13代 木村 庄之助(じゅうさんだい きむら しょうのすけ、… 13代 木村 庄之助(じゅうさんだい きむら しょうのすけ、1808年 - 1879年2月15日)は、大相撲の立行司。本名は成田小太郎。出身地は福井県武生市。 幕末から明治にかけて23年間にわたって立行司をつとめた。浦風林右エ門の弟子で9代庄之助に師事した。初名は木村小太郎、のちに幸太郎、市之介(助)を名乗り、1848年11月に3代木村夛司馬を襲名。13代庄之助の座をめぐって6代庄九郎と対立、その座を勝ち取った。長く庄之助に在位、引退後は年寄・木村松翁となった。 1879年2月15日没、墓所は東京都江東区の玉泉院。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
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秀ノ山 雷五郎(ひでのやま らいごろう、文化5年(1808年… 秀ノ山 雷五郎(ひでのやま らいごろう、文化5年(1808年) - 文久2年5月19日(1862年6月16日))は、陸奥国本吉郡(現・宮城県気仙沼市)出身で秀の山部屋に所属した大相撲力士。第9代横綱。本名は橋本(旧姓:菊田) 辰五郎(はしもと たつごろう)。 1808年に、陸奥国本吉郡(現・宮城県気仙沼市最知川原)で海運業と農業を営む家に五男として生まれる。当時家に出入りしていた荷揚げ人の中に元力士である籬嶋がいたが、籬嶋に辰五郎の二男である源太夫が相撲の指導を受け、土地相撲の大関として活躍していたことが刺激となり、辰五郎も力士を目指すようになった。その後は家の裏にあった榎を相手に毎日ぶつかった結果、榎を枯らしてしまったと伝わる。
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黒岩 森之助(くろいわ もりのすけ、1801年〈寛政13年〉… 黒岩 森之助(くろいわ もりのすけ、1801年〈寛政13年〉 - 没年不明)は、上野国邑楽郡(現在の群馬県館林市)出身で伊勢ノ海部屋に所属した大相撲力士。江戸時代天保年間に活躍した長州藩お抱えの小兵人気力士。最高位は関脇。 香蝶楼豊国(歌川国貞)によって描かれた、鳥井崎与助と共に並んだ浮世絵が現存している。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
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不知火 諾右衛門(しらぬい だくえもん(なぎえもん)、180… 不知火 諾右衛門(しらぬい だくえもん(なぎえもん)、1801年(享和元年) - 1854年8月20日(嘉永7年7月27日))は、肥後国宇土郡轟村栗崎(現・熊本県宇土市栗崎)出身の元大相撲力士。第8代横綱。本名は近久 信次(ちかひさ しんじ)。 歴代横綱の中で、下位番付へ陥落したことのある唯一の力士である。 1801年に肥後国宇土郡で生まれる。幼い頃から郷里で平穏な生活を送っていたが、ある日巻き込まれた傷害事件によって妻子を残したまま大坂・堺へ出ることとなり、1822年に大坂相撲へ加入、大関まで昇進した。その後、1830年に江戸相撲・浦風門下へ加入し、江戸相撲で再スタートを切る。江戸相撲では黒雲 龍之介・濃錦里 諾右衛門と改名し、1837年春場所で新入幕を果たす。
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稲妻 雷五郎(いなづま らいごろう、1795年? - 187… 稲妻 雷五郎(いなづま らいごろう、1795年? - 1877年3月29日)は、常陸国河内郡阿波崎村(現:茨城県稲敷市阿波崎)出身で錦嶋部屋(入門時は佐渡ヶ嶽部屋)に所属した大相撲力士。第7代横綱。本名は根本 才助(ねもと さいすけ)。 1795年頃に生まれる 。佐渡ヶ嶽部屋へ入門後に錦嶋部屋へ移籍し、松江藩抱えの力士となった。 1821年2月場所、「槇ノ嶌」の四股名で幕下から初土俵を踏む。1824年10月場所で新入幕を果たすと同時に「稲妻 雷五郎」に改名し、その場所で7勝1預2休の好成績を挙げ、1825年1月場所では小結に昇進する。その後もトントン拍子に出世していき、1827年には大関へ昇進した。
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荒馬 大五郎(あらうま だいごろう、1793年5月5日 - … 荒馬 大五郎(あらうま だいごろう、1793年5月5日 - 1849年7月16日)は、下総国千葉郡馬加村(現在の千葉県千葉市花見川区幕張)出身で桐山部屋、大坂相撲の小野川部屋に所属した大相撲力士。本名は川島 重美(紋重郎)。最高位は関脇。2代目年寄宮城野を襲名。身長197cm、 文化8年~11年11月は横須賀藩のお抱え 出生地の幕張には墓があり、「宮城野馬五郎重美之墓」とある。 千葉ヶ嵜→荒馬紋蔵→荒馬大五郎→宮城野馬五郎→年寄宮城野 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
