粟野 学(あわの まなぶ、1956年(昭和31年)2月7日 … 粟野 学(あわの まなぶ、1956年(昭和31年)2月7日 - )は、日本の銀行家、実業家。きらやか銀行頭取を務めた。 山形県山形市出身。東北大学法学部卒業後、当時の山形相互銀行入行。同行および山形しあわせ銀行トップをあわせて40年あまり務め、安岡正篤を敬慕し人間教育に力を入れた澤井修一からは薫陶を受けた。営業店勤務は5年程で、キャリアの大部分を本部で過ごし、第二地方銀行協会への出向も経験した。 2005年(平成17年)10月、同様に山形市に本店を置く殖産銀行との経営統合を目的に設立されたきらやかホールディングスが発足すると専務、2007年(平成19年)5月、両行の合併によってきらやか銀行が誕生すると同行専務も兼任した。
長谷川 吉茂(はせがわ きちしげ、1949年(昭和24年)9… 長谷川 吉茂(はせがわ きちしげ、1949年(昭和24年)9月30日 - )は、日本の銀行家。山形銀行相談役。山形県EU協会会長。公益財団法人山形美術館評議員。 山形銀行頭取、会長を歴任した長谷川吉郎の長男として山形県山形市に生まれる。 山形県立山形東高等学校を首席で卒業後、東京大学に進学する。在学中は、東大紛争の真っ只中、学生生活を送り自治委員も務めた。もともとは、天文学者を志望していたが、父の影響もあり経済学部に進路を変更し卒業する。 1973年(昭和48年)、住友銀行(現・三井住友銀行)に入行。調査部に長く在籍しあまたの企業を訪問したほか、出向も経験した。また、住銀発行の経済月報誌には数度にわたってレポートも執筆した。
三浦 新(みうら あらた、1940年〈昭和15年〉5月30日… 三浦 新(みうら あらた、1940年〈昭和15年〉5月30日 - 2013年〈平成25年〉3月12日)は、日本の銀行家。山形銀行頭取、会長を歴任した。2010年(平成22年)旭日小綬章受章。位階は従五位。 三浦弥太郎山形銀行頭取の長男として、山形県山形市に生まれる。東京商科大学(現一橋大学)学長や両羽銀行(現山形銀行)頭取を務めた三浦新七は祖父。 慶應義塾大学商学部卒業後、三菱銀行勤務を経て、山形銀行入行。常務、専務を歴任し、45歳で頭取に就任するが、これに対しては行内外から若すぎるとの声も出た。 頭取在任中は、金融の自由化や国際化に対応し、事務センターの建設、第三次オンライン計画の策定のほか1988年(昭和63年)には、総預金1兆円を達成した。
叶内 紀雄(かのうち としお、1940年(昭和15年)- )… 叶内 紀雄(かのうち としお、1940年(昭和15年)- )は、日本の銀行家。殖産銀行頭取を歴任した。 殖産相互銀行社長を務めた叶内長兵衛の孫として山形県山形市に生まれる。 山形県立山形東高等学校を経て中央大学法学部を卒業する。山形東高時代の同級生には、山形銀行頭取を歴任した三浦新らがいた。 中大卒業後、日本勧業銀行勤務を経て、殖産相互銀行入行。1987年には、在任25年に及んだ長谷川吉内社長の後を受け同行社長に就任する。 トップ在任中は普通銀行への転換、東証2部への上場など功績もあったが平成銀行、ミライオン銀行と2度にわたる合併破談を招いたとして引責辞任。特別相談役に退いた。
笹原 信一郎(ささはら しんいちろう、1932年(昭和7年)… 笹原 信一郎(ささはら しんいちろう、1932年(昭和7年)7月26日 - 2022年(令和4年)3月14日)は、日本の銀行家。富士銀行取締役、荘内銀行頭取、鶴岡商工会議所会頭を務めた。 鶴岡の名門である笹原家に生まれる。父の笹原儀三郎は、鶴岡南高校長等を歴任した。 東大法学部卒業後、富士銀行入行。同行時代は支店10年、大企業向けホールセール10年、本部企画業務に10年、それぞれ従事した。1986年(昭和61年)には、頭取在任14年となった玉城俊一が代表権のない会長に退いたため、招聘され荘銀頭取に就任した。 頭取在任時は、金融の自由化や国際化に対応した。一方で、庄内地方における農業経済の不振や、山形県内陸部との経済格差拡大に伴い、経営は苦戦を強いられた。
