立石 涼子(たていし りょうこ、1951年12月4日 - )… 立石 涼子(たていし りょうこ、1951年12月4日 - )は、日本の女優、声優。旧芸名は立石 凉子(たていし りょうこ)。長崎県長崎市出身。シス・カンパニー所属。
職業が声優:2,173人
立石 涼子(たていし りょうこ、1951年12月4日 - )… 立石 涼子(たていし りょうこ、1951年12月4日 - )は、日本の女優、声優。旧芸名は立石 凉子(たていし りょうこ)。長崎県長崎市出身。シス・カンパニー所属。
川端 義明(かわばた よしあき、1951年〈昭和26年〉10… 川端 義明(かわばた よしあき、1951年〈昭和26年〉10月7日 - )は、元NHKのエグゼクティブアナウンサーで 現在はフリーアナウンサー、声優。 立命館大学では立命館大学放送局に所属。 アナウンサーの海平和のファン。 1975年、アナウンサーとしてNHKに入局(同期入局のアナウンサーには長田弘之、小野智史、加藤行輝、川上規子、小板橋靖夫、金野正人、後藤繁榮、桜井洋子、佐藤充宏、志摩悦二郎、島田稔、末田正雄、鈴木桂一郎、周山制洋、高橋洋之、高橋佳久、徳田章、花田和明、三宅民夫、山極裕、山下信、渡辺幹雄)、室蘭に配属。その後、山形、宇都宮を経て1985年8月に東京アナウンス室に異動、報道リポーターを担当。
志垣 太郎(しがき たろう、1951年9月22日 - 202… 志垣 太郎(しがき たろう、1951年9月22日 - 2022年3月5日)は、日本の俳優、声優、タレント、司会者、デザイナー。本名は河村 稔(かわむら みのる)。 山崎洋子事務所を経てフリーランスとなり、その後オスカープロモーションに所属していた。 東京都大田区出身。日本大学藝術学部卒業。身長:170cm、体重:59kg。身長165cm(1972年3月)、体重:55kg。妻は元女優の白坂紀子。長男は元俳優、元タレントの匠。 大川橋蔵に憧れ、幼少時から将来は役者を志す。中学高校時代は剣道部に所属。初段を獲得し、東京大会で優勝するほどの腕前だった。大森三中卒業後、15歳で劇団こまどりに所属。玉川学園高等部在学中の1969年に芸術座の舞台『巨人の星』で主役デビュー。
水沢 有美(みずさわ ゆみ、1951年〈昭和26年〉9月8日… 水沢 有美(みずさわ ゆみ、1951年〈昭和26年〉9月8日 - )は、日本の女優、歌手、声優、YouTuber。本名及び旧姓は小沢 有美。 父親は、作家・作詞家の小沢不二夫。 東邦音楽大学附属東邦高等学校卒業。エヌ・エー・シー、東京俳優生活協同組合を経て、水沢有美事務所(提携=株式会社クイーンズカンパニーおよびコントロールプロダクション)所属。 6歳の時に劇団四季の「せむしの悪女」で初舞台。12歳の時には新派の舞台に同世代だった坂東玉三郎 (5代目)と共演した。その後、小学生のころにテレビドラマ『ロック物語』にレギュラー出演。この出演時に水沢 有美と誤表記され、以後芸名として使用するようになる。
田中 和実(たなか かずみ、1951年8月11日 - 200… 田中 和実(たなか かずみ、1951年8月11日 - 2007年12月20日)は、日本の俳優、声優。東京都杉並区出身。青二プロダクションに所属していた。 声優の田中亮一は兄。 東京都立神代高等学校、東京俳優学校卒業後、劇団近代座を経て、劇団芸協へ入団。安部公房原作の『友達』で初舞台。声優としてはオフィス央を経て、青二プロダクションに所属し、1981年にアニメ『銀河旋風ブライガー』のカーメン・カーメン役で声優デビュー。日本テレビ『ザ・ワイド』のナレーションを担当していた。 劇団芸協第31回公演『花咲く港』公演前の12月20日、多摩川競艇場からの帰りに急性肺性心を発症して倒れ、東京都多摩市内の病院に搬送されるが手当ての甲斐なく死去した。
三林 京子(みつばやし きょうこ、1951年7月17日 - … 三林 京子(みつばやし きょうこ、1951年7月17日 - )は、日本の女優、落語家、声優・ナレーター。本名、宮永 佳代子。 大阪市住吉区(現・住之江区)粉浜出身。米朝事務所所属。文化審議会委員と大阪府教育委員、大阪芸術大学短期大学部専任教授などを歴任した。 実父は文楽の人形遣いで人間国宝の二世桐竹勘十郎。弟は同じく人形遣いの三世桐竹勘十郎(前名・吉田簑太郎)。同二世吉田簑太郎は甥に当たる。 文楽の人間国宝の家に生まれ育ったが、子供時代にNHK大阪放送児童劇団に入団。大谷中学校在学中の1965年より、東宝所属の大物女優・山田五十鈴に師事した。 1970年に大谷高等学校を卒業後、東宝演劇部と契約。
