盛風力 秀彦(せいふうりき ひでひこ、1967年3月11日 … 盛風力 秀彦(せいふうりき ひでひこ、1967年3月11日 - )は、青森県西津軽郡稲垣村(現・つがる市)出身で押尾川部屋に所属した元大相撲力士。本名は佐藤 秀彦(さとう ひでひこ)。身長184cm、体重131kg、得意手は左四つ、寄り、上手投げ。最高位は西十両12枚目(1992年3月場所)。 相撲を始めた小学校4年生時点ですでに身長170センチあり地元の相撲大会で次々と優勝し、稲垣村立稲垣中学校では全国大会に出場した。中学時代は山中勝巳(のちの関脇・安芸乃島)が佐藤のライバルと目されていた。高校や複数の相撲部屋からのスカウトの中から親方自らが真っ先に佐藤家を訪れた押尾川部屋を選び、中学卒業と同時に入門した。
床岳(とこたけ、1967年2月10日 - )は、大相撲の床山… 床岳(とこたけ、1967年2月10日 - )は、大相撲の床山。本名は増山岳生。栃木県鹿沼市出身。九重部屋所属。現在一等床山を務めている。
大若松 好弘(おおわかまつ よしひろ、1966年11月17日… 大若松 好弘(おおわかまつ よしひろ、1966年11月17日 - )は、埼玉県越谷市出身で大鵬部屋に所属した元大相撲力士。本名は若松 好弘(わかまつ よしひろ)。身長188cm、体重158kg。得意手は左四つ、上手投げ。最高位は東前頭13枚目(1991年1月場所)。 中学時代はテニス部に所属していた。その頃から体が大きかったため、中学2年の時に父親の知人から、大鵬親方(元横綱・大鵬)を紹介され入門を決意。中学卒業と同時に大鵬部屋に入門し、1982年3月場所に初土俵を踏んだ。苗字が年寄株「若松」と同じであったため、苗字に「大」を付けて大若松の四股名を名乗ることとなった。以降、幕下でやや苦労したものの着実に番付を上げて行き、1988年9月場所には十両に昇進した。
床仁(とこじん、1966年9月24日 - )は、大相撲の床山… 床仁(とこじん、1966年9月24日 - )は、大相撲の床山。本名は熊西一郎。東京都葛飾区出身。現在荒汐部屋所属(所属部屋履歴は宮城野部屋→高島部屋→春日山部屋→追手風部屋→中川部屋→荒汐部屋)。現在一等床山を務めている。
大翔山 直樹(だいしょうやま なおき、1966年7月7日 -… 大翔山 直樹(だいしょうやま なおき、1966年7月7日 - )は、石川県鳳至郡(現在の鳳珠郡)穴水町出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は山崎 直樹(やまざき なおき)。現役時代の体格は身長181cm、体重181kg。血液型B型。得意手は右四つ、寄り、下手投げ。最高位は東前頭2枚目(1991年7月場所)。現在は、年寄・追手風。追手風部屋師匠。 初代大翔山。金沢高等学校時代にはインターハイ準優勝、日本大学3年時にアマチュア横綱、4年時に学生横綱を獲得、各部屋の争奪戦となり一時は藤島部屋入りが決まりかけたが、同郷の中川親方(前2・清惠波)による引退後の身分保証が決め手となり、清惠波が部屋付きだった立浪部屋へ入門した。
前進山 良太(ぜんしんやま りょうた、1966年4月22日 … 前進山 良太(ぜんしんやま りょうた、1966年4月22日 - )は、神奈川県横浜市出身で高田川部屋に所属した元大相撲力士。本名は秋元 良太(あきもと りょうた)。身長180cm、体重141kg。得意手は突き、押し。最高位は東十両2枚目(1992年7月場所)。現在は若者頭・前進山、血液型はB型。 横浜高校時代は野球部に所属していた。相撲経験はなかったが、知人の紹介で高校を中退し高田川部屋に入門。1982年11月場所で初土俵を踏んだ。序ノ口時代には押し相撲とも四つ相撲と言えない相撲を取っており苦労したが、四股名を「前進山」と改名してからは「名は体を表す」かのように突き押し相撲一本に絞り、それから安定した成績を残していった。
羽黒海 憲司 (はぐろうみ けんじ、1966年4月22日 -… 羽黒海 憲司 (はぐろうみ けんじ、1966年4月22日 - 2019年11月3日)は、大阪府高槻市出身の元大相撲力士。戸籍名は田中 憲二(たなか けんじ)(旧姓:津熊)。血液型はB型。 引退後は立浪部屋に残って世話人として活動した。 1966年4月22日に大阪府高槻市で生まれる。1983年9月場所において立浪部屋から初土俵を踏み、関取昇進は果たせなかったものの幕下以下を20年も長く務め、2003年11月場所を最後に現役を引退した(番付には2004年1月場所まで記載された)。引退後は日本相撲協会に残留し、この時に定員が8名から13名に増加された世話人に就任した。2004年2月中旬にはホテルニューオータニで断髪式が行われた。
