大岩 真由美(おおいわ まゆみ、1972年4月11日 - )… 大岩 真由美(おおいわ まゆみ、1972年4月11日 - )は、日本のサッカー指導者、元審判員(国際女子主審)。現在は、日本サッカー協会理事。 北海道室蘭市出身。高校卒業後、少年サッカーのコーチとして誘いを受けるという出会いをきっかけに審判員の資格を取得、当時は選手としての活動も望んでいたため、少年団と協力し女子チームを作り選手としての活動も続ける。その後、1995年に北海道では女性として初めて2級審判員を取得。1999年に女子1級審判員の資格を取得。L・リーグ(現・なでしこリーグ)の主審となる。 2002年、女子国際主審に登録され、カナダで開催された2002 FIFA U-19女子世界選手権(現:FIFA U-20女子ワールドカップ)に派遣、8月18日に行われた開幕戦・アメリカ(英語版)vsイングランド(英語版)戦の主審として、FIFA主催大会で日本人女子として初めて笛を吹く。
三上 大勝(みかみ ひろかつ、1971年9月17日 - )は… 三上 大勝(みかみ ひろかつ、1971年9月17日 - )は、日本の元サッカー選手、ゼネラルマネージャー。 北海道室蘭市出身。室蘭大谷高校および札幌大学において、サッカー選手として活躍。1994年から1995年までJFLのNEC山形サッカー部でディフェンダーの選手として所属。加入当時は「北の氷壁」 の愛称で期待を受けたが、公式戦出場は0試合であった。 選手引退後はクラブ職員として、モンテディオ山形の設立に尽力。1996年から1997年までモンテディオ山形法人設立準備室、1998年から1999年3月まで山形県スポーツ振興21世紀協会に所属。三上は現場とフロントのパイプ役を担った。当初はNEC山形の従業員から山形県スポーツ振興21世紀協会の職員となることを希望していたが、県職員の出向者により定員となったため実現しなかった。
京谷 和幸(きょうや かずゆき、1971年8月13日 - )… 京谷 和幸(きょうや かずゆき、1971年8月13日 - )は、北海道室蘭市出身の元プロサッカー選手(ミッドフィールダー)、元車いすバスケットボール選手、指導者。 小学校2年の時にサッカーを始め、室蘭大谷高校サッカー部時代には3年連続で全国高校サッカー選手権大会に出場。2年時からユース代表、3年時からバルセロナ五輪代表候補に選ばれる。 高校卒業後の1990年4月に古河電工に入社し、1991年5月に東日本JR古河サッカークラブ(現ジェフユナイテッド市原・千葉)とプロ契約。 Jリーグ開幕から半年後の1993年10月1日、ヤマザキナビスコ杯第5節ガンバ大阪戦で公式戦初出場を果たしたが、11月28日午前4時40分、車を運転中に脇から急に出てきた車を避けようとして電柱と正面衝突し脊髄を損傷。
黒田 剛(くろだ ごう、1970年5月26日 - )は、北海… 黒田 剛(くろだ ごう、1970年5月26日 - )は、北海道札幌市出身の元アマチュアサッカー選手、サッカー指導者。現FC町田ゼルビア監督。 1994年から2022年までの28年間、青森山田高校を指揮した。 2023年にFC町田ゼルビアの監督に就任。高校サッカーの実績を評価されてプロチームの指揮を執るケースとしては布啓一郎に続く存在[要検証 – ノート]。 1970年5月、北海道札幌市生まれ。父から教わった野球に夢中になっていたが、小学2年時に隣の石狩町に転校。小学校には剣道と出来たてのサッカーチームしか無く、しばらく剣道を習っていたが、友人に誘われ地元のサッカー少年団の練習を覗いたことをきっかけに入団。
野田 知(のだ さとる、1969年3月19日 - )は、北海… 野田 知(のだ さとる、1969年3月19日 - )は、北海道室蘭市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 室蘭市立向陽中学校、室蘭大谷高、国士舘大学(2年次には自身を除き自身と同い年北澤豪含めて全員本田技研工業フットボールクラブ所属選手たるフットサル日本代表に選出された。1989 FIFAフットサル世界選手権に出場)を経て、1990年に日本サッカーリーグ1部日産自動車(Jリーグ開幕以降は横浜マリノス)に加入。ボランチ、左WBとして活躍。日本代表経験こそないが、主力選手として1990年代の横浜Mの黄金時代を支えた。 1999年にアビスパ福岡に移籍し、2003年から2004年までヴォルカ鹿児島でコーチ兼選手としてプレーした。
