菅野 光亮(かんの みつあき、1939年7月10日 - 19… 菅野 光亮(かんの みつあき、1939年7月10日 - 1983年8月15日)は日本の作曲家、ジャズピアニスト。宮城県仙台市出身。 国立音楽大学付属高等学校を経て、東京芸術大学音楽学部作曲科に入学し、長谷川良夫に師事。大学在学中の1966年に、第35回日本音楽コンクール作曲部門第2部(室内楽曲)に応募した「弦楽四重奏曲第3番作品24」が3位入賞を果たす。大学卒業後は主にジャズピアニストとして活躍。 男声カルテット「ロイヤルナイツ」の第1回ソ連公演(1966年12月 - 1967年1月)、東欧公演~第3回ソ連公演(1968年5月下旬 - 9月)には、菅野光亮クインテットのピアニストとして同行。 1974年に公開された松竹映画「砂の器」では、ラフマニノフばりの美しいテーマ曲「ピアノと管弦楽のための組曲 宿命」を作曲・ピアノ演奏し、第29回毎日映画コンクール音楽賞、モスクワ映画祭ソビエト作曲家同盟賞を受賞した。
甲斐 靖文(かい やすふみ、1939年6月30日 - )は、… 甲斐 靖文(かい やすふみ、1939年6月30日 - )は、大分県別府市生まれの日本の作曲家・編曲家・明治大学マンドリン倶楽部音楽監督・常任指揮者・OB会会長。古賀政男音楽文化振興財団理事。 1958年、明治大学法学部入学、明治大学マンドリン倶楽部に入部する。1962年に卒業後、大学の先輩にあたる古賀政男に作曲を、佐伯亮に編曲を師事する。 1965年に日本コロムビアに専属作曲家として迎えられ、藤山一郎・島倉千代子・都はるみ・舟木一夫・大川栄策・ペギー葉山・大月みやこ・キム・ヨンジャなどの楽曲、日本相撲協会練成歌(作曲)、器楽曲アルバム、カラオケなどを合わせると、これまでに6,000曲以上の楽譜を制作。
荒川 康男(あらかわ やすお、1939年6月12日 - )は… 荒川 康男(あらかわ やすお、1939年6月12日 - )は、日本のジャズ・ベース奏者、作曲家である。 1939年6月12日、神戸市に生まれた。御影に住んでいたが、第二次世界大戦のあおりで鳥取県との県境に近い日本海側の美方郡諸寄に疎開していた。小学校に上がるころに終戦を迎え、芦屋山手小学校に通った。そこでの同窓生にジャズ・ミュージシャンの清水閏、木村新弥らがいる。 戦後はラジオでFENをよく聴いていた。中学のときにジャズに興味を持ち、高校に入りベニー・グッドマンのレコードを入手した。 本格的な楽器の演奏経験がなかったにもかかわらず、高校3年のときに神戸のジャズ喫茶でベースを担当する羽目になったのが演奏活動の始まりであった。
中田 直宏(なかた なおひろ、1939年6月2日 - )は、… 中田 直宏(なかた なおひろ、1939年6月2日 - )は、日本の作曲家。愛知県出身。 名古屋市に生まれる。小学校から中野二郎に音楽を学ぶ。名古屋市立菊里高等学校卒業。東京芸術大学で作曲を長谷川良夫に師事した。 東京芸大卒業後は福岡教育大学、愛知県立芸術大学、愛知教育大学で教育に携わりながら作曲活動、指揮活動を続けた。 著名な教え子には帰山栄治、中村滋延、藤掛廣幸、等がいる。 1994年ロシア・クラスノダール市芸術賞、2006年佐川吉男音楽奨励賞受賞。 福岡県公立古賀竟成館高等学校・校歌 豊田市立竜神中学校・校歌
中村 泰士(なかむら たいじ、1939年〈昭和14年〉5月2… 中村 泰士(なかむら たいじ、1939年〈昭和14年〉5月21日 - 2020年〈令和2年〉12月20日)は、日本の作曲家、作詞家、ロカビリー歌手、ラジオパーソナリティ、俳優、タレント。 奈良県北葛城郡王寺町出身。本名は泰士と書いて「たいし」と読む(芸名の読みを「やすし」としていたこともある)。クリスチャンの家に、長兄と12歳も離れた5人兄弟の末っ子として生まれる。6歳の時に歯科医師の父が亡くなり、役場に勤める母に女手一つで育てられた。 中学生の時、クラブ活動でブラスバンド部に入り、トロンボーン担当となる。行進曲のリズムを刻み続けることにつまらなさを感じ、部室にあったジャズの譜面のメロディーをトロンボーンで吹いていた。
千葉 真一[注釈 1](ちば しんいち、JJ Sonny C… 千葉 真一[注釈 1](ちば しんいち、JJ Sonny Chiba [注釈 2], 1939年1月22日 - )は、日本の俳優・体操選手・空手家・歌手・芸能プロモーター・アクション監督・映画監督・映画プロデューサー・作詞家・作曲家・ナレーター・声優。
