竹谷 知記(たけや ともき、1985年5月15日 - )は、… 竹谷 知記(たけや ともき、1985年5月15日 - )は、青森県出身の日本の柔道家。100kg級の選手。身長は179cm。組み手は右組み。得意技は大内刈、大外刈。 柔道は7歳の時に修志館で始めた。五所川原第一中学から東海大相模高校へ進むと、1年の時に高校選手権の団体戦で2位、2年の時には3位だった。3年の時には金鷲旗で3位、インターハイの100kg級では決勝で国士舘高校の西山将士に敗れて2位だった。全日本ジュニアでは3位となった。アジアジュニアと青島国際ではそれぞれ2位だった。 2004年に東海大学へ進学すると、1年の時には全日本ジュニアで再び3位となった。2年の時には体重別団体で優勝した。3年の時には優勝大会と体重別団体でともに2位にとどまった。
成田 泰崇(なりた やすたか、1984年11月21日 -)は… 成田 泰崇(なりた やすたか、1984年11月21日 -)は青森県出身の日本の柔道家。73 kg級の選手。身長は174 cm。組み手は右組み。得意技は内股。 国士舘大学大学院スポーツ・システム研究科修士課程修了。 柔道は5歳の時に車力スポーツ少年団で始めた。車力中学から青森北高校を経て国士舘大学に進むと、2年生の時には体重別団体で2位となった。3年生の時には学生体重別の決勝で明治大学の海老沼聖に敗れ2位となる。体重別団体2位。講道館杯で決勝でダイコロの稲澤真人に敗れ2位となる。4年生の時には体重別で3位となった。 学生体重別では決勝で海老沼を破って優勝。体重別団体でも優勝を飾った。講道館杯でも決勝で東海大学の大束正彦を破って優勝を成し遂げた。
鳥谷部 真弓(とりやべ まゆみ、1983年9月7日 - )は… 鳥谷部 真弓(とりやべ まゆみ、1983年9月7日 - )は青森県出身の日本の柔道家。78kg級の選手。身長160cm。得意技は背負投。 柔道は6歳の時に平内分団で始めた。小湊中学から青森山田高校へ進むと、1年の時には全国高校選手権の78kg級で3位、2年の時には優勝を飾った。3年の時には全日本ジュニアで3位だったが、全国女子体重別の決勝で淑徳高校3年の中沢さえを破って優勝を飾った。福岡国際では3位だったが、オーストリア国際では優勝した。2002年に帝京大学へ入学すると、1年の時には選抜体重別決勝で世界チャンピオンである警視庁の阿武教子に敗れるも2位となった。世界ジュニアでは得意の背負投でオール一本勝ちの優勝を飾った。
泉 浩(いずみ ひろし、1982年6月22日 - )は、日本… 泉 浩(いずみ ひろし、1982年6月22日 - )は、日本の男性柔道家、総合格闘家。青森県下北郡大間町出身。柔道六段を取得。組み手は左組み。得意技は大外刈。妻は女優の末永遥。株式会社ヴィレッジ・エンターテイメント事業部所属。 実父はマグロの漁師だった。 泉は小学校までを地元大間町で過ごしたのち、中学校より柔道私塾講道学舎に入門するため単身上京し、世田谷区立弦巻中学校に入学、3年の全国中学校柔道大会ではベスト8で敗れたが世田谷学園高等学校3年の時にインターハイで優勝を果たした。明治大学に入学後、2004年のアテネオリンピックでは決勝でグルジアのズラブ・ズビャダウリに敗れたはしたものの、銀メダルを獲得した。
吉村 依子(よしむら よりこ、1981年5月28日 - )は… 吉村 依子(よしむら よりこ、1981年5月28日 - )は青森県出身の日本の柔道家。52kg級の選手。身長153cm。得意技は内股、大腰、小外掛。 9歳の時にテレビアニメ化された『YAWARA!』に影響されて三道会館五所川原分団で柔道を始めた。筒井中学から青森山田高校へ進むと、2年の時に全国高校選手権52kg級で5位に入賞する。 高校を卒業後は憧れていた歌手になるための下準備として化粧品会社への就職が決まっていたが、帝京大学柔道部監督の稲田明に熱心に勧誘され、柔道を続ける道を選んだ。2000年に帝京大学へ進学後、1年の時に全日本ジュニアで2位、アジアジュニアでは優勝を果たす。3年の時には優勝大会で優勝メンバーの一員として名を連ねた。
