徐 台教(ソ・テギョ、서태교、1978年 - )は、韓国在住… 徐 台教(ソ・テギョ、서태교、1978年 - )は、韓国在住のジャーナリスト。在日コリアン三世。専門は朝鮮南北問題、脱北者問題、韓国政治など。インターネットメディア「コリア・フォーカス」を運営する傍ら、日本のメディアにも多数寄稿・出演している。 群馬県多野郡新町(現・高崎市新町)に生まれ育つ。曾祖父と祖父は1930年代に慶尚南道陜川郡から日本に渡って来た。新町はかつて北関東では最大の人口密度を誇り、人口の1%近くが在日コリアンだった。かつ、そのほとんどが慶尚南道の出身者で、「徐」の名字を多く持っていた。 前橋市にある群馬朝鮮初中級学校で小学校生活を送り、親の勧めで高崎市立高松中学校に入学した。群馬県立高崎高等学校卒業後、大学受験に失敗し、家庭の事情で横浜市の妙蓮寺の新聞配達店に就職して、1年半ほど過ごし、その後、東京都中野区で一人暮らししていた姉の家に転がりこんだ。
橋本 淳司(はしもと じゅんじ、1967年1月8日 - )は… 橋本 淳司(はしもと じゅんじ、1967年1月8日 - )は、日本の水ジャーナリスト。 群馬県館林市出身。群馬県立太田高校、学習院大学文学部国文学科卒業。卒業後、出版社勤務を経て、水ジャーナリストとして独立し、アクアスフィア・水教育研究所を設立して代表となる。 国内外の水問題と解決策についてテレビ・ラジオ等のメディアで発信し、国・自治体・学校・企業等で水に関する活動の企画運営とサポート、講演を行っている。 武蔵野大学非常勤講師、愛知県立大学非常勤講師、NPO法人ウォーターエイドジャパン理事、NPO法人地域水道支援センター理事、水循環基本法フォローアップ委員会委員、東京学芸大学客員准教授、国際協力機構(JICA)専門家(日中節水循環型都市構築プロジェクトに参加)、参議院第一特別調査室特別調査員(「国際問題、地球環境問題及び食糧問題に関する調査・報告 世界の水問題と日本の対外戦略」)などを歴任した。
佐藤 光展(さとう みつのぶ、1967年 - )は、日本のジ… 佐藤 光展(さとう みつのぶ、1967年 - )は、日本のジャーナリスト。 群馬県前橋市出身。立命館大学卒業。 神戸新聞社社会部で阪神・淡路大震災や酒鬼薔薇事件を取材したのちに、2000年読売新聞東京本社に移籍。2003年より医療部に所属。精神医療についての取材で知られる。2018年に独立。ジャーナリズムNGO「ワセダクロニクル」記者。
太田 哲也(おおた てつや、1959年(昭和34年)11月6… 太田 哲也(おおた てつや、1959年(昭和34年)11月6日 - )は、日本のモータージャーナリスト、元・レーシングドライバー。群馬県前橋市出身。日本大学第二高等学校、武蔵大学経済学部卒業。東京都世田谷区在住。太田哲也オウンドメディア ~KEEP ON RACING~ (日本語) 1982年(昭和57年)にレースデビュー。その後、当時レーシングチームを経営していたチェッカーモータースの兼子眞に見出され、富士グランチャンピオンレース(富士GC)などに参戦。1987年(昭和62年)からは全日本F3000選手権に出場。1989年(昭和64年/平成元年)にはマツダとワークス契約を結び、全日本F3000に加えて全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権 (JSPC) などにも出場する。
大河原 宗平(おおかわら そうへい、1953年 - )は、日… 大河原 宗平(おおかわら そうへい、1953年 - )は、日本の警察ジャーナリスト、政治活動家、内部告発者。元群馬県警部補、元鹿児島県阿久根市職員。裏金告発者にして、元群馬県警警部補懲戒免職処分取消請求訴訟(いわゆる群馬県警裏金裁判)・原告。剣道六段。 でっち上げ―群馬県警裏金告発者の記録 つむぎ書房/日輪出版 2021年8月10日