モト 冬樹(モト ふゆき、1951年〈昭和26年〉5月5日 … モト 冬樹(モト ふゆき、1951年〈昭和26年〉5月5日 - )は、日本のミュージシャン、タレント、俳優、声優。東京都豊島区巣鴨出身。デューズ所属(FIRST AGENTとの業務提携)。本名は武東 裕男(むとう ひろお)。兄はタレントのエド山口。 実家は開業医(産婦人科)。暁星小学校、暁星中学校・高等学校卒業。高校在学中は成績最上位クラスだったが、ギターに夢中になって2番目のクラスに落ちると、グッチ裕三と同クラスとなり音楽で意気投合、兄のエド山口とバンドを結成し音楽活動を始める。 プロデビューはグループ・サウンズブーム終息後に結成されたGS的バンドのローズマリー。当時の芸名は東冬木であった。1974年に、やはりGS的バンドのジュテームに参加していたが、またもブレイクすることなく解散した。
松井 範雄(まつい のりお、1951年4月15日 - 202… 松井 範雄(まつい のりお、1951年4月15日 - 2023年11月8日)は、日本の男性俳優、声優。東京都出身。身長176cm、体重72kg。 玉川大学卒業。1974年、現代演劇協会附属演劇学校入学。1975年に円演劇研究所入所。1976年に演劇集団 円の会員に昇格。 2023年11月8日、死去。72歳没。かねてより病気で療養していた。訃報は12月4日に円企画により発表された。故人の遺志により近親者のみにて滞りなく執り行なった。 声種はバリトン - テノール。 特技は日本太鼓、民族舞踊、乗馬。資格は普通自動車免許。 死去した田中明夫や野本礼三から持ち役の一部を引き継いでいる。 太字は主役・メイン。
中尾 隆聖(なかお りゅうせい、1951年2月5日 - )は… 中尾 隆聖(なかお りゅうせい、1951年2月5日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター、歌手、演出家。本名、竹尾 智晴(たけお ともはる)。かつては本名や南谷 智晴(みなみや ともはる)、中尾 竜生(なかお りゅうせい)名義で活動した。東京都出身。81プロデュース所属。早稲田実業学校を卒業。長男は俳優・声優の竹尾一真。
工藤 恭造(くどう きょうぞう、1951年1月26日 - 2… 工藤 恭造(くどう きょうぞう、1951年1月26日 - 2021年1月24日 )は日本の男性声優、ナレーターである。青森県出身。個人事務所 KUDO's office ゆに~く堂 代表。師匠は声優・大平透。同志社大学法学部卒業。趣味はJAZZ。
佐山 陽規(さやま はるき、1950年12月22日 - )は… 佐山 陽規(さやま はるき、1950年12月22日 - )は、日本の声楽家、俳優、声優。神奈川県横浜市出身。プロダクション・エコー所属。以前はM・Tプロジェクト、ヴォイスガレージ(業務提携)に所属していた。 神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業。桐朋学園短期大学演劇科中退。 1972年3月、現「オペラシアターこんにゃく座」の前身である、「オペラ小劇場こんにゃく座」に入座。オペラ小劇場こんにゃく座に13年間在籍。この間に出演したステージ回数は2000回に及ぶ。退座後も『セロ弾きのゴーシュ』などの新作初演に客演として参加。ジローオペラ賞、音楽之友社賞の団体受賞に貢献。 1986年東宝ミュージカル『レ・ミゼラブル』のオーディションに合格。
