… 鈴木 慶一(すずき けいいち、1951年8月28日 - )は、日本の男性ミュージシャン、ムーンライダーズのボーカル、リーダー。シンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、俳優としても活動する。本名同じ。 父は俳優の鈴木昭生。弟は同じムーンライダーズのベーシストである鈴木博文。 東京都大田区東糀谷出身。新設当時の東京都立羽田高等学校卒業。 高校卒業後、浪人して大学受験をするために予備校に通うも3日で辞める。職も探せば無かったわけではないので、何とかなるだろうと思ったという。 1970年に鈴木の母親が勤めていた会社でアルバイトをしていたあがた森魚と出会い、本格的な音楽活動を開始。
カルメン・マキ(旧本名:Maki Annette Lovel… カルメン・マキ(旧本名:Maki Annette Lovelace、1951年5月18日 - )は、歌手、ロックミュージシャンである。本名:伊藤牧。日本国籍を取得するまでの本名はMAKI ANNETTE LOVELACEであったが、現在の本名は非公表。 アメリカ人の父と日本人の母との間に神奈川県鎌倉市で生まれる。父方の祖父はアイルランド人、祖母はユダヤ系ポーランド人。生まれて間もなく、父が帰国。母は肺結核を患っていたため、マキとともに日本に残った。母方の祖父母がいる東京都大田区で育つ[リンク切れ]。 1968年、香蘭女学校高等学校を2年次で中退。イラストレーターか役者になろうかと考えていた時期に、アングラ演劇の寺山修司が主宰していた劇団「天井桟敷」の舞台『青ひげ』にたまたま友人に連れられていった。
カルメン・マキ(旧本名:Maki Annette Lovel… カルメン・マキ(旧本名:Maki Annette Lovelace、1951年5月18日 - )は、歌手、ロックミュージシャンである。日本国籍を取得するまでの本名はMAKI ANNETTE LOVELACEであったが、現在の本名は非公表。
モト 冬樹(モト ふゆき、1951年〈昭和26年〉5月5日 … モト 冬樹(モト ふゆき、1951年〈昭和26年〉5月5日 - )は、日本のミュージシャン、タレント、俳優、声優。東京都豊島区巣鴨出身。デューズ所属(FIRST AGENTとの業務提携)。本名は武東 裕男(むとう ひろお)。兄はタレントのエド山口。 実家は開業医(産婦人科)。暁星小学校、暁星中学校・高等学校卒業。高校在学中は成績最上位クラスだったが、ギターに夢中になって2番目のクラスに落ちると、グッチ裕三と同クラスとなり音楽で意気投合、兄のエド山口とバンドを結成し音楽活動を始める。 プロデビューはグループ・サウンズブーム終息後に結成されたGS的バンドのローズマリー。当時の芸名は東冬木であった。1974年に、やはりGS的バンドのジュテームに参加していたが、またもブレイクすることなく解散した。
芳野 藤丸(よしの ふじまる、1951年4月21日 - )は… 芳野 藤丸(よしの ふじまる、1951年4月21日 - )は、日本のミュージシャン。所属事務所はto Coda Music。北海道函館市出身。スタジオ・ミュージシャンとしてのキャリアも長く、「新世紀エヴァンゲリオン」等の楽曲演奏にも参加している。 北海道函館市生まれ。 3歳の時からヴァイオリンをはじめ小学生の頃には、エルヴィス・プレスリー、リッキー・ネルソンなどのロックンロール音楽に親しむ。函館ラ・サール学園を卒業後、アメリカ合衆国西海岸を10ヶ月間放浪、帰国後大学に入学する。 1970年、大学入学と同時に上京、音楽サークル入部。ブリティッシュ・ロックに傾倒。学生仲間とバンド「WISH」を結成。
忌野 清志郎(いまわの きよしろう、1951年〈昭和26年〉… 忌野 清志郎(いまわの きよしろう、1951年〈昭和26年〉4月2日 - 2009年〈平成21年〉5月2日)は、日本のロックミュージシャン、俳優。本名、栗原 清志(くりはら きよし)。 RCサクセションを筆頭に、忌野清志郎 & 2・3'S、忌野清志郎 Little Screaming Revue、ラフィータフィーなどのバンドを率い、ソウル・ブルースを下地にしたロックサウンドを展開。そのステージ上における圧倒的な存在感と、1983年に発表されたRCサクセションのライブアルバム「THE KING OF LIVE」の印象から、ザ・キング・オブ・ロックの異名を取った。 長女は消しゴムハンコ作家の百世、アニメ監督の西久保瑞穂は従弟、声優の水谷優子は従弟の妻にあたる。
