佐々木 成三(ささき なるみ、1976年11月13日 - )… 佐々木 成三(ささき なるみ、1976年11月13日 - )は、日本の犯罪コメンテーター、犯罪評論家、元警察官。最終階級は警部補。岩手県一関市出身。ブルーミングエージェンシー所属。兄はジャーナリストで大和大学教授の佐々木正明。 1995年に岩手県立一関第二高等学校を卒業後、埼玉県警察に入る。元埼玉県警察本部刑事部捜査第一課警部補。デジタル捜査班の班長として、デジタル証拠の押収解析を専門とし、サイバー犯罪の捜査にも関わる。また、数多くの重要事件捜査本部において、被疑者の逮捕や取り調べ、捜査関係者からの情報収集、被害者対策や遺族担当にも従事して実績をあげた。 1998年、千葉県警察成田国際空港警備隊に2年間出向した。
佐藤 清文(さとう せいぶん、1966年2月12日 - )は… 佐藤 清文(さとう せいぶん、1966年2月12日 - )は日本の文芸批評家。ローマ字表記はSeibun Satow。岩手県北上市出身。 国際基督教大学教養学部教育学科卒業、同大学院教育学研究科修了。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
伊藤 政則(いとう せいそく、1953年7月10日 - )は… 伊藤 政則(いとう せいそく、1953年7月10日 - )は、日本の音楽評論家。ヘヴィメタル専門誌である『BURRN!』の編集顧問。アイアン・メイデンやボン・ジョヴィ、メタリカ、エアロスミスなど、数多くの世界的なバンドと交流があり、「Masa-Ito(本名に由来)」の愛称で親しまれている。ヘヴィメタルのみならず、60年代以降のブリティッシュ・ロック全般、またプログレッシヴ・ロックにも精通していることで知られる。 岩手県花巻市出身。少年時代からラジオファンであり、またロックファンであったが、1970年、『斉藤安弘のオールナイトニッポン』の1曲目にディープ・パープルの「ブラック・ナイト」がオンエアされた時の衝撃によって、よりロックにのめり込んでいったという。
浅野 史郎(あさの しろう、1948年〈昭和23年〉2月8日… 浅野 史郎(あさの しろう、1948年〈昭和23年〉2月8日 - )は、日本の政治評論家、コメンテーター。元神奈川大学特別招聘教授。元慶應義塾大学総合政策学部教授。元宮城県知事(公選第15・16・17代)、元厚生官僚。 岩手県大船渡市生まれ、宮城県仙台市育ち。神奈川県横浜市在住。仙台第二高等学校3学年に在学中には、「受験生への密着リポート」として、数ヵ月にわたって地元テレビ局の取材を受けた。 東京大学法学部卒業後にはキャリア官僚として厚生省(当時)に入省、同省において障害福祉課長を務めた。1993年、ゼネコン汚職事件に係わって当時の宮城県知事・本間俊太郎が辞職、その後の知事選挙に新生党・日本新党・さきがけ・社民連の推薦を受け立候補し初当選、戦後生まれ3人目の知事に就任した。
佐々木 良昭(ささき よしあき、1947年11月18日 - … 佐々木 良昭(ささき よしあき、1947年11月18日 - )は、日本の国際問題評論家、イスラム圏研究者。 岩手県生まれ。1966年、岩手県立一関第一高等学校卒業。 19歳の時にムスリムになった。 1970年、拓殖大学商学部卒業。同年の大阪万国博覧会でアブダビ政府館副館長を務めた。1971年、リビアに渡って国立リビア大学(英語版)神学部に入学。1974年に修了し、アラブ・データ・センター勤務となり、ベイルート駐在代表。 1976年、クウェートの新聞『アルカバス(英語版)』の東京特派員。1978年、在日リビア大使館渉外担当を経て、1980年に拓殖大学海外事情研究所研究員となり、その後、徐々に昇任して1993年に同教授となる。
神山睦美(かみやま むつみ、1947年 - )は、日本の文芸… 神山睦美(かみやま むつみ、1947年 - )は、日本の文芸評論家。思想評論家。 岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。1965年 岩手県立水沢高等学校卒業。1971年 東京大学教養学部教養学科フランス分科卒業。1972年 東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化修士課程入学(修士を終えずに除籍)。桐生外語学院、東進ハイスクール、河合塾文理など予備校講師を務める。 全共闘活動の後、個人学習塾を開く。その後も、予備校の教壇に立ちながら、在野での思想、評論活動を行う。詩、小説、思想と批評対象は多岐にわたり、通常1年交替の図書新聞文芸時評を3年間続けた。2013年3月17日「吉本隆明さん―逝去一年の会」の事務局代表をつとめ、毎年「横超忌」(吉本隆明を偲ぶ会)開催の決定に尽力した。
柳沢 由実子(やなぎさわ ゆみこ、1943年11月8日 - … 柳沢 由実子(やなぎさわ ゆみこ、1943年11月8日 - )は、日本の翻訳家・評論家。主に英語・スウェーデン語の日本語訳を手がける。別名義にヤンソン由実子(Jansson Yumiko、ヤンソンゆみこ)、ヤンソン柳沢由実子がある。 岩手県一関市生まれ。貧しい家の出身ながらも音楽家の父と裕福な家の出身の母の間に生まれた2人姉妹のうちの次女として育つ。物心ついた頃から家や性別に伴う因習や固定的な価値観への抵抗があった。上智大学文学部英文学科卒業。卒業したのち1年半ほど丸の内の韓国銀行東京支店で勤務。1967年、24歳の時、当時日本語を学ぶために文部省の交換留学生として来日していたスウェーデン人のペール・スタファン・ヤンソン(典: Per Staffan Jansson)と国際結婚をして、翌1968年に初めてスウェーデンを訪れる。
