渡邉 正人(わたなべ まさと、1955年 - )は、日本の外… 渡邉 正人(わたなべ まさと、1955年 - )は、日本の外交官。国際協力機構理事等を経て、2015年から駐バングラデシュ特命全権大使、2017年から駐ブルガリア特命全権大使。2020年退官。 宮城県仙台市出身。1980年東京大学法学部卒業、外務省入省。1999年欧亜局東欧課長。2001年欧州局ロシア課長。同年ロシア課長を外れて経済協力局技術協力課長となり、同年鈴木宗男衆議院議員と外務省関係部局との間で、社会通念に照らしてあってはならない異例の細部にわたるやりとりが行われていたとして、川口順子外務大臣より懲戒戒告処分を受けた。2002年経済協力局有償資金協力課長。2003年経済協力局政策課長。2004年在インドネシア日本国大使館公使。
丸山 市郎(まるやま いちろう、ビルマ語: အိချီရို… 丸山 市郎(まるやま いちろう、ビルマ語: အိချီရို မာရုယာမ、1953年 - )は、日本の外交官。外務省外交政策調整官等を経て、2018年から2024年までの駐ミャンマー特命全権大使。上月豊久駐ロシア大使の離任後は、現職の日本大使のうち最も在任期間が長く、平成時代に任命された唯一の大使となっていた。 宮城県仙台市出身。宮城県仙台第二高等学校を経て、1978年中央大学経済学部卒業、専門職職員として外務省入省。ミャンマーの専門家となり、当時のラングーン外国語研修所で二年間のビルマ語研修を受け、1981年から1985年まで当時の在ビルマ日本国大使館に在勤し、1992年、2002年にもそれぞれ在ミャンマー日本国大使館に赴任。
迫 久展(はさま ひさのぶ、1953年(昭和28年) - )… 迫 久展(はさま ひさのぶ、1953年(昭和28年) - )は、日本の外交官。外務省大臣官房現地職員管理官等を経て、2015年から2019年までギニア駐箚特命全権大使を務めた。 宮城県仙台市出身。1977年東北大学工学部卒業。1979年外務省入省。在セネガル日本国大使館参事官、在ブルキナファソ日本国大使館参事官等を経て、2014年外務省大臣官房在外公館課現地職員管理官。2015年からギニア駐箚特命全権大使を務め、ギニア出身のタレントであるオスマン・サンコンへの旭日双光章伝達にあたるなどした。2019年退任。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ政治)。
天江 喜七郎(あまえ きしちろう、1943年12月26日 -… 天江 喜七郎(あまえ きしちろう、1943年12月26日 - )は、日本の外交官。外務省中近東アフリカ局長、在ウクライナ特命全権大使、外務省参与、国立京都国際会館館長等を歴任。 宮城県仙台市出身。生家は日本酒の蔵元だった「天賞酒造」で、喜七郎は8代目天江勘兵衛の7男である。 宮城県仙台第二高等学校を経て、1967年に一橋大学法学部を卒業した。学生時代、仲小路彰に指導を受ける。卒業後に外務省に入省した。イギリス陸軍語学学校でロシア語研修を受けた後、モスクワに在勤となる。1979年イラン革命時に在イラン日本大使館一等書記官を務める。 1984年に外務省大臣官房国際報道課長となり、翌年外務省国際連合局国連政策課長に異動した。
片倉 邦雄(かたくら くにお、1933年〈昭和8年〉10月2… 片倉 邦雄(かたくら くにお、1933年〈昭和8年〉10月22日 - )は、日本の外交官。湾岸戦争時にイラク駐箚特命全権大使を務めた。 1933年(昭和8年)10月22日、東京に生まれる。本籍地は宮城県。片倉家は伊達政宗の乳母喜多の名跡を継いだ田村宗顕の後裔に当たる。夫人は民族学者の片倉もとこ。 旧制宮城県佐沼中学校(現在の宮城県佐沼高等学校)、東京都立戸山高等学校を経て、1953年(昭和28年)4月、東京大学教養学部理科Ⅱ類に入学する。1954年(昭和29年)4月、東大教養学部文科Ⅰ類に入学する。1957年(昭和32年)から1958年(昭和33年)までダートマス大学に留学した。1959年(昭和34年)東大法学部公法科に戻り、在学中の同年9月、外務公務員採用上級試験に合格する。
