後藤 ひろひと(ごとう ひろひと、1969年2月23日 - … 後藤 ひろひと(ごとう ひろひと、1969年2月23日 - )は、日本の演出家、劇作家、俳優。山形県出身。Piper所属。芸能事務所は吉本興業所属。別名は「大王」。 山形大学附属小学校卒業、山形大学附属中学校卒業、山形県立山形東高等学校卒業、大阪外国語大学ヒンディー語学科(現:大阪大学外国語学部外国語学科ヒンディー語専攻)中退。 1987年に劇団「遊気舎」に入団。1989年からは二代目座長を務め、ほぼ全ての作品の作・演出を手掛ける。1996年に「遊気舎」を退団後はフリーの劇作家として活躍し、1997年には元「劇団そとばこまち」の川下大洋と「Piper」を結成。1998年、吉本興業とマネジメント契約を締結。
石川 裕人 (いしかわ ゆうじん、1953年9月21日 - … 石川 裕人 (いしかわ ゆうじん、1953年9月21日 - 2012年10月11日)は、日本の劇作家・演出家・シナリオライター。元「TheatreGroup"OCT/PASS"」主宰・代表。山形県東根市出身。 NHKオーディオドラマ審査員、(財)仙台市市民文化事業団評議委員(1999年から2005年まで)、「仙台劇のまち戯曲賞」選考委員(2001年から)「土井晩翠わかば賞・あおば賞選考委員(2008年から)といった役職も務めた。 高校時代から劇団を結成、役者・劇作・演出・作曲等を手がけ、執筆・演出作は100本を越える。1981年に結成した「十月劇場」は、仙台市の劇団としては初の東京を含む全国公演を成功させ、国内の演劇フェスティバルへも多数参加した。
井上 ひさし(いのうえ ひさし、本名:井上 廈〈読み同じ〉、… 井上 ひさし(いのうえ ひさし、本名:井上 廈〈読み同じ〉、1934年〈昭和9年〉11月16日 - 2010年〈平成22年〉4月9日)は、日本の小説家、劇作家、放送作家。文化功労者、日本芸術院会員。 1961年から1986年までの本名は内山 廈(うちやま ひさし)。遅筆堂(ちひつどう)を名乗ることもあった。 日本劇作家協会理事、社団法人日本文藝家協会理事、社団法人日本ペンクラブ会長(第14代)などを歴任した。晩年は自身の蔵書を収蔵した遅筆堂文庫を設立、運営した(後述)。 先妻は西舘代志子。後妻のユリは元衆議院議員米原昶の娘。長女は元こまつ座主宰の井上都。三女は株式会社こまつ座社長の井上麻矢。 11934年11月16日、井上靖と競った文学青年の井上修吉を父とし、井上マスを母として山形県東置賜郡小松町中小松(現・川西町)に生まれる。
相澤 嘉久治(あいざわ かくじ、1934年(昭和9年)4月2… 相澤 嘉久治(あいざわ かくじ、1934年(昭和9年)4月22日- )は、日本の劇作家、放送作家。放送作家名は山形三吉。 山形県東村山郡山辺町出身。山形県立山形南高等学校卒、早稲田大学第一文学部中退。 劇団中央芸術劇場を経て1959年、東京芸術座結成に参加。1969年に同劇団退団。以後フリーの劇作家、放送作家として活動した後、1976年に出身地の山形県に帰郷。創刊した総合芸術誌月刊『場』が廃刊となったのを機に、マスコミの集中独占の排除を訴える運動を始める。山形県下の山形新聞・山形放送(YBC)によるマスコミ独占状況に批判的な立場から、「マスコミの集中排除運動」の機関誌としての月刊『V』を創刊。 相澤が発行人をつとめた『うぃずY』は、1987年に「NTT全国タウン誌フェスティバル」(現在終了)で大賞を受賞した。
土井 大助(どい だいすけ、1927年(昭和2年)2月20日… 土井 大助(どい だいすけ、1927年(昭和2年)2月20日 - 2014年(平成26年)7月30日 )は、日本の詩人・劇作家・社会運動家。本名:吉沢四郎(旧姓堀井)。 山形県鶴岡市出身。陸軍航空士官学校在校中に終戦を迎え、復員して、旧制新潟高等学校に編入、そこから東京大学法学部卒。1962年(昭和37年)、詩「十年たったら」でデビューした。この詩は、20歳代の日本共産党員を語り手とした詩だったので、それを読んだ壺井繁治が、作者も主人公と同じ境遇だと勘違いしたというエピソードがある。その後、詩人会議運営委員長、同顧問を歴任した。 1964(昭和39)年9月より1966(昭和41)年9月まで、中国 遼寧省大連市 大連日本語専科学校(現大連外国語大学)にて日本語教師を勤めた。
上泉 秀信(かみいずみ ひでのぶ、1897年2月12日 - … 上泉 秀信(かみいずみ ひでのぶ、1897年2月12日 - 1951年5月14日)は、日本の劇作家、新聞記者。 山形県米沢市生まれ。米沢中学(現山形県立米沢興譲館高等学校)時代は浜田廣介や大熊信行と同人誌を発行。 早稲田大学中退。大正初期から短歌、戯曲を発表。都新聞学芸部長として、尾崎士郎の『人生劇場』を連載させた。 1935年発表の「村道」は4幕の舞台として創作座にて上演。1938年発表の「ふるさと紀行」も、翌1939年に4幕の舞台として新築地劇団により築地小劇場で上演された。 戦時中は大政翼賛会文化副部長。 戦後は福島県に疎開。「わが山河「鯉」(1946年)、「節分の客」(1948年)などを執筆。