我修院 達也(がしゅういん たつや、1950年12月10日 … 我修院 達也(がしゅういん たつや、1950年12月10日 - )は、日本の歌手、ものまねタレント、俳優、声優、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。旧芸名、若人 あきら(わかと あきら)。東京都渋谷区広尾出身。 体重48 kg。一本につながったカモメ型眉が特徴。声色は低音・中音・高音と使い分けている。玄制流空手道1級で双節棍(ヌンチャク)も使える。 母が元女優だったことから、6歳から子役として活動。映画『私は貝になりたい』(1959年)など多数の有名作品に出演。また9歳で北原じゅんに弟子入りし、18歳で「桜一平」として演歌歌手でデビュー。その後、1969年に「若戸章(わかど あきら)」、1980年に「若人あきら」と改名を行った。
竹本 純平(たけもと じゅんぺい、1950年12月8日 - … 竹本 純平(たけもと じゅんぺい、1950年12月8日 - )は、日本の俳優、声優。福岡県田川市出身。演劇集団 円会員(演技部)。 福岡県立田川高等学校卒業。 特技はアクアラング。
牧村 泉三郎(まきむら せんざぶろう、1950年10月15日… 牧村 泉三郎(まきむら せんざぶろう、1950年10月15日 - )は、日本の俳優、声優。身長は174cm、体重は60kg。日本大学第二学園卒業。劇団四季養成所卒業・劇団浪曼劇場養成所1期生。劇団青年座所属。
鹿賀 丈史(かが たけし、1950年〈昭和25年〉10月12… 鹿賀 丈史(かが たけし、1950年〈昭和25年〉10月12日 - )は、日本の俳優、ミュージカル俳優、声優、歌手。本名:中野 薫且(なかの しげかつ)→勝田 薫且(かつた しげかつ)。石川県金沢市出身。ホリプロ所属。身長180 cm、体重70 kg。 父は洋服の仕立て屋、母は北陸一のゴム風船屋の裕福な家庭で育ち、9歳から中学2年まで少年合唱団に所属していた。小学3年生から4年生の間は父の都合で金沢から東京の麻布十番に転居していたが、その後は再び金沢に戻る。石川県立金沢二水高等学校に入学後は合唱部でテノール、指揮者として活躍をしていた。 クラシックの声楽家を志して東京音楽大学などの浪人中に友人に勧められて一緒にオーディションを受けたのがきっかけで1972年に劇団四季へ入団。
龍田 直樹(たつた なおき、1950年9月8日[1][3][… 龍田 直樹(たつた なおき、1950年9月8日[1][3][4][10] - )は、日本の男性声優。和歌山県那賀郡岩出町(現:岩出市)出身[3]。青二プロダクション所属[6]。
高坂 真琴(こうさか まこと、1950年3月22日 - )は… 高坂 真琴(こうさか まこと、1950年3月22日 - )は、日本の女性声優。大阪府出身。東京俳優生活協同組合所属。 東京都立小山台高等学校卒業。1968年、劇団青い実の会に所属し、ユニオンプロを経て、1974年から東京俳優生活協同組合に所属。 2020年に第14回声優アワード功労賞を受賞。 声種はメゾソプラノ、アルト。方言は大阪弁。 テレビ番組、アニメで活躍している。 趣味・スポーツはテニス。 免許・資格は普通自動車。 太字はメインキャラクター。
白鳥 英美子(しらとり えみこ、旧姓は山室、1950年3月1… 白鳥 英美子(しらとり えみこ、旧姓は山室、1950年3月16日 - )は、 日本の女性歌手、シンガーソングライター、声優。神奈川県横須賀市出身。透明感と艶やかさを兼ね備えた独特の歌声を持つ。実娘に同じくシンガーソングライターとして活躍中の白鳥マイカがいる。 日本音楽高等学校を卒業後、1960年代中期に渡辺プロダクションに入りスクールメイツで活動していた。その頃に松竹映画『ドリフターズですよ!前進前進また前進』や、植木等主演映画『日本一の男の中の男』に平山三紀と出演している。 1969年に芥川澄夫とコンビを組んでトワ・エ・モワを結成し、数多くのヒット曲を世に送り出した。紅白歌合戦にも2回出場した。
今野 ひろみ(こんの ひろみ、1950年3月9日 - )は、… 今野 ひろみ(こんの ひろみ、1950年3月9日 - )は、日本の女優、声優。山形県山形市出身。身長154cm、血液型はA型。プロダクション・タンク所属。 特技は日舞、狂言、手話、三味線、唄。方言は山形弁。
