黒島 弘康(くろしま ひろやす、1967年10月6日 - )… 黒島 弘康(くろしま ひろやす、1967年10月6日 - )は、日本の実業家、薬剤師、芸能プロデューサー。青森県八戸市を拠点とする芸能事務所「株式会社トゥインクル」の代表取締役。また、調剤薬局を運営する「株式会社江陽ファーマシー」の代表取締役オーナーを務める。八戸市の館鼻岸壁朝市公認アイドル「pacchi」のプロデューサーであり、地域活性化とエンターテインメントの融合を推進している。 北海道札幌市生まれ、北見市育ち。中学時代に交通事故で頭蓋骨骨折の重体を経験し、大手術を経て回復した経緯がある。北海道札幌平岸高等学校、北海道医療大学薬学部を卒業。大学時代はロックバンドのギター・ボーカルとして音楽活動を行っていた。
井手 直行(いで なおゆき、1967年〈昭和42年〉9月28… 井手 直行(いで なおゆき、1967年〈昭和42年〉9月28日 - )は、日本の実業家。 「よなよなエール」「インドの青鬼」「水曜日のネコ」などのクラフトビールの製造・販売を行う株式会社ヤッホーブルーイングの代表取締役社長。愛称・ニックネームは「てんちょ」。 北軽井沢に数千人もの熱狂的なファンを毎年集め、よなよな宴を開く〝フェスの王者〟。過疎地でのイベントに、なぜ人は集まるのか、 関係人口を増やす超宴式ファン化の仕組みを設計し、弱者のノウハウに落としこむビジネススキームの天才! 北海道旭川市で出生 および出身。 その後福岡県久留米市に移り住み幼少期を過ごす。国立久留米工業高等専門学校電気工学科卒業後、大手電器メーカーにエンジニアとして入社。
植松 努(うえまつ つとむ、1966年8月17日 - )は、… 植松 努(うえまつ つとむ、1966年8月17日 - )は、日本の技術者、実業家。北海道芦別市出身。 北海道芦別高等学校を経て、1989年北見工業大学工学部応用機械工学科卒業。1989年菱友計算に入社。1994年同社を退社し、父が経営する植松電機に入社。1999年同社専務取締役。2005年人間力大賞グランプリを受賞。2006年カムイスペースワークスを設立し、代表取締役社長に就任。2016年植松電機代表取締役社長に就任。この他に、NPO法人北海道宇宙科学技術創成センター理事も兼職。
綾部 和(あやべ かず、1965年8月6日 - )は、日本の… 綾部 和(あやべ かず、1965年8月6日 - )は、日本のゲームクリエイター・実業家。ぼくのなつやすみシリーズの企画・脚本・ゲームデザイナーとして知られる。株式会社ミレニアムキッチンおよび株式会社惑星プロジェクト代表取締役。2014年以降は火星カレーなどの飲食プロデュースも行っている。北海道函館市生まれ。 東京デザイナー学院アニメーション科を卒業後、グラフィックデザイナー・プログラマとして、NMKおよび木村初(キム皇)の作品などに参加。『エスパ冒険隊 魔王の砦』『ザ・ラストバトル』など個性的なゲームのプログラミングを担当した。『落っことしパズル とんじゃん!?』や『ベリウスII~復讐の邪神~』では音楽も担当している。
水口 哲也(みずぐち てつや、1965年5月22日 - ) … 水口 哲也(みずぐち てつや、1965年5月22日 - ) は、クリエイター、プロデューサー、実業家、大学教員。Enhance(米国法人エンハンス)代表、Synesthesia Lab(シナスタジアラボ)主宰、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(Keio Media Design)特任教授、Resonair (レゾネア)株式会社代表、EDGEof(エッジ・オブ)共同設立者兼CCO、株式会社アカツキ社外取締役。北海道小樽市出身。 北海道札幌西高等学校卒業後、日本大学藝術学部文芸学科に進学、メディア美学専攻。卒業後セガへ入社した。 同社情感デザイン研究室室長、ユナイテッド・ゲーム・アーティスツ(UGA)代表、キューエンタテインメント取締役などを歴任。
伊藤 博之(いとう ひろゆき、1965年3月11日 - )は… 伊藤 博之(いとう ひろゆき、1965年3月11日 - )は、バーチャルシンガー「初音ミク」を創出した株式会社「クリプトン・フューチャー・メディア」の代表取締役。北海道標茶町出身。この他に「オンガラボ株式会社」の代表取締役、「雷音株式会社」の取締役なども務める。
西永 裕司(にしなが ゆうじ、1965年2月7日 - )は、… 西永 裕司(にしなが ゆうじ、1965年2月7日 - )は、日本の実業家。オエノンホールディングス代表取締役社長、合同酒精代表取締役社長。 北海道小樽市出身。実家は酒屋。1983年北海道小樽潮陵高等学校卒業。1988年小樽商科大学商学部卒業、証券会社勤務を経て合同酒精(現オエノンホールディングス)入社。2005年富久娘酒造取締役経営管理部長。2007年合同酒精執行役員経営企画部長、総務部長。2008年オエノンホールディングス経営戦略企画室部長。2010年オエノンホールディングス取締役経営戦略企画室長、合同酒精取締役経営企画部長。2011年オエノンホールディングス中期経営戦略策定委員会事務局長。2015年からオエノンホールディングス代表取締役社長を務め、2016年からは合同酒精代表取締役社長。