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千田川 熊藏(せんだがわ くまぞう、1792年 - 1828… 千田川 熊藏(せんだがわ くまぞう、1792年 - 1828年2月22日(文政11年1月8日))は、大坂相撲・朝日山部屋、真鶴部屋、玉垣部屋に所属した大相撲力士。第99代大関。のち千田川吉藏。本名は目良 熊吉(吉藏)。紀伊国牟婁郡(現在の和歌山県田辺市)出身。188cm、体重不明。最高位は西大関。 大坂相撲を経て、1814年11月に関脇格で江戸相撲に加入、紀州藩の抱えであった。翌場所には大関に上がった。大関から陥落して2場所後に、四股名を千田川吉藏に改めた。以後も三役、上位で実力を発揮したが病に倒れ、1823年2月以降土俵を離れた。1828年に現役力士のまま死去した。 熊野潟(大坂相撲)→千田川熊藏(江戸相撲)→千田川吉藏(1816年3月場所-)
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柏戸 宗五郎(かしわど そうごろう、寛政3年(1791年)/… 柏戸 宗五郎(かしわど そうごろう、寛政3年(1791年)/ 寛政5年(1793年) - 天保13年11月17日(1842年12月18日))は、下野国(現在の栃木県)出身の元大相撲力士。 現在の栃木県小山市鏡出身。本名は木村宗五郎。 文化7年(1810年)、4代伊勢ノ海(大関・柏戸宗五郎)の伊勢ノ海部屋に入門。入門時は鏡嶋の四股名を名乗り、文政8年(1825年)10月場所では外ヶ濱の四股名で入幕。文政13年(1830年)、師匠の5代伊勢ノ海(大関・柏戸利助)の死没に伴い、同年3月場所より四股名を部屋伝来の柏戸に改めるとともに、二枚鑑札で部屋の師匠を兼ねる。 最高位は天保3年(1832年)の前頭2枚目。
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鳥井崎 与助(とりいざき よすけ、1791年〈寛政3年〉 -… 鳥井崎 与助(とりいざき よすけ、1791年〈寛政3年〉 - 1830年〈文政13年〉)は、柏戸部屋及び伊勢ノ海部屋に所属した力士。 本名は高橋 伝吉。身長・体重とも不明。陸奥国津軽郡(現在の青森県五所川原市)藻川出身。正確には津軽鉄道線毘沙門駅付近に当たる。 最高位は西前頭6枚目。 同郷の伊勢ノ海利助(後の柏戸利助。大関。5代伊勢ノ海)の誘いを受け、1812年11月場所で初土俵(東二段目5枚目だったため、十枚目付出扱いだった)を踏んだ。十両時代は5割にやや満たない勝率で推移したが、1817年1月場所では8戦全勝の優勝相当成績を残した。初土俵・新十両から12年後の1824年10月場所で漸く新入幕を果たした。
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戸田川 鷲之助(とだがわ わしのすけ、1791年(寛政3年)… 戸田川 鷲之助(とだがわ わしのすけ、1791年(寛政3年)/1792年(寛政4年) - 1819年(文政2年)5月3日(旧暦4月10日))/1824年(文政7年)7月21日(旧暦6月25日)は、上総国埴生郡(現在の千葉県茂原市綱島)出身の元大相撲力士。本名は井桁 秀五郎(いけた しゅうごろう)。 出生地は上総国埴生郡。1808年(文化5年)10月場所において戸田川 鷲之助の名で松江藩の抱え力士として初土俵を踏むと、いきなり西小結に付け出される。数え年17歳(満16歳)での三役となり、記録に残る三役昇進年齢としては史上最年少記録である。しかしこれには、義父だった相撲会所頭取・錣山喜平治の強い意向があったと伝わる。
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玉垣 額之助(たまがき がくのすけ、1784年(天明4年) … 玉垣 額之助(たまがき がくのすけ、1784年(天明4年) - 1824年8月28日(文政7年8月5日))は、肥前国高来郡(現:長崎県雲仙市)出身の元大相撲力士。本名は田中 喜作(たなか きさく)(旧姓:岡田)。 最高位は西大関。 1784年(天明4年)に肥前国高来郡(現:長崎県雲仙市)で生まれる。当初は大坂相撲に加入していたが、後に江戸相撲・玉垣部屋へ移籍している。初土俵から間もない幕下二段目の時に徳島藩が抱え力士としようとするが、「阿波の稲は 島原の梁(よい米)に如かず」として拒否、これに感激した島原藩主・松平忠憑から1813年に徒士として召し抱えられた。 柏戸利助の良き好敵手で、当時の川柳には「(玉)垣と(柏)戸を 西と東の関に据え」「玉垣も 柏(戸)も地から 生えたよう」とあるように、東西の大関に玉垣と柏戸が並び、両者とも重い腰で熱戦を繰り広げ、なかなか土俵を割らない様子が歌われている。
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柏戸 利助(かしわど りすけ、天明3年(1783年) - 文… 柏戸 利助(かしわど りすけ、天明3年(1783年) - 文政13年10月27日(1830年12月3日))は、陸奥国津軽郡(現:青森県五所川原市)出身の元大相撲力士。本名は川浪。最高位は東大関。 1783年に陸奥国津軽郡(現:青森県五所川原市)で生まれ、後に現在の五所川原市鶴ヶ岡に相当する地で育つ。土地相撲で三役を務めていたところを勧誘されて玉垣部屋に入門、1805年1月場所で初土俵を二段目付出として踏んだ。若名乗りは外ヶ濱。文化5年11月に頂利助と改名。文化8年閏2月に入幕し、文化9年11月場所4日目から柏戸利助を襲名。文化12年3月に大関昇進。好敵手である4代玉垣額之助と東西の大関として対決した。