菅谷 青玄(すがや いさむ、1950年2月4日 - )は、日… 菅谷 青玄(すがや いさむ、1950年2月4日 - )は、日本の声優、舞台俳優。東京都台東区出身。青二プロダクション所属。 本名および旧芸名は菅谷 勇(読みは同じ)。 國學院大學経済学部卒業。東京俳優学校を卒業後、劇団薔薇座を経て劇団シアトリカル・ベース・ワンスモアを主宰。同じ劇団出身の難波圭一らと出演・制作する。初舞台は『セレブレイション』。 2024年2月1日付けで芸名表記を「菅谷勇」から「菅谷青玄」に改名した。 声種はバリトン。方言は江戸弁。 声優としては、アニメ、テレビ番組に出演しており、舞台にも出演するなど幅広く活躍。 資格・免許は普通自動車免許。趣味は舞台演出、映画鑑賞、ドライブ、史跡・街中散歩、指圧マッサージ。
池田 秀一(いけだ しゅういち、1949年〈昭和24年〉12… 池田 秀一(いけだ しゅういち、1949年〈昭和24年〉12月2日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター。東京都中野区野方出身。東京俳優生活協同組合所属。 元妻は女優の戸田恵子。現在の妻は声優の玉川砂記子。 中野区立第十一中学校(現:中野区立緑野中学校)、東海大学付属高輪台高等学校卒業、日本大学芸術学部映画学科中退。 以前はエヌ・エー・シー、加藤企画に所属していた。 2男1女の次男として生まれる。 小学校に入学後、両親が離婚して兄、妹と共に母のもとで暮らす。 幼少期は活発でチャンバラ好きであった。 芸能界に入ったきっかけは、当初は遊び半分のようなものであり、小学3年生の時に児童劇団に入っている友人が近所におり、「今度その劇団で募集しているから君も受けてみない?」と誘われて行ってみたところ受かったという。
松金 よね子(まつかね よねこ、本名;芦田 米子<あし… 松金 よね子(まつかね よねこ、本名;芦田 米子<あしだ よねこ>、1949年10月22日 - )は、日本の女優、声優。東京都出身。テアトル・エコー、劇団東京乾電池を経て、ノックアウト所属。身長154cm。体重43kg。戸板女子高等学校卒業。
阿野 伸八(あの しんぱち、1949年7月27日 - 202… 阿野 伸八(あの しんぱち、1949年7月27日 - 2023年7月23日)は、日本の俳優、声優。愛知県碧南市出身。 身長173cm。体重60kg。血液型はB型。以前はB-Boxに所属していた。同事務所でのレッスンの講師も担当していた。 趣味は大工仕事、特技はフライ・フィッシング。
鷲尾 真知子(わしお まちこ、1949年6月2日 - )は、… 鷲尾 真知子(わしお まちこ、1949年6月2日 - )は、日本の女優・声優。神奈川県出身。シス・カンパニー所属。夫は俳優の中嶋しゅう。 演劇誌『悲劇喜劇』で劇団NLTを知り、試験を受けて合格。精華学園女子高等学校(現・東海大学付属市原望洋高等学校)卒業後、1969年に劇団NLTに入団し、俳優活動をスタート。夢の遊眠社でも活動した。 声優として『うる星やつら』(1981年10月 - 1986年3月)のサクラ役が当たり役となる(舞台を見に来ていた斯波重治にスカウトされたという)。1989年、NLTを退団。 2003年からの『大奥』では「大奥スリーアミーゴス(のうちの葛岡役)」が好評を得て、全シリーズに出演する。
二木 てるみ(にき てるみ、本名;二木 輝美〈にき てるみ〉… 二木 てるみ(にき てるみ、本名;二木 輝美〈にき てるみ〉、1949年〈昭和24年〉5月11日 - )は、日本の女優、声優。東京都世田谷区出身。元夫は俳優の岩崎信忠。サンプロモーション所属。立教女学院短期大学客員教授。 鷗友学園女子高校卒業。 1953年、周囲に同年代の子供が少ない環境を心配した両親によって劇団若草に入団。父親が若草で事務の仕事をしていたこともあり、劇団の活動は学生時代で辞めたが、1973年に結婚する直前までマネジメントは若草に委託していた。 その後、フリーランス期間を経て、オフィス・ノーメルに所属していた 1954年、3歳の時に黒澤明の監督映画『七人の侍』でデビュー。1955年、久松静児の監督映画『警察日記』で主人公に引き取られる捨て子を演じて以来、子役として活躍。
