行方 尚史(なめかた ひさし、1973年12月30日 - )… 行方 尚史(なめかた ひさし、1973年12月30日 - )は、将棋棋士。棋士番号208。青森県弘前市出身。大山康晴十五世名人門下。日本将棋連盟非常勤理事(2023年 - )。 小学6年生時の1985年春、第10回小学生将棋名人戦で3位入賞。この大会で優勝したのが野月浩貴。木村一基がベスト8。 将棋修行のため、小学校卒業と同時に12歳で単身上京。中学生時代には、学校の教師や下宿先で奨励会員という立場を理解してもらえず、バカにされたり罵倒されるなど苦い経験を持つ。そのせいか、当時は「中学中退がかっこいい」などとうそぶいていたという。中学卒業後は都立高校に進学するものの3ヶ月で中退。 1993年、19歳で四段昇段(プロ入り)。
吉原 由香里(よしはら ゆかり、結婚前の実名は 梅沢 由香里… 吉原 由香里(よしはら ゆかり、結婚前の実名は 梅沢 由香里、うめざわ ゆかり、1973年10月4日 - )は、日本棋院所属の囲碁の女流棋士である。2002年(平成14年)結婚したことに伴い本名は吉原由香里となったもののその後も日本棋院の登録名は旧姓のままだったが、2011年(平成23年)4月1日に棋士名も吉原由香里に変更。芸能事務所アイント所属。 囲碁との出会いは小学校一年生の時で、父が子どもの日に「お父さんと一緒に始めよう」と碁盤をプレゼントしてくれたのがきっかけだった。14歳の時「自分にはこの道しかない」と悟り、加藤正夫九段に入門、大学4年の12月(1995年)に女流棋士特別採用試験(プロ試験)に合格。
今泉 健司(いまいずみ けんじ、1973年7月3日 - )は… 今泉 健司(いまいずみ けんじ、1973年7月3日 - )は、将棋棋士。棋士番号は299。愛知県豊橋市生まれ、広島県福山市出身。桐谷広人八段門下(1999年に奨励会を年齢制限で退会する前は、小林健二九段門下)。 2014年度に実施されたプロ編入試験に合格し、2015年4月1日付でプロ棋士四段となった。なお、プロ入り直前のアマ段位は七段であった。 小学2年で父から教えられ将棋を覚える。関西研修会に入会後、関西奨励会を受験も1回目は不合格。翌年関西研修会でクラスを上げ1987年9月に中学2年で関西奨励会編入。関西同期では四段入りしたものは居らず、関東同期では川上猛・三浦弘行・田村康介ら。1994年の第15回から三段リーグに在籍していたが、1999年の第25回で年齢制限により退会。
木村 一基(きむら かずき、1973年6月23日 - )は、… 木村 一基(きむら かずき、1973年6月23日 - )は、将棋棋士。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は222。千葉県四街道市出身。亜細亜大学経営学部卒業。 幼稚園のころ、近所に住む友人から将棋の駒の動かし方を教わる。両親も将棋のルールは知っているが、父は多忙で指した記憶がなく、最初は母が事典でルールを覚えて指してくれていたという。 小学校のころ、将棋教室の席主に佐瀬勇次八段(当時)を紹介され、そのまま入門した。佐瀬の最後の弟子である。 小学6年の1985年の春、第10回小学生将棋名人戦でベスト8。この大会では野月浩貴が優勝、行方尚史が3位であった。 同年12月、6級で奨励会に入会。二段(1988年10月)までは順調に昇級・昇段する。
真田 圭一(さなだ けいいち、1972年10月6日 - )は… 真田 圭一(さなだ けいいち、1972年10月6日 - )は、将棋棋士。棋士番号は202。千葉県八千代市出身。松田茂役九段門下。 竜王・名人(王位・棋聖・棋王・王将/六冠) 藤井聡太(永世竜王・永世王位・永世棋聖) 叡王・王座(二冠) 伊藤匠 十七世名人 谷川浩司 九段 羽生善治(永世竜王・十九世名人・永世王位・名誉王座・永世棋王・永世王将・永世棋聖) 九段 佐藤康光(永世棋聖) 九段 森内俊之(十八世名人) 九段 渡辺明(永世竜王・永世棋王) 七段 藤原直哉 ( 2026年4月22日引退 ) 八段 小倉久史 ( 2026年4月30日引退 ) 九段 脇謙二 ( 2026年5月1日引退 ) 八段 所司和晴 ( 2026年5月13日引退 ) 【2026年04月 四段昇段者】小窪碧、川村悠人、古井丈大(3名、第40期からの出場) 【2026年10月 四段昇段者】(2名、第40期からの出場) 2026年10月1日昇段者(2名):2027年04月1日昇段者(2-3名): (棋士番号の割り当てがない棋士 → 「template:日本将棋連盟引退棋士」参照)
川上 猛(かわかみ たけし、1972年7月12日 - )は、… 川上 猛(かわかみ たけし、1972年7月12日 - )は、将棋棋士。棋士番号は206。東京都足立区出身。平野広吉七段門下。 中学1年の頃、第10回中学生名人戦で準優勝(優勝者は屋敷伸之)。翌年の第11回では優勝。 中学3年の春(1987年)に、奨励会に入会。その2年後の1989年1月15日に、師匠の平野広吉が73歳で他界する。 初参加の三段リーグ(1992年度後期)において15勝3敗で1位の成績を収め、三段リーグを1期抜けしてプロ入りする。 その翌年(1994年度)、早くも銀河戦(第3期、非公式戦時代)で準優勝する活躍を見せる(優勝者は田中寅彦)が、第53期順位戦では2勝8敗と振るわず降級点を喫する。