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白川 志賀右衛門(しらかわ しがえもん、1781年(天明元年… 白川 志賀右衛門(しらかわ しがえもん、1781年(天明元年) - 1818年5月15日(文化15年4月11日))は、江戸時代の大相撲の大関。出羽国(現秋田県北秋田市坊沢)出身。地元では「坊沢(ぼんじゃ)の徳」として民話の題材になり語り継がれている。 1796年(寛政8年)に米内沢に巡業に来た大関小野川に見込まれる。後に大関柏戸宗五郎の弟子になる。1810年(文化7年)に桑ノ弓徳右エ門の四股名で初入幕する。11月に関脇、翌年1月には白川志賀右エ門(2代目白川志賀右エ門)と改名し、西大関に昇進する。翌年に白川志賀右衛門とし西関脇になるが、そこで引退する。 1781年(天明元年)に現在の北秋田市坊沢村に生まれる。
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江戸ヶ崎 源弥(えどがさき げんや、1781年(天明元年) … 江戸ヶ崎 源弥(えどがさき げんや、1781年(天明元年) - 1812年(文化9年)8月16日(旧暦7月10日))は、相模国大住郡四之宮村(現:神奈川県平塚市四之宮)出身で桐山部屋に所属した大相撲力士。本名は平野 源弥(ひらの げんや)。最高位は関脇。 1781年(天明元年)に相模国大住郡四之宮村(現:神奈川県平塚市四之宮)の旧・平野家に生まれる。1794年(寛政6年)に桐山部屋へ入門、1795年(寛政7年)3月場所で初土俵を踏んだ。四股名は出身地の郡名に因んで「大隅」とした。 1797年(寛政9年)3月場所から三段目昇進が決定した際に、四股名を「荒馬」に変更した。その後も順調に出世していき、1798年(寛政10年)には久留米藩・有馬候の抱え力士となった。
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緋縅 力弥(ひおどし りきや、緋縅力彌、明和9年(1772年… 緋縅 力弥(ひおどし りきや、緋縅力彌、明和9年(1772年) - 文政13年2月22日(1830年3月16日))は、江戸時代の大関。安芸国山県郡川戸(現・広島県北広島町)出身。本名、森脇 勝五郎。身長177cm、体重116kg。 幕内生活21年という、驚異的な長期間の活躍が記録されている。上位陣にはあまり通じなかったが、下位には順当に取りこぼし少なく、かつ運良く1場所だけ大関に昇進した。引退後は「赤翁」と称し、養子であった錦幸太郎改め、2代目緋縅力弥(緋縅力弥)の活躍を楽しみとした。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
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鬼面山 与一右エ門(きめんやま よいちえもん、1768年〈明… 鬼面山 与一右エ門(きめんやま よいちえもん、1768年〈明和5年〉 - 1832年8月5日〈天保3年7月10日〉)は、小野川部屋(大坂相撲),勝ノ浦部屋,境川部屋に所属した元力士。 本名は国本 与平治。身長は188cm、体重は158kgと非常に大柄だった。出身地は現在の千葉県富里市(旧・下総国印旛郡)。 最高位は東大関。初めは明石藩(1789年11月~1791年6月)、後に徳島藩蜂須賀氏(1791年11月~)の抱えであった。 1789年3月初土俵(二段目格番附外)。翌1790年10月東二段目10枚目にあがり、現在でいう十枚目昇進を果たす。1790年11月場所、7勝1敗1分の成績で初の優勝相当成績を挙げた。
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柏戸 宗五郎(かしわど そうごろう、1767年(明和4年) … 柏戸 宗五郎(かしわど そうごろう、1767年(明和4年) - 1818年2月18日(文化15年1月14日))は、江戸時代の大関。武蔵国足立郡(現・草加市)出身。本名は大久保 清五郎。身長184cm、体重116kg。雷電爲右エ門の好敵手として名があるが、自身も強豪大関の一人だった。享保2年2月関脇昇進。 同郷の縁で3代伊勢ノ海の弟子となった。当時の力士としては珍しく序ノ口で初土俵(天明6年(1786年)11月)。若名乗りは滝ノ音。新入幕は寛政7年(1795年)11月。新入幕の場所、雷電不在場所ではあったが、8勝1敗1休で優勝相当成績を残す。寛政10年(1798年)3月場所4日目、師匠の急死によって二枚鑑札で4代伊勢ノ海を襲名。
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関ノ戸 澤右エ門(せきのと さわえもん、1767年 - 18… 関ノ戸 澤右エ門(せきのと さわえもん、1767年 - 1817年12月21日)は、上野国多胡郡馬庭村(現在の群馬県高崎市吉井町)出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した大相撲力士。本名は阿藤 初五郎。江戸時代寛政年間から文化年間にかけて活躍した松江藩お抱えの人気力士。最高位は小結。
