利樹之丞(りきのじょう、1973年(昭和48年)11月2日 … 利樹之丞(りきのじょう、1973年(昭和48年)11月2日 - )は、大相撲の幕内呼出である。本名は土田 利樹(つちだ りき)。山形県酒田市出身。高砂部屋所属。血液型はAB型。 「利樹之丞」の名前の「之丞」の文字は、多賀之丞からもらったものである。 張りのある高音の美声で知られる人気の高い呼出である。 2021年8月22日、新型コロナウイルスに感染したことが発表された。 2022年7月場所11日目、新型コロナウイルスにより休場力士が多くなった影響で、呼び上げる予定の2番がいずれも不戦勝となったため、この日は呼び上げの出番がなくなった。
燁司 大(ようつかさ だい、1973年9月25日 - 202… 燁司 大(ようつかさ だい、1973年9月25日 - 2025年8月11日)は、三重県松阪市出身で入間川部屋に所属した元大相撲力士。本名は鈴木 大司(すずき だいし)。現役時の体格は身長178cm、体重153kg、最高位は東前頭11枚目(2004年1月場所)。得意手は突き、押し。血液型はB型。趣味は音楽を聞く事等。 小学校4年生から相撲を始め、三重高等学校では全国大会に出場、日本大学に進み1993年の全国学生相撲個人体重別選手権大会で135キロ以上の部準優勝(優勝は谷村竜太(のち幕下・栃大揮)、3位に山本敏生(のち関脇・土佐ノ海))など活躍した。大学卒業後に入間川部屋に入門し、1996年1月場所に幕下付出で初土俵を踏んだ。
大飛翔 誠志(だいひしょう せいじ、1973年8月30日 -… 大飛翔 誠志(だいひしょう せいじ、1973年8月30日 - )は、日本の元大相撲力士、総合格闘家。本名は小椋 誠志(おぐら せいじ)。大阪府茨木市出身。パンクラス チーム玉海力所属。得意技は右四つ。最高位は東前頭10枚目(1997年1月場所)。大相撲力士時代は、身長195cm、体重165kg。 1992年近畿大学附属高等学校卒業。同校在学中はスポーツ推薦クラスに在籍。同級生に元中日ドラゴンズ投手の大塔正明や吉本新喜劇の小籔千豊らがいる。卒業後、実業団の摂津倉庫から同社社長らの勧めで朝日山部屋に入門。1992年9月場所に初土俵を踏んだ。長身の恵まれた体格で早くから期待された。1995年3月場所には入門からわずか2年半で十両に昇進。
五城楼 勝洋(ごじょうろう かつひろ、1973年〈昭和48年… 五城楼 勝洋(ごじょうろう かつひろ、1973年〈昭和48年〉8月18日 - )は、宮城県仙台市青葉区出身で間垣部屋に所属した元大相撲力士。1989年に初土俵を踏み、1998年7月場所では最高位となる東前頭3枚目に昇進。2005年11月場所を最後に引退し、準年寄として間垣部屋の部屋付き親方となる。2006年11月には年寄『浜風』を襲名。2007年11月に間垣部屋から佐渡ヶ嶽部屋に移籍した。 現役時代の得意手は左四つ、寄り、突き、押し。本名は小島 章朋(こじま あきとも)。 東北高等学校時代は剣道と柔道をしており共に有段の腕前だったが、間垣親方(元横綱若乃花)からの誘いを受け高校を中退して角界入りし、1989年11月場所で初土俵を踏んだ。
光法 賢一(こうぼう けんいち、1973年(昭和48年)8月… 光法 賢一(こうぼう けんいち、1973年(昭和48年)8月18日 - 2021年(令和3年)7月1日)は、鹿児島県熊毛郡南種子町出身で宮城野部屋に所属した大相撲力士。本名は峯山 賢一(みねやま けんいち)。身長182cm、体重137kg。 最高位は西前頭9枚目(2002年1月場所)。得意技は左四つ、下手投げ、寄り。血液型B型。愛称は本名の「ミネヤマ」。 中学校卒業と同時に宮城野部屋に入門し、1989年(平成元年)3月場所で初土俵を踏んだ。 1991年9月場所において18歳で幕下へ昇進したものの、攻めが遅かったため幕下上位で苦労し、十両昇進までに7年以上掛かってしまった。1996年11月場所から四股名を「光法」と改めるが、これは茨城県ひたちなか市にある道明寺の住職が考案した3つの候補の中から、父と祖父の名前にそれぞれ「光」という字が入っており、父の名である「みつのり」とも読めるとの理由で選んだという。
五剣山 博之(ごけんざん ひろゆき、1973年7月12日 -… 五剣山 博之(ごけんざん ひろゆき、1973年7月12日 - )は、香川県高松市出身で貴乃花部屋(最終所属、入門時は藤島部屋、後に二子山部屋)所属の元大相撲力士。本名は五藤 博之(ごとう ひろゆき)。得意手は右四つ、寄り。身長194cm、体重195kg。最高位は東十両6枚目(2003年3月場所)。 中学卒業後に藤島部屋に入門し、1989年3月場所初土俵。1991年5月場所には17歳の若さで幕下に昇進、194cmの長身で豪快な右四つ相撲で早くから期待されていた。幕下上位でやや苦労したが1994年11月場所には、西幕下23枚目で幕下優勝を果たした。その勢いで1995年1月場所も勝ち越し、1995年3月場所には十両に昇進した。