窪田 義行(くぼた よしゆき、1972年5月18日 - )は… 窪田 義行(くぼた よしゆき、1972年5月18日 - )は、将棋棋士。棋士番号210。東京都足立区生まれ、茨城県取手市出身。江戸川学園取手高等学校卒。花村元司九段門下。 第9回(1984年)小学生将棋名人戦で優勝。決勝の相手は、後に、同じくプロ棋士となる金沢孝史であった。同年、6級で奨励会に入会。花村門下では、深浦康市は入門が数日違いの弟弟子である。窪田が入門する際、試験将棋として当時17歳で四段だった森下卓と平手で指して2連勝するも、以後「プロが小学生にナメられてはたまらない」と試験将棋にもかかわらず本気を出した森下が窪田を6番棒に負かし、ついには窪田を泣かしてしまったという。 奨励会での成績は長周期の波があったが、1994年春、22歳で四段昇段(プロ入り)する。
深浦 康市(ふかうら こういち、1972年2月14日 - )… 深浦 康市(ふかうら こういち、1972年2月14日 - )は、日本将棋連盟所属の将棋棋士である。棋士番号201。長崎県佐世保市出身。花村元司九段門下。愛称は「地球代表」。 1984年に奨励会に入会。5級昇級に1年かかったがその後は順調に昇級・昇段し、1991年10月1日に19歳でプロデビュー(四段昇段)を果たす。 デビュー直後から頭角を現し、1993年(1992年度)の全日本プロ将棋トーナメントにおいて、決勝五番勝負で米長邦雄を3-2で破って優勝。 1993年度、早指し新鋭戦で優勝。これにより、同年度の早指し将棋選手権への出場資格を得たが、こちらでも優勝(決勝の相手は羽生善治)。一つの年度にテレビ東京の両棋戦で通しの優勝を成し遂げたのは深浦だけである。
屋敷 伸之(やしき のぶゆき、1972年1月18日 - )は… 屋敷 伸之(やしき のぶゆき、1972年1月18日 - )は、将棋棋士。五十嵐豊一九段門下。棋士番号は189。北海道札幌市出身。棋聖のタイトルの獲得者。
山本 真也(、1971年10月24日 - )は、将棋棋士。大… 山本 真也(、1971年10月24日 - )は、将棋棋士。大阪府東大阪市の出身、北村文男の門下。棋士番号は229。 小学1年生の時、父親に教わったことをきっかけに将棋を覚え、小学5、6年頃には関西将棋会館や後に師匠となる北村文男が天王寺で開設していた道場に足を運ぶようになった。 中学2年の時に山形県天童市で行われた全国中学生選抜大会に出場、ベスト16で川上猛に敗れる。それから間もなく奨励会へ入会。6級から5級に上がるのに1年4か月、初段から二段にも1年4か月、そこから更に三段リーグ入りに2年3か月を要する苦労を経験する。第22回(1997年度後期)で年齢制限の26歳を迎えるも、勝ち越しによる在籍期間延長の恩恵を受け、翌第23回にも参加。
近藤 正和(こんどう まさかず、1971年5月31日 - )… 近藤 正和(こんどう まさかず、1971年5月31日 - )は、将棋棋士。棋士番号220。原田泰夫九段門下。新潟県柏崎市出身。 1996年10月1日、25歳でプロ入り。プロデビューから負けなしの10連勝を飾り好スタートを切った。(「デビューからの連勝」の記録として当時歴代1位。現在でも藤井聡太(2017年)に次ぎ松本佳介(1996年)と並ぶ、歴代2位である。) 1997年、第10期竜王戦6組ランキング戦の6組優勝者となり、本戦トーナメント出場。本戦では3回戦で佐藤康光に敗れたが、5組昇級。同年、第47回NHK杯戦予選決勝で神谷広志に勝ち、初参加で本戦出場を果たす。 翌1998年第48回本戦トーナメントにも連続して出場した。
郷田 真隆(ごうだ まさたか、1971年3月17日 - )は… 郷田 真隆(ごうだ まさたか、1971年3月17日 - )は、将棋棋士。東京都練馬区出身。駿台学園中学校・高等学校卒業。「羽生世代」の一人。
森内 俊之(もりうち としゆき、1970年10月10日 - … 森内 俊之(もりうち としゆき、1970年10月10日 - )は、将棋棋士、十八世名人資格保持者。棋士番号は183。勝浦修九段門下。神奈川県横浜市青葉区出身。 いわゆる「羽生世代」の一人で、デビュー直後から棋戦優勝を果たすなど活躍していたが、初タイトルは31歳での名人獲得と遅かった。その後は竜王・名人を含む三冠を保持するなどタイトル戦でも活躍し、2007年には羽生善治よりも早く永世名人(十八世名人)の資格を得た。2017年には順位戦でのB級1組への降級を受けて、46歳の若さで順位戦(名人戦)への参加資格を失うフリークラスへの転出を宣言した。地元の青葉区での指導やYouTubeチャンネルの開設など、将棋の普及活動にも注力している。
藤井 猛(ふじい たけし、1970年9月29日 - )は、将… 藤井 猛(ふじい たけし、1970年9月29日 - )は、将棋棋士。日本将棋連盟非常勤理事(2012年6月-)。