伊武 雅刀(いぶ まさとう、1949年〈昭和24年〉3月28… 伊武 雅刀(いぶ まさとう、1949年〈昭和24年〉3月28日 - )は、日本の俳優、声優、ナレーター。東京都中野区野方出身。 1949年(昭和24年)に東京都で生まれ、旧日本国有鉄道職員だった父の転勤に伴い、当初は茨城県水戸市近く、その後は土浦市の官舎で暮らす。父は出世が早く、伊武が小学1年生の時に助役になった。父は「これなら独立してもやっていける」と日本国有鉄道退職後は水商売を始めてほとんど家に帰らず、それを見かねた母方の祖父が家族と同居。小学1年生の終わりに東京都中野区野方に転居。 私立東邦高等学校に進む。映画スターに憧れ、新聞で目にしたNHK名古屋放送局制作のテレビドラマ『高校生時代』(後の『中学生日記』)のオーディションを受け、同ドラマの1967(昭和42)年度放送分に森本レオと共に出演した。
逢川 亮子(あいかわ りょうこ、1949年3月22日 - )… 逢川 亮子(あいかわ りょうこ、1949年3月22日 - )は、日本の女性声優、ナレーター。大沢事務所所属。東京都出身。 一時期、落合美穂 落合光子名義で活動していた。 以前は黒沢良事務所に所属していた。 太字はメインキャラクター。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
田島 令子(、1949年〈昭和24年〉2月17日 - )は、… 田島 令子(、1949年〈昭和24年〉2月17日 - )は、日本の女優、声優、ナレーター。東京都新宿区四谷生まれ、神奈川県横須賀市出身。 緑ヶ丘学院、日本大学藝術学部演劇学科卒業。所属事務所は劇団欅、劇団昴、野間事務所を経て、アルファエージェンシーに所属。 小さい頃は、ひとり遊びをしたり、読書をしたりしていることが多く、一人っ子だったため、人と接するのが苦手な子供だったという。 高校時代に素人劇団のようなところに所属していた同級生に誘われ、1回だけ舞台に立つ。その時に「ちょっとおもしろいわね」と思ったが、受験勉強に入ってしまったことから、1回だけだったという。大学時代、サークルは所属しておらず、大学2年の時に日大闘争で学校が閉鎖され、1年間学校に行けなかった。
小川 隆市(おがわ りゅういち、1949年2月15日 - )… 小川 隆市(おがわ りゅういち、1949年2月15日 - )は、日本の男性俳優、声優。 東京都出身。電気通信大学応用電子工学科卒業後、劇団雲研究生を経て、1975年に円演劇研究所に入所。1976年、演劇集団 円会員昇格。一時期、本名の小川 隆一名義で活動していた頃もある。 声種はハイバリトン。特技はスキー(1級)、英会話、ゴルフ、水泳。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
市村 正親(いちむら まさちか、1949年1月28日 - )… 市村 正親(いちむら まさちか、1949年1月28日 - )は、日本のミュージカル俳優、声優。埼玉県川越市出身。ホリプロ所属。 埼玉県川越市生まれ。一人っ子。父・信行は元軍人であったが、川越のローカル月刊紙『武州新報』を立ち上げ新聞記者となった。母・こうは飲食店を営んでいた。埼玉県川越商業高校、舞台芸術学院卒業後、俳優の西村晃の付き人を21歳から24歳までの3年間にわたって務める。 1973年、劇団四季『イエス・キリスト=スーパースター(後に『ジーザス・クライスト=スーパースター』)』の端役を狙ってオーディションを受け合格、後にヘロデ役を獲得してデビュー。翌年、正式に劇団四季へ入団。『エクウス』では全裸での演技が話題となった。
那波 一寿(なば かずとし、 1948年12月17日 - )… 那波 一寿(なば かずとし、 1948年12月17日 - )は、日本のナレーター、声優。秋田県秋田市出身。ハイブリッヂコミュニケーション所属。ライトハウス提携タレント。以前はプロダクション・タンクに所属していた。 立教大学経済学部卒業。東京アナウンスアカデミーを経て、岩尾康延、山内雅人、坂井清成などに師事。
藤堂 陽子(とうどう ようこ(旧姓名:葛城 陽子)、1948… 藤堂 陽子(とうどう ようこ(旧姓名:葛城 陽子)、1948年9月22日 - )は、日本の女優、声優。三重県出身。文学座所属。中央大学卒業。現在も舞台女優として活動中。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