春日富士 晃大(かすがふじ あきひろ、1966年2月20日 … 春日富士 晃大(かすがふじ あきひろ、1966年2月20日 - 2017年3月9日)は、宮城県牡鹿郡牡鹿町(現在の石巻市)出身(以前は神奈川県川崎市川崎区)で春日山部屋(後に安治川部屋)に所属した元大相撲力士。本名は岩永 祥紀(いわなが しょうき)。現役時代の体格は177cm、144kg。最高位は東前頭筆頭(1990年1月場所)。得意手は突き、押し。血液型はO型。 引退直後は年寄・春日山 として春日山部屋の師匠だったが、2012年2月29日付けで「雷」に名跡変更し、春日山部屋付き親方として後進を指導していた。同年9月20日付けで日本相撲協会を退職。理由は、「一身上の都合」としている。 宮城県牡鹿町の生まれであるが、5歳の時に神奈川県川崎市に引っ越す。
琴冠佑 源正(ことかんゆう もとまさ、1966年2月2日 -… 琴冠佑 源正(ことかんゆう もとまさ、1966年2月2日 - )は、北海道新冠郡新冠町出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は西尾 源正。得意手は左四つ、寄り。 1966年に北海道でサラブレッドの名産地でもある牧場を営む家に生まれる。新冠中学校時代はサッカー部に所属して入門前の相撲経験は無かったが、中学校卒業と同時に佐渡ヶ嶽部屋へ入門、1981年3月場所に初土俵を踏んだ。1990年の夏、部屋近くの路上を自転車で走行中にオートバイと接触して右大腿部を骨折、3場所連続で休場した。この怪我に悩まされて成績が伸び悩んだ時期もあったが、懸命な努力で1996年1月場所に初土俵から所要89場所、当時史上1位のスロー記録で十両に昇進した。
重夫(しげお、1966年(昭和41年)1月25日 - )は、… 重夫(しげお、1966年(昭和41年)1月25日 - )は、大相撲の呼出。九重部屋所属、滋賀県野洲市出身、本名は谷口卓美(たにぐち たくみ)。現在は三役呼出を務めている。 中学3年の2月、体格の良い友達の元に北の富士がやって来る予定だと聞いたので、北の富士に会おうとその子の家に遊びに行った。その子は力士になる気などさらさらなく、谷口少年の方が相撲に興味があり、谷口少年は北の富士にいろいろと質問をぶつけた。すると北の富士から博識さを買われ、呼出になるように勧誘を受けた。既に私立高校へに合格していたため最初は勧誘を社交辞令だと受け止めていたが、その後も連絡が北の富士から来るので悩んだ末に1度東京で勝負しようかと決断した。
北勝鬨 準人(きたかちどき はやと、1966年1月1日 - … 北勝鬨 準人(きたかちどき はやと、1966年1月1日 - )は、北海道帯広市大空町出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は久我 準人(くが はやと)。身長183cm、体重148kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は西前頭3枚目(1994年3月場所)。好物は卵焼き、趣味はサッカー観戦。現在は年寄・伊勢ノ海。 帯広市立大空中学校ではサッカー部に所属し、ゴールキーパーを務めた。卒業後北海道帯広柏葉高等学校(定時制)に入学するも受験の失敗を理由に我慢できず、1ヶ月で中退し伊勢ノ海部屋に入門した。1981年5月場所に初土俵を踏んだ。同期生には元関脇の若翔洋で現在は格闘家の馬場口洋一(元WAKASHOYO)がいる。
秀ノ海 渡累(ひでのうみ わたる、1965年11月20日- … 秀ノ海 渡累(ひでのうみ わたる、1965年11月20日- )は、大阪府貝塚市出身で三保ヶ関部屋の元大相撲力士。本名は、前田 渡(まえだ わたる)。188cm、229kg。最高位は西十両9枚目(1992年11月場所)。得意技は右四つ、寄り。血液型はB型。 貝塚市立第二中学校ではサッカー部に所属した。中学校卒業後は煉瓦工場で勤務したり、実家のスクラップ業を手伝ったりと数々の仕事をしたが、得意先の新川電工舎の社長に入門を勧められ、当初は入門する気はなかったが、三保ヶ関部屋に遊びに行くと気が変わってきたので、何となく入門した。1985年5月場所に初土俵。幕下までは良かったがその後腰を痛めて1年間棒に振る。
栃相模 久(とちさがみ ひさし、1965年〈昭和40年〉11… 栃相模 久(とちさがみ ひさし、1965年〈昭和40年〉11月17日 - )は、春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は谷本 久(たにもと ひさし)。神奈川県茅ヶ崎市出身。最高位は東幕下筆頭(1991年(平成3年)7月場所)。身長185cm、体重151kg。 1981年(昭和56年)春日野部屋に入門、3月場所で初土俵を踏む。同じ春日野部屋から栃司もこの場所、幕下付出で初土俵を踏んだ。入門から2年半は序二段に留まり、1983年(昭和58年)11月場所で三段目に昇進。「栃相模」に改名後の1985年(昭和60年)11月場所で幕下に昇進。三段目に落ちたりしたが、1990年(平成2年)11月場所で7回目の幕下に昇進してから勝ち越しを続け、1991年(平成3年)3月場所で初の幕下一桁(西9枚目)に上がり、ここでも5勝2敗と勝ち越し、翌5月場所西2枚目に上がった。