吉田 慎一(よしだ しんいち、1950年(昭和25年)1月9… 吉田 慎一(よしだ しんいち、1950年(昭和25年)1月9日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。朝日新聞社上席執行役員を経て、テレビ朝日ホールディングス(テレビ朝日HD)、テレビ朝日社長などを務めた。群馬県出身。 群馬県立前橋高等学校卒業。1974年(昭和49年)東京大学法学部卒業後、朝日新聞社に入社。福島支局に配属となり、県政担当記者となる。木村守江福島県知事の土地開発に絡む収賄汚職事件を取材。それにより、78年度の日本新聞協会賞を受賞。その後、東京本社浦和支局を経て、79年政治部に異動。 1990年(平成2年)ハーバード大学ケネディ行政大学院修了(行政学修士)。同大では新芝宏之(岡三証券グループ社長)と一緒に勉強した。
小山 鉄郎(こやま てつろう、1949年5月3日 - )は日… 小山 鉄郎(こやま てつろう、1949年5月3日 - )は日本のジャーナリスト。元共同通信社編集委員兼論説委員。日本記者クラブ賞受賞。 群馬県伊勢崎市出身。一橋大学経済学部を卒業し、1973年共同通信社に入社。社会部、川崎支局、横浜支局、社会部などを経て、1984年から文化部。2024年11月まで共同通信社編集委員兼論説委員を務める。 この間、2009年まで文字文化研究所理事を務めたほか、白川静の漢字学や村上春樹についての著作活動も行う。村上春樹作品については『ノルウェイの森』刊行時(1987年9月)、唯一のインタビュアー。オウム真理教信者たちによる地下鉄サリン事件の被害者らへのインタビュー集『アンダーグラウンド』が1997年3月20日に刊行されることを特報。
見城 美枝子(けんじょう みえこ、1946年〈昭和21年〉1… 見城 美枝子(けんじょう みえこ、1946年〈昭和21年〉1月26日 - )は、日本のアナウンサー、エッセイスト、ジャーナリスト、ニュースキャスター。 愛称は「ケンケン」。見城美枝子オフィス所属。加えて2012年9月よりTBSスパークル(旧:キャスト・プラス)と業務提携を結ぶ。 夫は青森大学評議員などを務める田中穣(たなか みのる)。4児あり。 群馬県館林市出身。群馬県立館林女子高等学校、早稲田大学教育学部英語英文学科卒業。のちに早稲田大学大学院理工学研究科建築学専攻博士後期課程単位取得満期退学(2005年)。 1968年4月、TBSへアナウンサー13期生として入社(同期には小島一慶・松永邦久・池田園子・石井和子・郷司淑子・菅原牧子)。
岩尾 光代(いわお みつよ、1946年1月12日 - )は、… 岩尾 光代(いわお みつよ、1946年1月12日 - )は、日本のジャーナリスト。毎日新聞社の編集者。 群馬県伊勢崎市生まれ。舘林藩の旧藩士、岩尾貞和(「旧館林藩士族禄高職氏名調」著者)の息子で財団法人両毛労働センターの創業者岩尾峻二の娘として生まれる。1964年に群馬県立前橋女子高等学校を卒業後、文部省へ。1971年から毎日新聞社出版局勤務。「一億人の昭和史シリーズ」「昭和天皇崩御」などのムック「日本の肖像」(12巻)雑誌「毎日グラフ」「アミューズ」「サンデー毎日」を担当して現在に至る。1999年に放送大学を卒業。
