前田 勝(まえた まさる、1982年6月24日 - 2020… 前田 勝(まえた まさる、1982年6月24日 - 2020年8月26日)は、山形県東田川郡櫛引町(現・鶴岡市)出身で放駒部屋(引退時は芝田山部屋)に所属していた元大相撲力士。本名同じ。現役時代の体格は身長180cm、体重209kg、血液型はAB型。得意手は左四つ、寄り。最高位は西幕下3枚目(2010年7月場所)。好物はイカ。 実家は第47代横綱・柏戸の生家の近所で、鶴岡少年相撲教室に通い小学校、中学校時代はあらゆる大会を総ナメにして“山形の怪童”と呼ばれた。特に小学校時代には、わんぱく相撲全国大会で5年生、6年生と2年連続で優勝してわんぱく横綱、櫛引町立櫛引中学校3年時には全国都道府県中学生相撲選手権大会個人戦で優勝した。
大岩戸 義之(おおいわと よしゆき、1981年5月18日 -… 大岩戸 義之(おおいわと よしゆき、1981年5月18日 - )は、山形県東田川郡藤島町(現:鶴岡市)出身で八角部屋に所属した元大相撲力士。本名は上林 義之(かんばやし よしゆき)、愛称はカン。現役時代の体格は身長179cm、体重145.5kg、血液型はA型。得意手は突き、押し。最高位は東前頭16枚目(2013年3月場所)。 鶴岡市立朝暘第三小学校4年生から相撲を始め、鶴岡第一中学校では柔道部に所属しながら地元の相撲道場・鶴岡相撲クラブに通った。山形県立加茂水産高校から相撲部に所属し、近畿大学では4年生の時に全国学生相撲選手権大会に優勝して学生横綱を獲得するとともに主将を務めた団体戦も制し、2冠に輝いた。
利樹之丞(りきのじょう、1973年(昭和48年)11月2日 … 利樹之丞(りきのじょう、1973年(昭和48年)11月2日 - )は、大相撲の幕内呼出である。本名は土田 利樹(つちだ りき)。山形県酒田市出身。高砂部屋所属。血液型はAB型。 「利樹之丞」の名前の「之丞」の文字は、多賀之丞からもらったものである。 張りのある高音の美声で知られる人気の高い呼出である。 2021年8月22日、新型コロナウイルスに感染したことが発表された。 2022年7月場所11日目、新型コロナウイルスにより休場力士が多くなった影響で、呼び上げる予定の2番がいずれも不戦勝となったため、この日は呼び上げの出番がなくなった。
琴ノ若 晴將(ことのわか てるまさ、1968年5月15日 -… 琴ノ若 晴將(ことのわか てるまさ、1968年5月15日 - )は、山形県尾花沢市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は鎌谷 満也(かまたに みつや、旧姓今野)。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。最高位は西関脇(1999年1月場所、3月場所)。身長191cm、体重181kg。引退後部屋を継承し、現在は年寄・佐渡ヶ嶽。愛称はワカ、趣味はテレビゲーム、書道。美男子であり、女性ファンが多かった。血液型はB型。長男(一人息子)は琴櫻将傑(二代目琴櫻、前名:琴ノ若傑太)。 尾花沢市立尾花沢中学校入学時点で身長が180cm超を計測し、その体格を活かして柔道部員として県大会団体戦準優勝などの活躍を果たした。
若瀬川 剛充(わかせがわ よしみつ、1962年7月28日 -… 若瀬川 剛充(わかせがわ よしみつ、1962年7月28日 - 2011年10月8日)は、山形県酒田市出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した大相撲力士。本名は佐藤 亙(さとう わたる)。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭筆頭(1989年3月場所)。現役時代の体格は189cm、152kg、血液型はB型。 酒田第三中学校を卒業後、上京して伊勢ヶ濱部屋に入門し、1978年3月場所で初土俵を踏んだ。以来、順調に番付を上げて行き、1980年9月場所では18歳の若さで十両に昇進した。この頃には、後の大関・北天佑と共に「北若時代」を築くことが期待されていた。当初は十両に定着できなかったが、2度目の再十両の場所であった1982年7月場所で11勝4敗の成績で十両優勝を果たすと2場所連続して勝ち越し、1983年1月場所で新入幕を果たした。