旭里 憲治(あさひさと けんじ、1965年11月9日 - )… 旭里 憲治(あさひさと けんじ、1965年11月9日 - )は、大阪府池田市出身で大島部屋に所属した元大相撲力士。本名は増田 憲治(ますだ けんじ)。身長187cm、体重140kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。趣味は睡眠、カラオケ、野球。最高位は東前頭14枚目(1990年7月場所)。 現在は、年寄・中川。元中川部屋師匠。 小学校4年生から中学校1年生までは野球をやっており、4・5年生の時はエースだった。中学2年からは柔道部に所属。その頃から力士を志し、3月場所が開催される大阪府立体育会館の関係者から大島部屋を紹介された。池田市立池田中学校卒業と同時に大島部屋に入門。1981年3月場所で初土俵を踏んだ。
琴別府 要平(ことべっぷ ようへい、1965年10月17日 … 琴別府 要平(ことべっぷ ようへい、1965年10月17日 - )は、大分県別府市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属していた元大相撲力士。最高位は東前頭筆頭(1995年3月場所)。得意手は突き、押し。現役時代の体格は178cm、193kg。本名は三浦 要平(みうら ようへい)。通称は要平さんなど。血液型はB型。 実家は別府市内の豆腐店で、父は別府市議会議員を務めた三浦俉士。別府市長から佐渡ヶ嶽部屋を紹介された際に母から送り出され、1981年3月場所初土俵。以降順調に番付を上げ1989年7月場所に十両に昇進した。しかし、その場所中に風邪をこじらせ急性腎炎に罹り途中休場を余儀なくされた。尿毒症も併発し一時は生命すら危ぶまれ、人工透析が必要となる寸前であったが、奇跡的に後遺症も残らず回復。
熊翁 博(くまおう ひろし、1965年10月2日 - 199… 熊翁 博(くまおう ひろし、1965年10月2日 - 1997年10月6日)は、埼玉県熊谷市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は佐藤 洋之(さとう ひろゆき)。得意手は押し、諸差し、寄り。身長176cm、体重118kg。最高位は東十両5枚目(1990年11月場所)、血液型はB型。 溶接工の長男で、小学5年生から6年生の間は地元のソフトボールチームに所属して投手兼主将を務めた。熊谷市立別府中学校ではバレーボール部に所属し、3年次には陸上競技にも打ち込んだが、自身は高見山のファンで力士を志願しており、高砂(元横綱・朝潮)にも直接入門志願の手紙を出していた。高砂に部屋の見学に招待されて赴いた後に入門を決意し、中学卒業と同時に高砂部屋に入門。
豊ノ海 真二(とよのうみ しんじ、1965年9月22日 - … 豊ノ海 真二(とよのうみ しんじ、1965年9月22日 - 2021年11月20日)は、福岡県豊前市大字松江出身で、二子山部屋と藤島部屋に所属した大相撲力士。本名は濱田 真二(はまだ しんじ)。最高位は西前頭筆頭(1992年9月場所)。現役時代の体格は190cm、225kg(最重量時は228kgで歴代10位、タイは春日山部屋に所属していた萬華城)で、藤島部屋・二子山部屋一の巨漢だった。得意手は左四つ、寄り、閂。 新十両昇進時から1990年7月場所までは、貴ノ浜真二の四股名であったが、翌9月場所より「豊ノ海真二(豊前の海に因む)」に改名した。 漁業を営む家庭に生まれた。家族の仕事柄上普段から魚を食べて育ち、太い骨格と丈夫な内臓を養った。
駒不動 大助(こまふどう だいすけ、1965年9月15日 -… 駒不動 大助(こまふどう だいすけ、1965年9月15日 - 2025年12月15日)は、富山県富山市出身で放駒部屋(入門時は花籠部屋)に所属した元大相撲力士。本名は新木数人(あらき かずひと)。最高位は西前頭13枚目(1989年9月場所)。身長181cm、体重149kg、得意手は左四つ、寄り、吊り、うっちゃり。趣味はカラオケ。血液型はO型。好物は焼き肉。 小学校ではサッカーをやっていたが、6年生から柔道を始め、富山第一高校に進学してから高校 1年生まで続けたが、柔道部監督が11代花籠(元前頭3・大ノ海)と知り合いだったので、監督に紹介されて花籠部屋へ入門した。1984年1月場所で本名「新木」で初土俵を踏む。
久島海 啓太(くしまうみ けいた、1965年8月6日 - 2… 久島海 啓太(くしまうみ けいた、1965年8月6日 - 2012年2月13日)は、和歌山県新宮市出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は久嶋 啓太(くしま けいた)。身長187cm、体重204kg。得意手は右四つ、寄り、極め出し、小手投げ。最高位は東前頭筆頭。愛称はネッシーにかけた怪物クッシー 新宮市で靴製造販売業を営む家に二男として生まれる。4歳の時に相撲好きである父親の指導で相撲を始めたが、小学校では卓球や陸上を、中学校ではバスケットボールをやっていた。 和歌山県立新宮高等学校へ進学した時は186cm・160kgと堂々たる体格で、1年生から3年生まで3年連続で全国高等学校相撲選手権大会で優勝を果たし、高校3年時には全日本相撲選手権大会でも優勝し、史上初となる高校生でのアマチュア横綱を獲得して、同年齢で中学生横綱を2年連続で獲得した秋本久雄とともに高校卒業後の進路が注目されたが、教員志望で高卒後のプロ入りはせず日本大学への進学を明言した。