原 良馬(はら りょうま、1933年10月25日 - 201… 原 良馬(はら りょうま、1933年10月25日 - 2019年7月24日)は、群馬県出身の競馬ジャーナリスト、元俳優。 本名・荻原 昻(おぎはら たかし)。 東京都立北園高等学校卒業。慶應義塾大学中退後、俳優座に6期生として入所。同期には山本學、市原悦子、大山のぶ代がいる。NHK連続ドラマ『バス通り裏』などに出演。退所後は宗教雑誌発行の出版社勤務やフリーのルポライターを経て、読売新聞東京本社に、当時発行していた週刊読売記者として入社。 1969年にスピードシンボリが勝った有馬記念の特集記事を書いたことがきっかけで競馬ジャーナリストを志すようになり、1970年にデイリースポーツ東京本社へ入社。原がデイリーに入社した当時のスポーツ紙の競馬記者は調教時計を計って予想するだけのスタイルであったが、原はトラックマンデビューが38歳と他の記者よりも遅れていたため、他の記者とは違うことをやろうと主に厩舎取材に専念した。
狩野 近雄(かのう ちかお、1909年〈明治42年〉4月5日… 狩野 近雄(かのう ちかお、1909年〈明治42年〉4月5日 - 1977年〈昭和52年〉3月10日)は、日本のジャーナリスト。毎日新聞社取締役、スポーツニッポン新聞社社長。 群馬県群馬郡古巻村八木原(現・渋川市八木原)に生まれる。旧制高崎中学校を経て、1932年(昭和7年)早稲田大学法学部を卒業。福田赳夫は高崎中学校の同級。 大学卒業後毎日新聞記者となる。東京裁判の取材ではキャップとして活躍。中部本社編集局長、印刷局長、東京出版局長、東京編集局長を歴任し、1965年(昭和40年)取締役に就任。中部本社代表、西部本社代表、常務取締役も務める。 1971年(昭和46年)よりスポーツニッポン新聞社社長、1975年(昭和50年)同会長。
蝋山 芳郎(ろうやま よしろう、1907年〈明治40年〉11… 蝋山 芳郎(ろうやま よしろう、1907年〈明治40年〉11月15日 - 1999年〈平成11年〉9月30日)は、日本のジャーナリスト、国際問題評論家。 筆名は高山五郎。蠟山政道、山田勝次郎、小山長四郎の弟。息子は高岡短期大学学長などを務めた蝋山昌一。 群馬県高崎市歌川町に生まれる。1925年(大正14年)に旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)を卒業し、旧制第一高等学校理科乙類へ進学するが1929年(昭和4年)に中退。1936年(昭和11年)同盟通信社に入社し、特派員としてインド、ビルマに滞在。1946年(昭和21年)に帰国し、共同通信社東亜部長を務める。1960年(昭和35年)に同社を退職し独立。
大竹 平八郎(おおたけ へいはちろう、1904年〈明治37年… 大竹 平八郎(おおたけ へいはちろう、1904年〈明治37年〉2月8日 - 1985年〈昭和60年〉5月17日) は、大正から昭和期のジャーナリスト、政治家。参議院議員。 群馬県群馬郡渋川町(北群馬郡渋川町を経て現渋川市下之町)で、呉服商・大竹直四郎(なおしろう)、タミ夫妻の四男として生まれた。1918年(大正7年)渋川尋常高等小学校高等科(8年制)を卒業し、上京して 独学。 1926年(大正15年)帝国通信社に入社し無産政党、労働問題の担当記者となる。その後、同社政治部長、大阪帝国通信社東京支社長などを歴任。1934年(昭和9年)文部省嘱託に転じた。長江産業貿易開発協会(のち日華経済協会)を成立し常任理事に就任し、1945年(昭和20年)理事長となる。
高木 翔之助(たかぎ しょうのすけ、1900年〈明治33年〉… 高木 翔之助(たかぎ しょうのすけ、1900年〈明治33年〉11月9日 – 1980年〈昭和55年〉)は、昭和のジャーナリスト・文筆家・出版業者。満洲・華北でジャーナリストとして活動し、日本による満洲国・冀東防共自治政府の樹立などを擁護した。その一方で、関東軍による出版弾圧にも激しく抵抗したことで知られる。戦後は地元・群馬県の地方ジャーナリストとして活動した。 群馬県佐波郡采女村(現・伊勢崎市)に生まれる。1923年(大正12年)、早稲田大学専門部政治経済科を中退。1925年(大正14年)5月、横浜市で週刊新聞『日本実業新報』を創刊・主宰した。1927年(昭和2年)9月に同紙を廃刊すると満洲に渡り、雑誌『海外之日本』大連支局主任となる。