清美岳 太(きよみだけ ふとし、1961年6月4日 - 19… 清美岳 太(きよみだけ ふとし、1961年6月4日 - 1997年7月)は、山形県村山市出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は黒沼 美佐登。181cm、128kg。最高位は東十両13枚目。得意技は突き、押し。 1978年9月場所に18歳で初土俵。1983年7月場所に22歳で新十両。その場所は6勝9敗と負け越し、1場所で幕下へ陥落。11月場所に十両に復帰するが右膝を負傷して途中休場、1986年9月場所限りで廃業。廃業後は飲食店を経営していたが、若くして亡くなった。
石川 孝志(いしかわ たかし、1953年2月5日 - )は、… 石川 孝志(いしかわ たかし、1953年2月5日 - )は、日本の元プロレスラー、花籠部屋所属の元大相撲力士。 石川 隆士および石川 泰士のリングネームでも活動していた(読みは同じ)。大相撲時代は大ノ海(おおのうみ)の四股名で活躍、最高位は西前頭4枚目。大相撲時代は身長179cm、体重123kg。 中学時代までは野球少年であったが、酒田南高等学校進学後に相撲に没頭、国民体育大会高校の部で優勝するなど実力を発揮、素質にも恵まれ、この時点で相撲部屋からのスカウトもあったがこれを断り日本大学に進学。名門日大相撲部で活躍し、全日本相撲選手権大会に優勝してアマチュア横綱など数多くのタイトルを獲得、主将も務めたが4年時に糖尿病を患った。
蔵玉錦 敏正(ざおうにしき としまさ、1952年9月3日 -… 蔵玉錦 敏正(ざおうにしき としまさ、1952年9月3日 - 2020年8月9日)は、山形県山形市出身で鏡山部屋(入門時は伊勢ノ海部屋)に所属した大相撲力士。本名は安達 敏正(あだち としまさ)。現役時代の体格は183cm、141kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は西前頭筆頭(1981年1月場所)。 兄2人、妹1人の4人兄妹の三男として生まれた。小学校4年生の頃から体がどんどん大きくなり、スポーツも万能で陸上、柔道、水泳が特に好きだった。高校野球の名門である日本大学山形高等学校に在学中は学業面でも英語や数学が得意であり、日本大学工学部への推薦入学も内定していた。 しかしこの頃、創設間近だった元横綱・柏戸の鏡山部屋の庄内後援会会員で土地相撲でも活躍する知人に見出されて、勧誘された。
飛島 正(とびしま ただし、1950年5月3日 - )は、山… 飛島 正(とびしま ただし、1950年5月3日 - )は、山形県酒田市出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は高橋 正(たかはし ただし)。176cm、98kg。最高位は西十両13枚目。得意技は左四つ、寄り、捻り。 実家は農家で、中学時代は野球部に所属し、エースを務めた。当時としても小柄であったが、大相撲の世界の扉を叩いた。1965年11月場所に初土俵。1971年7月場所に十両昇進を果たすも3勝12敗と大敗を喫し、翌9月場所に幕下陥落。十両在位は1場所に終わった。1978年9月場所に28歳で廃業。左四つで食い下がれば頭捻りを引き、離れれば掻っ撥いたり引っ掛けたりと俊敏さと粘り強さを活かした取り口であった。
神幸 勝紀(しんこう かつのり、1950年1月2日 - )は… 神幸 勝紀(しんこう かつのり、1950年1月2日 - )は、山形県西置賜郡小国町出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は小林 二男(こばやし ふたお)。最高位は西前頭8枚目(1980年7月場所)。現役時代の体格は188cm、136kg。得意手は左四つ、上手投げ。 小国町立小国中学校在学時より柔道で活躍し、地元の県立小国高校でも柔道を続け、2段まで昇った。2年生の時、伊勢ヶ濱親方(元横綱・照國)のスカウトを受け、高校を中退して伊勢ヶ濱部屋に入門。1966年9月、16歳で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の大関・魁傑らがいる。 当初の四股名は、本名と同一の「小林」。その後、「大神幸」(1967年3月場所~)から「神幸」(1970年1月場所~)へと2度四股名を改めたが、「大神幸」「神幸」という名はいずれも自分で付けたものである(「神幸祭」に因む、という)。
