泉山 塁威(いずみやま るい、1984年(昭和59年)9月3… 泉山 塁威(いずみやま るい、1984年(昭和59年)9月30日 - )は、日本の建築学者(都市研究)・都市戦術家・プレイスメイカー・都市計画家。 学位は、博士(工学)(明治大学・2015年)。 日本大学理工学部建築学科准教授 都市計画研究室(泉山ゼミ)主宰。一般社団法人ソトノバ共同代表理事。一般社団法人エリアマネジメント・ラボ共同代表理事。 認定准都市プランナー(プロジェクトマネジメント・エリアマネジメント)。 専門は、都市計画・都市デザイン。都市経営、エリアマネジメント、パブリックスペース、タクティカル・アーバニズムやプレイスメイキング、ウォーカブルシティ、ストリートデザイン・マネジメント、街路、道路、パークマネジメント、公園、広場、低未利用地、アイレベル、アクティビティ、都市再生、中心市街地再生などの研究・実践・メディア運営に関わる。
青木 弘司(あおき こうじ、1976年8月3日 - )は、日… 青木 弘司(あおき こうじ、1976年8月3日 - )は、日本の建築家。AAOAA一級建築士事務所共同主宰。 現在、AAOAA一級建築士事務所共同主宰。武蔵野美術大学、東京造形大学、前橋工科大学、早稲田大学、文化学園大学、東京都市大学、法政大学非常勤講師。 北海道生まれ。北海道札幌西高等学校をへて、北海学園大学工学部建築学科卒業後、室蘭工業大学大学院を2003年に修了。 2003年(平成15年)〜2011年(平成23年)- 藤本壮介建築設計事務所勤務。2011年青木弘司建築設計事務所設立。 藤本壮介建築設計事務所在籍中は、医療福祉施設や図書館から東京都内の小住宅に至るまで、事務所の創設期から約8年にわたり大小さまざまなプロジェクトに関わる。
平井 充(ひらい みつる、1974年 - )は、日本の建築家… 平井 充(ひらい みつる、1974年 - )は、日本の建築家(一級建築士)。 メグロ建築研究所代表取締役。北海道函館市出身。 2004年、工学院大学工学部建築学科卒業。 2004年、東京工科専門学校非常勤講師(-2005年) 2006年、工学院大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了(初田亨研究室在籍)、同大学院博士課程進学。 2006年、東京工科専門学校常勤講師(-2010) 2009年、一級建築士事務所「Drawing notes」設立。 2012年、工学院大学非常勤講師(-2018) 2014年、株式会社メグロ建築研究所 一級建築士事務所に改組。 2015年、実践女子大学非常勤講師。 2020年、京都工芸繊維大学ヘリテージ・アーキテクト養成講座非常勤講師。
藤本 壮介(ふじもと そうすけ、1971年〈昭和46年〉8月… 藤本 壮介(ふじもと そうすけ、1971年〈昭和46年〉8月4日 - )は、日本の建築家。藤本壮介建築設計事務所主宰。日本建築大賞、JIA新人賞など多数受賞。 北海道上川郡東神楽町に生まれる。子ども時代、実家にあったアントニ・ガウディの写真集を見て衝撃を受ける。 大学卒業後は一人で設計活動を行っていたが、2000年2月、青森県立美術館設計競技2位(優秀賞)を受賞し、建築家として認められた。 2007年2月、「情緒障害児短期治療施設」(2006年竣工。北海道伊達市)で2007年度日本建築大賞を受賞。 2021年、主導的に設計を手がけた白井屋ホテル(群馬県前橋市)が「National Geographic Traveller Hotel Awards 2021」に入選した。
赤坂 真一郎(あかさか しんいちろう、1970年 - )は、… 赤坂 真一郎(あかさか しんいちろう、1970年 - )は、日本の建築家。アカサカシンイチロウアトリエ主宰。北海道札幌市生まれ。北海道を拠点に活躍する建築家のひとり。一級建築士。作品名に使われる『ノイエ』は、ドイツ語で「新しい」という意味。