角野 卓造(かどの たくぞう 1948年〈昭和23年〉8月1… 角野 卓造(かどの たくぞう 1948年〈昭和23年〉8月10日 - )は、日本の俳優・声優である。本名同じ。 東京都出身の大阪府育ち。学習院大学経済学部経済学科卒業。文学座所属(元代表、現座友)。マネージメントはUAM株式会社。 血液型はO型。妻は女優の倉野章子。 東京生まれ、大阪市東区(現:中央区)道修町育ち。 角野家は広島県呉市の出で、父卓男は元広島県会議員、戦前は過激な右翼青年で、県議時代は広島抗争の時期でもあり、実家を舞台に美能幸三の手打ち式が行われたこともある。 卓造も幼稚園に上がる前の一年間は呉市で過ごす。 母は東京千駄ヶ谷の医者の娘。 長男が呉の自宅分娩で亡くなったため、母方が次は絶対に病院でと心配し卓造は叔父が勤務医をしていた慶応病院で生まれた。
たかお 鷹(たかお たか、1948年7月17日 - )は、日… たかお 鷹(たかお たか、1948年7月17日 - )は、日本の男性俳優、声優。福岡県出身。文学座所属。 法政大学卒業。1974年に文学座研究所入所、1979年に文学座の座員となる。 2000年の舞台「缶詰」で第55回文化庁芸術祭演劇部門で優秀賞を受賞し、2006年には第41回紀伊國屋演劇賞で個人賞を受賞。その翌年の舞台「殿様と私」において第62回文化庁芸術祭演劇部門で大賞と第15回読売演劇大賞優秀男優賞の2つの賞を得ている。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
村田 則男(むらた のりお、1948年6月14日 - 201… 村田 則男(むらた のりお、1948年6月14日 - 2013年7月5日)は、日本の男性俳優、声優。東京都出身。身長177cm、体重62kg。血液型はA型。 東京都立工芸高等学校卒業。1974年4月1日に劇団青年座に入団。2013年7月5日0時20分、肝硬変のため死去。 趣味はスポーツ観戦、野外生活、園芸。 ✳︎ 十津川警部シリーズ19 伊豆七滝殺人事件 被害者原田役
椎橋 重(しいばし しげる、1948年6月14日 - 199… 椎橋 重(しいばし しげる、1948年6月14日 - 1998年9月3日)は、日本の男性声優。81プロデュースに所属していた。千葉県出身。 専修大学経済学部卒業。野沢那智主宰の劇団薔薇座出身。劇団フェドー劇場創立メンバー。 『ジャンヌ・ド・ピエンヌ』で初舞台。 1998年9月3日死去。50歳没。 趣味・特技はスポーツ全般、モダンダンス。 太字はメインキャラクター。
吉見 佑子(よしみ ゆうこ、本名:吉見裕子、1948年3月2… 吉見 佑子(よしみ ゆうこ、本名:吉見裕子、1948年3月22日 - )は音楽評論家・作詞家・歌手・声優。大阪府豊中市出身。 親も親戚も杵屋だらけの、いわゆる三味線一家の一人っ子として育ったが、周囲の期待に反して三味線や家元制度に興味を持たない青春時代を送る。 高校在学中に渡辺プロダクションのオーディションを受ける。最終オーディションで落選するが、審査員の宮川泰の紹介でジャズ・ボーカルのレッスンに半年間京都まで通い、コマーシャルソングの仕事に関わる。 その後、NHK大阪放送局付属演劇研究所に入所。修了後は、グループ・サウンズやフォークのコンサートの司会やラジオ番組のアシスタントの仕事を始め、関西圏限定でDJの仕事を増やしていく。
壤 晴彦(じょう はるひこ、1948年1月25日 - )は、… 壤 晴彦(じょう はるひこ、1948年1月25日 - )は、日本の俳優、声優、演出家。京都府京都市出身。ヘリンボーン所属。 演劇倶楽部『座』主宰。略字:壌晴彦。かつては麦 草平の芸名でも活動していた。 京都府京都市出身。実家は料亭を経営していた。京都市立堀川高等学校、同志社大学経済学部卒業。 高校時代に惚れ込んだ狂言大藏流、茂山千五郎(現茂山千作・人間国宝)に弟子入りし師事。だがある時、「毎日お狂言の稽古の声が聞こえてくるような環境に育った者が相手では、もうどうにもならない」と考えたことがきっかけで狂言からは離れる。 狂言を離れてからも「芝居はやりたい」という思いがあり、別の側面から興味を持っていたフランス演劇をしようと劇団四季に入団。
坂口 進也(さかぐち しんや、1947年12月22日 - )… 坂口 進也(さかぐち しんや、1947年12月22日 - )は、日本の男性俳優、声優、ナレーター。群馬県出身。身長169cm、体重69kg、血液型はO型。 群馬県立前橋高等学校卒業。1977年3月1日に劇団青年座に入団。 資格・免許は普通自動車免許。