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市野上 浅右エ門(いちのかみ あさえもん、1767年(明和4… 市野上 浅右エ門(いちのかみ あさえもん、1767年(明和4年) - 1802年(享和2年)9月9日(旧暦8月13日))は、山形県温海町(現:山形県鶴岡市温海)出身の元大相撲力士。本名は斎藤 浅右衛門(さいとう あさえもん)。 大相撲史上最強力士、雷電爲右エ門に二度勝利した唯一の力士として知られる。 1767年に山形県温海町(現:山形県鶴岡市温海)で温泉宿「あらやまや(新玉屋)」の三代・斉藤五左衛門の長男として生まれ、幼名は五郎吉だった。1788年(天明8年)に初代・出羽ノ海に見出されたことで入門、1790年(寛政2年)11月場所において三段目付出しで初土俵を踏んだ。1793年(寛政5年)3月場所(幕下筆頭、現在でいう十両)と1797年3月場所にて雷電爲右エ門から勝利を挙げ、雷電に二度勝った唯一の力士となった。
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二所ノ関 軍右エ門(にしょのせき ぐんえもん、1760年〈宝… 二所ノ関 軍右エ門(にしょのせき ぐんえもん、1760年〈宝暦10年〉 - 1823年3月17日〈文政6年2月5日〉)は、伊勢ノ海部屋及び柏戸部屋に所属した元力士。四賀峰東吉(元大関)は甥、娘婿に当たる。 本名は小田島 音藏。身長184cm、体重109kg。出身地は現在の岩手県北上市(旧・陸奥国和賀郡)。最高位は西大関。南部藩の抱えであった。 最初は南部相撲で相撲人生をスタートさせた。1783年3月に初土俵(二段目〈現在の幕下〉)を踏んだ。1786年3月東二段目6枚目にあがり、現在でいう十枚目昇進を果たす。1789年11月場所、西十両筆頭で7勝1敗2分の優勝相当成績を挙げ、翌1790年3月場所で新入幕を果たした。
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嚴嶋 関右エ門(いつくしま せきえもん、1756年(宝暦6年… 嚴嶋 関右エ門(いつくしま せきえもん、1756年(宝暦6年) - 1794年(寛政6年)6月16日(旧暦5月19日))は、讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)出身の元大相撲力士。本名は三崎と伝わっているが、詳細は不明である。 1756年(宝暦6年)に讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)の筆ノ山(現在の善通寺市内)の麓にある牛飼いの家に生まれる。幼少期より並外れた怪力で、通行人を待ち受けては相撲を取ったり、俵を担いできた人を抱いて弘田川を渡ったりしたと伝えられている。当初は朝日山部屋(大坂相撲)に入門し、丸亀藩の抱え力士として1779年10月場所で初土俵を踏んだ。1781年3月場所で東二段目(現在の十両)10枚目へ昇進するが、その後は不振により勝ち越しが一度も無かった。
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宮城野 錦之助(みやぎの にしきのすけ、延享元年(1744年… 宮城野 錦之助(みやぎの にしきのすけ、延享元年(1744年) - 寛政10年6月5日(1798年7月18日))は、陸奥国江刺郡(現在の岩手県奥州市)出身で佐野山部屋に所属した江戸時代の大相撲力士。本名は小島 大八(こじま だいはち)。体格は身長182cm、体重116kg。最高位は関脇。 最初は江戸相撲関ノ戸億右衛門の弟子となり、江刺川大八と名乗り明和3年(1766年)に初土俵を踏んだ。のちに仙台出身の宮城野丈助の門に移り宮城野大八と改名し、安永10年(1781年)3月に38歳で初入幕した。天明3年(1783年)3月小結になり名を錦之助と改名した。 初土俵は明和3年(1766年)10月場所だが、安永10年(1781年)3月になって新入幕。
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柏戸 村右衛門(かしわど むらえもん、元文3年(1738年)… 柏戸 村右衛門(かしわど むらえもん、元文3年(1738年) - 寛政8年(1796年))は、武蔵国(現在の埼玉県)出身の元大相撲力士。 現在の埼玉県加須市北川辺町出身。 初代伊勢ノ海(幕内・伊勢ノ海五太夫)が開いた伊勢ノ海部屋に入門。宝暦9年(1759年)3月場所の五段目(現在の序ノ口に相当)が番付初見。大半は二段(現在の幕下に相当)の地位にあり、途中備前藩主池田家の抱えとなり、三千ノ川強右衛門を名乗ったこともある。初代没後の安永5年(1776年)1月場所に38歳にして新入幕を果たした。 安永9年(1780年)10月場所以降は既に二枚鑑札となっており、天明元年(1781年)には現役のまま勧進元をつとめる等、初代、2代伊勢ノ海(関ノ戸億右エ門)と同様、興業的手腕や事務的能力を発揮。
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佐渡嶽 沢右エ門(さどがたけ さわえもん、1737年 - 1… 佐渡嶽 沢右エ門(さどがたけ さわえもん、1737年 - 1795年)は、上野国群馬郡(群馬県前橋市)出身で伊勢ノ海部屋に所属した江戸時代の大相撲力士。最高位は前頭2枚目。現代に続く年寄名跡・佐渡ヶ嶽の初代である。