丸山 忠久(まるやま ただひさ、1970年9月5日 - )は… 丸山 忠久(まるやま ただひさ、1970年9月5日 - )は、将棋棋士、九段。実力制11人目の名人。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は194。千葉県木更津市出身。いわゆる「羽生世代」の一人。 1983年に奨励会の入会試験に挑戦するが不合格。同年12月に新たに発足した第1期研修会にB2クラスで入会。 1984年、第9回中学生名人戦で優勝するも、研修会ではB1クラスで足踏みしてしまい奨励会への編入とはならず(研修会Aクラス昇級で奨励会6級に編入可)、この年の奨励会入会試験を再び受験するがまたも不合格となる。翌1985年に研修会Aクラスに昇級したことで奨励会6級への編入を果たした。 1986年、志学館高等学校(現:志学館高等部)に入学。
瀬川 晶司(せがわ しょうじ、1970年3月23日 - )は… 瀬川 晶司(せがわ しょうじ、1970年3月23日 - )は、将棋棋士。安恵照剛八段門下。棋士番号は259。新進棋士奨励会を年齢制限で退会した後、特例によって2005年に実施されたプロ編入試験に合格し、棋士となった。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立舞岡高等学校卒業、神奈川大学法学部(二部)卒業。 将棋を始めたきっかけは、小学校5年生の時クラスで流行していた際に、担任の先生に褒められたこと。ブームが去った後ものめりこみ、小学校の卒業文集にはプロ棋士になりたいと記した。幼馴染でのちにアマ名人、アマ竜王となる渡辺健弥と切磋琢磨して腕を磨き、1983年に一旦は奨励会入会試験に落ちるも、1984年に全国中学生選抜将棋選手権大会で優勝し、安恵照剛門下で6級で奨励会に入る。
中座 真(ちゅうざ まこと、1970年2月3日 - )は、将… 中座 真(ちゅうざ まこと、1970年2月3日 - )は、将棋棋士。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は219。北海道稚内市出身。妻は女流棋士の中倉彰子。 稚内市立稚内南小学校時代に小学生将棋名人戦に出場し、4年時に3位、5・6年時にベスト8。1981年に奨励会に入会。20歳で三段に昇段したが、四段に昇段できないまま5年が経ち、26歳の年齢制限が迫っていた。四段昇段できなければ退会する覚悟を決めて臨んだ第18回三段リーグ(1995年度下半期)は、最後の一局で敗れ12勝6敗で終了。本人は諦めていたが、その後競争相手の3人が全員敗れ、逆転で四段昇段が決まった。その知らせを聞いた際、放心状態でその場に座り込んだ姿をとらえた写真が『週刊将棋』に掲載された。
佐藤 康光(さとう やすみつ、1969年10月1日 - )は… 佐藤 康光(さとう やすみつ、1969年10月1日 - )は、将棋棋士。タイトル通算13期(歴代8位)。永世棋聖の資格保持者。棋士番号は182。田中魁秀九段門下。京都府綴喜郡八幡町(現八幡市)出身。いわゆる「羽生世代」の一人に数えられる。2011年4月から2017年1月まで日本将棋連盟の棋士会会長、2017年2月から2023年6月まで日本将棋連盟会長。 6歳で将棋を覚える。この時期に憧れていた棋士は米長邦雄。八幡市に隣接する大阪府枚方市にあった田中魁秀の将棋教室に通うようになった頃、『米長の将棋』という本で勉強した。また、最初に読んだ棋書は有吉道夫の自戦記『玉頭位取り戦法』であり、真っ黒でボロボロになるまで繰り返し読んだという。
大庭 美夏(おおば みか、1969年8月1日 - )は、日本… 大庭 美夏(おおば みか、1969年8月1日 - )は、日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属の女流棋士。新団体( = LPSA)の立ち上げに専念するとして、2006年12月に現役を引退。静岡県沼津市出身。千葉大学教育学部卒業。佐瀬勇次名誉九段門下。LPSA番号15(日本将棋連盟所属時の女流棋士番号は44)。 この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。
村山 聖(むらやま さとし、1969年〈昭和44年〉6月15… 村山 聖(むらやま さとし、1969年〈昭和44年〉6月15日 - 1998年〈平成10年〉8月8日)は、日本の将棋棋士、九段(追贈)。森信雄七段門下。棋士番号は180。いわゆる「羽生世代」と呼ばれる棋士の一人。 広島県安芸郡府中町出身。 3人きょうだいの末子(兄と姉がいる)として生まれる。5歳のとき、腎臓の難病であるネフローゼ症候群にかかっていることが発覚。府中町立府中小学校に入学するも病状が悪化し、1か月ほどで広島市立広島市民病院の院内学級に転校する。次いで広島県立原養護学校(国立療養所原病院に隣接)に転校し6年生の1月まで過ごす。ともに入院していた子が亡くなることもあったという。 入院中に父から将棋を教わり、それに没頭するようになる。