藤原 義久(ふじはら よしひさ、1939年〈昭和14年〉1月… 藤原 義久(ふじはら よしひさ、1939年〈昭和14年〉1月 - 2025年〈令和7年〉6月3日)は、日本の作曲家。山形大学名誉教授。 東京都出身。学習院初等科、学習院中・高等科を経て、1962年(昭和37年)に東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業後、パリ国立高等音楽院で作曲を学ぶ。 学習院中・高等科教諭、山形大学教育学部教授、学習院大学文学部哲学科非常勤講師、聖霊女子短期大学非常勤講師、東北芸術工科大学非常勤講師、東京音楽大学非常勤講師を経て、山形大学名誉教授。 2025年(令和7年)6月3日18時45分、東京都内の自宅で死去。86歳没。死没日付で従四位に叙され、瑞宝中綬章を受章した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
高橋 城(たかはし くに、1939年 - 2023年6月22… 高橋 城(たかはし くに、1939年 - 2023年6月22日)は、日本の作曲家。主に宝塚歌劇団の劇中音楽を担当しており、1993年より優先契約を結んでいる。妻は宝塚歌劇団卒業生の美野真奈(元花組娘役、在団1971年 - 1986年、宝塚歌劇団57期生)。 京都府出身。戦前に歌劇団の作曲家をしていたこともある父・高橋半の影響で、幼いころから音楽に親しんで育つ。 同志社大学文学部卒業後、南安雄に師事し、作曲家として活動するようになる。1969年に関西テレビの宝塚歌劇団関連番組に参加したことがきっかけで、1974年から宝塚大劇場の作品に参加するようになる。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役)
佐々木 勉(ささき べん、1938年12月26日 - 198… 佐々木 勉(ささき べん、1938年12月26日 - 1985年3月11日)は、日本の作詞家、作曲家、歌手。 東京府出身(現在の東京都杉並区出身)。成城学園高校を経て成城大学卒業。本名は佐々木 勤(ささき つとむ)。夫人は作詞家の笠間ジュン(前妻は女優の西尾美恵子)。 現在の東京都杉並区荻窪で生まれ、幼少期にバイオリンを習い音楽に親しむ。 成城学園高校在学中にラジオ番組「素人ジャズのど自慢」で日本一となり、バンド「カントリー・ケーパーズ」を結成し米軍キャンプを巡る。成城大学に入学後、「小坂一也とワゴン・マスターズ」に参加。大学卒業後は証券会社や広告代理店に勤務する傍ら作曲活動を行う。 1964年、清原タケシの「夜空の星(後に「星に祈りを」と改題)」の作詞・作曲で作家デビュー。
塩見 允枝子(しおみ みえこ、1938年12月13日 - )… 塩見 允枝子(しおみ みえこ、1938年12月13日 - )は、作曲家、造形作家、詩人。 1938年に岡山県岡山市で生まれる。1961年に東京藝術大学楽理科を卒業。作曲を長谷川良夫、音楽理論を柴田南雄に師事。在学中より「グループ音楽(英語版)」の一員として小杉武久、水野修孝、刀根康尚等と作曲・演奏活動を開始している。ナム・ジュン・パイクにフルクサスを紹介され、1964年に渡米しフルクサスに参加した。翌年帰国、1970年の結婚後は大阪を拠点にした。1990年代以降は電子テクノロジー音楽に傾倒。音楽と視覚、言語表現を融合させた藝術を追求し続けている。2014年(平成24年)4月京都市立芸術大学芸術資源研究センター特別招聘研究員。
甲斐 説宗(かい せっしゅう、1938年11月15日 - 1… 甲斐 説宗(かい せっしゅう、1938年11月15日 - 1978年10月31日)は、日本の現代音楽の作曲家。兵庫県三田町(現在の三田市)出身。 東京藝術大学作曲科で長谷川良夫に師事。卒業後、当時の西ドイツのベルリン音楽大学で主にボリス・ブラッハー、ヨーゼフ・ルーファーに師事。ブラッハーと合作をするほどの仲のよさであった。ジェルジ・リゲティのレッスンも受けた。後に東京学芸大学で教え、嶋津武仁や井上郷子などの優れた後進を指導した。1969年、ヴィオッティ国際音楽コンクール入賞。1970年、ベルリン国際作曲コンクール入賞。 寡作ながらも評価の高い作品を作り続けたが、1978年に心不全及び甲状腺癌の肺転移により39歳で世を去る。
八村義夫(はちむら よしお、1938年10月10日 - 19… 八村義夫(はちむら よしお、1938年10月10日 - 1985年6月15日)は、日本の現代音楽の作曲家。東京都出身。 9歳よりヴァイオリンを習い始め、「桐朋学園子供のための音楽教室」に入室。柴田南雄、入野義朗らに聴音、音楽理論、ソルフェージュ等の指導を受ける。中学より作曲とピアノを松本民之助に師事。1954年に東京都立駒場高等学校芸術科にヴァイオリン専攻として入学。 1957年に東京芸術大学作曲科に入学。在学中に、「オーケストラのためのレントとアレグロ」が第29回音楽コンクールにて第3位を受賞。島岡譲に師事し、1961年に東京藝術大学を卒業。芸大卒業後は都立高校の非常勤講師、東京理科大学のオーケストラ部の指導などで生計を立てていたが、和声への研鑽を深めるべく、東京芸大大学院に入学。