賀谷 英司(がや えいじ、1969年2月8日 - )は、北海… 賀谷 英司(がや えいじ、1969年2月8日 - )は、北海道室蘭市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。ポジションはDF。 高校卒業後から鹿島アントラーズの前身である住友金属工業蹴球団に所属。1993年に開幕したJリーグでは、左サイドバックのレギュラーとしてサントリーシリーズでの優勝に貢献した。しかし、1994年にはのちに日本代表の主力となる相馬直樹の入団とともに出場機会は減少し、1997年には横浜マリノスに移籍。1998年にはサンガに移籍した。 2000年からはベガルタ仙台に移籍し、レギュラーの座をつかむも、2001年限りで選手を引退。2002年からはベガルタのアシスタントコーチに就任し、以後サッカー指導者の道に進む。
財前 恵一(ざいぜん けいいち、1968年6月17日 - )… 財前 恵一(ざいぜん けいいち、1968年6月17日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはMF。 北海道室蘭市出身。実弟はベガルタ仙台で活躍した元サッカー選手で、現財前フットボールスクールの財前宣之。 室蘭大谷高時代には第66回全国高等学校サッカー選手権大会(1987年)でベスト4進出。同期には野田知がいる。卒業後は日産自動車(現・横浜F・マリノス)に当時高卒としては異例のプロ契約で入団するが度重なる怪我に悩まされ、将来を嘱望されながらプロとして大成する事は無かった。 1996年に現役を引退した後は指導者として主にコンサドーレ札幌やアビスパ福岡の下部組織に所属し、2009年9月にS級指導者ライセンスを取得。
清川 浩行(きよかわ ひろゆき、1967年6月3日 - )は… 清川 浩行(きよかわ ひろゆき、1967年6月3日 - )は、北海道出身の元サッカー選手・現サッカー指導者。 函館有斗高等学校では水谷能啓の指導を受ける。高校卒業後は日本サッカーリーグに所属する日立製作所に入部。チームがJリーグに昇格するまで在籍した。その後は指導者として、長く柏レイソルの若手育成に当たった。 2010年1月13日にロアッソ熊本のヘッドコーチに就任し、2016年に監督に就任した。 2017年は19位に低迷し、6月で監督交代となった。 2018年よりザスパクサツ群馬の強化担当に就任し、2019年よりトップチームコーチに就任。 1991年のコニカカップは2試合0得点。 2017年は監督交代時点の成績。
飯田 正吾(いいだ しょうご、1967年4月18日 - )は… 飯田 正吾(いいだ しょうご、1967年4月18日 - )は、北海道出身の元サッカー選手。 1994年まで柏レイソルで選手としてプレーし、翌年よりクラブスタッフとして運営部、チーム統括部などに勤務。2010年からロアッソ熊本でチーム統括本部長や強化本部長を務めたが、2017年11月にJ2でクラブワーストの21位となり強化本部長を解任される。 2017年12月27日、J3に降格するザスパクサツ群馬の強化本部長に就任。J2への復帰を果たした2019年シーズンをもって退任した。
渋谷 洋樹(しぶや ひろき、1966年11月30日 - )は… 渋谷 洋樹(しぶや ひろき、1966年11月30日 - )は、北海道室蘭市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 元々は野球少年で、ファンだった荒木大輔や王貞治と同じ早稲田実業に行きたいと考える程だったが、小学5年生の頃に中島旭ヶ丘サッカー少年団に入る。2学年下に野田知がおり、後に城彰二も入学するなど、地元では強豪として知られる小学校だった。 高校は室蘭大谷高校と登別大谷高校からサッカー推薦の話が届く中、室蘭大谷を選択。2年生時には東西選抜に選ばれ、3年生時にはキャプテンを務める。チームメイトには前述の野田や財前恵一がいた。 高校卒業後は古河電気工業に入社し、同社のサッカー部に入部。