鹿取 泰衛(かとり やすえ、1921年7月16日 - 200… 鹿取 泰衛(かとり やすえ、1921年7月16日 - 2003年1月11日)は、日本の外交官。位階は正三位。 外務大臣官房長、外務審議官、駐中国特命全権大使、駐ソ連特命全権大使。 宮城県仙台市出身。1941年浦和高等学校文科乙類卒業。1943年東京帝国大学法学部政治学科中退、外務省入省。ドイツ語研修を受ける。在ドイツ日本国大使館一等書記官を経て、1963年外務省欧亜局西欧課長。1965年外務省外務大臣官房会計課長。1967年外務省北米局外務参事官。同年在シアトル日本国総領事館総領事。1969年在インド日本国大使館参事官。1970年外務省経済協力局外務参事官。1972年外務省外務大臣官房長。1974年外務省経済協力局長。
古内 広雄(古内 廣雄、ふるうち ひろお、1907年10月2… 古内 広雄(古内 廣雄、ふるうち ひろお、1907年10月24日 - 1972年11月5日)は、日本の外交官、政治家。衆議院議員(2期)。位階は正三位。勲等は勲二等。 宮城県岩沼市生まれ。伊達忠宗の家老職を務めた古内家の末裔である。第二高等学校文科乙類から東京帝国大学法学部に進み、大学在学中に高等試験外交科合格。外務省に入省してからはドイツに赴任して経験を積み1941年に本省に戻る。終戦直後は進駐軍との終戦連絡の折衝にあたるも、いわゆる「Y項パージ」で一時期省外へ出され公正取引委員会事務局総務部長、公正取引委員会事務局長などを務めた。 1953年に外務省に戻るとレバノン、オーストリア、パキスタン、インドネシアの各国大使を歴任し、池田勇人首相の奨めもあって1964年に退官して自由民主党公認で1965年の参院選に宮城県選挙区から立候補するが、地元組織の分裂から次点に終わる。
板垣 修(いたがき おさむ、1907年2月26日 - 198… 板垣 修(いたがき おさむ、1907年2月26日 - 1987年11月19日)は、日本の外交官。 宮城県仙台市出身。1931年高等試験外交科、行政科試験に合格。翌32年東京帝国大学法学部政治学科卒業、外務省に入省。英国、中国などに勤務し、南京の中華民国大使館勤務中に終戦を迎える。1946年以降、外務省管理局経済部総務課長、総務局資料課長、同局総務課長、中国連絡調整事務局長、貿易局長、経済審議庁審議官を務める。 その後、香港総領事、通産省通商局長、外務審議官、アジア局長を経て1959年7月ノルウェー大使に就任。1962年5月フィリピン大使、65年2月インド大使、66年8月カナダ大使、69年5月中華民国(台湾)大使を歴任した後、72年3月に退官。
守屋 和郎(もりや わろう、明治26年(1893年)11月2… 守屋 和郎(もりや わろう、明治26年(1893年)11月29日 - 昭和52年(1977年))は、日本の外交官。元駐アフガニスタン公使。 元衆議院議員、元宮城県塩竈市長守屋栄夫の弟。元防衛事務次官守屋武昌の叔父。 宮城県遠田郡富永村(のち古川市、現大崎市古川)出身。守屋徳郎の三男。旧制古川中学(現宮城県古川高等学校)卒業。旧制二高を経て、大正6年(1917年)東京帝大法科を卒業し逓信省に勤務の後関東庁参事官に転じ次いで外務省事務官となる。 英国在勤大使館二等書記官同一等書記官。中華民国在勤公使館一等書記官福州総領事大使館一等書記官大使館参事官満州国在勤を歴任し昭和13年(1938年)特命全権公使に任じアフガニスタン国駐箚被仰付昭和15年(1940年)退官す。
鹿野 軍勝(かの ぐんかつ)は、日本の元外交官。コロンビア、… 鹿野 軍勝(かの ぐんかつ)は、日本の元外交官。コロンビア、バチカン大使。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ政治)。