藤 真利子(ふじ まりこ、本名;藤原 真理、1955年6月1… 藤 真利子(ふじ まりこ、本名;藤原 真理、1955年6月18日 - )は、日本の女優、歌手、作詞家、作曲家。東京・阿佐ヶ谷出身。プロダクション尾木所属。不二聖心女子学院高等学校、聖心女子大学文学部歴史社会学科卒業。父は藤原審爾。血液型A型。 幼い頃は、父と客人が家中に響かせる麻雀の牌の音と、大きな笑い声を聞いて育つ。 やがて父が愛人を作って家を出て行ったため、4歳のとき、母と一緒に家を出て2人で暮らすようになる。 人気作家だった父には、映画監督や有名な女優が訪ねて来る環境のもとで生まれ育ったため、いつしか「女優になりたい」と思うようになった。中学校のすぐ隣に唐十郎のアングラ劇団「状況劇場(紅テント)」が借りていた家があり、奇抜な装いの俳優たちと生首などのおどろおどろしい小道具の山。
藤枝 亜弥(ふじえだ あや、1955年6月6日 - )は、日… 藤枝 亜弥(ふじえだ あや、1955年6月6日 - )は、日本の元女優。 東京都田無市(現・西東京市)出身。武蔵野女子学院高等学校(現・武蔵野大学高等学校)卒業。 芸能界入りする前はOLをしていたが、「机の上で仕事するのが虚しくなって、何か刺激が欲しかった」と思い立ち、ジャパンアクションクラブ入り。1年余り在籍した後、女優として活動。「ポスト志穂美悦子」と期待されていたことがあった。デビュー作は特撮テレビドラマ『バトルフィーバーJ』(テレビ朝日系)。剣道初段。1983年当時の所属事務所は吉村事務所。 サイズ(1980年当時)は身長163cm、B80cm、W60cm、H87cm。兄がいる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
林 由里(はやし ゆり、1955年5月15日 - )は、 … 林 由里(はやし ゆり、1955年5月15日 - )は、 日本の元女優。本名は本多 秀子。 東京都出身。東京都立北園高等学校定時制に在籍していた。劇団若草出身。 1971年4月、東京都銀座の歩行者天国で俳優の林与一にスカウトされ、同年、テレビドラマ『人形佐七捕物帳』でデビューする。芸名は、林与一が命名した。その後、『一心太助』『青春をつっ走れ!』などのテレビドラマに出演。 1973年、特撮テレビドラマ『魔人ハンター ミツルギ』に、主役の一人であるミツルギ三兄妹の末妹・ミツルギ月光役でレギュラー出演。当時のプロフィールでは「こんな大役は嬉しいです。相手の宇宙忍者との絡みが多いので、飛んだり跳ねたりの連続です。
池波 志乃(いけなみ しの、戸籍名:中尾 志津子、旧姓:美濃… 池波 志乃(いけなみ しの、戸籍名:中尾 志津子、旧姓:美濃部、1955年3月12日 - )は、東京都荒川区出身の女優・タレント・エッセイスト。 有限会社オフィスSHINO(2012年5月28日清算結了)代表取締役。古舘プロジェクト所属。血液型A型。俳優・中尾彬の後妻として知られる。父は10代目金原亭馬生、祖父は5代目古今亭志ん生、叔父は3代目古今亭志ん朝。甥(妹の息子)は金原亭小駒。 高校を中退、俳優小劇場養成所入所を経て新国劇に入団。「池波志乃」という芸名は新国劇の研究生当時に父馬生が名づけ、新国劇の座付作家でもあった池波正太郎の許可を得たものである。 大竹まことや風間杜夫と同時期に俳優小劇場の養成所に所属しており、彼らには妹のようにかわいがってもらった。
蕭 淑美(しゃお すーめい、1955年2月5日 - )は、日… 蕭 淑美(しゃお すーめい、1955年2月5日 - )は、日本の元女優。本名及び旧姓は蕭淑美(しょう・よしみ)。別名にシャオ・スーメイ、丘 淑美(おか よしみ)がある。東京都出身。武蔵野美術短期大学生活デザイン科卒業。事務所は、オールスタッフ音楽出版を経て、天路プロダクションに所属していた。 台湾出身の父と日本人の母で国籍は台湾だった。のち日本国籍取得。1972年、東京都立荻窪高等学校在学中に公募により羽仁進監督の映画『午前中の時間割り』の主役のひとりである山中玲子役で映画デビュー。翌年には、松竹製作、日本テレビ系列で放送された『おこれ!男だ』にヒロイン役に抜擢される。クレジットでは、蕭淑美(しゃお・すーめい)と表記されていた。