山錦 喜章(やまにしき よしあき、1965年5月22日 - … 山錦 喜章(やまにしき よしあき、1965年5月22日 - )は、静岡県伊豆市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は冨安 喜章(とみやす よしあき)(旧姓は山崎)。身長174cm、体重141kg。現在は日本相撲協会営繕部職員。得意技は突き、押し。血液型はB型。最高位は西十両10枚目。 伊豆市立修善寺中学校ではバレーボール部に所属しており、ポジションはセンターセッターを務めた。「お前は野球の選手か力士にしたかった」と日頃から言っていた父親が亡くなったのを機に角界への入門を決意し、元出羽海部屋の力士に出羽海部屋を紹介されたので、中学校卒業後に出羽海部屋に入門した。1981年3月場所に15歳で初土俵を踏む。
木村 晃之助(きむら こうのすけ、本名:小島 俊明(こじま … 木村 晃之助(きむら こうのすけ、本名:小島 俊明(こじま としあき)、1965年4月21日 - )は大相撲の三役格行司である。岩手県一関市出身。九重部屋所属。血液型はO型。 1981年3月場所、木村俊明の名で初土俵。その後、晃之助に改名。 歴代の行司と比べても三本の指に入るほど、立合いには滅法厳しく、手をつかない力士に何度も手つきを促す様子が窺える。 時間いっぱいでの立合い前の姿勢は、他の行司と違い左足を前に出し、右足を後ろにして構えるという独特の所作を持っている。甲高く、リズミカルでテンポのよい、鋭い掛け声が特徴であるが、一時期はゆっくりとした掛け声もあった。十両格の時は高い声も出していて、独特の印象であった。
大岳 宗正(だいがく むねまさ、1965年4月14日 - )… 大岳 宗正(だいがく むねまさ、1965年4月14日 - )は、滋賀県草津市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は横江 英樹(よこえ ひでき)。身長185cm、体重148kg。得意手は押し、左四つ、寄り。最高位は西十両2枚目(1992年3月場所)。血液型はB型。 自動車修理業の長男で、小学校時代には柔道、中学校時代にはサッカーを経験し、スポーツ万能として鳴らした。中学3年のときから相撲を始め、団体で大会に出場して優勝を果たし、高校1年のときに国民体育大会に出場した。時津風部屋の幕下力士が噂を聞いたことにより高校を2年で中退し、1983年3月に時津風部屋に入門した。相撲の経験が豊富だったため順調に出世し1991年1月場所に新十両。
秀ノ花 行秀(ひでのはな ゆきひで、1965年2月10日 -… 秀ノ花 行秀(ひでのはな ゆきひで、1965年2月10日 - )は、山梨県韮崎市出身で放駒部屋(入門時は花籠部屋)に所属した元大相撲力士。本名は菊島 行秀(きくしま ゆきひで)。身長185cm、体重144kg。最高位は東十両5枚目(1988年7月場所)。得意技は右四つ、寄り。 中学卒業後の1980年3月場所に花籠部屋へ入門。輪島に出会ったことがきっかけであり、山梨県からの新弟子自体が少ないことからもそれ以前はまさか自分が入門するとは思っていなかったという。同期生には関脇・琴富士(粂川を経て現・タレント)や幕下付出デビューで同部屋に入門した十両・花嵐(現・プロレスラーの大黒坊弁慶)がいる。入門から約8年後の1988年5月場所で新十両、この場所は11勝4敗の成績で同期生の琴富士と決定戦の末、いきなり新十両優勝を果たす。
旭桜 隆秀(あさひざくら たかひで、1964年12月28日 … 旭桜 隆秀(あさひざくら たかひで、1964年12月28日 - )は、北海道旭川市出身で大島部屋に所属した元大相撲力士。本名は葛西 一雄。最高位は東幕下筆頭。 中学時代は相撲経験がなかったが、立浪部屋から独立したばかりで引退後間もない元大関旭國の大島部屋に入門。1980年3月場所「旭桜」の四股名で初土俵を踏む。当初は順調に番付を上げ、入門から1年半後の1981年9月場所、16歳8ヶ月で幕下に上がり、6勝1敗の成績。何度か三段目に落ちたこともあったが、1984年1月場所では番付をこれまでの自己最高位の東幕下3枚目まで上げた。だが、この場所5連敗と負け越して(最終的には3勝5敗の成績)からその後は負け越しが続き、溶連菌感染症やリウマチ熱により一時序二段まで落ちた。
琴旭基 太造(ことあさき たいぞう、1964年12月4日 -… 琴旭基 太造(ことあさき たいぞう、1964年12月4日 - )は、東京都杉並区出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は角田 博且(かくた ひろかつ)。最高位は東幕下5枚目(1992年9月場所)。最終場所は1998年5月場所。幕下時代の身長176cm、体重133kg。血液型はO型。 堀越高等学校中退。1982年3月場所にて初土俵。同年5月場所より「琴角田」に改名。1984年3月場所より「琴天旭」に改名。1991年9月場所より「琴旭基」に改名。地位的には、1992年にもっとも十両に近づいた。7月場所では全勝すれば昇進が確約される幕下14枚目で初日から5連勝。のちの小結智乃花に2場所連続で黒星をつけるなど勢いがあり、このまま一気に関取昇進か、と周囲の期待も大きかったが、6勝1敗と、あと白星一つ足りなかった。