伊藤 亜由美(いとう あゆみ、1965年〈昭和40年〉 - … 伊藤 亜由美(いとう あゆみ、1965年〈昭和40年〉 - )は、日本の芸能プロモーター、実業家、映画プロデューサー、元歌手、元女優。芸能事務所・株式会社クリエイティブオフィスキュー代表取締役社長、株式会社キュー・プロダクツ代表取締役社長。北海道小樽市出身。 タレント・映画監督でCREATIVE OFFICE CUE取締役会長の鈴井貴之は元夫。この為、鈴井と結婚した1993年から離婚を公表した2017年3月までは「鈴井亜由美」名義で活動していた。 1965年、北海道小樽市で生まれる。親の転勤で栗山町や苫小牧市でも暮らしたことがある。北海道小樽桜陽高等学校、北海道武蔵女子短期大学を卒業。 駅裏8号倉庫で鈴井貴之の舞台を観て感銘を受け、鈴井主宰の「劇団487パラシュート」、「劇団OOPARTS」に所属。
山崎 修(やまざき おさむ、 1964年12月25日 - )… 山崎 修(やまざき おさむ、 1964年12月25日 - )は、日本の実業家。フリースタイルスキー・モーグル選手、モーグル解説者。石・アート創業者。1992年アルベールビルオリンピック代表。北海道滝川市出身。北海道砂川南高等学校卒業。 1980年代から日本のフリースタイルスキーの第一人者として活躍。全日本フリースタイルスキー選手権大会モーグル優勝3回。1992年、アルベールビルオリンピックに出場。日本人として初めてモーグル競技に出場した。その後は引退し、インストラクターなどとして活躍。1998年長野オリンピックに際し、モーグル競技の解説を行った。 現在は家業である山崎石材工業の代表取締役専務。また、石・アートを設立し、新進気鋭の実業家としても活躍している。
兼間 祐二(かねま ゆうじ、1964年(昭和39年)6月11… 兼間 祐二(かねま ゆうじ、1964年(昭和39年)6月11日 - )は、日本の実業家、銀行家。北海道銀行代表取締役頭取を務める。 北海道札幌市出身。北海道札幌南高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業後、1987年北海道銀行入行。1994年に総合企画部に配属、翌1995年に頭取直轄経営企画室が新設されると同室に配属。その後、石狩市の花川支店長や、経営企画グループ調査役グループリーダーを経て、2011年札幌市の鳥居前エリア総括兼鳥居前支店長。2013年執行役員オホーツク地区営業担当兼北見支店長。執行役員札幌・石狩、空知地区営業担当を経て、2016年取締役常務執行役員企画管理部門長。2021年に笹原晶博の後任として常務取締役から代表取締役頭取に就任。
西川 隆宏(にしかわ たかひろ、1964年5月26日 - )… 西川 隆宏(にしかわ たかひろ、1964年5月26日 - )は、北海道河東郡音更町出身の実業家、キーボーディスト。DREAMS COME TRUE(以下「ドリカム」と表記)の元メンバーとして知られる。 1989年3月21日、ドリカムのキーボーディストとして『DREAMS COME TRUE』『あなたに会いたくて』でデビュー。ドリカムでは作詞・作曲に関わることはほとんどなかったが、「あの夏の花火」(『The Swinging Star』収録)、「思い出は胸に秘めたまま」(『LOVE UNLIMITED∞』収録)、「今日この佳き日」(『monkey girl odyssey』収録)では一部作曲に関わっており、作曲者としてクレジットされている。
吉村 元久(よしむら もとひさ、1964年4月9日)は、日本… 吉村 元久(よしむら もとひさ、1964年4月9日)は、日本の実業家。ヨシムラ・フード・ホールディングス創業者。同社代表取締役CEOとして食品メーカーのM&Aなどを行い、楽陽食品取締役、とかち麺工房監査役等も務める。 北海道函館市出身。1983年北海道札幌南高等学校卒業。1988年一橋大学商学部卒業、大和証券入社。大学では金融論を専攻し卒業論文「期待と投機の経済分析」は電通総研に50万円で売却した。1994年ペンシルヴェニア大学ウォートン・スクール修了、経営学修士(MBA)。 大和証券資産証券部課長代理として債権流動化スキーム開発に従事するなどしたのち、1997年からモルガン・スタンレー証券事業法人部エグゼクティブ・ディレクターとしてコーポレート・ファイナンス業務に従事。