中村 耕一(なかむら こういち、1951年2月15日 - )… 中村 耕一(なかむら こういち、1951年2月15日 - )は、日本のミュージシャン、シンガーソングライター、俳優。北海道江差町出身、元JAYWALKのメンバー(ボーカル、ギター担当)。 北海道江差町出身。1969年、函館有斗高校を卒業。中学生時代にビートルズの音楽と出会い、高校1年生の時にアマチュア・バンドを結成。学校を卒業後もボーカリストとして地元でバンド活動を続ける。1980年、J-WALK(現・THE JAYWALK)結成とともに参加。1981年にデビュー。1993年、当時のヒット曲『何も言えなくて…夏』で第44回NHK紅白歌合戦に出場した。 2010年3月9日、覚せい剤取締法違反(所持)で逮捕。
青木 真一(あおき しんいち、1951年1月5日 - 201… 青木 真一(あおき しんいち、1951年1月5日 - 2014年12月18日)は、日本のロック系ミュージシャン。1970年代初頭に村八分の初代ベーシストとして活動を開始し、その後、スピード、タンブリングス、フールズ、ウイスキーズ、ティアドロップスにギタリストとして参加した。本名、青木 眞一。 出身は東京都台東区三ノ輪。新宿界隈でフーテンをやりながら、セツ・モードセミナーに入学。同校では、後に音楽活動を共にするケンゴ(スピードのボーカリスト)や小林コッペ(ベーシスト、キーボーディスト(現:ジニー・ムラサキ) クロスドレッシングでも有名)も在籍していた。在学中に元ダイナマイツのギタリストの山口冨士夫のスタジオセッションを見学した際に意気投合し、山口とともに京都に移住し柴田和志(チャー坊)と村八分を結成した。
阿部 登(あべ のぼる、1950年12月10日 - 2010… 阿部 登(あべ のぼる、1950年12月10日 - 2010年11月28日)は、日本の音楽プロデューサー、ブルース系ミュージシャン。大西ユカリのマネージメント全般を行うプロダクションの社長兼マネージャー。大阪の野外コンサート「春一番」の舞台監督、プロデューサー(第2回より参加)。ミュージシャンとして活動をする際は平仮名表記の「あべのぼる」。 大阪府大阪市阿倍野区生まれ。高校卒業後、1969年に上京。東京で山下洋輔トリオのマネージャーとして働いた後、1972年秋に大阪に戻り、大阪・なんば元町にあったコーヒーハウス「ディラン」(店主・大塚まさじ)を拠点に活動。大塚まさじらのザ・ディランIIのマネージメント及びレコードのプロデューサーを担当する傍ら、福岡風太らとともに、野外コンサート「春一番」の舞台監督、プロデューサーを務める。
遠藤 ミチロウ(えんどう みちろう、1950年11月15日 … 遠藤 ミチロウ(えんどう みちろう、1950年11月15日 - 2019年4月25日)は、日本のロックミュージシャン。本名は遠藤 道郎(読み同じ)。 福島県二本松市出身。1980年代から1990年代に活動していたパンク・ロックバンド、ザ・スターリンの結成者でありヴォーカリスト。スターリン解散以降はソロ、アコースティックバンドで活動し、還暦を越えても精力的にライブ活動を行っていた。
大久保 一久(おおくぼ かずひさ、1950年7月22日 - … 大久保 一久(おおくぼ かずひさ、1950年7月22日 - 2021年9月12日)は、日本のミュージシャン、フォークシンガー、シンガーソングライターである。薬剤師でもある。血液型はA型。愛称は「クボやん」。広島県呉市出身。広島県立呉宮原高等学校を経て、昭和大学薬学部卒業。
深野義和(ふかの よしかず、1950年3月20日 - )は日… 深野義和(ふかの よしかず、1950年3月20日 - )は日本の作詞家、作曲家、DJ、ミュージシャン。 東京都杉並区出身・在住。法政大学法学部法律学科卒業。身長173cm。血液型O型。
