木下 秀雄(きのした ひでお、1931年7月17日 - 20… 木下 秀雄(きのした ひでお、1931年7月17日 - 2014年3月8日)は、日本の男性俳優、声優。東京府(現:東京都)出身。 明治大学卒業。1953年、東京放送劇団入団。第5期生同期には、里見京子、黒柳徹子がいる。テレビ勃興時代から活動をはじめ、晩年までCMや舞台に出演。 以前はKプロダクション、プロダクション・タンクに所属していた。 声種はハイバリトン。 NPO法人の日本ネイリスト協会で副理事長も務めた。妻は株式会社ユミ・クリエイションの木下ユミ(木下由美)で、娘はネイリストの木下美穂里。 2014年3月8日死去。82歳没。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。
高杉 玄(たかすぎ げん、1931年6月16日 - 2001… 高杉 玄(たかすぎ げん、1931年6月16日 - 2001年4月6日)は、日本の俳優。本名:須藤 東三郎。 東京都出身。特技は乗馬、殺陣。 早稲田大学卒業。大学在学中に劇団ひよこ座に参加。1958年に劇団が解散した後はフリーで活動し、1959年にアクタープロに所属。その後、加藤事務所、エヌ・エー・シーに所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
芦屋 雁之助(あしや がんのすけ、1931年5月29日 - … 芦屋 雁之助(あしや がんのすけ、1931年5月29日 - 2004年4月7日)は、日本の俳優、歌手。本名、西部 清(にしべ きよし)。愛称は、雁ちゃん。血液型O型。京都府京都市出身。京都市立朱雀中学校卒業。 実家の家業は京都で友禅染の染物屋を営んでいたが、芸事、道楽事が好きであった父は戦後、「若松家」の亭号を名乗り、芸人として活動し始めるばかりか、一座を組んで巡業の日々となる。清は父について芸をこなしながら、一時、漫才師・五條家弁慶の弟子となり、前座として中国の服を着て手品をしたり師匠と漫才や芝居の舞台に立った。その後、18歳の時に弟・秀郎と当時人気の漫才師、芦の家雁玉・林田十郎に弟子入りし、「雁之助(清)・小雁(秀郎)」の名をもらうが、弟子入りしてまもなく亭号「芦の家」を勝手に「芦屋」に変えたため破門される(後に活躍が認められ破門を解かれる)。
御木本 伸介(みきもと しんすけ、1931年5月22日 - … 御木本 伸介(みきもと しんすけ、1931年5月22日 - 2002年8月5日)は、石川県金沢市出身の日本の俳優。本名は鈴木 脩一(すずき しゅういち)。 石川県生まれ。出生地については、羽咋郡押水町とするものと、金沢市高岡町とするものがある。 一男一女の長男で、日舞藤間流名取の姉がいる。父方の鈴木家は、代々加賀前田家の御殿医を務めた家柄。父の武も医師だったが、太平洋戦争末期には、海軍に徴用されていた日本郵船所有の貨客船筥崎丸に機関士として乗船していた。1945年3月19日、筥崎丸はアメリカ海軍の潜水艦による雷撃を受けて沈没し、父は戦死。長唄の師匠だった母・喜美の稽古料が遺された家族の生活の支えとなるが、1950年には母も病死し、祖母と姉との生活になった 。
津島 康一(つしま こういち、1931年5月6日 - 200… 津島 康一(つしま こういち、1931年5月6日 - 2004年3月21日)は、日本の俳優。政治家・津島文治の長男。作家・太宰治の甥。 青森県出身。青森県立弘前高等学校卒業。 俳優座養成所を経て、1955年、劇団仲間に参加。「森は生きている」などの舞台で活躍した他、1967年にはNHK大河ドラマ「三姉妹」に出演。1986年、NHK大河ドラマ「いのち」に出演。 山口市民会館での劇団仲間公演中に舞台上で脳出血を起こして倒れ、山口市内の病院で死亡。子供はない。
倉多 爽平(くらた そうへい、1931年4月2日 - )は、… 倉多 爽平(くらた そうへい、1931年4月2日 - )は、日本の元俳優。福島県双葉郡広野町出身。日本歯科大学出身。父は詩人・医師の額賀誠志。妻は女優の瞳麗子。長男はプロゴルファー額賀靖生。長女は歌手の弘妃由美。 倉田順、倉田爽平名義で活動していた時期もある。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