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関ノ戸 億右エ門(せきのと おくえもん、元文元年〈1736年… 関ノ戸 億右エ門(せきのと おくえもん、元文元年〈1736年〉 - 天明2年4月17日〈1782年5月28日〉)は、陸奥国(現在の岩手県)出身の大相撲力士。 現在の岩手県一関市花泉町永井出身。 初代伊勢ノ海(幕内・伊勢ノ海五太夫)が開いた伊勢ノ海部屋に入門。頭書は「仙台」。宝暦7年(1757年)10月場所にいきなり前頭筆頭に附け出される形で初土俵を踏む。その後小結から関脇を務め、三役力士としての貫禄を示した。 安永3年(1774年)、初代伊勢ノ海が没すると、2代伊勢ノ海を襲名し、二枚鑑札で現役のまま部屋を経営。安永6年(1777年)10月場所限りで現役を引退、年寄専務となり、初代同様仙台藩の後ろ盾を得て勢力を維持する。
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丸山 権太左衛門(まるやま ごんだざえもん(ごんたざえもん)… 丸山 権太左衛門(まるやま ごんだざえもん(ごんたざえもん)、1713年(正徳3年)- 1749年12月23日(寛延2年11月14日))は、仙台藩・陸奥国領出身で七ツ森部屋に所属した大相撲力士。第3代横綱。本名は芳賀 銀太夫(はが ぎんだゆう)。 陸奥国遠田郡中津山村(現・宮城県登米市米山町中津山)出身。元文年間頃に初土俵を踏む。家老衆の家来になって江戸見物に出たが、体が重く歩くのが下手だったため、二足用意した草鞋をすぐ踏み潰しては徹夜で編み直すこととなり、馬に乗せれば足が地に着いてしまうほどだった。やっとの思いで江戸に到着したが、これでは故郷に帰るのもおぼつかないために入門したと伝わる。1737年(元文2年)4月大坂堀江で行われた興行に西大関として出場。
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豊昇龍 智勝 は、モンゴル国ウランバートル市出身で立浪部屋所… 豊昇龍 智勝 は、モンゴル国ウランバートル市出身で立浪部屋所属の現役大相撲力士。第74代横綱。本名はスガラグチャー・ビャンバスレン。血液型はAB型。好物はかつ丼。嫌いなものは魚介類、トマト。叔父に第68代横綱・朝青龍明徳がいる。 いわゆる「花のイチイチ組」の1人。
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待乳山 楯之亟(まつちやま たてのじょう、生年不明 - 18… 待乳山 楯之亟(まつちやま たてのじょう、生年不明 - 1862年5月10日〈文久2年4月12日〉)は、入間川部屋及び待乳山部屋に所属した元力士。本名・身長・体重とも不明。。下総国香取郡(現在の千葉県旭市)出身。最高位は西前頭8枚目。 1851年11月場所で初土俵(二段目〈現在の幕下〉)を踏んだ。1858年11月場所で西十両8枚目(十枚目格)に昇進。1860年2月場所で6勝2敗1預の優勝相当成績を挙げた。翌1860年10月場所より園部藩のお抱えとなり、1861年10月場所で新入幕を果たした。この場所でも6勝3敗1休の好成績を挙げ、将来の躍進が期待されたが、翌1862年3月場所後の4月12日に急逝。
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荒角 金太郎(あらかど きんたろう、生年不明 - 1882年… 荒角 金太郎(あらかど きんたろう、生年不明 - 1882年(明治15年)9月21日)は、相模国大住郡(現在の神奈川県厚木市) 出身で桐山部屋に所属した力士。本名は諸星 金太郎(後に二枚鑑札となった時に、桐山と改姓)。身長・体重は不明。最高位は西前頭3枚目。 荒井嵜繁藏(8代桐山)の養子として、1865年11月場所で初土俵(序ノ口)を踏む。1874年3月場所に西十両7枚目(十枚目格)に昇進。その後、十両で長く燻っていたが1879年6月場所に新入幕を果たした。その場所は東前頭8枚目で6勝1敗1休2預の優勝同点 の好成績を挙げた。餅肌の美男で人気が高かったと伝わる。1882年1月場所に9代桐山となり、二枚鑑札となった。
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7代 式守 伊之助(ななだい しきもり いのすけ、生年不明-… 7代 式守 伊之助(ななだい しきもり いのすけ、生年不明-1883年8月15日)は、大相撲の立行司。本名は大家?出身地は滋賀県大津市。 5代伊之助の弟子、初代の式守与之吉で天保15年(1844年)10月に2代式守勘太夫を継ぎ、安政3年(1856年)に3代式守鬼一郎を名乗ったが、再び勘太夫に戻した。文久3年(1863年)7月に鬼一郎に戻り、序列三位の地位に長らくあった。明治14年(1881年)1月に次席となり、明治16年(1883年)1月に7代式守伊之助を襲名したが、同年8月15日死去。年寄式守秀五郎を兼務していた。墓所は東京都江東区の万徳院。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