床好(とこよし、1964年11月29日 - )は、大相撲の床… 床好(とこよし、1964年11月29日 - )は、大相撲の床山。本名は涌井好三。新潟県十日町市出身。時津風部屋所属。現在特等床山を務めている。
床貴(とこたか、1964年11月26日 - )は、大相撲の床… 床貴(とこたか、1964年11月26日 - )は、大相撲の床山。本名は吉本秀樹→篠原秀樹。山口県宇部市出身。現在阿武松部屋所属(所属部屋履歴は二子山部屋→藤島部屋→二子山部屋→貴乃花部屋→阿武松部屋)。元力士で、現在一等床山を務めている。
琴富士 孝也(ことふじ たかや、1964年10月28日 - … 琴富士 孝也(ことふじ たかや、1964年10月28日 - 2025年8月8日)は、千葉県千葉市花見川区出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した大相撲力士、YouTuber。本名は小林 孝也(こばやし たかや)。現役引退後は年寄として後進の指導に務めたが、4年ほどで退職。のちタレント、焼肉店店長に転向するが、2014年に逮捕・起訴され有罪判決が確定。その後、療育の仕事に従事。 身長191cm、103kg(現役力士時代は身長191cm、150kg)。得意手は突っ張り、左四つ、吊り、寄り、上手投げ。最高位は西関脇(1990年7月場所)。 千葉市立幕張中学校出身。1980年3月場所、佐渡ヶ嶽部屋から初土俵を踏んだ。
旭道山 和泰(きょくどうざん かずやす、1964年10月14… 旭道山 和泰(きょくどうざん かずやす、1964年10月14日 - )は、鹿児島県大島郡徳之島町出身(東京都世田谷区三軒茶屋生まれ)で大島部屋に所属した元大相撲力士、元政治家、タレント、実業家。新進党→新党平和→無所属の元衆議院議員(1期)。本名は波田 和泰(はた かずやす)。血液型はO型。実弟は、三役格行司の木村寿之介、元五等呼出の松男(2023年現在でも現役の十両呼出とは別人)。2015年に帝拳ジムよりプロボクサーデビューした波田大和は甥(寿之介の次男)に当たる。 1964年10月14日に東京の三軒茶屋の小児科病院で長男として生まれる。未熟児として生まれ、黄疸・小児喘息が出ていて、交換輸血を3回した。
清乃洋 文幸(きよのなだ ふみゆき、1964年7月24日 -… 清乃洋 文幸(きよのなだ ふみゆき、1964年7月24日 - )は、青森県八戸市出身で伊勢ヶ濱部屋に所属していた元大相撲力士。本名は坂本 文幸(さかもと ふみゆき)。現役時代の体格は身長177cm、体重119kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は西十両13枚目(1988年3月場所)。 同級生だった自衛隊員から勧誘され入門し、1980年3月場所に初土俵を踏んだ。1988年3月場所に十両まで上がったが、その場所を6勝9敗と負け越し、1場所で幕下陥落。その後も勝ち越すことができず、同年11月場所は休場し、24歳の若さで廃業した。
剛堅 大二朗(ごうけん だいじろう、1964年6月26日 -… 剛堅 大二朗(ごうけん だいじろう、1964年6月26日 - )は、兵庫県伊丹市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は森田 耕平(もりた こうへい)、185cm、172kg。最高位は東十両5枚目。得意技は右四つ、寄り、血液型はB型。 1980年9月場所に初土俵。1989年11月場所新十両、以後十両と幕下を往復しながらも十両を7場所務める。1991年3月場所を最後に十両から遠ざかり、1995年1月場所限りで引退。
陸奥北海 勝昭(むつほっかい かつあき、1964年6月24日… 陸奥北海 勝昭(むつほっかい かつあき、1964年6月24日 - )は北海道三石郡三石町(現:日高郡新ひだか町)出身の元大相撲力士。現在は世話人。現役時代は安治川部屋所属、現在は伊勢ヶ濱部屋所属。本名は本間 勝明(ほんま かつあき)。身長179cm、体重188kg。最高位は東十両6枚目(1994年11月場所)。趣味はパチンコ、血液型A型、星座は蟹座。
智乃花 伸哉(とものはな しんや、1964年6月23日 - … 智乃花 伸哉(とものはな しんや、1964年6月23日 - )は、熊本県八代市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は成松 伸哉(なりまつ しんや)。最高位は東小結(1994年1月場所)。現役時代の体格は175cm、117kg。現在は、年寄・玉垣。愛称は「先生」「成松先生」、趣味は映画鑑賞、ゴルフ。血液型はA型。 自由民主党所属の熊本県八代市議会議員(当選5回)の成松由紀夫は従弟で、三保ヶ関部屋に所属した元幕下力士である。 幼少時に両親が離婚し、叔父夫婦の援助を受けながら育つ。 叔父が法政大学の相撲部出身であったため相撲を始め、日本大学相撲部では全国学生相撲選手権大会を始めとする数々の大会で活躍し、4年生の時には主将を務めた。
