藤澤 貴之(ふじさわ たかゆき、1966年(昭和41年)8月… 藤澤 貴之(ふじさわ たかゆき、1966年(昭和41年)8月26日 - )は、日本の実業家、銀行家。青森みちのく銀行代表取締役会長、プロクレアホールディングス代表取締役副社長、青森放送取締役。 青森県青森市出身。青森市立西中学校から、青森高校に進学。1990年に千葉大学法経学部を卒業後、みちのく銀行に入行。 同行古川支店長、人事部長、営業本部長、常務執行役員、専務執行役員を経て、2007年、高田邦洋の後任として経営企画部長に就任。2018年に取締役に選任されると、高田の後任として代表取締役頭取に就任した。 2020年、青森銀行との経営統合を否定するが、翌年、2024年をめどに青銀と経営統合する意向を発表した。
石川 啓太郎(いしかわ けいたろう、1961年(昭和36年)… 石川 啓太郎(いしかわ けいたろう、1961年(昭和36年)4月26日 - )は、日本の銀行家。青森みちのく銀行代表取締役頭取(初代)。元青森銀行代表取締役頭取。プロクレアホールディングス代表取締役副社長。 青森県むつ市出身。青森県立青森高等学校卒業。1984年、上智大学法学部卒業。同年4月、青森銀行に入行。 入行後は、経営企画・リテール営業企画・人事部門を歴任。2005年、大湊支店長。2008年、湊支店長。2009年、湊支店長兼本町支店長。2010年、人事部長。2011年、総合企画部長。2013年、本店営業部長。 2014年、執行役員本店営業部長。2015年、執行役員営業統括部長。2016年、取締役地区営業本部長(弘前地区担当)。
高田 邦洋(髙田 邦洋、たかだ くにひろ、1957年(昭和3… 高田 邦洋(髙田 邦洋、たかだ くにひろ、1957年(昭和32年)5月18日 - )は、日本の実業家、銀行家。青森経済同友会代表幹事、みちのく銀行特別顧問。 青森県上北郡七戸町出身。三本木高校、日本大学法学部卒業後、1981年にみちのく銀行に入行する。 小柳支店長や堅田支店長、経営企画部長を歴任して、2006年に取締役に就任する。その後、取締役常務執行役員を経て、2012年に代表取締役副社長となり、翌2013年に杉本康雄の後任として代表取締役頭取に就任した。 2018年に頭取を藤澤貴之に譲って、代表権のない取締役会長に退き、2022年6月に特別顧問。
成田 晋 (なりた すすむ、1954年(昭和29年)9月27… 成田 晋 (なりた すすむ、1954年(昭和29年)9月27日 - )は、日本の実業家、銀行家。プロクレアホールディングス代表取締役社長、青森放送取締役。青森県生まれ。
杉本 康雄(すぎもと やすお、1947年(昭和22年)2月2… 杉本 康雄(すぎもと やすお、1947年(昭和22年)2月27日 - )は、日本の実業家、銀行家。みちのく銀行(現・青森みちのく銀行)相談役、青森県レクリエーション協会代表理事会長、棟方志功記念館理事長。 青森県三沢市生まれ。青森県立八戸高等学校を経て、高崎経済大学経済学部を卒業。 1969年、弘前相互銀行(みちのく銀行→青森みちのく銀行)に入行。常務まで昇進するが、当時の大道寺小三郎会長との間で、新システム移行の件で確執が生じ、取締役支店長に降格となった。その後、みちのくユーシーカード(現・みちのくカード)の社長に転じたが、2005年の不祥事の頻発と業務改善命令の発動に伴い、ほぼ役員全員の辞職という事態になり、役員派遣を要請されたみずほFG側の懇請により、頭取として復帰した。
加福義貞(かふく よしさだ、1945年(昭和20年)9月20… 加福義貞(かふく よしさだ、1945年(昭和20年)9月20日 - )は、日本の銀行家。青森銀行取締役相談役。青森県公安委員会委員。 青森県弘前市出身。明大卒業後、青森銀行に入行する。 28歳からは7年間にわたり労働組合に従事。その間には委員長も務めた。 各店支店長等を歴任後、取締役に昇格する。 2007年(平成19年)には、「新中期経営計画」の遂行に際して、新体制で臨むことが最適であると判断され頭取に昇格する。 トップ在任時には、店舗統廃合を実施を推進した他、農業や青森県外を含め営業拡大に注力した。