西 桂太(にし けいた、1931年3月31日 - )は、日本… 西 桂太(にし けいた、1931年3月31日 - )は、日本の男性俳優、声優、演出家、映像ディレクター、吹き替えディレクター、翻訳家、劇作家。本名及び演出家としての名義は大西 桂太。翻訳家としての名義は秋元 良介。大阪府出身。 1956年、大学在学中にぶどうの会演出部に入団。早稲田大学演劇科卒業後はTBS放送劇団、青年工房、土の会で俳優・声優として活動後、フリーランスとなり、日本合唱センター、劇団アトリエ座、劇団どらま座、声の劇団イマージュ(代表を経て、顧問)、演劇企画集団「人」などを設立した。 日活芸術学院、東京アナウンス学院などで講師も行っていた。 2017年、親戚関係にあたる高嶺巌によって引退していることが明かされた。
島田 竜三(しまだ りゅうぞう、1931年3月21日 - 没… 島田 竜三(しまだ りゅうぞう、1931年3月21日 - 没年不明)は、日本の俳優。旧芸名、沖 諒太郎。 日本大学芸術科卒業。劇団俳優座研究所出身。1954年、宝塚映画製作所に入社し、翌年にデビュー。東宝を経て、1958年に大映に入社。 以下に日本映画データベースに従い公開日、作品名、製作会社、役名を記載。
小池 朝雄(こいけ あさお、1931年〈昭和6年〉3月18日… 小池 朝雄(こいけ あさお、1931年〈昭和6年〉3月18日 - 1985年〈昭和60年〉3月23日)は、日本の俳優、声優、ナレーター。代表作のひとつである『刑事コロンボ』など、洋画・海外ドラマの吹き替えを担当した。アニメ『あしたのジョー』のエンディングテーマ「ジョーの子守唄」では歌手を務めた。 東京府豊多摩郡代々幡町(後の東京府東京市渋谷区、現:東京都渋谷区)出身。 学生時代から演劇活動にのめり込み、東京都立青山高等学校在学中は演劇部のキャプテンとして活躍した。 1950年(昭和25年)に文学座付属演劇研究所に入所。1951年の文学座アトリエ公演、飯沢匡・作『崑崙山の人々』にて初舞台を踏んだ。
笹山 栄一(ささやま えいいち、1931年3月13日 - 2… 笹山 栄一(ささやま えいいち、1931年3月13日 - 2022年3月15日 )は、日本の俳優、声優。三重県出身。 劇団東演所属。日本大学芸術学部卒業。1952年11月、新演劇研究所に入所し、1958年12月まで在籍。1959年4月、劇団東演(旧:東京演劇ゼミナール)の創設に参加。劇団と並行して東京俳優生活協同組合に所属していた時期もある。
天知 茂(あまち しげる、1931年〈昭和6年〉3月4日 -… 天知 茂(あまち しげる、1931年〈昭和6年〉3月4日 - 1985年〈昭和60年〉7月27日)は、日本の俳優・歌手。本名は臼井 登(うすい のぼる)。別名はペンネームの宇寿木 純と臼井 暢浩。芸名はファンである中日ドラゴンズの天知俊一監督と杉下茂投手が由来。 愛知県名古屋市出身。東邦商業学校卒業。 旗本・水野十郎左衛門の子孫で、家は旧尾張藩士であった。高校卒業後、1949年に松竹へ。大部屋俳優以下の仕出し扱いであった。2年間、通行人などをこなしたが解雇される。 1951年、第一期新東宝スターレットに選ばれ入社。同期には左幸子、久保菜穂子、高島忠夫、三原葉子、松本朝夫、小笠原弘らがいた。同期の新人が次々と主演に抜擢される中、ここでもほとんど仕出し扱いで、最初の2年間は給料わずか5千円、兄からの仕送りがなければ暮らせなかった。
藤木 悠(ふじき ゆう、1931年3月2日 - 2005年1… 藤木 悠(ふじき ゆう、1931年3月2日 - 2005年12月19日)は、日本の俳優。東京府荏原郡荏原町(現・東京都品川区)出身の大阪府大阪市西成区育ち。身長180cm。血液型A型。趣味・特技はフェンシング。本名は鈴木 悠蔵(すずき ゆうぞう)。
宮部 昭夫(みやべ あきお、1931年2月26日 - 200… 宮部 昭夫(みやべ あきお、1931年2月26日 - 2006年6月17日)は、日本の男性俳優、声優。北海道函館市出身。 北海道函館市出身で、父は文部省に務めており、父の再婚相手の母は島根県松江市に在住しており、小学3年生まで松江市に過ごしていた。父が東京都に転勤になり、その後は東京都で過ごしていた。 当初は医学部を目指して慶應義塾大学といった大学の入学試験に受けたが、不合格になり、父に「じゃあ先生になれ」と言われて東京学芸大学に進学。旧制中学校時代から演劇を始め、当時同大学になかった演劇部を創設している。大学卒業後、半年間は母校だった小学校で教員として就職していたが、芝居がしたかったこともあり、親には猛反対されたが、退職する。
