桂島 宣弘(かつらじま のぶひろ、 1953年 - )は、… 桂島 宣弘(かつらじま のぶひろ、 1953年 - )は、日本の歴史学者。立命館大学文学部名誉教授。専門は日本近世思想史・民衆思想史。 岩手県出身。バプテスト派の牧師桂島祐三の息子。岩手県立盛岡第一高等学校、東北大学工学部を経て、1979年立命館大学文学部日本史学専攻卒業。1984年、立命館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。1983年に姫路日ノ本短期大学教員となり、1995年から立命館大学文学部助教授、1997年より同教授。1994年、「幕末民衆思想の研究」で立命館大学から博士(文学)の学位を取得。2010年度~2013年度立命館大学文学部長。2000年2月~7月中国北京日本学研究センター派遣教授、2006年9月~2007年8月韓国東西大学校客員教授、2014年9月~2015年8月韓国高麗大学校客員教授。
栗生澤 猛夫(くりうざわ たけお、1944年10月5日 - … 栗生澤 猛夫(くりうざわ たけお、1944年10月5日 - )は、日本の歴史学者。主専攻はロシア中世・近世史。北海道大学名誉教授。北海道大学文学部長・大学院文学研究科長を歴任。 1944年、岩手県盛岡市で生まれた。1963年3月に岩手県立盛岡第一高等学校卒業し、一橋大学経済学部に進学。1967年に卒業して一橋大学大学院社会学研究科に進み、1971年に修士課程を修了。大学での指導教官は金子幸彦であった。北海道大学大学院文学研究科博士課程に移り、1974年に単位取得退学。 1974年4月、日本学術振興会奨励研究員となった。同1974年10月よりベルリン自由大学東欧研究所に研究留学(ドイツ学術交流会奨学生として)。
工藤 雅樹(くどう まさき、1937年(昭和12年)12月1… 工藤 雅樹(くどう まさき、1937年(昭和12年)12月18日 - 2010年(平成22年)1月29日)は、日本の考古学者、歴史学者。福島大学名誉教授。専門は蝦夷を中心とした東北地方の古代史。 岩手県岩手郡松尾村(現・八幡平市)出身。岩手県立盛岡第一高等学校を経て東北大学文学部史学科入学、1966年には東北大学大学院文学研究科の博士課程を修了した。その後は東北歴史資料館(現在の東北歴史博物館)勤務を経て、宮城学院女子大学に教授として迎えられた。1989年からは福島大学の教授となり、2003年に退官するまで務めた。2004年には再び東北歴史博物館へと戻り、館長を2年間務めた。 2004年からは平泉の世界遺産登録を目指した推薦書作成委員会委員長になったが、2008年7月6日、国際記念物遺跡会議より普遍的価値の証明が不十分との指摘を受け、世界遺産の登録は見送りとなった。
金野 靜一(きんの せいいち、1924年9月15日 - 20… 金野 靜一(きんの せいいち、1924年9月15日 - 2021年5月18日)は、日本の歴史学者、教育者。元岩手県立博物館長。 岩手県大船渡市出身。立正大学地理歴史科卒業。岩手県立高校教諭、岩手県立盛岡第二高等学校校長、岩手県立博物館長。盛岡大学短大部教授、岩手県文化財保護審議会長、岩手県教育弘済会理事長を歴任。 2021年5月18日、急性心筋梗塞のため死去。
高橋 梵仙(たかはし ぼんせん、1904年11月2日 - 1… 高橋 梵仙(たかはし ぼんせん、1904年11月2日 - 1987年6月19日)は、日本の僧侶、歴史学者。本名は北小路貞和。 岩手県奥州市江刺地域出身。大東文化大学教授。真言宗智山派金剛寺住職、大東文化大学名誉教授。日本経済史、社会経済史、人口史専攻。1960年「近世諸藩の人口と人口増加政策」により、専修大学から経済学博士の学位を授与される。また、1961年には「かくし念仏の歴史と教義・教団組織とに関する一研究」により東洋大学から文学博士の学位を授与される。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
森 嘉兵衛(もり かへえ、1903年6月15日 - 1981… 森 嘉兵衛(もり かへえ、1903年6月15日 - 1981年4月8日)は、日本の歴史学者、岩手大学名誉教授、経済学博士。主な研究テーマは南部藩を中心とする近世史だが、中尊寺金色堂の調査にも参加するなど、活動分野は多岐にわたった。 岩手県盛岡市の豪商の家に生まれる。盛岡中学から法政大学経済学部に進み、小野武夫の下で近世日本経済史を研究した。1929年卒業。岩手県教育会書記を務め、岩手師範学校教授。 1947年、昭和天皇が岩手県に戦後巡幸された際に拝謁し、岩手県の開拓史について奏上する。その後、1949年に岩手大学教授、1969年定年退官。学内では学芸学部長、教育学部長を歴任した。退官後は、盛岡短期大学講師や富士大学教授を務めた。
板沢 武雄(いたざわ たけお、1895年1月5日 - 196… 板沢 武雄(いたざわ たけお、1895年1月5日 - 1962年7月15日)は、日本の歴史学者。東京帝国大学教授・法政大学教授を歴任。専門は、日本近世史・日蘭貿易史。 1895年(明治28年)1月5日に岩手県南閉伊郡釜石町(現・釜石市)の天台寺門宗の名刹観音寺住持・板沢真小雄と喜智の五男として生まれた。旧制遠野中学校に入学し、中学時代に『台湾文化志』の著者・伊能嘉矩の家に寄寓してその感化を受け、これがのちに歴史学を志す契機となった。中学卒業後に第二高等学校に進学し、1916年7月に同校大学予科第一部英文科卒業。同年9月に東京帝国大学文科大学国史学科に進んだ。1919年7月に卒業。 その後、宮内省図書寮勤務を経て、1921年に学習院講師となり、翌年教授に就任した。
原 勝郎(はら かつろう、1871年4月15日(明治4年2月… 原 勝郎(はら かつろう、1871年4月15日(明治4年2月26日) - 1924年(大正13年)1月12日)は、日本の歴史学者。京都帝国大学教授、京都帝国大学文学部長。 1871年、岩手県盛岡市で旧盛岡藩士・原勝多の長男として生れた。盛岡中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学文科大学史学科で学んだ。1896年に卒業。同大学大学院に進んだ。 1896年12月から一年志願兵として近衛歩兵第4連隊に入営。1899年2月、陸軍歩兵少尉に任官し、1904年、歩兵中尉に進級。 1899年9月、第一高等学校教授に就いた。1902年10月、文学博士号を取得。 1907年2月から1909年3月まで、イギリス、アメリカ、ドイツに留学。
斎藤 斐章(さいとう ひしょう、慶應3年2月26日(1867… 斎藤 斐章(さいとう ひしょう、慶應3年2月26日(1867年4月2日) - 昭和19年(1944年)5月27日)は、日本の教育者、歴史学者。 岩手県出身。1899年(明治32年)、東京高等師範学校文科を卒業し、東京府師範学校訓導・教諭となる。1902年(明治35年)、東京高等師範学校助教諭となり、1906年(明治39年)に教諭、1908年(明治41年)に教授に進んだ。歴史学・歴史教育法研究のため欧米に留学し、1911年(明治44年)に帰国した。1920年(大正9年)からは附属中学校主事を兼ねた。1936年(昭和11年)、退官。