中川 隆(なかがわ たかし、1963年9月6日 - )は、日… 中川 隆(なかがわ たかし、1963年9月6日 - )は、日本の実業家。SBIインベストメント代表取締役社長を経て、SBIホールディングス取締役副社長。 北海道出身。北海道札幌北高等学校を経て、1987年小樽商科大学商学部経済学科卒業、富士銀行(現みずほ銀行)入行。1999年北尾吉孝と知り合い、同年ソフトバンク・ファイナンスに入社し、イー・ローンとのジョイントベンチャーの立ち上げにあたった。2002年SBIホールディングス取締役。2005年SBIベンチャーズ取締役常務。2006年からはソフトバンク・インベストメント代表取締役COOを務め、ベンチャー企業への投資を進めた。2014年SBIバイオテック代表取締役社長。
小方 功(おがた いさお、1963年7月5日 - )は、日本… 小方 功(おがた いさお、1963年7月5日 - )は、日本の実業家。1995年、小売業者向け卸サイトを運営するラクーンホールディングスを創業した。 1963年7月、北海道札幌市に生まれる。 札幌光星高等学校を経て、北海道大学工学部に入学。大学在学中に、リクルート主催の米国ベンチャー企業訪問ツアーに参加し、将来の起業を決意する。1988年、大学を卒業し、同年の4月、パシフィックコンサルタンツに入社。1992年に退職し、起業準備と中国語を学ぶために中華人民共和国、北京に一年間留学する。帰国後の1993年9月、東京都狛江市に自宅兼事務所で開業。「他人と違うユニークなモノを扱い喜んでもらおう」という考えから、留学中に探した中国製の健康食品や雑貨を扱い始めた。
石黒 靖規(いしぐろ やすのり、1963年1月20日 - )… 石黒 靖規(いしぐろ やすのり、1963年1月20日 - )は、日本の実業家。DCMホールディングス代表取締役社長執行役員兼COO・DCM代表取締役社長。北海道釧路市出身。 ホーマックの創業家である石黒靖尋の長男として北海道釧路市に生まれる。 2011年、ホーマック社長昇格。
清澤 茂宏(きよさわ しげひろ、1962年10月28日 - … 清澤 茂宏(きよさわ しげひろ、1962年10月28日 - )は、日本の実業家、政治家。芦別市議会議員(2期)、元芦別市長(1期)。 北海道芦別市生まれ。芦別市立緑ヶ丘小学校、芦別市立芦別中学校、北海道芦別高等学校を卒業。 1982年、三井芦別石炭の子会社である「三井芦別鉄道株式会社」に入社し貨車の組成、入替え連結等々の鉄道員としての仕事に従事する。国の第8次石炭政策の影響下で同社が解散する事となり、1989年、26歳の時に退職する。同年三井石炭(株)の雇用開発室の紹介により「スピードファスナー株式会社」入社、同社の東京支店に勤務する。1990年札幌支店に転勤。この後、同系の企業2〜3社を転職し札幌、旭川と転居した。
綿貫 泰之(わたぬき やすゆき、1962年1月8日 - )は… 綿貫 泰之(わたぬき やすゆき、1962年1月8日 - )は、日本の経営者。 北海道旭川市出身。北海道旭川東高等学校を経て、1985年に北海道大学経済学部を卒業し、同年に日本国有鉄道に入社した。九州旅客鉄道社長の古宮洋二、西日本旅客鉄道社長の倉坂昇治とは、国鉄での同期に当たる。 1987年、北海道旅客鉄道入社。鉄道事業本部営業推進本部営業部長、取締役総務部長、同函館支社長、常務取締役総合企画本部長、取締役副社長を歴任し、2022年6月から代表取締役社長に就任した。道内出身者が社長に就くのは中島尚俊以来11年ぶりとなる。
赤坂 祐二(あかさか ゆうじ、1962年(昭和37年)1月3… 赤坂 祐二(あかさか ゆうじ、1962年(昭和37年)1月3日 - )は、日本の経営者、技術者。日本航空代表取締役会長。公益財団法人日本交通公社評議員。 北海道札幌市出身。少年時代はプラモデルの戦闘機が好きで狸小路の中川ライター店に通い、中学生の頃から航空機の設計に関心を持った。小学生時代はのちに本田技研工業の社長となる三部敏宏と少年野球で一緒にプレーし仲が良かった。中学1年で三部の転居のため離ればなれになったが、社長となってから再会している。札幌北高等学校時代はスキージャンプの選手だった。 国産航空機の設計に携わりたいと考えたことから、東京大学の航空学科に進み、1987年に同大学大学院工学系研究科を修了後、同年技術系として日本航空入社。
島本 和彦(しまもと かずひこ、1961年〈昭和36年〉4月… 島本 和彦(しまもと かずひこ、1961年〈昭和36年〉4月26日 - )は、日本の漫画家・実業家。本名:手塚 秀彦(てづか ひでひこ)。北海道中川郡池田町出身、北海道札幌市在住。漫画プロダクション「ビッグバンプロジェクト」代表、株式会社アイビックおよび株式会社アカシヤ代表取締役社長。主な作品に『炎の転校生』、『逆境ナイン』、『燃えよペン』、『吼えろペン』、『アオイホノオ』がある。 池田町の木材業を営む家庭に生まれ、幼少期を豊頃町で過ごした後、小学校1年生のときに札幌へ。小学校のころから鉛筆でギャグ漫画を描き始める。札幌清田高校時代は陸上部と演劇部に所属する一方生徒会長も務め、アニメや特撮のパロディ漫画も執筆していた。