日下 武史(くさか たけし、1931年〈昭和6年〉2月24日… 日下 武史(くさか たけし、1931年〈昭和6年〉2月24日 - 2017年〈平成29年〉5月15日)は、日本の俳優、声優である。本名は日下 孟。東京都豊島区出身。劇団四季の創設者のひとり。身長168cm。体重60kg。愛称は「ギョブツ」。 2年遅れで慶應義塾普通部に入学、老け顔だったため「御仏」(ぎょぶつ)とあだ名された。慶應義塾高等学校在学中に浅利慶太と出会い、当時同校の英語教師だった劇作家の加藤道夫に師事したことが機縁となって演劇の道を志す。実際の演劇活動は慶應義塾大学文学部仏文科在学中からである。1953年、経済的理由もあって慶應大学を2年で中退し、同じ仏文科の浅利慶太、水島弘、藤野節子、井関一らと劇団四季を結成する。
高倉 健(たかくら けん、英︰Ken Takakura、19… 高倉 健(たかくら けん、英︰Ken Takakura、1931年(昭和6年)2月16日 - 2014年(平成26年)11月10日)は、日本の俳優・歌手。本名は小田 剛一(おだ たけいち)(または小田 敏政)、だが晩年は親族に剛一郎(ごういちろう)と名乗った。高倉プロモーション所属。 福岡県中間市出身。1998年(平成10年)に紫綬褒章・2006年(平成18年)に文化功労者・2013年(平成25年)には文化勲章を受章した。 1931年(昭和6年)2月16日(月曜日)、筑豊炭田にある福岡県中間市 の裕福な一家に生まれる。4人きょうだいの次男で、上2人は息子、下2人が娘であった。父の小田敏郎は大日本帝国海軍の軍人で、戦艦「比叡」乗り組みなどを経て 炭鉱夫の取りまとめ役(労務管理者)などをしていた。
田村 保(たむら たもつ、1931年2月8日 - )は、福井… 田村 保(たむら たもつ、1931年2月8日 - )は、福井県福井市の俳優。本名は田村 正義。 京都府立東舞鶴高等学校卒業。東京映画俳優協会研究所出身。松竹、劇団三期会を経て、1966年9月、劇団青年座に入団。 1950年代から1970年代にかけ、映画・テレビドラマに端役として出演。
舟橋 元(ふなばし げん、1931年2月3日 - 1974年… 舟橋 元(ふなばし げん、1931年2月3日 - 1974年9月17日)は、日本の俳優。本名:舟橋 澄。新東宝映画での活躍をはじめ、テレビ時代劇『新選組血風録』『燃えよ剣』の近藤勇役としても知られる。 北海道帯広市生まれ。1948年、法政大学予科在学中に、東横映画(東映の前身)の第1回ニューフェイスに合格、大学を中退して入社し、『月光城の盗賊』でデビューした。退社後は文化放送のラジオドラマなどでキャリアを積む。 劇団ひばり座を経て1950年に、東映東京撮影所の大泉演劇協団に入り、『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』に出演する。1952年、佐分利信に見出され、佐分利監督による『人生劇場』において青成瓢吉役を演じて注目された。
小瀬 格(おせ いたる、1931年〈昭和6年〉1月21日 -… 小瀬 格(おせ いたる、1931年〈昭和6年〉1月21日 - 1995年〈平成7年〉8月30日)は、日本の俳優。本名は佐藤 格。 東京都出身。東京都立新宿高等学校、早稲田大学文学部卒業。文学座に所属していた。 昭和30年に劇団・文学座に入団。 福田恆存の『キティ颱風』で初舞台。その後は『握手握手握手』『華岡青洲の妻』『好色一代女』などに出演。
菅 登未男(すが とみお、1931年1月17日 - )は、日… 菅 登未男(すが とみお、1931年1月17日 - )は、日本の俳優・タレント。宮崎県出身。所属事務所はGMBプロダクション。シニアタレントとして数多くのテレビ番組・CM・プロモーションビデオなどに出演。身長155cm。かつては麗タレントプロモーション、ジンズ・キャストに所属していた。 CM制作会社太陽企画株式会社にて清掃員として勤務。職務中に個性的なキャラクターが某ディレクターの目に留まり、2001年にマツモトキヨシのCMに出演が決まる。70歳でのデビューであった。 2005年より『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に「ピカデリー梅田」として準レギュラー出演していたことで知られる(初登場は次長課長河本準一の七変化コーナー。
伊海田 弘(いかいだ ひろし、1931年1月8日 - 199… 伊海田 弘(いかいだ ひろし、1931年1月8日 - 1997年10月24日)は、日本の俳優である。1967年(昭和42年) - 1972年(昭和47年)の一時期、二階堂 浩(にかいどう ひろし)と名のった時期がある。東宝資料室では伊海田 宏と表記されている。テッサロニキ国際映画祭等に出品されて再評価される『㊙湯の街 夜のひとで』(監督渡辺護、1970年)に「トリ金」役で出演しているほか、テレビドラマ『スーパーロボット レッドバロン』(1973 - 1974年)の「デビラー総統」役、『スーパーロボット マッハバロン』(1974年 - 1975年)の「ララーシュタイン」役で知られる。 1931年(昭和6年)1月8日、新潟県北蒲原郡(現・阿賀野市)に生まれる。