丹羽 厚悦(にわ こうえつ、1930年〈昭和5年〉8月12日… 丹羽 厚悦(にわ こうえつ、1930年〈昭和5年〉8月12日 - 2023年〈令和5年〉6月23日)は、日本の銀行家。元山形銀行頭取。 山形県山形市出身。福島経済専門学校(のち福島大学経済学部、現在の同大学人文社会学群経済経営学類)卒業後、両羽銀行(現在の山形銀行)入行。 1993年(平成5年)、8年あまり頭取を務めた三浦新の後任として昇格する。これは戦後初めて、創業家である三浦家、長谷川家以外での頭取就任となった。 2005年(平成17年)には在任12年を迎えたこと、じゅうだん会による新システムも稼動となったことから、長谷川吉茂専務に大政奉還し顧問に退いた。その堅実な経営手腕には定評があった。
酒井 忠純(さかい ただひさ、1886年(明治19年)8月2… 酒井 忠純(さかい ただひさ、1886年(明治19年)8月25日 - 1964年(昭和39年)7月5日)は、昭和時代前期の銀行家、軍人、陸軍中尉・従七位、考古学研究家。荘内銀行初代頭取。庄内民俗学会会長、山形県文化財保護協会理事。幼名は徳太郎、号は松堂。 最後の藩主である酒井忠宝の長男として鶴岡郊外大宝寺村(現:鶴岡市)で生まれる。若い頃から考古学に興味を持ち、庄内各地を踏査し、史料収集につとめ、長年にわたり遺跡・遺物の調査と保存につとめた。その一方で、金融界でも活躍し、1939年(昭和14年)9月に菅實のあとを受け、六十七銀行頭取に就任し、41年4月には合併後の荘内銀行頭取に推され、44年10月まで在任し、48年10月までは会長を務めた。
結城 豊太郎(ゆうき とよたろう、1877年(明治10年)5… 結城 豊太郎(ゆうき とよたろう、1877年(明治10年)5月24日 - 1951年(昭和26年)8月1日)は、日本の銀行家、大蔵大臣・日本銀行総裁、第5代日本商工会議所会頭を歴任。
叶内 長兵衛(かのうち ちょうべい、1875年(明治8年)1… 叶内 長兵衛(かのうち ちょうべい、1875年(明治8年)1月27日 - 1961年(昭和36年)2月2日)は、日本の銀行家。政治家。殖産相互銀行社長。 山形県山形市の商家である叶内源之助の長男として生まれる。幼名は源治。 第八十一国立銀行取締役支配人を務めていた父が病死したため、香澄小学校高等科を卒業すると母の実家である「吉野家」渡辺吉兵衛方に丁稚奉公として出された後、家業を継ぎ長兵衛を襲名した。 1901年(明治34年)には、27歳で山形市会議員に当選。以降1943年(昭和18年)まで長期に亘り市会議員を務めた。また、その間には1925年(大正14年)6月 - 1942年(昭和17年)6月まで市会議長を務め在任期間の記録を樹立した。
池田 藤八郎(いけだ とうはちろう、1863年2月11日(文… 池田 藤八郎(いけだ とうはちろう、1863年2月11日(文久2年12月23日) - 1911年(明治44年)7月7日)は、明治時代の政治家、銀行家。衆議院議員(1期)。山形県飽海郡酒田町長。幼名は辰三郎、別名に光礼。 本間光貞の二男として出羽鶴岡藩領飽海郡、のちの酒井新田村天王下(山形県飽海郡西荒瀬村を経て現酒田市)に生まれる。1879年(明治12年)上京し同人社に入り碩学中村敬宇のもとで漢学や英学を修めたのち帰郷する。1882年(明治15年)飽海郡の中学校教員となり、1885年(明治18年)24歳の時、酒田本町の池田家の養子に入り名を藤八郎に改めた。1889年(明治22年)酒田町会議員に当選し、酒田町長、飽海郡会議員、同議長を経て、1902年(明治35年)山形県会議員に当選する。
長谷川 直則(はせがわ なおのり、1833年6月22日(天保… 長谷川 直則(はせがわ なおのり、1833年6月22日(天保4年5月5日) - 1896年(明治29年)5月4日)は、幕末から明治時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 豪商・佐藤伊兵衛の四男として出羽国村山郡天童(山形県東村山郡天童町を経て現天童市)に生まれ、のち長谷川吉内の養子となる。山形藩主秋元家に仕えたのち、実業界に入り、1888年(明治21年)7月には第八十一国立銀行頭取に就任した。ついで翌年5月、山形市会議員に当選し、所得税調査委員、山形興業幹事を経て、1890年(明治23年)山形県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1895年(明治28年)12月7日まで在任した。