小野 ひずる(おの ひずる、1955年〈昭和30年〉2月1日… 小野 ひずる(おの ひずる、1955年〈昭和30年〉2月1日 - )は、日本の元女優・歌手。本名・小野 日出(読み同じ)。 東京都杉並区出身。明星学園高等学校、自由が丘産能短期大学卒業。 姉は、元女優で『笑点』の大喜利コーナーで座布団運びを務めたこともある小野千春。 姉・千春の誘いを受けて、芸能プロダクション・東京新社に所属。国立音楽大学付属高校1年のとき、ニッポン放送「東芝ワイドワイドサンデー」に坂本九のアシスタントとして1年間出演したことがきっかけで芸能界に入る。高校2年から明星学園に編入して本格的に活動する。 1972年(昭和47年)、『夕映えに明日は消えた』(東宝)でデビューするが、作品自体は未公開となる。
伊藤 蘭(いとう らん、1955年〈昭和30年〉1月13日 … 伊藤 蘭(いとう らん、1955年〈昭和30年〉1月13日 - )は、日本の女優、ナレーター、歌手であり、元キャンディーズのメンバーである。Trysome Bros.所属。愛称は、ラン。 東京都武蔵野市吉祥寺北町出生、同都杉並区西荻北出身。夫は俳優の水谷豊、長女は女優の趣里 、長女の夫は俳優・アーティストの三山凌輝、曽祖父は第15代広島市長の伊藤貞次と、山形県の弁護士・政治家の奈良村正則。 幼少期は活発だが恥ずかしがりやで口数が少なく人前に立つ性格ではなかったが、中学入学後自分で変わりたいと演劇部に入部。自分を表現する楽しさに目覚める。さらに、当時ファンだったフォーリーブスのバックで踊るスクールメイツの姿に憧れて自ら応募する。
水沢 アキ(みずさわ アキ、1954年〈昭和29年〉12月5… 水沢 アキ(みずさわ アキ、1954年〈昭和29年〉12月5日 - )は、日本の女優、タレント、モデル、歌手、実業家である。本名 スィーヒ 昭子(スィーヒ あきこ、旧姓・溜井(ためい))。身長158cm、B85cm、W58cm、H85cm(1975年1月、水沢本人の申告)。 元オスカープロモーション所属。過去に所属していた芸能事務所は、田辺エージェンシー、BESIDEなど。旧芸名、水沢 あき子(みずさわ あきこ)。 東京都目黒区駒場生まれ。日本女子体育短期大学体育科(舞踊専攻)を1977年(昭和52年)に卒業。 山脇学園中学校に在学していた14歳のときから2年間、劇団若草に在籍した。その後改めてスカウトされ、1972年(昭和47年)10月に「水沢 あき子」(みずさわ あきこ)の芸名でデビュー、源氏鶏太の小説『青空娘』を原作とするTBSテレビドラマ『夏に来た娘』の主演・小野有子役を演じた。
すどう かづみ(1954年9月21日 - )は、日本の女優・… すどう かづみ(1954年9月21日 - )は、日本の女優・歌手・タレント。東京都足立区出身。 幼少時より、子役やCMソングの歌手として活動。 デビュー以来、「須藤リカ」→「立原和美」→「すどうかづみ」→「すどうかずみ」と芸名を変えている。 アニメ『海のトリトン』のテーマ曲を、後に大ヒットを飛ばすフォークグループ「かぐや姫」をバックに従えて歌っている。 『ウィークエンダー』(日本テレビ)のテレビ三面記事コーナーでのレポーターとしての活動が有名だが、デビュー直後には東映の女番長映画に多数出演していることから、その姿が強く印象に残っている男性も多い。 歌も非常に上手で、何でもこなせるタイプの多芸な人物。
酒井 ゆきえ(さかい ゆきえ、本名:酒井 幸江〈読み同じ〉、… 酒井 ゆきえ(さかい ゆきえ、本名:酒井 幸江〈読み同じ〉、1954年〈昭和29年〉7月24日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、女優。一般社団法人日本国際文化協会理事。血液型はA型。エフロード(フルハウスグループ)所属。 東京都世田谷区梅丘出身。区立山崎小学校、山崎中学校、東京都立明正高校、山脇学園短期大学英文科卒業。 幼稚園の時、銀行員だった父親の転勤で3年ほど帯広で暮らした。高校卒業後は共学の4年制大学に行きたかったが、母親の希望で山脇短大へ進学。学校推薦で大正海上火災(後の三井海上)に入社が内定していたが、就職前にちゃんとした日本語を身につけたかったことと、東山千栄子に憧れていたことから、綺麗な日本語を話す仕事に就きたかったという思いもあって、フジテレビのアナウンサー試験を受けたら、あっさり合格してしまった。