明石 一(あかし はじめ、1930年12月7日 - )は、日… 明石 一(あかし はじめ、1930年12月7日 - )は、日本の元男性声優、元俳優、元ナレーター。本名・別名:明石 速男(あかし はやお)。 東京府南多摩郡小宮町(現・東京都八王子市)出身。 ラジオ東京放送劇団(後のTBS放送劇団)2期生。劇団と並行してりんどうプロに所属していた時期もある。 東京都立石神井中学校卒業。慶應通信教育図書、東京農工大学事務局で働きながら舞台芸術学院で学ぶ。1952年5月にラジオ東京放送劇団に入団。1958年5月にラジオ東京の番組には優先して出演し、それ以外の番組への出演は局側の許可を得て出演するという契約を結び、1年ごとに更新していた。 主にナレーターとして活躍していた。
滝田 裕介(たきた ゆうすけ、1930年11月29日 - 2… 滝田 裕介(たきた ゆうすけ、1930年11月29日 - 2015年5月3日)は、日本の俳優、声優。本名:滝田 進(たきた すすむ)。旧芸名・別名は滝田 祐介。東京府荏原郡世田ヶ谷町北沢(現・東京都世田谷区北沢)出身。以前は劇団俳優座に所属していた。 東京都立戸山高等学校卒業。早稲田大学の演劇科を中退後、1953年に劇団俳優座の養成所2期生となりデビュー。同期には小林昭二、佐竹明夫、武内亨、土屋嘉男、横森久などがいる。1956年から1964年にかけて出演したテレビドラマ『事件記者』で人気を博した。『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』などの時代劇では悪役を演じることが多かったが、のちに善人役を演じる機会が増えた。
牧 冬吉(まき ふゆきち、1930年11月28日 - 199… 牧 冬吉(まき ふゆきち、1930年11月28日 - 1998年6月27日)は、日本の俳優。本名、岡村 信行。 秋田県大館市出身。秋田県立大館鳳鳴高等学校卒業。松竹芸能に所属していた。 父は公務員で、四男二女の次男。高校卒業後、舞台芸術学院に入学する。1951年に舞台芸術学院を中退し「前進座」に入座。その後、舞台芸術学院の仲間と劇団「舞芸座」を創設し、シェークスピア劇などを演じるが生活は苦しく、アルバイトに明け暮れていた。この間に監督の船床定男と知り合い、宣弘社制作のテレビドラマ『豹の眼』(KRテレビ)の敵役「殺し屋ジョー」役でテレビドラマにデビューする。引き続き同社制作の『快傑ハリマオ』でも敵役を演じる。
松江 陽一(まつえ よういち、1930年(昭和5年)10月2… 松江 陽一(まつえ よういち、1930年(昭和5年)10月26日 - 2019年)は、日本の俳優、映画プロデューサー、舞台制作者。 石川県生まれ。1955年、東京大学法学部卒業。 1955年「東宝ニューフェイス」に合格し入社。同年、小田基義の『ゴジラの逆襲』に同期の中丸忠雄と共に俳優としてデビューし端役で出演する。イタリアのチネチッタでの留学中に黒澤明と知り合う。帰国後、東宝で黒澤の『隠し砦の三悪人』から『赤ひげ』までの作品に助監督として参加(『用心棒』は除く)。 1958年12月、詩人の吉原幸子と結婚。一児をもうけたのち、1962年2月に離婚。 1966年、東宝を退社して俳優引退、映画・舞台制作会社『41工房(アトリエ41)』を設立。
杉田 康(すぎた こう、1930年10月23日 - )は、日… 杉田 康(すぎた こう、1930年10月23日 - )は、日本の元俳優、華道家。東京市小石川区春日町(現:東京都文京区)出身。本名は杉田 康恕(すぎた やすのり)。 旧制浦和中学校(現:埼玉県立浦和高等学校)、埼玉県立浦和高等学校、早稲田大学卒業。 大学で演劇と出会い、卒業と同時に俳優として大映東京撮影所に入社し、15年間映画やテレビドラマで活躍した。1972年、華道家である父・先代六世香翠より七世を継承。俳優から華道家に転身、桂古流・桂流の家元となる。日本いけばな芸術協会参与、さいたま市いけばな芸術協会会長、埼玉県いけばな連合会理事長を務める。 ※『ブルークリスマス』、『THWAY 血の絆』以外大映作品。