齋藤 晋(さいとう すすむ、1961年1月23日 - )は、… 齋藤 晋(さいとう すすむ、1961年1月23日 - )は、日本の実業家、技術者。北海道電力代表取締役社長。 北海道札幌市出身。1983年に北見工業大学工学部環境工学科を卒業後、同年北海道電力に入社し、滝川発電所に配属された。大学の研究室で重油ボイラーの性能試験などを行っていたことから、発電所の仕事に興味を持ったという。 入社後は火力発電部門が長いが、火力保守センターの他、人事労務部、総合研究所(金属研究など)、企画部などを経験し、2008年から火力部次長、2012年から火力部火力企画グループリーダーを務めた。 2015年には苫東厚真発電所所長に就任。所長時代は世界一の石炭火力発電所になることを目標に掲げ、デジタル技術の導入や効率化を推進した。
里見 英樹(さとみ えいき、1961年 - )は、日本の実業… 里見 英樹(さとみ えいき、1961年 - )は、日本の実業家。札幌市中央区に本社を置く株式会社メディア・マジックの代表取締役で、京都情報大学院大学の教授である。北海道芦別市出身。
船橋 利実(ふなはし としみつ、1960年〈昭和35年〉11… 船橋 利実(ふなはし としみつ、1960年〈昭和35年〉11月20日 - )は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の参議院議員(1期)。自由民主党政務調査会水産部会長。船橋西川建設取締役。 総務大臣政務官(第2次岸田第2次改造内閣)、財務大臣政務官(菅義偉内閣)、衆議院議員(2期)、北海道議会議員(5期)、北見市議会議員(1期)、自由民主党農林水産関係団体委員会副委員長、同参議院国会対策委員会副委員長などを歴任した。 弟は北海道議会議員の船橋賢二。長男は船橋の第二秘書。 北海道北見市生まれ。北見市立南小学校、北見市立南中学校卒業。1979年、北海道北見柏陽高等学校卒業。1983年、北海学園大学工学部土木工学科卒業。
明石 英一郎(あかし えいいちろう、1960年〈昭和35年〉… 明石 英一郎(あかし えいいちろう、1960年〈昭和35年〉9月30日 - )は、札幌映像プロダクション代表取締役社長。元札幌テレビ放送(STV)アナウンサー。身長173cm。札幌市清田区在住。
斎藤 茂(さいとう しげる、1960年5月5日 - )は、日… 斎藤 茂(さいとう しげる、1960年5月5日 - )は、日本の音楽プロデューサー、ディスクジョッキー、独立系ラジオ局経営者。クラシック音楽専門のインターネットラジオ局OTTAVAの代表取締役社長である。 札幌市出身。青山学院大学卒業。音楽番組のディレクター、プロデューサー、編成局長などとして、J-WAVEに勤務後、独立。番組、音楽、コンサートなどの制作を行う。 2007年、TBSラジオによるOTTAVAの開局と同時にミュージック・ディレクターに就任。番組で流すすべての楽曲の選定、編成を担当する。番組のトークのBGMやジングルにヴォーカル・アンサンブル カペラの演奏によるルネサンスのア・カペラを選んだのも斎藤だった。
宮尾 文也(みやお ぶんや、1960年4月14日 - )は日… 宮尾 文也(みやお ぶんや、1960年4月14日 - )は日本の実業家、株式会社レオパレス21代表取締役社長。 生まれは北海道小樽市 だが、育ちは札幌市。北海道札幌西高等学校を経て、1983年早稲田大学第一文学部人文学科卒業。高校時代はラグビー部に所属。 1983年株式会社中道リース入社。1990年株式会社レオパレス21入社。2008年リゾート事業本部部長、2010年経営企画部長、2012年理事、2013年執行役員、2016年取締役執行役員、2018年取締役常務執行役員。 2019年施工不備に端を発した経営陣の刷新により代表取締役社長に就任。 本家は新潟県村上市に本社を置き、「〆張鶴」の銘柄で知られる宮尾酒造。
山口 毅(やまぐち たけし、1960年 - )は、日本の司法… 山口 毅(やまぐち たけし、1960年 - )は、日本の司法書士・実業家。司法書士業務を行なうかたわら、司法書士事務所経営に関する講演・執筆などを中心に精力的に活動している。 北海道帯広市生まれ。1983年岩手大学人文社会科学部卒業後、協和発酵工業株式会社入社。1986年同社退社。1988年司法書士試験合格。1988年LEC東京リーガルマインドにて司法書士講座専任講師(~1992年)。その後、宅地建物取引士(当時は宅地建物取引主任者)にも合格。1992年池袋法務事務所を開き、同代表。2000年株式会社コンサルティングファーム設立し、同代表取締役就任。 インターネットを駆使した国家資格者・専門家の全国的会員組織「メンターネットワーク」により、企業の創業・経営支援を積極的に展開中。