矢島 賢(やじま けん、クレジット表記・ken yajima… 矢島 賢(やじま けん、クレジット表記・ken yajima、1950年3月18日 - 2015年4月29日)は、日本のギタリスト、スタジオ・ミュージシャン。 ベーシストの江藤勲らとともに、日本の歌謡曲の黄金時代を、サウンド面で支えた。 次女はアートディレクターの矢島沙夜子。 群馬県前橋市生まれ。群馬県立渋川高等学校卒業後上京。ベトナム戦争最中の1969年より、横田や厚木等の在日米軍基地の将校クラブ、ティーンズ・クラブ等で演奏した。当時のゲストボーカルは五輪真弓。 その後東芝レコードプロデューサー渋谷森久の目に留まり、徐々にバンド活動からスタジオ・ミュージシャンの道を歩み始める。郷ひろみの「男の子女の子」や、山口百恵の「プレイバックPart2」、近藤真彦「ハイティーン・ブギ」などのヒット曲のセッションに参加し、セッション・ギタリストとしての名声を高める。
手仕事屋 きち兵衛(てしごとや きちべえ、1949年12月3… 手仕事屋 きち兵衛(てしごとや きちべえ、1949年12月31日 -)は、日本のミュージシャン・彫刻家・エッセイスト。 長野県松本市出身。長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。本名、伊東重喜。 音楽の道を志し、音楽大学進学を目指すも、さまざまな事情で進学を断念。しかし、音楽の道を諦めることはなく、木彫刻を生業としながら(20歳代で、長野県主催の工芸展に於いて奨励賞を受賞)作詞・作曲を行い、NHK放送局等に投稿する。 1986年、自らが作詞・作曲した「ねがい星」、「雨」等が、NHKの新ラジオ歌謡に採用され、音楽作家としてデビュー。次いで、自身が歌う「わすれ雪」で歌手としてもデビューする。以降、テレビドラマの主題歌や愛知県豊橋市立東陽中学校の校歌の作詞・作曲を手掛る。
海老沢 雄一(えびさわ ゆういち、1949年11月22日 -… 海老沢 雄一(えびさわ ゆういち、1949年11月22日 - )は、日本の歌手、ミュージシャン。元ザ・タイガースの森本太郎率いる「森本タローとスーパースター」のボーカル、ベーシスト。 その後、ユニット「九官鳥」としてキングレコードより、ミッシェル・ポルナレフによるフランス映画主題歌「哀しみの終るとき」のカバーをリリース。 その後、約2年で解散するも1999年5月22日、森本太郎・海老沢雄一・辺見聖の3人で再結成し、同年、村田勝美、池田久枝を加えて活動を続ける。 現在、全国各地で開催されるイベントに参加し、ラジオや単独コンサートを行うなどで活動中。銀座のライブハウスを主とする過去のバースデーライブでは、グループ・サウンズのバンドであるパープル・シャドウズの今井久など特別ゲストも多く出演した。
梅津 和時(うめづ かずとき、1949年10月17日 - )… 梅津 和時(うめづ かずとき、1949年10月17日 - )は、日本のミュージシャン、サックス、クラリネット奏者、作曲家。フリー・ジャズを中心に、ロックやクレズマー等、幅広い分野で活動。埼玉県在住。 宮城県仙台市出身。宮城県仙台第三高等学校、国立音楽大学卒。大学在学中にジャズの世界でプロ活動を始め、ニューヨークでフリー・ジャズに目覚める。帰国後は生活向上委員会、生向委(せいこうい)で活動。同バンドは、生活向上委員会大管弦楽団と改名して1980年にメジャー・デビューした。梅津を筆頭に篠田昌已、片山広明、早川岳晴等の重要人物を擁していたことで伝説になっているバンドだが、2枚のアルバムを残して解散。 1980年代は、RCサクセションのサポート・メンバーとしても有名になる。
MALTA(マルタ、1949年(昭和24年)9月19日 - … MALTA(マルタ、1949年(昭和24年)9月19日 - )は、日本のミュージシャン・サックス奏者。本名:丸田 良昭(まるた よしあき)。鳥取県倉吉市出身。 鳥取県倉吉市に生まれる。1962年(昭和37年)、倉吉市立小鴨小学校卒業。倉吉市立西中学校では吹奏楽部に入部し、13歳からサックスを吹き始める。 1964年(昭和39年)に佐々木道也・山本力、1966年(昭和41年)より阪口新に師事。早くからプロを目指していたが、両親には「将来は学校の教師になる」ということで納得させていた。 1965年(昭和40年)、倉吉市立西中学校卒業。1968年(昭和43年)、鳥取県立倉吉東高等学校卒業。1973年(昭和48年)、東京芸術大学音楽学部器楽科卒業。