中谷 一郎(、1930年10月15日 - 2004年4月1日… 中谷 一郎(、1930年10月15日 - 2004年4月1日)は、日本の俳優。本名は中村 正昭(なかむら まさあき)。北海道札幌市出身。妻は俳優座の女優・美苗。 北海道立札幌第一高等学校(現・北海道札幌南高等学校)卒業。早稲田大学第一文学部仏文学科を中退。 親友から「新劇を受けたらどうだ」と助言を受け、演劇の道を志す。 1952年に俳優座養成所に第4期生として入所。同期には仲代達矢・宇津井健・佐藤慶・佐藤允らがいる。なお、このうち佐藤允、仲代、中谷の3人は、後年岡本喜八監督作品の常連として喜八一家と呼ばれるようになり、佐藤慶も2本の岡本作品に出演している。舞台のみならず、映画・テレビで存在感のある脇役として活躍した。
有川 正治(ありかわ まさはる、1930年10月13日 - … 有川 正治(ありかわ まさはる、1930年10月13日 - )は、日本の俳優。京都市出身。東映京都撮影所所属。本名同じ。 京都府京都市北区紫竹生まれ。出生前に父親が死去し、養家の「有川」姓を名乗る。1949年、京都府立機械工業学校を卒業。1951年に立命館大学経済学部を中退した後は養父経営の牧場で働いていたが、俳優志望だった甥のマネージャーになるつもりで29歳の時に東映京都撮影所へ入社。甥は外交官を目指して先に俳優を辞めたものの、有川は入社3年目頃から台詞つきの役を与えられるようになり、以降、大柄な体格と強面の風貌を活かして悪役を中心に東映京都制作の時代劇映画や任侠映画、テレビ時代劇などで50年近くに渡って活躍した。
横山 あきお(よこやま あきお、本名:横山 孝信、旧芸名:青… 横山 あきお(よこやま あきお、本名:横山 孝信、旧芸名:青空あきお・横山あきを、1930年9月26日 - 2014年6月20日)は、日本の俳優、コメディアン。最終所属は優企画。 富山県富山市出身。日本大学芸術学部中退。 元は映画監督志望で上京し、大空ヒットに師事。 最初は兄弟子の大空はるか(後のケーシー高峰)と「大空はるか・かなた」を組み、そこそこ売れたが、長続きせずに解散。次いで兄弟子の大空曇天、大空かんだとコンビを組み「大空はるか・かなた」を継続させたが、大空ヒットから破門される。 コロムビア・トップの青空一門に移籍して青空はるおと「青空はるお・あきお」を結成。1967年『NHK漫才コンクール』で優勝し、その実力を認められた。
佐野 哲也(さの てつや、1930年9月13日[要出典] -… 佐野 哲也(さの てつや、1930年9月13日[要出典] - 1983年2月9日)は、日本の俳優。東京都出身。立教大学卒業[要出典]。劇団手織座に所属していた。 1981年、舞台「楢山節考」で芸術祭賞奨励賞を受賞。 1982年、「楢山節考」の名古屋公演中に倒れ、1983年2月9日に死去。52歳没。
外山 高士(とやま たかし、1930年〈昭和5年〉9月5日 … 外山 高士(とやま たかし、1930年〈昭和5年〉9月5日 - 2022年〈令和4年〉8月28日)は、日本の俳優・声優。 拓殖大学商学部貿易学科卒業。在学中は新聞部で大学の先輩である佐佐木隆を取材したのが機縁となり、劇団文化座に入る。1952年に同劇団の『陽気な地獄』で初舞台。中里事務所に所属していた。 『怪傑黒頭巾』で正義役をしていたが、その後は時代劇で悪代官・悪徳商人、現代劇でも悪役を中心に出演した。一方で『燃えよ剣』の伊東甲子太郎、刑事ドラマ『西部警察 PART-III』の第9話「白銀に消えた超合金X! -福島・前篇-」では善人役の冷静に状況説明する科学者など、悪役に限らず演じている。 吹き替えにおいては日本で初めての吹き替え海外ドラマ『ロビンフットの冒険』で主人公のロビンフット役を担当。
藤岡 琢也(ふじおか たくや、1930年〈昭和5年〉9月4日… 藤岡 琢也(ふじおか たくや、1930年〈昭和5年〉9月4日 - 2006年〈平成18年〉10月20日)は、日本の俳優、声優。 兵庫県姫路市出身。身長165cm、体重71kg。兵庫県立姫路西高等学校卒業、関西学院大学文学部中退。 1930年、姫路市にて会社員の父・憲一の第一子として誕生。当時としては裕福な家庭に育ち、成績は優秀だった。 旧制姫路中学校(現:兵庫県立姫路西高等学校)から広島陸軍幼年学校に進学するが、終戦により姫路中に復学後、関西学院高等部に編入。慶応義塾大学への進学を志望していたが、不合格となり明治大学商学部に進学するも父親の意向で関西学院大学に移り、翌年に結核を患い中退。 1953年、関西学院大学文学部社会学科に再入学。
ギリヤーク尼ヶ崎(ギリヤークあまがさき、1930年8月18日… ギリヤーク尼ヶ崎(ギリヤークあまがさき、1930年8月18日 - )は、北海道函館市出身の日本の大道芸人、舞踏家、俳優。本名は尼ヶ崎 勝見(あまがさき かつみ)。芸名の由来は自身の風貌が樺太の少数民族であるギリヤーク(近年はニヴフと呼ばれる)に似ていることから。