邦夫(くにお、1973年(昭和48年)5月19日 - )は、… 邦夫(くにお、1973年(昭和48年)5月19日 - )は、大相撲の十両呼出である。本名は前川 邦朗(まえかわ くにお)。埼玉県上尾市出身。若松部屋→高砂部屋所属。血液型はAB型。 張りのあるオペラ風の低音の美声で知られる人気の高い呼出である。
12代 式守 錦太夫(しきもり きんだゆう、本名:押田 裕光… 12代 式守 錦太夫(しきもり きんだゆう、本名:押田 裕光(おしだ ひろみつ)、1973年4月29日 - )は、大相撲の幕内格行司である。血液型はA型。千葉県柏市出身。現在は放駒部屋所属。元関脇・麒麟児(19代北陣)は義理の叔父にあたる。 もとは力士志望であったが身長が規定に足りず、柏市立柏中学校時代に麒麟児から行司としてスカウトを受けた。中学卒業後の1989年(平成元年)3月場所で初土俵。1996年1月場所で旧二所ノ関部屋の名跡である式守慎之助(4代)を襲名。2006年3月場所で十両格に昇進した。 2013年1月場所後に二所ノ関部屋は所属力士が全員引退して消滅したため、松ヶ根部屋に移籍。 2014年1月場所で幕内格に昇進すると同時に、先代(11代)の立行司昇進で空き名跡となっていた式守錦太夫(12代)を襲名した。
海鵬 涼至(かいほう りょうじ 1973年4月17日 - )… 海鵬 涼至(かいほう りょうじ 1973年4月17日 - )は、青森県西津軽郡深浦町出身で八角部屋に所属した元大相撲力士。本名は熊谷涼至(くまがい りょうじ)、愛称はクマ。現役時は身長177cm、体重125kg、血液型はO型、趣味はスポーツ観戦。得意手は左四つ、下手投げ。左を差して食いついての芸が持ち味で、小兵ならではの動きの良さが身上であった。最高位は西小結(2001年11月場所)。なお海鵬の四股名は、父が所有する漁船「海鵬丸」に由来する。
若ノ城 宗彦(わかのじょう むねひこ、1973年4月13日 … 若ノ城 宗彦(わかのじょう むねひこ、1973年4月13日 - )は、沖縄県那覇市出身で間垣部屋に所属した元大相撲力士。本名は阿嘉 宗彦(あか むねひこ)。身長191cm、体重157kg。得意技は右四つ、上手投げ。最高位は西前頭6枚目(1998年3月場所)。 沖縄尚学高校時代は柔道部に所属しており、1年次からレギュラーとして活躍。2年次に全国高校選手権の団体戦でエースの真喜志慶治とともに活躍して、沖縄県勢初の優勝を成し遂げて、オリンピックの柔道代表候補と言われた。だが実は元々は角界入りの予定ではなかった。高校の寮の食堂では米は食べ放題であったが、部活が引退間近になって実家に戻ってから運動を以前のようにしなくなり、やたらとのどが渇き夜中に何度もトイレに起きるようになったため異常に気づいた母に促され、病院で検査を受けると血糖値が450mg/dlもあり即入院となった。
栃乃花 仁(とちのはな ひとし、1973年2月28日 - )… 栃乃花 仁(とちのはな ひとし、1973年2月28日 - )は、岩手県九戸郡山形村(現在の久慈市)出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は谷地 仁(やち ひとし)。身長184cm、体重148kg。得意手は右四つ、寄り、おっつけ。最高位は東小結(2000年11月場所)。現在は年寄・二十山、血液型はB型。 林業会社の長男で、一卵性双生児の弟がいる。中学は弟と共に柔道部で、本格的に相撲を始めたのは岩手県立浄法寺高等学校に入ってからである。明治大学相撲部では副主将を務め、全国大会などで活躍して入門を希望したものの、左膝の靱帯を損傷し幕下付出の資格を失ってしまい、前相撲からスタートし1995年3月場所に初土俵を踏んだ。
栃の山 博士(とちのやま ひろし、1973年2月24日 - … 栃の山 博士(とちのやま ひろし、1973年2月24日 - )は、東京都立川市出身で、千賀ノ浦部屋(入門時は春日野部屋)の元大相撲力士で、現世話人。本名は山田 博士(やまだ ひろし)。身長175cm、体重130kg、血液型はO型。得意技は押し。最高位は西幕下2枚目(2001年9月場所)。 関東第一高等学校相撲部(現在は廃部)出身ではあるものの、高校時代の実績はほとんどない。拓殖大学進学後は相撲部へ入部してレギュラーメンバーとして大活躍。大学相撲部の1年後輩に栃乃洋がいる。 大学卒業を間近に控えた1995年1月場所、大学の先輩である千賀ノ浦親方(元関脇・舛田山)を頼って春日野部屋に入門し、初土俵を踏む。