矢沢 永吉(やざわ えいきち、1949年〈昭和24年〉9月1… 矢沢 永吉(やざわ えいきち、1949年〈昭和24年〉9月14日 - )は、日本のロックミュージシャン、俳優。広島県広島市仁保(現:南区)出身。 前妻との間に2男1女、現妻は米国人とのクォーターで、2女2男の父親。 長女の矢沢洋子は二番目の妻との娘で歌手である。洋子とはサントリー「ザ・プレミアム・モルツ」のCMで親子共演をしている(2009年、2016年)。2017年、洋子と結婚したベーシストU.G(元ギターウルフ)は義理の息子に当たる。2021年1月22日、洋子が第1子となる女児を出産、2022年10月12日に第2子となる女児を出産。孫娘は矢沢を「じいじ」と呼び、矢沢もまた孫娘を愛でている。 父・永一は戦前、当時は高価だった自転車の販売店を営み、7–8人の丁稚を雇うような大きな店舗を構えていた。
渡辺 有三(わたなべ ゆうぞう、1949年3月30日 - 2… 渡辺 有三(わたなべ ゆうぞう、1949年3月30日 - 2014年1月2日)は、日本のミュージシャン、音楽プロデューサー。ポニーキャニオン元常務。 1949年に東京都港区赤坂で生まれる。横浜市長および元貴族院議員・平沼亮三の孫にあたる。また俳優の石坂浩二とは従弟に当たる(渡辺の母と石坂の父が兄弟)。 慶應義塾幼稚舎から慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学商学部を卒業。 慶應義塾大学入学と同時に加山雄三&ザ・ランチャーズにベーシストとして参加。若大将シリーズ『南太平洋の若大将』の撮影を兼ねた武道館ライブが新生ランチャーズの事実上のデビューとなる。以後、日劇東宝スターパレード、加山雄三全国縦断コンサートなどライブの他、加山のレコーディングの参加、若大将シリーズ(『リオの若大将』など)への出演など、当時のグループサウンズとは一線を画し、全員が慶大生らしい雰囲気であった。
大矢 茂(おおや しげる、1949年2月22日 - )は、日… 大矢 茂(おおや しげる、1949年2月22日 - )は、日本の俳優、ミュージシャンである。 グループ・サウンズのバンド、ザ・ランチャーズのギタリスト。加山雄三主演で有名な「若大将シリーズ」の2代目若大将として「若大将対青大将」に出演。 銀座の若大将 - 日本一の若大将 海の若大将 - エレキの若大将 アルプスの若大将 - 歌う若大将 レッツゴー!若大将 - 南太平洋の若大将 - ゴー!ゴー!若大将 フレッシュマン若大将 - ニュージーランドの若大将 ブラボー!若大将 - 俺の空だぜ!若大将 社長になった若大将(テレビドラマ) 加山雄三 - 大矢茂 - 草刈正雄 田中邦衛 - 高松しげお - 湯原昌幸 星由里子 - 酒井和歌子 - 吉沢京子 - いけだももこ - 坂口良子 有島一郎 - 飯田蝶子 - 中真千子 - 三條美紀 - フランキー堺 - 高橋恵子 藤本真澄 - 神谷一夫 - 大森幹彦 - 安武龍 - 田波靖男 田波靖男 - 笠原良三 杉江敏男 - 福田純 - 古澤憲吾 - 岩内克己 - 小谷承靖
宮地 佑紀生(みやち ゆきお、1949年〈昭和24年〉1月9… 宮地 佑紀生(みやち ゆきお、1949年〈昭和24年〉1月9日 - 2026年〈令和8年〉1月10日)は、中京圏を拠点に活動していたタレント、ミュージシャン、ラジオパーソナリティ。 愛知県名古屋市中区大須生まれ。実家は緞帳屋を営んでいた。大須小学校、前津中学校、愛知高校 を卒業した。身長163cm。 愛知学院大学卒業後、専門学校東京デザイナー学院に入学した。23歳で、アクセサリーショップ「参百六拾六日の店」を創業した。25歳の時、当時の名鉄セブン社員による生CMに出演したことがきっかけで、東海ラジオのプロデューサー 塩瀬修充の誘いを受け、ラジオパーソナリティとなる。タレント活動開始当初は『ミッドナイト東海』(月曜)『どんどん土曜大放送』などを担当した。