三浦 雅之(みうら まさゆき、1966年11月4日 - )は… 三浦 雅之(みうら まさゆき、1966年11月4日 - )は、北海道室蘭市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 引退後はコンサドーレ札幌でユース監督、トップチームコーチ等を歴任する。2010年は札幌のフロント入り。2011年より女子サッカーのノルディーア北海道監督に就任し、兼任として札幌のアドバザリースタッフも務める。同年4月にJFA 公認S級コーチライセンスを取得。愛称はタマさん。 2015年5月19日付けでノルディーア北海道からの監督辞任が発表された。 2016年1月、タイ・リージョナルリーグ・ディヴィジョン2のコーンケンFCの監督に就任。 2017年12月、タイ・リーグ3のアユタヤ・ユナイテッドFCの監督に就任。
宮部 和弘(みやべ かずひろ、1963年5月10日 - )は… 宮部 和弘(みやべ かずひろ、1963年5月10日 - )は、日本の元サッカー選手。選手時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。北海道出身。 室蘭大谷高等学校時代の1981年、インターハイで準優勝。卒業後の1982年に日本サッカーリーグ1部の古河電気工業サッカー部(現 ジェフユナイテッド市原・千葉)に入部。以後、切れ味鋭いドリブルを武器に、ウインガー、攻撃的MFとして活躍。1985年のリーグ優勝、1986年のアジアクラブ選手権制覇にも貢献した。1991年引退。
藤本 貢壽(ふじもと こうじゅ、1957年3月15日 - )… 藤本 貢壽(ふじもと こうじゅ、1957年3月15日 - )は北海道出身の元サッカー選手・指導者。現役時代のポジションはフォワード。現在SC相模原で活躍する元日本代表の藤本淳吾は実子。 1975年に日本鋼管に入社。現役時代は椎間板ヘルニアに見舞われたことなどもあり、主だった活躍は出来なかったが、1980年のJSL杯では、決勝で2ゴールを挙げるなど、チームの初優勝に貢献した。1981年の天皇杯では初優勝してJFL1部に復帰した。 引退後はチームの運営委員などを経て、日本サッカー協会のプロ化検討委員会のメンバーを務めた。 1999年からは横浜栄FCにてアシスタントコーチを6年間務め、Jリーグで活躍している内藤洋平選手、村上巧選手を育成した。
須藤 茂光(すどう しげみつ、1956年4月2日 - )は、… 須藤 茂光(すどう しげみつ、1956年4月2日 - )は、北海道三笠市奔別 出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(サイドバック、センターバック)。 中学2年の時に神奈川県に移る。中央大学在学中の1978年に日本代表に初選出され、代表Aマッチ13試合に出場。日立製作所に進み、1979年のJSLで新人王を獲得した。 引退後はフットサル日本代表や中央大学の監督、柏レイソルのコーチ、日本サッカー協会のナショナルトレセンコーチなどを歴任。2001年よりU-16日本代表の監督に就任。2005年にJFAエリートプログラムU-13監督、2006年にJFAエリートプログラムU-14監督を務めた。
岸奥 裕二(きしおく ゆうじ、1954年4月2日 - )は、… 岸奥 裕二(きしおく ゆうじ、1954年4月2日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(ストッパー、スイーパー)。 北海道室蘭市出身。室蘭大谷高等学校から1973年に日本サッカーリーグの新日鐵サッカー部に入団。トレードマークの口元の髭と、センターバックとして大柄ではないが、得意のハードタックルで他チームのエースキラーとして活躍。北海道出身者として初めて日本代表に選出され、モスクワオリンピック予選5試合に出場した。引退後は新日鐵君津サッカー部の監督も務めた。 日本サッカーリーグ1部成績 ・JSL東西対抗戦 2回出場(1980年、1981年)