林 郁(はやし かおる、1959年12月26日 - )は、日… 林 郁(はやし かおる、1959年12月26日 - )は、日本の実業家。デジタルガレージ創業者・代表取締役兼社長執行役員グループCEO、DGフィナンシャルテクノロジー取締役会長、カカクコム取締役会長。 北海道斜里郡小清水町生まれ。東京都国立市で育つ。東洋大学社会学部応用社会学科卒業。マスコミュニケーション学を専攻。1983年に広告・編集制作会社のフロムガレージを設立。その後デザイン会社のクリエイティブガレージ、マルチメディアソフト制作のスタジオガレージを設立し、3社グループとなる。1995年に3社グループと、日本初の個人ホームページ「富ヶ谷」を作ったエコシスを合併し、伊藤穰一とデジタルガレージを共同創業、代表取締役に就任。
岩田 聡(いわた さとる、1959年〈昭和34年〉12月6日… 岩田 聡(いわた さとる、1959年〈昭和34年〉12月6日 - 2015年〈平成27年〉7月11日)は、日本のゲームクリエイター、プログラマー、実業家。 任天堂の元代表取締役社長で、ハル研究所代表取締役社長なども歴任した。 北海道札幌市真駒内出身。父の岩田弘志は当時、北海道庁観光課に勤務する公務員であったことから、道庁宿舎にて幼年期を過ごした。小学校は札幌市立真駒内曙小学校に入学。小学校6年生の時に札幌冬季オリンピックが開催され、真駒内近隣に建てられた選手村にサイン帳を持って遊びに行く日々を過ごしていたという。また、真駒内競技場で開催されたオリンピック開会式では近隣小学生による「風船スケーター」として、岩田も参加している。
曽我 貴也(そが たかや、1959年(昭和34年)12月4日… 曽我 貴也(そが たかや、1959年(昭和34年)12月4日 - )は、日本の海事実業家。日本郵船株式会社代表取締役社長。 北海道札幌市出身。北海道札幌旭丘高等学校に入学後2年生への進級前に東京へ移り、東京都立文京高等学校卒業、一橋大学商学部に進学し、在学中は基礎スキー部を立ち上げる一方で、日本文化を深く知りたいとの思いから当時伊藤邦雄が顧問を務めていた茶道部に所属し表千家の流儀を学び亭主との積極的な問答のスキルを就職後の営業活動に役立てた。海上保険のゼミで学ぶ中で、「金や保険より目に見えるものを扱う仕事が向いている」との思いのもと、海運業への就職を志す。 1984年に日本郵船入社、20代後半から30代前半にはクルーズ客船「飛鳥」事業の立ち上げに関わり、主にコンテナ船部門を歩み、シンガポール・ロンドン・バンコクなどでの駐在を経験し、自動車物流グループ長などを経て、2018年常務経営委員。
安田 光春(やすだ みつはる、1959年10月5日 - )は… 安田 光春(やすだ みつはる、1959年10月5日 - )は、日本の実業家、銀行家。北洋銀行取締役会長。北海道経済同友会代表幹事。札幌商工会議所会頭。 北海道札幌市出身。札幌市立新琴似小学校、札幌市立新琴似中学校、北海道札幌北高等学校、慶應義塾大学商学部卒業後、1983年北洋相互銀行(現在の北洋銀行)入行。経営管理部企画課長や宮の沢支店長を経て、2007年人事部調査役のまま、当時賞味期限改ざん問題で揺れていた石屋製菓に出向。2009年同行に復帰し融資第一部副部長、2014年取締役に選任され、2016年常務、2018年初の生え抜きとして頭取に就任。2021年4月北海道経済同友会代表幹事、6月第二地方銀行協会会長にそれぞれ就任する。
後藤 健市(ごとう けんいち、1959年7月8日 - )は、… 後藤 健市(ごとう けんいち、1959年7月8日 - )は、日本の実業家。「野遊び」をキーワードに地方創生に取り組んでいる。スノーピーク地方創生コンサルティング代表取締役会長。一般社団法人野遊びリーグ理事長。株式会社デスティネーション十勝(DMO)代表取締役社長。ノラワークスジャパン取締役会長。社会福祉法人ほくてん北海点字図書館理事長。合同会社場所文化機構代表。内閣府地域活性化伝道師。
寺下 史郎(てらした しろう、1959年1月5日 - )は、… 寺下 史郎(てらした しろう、1959年1月5日 - )は、日本の実業家。株式会社アイ・アール ジャパンホールディングス設立者で、同社代表取締役社長・CEO。 1977年北海道札幌東高等学校卒業。1982年に青山学院大学経営学部を卒業後、国際的な仕事をしたいと考えてインベスター・リレーションズに特化したエイ・アイ・エイ入社。1996年同社子会社の日本IR研究所企画部長に就任。 その後、アイ・アール ジャパン創業者鶴野史朗の理念に惹かれて、1997年にアイ・アール ジャパンに入社し、同社企画開発グループマネジャーとなる。2001年アイ・アール ジャパン執行役員。2004年経済産業省企業価値研究会委員。