藤田 博臣(ふじた ひろおみ、1976年2月23日 - )は… 藤田 博臣(ふじた ひろおみ、1976年2月23日 - )は、青森県五所川原市出身の日本の柔道家。現役時代は86kg級の選手。身長185cm。得意技は浮落、内股、大外刈。 柔道は父親の勧めで五所川原第三中学に入ってから始めた。 中学3年の時に全国中学校柔道大会78kg級で2位となった。東海大相模高校に進むと、1年の全国高校選手権では2位だったが、2年の時には優勝を飾った。 3年のインターハイ団体戦では優勝したが、個人戦中量級では5位にとどまった。 全日本ジュニアでは優勝を飾った。 東海大学に進むと、1年の時に世界ジュニアに出場するが、5位に終わった。 その後ケガなどもあってスランプに陥り、一時は柔道への情熱も失いかけたが、総監督の佐藤宣践による気遣いなどもあって立ち直ると、3年の時には正力杯で中央大学の近藤秀作を浮落で破って優勝し、全日本学生柔道優勝大会でも優勝した。
斉藤 仁 (さいとう ひとし、1961年1月2日 - 201… 斉藤 仁 (さいとう ひとし、1961年1月2日 - 2015年1月20日)は、青森県青森市出身の日本の柔道家。ロサンゼルスオリンピック・ソウルオリンピック柔道男子95kg超級金メダリスト。国士舘大学体育学部教授、同大学柔道部監督、全日本代表監督を務めた。段位は講道館9段。位階は従五位。二人の息子がおり、二男は斉藤立。親戚は同郷青森市出身の元WBA世界フライ級チャンピオンのレパード玉熊。 1961年に青森市筒井八ッ橋(のちの筒井2丁目)で生まれ、1967年に市立筒井小学校へ入学。小学校時代には既に体が大きく、相撲をやっていて同級生らからは“水デブ”などとあだ名されていた。TBS系テレビドラマ『柔道一直線』にて、主人公(一条直也)が特訓して大きな相手を投げ飛ばしたり足でピアノを弾いたりするシーンを見て、「柔道をやれば、出来ない事もやれるようになるのではないか」と思ったのがきっかけとなり、父に「死ぬまで柔道をやるから」と誓って柔道着を買ってもらい、柔道を始め、アニメ『アニメドキュメント ミュンヘンへの道』の影響でいつしか自然と五輪を目指すようになっていったという。
米塚 義定(よねづか よしさだ、1937年5月19日 - 2… 米塚 義定(よねづか よしさだ、1937年5月19日 - 2014年10月18日)は日本及びアメリカの柔道家。柔道の段位は講道館9段で、空手道でも8段を所有している。アメリカでは“ヨネ”として知られた。 青森県北津軽郡武田村(のちの中泊町)出身。小さい頃は相撲や陸上競技に取り組んでいた。武田中学校を卒業後、五所川原高校に入学してから柔道を始め、受け身の練習を始めてから2年後の高校3年次には青森県代表として国体出場を果たした。日本大学に進学すると、4年間の学生生活で引き分けはあっても負け試合は1度もなく、副主将を務めて全日本学生柔道優勝大会などで活躍した。 1960年に大学を卒業後、ニューヨーク州柔道協会に招聘されてアメリカで柔道指導にあたる事になった。
前田 光世(まえだ みつよ、男性、1878年12月18日 -… 前田 光世(まえだ みつよ、男性、1878年12月18日 - 1941年11月28日)は、講道館黎明期の柔道家(7段)である。グレイシー柔術の祖。本名・旧名前田 栄世(まえだ ひでよ)。ブラジル帰化後の本名はオタービオ・ミツヨ・マエダ。1908年にスペインで得た通り名コンデ・コマ(Conde Koma)の名でも知られていた。 青森県中津軽郡船沢村(のちの弘前市)出身。1895年(明治27年)、青森県第一中学校(青森県尋常中学校)(のちの青森県立弘前高校)に入学、運動委員の一員として同校の柔術部創設に関わったことで、旧弘前藩の柔術師範である斎藤茂兵衛(本覚克己流)への師事も指摘される。1995年の講道館機関誌『柔道』で青森県柔道連盟総務理事の岡本一雄は、前田は本覚克己流の免許を在学中に得た、と述べている。