安芸旭 雅士(あきあさひ まさし、1964年6月11日 - … 安芸旭 雅士(あきあさひ まさし、1964年6月11日 - )は、広島県府中市出身の元大相撲力士、大島部屋所属、得意は寄り・右上手投げ、本名は皿海 雅士(さらがい まさし)、血液型はO型。 高校卒業直後の1983年3月場所に蔵前国技館で初土俵。28歳だった1992年9月場所では、隆尾崎(後の関脇・隆乃若)に勝つなど好調で6勝1敗の好成績を修め、翌11月場所では力士人生の最高位となる序二段18枚目に在位した。 しかし以降は頚椎損傷など負傷が多く、序二段中位から序ノ口に在位することが多かった。部屋では長くちゃんこ長を務め、稽古見学者からの評判も良かった。40歳10か月まで現役を続けて、2005年3月場所限りで引退し、千秋楽打ち上げパーティで断髪式を行った。
梅の里 昭二(うめのさと しょうじ、1964年5月3日 - … 梅の里 昭二(うめのさと しょうじ、1964年5月3日 - )は、茨城県水戸市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は小泉 昭二(こいずみ しょうじ)。趣味は読書。最高位は西十両13枚目(1993年7月場所)、血液型はO型。得意技は右四つ、寄り。 兄は元関脇・水戸泉政人。兄と共に力士のサイン会に参加した際に高砂部屋に勧誘され、中学卒業と同時に入門し1980年3月場所に初土俵を踏んだ。四股名「梅の里」(後、梅乃里)は地元の水戸の梅まつりに由来しており、祭りに参加することは裕福でなかった家族の貴重な娯楽であり楽しい思い出だったという。三段目までは順調に番付を上げて行ったが膝の怪我や循環器系の疾患もあり、幕下で苦労した。
吾郎(ごろう、1964年4月26日 - )は、大相撲の呼出。… 吾郎(ごろう、1964年4月26日 - )は、大相撲の呼出。大嶽部屋所属。本名は赤山 正春(あかやま まさはる)。 1982年5月場所、16歳で初土俵。入門当初は押尾川部屋所属だった。入門した頃は一郎、次郎、三郎という3人の呼出がいたため、吾郎という名を与えられた。なお、押尾川部屋には吾郎の兄弟子に志朗(2023年現在は大嶽部屋所属の三役呼出)、弟弟子に禄郎(2023年現在は二所ノ関部屋所属の十両呼出)も所属していた。2005年3月場所後に押尾川部屋が閉鎖になったため、同じ二所ノ関一門所属の大嶽部屋に移籍した。 2021年9月30日に開かれた日本相撲協会の定例理事会で、同年12月24日付で三役呼出に昇進することが決定した。
出羽の邦 真光(でわのくに まさみつ、1964年1月15日 … 出羽の邦 真光(でわのくに まさみつ、1964年1月15日 - )は、埼玉県川口市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は畔蒜 敬人(あびる よしひと)、180cm、139kg。最高位は西十両3枚目。得意技は右四つ、寄り。 電気設計事務所の長男として生まれ、川口市立東中学校ではバスケットボール部・陸上部に所属していたが、相撲部から勧誘されて全国大会に出場した。中学校の相撲部の指導員が元出羽海部屋の幕下・出羽光でその知人から勧められて出羽海部屋に入門した。1979年3月場所に初土俵。1988年5月場所に十両に昇進。1989年3月場所まで6場所連続で在位し、1989年1月場所には自己最高位となる西十両3枚目まで番付を上げた。
大獅子 耕蔵(おおじし こうぞう、1963年12月13日 -… 大獅子 耕蔵(おおじし こうぞう、1963年12月13日 - )は、大阪府南河内郡美原町(現・堺市美原区)出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は牧野 耕蔵(まきの こうぞう)。179cm、120kg。最高位は西十両11枚目。得意技は突き、押し。 1980年9月場所で本名「牧野」の四股名で初土俵を踏む。三段目で3年程停滞していたが、1985年に入ると波に乗って番付を上げ、1985年9月場所で十両昇進を果たすも2勝13敗と大敗。十両在位は1場所に終わった。1987年3月場所限りで23歳の若さで引退。
北吹雪 弘士(きたふぶき ひろし、1963年10月28日 -… 北吹雪 弘士(きたふぶき ひろし、1963年10月28日 - )は、北海道旭川市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は伊藤 広泰(いとう ひろやす)、182cm、128kg、最高位は東十両9枚目(1987年11月場所)。 1979年3月場所で初土俵を踏む。横綱双羽黒光司とは同部屋で同期だった。1987年11月場所にて十両昇進、連続2場所十両を務める。同年暮れに部屋の横綱双羽黒が突然廃業したため、立浪部屋の部屋頭となった。1988年3月場所で幕下へ陥落、1991年7月場所限り、27歳で引退(廃業)した。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