若葉山 強(わかばやま つよし、1946年11月7日 - )… 若葉山 強(わかばやま つよし、1946年11月7日 - )は、山形県最上郡(現在の新庄市)出身で時津風部屋所属の元大相撲力士、日本競輪選手会神奈川県支部所属の元A級競輪選手。大相撲時代は身長183cm、体重91kg。本名は伊藤 強(いとう つよし)。最高位は西十両5枚目(1967年1月場所)。得意手は左四つ、押し。 時津風部屋に入門して、1962年7月場所に本名の伊藤の四股名で初土俵を踏んだ。翌9月場所から伊藤川(いとうがわ)に四股名を改めるとともに7戦全勝で序ノ口優勝を飾った。その後は日の出の勢いで番付を上げていき、1963年9月場所は16歳の若さで早くも幕下に昇進し、7戦全勝で優勝同点の好成績を残した。
花筏 健(はないかだ けん、1941年(昭和16年)9月24… 花筏 健(はないかだ けん、1941年(昭和16年)9月24日 -没年不明 )は、山形県鶴岡市出身で立浪部屋所属の元大相撲力士。本名は、三浦 健(みうら けん)。現役時代の体格は身長176cm、体重85kg。最高位は西十両17枚目。得意手は右四つ、内掛け。 実家は農家で、中学卒業後は昼間は町工場に務めながら、定時制高校に通った。卒業後は上京して就職するつもりだったが、1959年12月に知人から立浪親方(元横綱・羽黒山)を紹介され、高校在学中に立浪部屋に入門した。体重が足りず一度は新弟子検査を不合格になり、一旦は地元へ帰ったが、家族全員が改めて入門に反対したので逆に力士を志し始め、12月に再び上京して新弟子検査を受けて合格した。
出羽ヶ嶽 文治郎(でわがたけ ぶんじろう、1902年12月2… 出羽ヶ嶽 文治郎(でわがたけ ぶんじろう、1902年12月20日 - 1950年6月9日)は、山形県南村山郡(現:山形県上山市)出身の元大相撲力士。本名は斎藤 文次郎(さいとう ぶんじろう)(旧姓:佐藤)。
9代式守与太夫(きゅうだい しきもりよだゆう、1898年3月… 9代式守与太夫(きゅうだい しきもりよだゆう、1898年3月21日-1969年11月16日)は元行司である。本名は櫻井福太郎。 房錦勝比古は実子。29代木村庄之助の養父。 高砂部屋から若松部屋に所属してた。 1910年春場所、式守福太郎という名前で初土俵。 1915年に木村福太郎に改名するが、1年で式守福太郎に戻す。 1922年に式守真之助、1936年に7代目式守錦太夫に改名し、1940年頃に幕内格。 この頃、房錦の父となり、房錦を育てた。 1956年夏場所で三役行司昇進。三役格筆頭までいった。 1961年名古屋場所、9代目式守与太夫を名乗るが、病気で休場が続き同年秋場所、廃業した。63歳だった。
16代 式守 伊之助(じゅうろくだい しきもり いのすけ、1… 16代 式守 伊之助(じゅうろくだい しきもり いのすけ、1892年〈明治25年〉6月20日 - 1948年〈昭和23年〉12月3日)は、大相撲の立行司。本名は刀根亀吉、山形県山形市出身。 伊勢ノ海部屋所属、のち出羽海部屋。9代式守伊之助の弟子(のち養子)。わずか6歳で初土俵。松翁20代木村庄之助、21代木村庄之助の弟弟子。 出世は兄弟子の21代庄之助よりも早かったが、行司引退も45歳と早かった。その後、年寄・立田川を襲名して理事まで昇進した。1948年胃癌のため56歳で死去。 22代木村庄之助著『二十二代庄之助一代記』によれば、頭脳明晰で事務能力が素晴らしく、話のわかる人物だったが、太っていて行司にはやや不向きであったようである。
釋迦ヶ嶽 庄太郎(しゃかがたけ しょうたろう、1889年5月… 釋迦ヶ嶽 庄太郎(しゃかがたけ しょうたろう、1889年5月15日 - 1966年7月18日)は、山形県山形市釈迦堂出身で山科部屋、出羽海部屋に所属した力士。本名は川鰭 庄太郎(旧姓富塚)。8代山響。174cm、90kg。最高位は西前頭3枚目。 1906年1月初土俵。当初は最上山を名乗ったが、出身地の釈迦堂から釋迦ヶ嶽と改名した。目立つ力士ではなかったが力が強かった。1913年1月十両昇進。1914年5月入幕し、平幕を上下した。1917年1月場所千秋楽に鳳から小手投げで金星を獲得。現役時代に元十両・嶽ノ越の山響の未亡人と結婚。1922年1月十両に陥落し、ここで負け越したのを最後に引退し、山響を襲名。
朝緑 冨五郎(あさみどり とみごろう、1889年2月4日 -… 朝緑 冨五郎(あさみどり とみごろう、1889年2月4日 - 1947年12月3日)は、現在の山形県鶴岡市出身で立田川部屋、出羽海部屋に所属した力士。本名は石田 富五郎(旧姓伊藤)。173cm、86kg。最高位は東前頭13枚目。大起男右エ門の岳父。 1907年5月初土俵、1912年5月十両昇進。1916年1月新入幕したが、連続負け越しで十両陥落。1919年1月廃業した。その後は相撲茶屋の伊勢福の養子になった。 番付上の表記揺れを無視すれば改名歴なし。 ただし、番付上の表記揺れとして、1908年1月場所は「浅ミとり 冨五郎」、1908年5月場所 - 1911年5月場所は「浅緑 冨五郎」と記されている。