畠中 秀幸(はたけなか ひでゆき、1969年 - )は、日本… 畠中 秀幸(はたけなか ひでゆき、1969年 - )は、日本の建築家。広島県生まれ。有限会社スタジオ・シンフォニカ元代表。一級建築士。 音楽面では、2009年、管楽器文化の向上と吹奏楽を通じ様々な交流を目指し「北海道吹奏楽プロジェクト」を発足させ、代表を務める。現在「北海道吹奏楽プロジェクト」の一環として結成された北海道吹奏楽プロジェクトアカデミーバンドの指揮者を務める。
中尾 耕二(なかお こうじ、1965年5月2日 - )は、日… 中尾 耕二(なかお こうじ、1965年5月2日 - )は、日本の建築家。北海道北広島市出身。一級建築士、監理建築士。発達障害児・者のための支援施設を中心に設計、研究。また、木造寺社のバリアフリー化と耐震化のコンサルティングを機に、現在は、本堂を含む寺社建築全般の設計・監理、コンサルティングを主に行う。二児の父。 二人兄弟の次男。父親は、地球物理学者で北海道大学名誉教授の中尾欣四郎。 1984年,札幌光星学園高等学校卒業、1990年,愛知工業大学建築工学科卒業、同年4月, 建築家でプロダクトデザイナーの黒川雅之主宰の株式会社黒川雅之建築設計事務所へ入社、同年10月,大学の恩師で発達障害児・者支援施設設計・研究の第一人者である林章主宰の株式会社設計計画林研究室へ入社、1997年,同社取締役を経て、2002年,有限会社ナカオアーキオフィス開設、同社代表取締役。
堀尾 浩(ほりお ひろし 1965年 - )は、日本の建築家… 堀尾 浩(ほりお ひろし 1965年 - )は、日本の建築家。北海道を拠点に活動。北海道白老町生まれ。 1988年3月、日本大学理工学部建築学科を卒業。1990年3月、日本大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程を修了。同年、日建設計に入社し、1992年にアトリエブンクに移る。 2007年に堀尾浩建築設計事務所を開設した。 教職としては、1999年に北海学園大学の非常勤講師に就任。以降、北海道大学、室蘭工業大学、北海道科学大学で非常勤講師を務める。
鈴木 基紀(すずき もとき、1955年9月29日 - )は建… 鈴木 基紀(すずき もとき、1955年9月29日 - )は建築家。北海道旭川市生まれ、苫小牧市勇払原野育ち。 苫小牧市立勇払小学校で教諭笠原紀久恵から教えを受ける。 函館ラ・サール高等学校(今野敏、のむらしんぼらと同期)、早稲田大学理工学部建築学科を1979年に卒業(大塚聡、高橋真、葭内博史らと同期)。 在学中、ラーメン屋台を描きデザインコンペに入賞。卒業後、ヨーロッパ・北アフリカを放浪後、建築家・鈴木恂(吉阪隆正の系譜を引く建築家)に6年間師事する。鈴木恂のアトリエでGAギャラリー、桂離宮作図、二川幸夫邸などを担当。 独立後の代表作としてIZVI(静岡県伊豆市姫の湯)、UMI(鹿児島県喜界島)など。
毛綱 毅曠(もづな きこう、本名:毛綱 一裕、1941年(昭… 毛綱 毅曠(もづな きこう、本名:毛綱 一裕、1941年(昭和16年)11月14日 - 2001年(平成13年)9月2日)は、日本の建築家。日本建築学会賞作品賞など多数受賞。 初期に毛綱モン太(もづなもんた)と名乗っていたが「毅曠」に改名。1970年代の日本の前衛建築の先鋒の観が有ったとされる。「阿弥陀から弥勒への七つのメッセージ』という九枚のパネルを発表し、世界的にも有名となった。 彼の設計は、「機能」というものに挑戦的であった。例えば、初期の代表作「反住器」は8m角の立方体(建築本体)のなかに4m角の立方体(部屋)が有り、その中に1.7m角の立方体(家具)が有り、三者は同形にデザインされているという。
渡部 一二(わたべ かずじ、1938年 - )は、日本の水辺… 渡部 一二(わたべ かずじ、1938年 - )は、日本の水辺研究家、建築家。多摩美術大学名誉教授。農学博士。全国各地の水辺、運河、用水路の研究と水空間の計画・デザインに多く携わる。世田谷区在住。 1938年、北海道小樽市生まれ。その後愛媛県で育つ。 1965年に前橋工業短期大学(現前橋工科大学)を卒業後、日本大学理工学部に進学。1967年に同校建築学科を卒業し、内井昭蔵建築設計事務所に入所。 その後東京藝術大学大学院に進学し、1972年同大学院修士課程修了後、都市計画コンサルタント創造社に勤務及多摩美術大学専任講師。1992年、同大学教授。東京農工大学より農学博士授与。論文の題は「農業用水路の再生に関する多面利用形態と空間構造の研究」。