原田 直彦(はらだ なおひこ、1959年1月 - )は、日本… 原田 直彦(はらだ なおひこ、1959年1月 - )は、日本の実業家。旭川信用金庫会長、元理事長、一般社団法人北海道信用金庫協会会長。 1959年1月、北海道上川郡当麻町生まれ。北海道旭川東高等学校を経て、立教大学法学部を卒業。 1981年4月、旭川信用金庫に入庫。 2006年6月、同庫理事、2013年6月、同庫理事長に就任。 2023年6月、同庫会長に就任。 2024年6月、一般社団法人北海道信用金庫協会会長に就任。
穀山 敏(こくやま さとし、1958年9月12日 - )は、… 穀山 敏(こくやま さとし、1958年9月12日 - )は、日本の実業家、元北海道文化放送(UHB)アナウンサー、同社関連会社トップ·クリエーション代表取締役社長→相談役を務めた。 北海道帯広市出身。北海道帯広柏葉高等学校を経て、1981年に明治大学商学部卒業後、テレビ岩手に入社。1988年、地元局の北海道文化放送(UHB)に移籍。UHBではスポーツ実況がメイン。フジ系列全国ネットのゴルフ、マラソン、スキージャンプ、プロ野球、バレー等を担当。1998年長野五輪はフジテレビの応援でジャンプ競技を中心にリポートを担当。その後事業部に異動、報道部を経てスポーツ部長、アナウンス部長を歴任。2014年同社関連会社トップ·クリエーション代表取締役社長に就任。
堀川 政司(ほりかわ まさし、1958年9月9日 - 202… 堀川 政司(ほりかわ まさし、1958年9月9日 - 2021年3月7日)は、日本の実業家。ツルハホールディングス代表取締役社長。 北海道旭川市出身。1977年北海道旭川工業高等学校卒業、ツルハ入社。店舗開発室長等を経て、1998年取締役に昇格。2004年常務取締役。2008年専務執行役員。2008年ツルハホールディングス専務執行役員。2014年から非創業家出身者としては初となるツルハホールディングス代表取締役社長を務め、杏林堂グループ・ホールディングスやビー・アンド・ディーホールディングスの買収などM&Aを進め、売上でウエルシアホールディングスを抜きドラッグストア業界トップとした。2020年6月1日健康上の理由で社長を退任。
大谷 清介(おおたに せいすけ、1958年5月25日 - )… 大谷 清介(おおたに せいすけ、1958年5月25日 - )は、日本の実業家。戸田建設代表取締役社長。 北海道出身。北海道札幌南高等学校から北海道大学工学部建築学科に進み、1982年3月卒業後、戸田建設に入社。一貫して東京支店建築工事部で経験を積み、建築施工の第一線に携わる。 作業所長として丸の内オアゾをはじめとした大丸有地区の大型プロジェクトを数多く手がけたのち、2016年千葉支店長、2018年関東支店長、2020年管理本部執務、常務執行役員などを歴任し、2021年4月より現職。
坂本 和昭(さかもと かずあき、1958年1月29日 - )… 坂本 和昭(さかもと かずあき、1958年1月29日 - )は、日本の実業家。坂本ビル株式会社および坂本商事株式会社代表取締役社長。北海道出身。 観光カリスマ百選、北海道地域づくりアドバイザー、地域活性化伝道師(内閣府)を歴任。 帯広市生まれ。北海道帯広柏葉高等学校、1980年駒澤大学法学部法律学科卒業。1980年4月、坂本ビル・坂本商事に入社し専務取締役。1992年5月、同社代表取締役社長に就任。 1996年、十勝環境ラボラトリー(TKL)設立し事務局長。2000年、北の起業広場協同組合設立し専務理事。十勝環境ラボラトリー(TKL)専務。2001年7月、北の屋台(帯広市西1条南10丁目7)開業、専務理事。
山口 貢(やまぐち みつぐ、1958年1月8日 - )は、日… 山口 貢(やまぐち みつぐ、1958年1月8日 - )は、日本の実業家。神戸製鋼所特任顧問。第21代神戸製鋼所代表取締役社長、日本鉄鋼連盟副会長を務めた。 北海道札幌市出身。1981年3月、北海道大学法学部卒業。4月1日、神戸製鋼所入社以来、ほぼ事務畑を歩んできた。神戸製鋼所経理課と本社の鉄鋼生産部門管理部で、20代のほとんどを神戸で過ごした。その後、産業用機械(産機)や圧縮機などを手掛ける機械部門へ。2016年に部門長に就任し、2017年にスウェーデンの産機メーカー買収を手掛けた。司令塔の経営企画部も経験し、全社の事業も見渡す視点も養った。 川崎博也会長兼社長の引責伴う緊急登板。打診は辞任表明翌日の2018年3月7日に受けたといい、「こういう時だからこそ」と即決した。