湯浅 健二(ゆあさ けんじ、1952年5月11日 - )は、… 湯浅 健二(ゆあさ けんじ、1952年5月11日 - )は、日本のサッカージャーナリスト、サッカー指導者。北海道出身。
川本 治(かわもと おさむ、1952年5月1日 - )は、北… 川本 治(かわもと おさむ、1952年5月1日 - )は、北海道出身のサッカー選手、サッカー指導者。 北海道釧路市生まれ。父親の転勤で札幌市、伊達市で育ち、中学3年で室蘭市に移る。室蘭清水丘高ではGKだったが、中央大学進学後にFWに転向。サッカー部主将を務めた1974年には関東大学サッカーリーグで優勝を経験。1975年に入団した古河電工サッカー部(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)ではFWとして10年間にわたって活躍。JSL(1976年)、天皇杯(1976年度)、JSLカップ(1977年、1982年)の優勝に貢献した。 引退後の1984年からは古河電工サッカー部のコーチおよび監督、Jリーグ開幕後は後身のジェフユナイテッド市原のフロントスタッフを歴任した。
高橋 正弘(たかはし まさひろ、1943年〈昭和18年〉10… 高橋 正弘(たかはし まさひろ、1943年〈昭和18年〉10月10日 - 1996年〈平成8年〉8月12日)は、日本のサッカー指導者。北海道の室蘭大谷高等学校(後の北海道大谷室蘭高等学校)のサッカー部の初代監督。雪国の壁を乗り越え、サッカー無名校であった室蘭大谷を日本全国準優勝にまで導き、北海道サッカー界と全国高校サッカーの技術向上に貢献した。教え子にはプロサッカー選手やサッカー指導者の道に進んだ野田知、財前恵一、三浦雅之、交通事故のためにプロサッカーから車いすバスケットボールに転向した京谷和幸らがいる。北海道室蘭市西小路町出身、国士舘大学卒業。 高橋家の長男として誕生。喧嘩ばかりのやんちゃ坊主として育った。
大澤 英雄(おおさわ ひでお、1936年1月22日 - 20… 大澤 英雄(おおさわ ひでお、1936年1月22日 - 2025年2月16日)は、北海道函館市出身の元サッカー選手。現教育者・サッカー指導者。 国士舘大学名誉教授。国士舘大学学長、学校法人国士舘理事長を歴任。 2019年旭日中綬章受章。 函館有斗高等学校では水谷能啓の指導を受ける。高校卒業後は国士舘大学体育学部に入学して国士舘大学サッカー部を創設した。国士舘大学を卒業後、同大学の職員となり、その後に同大学教授に就任。1992年4月から国士舘大学体育学部長、2002年6月から学校法人国士舘の理事を歴任し、2003年12月から2006年11月30日まで国士舘大学学長を務めた。 定年により教員(教授)を退職したが、学長退任の2006年12月1日付けで名誉教授の授与を受けるとともに学校法人国士舘の常任理事に就任した。
小野卓爾(おの たくじ、1906年7月14日 - 1991年… 小野卓爾(おの たくじ、1906年7月14日 - 1991年2月20日)は、北海道白老郡白老町出身のサッカー選手、サッカー指導者。 北海道庁立札幌第一中学校(現:北海道札幌南高等学校)を経て、1927年に中央大学法学部英法科に入学。在学中に札幌一中時代のチームメイトと共にサッカー部を創部した。 1933年に大学を卒業し、1935年より日本蹴球協会(現:日本サッカー協会、JFA)代議員に就任し、同年の第1回日満親善蹴球大会では選手団団長。1936年のベルリンオリンピックでは日本代表に帯同し総務全般を担当した。 1951年、JFA常務理事に就任し総務・財務といった実務を担当。1974年からはJFAの財団法人化に伴い専務理事に就任した。
新田 純興(にった すみおき、1897年1月14日 - 19… 新田 純興(にった すみおき、1897年1月14日 - 1984年8月1日)は、北海道出身のサッカー選手、サッカー指導者。東京帝国大学工学部冶金学科卒業。
髙瀬 愛実 は、北海道北見市出身の女子サッカー選手。INAC… 髙瀬 愛実 は、北海道北見市出身の女子サッカー選手。INAC神戸レオネッサ所属。元サッカー日本女子代表。ポジションはフォワード、ディフェンダー(サイドバック)。元ノルディーア北海道所属選手の高瀬行祈は姉、元サッカー選手の高瀬証は兄(次男)。