勝又 清和(かつまた きよかず、1969年3月21日 - )… 勝又 清和(かつまた きよかず、1969年3月21日 - )は、将棋棋士。石田和雄九段門下。棋士番号は215。 神奈川県座間市出身。東海大学理学部数学科卒。 1983年に第8回中学生名人戦で優勝。その年に奨励会に入会。 1級までは順調に昇級したが、そこからの各昇段に2年以上ずつかかり、22歳でようやく三段に昇段する。しかし、三段リーグでも昇段のチャンスをつかめず、一時は退会も考えた。年齢制限(26歳)も迫っていた。 転機となったのは、第52期(1994年度)名人戦の七番勝負を戦う米長邦雄名人と羽生善治四冠の闘志あふれる姿を見たことだった。勝又は同年度4月 - 9月の第15回三段リーグでは昇級を逃すも、リーグ表順位で勝又より下の近藤正和と同星の12勝6敗の成績を収める。
林 まゆみ(はやし まゆみ、1968年12月31日 - )は… 林 まゆみ(はやし まゆみ、1968年12月31日 - )は、将棋の元女流棋士。2010年8月10日、日本将棋連盟を退会。退会以前は、女流三段、師匠は有吉道夫九段、女流棋士番号は旧番号で29。2010年3月31日に現役引退、同年8月に退会。 大阪府堺市出身。大阪府立堺東高等学校、近畿大学卒業。 将棋を始めたのは14歳の頃で、後にプロとなった人物としては非常に遅い。自分から父に申し出て、将棋を教わったという。 近畿大学の学生であった4年間に、学生将棋女流名人戦(1987 - 1990年)で4連覇という完全制覇を達成(1994年に棚田真由美が、2005年に石内奈々絵がこの記録に並ぶ)。1990年、女流アマ名人となる(第22回女流アマ名人戦優勝)。
佐藤 秀司(さとう しゅうじ、1967年6月8日 - )は、… 佐藤 秀司(さとう しゅうじ、1967年6月8日 - )は、将棋棋士。中原誠十六世名人門下。棋士番号は196。 宮城県古川市(現在の大崎市古川)出身(出生地は栗原市瀬峰)。 (2023年4月1日現在)
日浦 市郎(ひうら いちろう、1966年3月4日 - )は、… 日浦 市郎(ひうら いちろう、1966年3月4日 - )は、将棋棋士。安恵照剛八段門下。棋士番号は164。北海道静内郡静内町(現日高郡新ひだか町)出身。 1976年、小学5年で第1回小学生将棋名人戦で準優勝。1980年11月、中学3年時に6級で奨励会に入会。 1984年、18歳で四段昇段( = プロデビュー)。昇段日が4月4日であったため、1984年度(第43期)の順位戦参加に僅かに間に合わなかった。 一時期羽生善治に対して勝率が高かったことから、「羽生キラー」あるいは「マングース」(ハブの天敵の意)と呼ばれていた。第20期(1989年度)新人王戦においては、準々決勝で羽生に勝利(この時点で、羽生に3連勝)。
北島 忠雄(きたじま ただお、 1966年1月4日 - )は… 北島 忠雄(きたじま ただお、 1966年1月4日 - )は、将棋棋士。関根茂九段門下。棋士番号は214。東京都出身。日本将棋連盟理事(2003年5月-2005年5月、2011年5月-2013年5月)。 1988年、東京都立代々木高等学校卒業。 プロ入りに苦労した棋士の代表例である。 奨励会を抜けるのに15年かかり、四段昇段したのは29歳のときである。奨励会の同期には日浦市郎・小野敦生・中田功・佐藤秀司がいるが、北島が四段昇段した当時、彼らは全員トーナメントプロとして相応の実績を挙げ、五段以上に昇段していた。 しかしながら、プロ入り後は相応の活躍をし、順調に出世する。 第39期(1997年度)王位戦予選でタイトル経験者の田中寅彦・後に二冠となる久保利明などに勝利し紅組リーグ入り。
達 正光(たち まさみつ、1965年4月18日 - 2007… 達 正光(たち まさみつ、1965年4月18日 - 2007年3月26日)は、将棋棋士。棋士番号165。千葉県出身。高柳敏夫名誉九段門下。 アマチュア時代は、第2回(1977年)小学生将棋名人戦優勝、第3回(1978年)中学生将棋名人戦優勝(当時は大阪在住)。 佐藤康光とは2回対戦して2勝0敗の成績であった。特に2回目は佐藤が名人であった1999年のことで、全日本プロ将棋トーナメントの準々決勝で対戦し勝利している。(準決勝で森内俊之に敗れる。) 2007年3月26日、心不全のため死去。41歳没。 最後の参加となった第65期順位戦では、自身はC級2組で3勝7敗・47人中38位で最初で最後の降級点を喫した。
塚田 泰明(つかだ やすあき、1964年11月16日 - )… 塚田 泰明(つかだ やすあき、1964年11月16日 - )は、将棋棋士。大内延介九段門下。棋士番号は148。東京都出身。
中田 宏樹(なかた ひろき、1964年〈昭和39年〉10月2… 中田 宏樹(なかた ひろき、1964年〈昭和39年〉10月20日 - 2023年〈令和5年〉2月7日)は、東京都武蔵野市出身の将棋棋士。桜井昇九段門下。棋士番号は173。 1985年の秋に、21歳でプロデビュー。実質の初年度となる1986年度に、羽生善治と並んで全棋士中1位タイの勝率(0.741)をマークする。 1989年度、オールスター勝ち抜き戦(5連勝以上は優勝扱い)で8連勝する。 1991年、王位戦で谷川浩司王位への挑戦者となる。直前まで、他棋戦も含め破竹の17連勝をして迎えた七番勝負であったが、2連勝の後4連敗で敗退。この4敗のうちの2敗は、中田の後手番で、谷川得意の角換わり腰掛銀を堂々と受けて立ったものである。