飯沼 信義(いいぬま のぶよし、1938年9月20日 - )… 飯沼 信義(いいぬま のぶよし、1938年9月20日 - )は、日本の作曲家。 長野県南安曇郡豊科町(現在の安曇野市)出身。長野県松本深志高等学校を卒業後、東京芸術大学音楽学部作曲科に進学、同専攻科修了。作曲を石桁眞禮生、ピアノを安藤仁一郎、小田雪江、遠山ゆや、指揮法を山田一雄にそれぞれ師事。 第32回日本音楽コンクール入賞。1964年より桐朋学園大学にて教鞭をとる。現在、桐朋学園大学名誉教授。日本現代音楽協会、日本作曲家協議会、作曲家の会《環》各会員。 学校向けの合唱作品が多い。
佐藤 眞(さとう しん、1938年(昭和13年)8月24日 … 佐藤 眞(さとう しん、1938年(昭和13年)8月24日 - )は、日本の作曲家。代表曲には合唱コンクールでも幅広く歌われている「大地讃頌」(『土の歌』の終曲)など。
小櫻 秀爾(こざくら しゅうじ、1938年8月19日 - )… 小櫻 秀爾(こざくら しゅうじ、1938年8月19日 - )は日本の作曲家。 愛知県名古屋市出身。1961年に愛知学芸大学(現在の愛知教育大学)を卒業した後、東京芸術大学で長谷川良夫、南弘明らに作曲を学び、1970年に卒業した。長く名古屋音楽大学に勤め、現在は名誉教授。 1977年「ふしぎなマンドリン」で第2回日本マンドリン合奏曲作曲コンクール佳作入選。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
二代目 野坂 操壽(にだいめ のさか そうじゅ、1938年4… 二代目 野坂 操壽(にだいめ のさか そうじゅ、1938年4月18日 - 2019年8月27日)は、日本の箏曲家、作曲家。位階は従四位。勲等は旭日中綬章。学位は音楽修士(東京芸術大学)。文化功労者。本名、および、旧芸名は野坂 惠子(のさか けいこ)。名の「壽」「惠」は旧字体のため、二代目 野坂 操寿(にだいめ のさか そうじゅ)、野坂 恵子(のさか けいこ)と表記されることもある。 日本音楽集団団員、東京芸術大学音楽学部講師、桐朋学園芸術短期大学芸術科教授、生田流箏曲松の実會主宰、生田流協会理事、公益社団法人日本三曲協会常任理事などを歴任した。 1938年4月生まれ、東京府出身。母である箏曲家の初代野坂操壽から指導を受けた。
猪俣 公章(いのまた こうしょう(本名: きみあき)、193… 猪俣 公章(いのまた こうしょう(本名: きみあき)、1938年4月11日 - 1993年6月10日)は、日本の作曲家、作詞家。
鈴木 邦彦(すずき くにひこ、1938年3月1日 - )は、… 鈴木 邦彦(すずき くにひこ、1938年3月1日 - )は、東京府出身の作曲家、編曲家。妻は元歌手の小野階子(おの しなこ)。 慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。学生時代は慶應義塾大学ライトミュージックソサエティに所属。 母が所有していたピアノを独学で習得し、学生時代からジャズ・ピアニストとして活動を始め、のちに「ザ・ヒットパレード」のバックバンドにも参加。中村八大の影響でプロの作曲・編曲家を目指す。 西ドイツ・ドルトムントで開催された1966年世界体操競技選手権に日本代表専属のピアニストとして参加。床運動の規定曲を作曲する。 プロの作曲家としてデビューまもない1968年に『天使の誘惑』が、第10回日本レコード大賞を受賞する。
佐伯 亮(さえき まこと、1938年2月24日 - 2008… 佐伯 亮(さえき まこと、1938年2月24日 - 2008年11月3日)は、日本の作曲家・編曲家。馬場良の別名を持つ。 東京都中野区出身。明治大学法学部卒業。マンドリン倶楽部に在籍し、卒業後古賀政男に師事。 1961年、コロムビアレコード専属の作曲家となる。翌年、美空ひばり「恋の曼珠沙華」で日本レコード大賞編曲賞受賞。さらに翌年、美空ひばり「柔」のレコード大賞受賞を機に、一気にトップ編曲家の地位を確保した。 1972年、編曲を担当したぴんからトリオの「女のみち」は400万枚を越す未曽有の大ヒットとなった。 美空ひばりのステージにおける音楽監督を25年間務めた事でも有名である。変わったところでは、競艇で1991年 - 2010年まで使われた、一般競走の際のファンファーレ(優勝戦は除く)の作曲を担当していた。
田村 徹(たむら とおる、1938年1月15日 - )は、日… 田村 徹(たむら とおる、1938年1月15日 - )は、日本の作曲家、教育者、文教大学名誉教授、元学校法人文教大学学園理事長。 現在の北朝鮮沙里院市生まれ。終戦後の1945年、福岡県久留米市に引き揚げる。1962年、武蔵野音楽大学作曲科卒業。渡辺浦人、安部幸明、クラウス・プリングスハイムに師事した。 1963年、管弦楽曲「筑後地方の俗楽によるコンポジッション」が第4回TBS賞特賞受賞。1965年、「フルート、クラリネット、ファゴットのための三重奏」が日本音楽コンクール作曲部門室内楽曲第3位入賞。文教大学、武蔵野音楽大学等で作曲を教授し、文教大学学生部長、文教大学学園理事長を歴任。九州・沖縄作曲家協会元会長、名誉会員、東アジア作曲家協会理事、日本現代音楽協会会員。