琴ヶ梅 剛史(ことがうめ つよし、1963年10月5日 - … 琴ヶ梅 剛史(ことがうめ つよし、1963年10月5日 - )は、富山県婦負郡八尾町(現・富山市)出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は北山 聡。身長180cm、体重187kg。得意技は右四つ、寄り、突き。最高位は東関脇。 「花のサンパチ組」(昭和38年生まれ)の一人。昭和54年3月場所、佐渡ヶ嶽部屋から初土俵。当初は本名の北山で取っていたが二代目梅ヶ谷から梅の一字をもらい「琴ヶ梅」と改名する。午前2時から起きて寺尾や益荒雄と共に相撲教習所へ赴いて稽古をしたその熱心さから新弟子の頃より期待され昭和59年3月場所で新十両、翌昭和60年3月場所で新入幕を果たした。 兄弟子の琴風を一回り小さくしたような風貌で、膝のサポーターまで一緒だった。
大刀光 電右エ門(たちひかり でんえもん、1963年9月12… 大刀光 電右エ門(たちひかり でんえもん、1963年9月12日 - )は、千葉県千葉市出身の元大相撲力士、プロレスラー。本名は河原 修(かわはら おさむ)。 1963年9月12日に千葉県千葉市で、母親がスナックを経営している家に三男として生まれる。小学校高学年では少年野球で速球派投手として活躍していたが、千葉市立花園中学校では一転してバレーボール・サッカーなど様々な球技を行っていた。中学校時代のある日、教師から半ば強引に参加を誘われた相撲の全国大会へ出場するなど、次第に相撲を始めるようになった。 安田学園高等学校進学後は相撲部に所属し、1年先輩である寺尾常史から稽古を付けられていたが、寺尾が2年生で中退したことで河原も1年生の11月に中途退学、スナックを廃業した母親が勤務する千葉畜産工業に就職した。
龍ヶ浜 広宣(りゅうがはま ひろのり、1963年8月16日 … 龍ヶ浜 広宣(りゅうがはま ひろのり、1963年8月16日 - )は、静岡県浜松市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は柴田 広宣(しばた ひろのり)、185cm、144kg。得意技は左四つ、寄り。血液型はB型。最高位は西十両7枚目。兄は元ボクシングスーパーウェルター級日本王者の柴田賢治。 鮎料理店「滝沢園」の三男で、浜松市立北星中学校ではサッカー部に所属し、ゴールキーパーとして活躍した。興誠高等学校に進学してからも引き続きサッカー部でゴールキーパーを務め、高校2年生の時には静岡西部の選抜チームに選ばれて韓国にも遠征した。スーパーでアルバイトをしていたときに時津風親方(元大関・豊山)の知人から入門を勧められて迷っていたが、上京して後楽園ホールで兄が出場したボクシングの試合を見に行った時に時津風部屋入門を決意した。
ターザン後藤( - ごとう、本名:後藤 政二(ごとう まさじ… ターザン後藤( - ごとう、本名:後藤 政二(ごとう まさじ)、1963年8月16日 - 2022年5月29日)は、日本の元プロレスラー、元大相撲力士。静岡県島田市出身。入場曲は「汚れた英雄」。 中学校を卒業後、15歳の時に九重部屋へ入門。後藤(ごとう)の四股名で1979年年3月場所より初土俵を踏む。同部屋には後の横綱となる北勝海や、小結の孝乃富士(安田忠夫)がいる。しかし同年の11月場所をもって廃業を決め、最高位は序二段95枚目だった。島田市出身者として初の力士誕生でもあり、当時後藤の実家にも地元マスコミの取材が来たという。 大相撲を短期間で廃業した理由として、同じく角界出身で全日本プロレス入門時に教育係だったグレート小鹿によると「後藤の足裏が土俵の土によって切れやすく、そこに塩が染みて痛くなり相撲に集中出来ず、体質が合わなかった」と語っている。
北尾 光司(きたお こうじ、1963年〈昭和38年〉8月12… 北尾 光司(きたお こうじ、1963年〈昭和38年〉8月12日 - 2019年〈平成31年〉2月10日)は、三重県津市出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。第60代横綱。引退後は総合格闘家・スポーツ冒険家・武道家・プロレスラーなど、様々な肩書を名乗っていた。 横綱時代の四股名は双羽黒 光司(ふたはぐろ こうじ)。横綱まで昇進しながら幕内最高優勝を一度も経験せずに相撲界を去った力士でもあった。 幼少期に父親の影響で柔道を始めたが、津市立敬和小学校に土俵が完成してからは毎日のように相撲を取って相撲が徐々に好きになり、地元の商店街で出場を勧められた相撲大会で優勝してからはさらに好きになった。次第に対戦相手に困るようになると、立浪部屋後援会会員の中にアマチュア相撲三段の腕を持ち「津相撲クラブ」の責任者を務める人物から指導を受け、津市立東橋内中学校へ入学して以降は立合いの当たりで対戦相手を土俵下まで吹っ飛ばすほどの実力を付けた。