竹山 実(たけやま みのる、1934年3月15日 - 202… 竹山 実(たけやま みのる、1934年3月15日 - 2020年9月24日)は、日本の建築家。竹山実建築綜合研究所所長。イリノイ大学名誉教授。武蔵野美術大学名誉教授。アメリカ建築家協会(AIA)名誉会員。 北海道札幌市出身。フルブライト奨学金で留学したハーバード大学大学院修士課程を修了後、ホセ・ルイ・セルトや、イサム・ノグチの事務所に勤務し、その後、1962年、デンマークに渡る。デンマークでは、ヨーン・ウツソン、アルネ・ヤコブセン、フィン・ユール、ヘニング・ラーセンの事務所に勤務、また、1963年から一年間、教師としてデンマーク王立アカデミー建築科に勤めた。 1964年に帰国し、竹山実建築綜合研究所を設立。
佐々木 宏(ささき ひろし、1931年12月7日 - 201… 佐々木 宏(ささき ひろし、1931年12月7日 - 2019年9月1日)は、日本の建築家、建築評論家、近代建築研究者。 アカデミズムに属さず、自ら設計事務所を経営する傍ら、在野の研究者というスタンスを貫いた。唯一在職した法政大学では、非常勤講師の立場を通した。しかし、在野であるために何者にも遠慮することなく辛辣な批判を加える立場を崩さなかった。 1931年北海道小樽市に生まれる。北海道大学に入り、当初数学を目指したが、教師のアドバイスにより断念して建築へ転向。立原道造に傾倒して学内誌に立原論を投稿。在学中からアメリカの建築雑誌『アーキテクチュラル・レヴュー』を購読し、以来海外の建築動向には一貫して注目。
林 雅子(はやし まさこ、1928年7月11日 - 2001… 林 雅子(はやし まさこ、1928年7月11日 - 2001年1月9日)は、北海道出身の日本の建築家。女性建築家の草分け的存在である。夫は建築家の林昌二。 日本女子大学家政学部住居学科では彼女を記念して「林雅子賞」を設けている。
久保 赳(くぼ たけし、1920年 <大正9年> 4月1日 … 久保 赳(くぼ たけし、1920年 <大正9年> 4月1日 - 2011年 <平成23年> 4月1日)は、日本の建設技官。初代建設省下水道部長や、日本下水道事業団理事長、日本下水道協会理事長を務め、日本の下水道行政の基礎を築いた。1994年には日本人として初めてストックホルム水賞を受賞した。勲二等瑞宝章受章。位階は正五位。 北海道夕張市生まれ。北海道庁立札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)を経て、1944年北海道帝国大学工学部土木工学科卒業。満洲国政府高等官試補、神戸市復興本部を経て、建設省が発足した1948年に同省に入省し、水道課に配属された。建設省下水道課長を経て、初代建設省下水道部長や、日本下水道事業団理事長、日本下水道協会理事長を務め、流域下水道計画を推進し、長與專齋、關一、ウィリアム・K・バートン、中島鋭治らと並んで、日本の下水道事業を軌道に乗せた技術者と評された。
生田 勉(いくた つとむ、1912年2月20日 - 1980… 生田 勉(いくた つとむ、1912年2月20日 - 1980年8月4日)は、日本の建築家・建築学者。東京大学名誉教授。木造の温かみを生かした住宅・山荘作品に独自の境地を開いた。また、アメリカの文明批評家であるルイス・マンフォードの著作の紹介者としても知られる。 北海道小樽市生まれ。旧制第一高等学校から、1939年東京帝国大学工学部建築学科卒。一高同期に立原道造、大学の一期上に丹下健三・浜口隆一がいる。特に立原とは深く交わった。また、ル・コルビュジエの作品・思想に強い影響を受けた。 その後逓信省営繕課勤務を経て、1944年旧制一高教授。その後東大教養学部助教授となり、1961年教授、1972年定年退官。