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伊勢ノ海 五太夫(いせのうみ ごだゆう、? - 安永3年7月… 伊勢ノ海 五太夫(いせのうみ ごだゆう、? - 安永3年7月9日(1774年8月15日))は、武蔵国(現在の埼玉県)出身の元大相撲力士。 現在の埼玉県加須市戸崎出身。 現役時代は初代春日山鹿右衛門の弟子、頭書は「仙台」。現役時代の事績は資料が少なく不明であるが、寛保3年(1734年)時点では東前頭11枚目、宝暦4年(1754年)時点では西前頭14枚目に在籍していることが確認できるという。 年寄となってからの伊勢ノ海が知られており、1755年に四股名をそのまま年寄名跡とし、以後、勧進元5回、差添(勧進元の補佐的地位)12回を務めていることから、江戸相撲会所(現在の日本相撲協会)内で興行的手腕のある中心的人物であったようである。
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千賀ノ浦 喜三郎(ちがのうら きさぶろう、生年不詳 - 18… 千賀ノ浦 喜三郎(ちがのうら きさぶろう、生年不詳 - 1889年頃[要出典])は、越前国坂井郡(現福井県坂井市)出身で千賀ノ浦部屋、阿武松部屋に所属した大相撲力士。本名は武林 喜三郎(たけばやし きさぶろう、旧姓:番匠)。最高位は西前頭筆頭。先代からの遺弟子雷電震右エ門を大関まで育てる。大関大達の養父。 幕内の少ない越前国出身。1858年11月には大関猪王山を倒し、1859年1月にはのちの横綱陣幕と引分。三役には昇進できなかったが幕内を7年務め、大関雲竜に1回勝利、2回引き分け、鬼面山にも勝利した。1866年3月引退。引退後は阿武松の弟子を引き受け大関雷電、高砂を育てた。高砂を後継者に考えていたが相撲会所を脱退してしまい、大達を養子分にしている。
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立田野 竹松(たつたの たけまつ、生年不明 - 1917年1… 立田野 竹松(たつたの たけまつ、生年不明 - 1917年12月25日)は、現在の富山県砺波市出身で湊川部屋に所属した力士。本名は高畑 竹松。身長170cm、体重は不明。最高位は東前頭8枚目。 1874年12月に湊川部屋に入門し、約8年かけて1883年1月新入幕を果たす。立田野を名乗り期待を掛けられたが、連続3場所在位したのち十両に陥落。その後、1886年1月場所に返り咲くも5連敗休場。この年の5月場所限りで廃業した。廃業後は漁港に勤め、飲食店経営にも乗り出した。現在の一族の動向については2017年にその子孫らが94年振りに富山県を訪れたという新聞記事が残っており、2019年12月号の雑誌「相撲」において子孫の協力を得て取材したと言う記事がある。
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錦木 塚五郎(にしきぎ つかごろう、生年不明 - 1821年… 錦木 塚五郎(にしきぎ つかごろう、生年不明 - 1821年8月26日〈文政4年7月29日〉)は、現在の岩手県花巻市(旧・陸奥国稗貫郡)大迫出身で二所ノ関部屋に所属した力士。 本名は藤原とのみ伝わっている。身長は五尺八寸(175cm)、肩幅三尺(90cm)の巨漢だった。体重は不明。 最高位は西小結。盛岡藩の抱えであった。 1805年10月初土俵(三段目)。翌1806年2月より西幕下尻より四枚目付け出しとなる。1806年10月西二段目9枚目にあがり、現在でいう十枚目昇進を果たす。1809年10月新入幕。怪力で知られ、10貫文銭と鉄砲 2挺を載せた碁盤を膳持ちにして広座敷を3回も歩いて回り、右手で碁盤を持ち直して元の所へ置き直したという伝説が残っている。
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錦木 塚五郎(にしきぎ つかごろう、生年不明 - 1842年… 錦木 塚五郎(にしきぎ つかごろう、生年不明 - 1842年8月16日〈天保13年7月11日〉)は、現在の岩手県花巻市(旧・陸奥国稗貫郡)出身で四賀峰部屋(同郷の四賀峰東吉が運営した部屋)→二所ノ関部屋に所属した力士。 本名は八木とのみ伝わっている。身長、体重は不明。 最高位は西小結。盛岡藩の抱えであった。 1831年11月初土俵(二段目〈現在の幕下〉)。1835年11月東二段目8枚目に上がり、現在でいう十枚目昇進を果たす。その場所、8勝0敗1預の無敗の好成績で、優勝相当成績を挙げた。その後二段目でもたつくも、1839年3月場所で6勝2敗2休の成績を挙げ、二段目10枚目以内(現在でいう十両)で2度目の優勝相当成績を挙げた。
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紫雷 匠 は、東京都町田市出身で木瀬部屋に所属していた元大相… 紫雷 匠 は、東京都町田市出身で木瀬部屋に所属していた元大相撲力士。本名は芝 匠。身長177cm、体重157kg、血液型はA型。最高位は東十両2枚目(2025年1月場所)。
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阿部 良太(あべ りょうた)は、豊田通商に2006年-201… 阿部 良太(あべ りょうた)は、豊田通商に2006年-2012年に所属していた、バスケットボール選手である。2012年-2016年豊田通商バスケットボールのアシスタントコーチ、2016年-2017年豊通ファイティングイーグルス名古屋のアシスタントコーチを務めた。