人見 きよし(ひとみ きよし、1930年8月1日 - 198… 人見 きよし(ひとみ きよし、1930年8月1日 - 1985年5月22日)は、秋田県出身の俳優、コメディアン。本名は五十嵐 孝治。 1948年、森川信一座に入り、関西中心に喜劇で活躍。その後、朝日放送のドラマ『びっくり捕物帖』でテレビ初出演。1961年放送の『スチャラカ社員』では「ほんと、ちい〜とも知らなかったわァ」が流行語になった。『てなもんや三度笠』などに出演。その後テレビ、映画、吉本新喜劇などの舞台に数多く出演。時代劇や刑事ドラマでは、コミカルな役や普段のイメージとは違う悪役を多く演じた。家庭での素顔は子煩悩で優しい父親だったという。 1985年5月20日朝6時頃、自宅トイレで吐血して倒れているところを家族に発見される。
高島 忠夫(たかしま ただお|1930年〈昭和5年〉7月27… 高島 忠夫(たかしま ただお|1930年〈昭和5年〉7月27日 - 2019年〈令和元年〉6月26日)は、日本の俳優、歌手、タレント、司会者、映画解説者。東宝芸能最終所属。 兵庫県神戸市東灘区御影出身。本名は髙嶋 忠夫(読み同じ)。血液型はO型。 4人姉妹弟の長男。妻は女優でタレントの寿美花代。息子は俳優の髙嶋政宏と髙嶋政伸。弟は音楽プロデューサーの髙嶋弘之。姪はバイオリン奏者でタレントの高嶋ちさ子。 兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区御影)で、姉妹弟のいる4人姉弟の長男として出生。祖父は大地主で不動産収入があり、そのため父は琵琶師匠を自称していたが弟子もおらず、生涯定職につくことのない有閑階級の家庭であった。
左右田 一平(そうだ いっぺい、1930年7月10日 - 2… 左右田 一平(そうだ いっぺい、1930年7月10日 - 2012年2月10日)は、日本の俳優。北海道札幌市出身。血液型はA型。本名は廣田 信夫(ひろた のぶお)。劇団中芸、東京芸術座、東京俳優生活協同組合を経て、最終所属はたむらプロ。舞台芸術学院卒業。 高校卒業後に兄を頼って上京。1955年に劇団中芸入団。1959年に東京芸術座が誕生すると団員の一人となる。東京芸術座の舞台やテレビ、映画で活躍した。1979年に京都市民映画祭でテレビ部門男優賞を受賞。 結束信二作品の常連的存在で、『忍びの者』から『燃えよ剣』までの全ての作品に出演していた。特にテレビ時代劇『用心棒』シリーズは、左右田のみ同じ品田万平役でシリーズ4作全て出演した。
戸浦 六宏(とうら ろっこう、1930年(昭和5年)4月30… 戸浦 六宏(とうら ろっこう、1930年(昭和5年)4月30日 - 1993年(平成5年)3月25日)は、日本の俳優・声優。大阪府大阪市出身。本名は東良 睦宏(とうら むつひろ)。 代表作に『藪の中の黒猫』・『竹山ひとり旅』・『沈黙 SILENCE』・『とべない沈黙』など。 ライター・編集者・AV監督の東良美季は息子(次男)。 旧制・上宮中学校(現在の上宮高校)を経て京都大学に進学する。 京都大学文学部英文学科在学中から演劇志望であり、大学内の劇団「風波」で活動していた。映画監督の野田幸男も、在学中に同劇団に参加している。また、同窓生の大島渚らと学生運動にも参加していた。 大学卒業後は大阪高等学校で英語教師とラグビーフットボール部顧問をしながらセミプロの劇団活動を行っていた。
奥村 公延(おくむら こうえん、1930年〈昭和5年〉3月3… 奥村 公延(おくむら こうえん、1930年〈昭和5年〉3月31日 - 2009年〈平成21年〉12月24日)は、日本の俳優。本名及び旧芸名は奥村 進。 秋田県出身。専修大学卒業。東京俳優生活協同組合、芳賀事務所、現代制作舎に所属していた。映像制作事業オミプロの主催者の小美濃たつやは彼の弟子にあたる。 もともとは普通に勤め人をしていて、「このまま自分は淡々とした人生を送って行くんだろうなと思っていた」という。1955年、銀座にたまたま行きつけの飲み屋があり、ここの女性従業員が新劇劇団「近代劇場」のプロデューサーと知り合いだったことから、このプロデューサーからテレビ番組の『ダイヤル110番』(日本テレビ)での役探しを頼まれ、奥村を紹介したところ、これが俳優デビューとなった。
中 庸助(なか ようすけ、本名:中島 和男、1930年(昭和… 中 庸助(なか ようすけ、本名:中島 和男、1930年(昭和5年)3月30日 - )は、日本の俳優・声優。千葉県出身。マウスプロモーション所属。旧芸名:中 庸介。