鶴ノ富士 智万(つるのふじ ともかず、1973年1月29日 … 鶴ノ富士 智万(つるのふじ ともかず、1973年1月29日 - )は、鹿児島県姶良郡隼人町(現在の霧島市)出身で井筒部屋に所属した元大相撲力士。本名は福薗 洋一郎(ふくぞの よういちろう)。現役時代の体格は身長178cm、体重113kg。得意手は諸差し、寄り、上手投げ。最高位は西十両9枚目(1995年3月場所)。趣味はサッカー観戦。 中学校時代はサッカー部に所属していたが、先代・井筒親方(元関脇・鶴ヶ嶺)と父が兄弟であったこともあり井筒部屋に入門。1988年3月場所に初土俵を踏んだ。軽量であったため序ノ口、序二段で伸び悩み、1991年1月場所前に髷を切って部屋を脱走し、一時期は警備員として勤務したこともあった。
琴岩国 武士(こといわくに たけし、1972年10月21日 … 琴岩国 武士(こといわくに たけし、1972年10月21日 - )は、山口県岩国市出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士。本名は藤本 武志(ふじもと たけし)。身長188cm、体重163kg。最高位は東十両12枚目(1999年9月場所)。得意技は左四つ、寄り。趣味はテレビ鑑賞、血液型はB型。 1988年3月場所初土俵。決して早くは無かったが、着実に番付を上げて行った。取り口は左四つ。1996年3月場所には西幕下筆頭で4勝3敗と勝ち越し新十両が確定的の状況になったが、十両下位で負け越しをしている力士が少なかったため十両昇進が見送りになり、翌5月場所は東幕下筆頭の地位に留まった。(この結果を受け[要出典] 、以後東西にかかわらず筆頭での勝ち越しを最優先することとなった。
琴嵐 佳史(ことあらし よしふみ、1972年10月18日 -… 琴嵐 佳史(ことあらし よしふみ、1972年10月18日 - )は、大阪府寝屋川市出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士。本名は、栗 佳史(くり よしふみ)。身長174cm、体重115kg、最高位は東十両9枚目。得意技は右四つ、寄り。いわゆる「花の六三組」の1人である。 中学卒業と同時に佐渡ヶ嶽部屋に入門し、1988年3月場所に初土俵を踏んだ。100Kg弱の小兵力士であったが、右四つからの速攻相撲で着実に番付を上げていった。やや幕下上位で苦労した時期もあったが1996年5月場所に十両に昇進した。新十両の場所は9勝6敗と勝ち越したが、翌7月場所は5勝10敗と負け越し、同年9月場所に幕下に陥落。それから僅か3場所後の1997年3月場所を最後に現役を引退し廃業。
床哲(とこてつ、1972年10月9日 - )は、大相撲の床山… 床哲(とこてつ、1972年10月9日 - )は、大相撲の床山。本名は小浜哲也。大阪府岸和田市出身。高田川部屋所属。現在一等床山を務めている。
峰桜 健士(みねざくら けんじ、1972年10月5日 - )… 峰桜 健士(みねざくら けんじ、1972年10月5日 - )は、青森県八戸市出身で峰崎部屋(入門時は放駒部屋)所属の元大相撲力士。本名は工藤 憲一(くどう けんいち)。身長173cm、体重は135kg。得意技は押し、すくい投げ。最高位は東三段目74枚目(2005年5月場所)。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
新明 嘉規(しんめい よしのり、1972年9月16日 - )… 新明 嘉規(しんめい よしのり、1972年9月16日 - )は、武蔵川部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。最高位は東幕下12枚目(1999年1月場所)。 千葉県佐倉市出身。佐倉市立佐倉中学校では柔道部に所属し、県大会で優勝。全国大会では沖縄県代表の真喜志慶治に僅差で敗れた。八千代松陰高等学校ではレスリング部に入り、1990年のインターハイに出場し、115㎏級で優勝。卒業後は専修大学に入り、レスリングを続けたが、2年で中退、大学時代は大会出場の経験はなかった。地元のレスリングクラブの先生に頼み、中央大学相撲部監督を介して、武蔵川部屋を紹介され、武蔵川部屋に入門した。1992年7月場所で初土俵を踏む。
4代 木村 朝之助(きむら あさのすけ、1972年9月2日 … 4代 木村 朝之助(きむら あさのすけ、1972年9月2日 - )は、大相撲の幕内格行司である。本名は石田 勝也(いしだ かつや)。高砂部屋所属。血液型はA型。 神奈川県横浜市旭区出身。神奈川県立都岡高校卒業後の1991年3月場所で若松部屋から初土俵を踏んだ。2002年2月に若松部屋が高砂部屋に吸収されたため、同年3月場所以降は高砂部屋所属となった。2008年1月場所で十両格に昇進し、師匠の33代木村庄之助が立行司昇進前まで名乗っていた木村朝之助の4代目を襲名。2022年12月26日付(2023年1月場所番付発表日)で幕内格に昇進。 行司としては珍しく高校を卒業してからの入門であり、2025年6月時点では朝之助より年下ながら序列上位の行司が3人いる。