井上 慶太(いのうえ けいた、1964年1月17日 - )は… 井上 慶太(いのうえ けいた、1964年1月17日 - )は、将棋棋士、九段。若松政和八段門下。棋士番号は157。兵庫県芦屋市出身。 日本将棋連盟棋士会副会長(2011年4月 - 2015年6月)、日本将棋連盟非常勤理事(2015年6月 - 2017年2月)、同連盟常務理事(2017年2月 - 2025年6月)。 居住地の加古川市で「加古川将棋倶楽部」を主宰し、ここから複数の棋士、女流棋士、奨励会員が育っている。 竜王・名人(王位・棋聖・棋王・王将/六冠) 藤井聡太(永世竜王・永世王位・永世棋聖) 叡王・王座(二冠) 伊藤匠 十七世名人 谷川浩司 九段 羽生善治(永世竜王・十九世名人・永世王位・名誉王座・永世棋王・永世王将・永世棋聖) 九段 佐藤康光(永世棋聖) 九段 森内俊之(十八世名人) 九段 渡辺明(永世竜王・永世棋王) 七段 藤原直哉 ( 2026年4月22日引退 ) 八段 小倉久史 ( 2026年4月30日引退 ) 九段 脇謙二 ( 2026年5月1日引退 ) 八段 所司和晴 ( 2026年5月13日引退 ) 【2026年04月 四段昇段者】小窪碧、川村悠人、古井丈大(3名、第40期からの出場) 【2026年10月 四段昇段者】(2名、第40期からの出場) 2026年10月1日昇段者(2名):2027年04月1日昇段者(2-3名): (棋士番号の割り当てがない棋士 → 「template:日本将棋連盟引退棋士」参照)
神崎 健二(かんざき けんじ、1963年12月8日 – )は… 神崎 健二(かんざき けんじ、1963年12月8日 – )は、将棋棋士。和歌山県和歌山市出身。灘蓮照九段門下。棋士番号は179。 竜王・名人(王位・棋聖・棋王・王将/六冠) 藤井聡太(永世竜王・永世王位・永世棋聖) 叡王・王座(二冠) 伊藤匠 十七世名人 谷川浩司 九段 羽生善治(永世竜王・十九世名人・永世王位・名誉王座・永世棋王・永世王将・永世棋聖) 九段 佐藤康光(永世棋聖) 九段 森内俊之(十八世名人) 九段 渡辺明(永世竜王・永世棋王) 七段 藤原直哉 ( 2026年4月22日引退 ) 八段 小倉久史 ( 2026年4月30日引退 ) 九段 脇謙二 ( 2026年5月1日引退 ) 八段 所司和晴 ( 2026年5月13日引退 ) 【2026年04月 四段昇段者】小窪碧、川村悠人、古井丈大(3名、第40期からの出場) 【2026年10月 四段昇段者】(2名、第40期からの出場) 2026年10月1日昇段者(2名):2027年04月1日昇段者(2-3名): (棋士番号の割り当てがない棋士 → 「template:日本将棋連盟引退棋士」参照) この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。
安西 勝一(あんざい しょういち、1963年7月2日 - )… 安西 勝一(あんざい しょういち、1963年7月2日 - )は、将棋棋士。東京都板橋区出身。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号174。 (棋士番号の割り当てがない棋士 → 「template:日本将棋連盟引退棋士」参照)
南 芳一(みなみ よしかず、1963年6月8日 - )は、将… 南 芳一(みなみ よしかず、1963年6月8日 - )は、将棋棋士。日本将棋連盟関西本部所属。木下晃七段門下。棋士番号は147。大阪府岸和田市出身。1980年度(昭和55年度)にプロ入りした、いわゆる「55年組」の一人。 他の棋士との比較は、タイトル獲得記録、将棋のタイトル在位者一覧を参照 (1993年度棋王戦終了まで) 日本将棋連盟以外の表彰 竜王・名人(王位・棋聖・棋王・王将/六冠) 藤井聡太(永世竜王・永世王位・永世棋聖) 叡王・王座(二冠) 伊藤匠 十七世名人 谷川浩司 九段 羽生善治(永世竜王・十九世名人・永世王位・名誉王座・永世棋王・永世王将・永世棋聖) 九段 佐藤康光(永世棋聖) 九段 森内俊之(十八世名人) 九段 渡辺明(永世竜王・永世棋王) 七段 藤原直哉 ( 2026年4月22日引退 ) 八段 小倉久史 ( 2026年4月30日引退 ) 九段 脇謙二 ( 2026年5月1日引退 ) 八段 所司和晴 ( 2026年5月13日引退 ) 【2026年04月 四段昇段者】小窪碧、川村悠人、古井丈大(3名、第40期からの出場) 【2026年10月 四段昇段者】(2名、第40期からの出場) 2026年10月1日昇段者(2名):2027年04月1日昇段者(2-3名): (棋士番号の割り当てがない棋士 → 「template:日本将棋連盟引退棋士」参照)
石川 陽生(いしかわ あきお、1963年3月5日 - )は、… 石川 陽生(いしかわ あきお、1963年3月5日 - )は、将棋棋士。棋士番号は177。東京都新宿区出身。高田丈資七段門下。2023年引退。 (2026年5月27日現在) (棋士番号の割り当てがない棋士 → 「template:日本将棋連盟引退棋士」参照) この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。