流山児 祥(りゅうざんじ しょう、本名︰藤岡 祥二、1947… 流山児 祥(りゅうざんじ しょう、本名︰藤岡 祥二、1947年11月2日 - )は、日本の俳優、声優、演出家、プロデューサー。流山児★事務所主宰・芸術監督。一般社団法人日本演出者協会理事長。地域交流部長。全国各地でワークショップを開催。九州・四国・東北の演劇人との交流を積極的に進めている。熊本県荒尾市出身。山口美也子は元妻。 三池炭鉱のある町に炭鉱夫の次男として生まれる。姉と兄がいる。1960年三池闘争の現場を体験する。1962年、父の転職で熊本県荒尾市から上京、千葉県流山市に移り住む。3、4歳の頃、姉が出演していた地歌舞伎『勧進帳』を観て、「面白いな」と思ったのがきっかけで役者を目指した。小学校時代に初めて芝居をしていた。
大和田 伸也(、1947年〈昭和22年〉10月25日 - )… 大和田 伸也(、1947年〈昭和22年〉10月25日 - )は、日本の俳優、声優、ナレーター、演出家、映画監督。 福井県敦賀市出身。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。早稲田大学第一文学部中退。 三男一女の次男として誕生。 1965年、大学中退後に鈴木忠志が立ち上げた自由舞台に所属。 1968年、劇団四季へ入団。 1972年、朝の連続テレビ小説『藍より青く』でのヒロインの夫役で広く知られる。 1977年、『犬神の悪霊』で映画初主演。 1978年2月に降板した横内正に代わって『水戸黄門』で二代目渥美格之進役に就任し、1982年10月19日の第13部の収録終了をもって降板。 蜷川幸雄演出の『王女メディア』では北大路欣也とダブル主演を務めた(3度再演し海外公演も果たした)。
青木 和代(あおき かずよ、1947年8月27日 - )は、… 青木 和代(あおき かずよ、1947年8月27日 - )は、日本の女優、声優。希楽星所属。東京都出身。 麹町学園女子高等学校卒業。 1969年に舞台芸術学院に入団したことがきっかけでデビュー。デビュー作はテレビドラマ『だいこんの花』。 劇団NLT第5期生。かつては劇団NLT、プロダクション・エムスリーに所属していた。 声優としては、肝っ玉母さん・恰幅の良いおばさん役が定番だが、少年役も演じている。豪快でちょっとがさつなところのあるおばさん、太った少年役で知られる。 趣味は温泉、パチンコと韓流ドラマ鑑賞。長所は明るいこと、短所はいいかげんなこと。 姉と弟がいる。ペットとして猫を飼っている。 普通自動車免許を持っている。
倉野 章子(くらの あきこ、1947年〈昭和22年〉7月3日… 倉野 章子(くらの あきこ、1947年〈昭和22年〉7月3日 - )は、日本の女優、声優。本名:角野 章子、旧姓は芸名と同じ。 富山県出身。東京都立桜町高等学校卒業。文学座に所属。「東京やなぎ句会」同人。 夫は俳優の角野卓造。 1967年に文学座研究所に入社。 1969年「握手、握手、握手」でデビュー。1971年に文学座座員となった。以後、舞台だけでなくテレビドラマにも多数出演。同じ劇団俳優・角野卓造と結婚後、子育てのため休業。 1995年、14年ぶりに舞台「三人姉妹」で復帰すると、同年「野分立つ」で舞台初主演。同作品で第30回紀伊國屋演劇賞個人賞、および第3回読売演劇大賞優秀女優賞を受賞した。
山岡 葉子(やまおか ようこ、1947年6月12日 - 20… 山岡 葉子(やまおか ようこ、1947年6月12日 - 2001年12月25日)は日本の女性声優。神奈川県出身。 劇団若草、劇団現代、現代制作舎、江崎プロダクション、同人舎プロダクションを経て、オフィス薫に所属していた。 2001年12月25日に死去。54歳没。 特技は歌、中国語。趣味はバードウォッチング。 太字はメインキャラクター。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