昴 光司(すばる こうじ、1972年8月30日 - )は、長… 昴 光司(すばる こうじ、1972年8月30日 - )は、長野県飯田市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は下澤 吉雄。176cm、110.5kg。最高位は西幕下10枚目。 2013年8月12日にNHKで放送された「ドキュメンタリー同期生 土俵探し 今なお~大相撲昭和63年春組~」に出演し、現在は岐阜県高山市で製薬会社(中京医薬品)の営業をしていることを明かした。 闘牙進の四股名は兄弟子の昴が名付けている。 現在は大阪府堺市で保険業の会社であるすばる保険そうだんを営んでいる https://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=245&l=j
須佐の湖 善誉(すさのうみ よしたか、1972年8月30日 … 須佐の湖 善誉(すさのうみ よしたか、1972年8月30日 - )は愛知県知多市出身で北の湖部屋に所属した元大相撲力士。本名は金作 善治(かねさく よしはる)。身長183cm、体重233kg。最高位は東十両2枚目(1998年1月場所)。得意技は突き、押し、閂、叩き。趣味は寝ること。血液型はB型。 1988年3月場所で初土俵。入門直後から期待され、順調に番付を上げていった。21歳になったばかりの1993年9月場所に「将兜」の四股名で十両に昇進した。これにより北の湖部屋から子飼いとしては初となる関取が誕生した。しかし四つ相撲と突き押しの中途半端な相撲だったため3勝12敗と大敗を喫し、1場所で幕下に陥落した。
貴乃花 光司(たかのはな こうじ、1972年〈昭和47年〉8… 貴乃花 光司(たかのはな こうじ、1972年〈昭和47年〉8月12日 - )は、東京都中野区出身の二子山部屋(入門時は藤島部屋)に所属した元大相撲力士。第65代横綱。 本名は花田 光司(はなだ こうじ)。愛称は「貴」、「コウジ」。相撲協会退職後は本名や元 貴乃花親方・貴乃花氏・貴乃花さんと表記されることが多い。 引退のとき現役時代の功績に対して一代年寄貴乃花が認められ、貴乃花部屋の師匠を務めた。日本相撲協会では2010年に理事に当選以来、相撲教習所所長、審判部長、地方場所部長(大阪)、総合企画部長、巡業部長を歴任したが、2018年10月に退職した。 現在は相撲の普及活動を目的とする一般社団法人貴乃花道場の理事を務めており、「貴乃花光司」としてのタレント・絵本作家の活動は、2023年9月より新たに貴乃花事務所(個人事務所)として新体制を取っている。
床九(とこきゅう、1972年7月24日 - )は、大相撲の床… 床九(とこきゅう、1972年7月24日 - )は、大相撲の床山。本名は斎藤敏夫。東京都稲城市出身。九重部屋所属。現在一等床山を務めている。
魁皇 博之(かいおう ひろゆき、1972年(昭和47年)7月… 魁皇 博之(かいおう ひろゆき、1972年(昭和47年)7月24日 - )は、福岡県直方市出身で友綱部屋に所属した元大相撲力士。本名は古賀 博之(こが ひろゆき)。最高位は東大関。愛称はキンタ、ゴリラ、ゴリライモ。血液型はA型。 得意手は左四つ、寄り、上手投げ、小手投げ。好物はステーキ。 引退後は年寄・浅香山を襲名し、浅香山部屋を設立している。 3人兄弟の末っ子として生を受けた。出生時の体重が4250グラムの巨体であった。直方市立直方東小学校時代は空手を習っていて、小学4年のころから福岡県の相撲大会に出場していた。直方市立第二中学校2年生の時に、友人からの誘いで柔道をはじめ、中学3年生時点で握力は85キロあったという。
嵐望 将輔(らんぼー しょうすけ、1972年7月2日 - )… 嵐望 将輔(らんぼー しょうすけ、1972年7月2日 - )は、東京都福生市出身で貴乃花部屋(入門時は二子山部屋)所属の元大相撲力士、現世話人。本名は井上 高雄(いのうえ たかお)。愛称はランボー。好物はマグロ。身長183cm、体重177kg。血液型はA型。最高位は東幕下13枚目(1999年5月場所)。 東京都福生市の中学校を卒業して二子山部屋に入門し、1988年3月場所で初土俵を踏む。この場所に入門した力士は花の六三組と呼ばれ、横綱曙、貴乃花、3代目若乃花、大関魁皇らそうそうたる面々が並んでいる。初土俵時の四股名は「若井上」。 1988年9月場所から序二段で伸び悩み、1990年5月場所から「福の隆」の四股名を名乗る。