島 朗(しま あきら、1963年2月19日 - )は、将棋棋… 島 朗(しま あきら、1963年2月19日 - )は、将棋棋士。棋士番号146。高柳敏夫名誉九段門下。東京都世田谷区出身。 そして竜王戦の賞金は服と靴と車に消えた。当時バブル景気が賑わっていたと言う背景もあった。また、多額の税金も支払ったとされている。翌年の竜王戦は羽生善治との対戦であったが、初日の終了後に、羽生らとモノポリーに興じた。 自著の「角換わり腰掛け銀研究」は1995年に第7回将棋ペンクラブ大賞著作部門大賞を受賞した。この本はあまりに詳細にわたる研究だったため、島自身も忘れている部分があり、若手棋士との対局で島がある変化手順について尋ねたところ、「島先生の本に載ってました」と答えられたというエピソードがあるほどである。
有森 浩三(ありもり こうぞう、1963年2月13日 - )… 有森 浩三(ありもり こうぞう、1963年2月13日 - )は、将棋棋士。有吉道夫九段門下。棋士番号は158。岡山県岡山市出身。 1977年第2回中学生名人戦において優勝。同年に5級で奨励会に入会。 1983年3月9日、規定の成績を上げ四段に昇段してプロ入り。 同年度(第41期)より順位戦に参加。第46期(1987年度)順位戦では、自身はC級2組で6勝4敗・53人中17位と昇級争いには絡めなかったものの、その期にプロ入りから僅か1年でC級1組昇進を決めた村山聖に唯一の黒星を与えた。第52期(1993年度)C級1組順位戦では、力戦中飛車で昇級候補の丸山忠久を破った。その結果、昇級争いは井上慶太が10勝(全勝)、有森と丸山が9勝1敗で並んだ。
中村 修(なかむら おさむ、1962年11月7日 - )は、… 中村 修(なかむら おさむ、1962年11月7日 - )は、将棋棋士。佐伯昌優九段門下。棋士番号は143。東京都町田市出身。昭和55年に四段に昇段(プロ入り)した強豪グループ、いわゆる「55年組」の一人。日本将棋連盟女流棋士会監事(2015年6月 - )。元棋士会会長(2017年2月 - 2026年6月)。 (2026年4月1日現在) (2026年4月1日現在) は2026年7月現在の在位。登場・連覇の 太字 は歴代最多記録。 他の棋士との比較は、タイトル獲得記録、将棋のタイトル在位者一覧を参照。 (1985年王将戦終了まで) 竜王・名人(王位・棋聖・棋王・王将/六冠) 藤井聡太(永世竜王・永世王位・永世棋聖) 叡王・王座(二冠) 伊藤匠 十七世名人 谷川浩司 九段 羽生善治(永世竜王・十九世名人・永世王位・名誉王座・永世棋王・永世王将・永世棋聖) 九段 佐藤康光(永世棋聖) 九段 森内俊之(十八世名人) 九段 渡辺明(永世竜王・永世棋王) 七段 藤原直哉 ( 2026年4月22日引退 ) 八段 小倉久史 ( 2026年4月30日引退 ) 九段 脇謙二 ( 2026年5月1日引退 ) 八段 所司和晴 ( 2026年5月13日引退 ) 【2026年04月 四段昇段者】小窪碧、川村悠人、古井丈大(3名、第40期からの出場) 【2026年10月 四段昇段者】(2名、第40期からの出場) 2026年10月1日昇段者(2名):2027年04月1日昇段者(2-3名): (棋士番号の割り当てがない棋士 → 「template:日本将棋連盟引退棋士」参照)
高田 尚平(たかだ しょうへい、1962年6月21日 - )… 高田 尚平(たかだ しょうへい、1962年6月21日 - )は、将棋棋士。棋士番号191。東京都出身。荒巻三之九段門下。麻布中学校・高等学校卒業。父は、将棋ペンクラブ前会長で作家・随筆家の高田宏。
小野 敦生(おの あつお、1962年5月12日 - 1993… 小野 敦生(おの あつお、1962年5月12日 - 1993年5月22日)は、将棋棋士。棋士番号163。北海道旭川市出身。安恵照剛八段門下。 北海道旭川東高等学校将棋部に在籍し、1979年の第15回全国高等学校将棋選手権大会男子団体で優勝。また、第34回(1980年)全日本アマチュア名人戦に北海道代表として出場。その後間もなく奨励会へ入会。18歳と極めて遅い入会であったが、僅か3年(1983年12月1日付)で四段に昇段する。 1984年2月3日・第10期棋王戦において、永作芳也(のちに退会)に勝利し、プロとして初の公式戦を白星で飾った。 初参加の第43期順位戦では6勝4敗と次期につなげる成績を残した。
飯田 弘之(いいだ ひろゆき、1962年1月17日 -)は、… 飯田 弘之(いいだ ひろゆき、1962年1月17日 -)は、将棋棋士、人工知能学者。山形県西村山郡西川町出身。