木田 高介(きだ たかすけ、1949年1月8日 - 1980… 木田 高介(きだ たかすけ、1949年1月8日 - 1980年5月18日)は、鍵盤楽器、弦楽器、管楽器、打楽器など、多様な楽器を扱うミュージシャンであり、編曲家。本名は桂 重高(かつら しげたか)。 新潟県に生まれる。母親は日本精神分析学会元会員、山王教育研究所元顧問の木田恵子。 新潟県立新潟高等学校を経て(2年の2学期まで)、和光高校を卒業後、東京藝術大学音楽学部打楽器科に入学。大学在学中に、ジャックスに参加した。ジャックス解散後は、編曲家となり、「出発の歌」(上條恒彦)、「神田川」(かぐや姫)、「私は泣いています」(りりィ)、「結婚するって本当ですか」(ダ・カーポ)など数々のヒット曲を手掛ける。
鈴木 翁二(すずき おうじ、1949年 - )は、日本の漫画… 鈴木 翁二(すずき おうじ、1949年 - )は、日本の漫画家、ミュージシャン。別ペンネームはカルメ・コウチ。 愛知県西尾市出身、北海道日高支庁浦河郡浦河町在住。 『ガロ』等で活躍した漫画家で、安部慎一、古川益三と並び「ガロ三羽烏」と称される漫画家の一人。漫画家の森雅之は義弟。[要出典] 少年時代は漫画に傾倒し、1967年に上京して漫画を描き始める。1969年に『眼球譚』がガロに入選するが、掲載される事はなかった。同年11月に『庄助あたりで』でガロにてデビュー。 その後、水木しげるのアシスタントを1年間務めた。学生運動が盛んだった1970年代頃から熱烈な支持を受けるようになる。 近年は寡作になりつつあるが、漫画雑誌『夜行』などに連載していた、過去の多数の未掲載作品が単行本化されたりしている。
エド 山口(えど やまぐち、1948年〈昭和23年〉7月9日… エド 山口(えど やまぐち、1948年〈昭和23年〉7月9日 - )は、日本のタレント、俳優、ミュージシャン、ラジオパーソナリティ。エレクトリック・ギターバンド「エド山口&東京ベンチャーズ」のリーダー。株式会社オフィスアイリス所属(2013年〜)。東京都中央区築地出身。和光大学、成城大学中退。本名は武東 郁夫(むとう いくお)。弟は同じくタレントでミュージシャンのモト冬樹。 裕福な開業医の家に生まれる。曾祖父は警察署長、祖父は海軍主計大佐という堅い家系だった。医者の息子ということで慶應義塾大学医学部、東京慈恵会医科大学、日本医科大学、東京医科大学、順天堂大学医学部を受験するが全て不合格。和光大学経済学部、成城大学経済学部に進学するが、いずれも中退。
西岡 恭蔵(にしおか きょうぞう、1948年5月7日 - 1… 西岡 恭蔵(にしおか きょうぞう、1948年5月7日 - 1999年4月3日)は、日本のミュージシャン、シンガーソングライター、作詞家、作曲家。愛称は「ゾウさん」。妻のKUROは作詞家。 三重県志摩郡志摩町(現志摩市)布施田出身。三重県立伊勢高等学校、近畿大学卒。 1960年代にフォーク喫茶「ディラン」の雇われマスターとなる。その店に集まっていた常連客たちと、ゆるやかなユニットのようなフォークグループ「ザ・ディラン」を結成する。1971年(昭和46年)頃に、ソロシンガーを目指し、同グループを脱退。しかし、彼が抜けた後の「ザ・ディランII」(ザ・ディランはメンバーを固定しないグループで人の入れ替わりが激しかったが、最終的に残った大塚まさじ、永井洋がザ・ディランIIを名乗る)のデビューアルバム『きのうの思い出にわかれをつげるんだもの』のレコーディングには参加する(同アルバムの楽曲の大半は、ザ・ディランのレパートリーであった)。
河村 通夫(かわむら みちお、1948年〈昭和23年〉3月1… 河村 通夫(かわむら みちお、1948年〈昭和23年〉3月11日 - )は、日本のラジオパーソナリティ、ナチュラリスト、料理研究家、ミュージシャン。 身長173cm、血液型O型。滋賀県生まれ、京都府京都市左京区出身。 滋賀県で生まれ、幼少期と青年期を京都で過ごす。 農協職員や料理講師だった母からは料理、竹細工職人のおじからはカンナの刃の研ぎ方をはじめ、木工の技術を学ぶ。また中学時代には石に興味を持ち地学部に入り石の研究でユネスコのコンクールで表彰される。その後京都府立鴨沂高等学校に入学し能狂言部や新聞部を経て、アコースティックギターを覚えアメリカ民謡同好会を設立しフォークソングに傾倒。 父や高校の教師から「国家から離れ在野で生きるべき」と言われ生き方に悩む中見聞を広めるべく北海道への移住を志し高校3年の夏休みから札幌市内の割烹での修行を行い、1969年にフォーク喫茶・ライブハウス「パフ」を開業し経営に携わり、札幌市東区の自宅の庭で家庭菜園を始め5年間住んだ後26歳で苗穂に引っ越し畑を広げ野菜の有機栽培を試みる。