大碇 剛(おおいかり つよし、1972年6月16日 - )は… 大碇 剛(おおいかり つよし、1972年6月16日 - )は、京都市西京区出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は齋藤 剛(さいとう つよし)。身長177cm、体重137kg。最高位は東前頭11枚目(2000年3月場所)。現在は年寄・甲山。 京都商業(3年次より京都学園)高校時代には全国大会の優勝経験があり、同志社大学でも全国大会で活躍した。勧誘にやってきた伊勢ノ海親方や後援会などからは大文字以来となる京都府出身関取を嘱望されたことで入門を決意し、大学の1年先輩である土佐ノ海が所属する伊勢ノ海部屋に入門し、「大碇」の四股名で1995年3月場所に幕下付出(60枚目格)で初土俵を踏んだ。本人は伝統の四股名を貰い、おめおめと京都には帰れないと覚悟した。
和歌乃山 洋(わかのやま ひろし、1972年5月12日 - … 和歌乃山 洋(わかのやま ひろし、1972年5月12日 - )は、和歌山県御坊市出身で武蔵川部屋に所属した元大相撲力士。本名は西崎 洋(にしざき ひろし)。現役時代の体格は身長178cm、体重166kg。得意技は突き押し、左四つ、寄り。最高位は西小結(2001年3月場所)。血液型はB型。 実弟は同じ武蔵川部屋所属の床山・床健、愛称は本名のニシザキ。家族は妻・長男・長女・次女(長女と次女は双子である)。 幼い頃から相撲を始め、5学年先輩である同郷の大輝煌と同じ相撲道場に通い、大相撲では和歌乃山の方が2年早く初土俵を踏んだ。御坊市立御坊中学校時代は相撲部に所属し全国大会に出場する活躍を見せ、武蔵川部屋の関係者から再三の勧誘があり武蔵川部屋に入門を決意した。
千代の若 秀則(ちよのわか ひでのり、1972年〈昭和47年… 千代の若 秀則(ちよのわか ひでのり、1972年〈昭和47年〉3月8日 - )は、九重部屋に所属した元大相撲力士。本名は根岸 秀則(ねぎし ひでのり)。 兵庫県養父市出身。身長194cm、体重167kg。最高位は東十両9枚目(1996年11月場所)。得意手は左四つ、寄り、上手投げ、血液型はB型。 実家は青果店を営んでいた。小学生では水泳を習い、養父市立養父中学校では1年間だけ卓球部に所属した。親の知人から手紙で連絡を受けて訪ねて来た現役時代の横綱・千代の富士にスカウトされ、当初は入門の意志はあまりなかったが周囲が盛り上がったので入門を決意した。1987年5月場所、初土俵を踏む。三段目までは比較的順調に昇進したが、三段目・幕下で伸び悩み三段目、幕下でそれぞれ2年を過ごした。
土佐ノ海 敏生(とさのうみ としお、1972年2月16日 -… 土佐ノ海 敏生(とさのうみ としお、1972年2月16日 - )は、高知県安芸市出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は山本 敏生(やまもと としお)。現在は年寄・立川。得意手は突き・押し・右四つ・上手投げで、最高位は東関脇(1997年7月場所・同年9月場所、2004年1月場所)。安芸市立安芸中学校、高知高校、同志社大学商学部卒業。趣味は映画鑑賞、愛称は「トシオ」、好物はケーキ、星座はみずがめ座、血液型はB型、干支は子年。 漁師の長男に生まれる。小学校の低学年の時は野球少年だったが高学年より相撲に転向する。野球部で球拾いばかりだったが、相撲部のコーチから「大きい体をしているなぁ。相撲ならすぐに試合に出られるぞ。
武双山 正士(むそうやま まさし、1972年2月14日 - … 武双山 正士(むそうやま まさし、1972年2月14日 - )は、茨城県水戸市出身(出生地は勝田市、現在のひたちなか市)で武蔵川部屋に所属した元大相撲力士。本名は尾曽 武人(おそ たけひと)。最高位は東大関。身長184 cm、体重177kg。現在は年寄・藤島、得意手は突き、押し、突き落とし、巻き落とし、左四つ。趣味は釣り。独身。 父の尾曽正人(以下、父と表記)は茨城県相撲連盟理事長というアマチュア相撲の大御所でありアマチュア選手として国体に11回出場した経験も持っている。息子である尾曽武人(以下、角界入りまで尾曽と表記)が後に冠した四股名「武双山正士」の下の名前の由来は父の名前にある。尾曽は元々相撲ではなく魚釣りやソフトボールを好んでいた。
奈良光 幹夫(ならひかり みきお、1972年2月5日 - )… 奈良光 幹夫(ならひかり みきお、1972年2月5日 - )は、奈良県奈良市出身で武蔵川部屋所属の元大相撲力士。本名は中原 幹夫(なかはら みきお)。身長179 cm・体重116 kg。最高位は東幕下30枚目。 奈良市立都南中学校では相撲とラグビーで活動し、ラグビーでは県大会では準優勝。中学3年生の1986年に全国中学相撲選手権大会個人の部に参加、2回戦で敗退。中学卒業後、武蔵川部屋に入門し、1987年3月場所本名の「中原」で初土俵を踏む。1989年3月場所四股名を「奈良光」に改める。1990年11月場所三段目に昇進する。2年間三段目で取り続けていたが1993年から第五腰椎分離すべり症で1年半休場。