蕭 泰然(シャオ・タイラン/しょう たいぜん、Hsiao T… 蕭 泰然(シャオ・タイラン/しょう たいぜん、Hsiao Tyzen, 1938年1月1日 - 2015年2月24日)は、台湾の作曲家。 高雄県鳳山市出身。祖父は長老派教会の宣教師で、父は日本で学んだ歯科医師で長老。母は日本でピアノを学んだ経験があったので、彼は幼いころから西洋音楽に親しんだ。父は歯科医師の道を進むことを望んだが、彼の才能を惜しんだ中学校長の説得で音楽の道を進むことになった。 1959年、台湾省立師範大学(現在の国立台湾師範大学)に入学し、ピアノを専攻するとともに、許常恵から作曲を学んだ。1963年に卒業後、高雄中学の音楽教師となった。 1965年、武蔵野音楽大学に留学し、中根伸也にピアノを学ぶとともに、藤本秀夫から個人的に作曲を学んだ。
平尾 昌晃(ひらお まさあき、1937年〈昭和12年〉12月… 平尾 昌晃(ひらお まさあき、1937年〈昭和12年〉12月24日 - 2017年〈平成29年〉7月21日)は、日本の作曲家、作詞家、歌手。社団法人日本作曲家協会・常務理事、社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)理事などを歴任した。 化粧品業を営んだ平尾聚泉の孫。クラシックの作曲家で国立音楽大学教授を務めた平尾貴四男は伯父。 東京市の牛込(現:東京都新宿区)「生まれ」であるが、終戦後、神奈川県の湘南エリアに移住し、藤沢市にある湘南学園で小中学時代を送る。出生名は平尾勇。幼少時にたびたび改名し、デビュー初期の芸名である「昌章」を経て、最終的には本名の通り平尾昌晃を芸名としていた。 小学3年生のとき、自宅に来ていた将校から貰ったジャズのLPを聴き衝撃を覚える。
沢井 忠夫(さわい ただお、1937年12月16日 - 19… 沢井 忠夫(さわい ただお、1937年12月16日 - 1997年4月1日)は、日本の箏曲家、作曲家。沢井箏曲院の創始者。妻は沢井一恵で、息子は沢井比河流。 愛知県中島郡(現在の一宮市)で尺八家の名家に生まれ、箏を始めたのは小学5年生だった(一度、宮城道雄に師事するが、その後すぐに宮城が亡くなる)。1960年に東京芸術大学邦楽科を、1962年に専攻科を卒業。大学在学中にNHK「全国今年のホープ」に選ばれた。 高校時に作曲を始め(最初に形がなった曲が"雪ものがたり"であった)その後、清水脩の元で作曲を師事した。 1964年に青木鈴慕・伊藤松博・高野和之・杵屋栄三郎・山本邦山と「民族音楽の会」を結成。
中村 勝彦(なかむら かつひこ、1937年11月27日 - … 中村 勝彦(なかむら かつひこ、1937年11月27日 - 2019年12月13日)は、日本の作曲家。専門はCMソング・アニメソング・童謡・歌謡曲。 東京生まれ。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部を卒業したが、美学芸術を学ぶため、同大学の文学部に再入学し美術史を専攻、卒業。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
川口 真(かわぐち まこと、1937年11月5日 - 202… 川口 真(かわぐち まこと、1937年11月5日 - 2021年10月20日)は、日本の作曲家、編曲家。兵庫県神戸市出身。本名:川口 眞弘(かわぐち まさひろ)。 幼少期は岡山県倉敷市、岡山市育ち。岡山県立岡山操山高等学校を卒業後、東京芸術大学に進学した。 東京芸術大学音楽学部楽理科に2年在籍したのち、作曲科へ転科。在学中から越路吹雪のバックバンド「クレール・ド・シャルム」のピアニストとして活動。その傍らでいずみたくの事務所で編曲のアルバイトも行っており、ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』で編曲家としてデビュー。そのまま本業となったため、大学は4年で中退。 1966年、ザ・ベンチャーズが作曲した「二人の銀座」(歌:和泉雅子・山内賢)の編曲を担当。
一代 のぼる(いちだい のぼる、1937年10月20日 - … 一代 のぼる(いちだい のぼる、1937年10月20日 - 2000年4月29日、本名:首藤正毅)は、大分県臼杵市佐志生出身の作曲家である。代表曲は、松村和子が歌った「帰ってこいよ」。 臼杵市立豊洋中学校を卒業後、津久見市の大分県柑橘試験場津久見分場で学び、家業のミカン栽培に携わった。24歳の時に上京し、流しのかたわら、作曲を独学した。 千昌夫、小林旭、水前寺清子、村田英雄らの楽曲を作曲。代表曲の「帰ってこいよ」は、1980年発売の松村和子のデビュー曲で、翌1981年の「第32回NHK紅白歌合戦」でも歌われた。「一代のぼる」の名付け親は作詞家の星野哲郎である。