梅内 敏浩(うめない としひろ、1930年9月11日 - … 梅内 敏浩(うめない としひろ、1930年9月11日 - )は、日本の銀行家。青森銀行頭取を務めた。 青森県青森市出身。1953年に東北大学経済学部を卒業し、同年4月に青森銀行に入行。1977年に取締役に就任し、1983年6月に常務、1987年6月に専務を経て、1991年6月に副頭取に就任し、1995年4月には頭取に昇格。1997年5月に会長を経て、2002年6月には相談役に退いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
葛西 清美(かさい きよみ、1914年(大正3年)4月10日… 葛西 清美(かさい きよみ、1914年(大正3年)4月10日 - 1995年(平成7年)2月20日)は、日本の銀行家、実業家。みちのく銀行頭取、青森朝日放送初代社長を務めた。 青森県出身。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)、東北帝國大学法学部法律学科を卒業後、東北興業に入社。子会社等を担当する。 その後、持病を再発したこともあり、前夫人の祖父にあたる唐牛敏世のすすめで弘前無尽(弘前相互銀行の前身)に入社する。入社早々、いきなり支配人兼営業部長をまかせられ困惑したという。役員昇格後は、主に内部改革をまかせられ、コンピューターを業界に先駆けて導入するなどして、弘前相銀は、バイタリティあふれる相互銀行として急成長を果たした。
佐々木 彰造(ささき しょうぞう、1902年〈明治35年〉2… 佐々木 彰造(ささき しょうぞう、1902年〈明治35年〉2月 - 1966年〈昭和41年〉)は、日本の実業家、銀行家、青森県多額納税者、地主。佐々木銀行頭取。「布嘉」佐々木家4代目。青森県北津軽郡五所川原町長(15代)。 青森県北津軽郡五所川原町の人・佐々木嘉太郎の長男。1945年(昭和20年)、五所川原町長に就任、1946年(昭和21年)、退職。その後、青森自動車部品社長、青菱自動車社長を歴任し、県内のモータリストの草分けとなった。住所は青森県北津軽郡五所川原町(現五所川原市)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
2代 佐々木 嘉太郎(ささき かたろう、前名・嘉造、1879… 2代 佐々木 嘉太郎(ささき かたろう、前名・嘉造、1879年〈明治12年〉5月27日 - 1961年〈昭和36年〉10月21日)は、日本の商人(呉服商)、青森県多額納税者、政治家(貴族院多額納税者議員)、実業家、銀行家。青森銀行頭取。津軽鉄道顧問。「布嘉」佐々木家3代目。 青森県北津軽郡五所川原村(五所川原町を経て現五所川原市)に生まれる。佐々木眞平の長男。初代・佐々木嘉太郎の孫。早逝した2代目の跡を継ぐ。呉服商を営む。1915年(大正4年)、五所川原町会議員に当選。 1918年(大正7年)には青森銀行頭取を兼ねて佐々木銀行を設立した。呉服屋稼業から金融業へと「布嘉」の看板を掛けかえた。ほか、陸奥鉄道社長、津軽鉄道取締役などを歴任した。
原田 藤次郎(はらだ とうじろう、1874年(明治7年)10… 原田 藤次郎(はらだ とうじろう、1874年(明治7年)10月21日 - 1948年(昭和23年)1月5日)は、明治時代後期から大正時代の政治家、銀行家。衆議院議員。 原田佐治郎の長男として、青森県西津軽郡森田村(現・つがる市森田町)に生まれる。農業を営む傍ら青森県農工銀行取締役を歴任する。1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙で青森県第4区から立憲政友会所属で出馬して当選し、2期務めた。 在任中は五能線の五所川原以西の延伸に尽力し、1924年(大正13年)には陸奥森田駅まで列車が走るようになり、翌年には鰺ケ沢まで、1934年(昭和9年)には深浦まで開通した。1933年(昭和8年)から1946年(昭和21年)までは西津軽郡土淵堰、悪水路の両水利組合議員を務め、農業水利の改善に尽くした。