堺 勝朗(さかい かつろう、1930年3月27日 - 201… 堺 勝朗(さかい かつろう、1930年3月27日 - 2012年12月10日)は、日本の元俳優、元映画監督である。初期には本名の坂井 勝利(さかい かつとし)で活動した時代もある。坂井 勝朗、堺 克郎といった表記も初期にはあった。軽演劇と独立系成人映画における喜劇俳優として知られる。 1930年(昭和5年)3月27日、埼玉県北足立郡川口町(現在の同県川口市)に生まれる。堺が3歳を迎えた1933年(昭和8年)4月1日に同地域は川口市になった。幼少時に両親と死別し、『ザ・ロケーション』の津田一郎によれば、堺は「強い姉に育てられた」と述懐したという。 第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)4月、旧制・川口市立川口中学校(1951年県に移管されて埼玉県立川口高等学校)に進学したが、中途退学した。
伊原 徳(、1930年〈昭和5年〉3月27日 - )は、日本… 伊原 徳(、1930年〈昭和5年〉3月27日 - )は、日本の元俳優である。 1930年(昭和5年)3月27日、広島県広島市に生まれる。国立音楽学校卒業。 三及社(灰田兄弟事務所)を経て、1947年(昭和22年)に新東宝(現在の国際放映)へ入社。その後、1950年(昭和25年)には東宝の専属俳優となる。 1954年(昭和29年)に公開された黒澤明監督映画『七人の侍』で映画デビュー。以後、サラリーマンもの、東宝特撮、時代劇等ジャンルを問わず数多くの映画に出演した。東京俳優生活協同組合に所属していた時期もある。 1971年(昭和46年)以降、映画出演の記録がない。 東宝の俳優であった中島春雄は、伊原についておとなしくて真面目な印象であったと述懐している。
高橋 昌也(たかはし まさや、1930年〈昭和5年〉3月16… 高橋 昌也(たかはし まさや、1930年〈昭和5年〉3月16日 - 2014年〈平成26年〉1月16日)は、日本の俳優、演出家。 『幸せの背くらべ』で1996年の読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞。2004年の映画『透光の樹』の演技で第14回日本映画批評家大賞助演男優賞を受賞。 東京府出身。東京都立第四中学校(東京都立戸山高等学校)卒業。俳優座養成所卒業(2期生)。1954年に劇団新人会設立に参加。 1956年に劇団四季に参加。 1961年から文学座へ入団するが、1963年に芥川比呂志、高木均、岸田今日子らと脱退し劇団雲結成に参加。 1975年、劇団の分裂により、演劇集団 円に参加。主に演出家として別役実作品を一手に手掛けた。
柳瀬 志郎(やなせ しろう、1930年〈昭和5年〉2月16日… 柳瀬 志郎(やなせ しろう、1930年〈昭和5年〉2月16日 - 2021年〈令和3年〉1月4日)は、日本の映画俳優。群馬県出身。旧芸名は萩志郎。本名:柳瀬 堅志郎(やなせ けんしろう)。旧姓:萩原。 群馬県前橋市に、のちに群馬県議会議員をつとめる萩原富士太郎の子として生まれる。日本大学芸術科を卒業。 日活ニューフェイス第2期生としてデビュー。石原裕次郎の出世作「嵐を呼ぶ男」で競演し、その洒脱な演技が注目された。1962年の「男と男の生きる街」では、脇役ながら渋い演技を見せた。この作品は、平成時代のヒットドラマ「僕と彼女の生きる道」に色濃く反映されている。 1971年日活を退社してフリーとなる。
相馬 剛三(そうま ごうぞう、1930年2月10日 - 20… 相馬 剛三(そうま ごうぞう、1930年2月10日 - 2004年5月21日)は、日本の俳優。秋田県北秋田郡鷹巣町出身。晩年の所属は株式会社仕事。
ハナ 肇(ハナ はじめ、本名:野々山 定夫(ののやま さだお… ハナ 肇(ハナ はじめ、本名:野々山 定夫(ののやま さだお)、1930年〈昭和5年〉2月9日 - 1993年〈平成5年〉9月10日)は、日本のドラマー、コメディアン、俳優。コミックバンド「ハナ肇とクレージーキャッツ」のリーダーであり、同バンドのドラマーでもある。 東京府北豊島郡(現在の東京都豊島区)長崎町生まれ。工学院土木科(後の工学院大学専門学校)を中退した。1990年10月13日、特選校友として学長より証書を授与され卒業を認められる。 妻は、結婚当時日活のスター女優だった島村葉子。かつて阪神タイガース、埼玉西武ライオンズに在籍した元プロ野球選手の桟原将司は又甥に当たる(ハナの兄が桟原の祖父という関係である)。