山本 邦山(やまもと ほうざん、1937年10月6日 - 2… 山本 邦山(やまもと ほうざん、1937年10月6日 - 2014年2月10日)は、滋賀県大津市出身の尺八演奏家、作曲家。元東京芸術大学教授、人間国宝。本名は山本泰正(やまもと やすまさ)。長男は尺八奏者の二代 山本邦山(二代目襲名前は山本真山)。 都山流尺八演奏を、父である山本鵬山に習う。のち中西蝶山門下に入る。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
田辺 信一(たなべ しんいち、1937年10月2日 - 19… 田辺 信一(たなべ しんいち、1937年10月2日 - 1989年4月29日)は、日本の作曲家、編曲家。岡山県総社市出身。慶應義塾大学のジャズサークルで音楽を学んだ。 作曲家・編曲家として多数の楽曲を制作、石坂浩二の金田一耕助シリーズの音楽を担当した。他にも歌謡曲の作曲としても知られる。元々ジャズ畑の人間であった(慶應ライトミュージックソサイエティ出身)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
京 建輔(きょう けんすけ、1937年8月26日 - )は、… 京 建輔(きょう けんすけ、1937年8月26日 - )は、日本の作曲家、編曲家、クラリネット奏者。 本名は安野 健三。京都府出身。筆名の「京」は出身地に、「建輔」は次男の名前に由来する。 同志社大学工学部卒業。大学在学中からのスウィング・ジャズの演奏活動を経て、音楽出版社に勤めた後、作曲活動を開始する。以降、多くの歌謡曲(特に演歌)を編曲、古賀政男記念音楽大賞や藤田まさと賞などを受賞している。 1974年の映画『エスパイ』より映画・テレビの音楽を担当する。1977年の特撮テレビドラマ『快傑ズバット』の主題歌「地獄のズバット」では、当時小学生だった長男の「派手な音色がいいんじゃない」という意見をヒントにして、演奏に琵琶を用いている。
吉田 佐(よしだ たすく、1937年(昭和12年)6月16日… 吉田 佐(よしだ たすく、1937年(昭和12年)6月16日 - 2006年(平成18年)2月7日)は、日本の作曲家。北海道生まれ。ムード歌謡を中心に2000余曲を手掛けた。 北海道遠軽高等学校卒業。高校時代は吹奏楽部に所属。札幌市内で歌謡教室を営む傍ら作曲活動にも励み、1973年(昭和48年)に秋庭豊とアローナイツのために『中の島ブルース』を提供。 同曲の人気が有線放送を介して全国区になったため、1975年(昭和50年)には補作してアローナイツをメジャー・デビューさせると同時に、内山田洋とクール・ファイブと競作させ、ミリオンセラーの定番に育て上げた。 2006年(平成18年)2月7日に胃癌のため死去 。
平 義久(たいら よしひさ、1937年6月3日 - 2005… 平 義久(たいら よしひさ、1937年6月3日 - 2005年3月13日)は、日本の作曲家。生涯の大半をパリで過ごした。 1937年、東京都生まれ。東京藝術大学を経て、フランスのパリ音楽院でアンリ・デュティユー、アンドレ・ジョリヴェ、オリヴィエ・メシアンらに作曲を学ぶ。1971年に作曲クラス一等賞を得て同院を卒業し、同年リリー・ブーランジェ賞を受賞してパリの楽団にデビューする。その後そのままパリに居住し、作曲活動を続けた。またエコール・ノルマル音楽院の作曲科教授として多くの後進の指導に当たった。日本人生徒では山下恵、斉木由美、三浦則子、法倉雅紀、岸野末利加、岡谷かおりなどが挙げられる。台湾人生徒では連憲升、楊金峯、王思雅、陳兪州などが挙げられる。
安倍 圭子(あべ けいこ、本名:木村圭子、旧姓:安倍圭子、1… 安倍 圭子(あべ けいこ、本名:木村圭子、旧姓:安倍圭子、1937年4月18日 - )は、日本のマリンバ奏者、作曲家。東京都出身。世田谷区立代沢小学校を経て、中学2年生の時に山梨英和中学校から松山東雲中学校へ転校。松山東雲高等学校、東京学芸大学教育学部音楽専攻打楽器科を卒業。 山梨の中学生の頃には木琴を習っていたが、1950年に音楽を用いた布教で知られるアメリカのラクーア伝道団が学校に来て、メンバーが賛美歌を奏でた。この時にマリンバに出会う。 14歳でNHKの洋楽オーディションに合格し、演奏活動を始める。外国の音楽家の日本公演が難しい時代だったが、音楽史に残る世界的な演奏家が転校先の松山市の学校の体育館で演奏を見る機会があった。
中川 博之(なかがわ ひろゆき、1937年3月15日 - 2… 中川 博之(なかがわ ひろゆき、1937年3月15日 - 2014年6月11日)は、現在の韓国ソウル市生まれの日本の作曲家、歌手。別名に五十嵐 悟(いがらし さとる)、ユズリハシロー。妻は作詞家の高畠じゅん子。 作曲数は1,500曲以上、レコード、CDの売上枚数は450万枚以上。新見市立千屋小学校の校歌をボランティアで作曲したこともある。