宇野 勇作(うの ゆうさく、1871年6月2日(明治4年4月… 宇野 勇作(うの ゆうさく、1871年6月2日(明治4年4月15日) - 1940年(昭和15年)10月8日)は、大正から昭和時代前期の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。衆議院議員(1期)。 陸奥弘前藩領津軽郡上十川村(青森県南津軽郡六郷村を経て現黒石市)に生まれる。南黒地方屈指の大地主。南津軽郡立中学校を卒業し、産馬、リンゴ園、酒造業、運送業などを営む。1915年(大正4年)青森県会議員に当選。1920年(大正9年)5月の第14回衆議院議員総選挙では青森県第3区から立憲政友会公認で出馬し、鳴海文四郎を700票余上回り当選する。 1927年(昭和2年)六郷村長となり、1932年(昭和7年)9月には青森県多額納税者として貴族院議員に互選され、同月29日から1939年(昭和14年)9月28日まで在任した。
3代 加藤 宇兵衛(かとう うへえ、1862年1月27日(文… 3代 加藤 宇兵衛(かとう うへえ、1862年1月27日(文久元年12月28日) - 1929年(昭和4年)8月22日)は、明治から昭和時代初期の政治家、銀行家、実業家。大地主。貴族院多額納税者議員。衆議院議員(3期)。 造酒屋「沢成 (さわなり、屋号・沢屋)」の2代・加藤成之助の長男として、陸奥黒石藩領津軽郡黒石上町(青森県南津軽郡黒石町を経て現黒石市)に生まれる。1890年(明治23年)から青森県会議員に5回、1902年(明治35年)から衆議院議員に3回当選する。さらに1906年(明治39年)には青森県多額納税者として貴族院議員に互選され、翌年1月18日から1911年(明治44年)9月28日まで在任した。
佐藤 源蔵(さとう げんぞう、1857年11月20日(安政4… 佐藤 源蔵(さとう げんぞう、1857年11月20日(安政4年10月4日)- 1937年(昭和12年)1月16日)は、明治から昭和時代前期の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 陸奥国津軽郡畑中村(現在の南津軽郡田舎館村)に生まれる。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を持つ大地主 佐藤治郎左衛門の長男。 その後、1889年(明治22年)の 町村制施行とともに田舎館村収入役に就任し、2期務める。1905年(明治38年)佐藤、田沢周助(田沢吉郎の父)、宮舘貞吉の提唱により信用組合を創立し、組合長に就任。衆議院議員の加藤宇兵衛や宇野清左衛門と共に、黒石銀行取締役や津軽銀行取締役などを歴任し、県内での銀行の普及に努めた。
市田 兵七(いちた/いちだ ひょうしち、1856年4月29日… 市田 兵七(いちた/いちだ ひょうしち、1856年4月29日(安政3年3月25日) - 1914年(大正3年)5月29日)は、明治時代の政治家、銀行家。衆議院議員(2期)。 陸奥弘前藩領津軽郡木作新田(青森県西津軽郡木造町を経て現つがる市)に生まれる。近江国神崎郡市田村(滋賀県神崎郡竜田村、北五個荘村、五個荘町を経て現東近江市)を本拠とした市田家の子孫。1885年(明治18年)西津軽郡会議員に当選し、議長代行者を務める。1891年(明治24年)には青森県会議員となり、1904年(明治37年)の第9回衆議院議員総選挙では工藤行幹の急死に伴う補欠選挙で当選した。第10回総選挙でも憲政本党の非公認で出馬し当選。
4代 松木 彦右衛門(まつき ひこえもん、1851年(嘉永4… 4代 松木 彦右衛門(まつき ひこえもん、1851年(嘉永4年11月) - 1921年(大正10年)1月9日)は、明治から大正時代の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。 弘前城下松森町(弘前松森町を経て現弘前市松森町)で酒造業・松木家に生まれる。1867年(慶応3年)以降、弘前藩御用達となり、ついで松前商社頭取となった。1894年(明治27年)弘前両益銀行を創立し頭取に就任。1898年(明治31年)弘前銀行取締役を経て、のち第4代頭取となる。 そののち弘前電燈発起人筆頭を経て、1899年(明治32年)10月、青森県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年11月21日から務め、任期途中の1902年(明治35年)6月13日に辞職して、宮本甚兵衛にその職を譲った。