本間 欧彦(ほんま おうひこ、1957年(昭和32年)12月… 本間 欧彦(ほんま おうひこ、1957年(昭和32年)12月25日 - )は、日本のテレビプロデューサー、実業家。北海道文化放送常務取締役。 北海道札幌市出身。札幌市立啓明中学校、北海道札幌南高等学校、慶應義塾大学文学部を卒業。 1980年(昭和55年)フジテレビに入社。営業局、報道局を経て、1987年に第一制作部(現在のドラマ制作センター)に異動。以後、『東京ラブストーリー』や『白線流し』などのヒット作を手掛ける。 2011年(平成23年)6月、北海道文化放送の取締役編成局長に就任し、2013年6月より常務。 2003年(平成15年)7月11日、自身がプロデュース・演出を手がけた『スチュワーデス刑事』シリーズで主演を務めた女優の財前直見と再婚、2006年12月に長男が誕生したが、2012年8月に離婚したことが明らかになった。
小林 敬(こばやし たかし、1957年11月22日 - )は… 小林 敬(こばやし たかし、1957年11月22日 - )は、北海道函館市出身の実業家。 函館市出身。函館有斗高等学校卒業、その後大阪府のあべの辻調理師学校を卒業後、フランス料理店に勤務。1979年、地元函館に戻り料理店「らんぷ亭」を開業。1982年、再び大阪に戻り、フランス料理店に勤務する一方、食肉卸売業者でシステムエンジニアとしてオフィスコンピュータのシステム開発に関わる。1988年、「食べて得する料理家 庵」を開業。1991年、小林事務所を設立。「新和風料理 庵」など数々の飲食店を全国に展開していた。 2005年には長崎オランダ村の跡地を使った「食」のテーマパーク「キャスビレッジ」をプロデュースし、その親会社CASジャパンの取締役に就任。
細川 馨 (ほそかわ かおる、1957年10月15日 - )… 細川 馨 (ほそかわ かおる、1957年10月15日 - )は、日本の実業家、経営コンサルタント。ビジネスコーチ株式会社代表取締役社長。世界ビジネスコーチ協会資格検定委員、BCS認定プロフェッショナルビジネスコーチ。男性。北海道生まれ。 函館市出身。北海道函館北高等学校、1980年に駒澤大学経営学部卒業。セゾン生命保険(現:AIGエジソン生命)入社。1986年、営業所長。1994年、営業部次長。1998年、銀座支社長。2001年、営業推進部長 兼 支社開発室長。2002年9月末、セゾン生命を退職(同社が4月にエジソン生命に吸収合併されたのを機に)。プロコーチとして独立。2005年にビジネスコーチを設立し代表取締役に就任。
北口 克彦(きたぐち かつひこ、1957年 - )は、日本の… 北口 克彦(きたぐち かつひこ、1957年 - )は、日本の実業家。元三省堂代表取締役社長。 北海道留萌市出身。北海道留萌高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部を卒業した。[要出典] 1985年に三省堂札幌営業所に入社する。営業部長(執行役員、2005年)、営業統括部長(執行役員、2006年)を歴任した。[要出典] 2009年に社長に就任する。社長在任中の2015年に、三省堂などの教科書出版会社が学校長に検定前の教科書を見せて謝礼を支払った「教科書謝礼問題」が発覚し、同年12月に北口は文部科学省で記者会見を開いて「教科書発行に対する認識や姿勢が誤っていたと深く反省している」と謝罪した。 2020年11月の取締役会および株主総会で、代表取締役社長を退任して取締役会長となった。
山川 広行(やまかわ ひろゆき、1956年(昭和31年)12… 山川 広行(やまかわ ひろゆき、1956年(昭和31年)12月10日 - )は、日本の実業家。北海道銀行取締役副頭取を経て、札幌ドーム代表取締役社長。 北海道旭川市出身。北海道旭川北高等学校を経て、1979年北海道大学経済学部卒業、北海道銀行入行。入行同期に堰八義博(のち頭取)、笹原晶博(同)がいる。 1998年栄町支店長。2001年法人推進グループ調査役。2002年清田支店長。2004年札幌駅前支店長。2005年執行役員地区営業担当兼帯広支店長。2009年常務執行役員地区営業担当兼旭川支店長。2012年常務執行役員地区営業担当。2013年常務執行役員石狩・札幌地区営業担当。同年専務執行役員本店営業部本店長。
秋元 正博(あきもと まさひろ、1956年〈昭和31年〉9月… 秋元 正博(あきもと まさひろ、1956年〈昭和31年〉9月3日 - )は、日本のスキージャンプ解説者、元会社役員、元スキージャンプ競技選手。北海道札幌市出身。北海道岩見沢緑陵高等学校、明治大学政治経済学部卒。現役時代は地崎工業(現岩田地崎建設)に所属。2007年時点では、旭川市内の企業・ノースプランの専務取締役を務めていた。 1970年代後半より1980年代中盤にかけて、八木弘和とともに日本スキージャンプチームの中心選手として活躍した。また、スキージャンプ・ワールドカップでは国内開催以外での日本勢初勝利も含め4勝しているが、うち2勝はマッチ・ニッカネンなど海外のトップ選手も出場した中でのものであるため当時としては非常に価値が高い物となっている。