伊藤 能(いとう のう、1962年1月16日 - 2016年… 伊藤 能(いとう のう、1962年1月16日 - 2016年12月25日 )は、将棋棋士。棋士番号205。東京都杉並区出身。米長邦雄永世棋聖門下。 1984年に22歳で奨励会三段となったが、その後、なかなか四段昇段(プロ入り)ができなかった。 1987年に三段リーグ制度が復活し四段昇段は狭き門となるが、その第1回の四段昇段の2名は、いずれも米長門の弟弟子の中川大輔、先崎学であった。 その5年後、伊藤は、当時の規定である年齢制限(31歳までに四段昇段)の1期前の第11回三段リーグで2位に入り、四段昇段(プロデビュー)を果たした。その最終日は、リーグ順位22位、成績4番手で迎えたが、2戦2勝し、さらにライバルが敗れての大逆転で、伊藤自身は「神風」「奇跡」と表現した。
所司 和晴(しょし かずはる、1961年10月23日 - )… 所司 和晴(しょし かずはる、1961年10月23日 - )は、将棋棋士。平野広吉七段門下。棋士番号は172。東京都江東区出身、千葉県育ち。千葉県立船橋旭高等学校卒。「株式会社所司一門将棋センター」の代表取締役社長も務める。 1978年、関東奨励会に5級で入会。1敗後に6連勝して4級昇級。 1985年、奨励会三段で9連勝し四段昇段、同年6月27日付でプロ入り。 初出場の第45期順位戦C級2組で9勝1敗・3位となり1期抜けでC級1組に昇級。その後、C級1組に15期連続で在籍した。C級1組で26人中8位の順位で迎えた第49期順位戦では、9勝1敗の成績ながら他の棋士の成績の兼ね合いからB級2組昇級を逃がす不運も経験。
藤森 奈津子(ふじもり なつこ、1961年8月2日 - )は… 藤森 奈津子(ふじもり なつこ、1961年8月2日 - )は、LPSA(日本女子プロ将棋協会)所属の女流棋士。2010年、引退。大内延介門下。LPSA棋士番号は5。以前は日本将棋連盟に所属し、当時の女流棋士番号は旧13。日本将棋連盟女流棋士会会長(2003年 - 2007年)。埼玉県志木市出身。旧姓は中瀬(なかせ)。 「なっちゃん」の愛称で親しまれる。 1977年、筑波大学附属坂戸高等学校在学中に第13回高校選手権女子個人戦で優勝。その翌年、1978年には同大会の団体戦で優勝するとともに、第10回女流アマ名人戦でも優勝。 1979年に女流棋士2級(プロ)となる。当時最年少のデビュー記録であった。
堀口 弘治(ほりぐち こうじ、1961年5月16日 - )は… 堀口 弘治(ほりぐち こうじ、1961年5月16日 - )は、将棋棋士。東京都調布市出身。加藤博二九段門下。棋士番号154。 奨励会二段の頃、第2回(1979年)「若駒戦」(非公式戦)で優勝。翌年は三段で準優勝。 1984年度、第8回若獅子戦で、公式棋戦初優勝。 順位戦C級2組において、初参加から3年連続で7勝3敗。4期目(1985年度)に8勝2敗で3位となり、C級1組へ昇級。 第7回(1988年度)全日本プロトーナメントで、ベスト8。 2017年3月31日、フリークラス規定により同年度(2016年度)の最終対局をもっての引退が将棋連盟より発表された。3月末時点で第30期竜王戦・6組昇級者決定戦を残していたが、6月1日の対局で中尾敏之に敗れて全対局を終え、同日付で引退となった。
神谷 広志(かみや ひろし、1961年4月21日 - )は、… 神谷 広志(かみや ひろし、1961年4月21日 - )は、将棋棋士。 棋士番号は149。廣津久雄九段門下。静岡県浜松市出身。 昭和55年度にプロとなった強豪グループ、いわゆる「55年組」の一人。 中学1年生のときには、まだアマチュア4級という遅咲きながら、それから1年足らずでアマチュア四段の実力となる。そして、中学2年の秋に奨励会に入り、20歳の誕生日を迎える前にプロ棋士となった。 1983年の若獅子戦で準優勝。1984年の早指し新鋭戦でも準優勝。 1987年の2月から8月にかけて、当時未開拓だった「飛車先不突き矢倉」を武器に公式戦28連勝の記録を樹立(下記参照)。同じ「55年組」の塚田泰明が半年ほど前に作ったばかりの記録(22連勝)を、あっさりと、そして大幅に塗り替えた。
泉 正樹(いずみ まさき、1961年1月11日 - )は、将… 泉 正樹(いずみ まさき、1961年1月11日 - )は、将棋棋士。棋士番号144。東京都練馬区出身。関根茂九段門下。 通算成績:1351対局 635勝716敗(勝率0.4700) この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。 竜王・名人(王位・棋聖・棋王・王将/六冠) 藤井聡太(永世竜王・永世王位・永世棋聖) 叡王・王座(二冠) 伊藤匠 十七世名人 谷川浩司 九段 羽生善治(永世竜王・十九世名人・永世王位・名誉王座・永世棋王・永世王将・永世棋聖) 九段 佐藤康光(永世棋聖) 九段 森内俊之(十八世名人) 九段 渡辺明(永世竜王・永世棋王) 七段 藤原直哉 ( 2026年4月22日引退 ) 八段 小倉久史 ( 2026年4月30日引退 ) 九段 脇謙二 ( 2026年5月1日引退 ) 八段 所司和晴 ( 2026年5月13日引退 ) (棋士番号の割り当てがない棋士 → 「template:日本将棋連盟引退棋士」参照)