富風 悟(とみかぜ さとる、1972年1月27日 - )は、… 富風 悟(とみかぜ さとる、1972年1月27日 - )は、愛知県弥富市(旧海部郡弥富町)出身で尾車部屋に所属した元大相撲力士。本名は平川 悟(ひらかわ さとる)。身長180cm、体重141kg。趣味は映画鑑賞。最高位は西十両8枚目(2000年11月場所)。得意技は突っ張り、左四つ、寄り。 中学時代は柔道部に所属していたが、相撲の大会にも借り出され愛知県代表として全国大会に出場したことも有った。知人の紹介で尾車部屋に入門し1987年7月場所で初土俵を踏んだ。三段目までは順調に番付を上げていったが、故障が多く幕下に昇進したのは初土俵から8年後の1994年9月場所であった。以降は幕下に定着し、幕下上位で一進一退を続けていたが、2000年5月場所、休場(公傷)明けの場所であったが西幕下3枚目で5勝2敗と勝ち越し、御当所である翌7月場所に史上5位タイ(当時)のスロー記録で十両に昇進した。
玉春日 良二(たまかすが りょうじ、1972年1月7日 - … 玉春日 良二(たまかすが りょうじ、1972年1月7日 - )は、愛媛県東宇和郡野村町(現在の西予市)出身で片男波部屋に所属した元大相撲力士。本名は秋山 良二(あきやま りょうじ)、旧姓:松本(まつもと)。現役時代は身長183 cm、体重157 kgを公称していた。得意手は突き、押し、おっつけ、いなし。最高位は1997年7月場所の西関脇。現在は年寄・片男波。 農家の6人兄姉の三男坊である。松本の相撲との出会いは小学3年の時だった。彼の住んでいた野村町では、1852年に大火災で260棟を焼損したため、このような大火災が起こらぬよう愛宕神社に以後100年間にわたって毎年33番の相撲を奉納すると誓ったため、乙亥大相撲が開催され続けていった。
木村 圭吾(きむら けいご、本名:山田健、1971年12月2… 木村 圭吾(きむら けいご、本名:山田健、1971年12月22日 - 1995年1月7日)は、二子山部屋に所属していた大相撲の行司であった。最高位は幕下格。長野県飯田市出身。 1987年3月、二子山部屋に入門。3月場所で初土俵を踏む。 1993年1月場所幕下格昇進。巡業の先発の書記や場内放送などを担当した。 1994年5月場所5日目、三段目の雷王-竜風戦で5回にわたって取り直すという珍事が起こった取組を裁いた。これは現行制度における取り直しの最多回数の記録となっている。この取組の詳細は物言い#平成時代参照。 1994年12月30日午前2時過ぎ、中野区の二子山部屋で門限に遅れて締め出されたため、その部屋の2階から入ろうとしたが転落し、その際に頭を打ち、意識不明となった。
貴ノ浪 貞博(たかのなみ さだひろ、1971年10月27日 … 貴ノ浪 貞博(たかのなみ さだひろ、1971年10月27日 - 2015年6月20日)は、青森県三沢市出身で藤島部屋、二子山部屋、貴乃花部屋に所属した大相撲力士。本名は浪岡 貞博(なみおか ただひろ)。最高位は東大関。 1971年10月27日に青森県三沢市で生まれる。年の離れた兄と姉を持つ3人兄弟の末っ子であったため幼少期は甘えん坊で泣き虫であった。相撲好きの祖母の影響で小学2年生から相撲を始めた。三沢市立第二中学校時代には身長195cm、体重120kg以上の巨漢に育ったが、稽古熱心ではなかった。当時の指導者たちからは「脇を締めて腰を低くして当たれ」と教わっていたが、自分より大きな対戦相手がいなかったため、どうしても引っ張り込んで抱える取り口に終始することになり、これが大相撲入門後の取り口の原点となった。
玉ノ華 重二郎(たまのはな しげじろう、1971年8月18日… 玉ノ華 重二郎(たまのはな しげじろう、1971年8月18日 - )は、 鹿児島県大島郡知名町出身で片男波部屋に所属していた元大相撲力士。本名は福 重二郎(ふく しげじろう)。身長175cm、体重155kg。最高位は東幕下8枚目。日本大学相撲部出身。 大学卒業を控えていたある日に先代片男波(玉ノ富士)から勧誘の電話が寄せられ、当初は断ったものの片男波から「年齢的にギリギリだぞ。今入門しないと力士になる機会が無くなるよ。いいのか?」と口説かれて入門を決意。1994年1月場所に幕下最下位格付出で初土俵を迎える。 ところが初土俵で早々に負け越しを喫し、そればかりかデビュー3場所目の1994年5月場所前に網膜剥離になり半年近くの入院生活を余儀なくされ、同年11月場所に復帰するまで3場所連続全休に甘んじる。
郡山 勇二(こおりやま ゆうじ、1971年8月8日 - )は… 郡山 勇二(こおりやま ゆうじ、1971年8月8日 - )は、宮崎県宮崎市出身で三保ヶ関部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。177.5cm、176kg。最高位は西幕下2枚目。 1987年3月初土俵、2013年9月引退。非常に息が長く通算在位は159場所に上った。現役引退後は、実家の郡山板金で営業マンをしている。