増田 連也(增田、ますだ れんや、1892年〈明治25年〉1… 増田 連也(增田、ますだ れんや、1892年〈明治25年〉12月16日 - 1965年〈昭和40年〉8月22日)は、大正から昭和期のジャーナリスト、政治家。衆議院議員(1期)、群馬県会議員(3期)、群馬県会議長。 群馬県邑楽郡伊奈良村岩田(現板倉町)で、増田甚平、あさ夫婦の三男として生まれる。増田家は伊奈良村の名主を代々勤めた家系で、増田長盛の後裔を称した。群馬県立太田中学校邑楽分校(現・群馬県立館林高等学校)を経て、第四高等学校に入学したが2年で中退した。 1914年(大正3年)まで『満洲日報』の政治記者として、満洲、中国、シベリアなどを視察した。帰国後、実業界で活躍。合同砂利株式会社、合同土木株式会社を設立して利根川・思川の砂利採取事業を経営した。
阿部 真之助(あべ しんのすけ、旧字体:眞之助、1884年〈… 阿部 真之助(あべ しんのすけ、旧字体:眞之助、1884年〈明治17年〉3月29日 - 1964年〈昭和39年〉7月9日)は、明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト、政治評論家、エッセイスト。筆名は野山草吉。毎日新聞社取締役主筆、日本エッセイスト・クラブ初代理事長、第9代NHK会長を務めた。富岡市名誉市民。恐妻家としても知られた。 1884年(明治17年)、埼玉県熊谷市で、造り酒屋を営む阿部久兵衛の次男として生まれる。兄は早世し、姉4人、弟妹各1人がいた。1890年(明治23年)群馬県甘楽郡富岡町(現・富岡市)に転居し、富岡小学校で学ぶ。1897年(明治30年)群馬県立富岡中学校(現・群馬県立富岡高等学校)が開校されると入学。
青木 精一(あおき せいいち、1883年(明治16年)4月1… 青木 精一(あおき せいいち、1883年(明治16年)4月19日 - 1945年(昭和20年)4月14日)は、日本のジャーナリスト・政治家で立憲政友会→昭和会→立憲政友会革新同盟所属の衆議院議員。 群馬県南勢多郡板橋村(新里村を経て現桐生市)出身。正教神学校を卒業。日露戦争に召集され従軍。日本電報通信社記者となり、シベリア出兵の際には浦塩派遣軍司令部附従軍記者を務めた。その他、大阪新報社東京支局長、中央新聞社政治部長を歴任した。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し当選。以後、当選回数は7回を数えた。政友会に所属し、1927年(昭和2年)には、議会乱闘事件に関与したとして傷害の容疑で起訴。
大沢 豊子(おおさわ とよこ、1873年(明治6年)12月3… 大沢 豊子(おおさわ とよこ、1873年(明治6年)12月31日 - 1937年(昭和12年)6月15日)は、明治から昭和にかけての速記者、ジャーナリスト。群馬県館林市生まれ。生涯で三度職業を変え、それぞれの分野を女性の職業とする先鞭をつけた。 旧館林藩士であった父大沢師容、母やをの長女として生まれる。小学校を卒業後の1888年(明治21年)、15歳で東京に出て、遠縁であった佃与次郎の速記塾に入り、2年間速記を学んだ。 翌1889年(明治21年)、講演速記として業務を始め、7月、大日本婦人衛生学会の講演会の速記を初めて担当。同年の12月9日には、設立3年目であった婦人矯風会が主催した廃娼演説会で、同門の中村たま子と共に植木枝盛らの演説を速記した。