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宇良 和輝 は、大阪府寝屋川市出身で木瀬部屋所属の現役大相撲… 宇良 和輝 は、大阪府寝屋川市出身で木瀬部屋所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長176.0cm、体重138kg、血液型はB型。最高位は西小結(2024年1月場所)。平成4年度生まれの関取を指す「花のヨン組」の1人。幕内経験後に怪我の長期休場により西序二段106枚目まで降格したが、その後再入幕を果たすという史上最低地位からの幕内復帰記録を持つ。廻しの色はピンク。珍しい決まり手を使うこともある技巧派力士、メディアによってはアクロバット相撲とも評されている。
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芳東 洋 は、熊本県上益城郡嘉島町出身で玉ノ井部屋所属の現役… 芳東 洋 は、熊本県上益城郡嘉島町出身で玉ノ井部屋所属の現役大相撲力士。本名は石原 洋。身長196.0cm、体重163.6kg。血液型はB型。最高位は東前頭12枚目(2012年1月場所)。得意技は右四つ、寄り。愛称はジャンボ。好物は焼肉、趣味はDVD鑑賞。
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正代 直也 は、熊本県宇土市出身で時津風部屋所属の現役大相撲… 正代 直也 は、熊本県宇土市出身で時津風部屋所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長184.0cm、体重169kg、血液型はA型。得意技は右四つ、寄り。最高位は東大関。
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栗尾 真理(くりお まり)は日本のアマチュア女性ピン芸人。2… 栗尾 真理(くりお まり)は日本のアマチュア女性ピン芸人。2022年頃までは栗尾(くりお)名義で活動していた。関西を拠点とする社会人演芸サークル「公共の利益」に所属している。 京都大学出身。兵庫県庁の役職付き地方公務員として活動しつつ、お笑い芸人としても活動している。かつては、大阪の「漫才塾」にも所属していた。アマチュアながら多くの賞レースを制覇しており、女芸人No.1決定戦 THE W ではアマチュアとしては2番目に多い3回準決勝に進出している。また、ユニットを結成して、漫才師としても活動しており、M-1グランプリ2016は「栗尾荒川物語」として、M-1グランプリ2023からは同じく社会人漫才師の「ガーベラガーデン」と「第3おかかうどん」として活動している。
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小柳 常吉(こやなぎ つねきち、1817年(文化14年)8月… 小柳 常吉(こやなぎ つねきち、1817年(文化14年)8月 - 1858年5月6日(安政5年3月23日)は、上総国市原郡上高根村(現・千葉県市原市上高根)出身の大相撲力士。本名は高石 桂治。所属部屋は武隈部屋→雷部屋→阿武松部屋。アンコ型の大関として知られた。 横綱阿武松緑之助の弟子となり1835年(天保6年)1月緑松 慶治郎の名で二段目に付け出されるが4番取って全敗。翌10月場所東二段目11枚目につくも2敗して休場。1836年(天保7年)2月8枚目に上がって緑松 常吉と改めるが1預を挟んで4連敗。6日目に漸く初白星を上げた。(この場所6日目限り)その後も負け越し続きながら番付はじりじり上がった。
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浦風 林右エ門(うらかぜ りんえもん、天保12年(1841年… 浦風 林右エ門(うらかぜ りんえもん、天保12年(1841年) - 明治36年(1903年)8月9日)は、越中国射水郡(現在の富山県射水市)出身で浦風部屋に所属した大相撲力士。本名は藤井 政次郎→藤井 林右衛門→浦風 林右衛門。最高位は関脇。
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鎌倉 十七(かまくら としち(じゅうしち)、生没年不詳)は、… 鎌倉 十七(かまくら としち(じゅうしち)、生没年不詳)は、鎌倉出身の大相撲力士。 寛永頃(1624年-1645年)に活躍。黒柳 左茂右衛門(畔柳)ともいった。身長六尺二寸(188cm)体重三十一貫(121kg)。慶安年間に鳥取藩池田侯の抱え力士となり八人扶持七十石を賜ったという。 高原市兵衛星(後市入)咄には鎌倉十七の名の由来について、鎌倉にて名立たる相撲取りを集めて勧進相撲を行った際に本方(地元勢)が大きく勝ち越して寄方(遠征勢)から誰か出るものがいないのかとなった時に寄方の屋形から出て本方の相撲取りを片っ端から片付けてしまった。このとき十七歳だったことから「日の下開山鎌倉十七」と讃えられこれが名乗りとなったという。