加橋 かつみ(かはし かつみ、本名:高橋 克己(たかはし か… 加橋 かつみ(かはし かつみ、本名:高橋 克己(たかはし かつみ)、1948年2月4日 - )は、日本のミュージシャン、音楽プロデューサーであり、ザ・タイガースの元メンバー。大阪府堺市生まれで京都府育ち。ザ・タイガース在籍時の愛称はトッポ(由来はトッポ・ジージョに似ていたから。渡辺プロダクションによる命名)。 小学(堺市立大仙小学校)・中学(堺市立旭中学校)時代は、教会の聖歌隊に入り讃美歌を歌っていた。大阪工業大学高等学校(現:常翔学園高等学校)に進学。その後、京都府立山城高等学校に転校。1965年、バンド仲間達と「サリーとプレイボーイズ」を結成。 1966年、「サンダース」のボーカリスト沢田研二を迎え「ファニーズ」と改名、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」の専属バンドとなる。
柳 ジョージ(やなぎ ジョージ、英語: George Yan… 柳 ジョージ(やなぎ ジョージ、英語: George Yanagi、1948年〈昭和23年〉1月30日 - 2011年〈平成23年〉10月10日)は、日本のミュージシャン。本名:柳 譲治(やなぎ じょうじ)。神奈川県横浜市南区出身。横浜市立蒔田中学校、日本大学藤沢高等学校、日本大学法学部卒業。妻は元女優の浅野真弓。 両親は戦時中に広島市内で被爆。終戦後、父親は日清製粉に勤めるサラリーマンになった。柳いわく「典型的な中流階級」の家に生まれ育つ。 中学時代、「ザ・ベンチャーズ」に影響されてギターを始める。その後、日本大学藤沢高等学校を経て日本大学へ進学。その頃は全共闘による学生運動が最も激しい時期であったが、柳自身はこういった紛争には参加しておらず、「自分はノンポリでした」と後に述懐している。
地主 道夫(じぬし みちお、1948年 - )は、日本の建築… 地主 道夫(じぬし みちお、1948年 - )は、日本の建築家、元ミュージシャン。 横浜市生まれ。聖光学院中学校・高等学校を経て、東北大学工学部金属加工学科卒業。その後、早稲田大学理工学部建築学科に編入学し、同大を卒業。 高校時代にジ・オフ・コース(後のオフ・コース → オフコース)に参加、早大在学中の1971年に脱退した。 1973年に竹中工務店入社。2004年から同社営業本部専門役。 現在は同社を退社し、建築家として独立している。 銀座のメゾンエルメスや青山のプラダブティックの建築を手掛ける。2005年に日本建築学会賞を受賞。
上原 徹(うえはら とおる、1947年12月10日 - )は… 上原 徹(うえはら とおる、1947年12月10日 - )は、日本のミュージシャン、テレビプロデューサー。フジパシフィックミュージック代表取締役社長。フジクリエイティブコーポレーション(FCC)取締役CPO。日本音楽著作権協会(JASRAC)理事、日本音楽出版社協会(MPAJ)理事。東京都出身。 成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校卒業。小学校から大学卒業までずっと成蹊学園で過ごす。 成蹊大学文学部在学中にフォー・セインツを結成、リーダーでボーカル・ギターを担当。1968年、東芝レコード(のちのEMIミュージック・ジャパン)から「小さな日記」でデビュー。ちなみに、当時契約していた音楽出版社がパシフィック音楽出版(PMP、現:フジパシフィックミュージック)であった。