大西 多摩恵(おおにし たまえ、1954年7月13日 - )… 大西 多摩恵(おおにし たまえ、1954年7月13日 - )は、日本の女優、声優。東京都出身。
松岡 まり子(まつおか まりこ、1954年6月25日 )は、… 松岡 まり子(まつおか まりこ、1954年6月25日 )は、日本の元女優。東京都出身。 SOS(ソサエティ・オブ・スタイル)モデルエージェンシーに所属し、女優を目指してレッスンを受ける。初仕事は、ソビエトからの招待による旗照夫主演の現地での舞台公演だった。バラエティ番組『お笑い頭の体操』(TBS)のアシスタントを経て、1974年『ウルトラマンレオ』(同)第24話にて女優デビュー。 東京都立駒場高等学校定時制4年生時に『仮面ライダーアマゾン』(毎日放送)のヒロイン・岡村りつ子役で出演。プロデューサーの阿部征司は、「演技では目立った印象はないがその分安定感があった」と述べている。松岡自身は同役について、「子供っぽく見えるためお姉さんらしいしぐさをするのに懸命であった」と述べている。
檀 ふみ(だん ふみ、1954年6月5日 - )は、日本の女… 檀 ふみ(だん ふみ、1954年6月5日 - )は、日本の女優・声優・司会者・エッセイスト。
根岸 季衣(ねぎし としえ、1954年〈昭和29年〉2月3日… 根岸 季衣(ねぎし としえ、1954年〈昭和29年〉2月3日 - )は、日本の女優。本名は根岸 俊惠(読み方同じ)、旧芸名は根岸 とし江。 東京都豊島区東池袋出身。アルファエージェンシー所属。特技はダンス。桐朋学園大学短期大学部演劇専攻中退。夫(2008年再婚)は、根岸がボーカルを務めるブルースバンドのメンバーでもある宇賀啓祐。 父親は警察官。幼少期から芝居好き。中学までは成績も学年で1番か2番で都立豊島高校にらくらくと合格した。学生時代から演劇活動を始めるが、この当時、所属していた大学の演劇部では、大学以外での外部出演を禁じていたため、嵯峨小夏の名義で女優活動をしていた。本人曰く「ガサツな子」から芸名を取ったといい、『蒲田行進曲』に登場する小夏はこの名前からきているという。
上原 美佐(うえはら みさ、1954年1月18日 - )は、… 上原 美佐(うえはら みさ、1954年1月18日 - )は、日本の女優。旧芸名:大原美佐。東京都新宿区出身。身長166cm。B86cm、W60cm、H88cm(1975年1月時点)。当時(1976年)所属していた事務所は「スリーエスプロ」。 宝仙学園高等学校卒業後、新宿の紀伊国屋ビルやアドホックビルで受付をしていたところ、東映プロデューサーの高村賢治にスカウトされ、『怪猫トルコ風呂』主演に抜擢された。二本の映画に出演した後、一時映画界を去った。その後復帰した際に、かつて東宝に所属していた女優の再来という意味を込めて(二代目)上原美佐に改名。『破れ傘刀舟悪人狩り』(三船プロ製作)などに出演した。 1975年当時に公表していたプロフィールでは、趣味はカーレース観戦。
安西 マリア(あんざい マリア、1953年〈昭和28年〉12… 安西 マリア(あんざい マリア、1953年〈昭和28年〉12月16日 - 2014年〈平成26年〉3月15日)は、日本の歌手、女優。東京都出身。本名、柴崎 麻利子。B80cm、W56cm、H82cm(1974年1月)。身長158cm、B85、W57、H85。血液型A型。趣味は映画鑑賞、ゴルフ、ネイルアート、特技は英語。死亡時点での所属事務所は10-POINTだった。 東京都大田区北千束生まれ。ドイツ人とのクォーター(祖父がドイツ人)とする記事は少し違い、『財界にっぽん』1977年1月号で、安西自ら「母方の祖父が日本とドイツの混血なので8分の1の混血です。ドイツ語は喋れません」などと話している。また「歌手なんかにはちっともなりたくなかった。