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飛龍 喜三太(ひりゅう きさんた、「熊ヶ谷 弥三郎」(くまが… 飛龍 喜三太(ひりゅう きさんた、「熊ヶ谷 弥三郎」(くまがだに やさぶろう)、文政6年5月(1823年) - 明20年10月3日(1887年10月3日)は、遠江国金谷村(現在の静岡県島田市金谷東町)出身の大相撲力士。本名は村井 喜太八(むらい きたはち)。所属は追手風部屋から雷部屋を経て追手風部屋。最高位は前頭4枚目。 1823年(文政6年)金谷村(島田市)にて誕生 1858年(安政5年)11場所 - 十両4枚目 1860年(安政7年)10月場所 - 前頭8枚目 1862年(文久2年)11月場所 - 前頭7枚目 1864年(元治元年)4月場所 - 現役引退 二枚鑑札で年寄・熊ヶ谷を襲名。 1887年(明治20年)10月3日 - 死去。
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14代 式守 伊之助(じゅうよんだい しきもり いのすけ、1… 14代 式守 伊之助(じゅうよんだい しきもり いのすけ、1870年 - 1925年12月26日)は大相撲の立行司。 本名は平木兼次郎。出身は東京府東京市本所区(現在の東京都墨田区本所)の横網町。 7代式守伊之助に入門し(のち伊勢ノ海部屋へ)、1884年5月場所に2代式守与之吉の名で初土俵を踏み、1899年3代式守勘太夫を襲名。ちなみに式守勘太夫の名跡は、現代では幕内格以上の行司が襲名するイメージが強いが、この3代式守勘太夫は式守勘太夫の名跡を襲名した当初、番付掲載上4段中3段目の比較的小さな文字で書かれていた。1902年には幕内格に、1906年には三役格に昇進する。三役時代には5代式守与太夫(のち19代庄之助)、3代式守錦太夫(のち松翁20代庄之助)とともに「名行司三太夫」として知られた。
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毛谷村 六介(けやむら ろくすけ、生没年未詳)は、明治時代の… 毛谷村 六介(けやむら ろくすけ、生没年未詳)は、明治時代の大相撲力士。本名は清水忠太郎。年寄8代大嶽。 現在の愛知県半田市近郊の出身。大嶽に入門し、1885年5月 清竹忠太郎で序ノ口。1886年5月序二段、1887年5月三段目。1887年に大嶽が亡くなり、のち雷部屋に移る。1889年1月毛谷村六介に改名。 毛谷村六介は加藤清正の家来となった貴田孫兵衛の通称である。文禄の役で朝鮮に侵攻し敵の謀略により生涯を終えた人物で、歌舞伎の演目にもなっている。この名前を名乗るため、特色のあった力士と推測される。 1890年5月幕下に。1897年5月から大嶽二枚鑑札で土俵を務め、1898年1月より番付でも大嶽となる。
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照ヶ嶽 光右エ門(てるがたけ こうえもん、文政11年(182… 照ヶ嶽 光右エ門(てるがたけ こうえもん、文政11年(1828年) - 明治6年(1873年)5月13日)は、下総国葛飾郡(現在の千葉県船橋市海神)出身で、宮城野部屋、追手風部屋、雷部屋、追手風部屋に所属した江戸時代の大相撲力士。本名は海津 八五郎(途中で金子 為右衛門と改名)。最高位は東前頭2枚目。幕内通算成績は12場所 27勝27敗3分4預57休。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
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眞鶴 政吉(まなづる まさきち、天保12年(1841年) -… 眞鶴 政吉(まなづる まさきち、天保12年(1841年) - 1897年(明治30年)6月29日)は伯耆国日野郡溝口(現・鳥取県西伯郡伯耆町)出身の元大相撲力士。本名は木島長五郎。大阪相撲で活躍し最高位は大関。 5代もしくは6代朝日山に入門、四ツ車 久吉を名乗り1861年(文久2年)6月が番付初見。1869年(明治2年)3月入幕、1870年(明治3年)3月小結に昇進し、初日から眞鶴 政吉と改めた。1871年(明治4年)6月関脇、1872年(明治5年)7月大関に進んだ。大関は5場所努めて1876年(明治9年)6月限りで引退、9代朝日山を襲名し多数の弟子を養成した。1885年(明治18年)10月限りで廃業、1897年(明治30年)6月29日没。
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釋迦ヶ嶽(釈迦ヶ嶽) 雲右エ門(しゃかがたけ くもえもん、1… 釋迦ヶ嶽(釈迦ヶ嶽) 雲右エ門(しゃかがたけ くもえもん、1749年(寛延2年) - 1775年(安永4年)3月15日(旧暦2月14日))は、出雲国能義郡(現:島根県安来市)出身の元大相撲力士。本名は天野 久富(あまの ひさとみ)。 看板大関としてデビューし、歴代大関としての代数は第36代とされる。実弟の稲妻咲右エ門も大関で、大相撲史上初の兄弟幕内力士でもある。 1749年(寛延2年)に出雲国能義郡(現:島根県安来市)で生まれる。当初は大坂相撲で「大鳥井」の四股名で看板大関として出場したが、1770年(明和7年)11月の江戸相撲において「釋迦ヶ嶽」の四股名で出場した。その場所で6勝1預1休の優勝相当成績を挙げると、1771年3月場所も6勝1敗1休とし、二度目の優勝相当成績を挙げた。
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