島 英二(しま えいじ、1947年10月24日 - )は、日… 島 英二(しま えいじ、1947年10月24日 - )は、日本のミュージシャン、ベーシスト、ギタリスト。 東京都世田谷区で生まれ、世田谷区立八幡小学校2年生の時に父親の意向で神奈川県鎌倉市の材木座や極楽寺に転居する。鎌倉市立第一小学校、鎌倉市立第一中学校、平塚学園高等学校卒業。 自身の叔父は東芝音楽工業にてエバークリーンレコード(赤盤)を開発したチームに所属し、東芝レコード工場長も務めた人物であったという。 元々は、ギタリストであったが、高校時代に、兄の島雄一と「ロック・ビート」「チェッカーズ」を結成する。 大学浪人時代には加瀬邦彦の大学の後輩で、自身の知人でもあった井原芳隆(後の三井製糖社長)が仲介する形で加瀬と面会し、ザ・ワイルドワンズのメンバーとなる。
ポール岡田(又は岡田ポール、本名・長岡和彦、1947年8月1… ポール岡田(又は岡田ポール、本名・長岡和彦、1947年8月13日 - )は、日本のミュージシャン。 滋賀県大津市出身。1969年5月、グループ・サウンズバンド、ザ・カーナビーツの2代目ボーカリストとして加入するが5ヶ月でグループは解散する。解散後、1969年12月から翌1970年2月末まで渋谷東横劇場で上演された日本初のロック・ミュージカル「ヘアー」にウーフ役で出演。その後は再びボーカリストとしてソロ、男女デュオなどで数枚のレコードをリリースした。 1970年代末、偶然紹介された伊集院静の誘いで、音楽活動を諦め、本名の長岡和彦として広告業界へ転身。広告代理店・株式会社JMSクリエイティブセンターに入社、伊集院が小説家への転身で退社するまで約1年間は伊集院の下でスタッフを務め、その後本体の株式会社ジャパン・マーケティング・サービスに移る。
細野 晴臣(ほその はるおみ、英語: Haruomi Hos… 細野 晴臣(ほその はるおみ、英語: Haruomi Hosono、1947年〈昭和22年〉7月9日 - )は、日本のミュージシャン。 2008年、平成19年度芸術選奨の大衆芸能部門で文部科学大臣賞を受賞。 1947年(昭和22年)、東京都港区生まれ。父方の祖父は鉄道官僚で、タイタニック号処女航海唯一の日本人乗客であった細野正文。母方の祖父である中谷孝男はピアノ調律師、叔母が外資系の映画会社勤務という環境から、幼い頃からポピュラー音楽に親しんだ。 港区立白金小学校から越境で港区立青山中学校入学。バンカラな校風の青山中学時代にロックに興味を持ち、15歳あたりからギターを手に友人とバンドを組む。漫画家を志したこともあるが、立教高校(現:立教新座高校)・立教大学の同級生だった西岸良平の才能に感服し、漫画家を諦め音楽の道を進むことを決意する。
柴山 俊之(しばやま としゆき、1947年6月9日 - )は… 柴山 俊之(しばやま としゆき、1947年6月9日 - )は、日本のミュージシャン、作詞家。サンハウス、Zi:LiE-YA、Electric Mud、BLUES LION、Rubyなどのバンドを率い、ブルースを下地にしたロックサウンドを展開。ボーカル、ハーモニカ、タンバリン、マラカスを担当。ステージネームは菊。 福岡県福岡市出身。福岡大学卒。剣道三段、ボイラー技士免許。福岡県立筑紫丘高等学校を1年1学期で退学後、福岡大学附属大濠高等学校へ転入。ダンスホールに入り浸る。ダンスホールのバンドでギターを弾いていた高校の同級生・笠原久義を偶然見かけたことからバンドに興味を持つ。当初はドラムを担当していたが、あるダンスパーティーでボーカルを務め(パーティーに来ていた女の子に声をかけられるなどで気をよくし)たことなどから、ボーカルにシフトする。
寺尾 聰(てらお あきら、1947年〈昭和22年〉5月18日… 寺尾 聰(てらお あきら、1947年〈昭和22年〉5月18日 - )は、日本の俳優、ミュージシャン、ナレーター。 神奈川県横浜市保土ケ谷区出身。ホリプロダクション、石原プロモーションを経て、寺尾事務所(自らの個人事務所)所属。 目黒区立第十中学校、和光学園、法政大学第二高等学校、文化学院卒業。父は俳優の宇野重吉。既婚。3児の父。 劇団民藝の創設者である宇野の長男として生まれたが、この境遇に反発し音楽に傾倒。1965年に奥島吉雄、林廉吉らが結成したカレッジ・フォーク・グループ「ザ・サベージ」に加入し、ベースを担当した。1966年に「いつまでもいつまでも」でレコードデビュー、この曲と2枚目の「この手のひらに愛を」が大ヒットするが、すぐにグループを脱退した。