末吉 保雄(すえよし やすお、1937年3月6日 - 201… 末吉 保雄(すえよし やすお、1937年3月6日 - 2018年8月20日)は、日本の現代音楽の作曲家。 東京出身。東京芸術大学、パリ・エコールノルマル音楽院作曲科卒業。作曲を石桁真礼生、ピアノを豊増昇に師事。1965年フランス国立放送音楽研究所講習生。 作曲に加えて、東京芸術大学、桐朋学園大学などの教員として、またNHK音楽教育番組への出演、企画などによる教育活動に携わった。 日本現代音楽協会名誉会員、日本フォーレ協会会員、日本セヴラック協会会員、OTOの会顧問を務めた。 2018年8月20日、十二指腸がんのため死去。81歳没。
増本 伎共子(ますもと きくこ、1937年2月2日 - )は… 増本 伎共子(ますもと きくこ、1937年2月2日 - )は、日本の作曲家、音楽民族学者。 東京府出身。子供のための音楽教室(現在の桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室)で柴田南雄に作曲を学び、桐朋学園大学で別宮貞雄に作曲を学んだ。その後は同大学の教授に就任し、現在は名誉教授。 1986年、「浅茅ヶ宿」で第9回舞台芸術創作作品奨励特別賞(オペラ部門)を受賞、1994年、「白秋の世界」で第5回奏楽堂日本歌曲コンクール第1位(作曲部門)を受賞。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
城間 繁(しろま しげる、1937年1月8日 - 2005年… 城間 繁(しろま しげる、1937年1月8日 - 2005年11月17日)は昭和時代の日本およびアメリカ合衆国(米国)施政権下の沖縄で活動した声楽家、作曲家。琉球大学教授。 1937年(昭和12年)、沖縄県首里市(現在の那覇市首里)に生まれる。1961年(昭和36年)に東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業の後、東京混声合唱団に所属した。 1966年(昭和41年)に東京混声合唱団を退団し米国施政権下の沖縄へ帰郷、琉球大学教育学部教授に着任する。1967年(昭和42年)、琉球放送の公開番組『オキコワンワンチャンネル』内のコーナー「みんなで歌おう」内の楽曲を監修。1972年(昭和47年)5月15日の沖縄返還(本土復帰)と同日に制定された「沖縄県民の歌」を始め、県内の市町村歌や校歌、イベントのテーマソングなどを精力的に作曲し、沖縄県内の音楽文化振興に務めた。
藤田 玄播(ふじた げんば、1937年1月4日 - 2013… 藤田 玄播(ふじた げんば、1937年1月4日 - 2013年1月30日)は、日本の作曲家、編曲家。 東京府出身。キリスト教信者で洗礼名はミカエル。父はキリスト教会の牧師で、オルガンと讃美歌の響きで育つ。中学校の吹奏楽部でトランペットを担当。高校卒業後、神学校に入学し教会音楽に親しむが1年で中退。その後、国立音楽大学に入学し、フルートを専攻。在学中、大橋幸夫の指導する同大学ブラスオルケスターの編曲を担当。同大学を卒業後に作曲を学ぶ。尚美学園講師や洗足学園音楽大学で客員教授を務めた。 2002年から2006年まで、日本吹奏楽指導者協会(JBA)の第10代会長を務めた。 作曲活動のほか、管弦楽作品からジャズ、ポピュラー音楽などの幅広い吹奏楽編曲で知られる。
竹内 邦光(たけうち くにみつ、1937年 - )は、日本の… 竹内 邦光(たけうち くにみつ、1937年 - )は、日本の作曲家。 東京都出身。長野県諏訪郡豊平村(現・茅野市)育ち。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。同大学在学中にNHK洋楽オーディションに合格しピアニストとして活動を始める。NHK学校放送番組「ことばと文学 浄瑠璃寺の春」の附帯音楽の作曲を手がけ作曲活動を始める。1968年信州大学教育学部教授。その後、昭和音楽大学音楽学部作曲学科(現・音楽芸術表現学科作曲・音楽デザインコース)教授として長年、ピアノ、楽曲分析、楽式論、対位法、和声等の講義を担当。「音楽旬報」の評論スタッフとして多くの演奏家評論を著した。門下生に、岩下哲也、横島浩、若林千春がいる。
眼龍 義治(がんりゅう よしはる、1937年-)は、富山県高… 眼龍 義治(がんりゅう よしはる、1937年-)は、富山県高岡市出身の作曲家。 高校生のころから作曲家を志して、東京音楽大学の前身東洋音楽短期大学を経て東京藝術大学作曲科を卒業。作曲は池内友次郎、島岡譲、三善晃、指揮法を渡邉暁雄、筝・三味線を上木康江に師事した。またアラン・ホヴァネスのアシスタントとして渡欧したこともある。31年間、尚美学園大学作曲科の教鞭を取った後、現在江原学園・東京音楽療法専門学校・東京ピアノ調律アカデミーで教える。作風は仏教的なものをテーマにした邦楽作品が多い。1999年から2004年までは、NPO法人邦楽教育振興会に所属した。趣味は茶道(裏千家)、剣道、弓道、スキー、写真と多岐に渡る。