小城錦 康年(おぎにしき やすとし、1971年7月8日 - … 小城錦 康年(おぎにしき やすとし、1971年7月8日 - )は、千葉県市川市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は小岩井 康年(こいわい やすとし)。得意手は左四つ、寄り。最高位は東小結(1997年7月場所)。現在は年寄・中立。身長186cm、体重138kg。父は元関脇・小城ノ花正昭、兄は元前頭・小城ノ花昭和、趣味はサッカー、スポーツ観戦、血液型はA型。 1987年3月場所初土俵、1991年11月場所新十両、1993年5月場所新入幕、2004年1月場所限りで引退した。 新入幕を果たした1993年5月場所では9勝6敗と勝ち越したものの、翌7月場所は4勝11敗と大敗して十両に陥落。再入幕の11月場所(前頭16枚目)で11勝を挙げて敢闘賞を受賞。
朝乃涛 誠(あさのなみ まこと、1971年6月19日 - )… 朝乃涛 誠(あさのなみ まこと、1971年6月19日 - )は、青森県北津軽郡中泊町出身で若松部屋所属の元大相撲力士。本名は太田 誠(おおた まこと)、身長187cm、体重140kg。最高位は東十両3枚目(1993年3月場所)。得意技は左四つ、寄り。血液型はB型。 小学校時代から相撲を始め、五所川原農林高校時代は全国大会に出場するなど活躍した。相撲部監督から、部屋を継承することが決したばかりの若松親方(現・高砂親方、元大関・朝潮)を紹介され、卒業と同時に若松部屋に入門した。1990年3月場所に初土俵を踏んだ。翌7月場所にいきなり序ノ口優勝を果たすと、勝ち越しを続け一気に幕下まで番付を上げた。幕下上位でやや苦労したが、1993年1月場所には同部屋の朝乃若(現・若松親方)と共に十両に昇進した。
両國 宏(りょうごく ひろし、1971年6月6日 - )は、… 両國 宏(りょうごく ひろし、1971年6月6日 - )は、日本の俳優、井筒部屋所属の元大相撲力士。大相撲時代の四股名は祥映斗 宏務(しょうえいと ひろし)。鹿児島県姶良郡横川町(現在の霧島市)出身。身長180cm、体重94kg。両國エンタープライズ所属。業務提携 株式会社Katana。 大相撲時代の最高位は幕下3枚目、体重111kg。 三段目時代、優勝経験あり。 エス・プログレス、Stone Valley株式会社を経て、現在は両國エンタープライズ所属。 趣味・特技は、アクション殺陣、バランスボール乗り、釣り・フットサル・ゴルフ(ベストスコア87)バレーボール、水泳、筋トレ、SUP。 普通自動車、大型二輪、二級船舶 祥映斗の由来は「祥 = 勝」「映斗 = 8」 であり、毎場所必ず8勝 (すなわち、関取で勝ち越し)出来るようにという願いから付けられた。
床豪(とこごう、1971年5月10日 - )は、大相撲の床山… 床豪(とこごう、1971年5月10日 - )は、大相撲の床山。本名は東條雅也。大阪府藤井寺市出身。入門時は尾車部屋、現在は押尾川部屋所属。現在一等床山を務めている。
武哲山 剛(むてつやま ごう、1971年3月27日 - 20… 武哲山 剛(むてつやま ごう、1971年3月27日 - 2013年7月20日)は、兵庫県尼崎市出身で武蔵川部屋所属の元大相撲力士。本名は、栗本剛(くりもと ごう)。身長173cm、体重144kg。血液型O型。得意手は突き、押し。最高位は西十両11枚目(1995年11月場所、1996年3月場所)。
嵐 立磨(あらし りゅうま、1971年3月26日 - )は、… 嵐 立磨(あらし りゅうま、1971年3月26日 - )は、広島県府中市出身で九重部屋に所属した元大相撲力士。本名は山根 良治(やまね りょうじ)。身長184cm、 体重134kg。趣味は酒。最高位は東十両10枚目(1998年1月場所)。得意技は右四つ、寄り、血液型はB型。 1986年3月場所初土俵。決して早くは無かったが着実に番付を上げていった。幕下で苦労し一度は引退を考えたが、スロー出世ながら新入幕を果たした同郷の先輩・安芸ノ州の頑張りを励みに奮起し勝ち越しを続け幕下上位に上がった。そして通算70場所目の1997年11月場所にようやく十両に昇進した。その場所は8勝7敗と勝ち越したものの、翌1月場所は3勝12敗と負け越し幕下に陥落した。
皇司 信秀(おうつかさ のぶひで、1971年2月18日 - … 皇司 信秀(おうつかさ のぶひで、1971年2月18日 - )は、兵庫県三木市福井出身で入間川部屋に所属した元大相撲力士、現若藤親方。得意手は突き、押し、寄り、いなし、猫騙し。アマチュア相撲出身。最高位は西前頭4枚目(2001年7月場所)。身長175cm、体重152kg。趣味はビデオ鑑賞。本名は大内 信英(おおうち のぶひで)、血液型はA型。 兵庫県三木市福井出身の金属加工業の二男である。祖父と父が相撲好きだった影響で三木市立三樹小学校6年の時からの時から相撲好きで力士を志し、三木市立三木中学校で相撲を始め、相撲部(現在は廃部)に入部し、全国大会に出場した。市川高校相撲部では国民体育大会や全国高等学校相撲選手権大会で団体優勝に貢献し、日本大学相撲部では全日本相撲選手権大会で活躍した。