田口 精一(たぐち せいいち、1930年2月4日 - 202… 田口 精一(たぐち せいいち、1930年2月4日 - 2025年10月21日)は、日本の俳優。生前は劇団民藝に所属していた。 兵庫県神戸市出身、多摩美大卒。1952年の『巖頭の女』で初舞台を踏んだ。 2025年10月21日午後9時21分、誤嚥性肺炎のため東京都内の病院で死去。95歳没。同月29日に劇団民藝が発表した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
二谷 英明(にたに ひであき、1930年1月28日 - 20… 二谷 英明(にたに ひであき、1930年1月28日 - 2012年1月7日)は、日本の俳優。京都府舞鶴市出身。京都府立東舞鶴高等学校卒業、同志社大学文学部英文学科中退。妻は白川由美。長女は二谷友里恵。 8人兄弟の5番目の三男として生まれる。兄が3人、弟が1人、姉妹が4人いる。父の吉秀は運送業や港湾業、倉庫管理などを営み、海軍舞鶴鎮守府に物を納めるなどしていたが、1937年に亡くなったため母が女手一つで育てた。カトリックの幼稚園に通い、1936年に東舞鶴小学校に入学。1942年、東舞鶴中学校に入学。同志社予科から1947年同志社大学文学部英文学科に入学し、アーモスト館に入寮したが、2年生の時に家計が傾いたため、後に大学を中退した。
生井 健夫(なまい たけお、1930年1月1日 - 2019… 生井 健夫(なまい たけお、1930年1月1日 - 2019年8月29日)は、日本の男性俳優、声優。栃木県日光市出身。生前はプロダクション・タンクに所属。身長166cm、体重80kg。 劇団俳優座2期生。劇団仲間代表。第52回文化庁芸術祭演劇部門優秀賞。 1963年放送のテレビドラマ『戦友』では滝原軍曹役で主演を務めた。 2019年8月29日死去。89歳没。 趣味・特技は書道(50年)師範、オペラ演出。 『特別機動捜査隊』の佐久間刑事など、現代劇では刑事役を演じることが多かった。
宍戸 大全(ししど だいぜん、1929年11月24日 - )… 宍戸 大全(ししど だいぜん、1929年11月24日 - )は、日本のスタントマン・俳優。福島県出身。本名は宍戸 邦博(ししど くにひろ)。映画・テレビドラマの吹き替え(水戸黄門でお馴染みの風車の弥七など)で活躍した。『週刊朝日』1964年7月3日号のインタビューでは、宍戸大全にししどひろやすとルビが振ってある。 1948年、(旧制)福島県立保原中学校 (福島県立保原高等学校) 卒業。 オリンピック選手を目指し日本体育大学に進学するが、練習中に左アキレス腱を痛めてしまい、メルボルンオリンピックへの夢を断念。卒業後は秋田県の女子校である旧大館桂高校の体育教師として生活していた。 大阪の高校で体育教師をやっていた1956年、大映京都撮影所で製作中の長谷川一夫主演『鼠小僧忍び込み控』でケガ人が出たことから、体操の先生なら身軽でスタンド・イン(吹きかえ)によかろうと同作に臨時出演したことを機に大映に入社。
逗子 とんぼ(ずし とんぼ、1929年11月5日 - )は、… 逗子 とんぼ(ずし とんぼ、1929年11月5日 - )は、日本の俳優、コメディアン。 日本大学芸術学部卒業。大学卒業後、新派の地方巡業一座、清水金一一座などで下積み生活を送る。1955年、これで芽が出なかったら廃業することを考えながら、三木鶏郎主宰のトリローグループに参加し、三木門下に入る。芸名も三木が名付けた。芸名はみんなで海水浴に行った時に生まれたという。昭和30年代初め頃(1955年頃)から歌と洋舞とコントの得意な“二枚目半”として活躍。色川武大は彼の風貌をして「万年青年のよう」と評し、その風貌は「どの番組に出ても邪魔にならない」として「各テレビ局がまだ整備されていなかった時代、重量感のある番組が制作出来なかった当時は打って付けのタレントだった」としている。
高松 英郎(たかまつ ひでお、1929年〈昭和4年〉10月2… 高松 英郎(たかまつ ひでお、1929年〈昭和4年〉10月24日 - 2007年〈平成19年〉2月26日)は、日本の俳優。本名は武市 哲郎(たけいち てつお)。高知県長岡郡大篠村(現:南国市)生まれ。早稲田中学卒業。 小学校教員の息子として誕生。幼少時に東京都杉並区に移り、1947年に早稲田中学卒業、鎌倉アカデミア演劇科に入学。在学中は舞踏家檜健次のもとで創作舞踊を学び、鎌倉アカデミアの講師の推薦で1951年、大映東京撮影所に「第5期ニューフェイス」として入社。 1953年に『怒れ三平』にて若尾の恋人役でスクリーンデビュー。初期は恋愛映画への出演が多かったが、徐々に悪役で持ち味を発揮。『巨人と玩具』で猛烈サラリーマン役を演じて注目を浴びた。