山ノ内真理子(やまのうち まりこ、1947年5月18日 - … 山ノ内真理子(やまのうち まりこ、1947年5月18日 - )は、日本の女優・声優。 多摩芸術学園演劇科卒業。劇団青年座に所属していた。 趣味・特技はモダンバレー、三味線。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
泉 晶子(いずみ あきこ、1947年〈昭和22年〉2月6日 … 泉 晶子(いずみ あきこ、1947年〈昭和22年〉2月6日 - )は、日本の女優、声優。劇団青年座所属。山口県山口市出身。親戚に声優の永井一郎がいる(いとこの間柄)。 福岡女学院高等学校卒業、立教大学文学部中退、桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻卒業。 立教大学生により構成される劇団テアトルジュンヌ出身。
西園寺 章雄(さいおんじ あきお、1947年〈昭和22年〉1… 西園寺 章雄(さいおんじ あきお、1947年〈昭和22年〉1月22日 - 2025年〈令和7年〉1月14日)は、日本の俳優、声優、ナレーター。本名は斉隠寺 忠雄(さいおんじ ただお)。大阪府東大阪市出身。MC企画所属。旧芸名は西園寺 宏(さいおんじ ひろし)の他にも、本名名義での出演作もある。 大阪府立城東工業高等学校卒業。特技は殺陣。 1966年に関西芸術座入団、「アーニー・クーニーの歌」(舞台)で、初舞台。1974年、女優の和泉敬子と結婚後に関西芸術座を退団。 デビューから若手時代は悪役・斬られ役での出演が中心であったが歳を重ねてからは地位の高い役どころや善人役を数多く演じている。また近年は関西芸術座で舞台演出を担当して若手育成にも関わっていた。
外波山 文明(とばやま ぶんめい、1947年1月11日 - … 外波山 文明(とばやま ぶんめい、1947年1月11日 - )は日本の俳優、演出家、声優。「椿組」主宰、ジェイ・クリップに業務提携として所属。日本演出者協会会員。 長野県木曽郡南木曽町出身。小さい頃は、小学校や中学校の体育館の移動映画大会で映画を観たり、正月やお盆に近くの岐阜県中津川市で2本立て、3本立ての映画を観たりしていた。その時に映画が好きになり、長野県蘇南高等学校時代は、年間100本くらい、近くの南木曽町の映画館で観ていた。芝居も好きで、村祭りの「どさ芝居」などもよく観に行っており、神社の境内の芝居もワクワクしていたという。 1967年、20歳の時に上京。上京して初めて観ていた演劇は唐十郎の紅テントの「状況劇場」。
井上 瑤(いのうえ よう、1946年〈昭和21年〉12月4日… 井上 瑤(いのうえ よう、1946年〈昭和21年〉12月4日 - 2003年〈平成15年〉2月28日)は、日本の女性声優、放送作家、占い師、ダンサー。東京都品川区大崎出身。 1970年代から2003年初めまで活躍。品川区立荏原第一中学校、東京都立八潮高等学校、早稲田大学卒業。 フリー、新企画、同人舎プロダクション、ピラミッド、ドゥ・コーポレーション、オフィス央、ぷろだくしょんバオバブ、大沢事務所、東京俳優生活協同組合などに所属した。 幼女期は目黒川の川っぺりを、泥んこになりがら過ごしていた。 幼稚園の頃は学校の教師になることを夢を見ていたが、その頃に始めたモダンダンスに魅力に取りつかれて小学生になった頃にはステージダンサーになることを決める。
下條 アトム(しもじょう アトム、1946年〈昭和21年〉1… 下條 アトム(しもじょう アトム、1946年〈昭和21年〉11月26日 - 2025年〈令和7年〉1月29日)は、日本の俳優、声優、ナレーター。東京都出身。 同じく俳優の下絛正巳を父に、元女優の田上嘉子を母に持つ。本名同じ。名前に含まれる「ジョウ」の表記において、細い枝を意味する 下條 アトム を用いることが多いが、本名の正式な表記はさなだを意味する 下絛 アトム であり、こちらを用いられる場合がある。 アトムという名前は本名であり、父・正巳が第二次世界大戦後間もなく生まれた息子を、将来は日本でもアメリカのように名前・苗字の順に呼ぶようになり、ローマ字の順に名簿も作られるだろうと考え、ならばアルファベットのAで始まる名前なら最初に呼ばれるという理由で、さらに「今後の原子力は戦争ではなく発電など平和のために使われるはずである」という願いを込めて、原子を意味する英語atomから名付けた。