佐藤 通雅(さとう みちまさ、1943年1月2日 - )は、… 佐藤 通雅(さとう みちまさ、1943年1月2日 - )は、日本の歌人、評論家。河北新報歌壇選者。 岩手県水沢市(現奥州市)出身、宮城県仙台市在住。岩手県立水沢高等学校、東北大学教育学部卒業。宮城県内の高等学校にて教員を務める。 歌誌『短歌人』を経て、1966年に文学思想個人編集誌『路上』を創刊。短歌、詩、評論、児童文学研究などの分野で編集。宮沢賢治論、北原白秋論が多い。2011年の第120号にて第1期を終刊、第2期へと移行した。 1965年、「青海」で第11回角川短歌賞候補。1971年『新美南吉童話論』で第4回日本児童文学者協会新人賞受賞。1986年『日本児童文学の成立・序説』で日本児童文学学会賞奨励賞。
菊池 久(きくち ひさし、1932年2月18日 - 2009… 菊池 久(きくち ひさし、1932年2月18日 - 2009年4月30日)は、日本の新聞記者、政治評論家。
山折 哲雄(やまおり てつお、1931年〈昭和6年〉5月11… 山折 哲雄(やまおり てつお、1931年〈昭和6年〉5月11日 - )は、日本の宗教学者、評論家。専攻は宗教史・思想史。国際日本文化研究センター名誉教授(元所長)、国立歴史民俗博物館名誉教授、21世紀高野山医療フォーラム副理事長、総合研究大学院大学名誉教授、平城遷都1300年記念事業評議員。教育改革国民会議委員。角川財団学芸賞、和辻哲郎文化賞、山本七平賞選考委員。1997年に白鳳女子短期大学赴任以降は行政職に就くことが続いた。岩手県花巻市出身。京都市在住。 日本人の宗教意識や精神構造を研究し、現代社会論や文明論を精力的に展開する。著書に『日本人の霊魂観』(1976年)、『悲しみの精神史』(2002年)、『義理と人情』(2011年)など。
落合 英一(おちあい えいいち、1916年2月15日 - 1… 落合 英一(おちあい えいいち、1916年2月15日 - 1993年6月10日)は、昭和時代の労働運動家、評論家。 筆名は北 竜平。全国産業別労働組合連合(新産別)書記長、国際自由労連東京事務所所長。 岩手県岩手郡葛巻町生まれ。1936年横浜高等工業学校応用化学科卒、三井化学三池染料工業所に入社。兵役を経て、1943年東京芝浦電気(東芝)に入社。1945年12月東芝堀川町工場従業員組合の結成に参加、委員長。 1946年10月全日本電気工業労働組合(全電工)初代委員長。全日本産業別労働組合会議(産別会議)中央執行委員を兼務。1947年の2・1スト以降、日本共産党のフラクション活動に反対し、産別会議の民主化運動に取り組む。
太田 俊穂(おおた としほ、1909年12月5日 - 198… 太田 俊穂(おおた としほ、1909年12月5日 - 1988年1月15日)は、日本の経営者・評論家。 岩手県盛岡市出身。岩手縣立盛岡中學校(現在の岩手県立盛岡第一高等学校)を経て、東京外国語学校中退。東京日日新聞盛岡支局を経て、1944年岩手日報に入り、編集局長。岩手放送の開局に参与、1961年社長となる。日本現代詩歌文学館初代館長であり、郷土史家としても知られ、多くの著作を書いた。
森口 多里(もりぐち たり、1892年8月7日 - 1984… 森口 多里(もりぐち たり、1892年8月7日 - 1984年5月5日)は、日本の美術史家・美術評論家、民俗学者。本名は多利(たり)。 岩手県胆沢郡水沢町大町(現:奥州市)にて金物商を営む父森口伊三郎、母カネヨの次男として生まれる。一関中学校(現:岩手県立一関第一高等学校)を経て、1910年(明治43年)に早稲田大学文学部予科に入学。在学中、佐藤功一から美術品の調査を依頼される。また、日夏耿之助主宰の同人誌『假面』同人となる。1914年に早稲田大学文学部英文科を卒業した。卒業後は美術評論活動を行い、『ミレー評伝(ロマン・ロラン著)』の翻訳や『恐怖のムンク』といった評論文を執筆した。森口の多彩な文筆活動は、美術史・美術評論に留まらず、戯曲、建築、そして民俗など多岐にわたり、生涯で50冊余の書作を世に送り出している。
野村 胡堂(のむら こどう、1882年(明治15年)10月1… 野村 胡堂(のむら こどう、1882年(明治15年)10月15日 - 1963年(昭和38年)4月14日)は、日本の小説家・人物評論家。『銭形平次捕物控』の作者として知られる。音楽評論家としての筆名はあらえびす、野村あらえびすとも。本名:野村 長一(のむら おさかず)。娘は作家の松田瓊子。 1938年発行の『レコード音楽』昭和13年3月号に、読者からの投書に答える形で、次のように述べている。 「ところで震災の前の年から私は美術と音楽のことも書くやうになつた。さうなると胡堂といふ名では少々堅苦しい感じがあるので、何か他の名を考へることにしたのが抑々あらえびすの名の出来るきつかけだつた。有名な浄瑠璃の「袖萩祭文」の中で「奥州のあらゑびす……」云々と阿倍貞任が威張るくだりがあるが、胡堂の胡がそのあらゑびすに相当するので(ゑびすに「にぎゑびす」即ち熟蛮と「あらゑびす」即ち生蛮の二種がある、その荒つぽい方なのである)ゑはえに変えて、斯くして茲にあらえびすの名が誕生を見た次第だ。