関 浩(せき ひろし、1960年7月8日 - 2024年11… 関 浩(せき ひろし、1960年7月8日 - 2024年11月11日)は、将棋棋士。山川次彦八段門下。棋士番号は169。東京都田無市(現西東京市)出身。 1974年の奨励会入会から11年目にして、1985年3月28日、24歳で四段昇段。 その8か月後、10歳下の羽生善治がデビューしたが、1986年3月13日に「オールスター勝ち抜き戦」の予選で羽生と当たる。矢倉の本格的な攻防となるが、これに勝利。羽生にとっては、棋士人生初の黒星であった。関は、このデビュー1年目に20勝を挙げた。 1989年度は、22勝15敗・勝率0.595の好成績を収める。 第3期竜王戦5組(1990年度)の昇級者決定戦(敗者復活戦)で大野八一雄と井上慶太を破り、4組に昇級。
高橋 道雄(たかはし みちお、1960年4月23日 - )は… 高橋 道雄(たかはし みちお、1960年4月23日 - )は、将棋棋士。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は142。東京都足立区出身。1980年度(昭和55年度)にプロ入りした、いわゆる「55年組」の一人。五段でのタイトル獲得(王位)は当時までの最低段記録。十段戦が竜王戦に移行したときの、最後の十段在位者。現役最年長棋士(2025年4月23日以降、現在7001660000000000000♠66歳2か月 )。 (2021年3月19日現在) (2021年8月2日現在) 他の棋士との比較は、タイトル獲得記録、将棋のタイトル在位者一覧を参照。 竜王・名人(王位・棋聖・棋王・王将/六冠) 藤井聡太(永世竜王・永世王位・永世棋聖) 叡王・王座(二冠) 伊藤匠 十七世名人 谷川浩司 九段 羽生善治(永世竜王・十九世名人・永世王位・名誉王座・永世棋王・永世王将・永世棋聖) 九段 佐藤康光(永世棋聖) 九段 森内俊之(十八世名人) 九段 渡辺明(永世竜王・永世棋王) 七段 藤原直哉 ( 2026年4月22日引退 ) 八段 小倉久史 ( 2026年4月30日引退 ) 九段 脇謙二 ( 2026年5月1日引退 ) 八段 所司和晴 ( 2026年5月13日引退 ) 【2026年04月 四段昇段者】小窪碧、川村悠人、古井丈大(3名、第40期からの出場) 【2026年10月 四段昇段者】(2名、第40期からの出場) 2026年10月1日昇段者(2名):2027年04月1日昇段者(2-3名): 【協賛】日本たばこ産業(JT)【主催:地方新聞11社】 【主催】日本将棋連盟 (棋士番号の割り当てがない棋士 → 「template:日本将棋連盟引退棋士」参照)
伊藤 博文(いとう ひろふみ、1960年2月8日 - )は、… 伊藤 博文(いとう ひろふみ、1960年2月8日 - )は、将棋棋士。伊達康夫八段門下。棋士番号は166。奈良県大和高田市出身。 中学1、2年の頃、将棋クラブでアルバイトをして将棋に夢中になる。 1974年、14歳で奨励会に入会。初段昇段をしてからの2年間、二段に上がれず、退会まで考えた。しかし、1980年8月に王位戦(中原誠対米長邦雄)の第4局の記録を務めた後に調子を上げ、その翌年から二段・三段と昇段していき、1984年8月に四段昇段(プロデビュー)を果たす。 1985年、第19回早指し将棋選手権の予選で、師匠の伊達との師弟対決で勝利。 1987年、第37回NHK杯戦で予選を勝ち抜き、本戦初出場。
福崎 文吾(ふくさき ぶんご、1959年12月6日 - )は… 福崎 文吾(ふくさき ぶんご、1959年12月6日 - )は、将棋棋士。田中魁秀九段門下。棋士番号は135。大阪府守口市出身。十段、王座のタイトル獲得歴がある。竜王戦1組通算10期。2025年4月の引退まで現役最年長棋士(2024年6月19日以降、引退時7001650000000000000♠65歳4か月 )。 順位戦は第38期の初参加から連続の1期抜けで昇級を重ね、3期でB級1組まで昇級した(加藤一二三、中原誠、二上達也に次いで史上4人目のスピード昇級)。 他の棋士との比較は、タイトル獲得記録、将棋のタイトル在位者一覧を参照。 【2026年04月 四段昇段者】小窪碧、川村悠人、古井丈大(3名、第40期からの出場) 【2026年10月 四段昇段者】(2名、第40期からの出場) 2026年10月1日昇段者(2名):2027年04月1日昇段者(2-3名): (棋士番号の割り当てがない棋士 → 「template:日本将棋連盟引退棋士」参照)
室岡 克彦(むろおか かつひこ、1959年3月21日 - )… 室岡 克彦(むろおか かつひこ、1959年3月21日 - )は、将棋棋士。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号153。東京都荒川区出身。 藤井システムと同じく四間飛車の作戦としては図のような形を室岡がよく指しており、「室岡システム」と呼ばれる。図のように△6二金(先手なら▲4八金)を上がる形を指す。 公式戦では図から▲3六歩△6一玉▲3五歩△同歩▲4六銀△3六歩▲2六飛△3二飛▲3五銀△4五歩▲3三角成△同飛▲5七角△3七歩成▲2四歩△3五飛▲同角△3四銀▲4四角△1五銀の例があり、後手が指せる。なお3七歩成に同桂は△4四銀▲3四歩△3五銀▲3三歩成△2六銀で後手十分。この時△6二玉-△7二銀型であると▲2二飛が痛打にならないという工夫。