岩手富士 祐一(いわてふじ ゆういち、1963年8月9日 -… 岩手富士 祐一(いわてふじ ゆういち、1963年8月9日 - 2020年12月18日)は、朝日山部屋に所属した元力士。本名は鈴木 祐一(すずき ゆういち)、岩手県江刺市(現・奥州市)出身、神奈川県川崎市育ち。身長185cm、体重133kg。最高位は東十両6枚目(1988年11月場所)。得意手は左四つ、寄り。 川崎市内の中学校を卒業後、朝日山部屋へ入門し、1979年3月場所で初土俵。初土俵から2年程で幕下へ昇進するが、幕下上位で壁に当たり苦戦した。1985年3月場所から四股名を「岩手富士」へ改名してからは順調に番付を上げ、1986年1月場所で十両に昇進する。なお、17代朝日山(元小結・若二瀬)が朝日山部屋を継承してから、初めて誕生した関取であった。
森乃里 治重(もりのさと はるしげ、1963年7月26日 -… 森乃里 治重(もりのさと はるしげ、1963年7月26日 - )は、北海道茅部郡森町出身で立田川部屋に所属した元大相撲力士。本名は高道 治(たかみち おさむ)。身長178cm、体重148kg。得意手は突き、押し。最高位は東十両9枚目。本名の高道で取っていた期間も長い。 建築業の二男で、小学校2年生から中学校1年生では森町のクラブで剣道を続けた。他にも水泳やスキーも好きだったが、相撲は祭りの時に出場する程度だった。中学3年生で体重が120kgに達したので「体を生かして相撲をやってみよう」と考えて双葉山道場の幕下だった叔父に相談すると、弟弟子に当たる立田川親方(第42代横綱・鏡里)を紹介されたので立田川部屋に入門した。
北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし、1963年6月22日 -… 北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし、1963年6月22日 - )は、北海道広尾郡広尾町出身で九重部屋に所属した元大相撲力士。第61代横綱。本名は保志 信芳(ほし のぶよし)。現役時代の体格は身長181cm、体重151kg。得意技は押し、左四つ、寄り。愛称は苗字を捩った「ポチ」、および海外公演で付けられた「ブルドッグ」。「花のサンパチ組」(昭和38年生まれ)の一人。血液型はA型。北勝海の読み方は北(ほく)、勝(とう)、海(み)である。 現在は、年寄・八角 信芳()として八角部屋(高砂一門)の師匠。第13代日本相撲協会理事長。 小学生時代に、既に北の富士から九重部屋への勧誘を受けていた。 1977年におじの勤務先の社長が13代井筒(第52代横綱・北の富士)と知り合いだったことが縁で勧誘されるが、13代井筒は以前勧誘したことがあるのを覚えていなかった。
寺尾 常史(てらお つねふみ、1963年〈昭和38年〉2月2… 寺尾 常史(てらお つねふみ、1963年〈昭和38年〉2月2日 - 2023年〈令和5年〉12月17日)は、鹿児島県姶良郡加治木町 (現在の姶良市)出身(出生地は東京都墨田区)で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は福薗 好文(ふくぞの よしふみ)。得意技は突っ張り、押し、いなし、叩き、下手投げ。最高位は東関脇。身長185cm、体重116kg。 現役時代は、力士としては稀な甘いマスクと筋肉質のソップ体型で女性ファンからの人気と声援が多かった。 引退後は年寄・錣山となり、井筒部屋部屋付き親方を経て、分家独立し、錣山部屋の師匠として指導にあたった。角界での愛称は「土俵の鉄人」、「アビ」、血液型はA型、趣味はパチンコ、音楽鑑賞、ゴルフ。
2代目 常の山 勝正(にだいめ つねのやま かつまさ、196… 2代目 常の山 勝正(にだいめ つねのやま かつまさ、1963年1月29日 - )は、鹿児島県西之表市出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は下村 重和(しもむら しげかず)であるが、橋本姓を名乗っていた時期もある。身長182cm、体重117kg。得意手は右四つ、上手出し投げ。最高位は東前頭12枚目(1992年3月場所、同年7月場所)。 西之表市立国上中学校を卒業後、福岡県内の電気会社に就職。後に魚市場に転職したが、同じ職場に勤務していた元前頭・福田山の福田幸雄の紹介で出羽海部屋に入門し、1980年7月場所で初土俵を踏んだ。 入門前の相撲経験は無かったが、小兵であることを生かした素早い相撲で、着実に番付を上げて行った。
志朗(しろう、1962年(昭和37)12月3日 - )は、大… 志朗(しろう、1962年(昭和37)12月3日 - )は、大相撲の呼出。大嶽部屋所属、群馬県高崎市出身。現在は副立呼出を務めている。本名は嶋田 義和(しまだ よしかず)。 2026年1月場所で副立呼出に昇進したが、序列上位の克之より年上であるため、立呼出に昇進することは序列的に不可能である。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。