星野 康二(ほしの こうじ、1956年〈昭和31年〉5月7日… 星野 康二(ほしの こうじ、1956年〈昭和31年〉5月7日 - )は、日本の実業家。学位はMaster of Business Administration(ニューヨーク州立大学)。 ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社代表取締役社長(初代)、会長を経て、スタジオジブリ代表取締役を15年間にわたって務めた。財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事、株式会社ドワンゴ社外取締役、株式会社KADOKAWA・DWANGO社外取締役、株式会社KADOKAWA社外取締役なども歴任した。 1956年、北海道札幌市に生まれ、北海道札幌旭丘高等学校を経て、創価大学文学部に入学する。入学後、「池田大作に対する、不当な非難・中傷の嵐が吹き荒れる」と感じた星野は「必ずや池田大作の偉大さを証明してみせる!国際社会で戦える力ある人材に成長しよう!」と決意したとされる。
藤井 裕(ふじい ゆたか、1956年4月19日 - )は、日… 藤井 裕(ふじい ゆたか、1956年4月19日 - )は、日本の実業家、技術者。北海道電力代表取締役兼社長執行役員を経て、同社代表取締役会長、北海道経済連合会会長。元電気事業連合会副会長。 北海道美唄市出身。実家は農家。美唄市の中学校、岩見沢東高等学校を経て、1981年に宇都宮大学工学部電気工学科を卒業後、北海道電力に入社し、帯広電力所保修課保修第一係に配属された。 北海道電力では送電部門を中心とした工務分野を長年担当した。調整型の温和な人柄で知られ、2007年には室蘭支店長に就任。2010年人事労務部長。2011年理事人事労務部長。2014年上席執行役員お客さま本部副本部長、ビジネスサポート本部副本部長、流通本部副本部長、配電部・工務部担当。
白井 俊之(しらい としゆき、1955年12月21日 - )… 白井 俊之(しらい としゆき、1955年12月21日 - )は、日本の実業家。ニトリホールディングス代表取締役社長、ニトリ代表取締役社長、カチタス取締役。 北海道岩内郡岩内町出身。1974年北海道札幌南高等学校卒業。1979年宇都宮大学工学部環境化学科卒業後、創業者似鳥昭雄に共感しニトリ家具に入社。2001年取締役に昇格。2004年常務取締役。2008年専務取締役。 2014年ニトリホールディングス代表取締役副社長、ニトリ代表取締役社長、ホームロジスティクス代表取締役社長、ニトリファシリティ代表取締役社長。2015年ニトリパブリック代表取締役社長、ホームロジスティクス代表取締役会長。 2016年ニトリホールディングス代表取締役社長。
成毛 眞(なるけ まこと、1955年9月4日 - )は、日本… 成毛 眞(なるけ まこと、1955年9月4日 - )は、日本の実業家。マイクロソフト日本法人第2代代表取締役社長及びスルガ銀行株式会社の社外取締役を務めた。書評サイト「HONZ」代表。 北海道札幌市出身。北海道札幌西高等学校時代は執行部生徒会長として制服廃止を実現した。高校時代の同級生に田中裕子がいる。1979年中央大学商学部卒業。新卒で地元北海道にある自動車部品メーカー大金アール・エム(現ダイナックス )に入社。1982年にアスキーへ転職したが、入社翌日に子会社に出向を命じられる。その子会社は当時日本では知られていなかったマイクロソフトがアスキーと設立した「アスキーマイクロソフト」だった。その後、1986年にマイクロソフト株式会社(日本法人、以下MSKK)に移り、OEM営業部長、取締役マーケティング部長を歴任。
川部 誠治(かわべ せいじ、1955年(昭和30年)9月3日… 川部 誠治(かわべ せいじ、1955年(昭和30年)9月3日 - )は、日本の実業家。 北海道小樽潮陵高等学校を経て、東京理科大学理工学部卒業。大学では体育会テニス部に所属した。三菱HCキャピタル株式会社代表取締役会長、元日立キャピタル執行役社長 兼 CEO。北海道小樽市出身。実家は米屋。リース事業協会副会長。
青木 仁志(あおき さとし、1955年〈昭和30年〉3月19… 青木 仁志(あおき さとし、1955年〈昭和30年〉3月19日 - )は、日本の実業家、経営者。人材教育コンサルティング会社、アチーブメント株式会社を設立し、代表取締役会長 兼 社長を務める。 北海道函館市生まれ。 3歳の頃に両親が離婚し義理の母に育てられる。その後、実母に会いたい思いで17歳の頃に家出の形で東京へ向かい、履歴書の必要なかった溶接工見習いとなる。 19歳の頃、祖父への手紙の消印を手がかりに実母が見つける形で再会。再会後、御徒町で実母と喫茶店を経営。その後、喫茶店で知り合った会社社長が経営する商社に就職。