矢野 義明(やの よしあき、1936年12月15日 - )は… 矢野 義明(やの よしあき、1936年12月15日 - )は、日本の作曲家。 東京都新宿区内藤町で育ち、小学校2年時に神奈川県逗子市新宿へ疎開する。 学習院初等科、逗子市立逗子小学校、逗子中学、県立横須賀高校、東京芸術大学ピアノ科(中退)で学び、弘田龍太郎、川島英子、五十嵐光子、加藤秋子、松浦豊明、田村宏からピアノを、團伊玖磨から作曲を学ぶ。 1974年、團伊玖磨指揮で東京交響楽団と共に、中国の「黄河協奏曲」を日本初演する。山崎陽子脚本の朗読ミュージカル「とぎれた子守歌」「幻の肖像画」で作曲を担当し、「とぎれた子守歌」を含む「山崎陽子の世界IV」で、平成13年度文化庁芸術祭大賞を受賞する。 自作品のピアノリサイタルや地域コンサートの他に、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、神奈川交響楽団、鎌倉交響楽団、横須賀交響楽団と協奏曲を共演する。
服部 克久(はっとり かつひさ、1936年〈昭和11年〉11… 服部 克久(はっとり かつひさ、1936年〈昭和11年〉11月1日 - 2020年〈令和2年〉6月11日)は、日本の作曲家、編曲家。東京府(現:東京都)出身。 1936年、作曲家・服部良一の長男として生まれる。幼少より音楽の英才教育を受け、国立学園小学校、成蹊中学校・高等学校を経てパリ国立高等音楽院へ留学。和声、フーガ、対位法を学んだ後、1958年卒業。帰国後すぐに戦後の復興後のテレビ放送の草創期より活動を始める。 日本テレビ『サンデーダーク』、『ハニータイム』、フジテレビ『ミュージックフェア』などを皮切りに、テレビ、ラジオ番組、ドラマ、アニメ、映画の音楽を数多く担当。1971年には、「花のメルヘン」で第13回日本レコード大賞編曲賞を受賞。
楳図 かずお(うめず かずお、1936年〈昭和11年〉9月3… 楳図 かずお(うめず かずお、1936年〈昭和11年〉9月3日 あるいは9月25日 - 2024年〈令和6年〉10月28日)は、日本の漫画家・タレント・作詞家・作曲家。血液型O型。本名は楳図 一雄(読み同じ)。初期には山路 一雄やウメヅ カズヲの名義による作品もある。 和歌山県伊都郡高野町で生まれ、奈良県五條市に育つ。1955年に貸本漫画家としてデビュー、『週刊少年サンデー』などに作品を発表。代表作に『漂流教室』『まことちゃん』『わたしは真悟』など。作品は恐怖ものからSF、ギャグもの、時代劇まで、少年もの、少女もの、青年ものを問わず幅広いが、一般にはホラー漫画の第一人者として知られる。 1995年以降、腱鞘炎などといった理由で漫画は休筆し、1990年代後半からはタレント活動を精力的に行っていた。
佐藤 敏直(さとう としなお、1936年7月24日 - 20… 佐藤 敏直(さとう としなお、1936年7月24日 - 2002年3月18日)は、日本の作曲家。 山形県鶴岡市生まれ。山形県立鶴岡南高等学校、慶應義塾大学工学部電気工学科卒業。清瀬保二に師事。当初から師・清瀬ゆずりの民族的作風を示し、1959年、日本音楽コンクールに「ピアノのための三章」で入選した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
平吉 毅州(ひらよし たけくに、1936年(昭和11年)7月… 平吉 毅州(ひらよし たけくに、1936年(昭和11年)7月10日 - 1998年(平成10年)5月28日)は、日本の作曲家。 独唱曲や合唱曲など児童へ向けた作品も数多く残し、そのいくつかは教科書へ採用されるなど音楽教育へ大きく貢献した。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立兵庫高等学校を卒業。1961年(昭和36年)、東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業し、1967年(昭和42年)には芸大大学院を修了する。 在学中は長谷川良夫、伊熊良穂に師事。大学卒業後「管弦楽のためのコンポジション」を発表、第31回日本音楽コンクールにて第1位入賞。1969年(昭和44年)には「交響変奏曲」で尾高賞を受賞。1999年には第9回日本吹奏楽アカデミー賞(作・編曲部門)を受賞している。