達ノ矢 源之助(だてのや げんのすけ、1888年4月27日 … 達ノ矢 源之助(だてのや げんのすけ、1888年4月27日 - 1945年11月10日)は、現在の山形県長井市出身で千賀ノ浦部屋・芝田山部屋・出羽海部屋に所属した力士。本名は梅津 源之助。5代君ヶ濱。176cm、94kg。最高位は東前頭2枚目。 1904年5月、元大関大達の千賀ノ浦部屋から梅川の四股名で初土俵。間もなく師匠が亡くなって芝田山部屋(当時の師匠は3代芝田山(最高位幕下の松ヶ枝))に移籍。入幕を目前にしてこれまた師匠が亡くなったため出羽海部屋に移籍。1915年1月新入幕。立ち合いからの突っ張り一本の相撲で幕内を通算13場所務めたが、この間、1917年5月に達ノ矢と改名している。1921年5月引退し、その後は自身との稽古中の負傷が元で死亡した元小結大ノ川の年寄名跡である君ヶ濱を5代目として襲名し、その遺族の扶養を引き受けた。
小錦 八十吉(こにしき やそきち、1887年(明治20年)1… 小錦 八十吉(こにしき やそきち、1887年(明治20年)10月15日 - 1943年(昭和17年)3月3日)は、山形県西村山郡三泉村(現:山形県寒河江市)出身で二十山部屋に所属した大相撲力士。本名は後藤 鶴松(ごとう つるまつ)。最高位は小結。 1887年10月15日に山形県西村山郡三泉村(現:山形県寒河江市)で生まれる。上京して二十山部屋へ入門後、1901年5月場所で初土俵を踏んだ。四股名は出身地に因んで「山泉」と名乗った。当初は苦戦して出世まで時間が掛かったが、両國國技館(初代)のこけら落としとなった1909年6月場所で新入幕を果たし、この場所で7勝2敗1預の好成績を収めると、1910年1月場所では梅ヶ谷藤太郎(2代)を破って金星を獲得するなど、上位に通用するまでに力を付けた。
大達 羽左エ門(おおだて うざえもん、1854年1月13日(… 大達 羽左エ門(おおだて うざえもん、1854年1月13日(旧暦嘉永6年12月15日) - 1904年8月17日)は、出羽国田川郡(現:山形県鶴岡市)出身の元大相撲力士。5代千賀ノ浦。本名は諏訪 辯治(すわ べんじ)。最高位は西大関。 1854年1月13日(旧暦嘉永6年12月15日)に出羽国田川郡(現:山形県鶴岡市)で農家を営む家に二男として生まれる。幼少期から地元の土地相撲で活躍したことで村民から「鬼童」と呼ばれて評判だったが、大食漢・大の相撲好きが災いして家業を疎かにすることが多くなったために養子先から離縁され、本職の力士を目指して上京、立田川部屋へ入門した。1873年12月場所において序二段で初土俵を踏むが、素行が悪かったためにまもなく脱走して新潟県を放浪し、村上の酒造家で奉公しながら再び土地相撲で活躍した。
朝日嶽 鶴之助(あさひだけ つるのすけ、1840年(1838… 朝日嶽 鶴之助(あさひだけ つるのすけ、1840年(1838年説も) - 1882年4月4日)は、山形県鶴岡市出身(生地は現在の新潟県村上市)の大相撲力士。本名は本間→佐藤 庄蔵、本間姓の前の苗字は不明。最高位は大関。現役時代の体格は180cm、113kgと伝わる。 越後国の農家に生まれ、漁師に奉公に出された。庄内藩出入りの船人足として働いていたところが藩主の目に止まり、藩主の勧めで同郷の立田川(7代、元関脇常山五良治)に入門した。初土俵は万延元年(1860年)10月場所、幕下二段目に付け出された。最初の四股名は「由良ノ海庄蔵」だが、文久2年(1862年)2月に朝日嶽と改名した。朝日嶽の名は地元の名山大朝日岳に因んだ。
市野上 浅右エ門(いちのかみ あさえもん、1767年(明和4… 市野上 浅右エ門(いちのかみ あさえもん、1767年(明和4年) - 1802年(享和2年)9月9日(旧暦8月13日))は、山形県温海町(現:山形県鶴岡市温海)出身の元大相撲力士。本名は斎藤 浅右衛門(さいとう あさえもん)。 大相撲史上最強力士、雷電爲右エ門に二度勝利した唯一の力士として知られる。 1767年に山形県温海町(現:山形県鶴岡市温海)で温泉宿「あらやまや(新玉屋)」の三代・斉藤五左衛門の長男として生まれ、幼名は五郎吉だった。1788年(天明8年)に初代・出羽ノ海に見出されたことで入門、1790年(寛政2年)11月場所において三段目付出しで初土俵を踏んだ。1793年(寛政5年)3月場所(幕下筆頭、現在でいう十両)と1797年3月場所にて雷電爲右エ門から勝利を挙げ、雷電に二度勝った唯一の力士となった。