鳥塚 しげき(とりづか しげき、本名、鳥塚繁樹、1947年3… 鳥塚 しげき(とりづか しげき、本名、鳥塚繁樹、1947年3月23日 - )は、日本のミュージシャン、ギタリスト。 東京都港区三田小山町出身。実家はクリーニング店を営んでいる。 立教大学ではアマチュアのカントリーウェスタンバンドで活躍していた。加瀬邦彦のファンの女学生が、加瀬が新グループ結成に向けメンバーを探していることを立教の軽音部部長に相談し、部長に鳥塚を推薦され、女学生の仲介により加瀬と面会することになる。加瀬が鳥塚を気に入り、ザ・ワイルドワンズのメンバーに抜擢。 1966年11月に『想い出の渚』で東芝音楽工業(現:EMIミュージック・ジャパン)からデビューを果たす。同曲はデビュー・ヒットとなった。
遠藤 賢司(えんどう けんじ、1947年1月13日 - 20… 遠藤 賢司(えんどう けんじ、1947年1月13日 - 2017年10月25日)は、茨城県ひたちなか市出身のシンガーソングライター・ミュージシャン。自称「純音楽家」。愛称は「エンケン」。 主に扱う楽器はアコースティックギター、エレクトリックギター、ブルースハープ。ほかにも、ウクレレ、ピアノ、ドラムなどの楽器を演奏する。自身のほぼ全ての楽曲の作詞、作曲も手がける。 『guts』1969年11月25日号の「ビッグ・アンケート '70フォークはどうなる?」という特集で、エイプリル・フール時代の細野晴臣が、アンケート1「あなたは1970年のフォーク・ソングがどうなると思いますか?」という質問に対して「ロックの影響を大きく受けたフォークが出てくるのではないか。
岸部 一徳(きしべ いっとく、本名:岸部 修三(きしべ しゅ… 岸部 一徳(きしべ いっとく、本名:岸部 修三(きしべ しゅうぞう)、1947年1月9日 - )は、日本の俳優、ミュージシャン。旧芸名:岸部 修三(きしべ おさみ)、岸部 おさみ。愛称:サリー[4]、一徳兄さん。ザ・タイガース、PYG、井上堯之バンドのベーシスト。身長181cm。京都府京都市出身。京都市立伏見工業高等学校建築科[4]卒業。所属事務所はアン・ヌフ。
吉田 憲司(よしだ けんじ、1947年 - )は、日本のスタ… 吉田 憲司(よしだ けんじ、1947年 - )は、日本のスタジオ・ミュージシャン、トランペット奏者、作曲家、編曲家。日本初のサルサ・グループであるオルケスタ・デル・ソルに結成から17年間在団。 岡山県岡山市出身。3歳からヴァイオリンを習い、中学入学からはトランペットも始める。岡山県立岡山東商業高等学校に進み、2年生からは本格的にトランペットに転向。卒業後は国立音楽大学に入学。在学中からジャズのグループを仲間達と結成し、都内でのライブ活動を始める。4年生の卒業前に顔見知りだった指揮者からの話で都内の某オーケストラのオーディションを受けるが、合格通知が届かなく、先輩の誘いで卒業後、高橋達也・東京ユニオンにも参加するが、数ヶ月で退団し、猪俣猛のサウンド・リミテッドとザ・サードに移籍。
北山 修(きたやま おさむ、1946年6月19日 - )は、… 北山 修(きたやま おさむ、1946年6月19日 - )は、日本の精神科医、精神分析家、臨床心理学者、作詞家、ミュージシャン。九州大学名誉教授。
子門 真人(しもん まさと、1944年1月4日 - )は、日… 子門 真人(しもん まさと、1944年1月4日 - )は、日本の元ミュージシャン(歌手・元音楽プロデューサー)。血液型はA型。本名:藤川 正治()で、旧芸名・別名義:藤 浩一()、谷 あきら()など多数。東京都目黒区生まれ。玉川大学文学部英米文学科卒業。 代表曲に「およげ!たいやきくん」「レッツゴー!! ライダーキック」など子供番組・アニメ番組で多くのヒット曲を持つことから、水木一郎やささきいさおと並んでアニメソング御三家と称された。 1966年、藤 浩一の芸名で歌謡曲の歌手として日本グラモフォン(ポリドール・レコード=現:ユニバーサル ミュージック ジャパン)からデビュー。デビュー曲「故郷の悲しき星/涙のギター」(両A面シングル)は1万枚を売り上げた。