琴三(ことぞう、1971年(昭和46年)2月8日 - )は、… 琴三(ことぞう、1971年(昭和46年)2月8日 - )は、大相撲の幕内呼出である。本名は都間 壮(つま つよし)。島根県雲南市出身。佐渡ヶ嶽部屋所属。血液型はA型。
巴富士 俊英(ともえふじ としひで、1971年1月27日 -… 巴富士 俊英(ともえふじ としひで、1971年1月27日 - )は、秋田県鹿角郡十和田町(現在の鹿角市)出身で九重部屋に所属した元大相撲力士。本名は黒澤 俊英(くろさわ としひで)。現役時代の体格は191cm、151kg。最高位は西張出小結(1992年7月場所)。得意手は左四つ、下手投げ。血液型はAB型。 農家の次男として生まれ、中学生時代は柔道と相撲の両方で活躍した。中学相撲で全国大会決勝まで進み、後の三代目若乃花と対戦。禁じ手の鯖折りを仕掛けたため反則負けとなったものの準優勝という輝かしい実績を残し1986年、元横綱・北の富士が率いる九重部屋に千代の富士の内弟子として入門。同年5月場所に於いて15歳で初土俵を踏んだ。
大倭 東洋(おおやまと とうよう、1971年1月21日 - … 大倭 東洋(おおやまと とうよう、1971年1月21日 - 2015年6月24日)は、石川県輪島市出身で入間川部屋に所属した元大相撲力士。本名は白崎 東洋(しろさき とうよう)。身長179cm、体重142kg。最高位は東十両12枚目(1994年1月場所)。得意技は突き、押し。 金沢高校から日本大学を経て元関脇栃司の入間川部屋に入門。1993年3月場所に同じ日大の大内とともに、幕下60枚目格付出で初土俵を踏んだ。幕下をわずか5場所で通過し1994年1月場所で新十両を果たす。師匠が部屋を興して最初の関取となった。しかし、5勝10敗と大きく負け越し1場所で幕下に陥落。更に、幕下落ちした場所の三番相撲(相手は琴龍)で腰を痛める。
若隼人 幸治(わかはやと こうじ、1971年1月3日 - )… 若隼人 幸治(わかはやと こうじ、1971年1月3日 - )は、鹿児島県熊毛郡中種子町出身で宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は稲子 幸治(いなご こうじ)。身長184cm、体重161kg。最高位は東十両3枚目(1996年5月場所)。得意技は右四つ、寄り。趣味は野球観戦とパチンコ。 幼い頃から相撲を始め、中種子町立南界小学校3年生から種子島地区の相撲大会で連続優勝するなど活躍を見せた。中種子町立南界中学校では柔道部に所属したが、力士に憧れていたため相撲も続けていた。中学3年生の時に宮城野部屋から4度の勧誘を受け、その熱意に打たれて卒業とともに入門し、1986年3月場所に初土俵を踏んだ。序二段から三段目に掛けて苦労した時期があったが、1991年3月場所に幕下に昇進。
敷島 勝盛(しきしま かつもり、1970年12月15日 - … 敷島 勝盛(しきしま かつもり、1970年12月15日 - )は、千葉県船橋市出身で陸奥部屋(入門時は立田川部屋)所属の元大相撲力士。本名は吉種 弘道(よしたね ひろみち)。現役時代の体格は身長184cm、体重187kg。血液型はAB型。最高位は西前頭筆頭(1998年3月場所)。得意手は左四つ、寄り。現在は年寄・浦風。 千葉県立船橋古和釜高等学校時代は柔道部に所属していた。知人の紹介で立田川部屋に入門し、高校卒業直前の1989年1月場所に本名である「吉種」で初土俵を踏んだ。 1場所後に入門した弟弟子の豊桜と共に立田川部屋の新鋭として周囲から期待され、幕下上位でやや足踏みをしたものの、入門から約4年後の1993年5月場所において新十両に昇進し、新十両を期に四股名を「敷島」と改名した。
出羽の郷 秀之(でわのさと ひでゆき、1970年11月22日… 出羽の郷 秀之(でわのさと ひでゆき、1970年11月22日 - )は、埼玉県三郷市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は川原 秀之(かわはら ひでゆき)。身長182cm、体重127kg。最高位は東十両14枚目(2005年5月場所)、血液型はO型。現役終盤期は周囲から「出羽じい」と呼称されていた。 三郷市立彦糸中学校時代には陸上部に所属。中学卒業後の1986年5月場所初土俵。序ノ口を1年、序二段を3年で通過し、決して速くはないが着実に番付を上げた。三段目で足踏みをしてしまい2度の序二段転落も経験した。1995年7月場所に幕下に昇進し、三段目との往来はあったが中位まで番付をあげた。十両が見え始めたかに思えた2003年5月場所中に怪我をして三段目まで番付を落としてしまう。