内山田 洋(うちやまだ ひろし、本名:内山田 道生(みちお)… 内山田 洋(うちやまだ ひろし、本名:内山田 道生(みちお)、1936年(昭和11年)6月6日 - 2006年(平成18年)11月3日)は、日本の歌手・作曲家。血液型AB型。 福岡県柳川市出身。 父親は戦争中に松永伍一と同じ軍需工場に勤務していた。高校時代は水泳選手として活躍。水泳は後々まで趣味としており、営業には欠かさず水着を持参していた。また隠れマッチョ芸能人として知る人ぞ知る存在であり、晩年まで腕立て伏せ150回を日課としていた。 1957年ころから福岡県内のベースキャンプで音楽活動を開始。クラブやキャバレーでの営業を経て、1967年に小林正樹・岩城茂美・森本繁・宮本悦朗らと「内山田洋とクール・ファイブ」を結成、長崎市のキャバレー「銀馬車」の専属となる。
石井 眞木(いしい まき、1936年5月28日 - 2003… 石井 眞木(いしい まき、1936年5月28日 - 2003年4月8日)は、日本の作曲家、指揮者。東京府出身。父は舞踊家の石井漠、同じく作曲家の石井歓は兄、石井五郎は叔父。 幼少より、父の舞踊音楽を担当した縁で伊福部昭の薫陶を受ける。11歳よりヴァイオリンを学ぶ。1952年国立音楽大学付属高等学校ピアノ科に入学、学外で作曲を池内友次郎に、ピアノをL.コハンスキに、指揮法を渡邉暁雄に師事する。1955年に卒業後、伊福部昭に作曲を学ぶ。1958年、ベルリンに留学し、国立ベルリン音楽大学作曲科でボリス・ブラッハー、ヨーゼフ・ルーファーらに師事、十二音技法など最先端の音楽技法を学ぶ。1961年ダルムシュタット国際現代音楽祭で「9奏者のための前奏と変奏」が初演される。
津島 利章(つしま としあき、1936年〈昭和11年〉年5月… 津島 利章(つしま としあき、1936年〈昭和11年〉年5月22日 - 2013年〈平成25年〉11月25日)は、日本の作曲家。岡山県出身。 愛媛県立新居浜工業高等学校電気科を卒業。上京し、東京工業大学を受験するも不合格となり、日本大学芸術学部音楽理論科に入学。音楽を志すつもりはなく、合格後も代々木の予備校に通ったが、夏休みに黄疸にかかり、翌年春までの闘病となり、工大受験を断念した。 日本大学芸術学部3年生の折に作曲した『管弦四重奏』が、毎日音楽コンクールで入賞。周囲の勧めもあり、作曲家となる。1961年、フジテレビの『宮本武蔵』で注目を浴び、 1964年の『三匹の侍』で東映京都のプロデューサーの目に留まり、誘いを受けて映画音楽家となる。
保科 洋(ほしな ひろし、1936年1月31日 - )は、日… 保科 洋(ほしな ひろし、1936年1月31日 - )は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。 東京都生まれ。1960年東京芸術大学作曲科卒。作曲を長谷川良夫、指揮法を渡邉暁雄に師事。卒業作品にて第29回毎日コンクール作曲部門(管弦楽)で第1位受賞。以後作曲活動の傍ら、東京音楽大学、愛知県立芸術大学、兵庫教育大学で教鞭をとり、兵庫教育大学名誉教授。作陽音楽大学客員教授、浜松アクト音楽院音楽監督を歴任。日本バンドクリニック委員会名誉顧問。作品は管弦楽曲、オペラ、室内楽、ミュージカルなど幅広く、吹奏楽では日本を代表する作曲家の一人。 管弦楽分野では、1966年より岡山大学交響楽団の常任指揮者となり、同団を全国的な水準へ押し上げた。
牧野 良二(まきの りょうじ、1936年1月13日 - 20… 牧野 良二(まきの りょうじ、1936年1月13日 - 2003年11月12日)は日本の作曲家、中等教育教員。 指揮者の牧野誠は長男。 富山市出身。富山大学教育学部で黒坂富治、小澤慎一郎らに師事する。 大学在学中の1958年(昭和33年)、第13回国民体育大会開催を記念して富山県が公募した「富山県民の歌」の作曲部門で入選する。卒業後は富山市立南部中学校、芝園中学校で音楽教諭を務めた。定年退職後、校内に吹奏楽部の無い市内小規模校の生徒により編成される「富山ジュニア吹奏楽団」を創設して自ら団長に就任したのを始め、合唱団の指導に当たるなど精力的に活動していた。 2003年(平成15年)6月、膵臓癌のため入院し同年11月12日に逝去。
小宮路 敏(こみやじ さとし、1936年(昭和11年)1月8… 小宮路 敏(こみやじ さとし、1936年(昭和11年)1月8日 - 2018年(平成30年)11月14日)は、昭和・平成時代に活動した日本の教育者、作曲家。玉川学園小学部教諭、玉川大学講師(通信教育課程で音楽を担当)。元文部科学省認定小学校音楽教科書編集委員。名前は「こみやじ びん」と音読みで呼ばれることが多かった。 関東州大連市生まれ、内地引き揚げ後は鹿児島県に住む。現在の鹿児島大学教育学部附属中学校から鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、鹿児島大学教育学部音楽科で学ぶ。鹿児島大学卒業後、鹿児島県揖宿郡開聞町(現・指宿市)の開聞中学校で音楽教師を4年間勤めた後、玉川学園創設者小原國芳に導かれ、1962年(昭和37年)東京都町田市にある玉川学園に赴任。