中田 喜子(なかだ よしこ、1953年〈昭和28年〉11月2… 中田 喜子(なかだ よしこ、1953年〈昭和28年〉11月22日 - )は、日本の女優。本名:山崎 喜子。本格デビュー前の芸名:千草かのこ。 東京都中央区新富町出身。麹町学園女子高等学校卒業。所属事務所はプロ方舟、オフィスまとばを経て、ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属となった。 身長155cm。B80cm、W58cm、H86cm(1974年1月)。血液型はA型。 築地の蒲鉾等の加工品の仲買(昔は製造もしていた)「増田屋」の娘として誕生。5人姉妹の末っ子(一番上の姉とは8歳〜9歳差)で、長姉・2番目の姉が双子。3番目の姉は宝塚歌劇団に所属していた京かおるである。 1971年、クラウンレコードから歌手デビュー。
新山 真弓(にいやま まゆみ、1953年10月18日 - )… 新山 真弓(にいやま まゆみ、1953年10月18日 - )は、日本の元女優。本名同じ。旧芸名、笛 真弓。 東京都出身。東洋女子高等学校卒業。オフィス82に所属していた。 1970年代初頭よりテレビドラマを中心に出演を始め、1972年に放映された円谷プロ制作の特撮ドラマ『トリプルファイター』(TBS)で、早瀬ユリ(オレンジファイター)役を演じる。当時はグループ71所属の新人俳優だった。プロデューサーを務めた円谷粲は、彼女の性格から役に抜擢したという。 1973年には『ぶらり信兵衛 道場破り』(フジテレビ)に平七(木田三千雄)の妻・おあき役でレギュラー出演。1979年に出演した映画『金田一耕助の冒険』(東宝)では、『トリプルファイター』でスーツアクターを務めた吉中六と現場で再会している。
風祭 ゆき(かざまつり ゆき、1953年8月15日 - )は… 風祭 ゆき(かざまつり ゆき、1953年8月15日 - )は、日本の女優。本名は長谷部 さより(旧姓・吉田)。東京都出身。夫は映画・ドラマの作曲家・編曲家である長谷部徹。 日活ロマンポルノの黄金期を支えた女優の1人。その後、一般映画やテレビ、舞台に活動の場を広げ、演技派女優として活躍した。株式会社グッドラックカンパニー所属。 東京都立戸山高等学校卒業。武蔵野音楽大学短期大学部声楽科卒業。 1973年(昭和48年)(20歳)、NET『非情のライセンス』(天知茂主演)で「吉田さより」の女優名で一般女優として芸能界デビュー(ドラマデビュー)。音大卒業後の1977年(昭和52年)(24歳)、新藤兼人監督の映画『竹山ひとり旅』で映画デビュー。
岡崎 友紀(おかざき ゆき、本名:非公表、1953年〈昭和2… 岡崎 友紀(おかざき ゆき、本名:非公表、1953年〈昭和28年〉7月31日 - )は、日本の女優、歌手。身長159cm(1972年3月)。 東京都千代田区出身。千代田区立富士見小学校出身。母子家庭で、母親はNHKの満州放送局に勤務していたことがあり、当時NHKアナウンサーだった森繁久彌とは同僚で家族ぐるみの付き合いだった。 4歳の時からモダンバレエ、6歳からクラシックバレエを習い始め、小学生の時に母親の勧めで、月謝が安かったという東宝芸能学校の児童科に入学。 1961年、8歳の時に宮城まり子主演の『そばかすまり子の恋物語』(新宿コマスタジアム)で初舞台を踏む。それ以降子役として舞台やテレビに出演し始め、舞台では、『王様と私』(1965年)『屋根の上のバイオリン弾き』(1967年)などのブロードウェイミュージカルの日本初演に起用される。
梅沢 昌代(うめざわ まさよ、1953年7月27日 - )は… 梅沢 昌代(うめざわ まさよ、1953年7月27日 - )は、日本の女優。東京都出身。シス・カンパニー所属。 東京都立竹台高等学校卒業。 1974年、文学座の公演『ふるあめりかに袖はぬらさじ』で初舞台を踏む。 退団後、松本修の主宰するMODEに1994年まで参加。 井上ひさし脚本の舞台作品に常連出演している。 高校時代は演劇部に所属しており、後輩には片岡鶴太郎がいた(今でも片岡は梅沢に会うと演劇部の後輩として敬意のある挨拶をしているという)。
保倉 幸恵(ほくら さちえ、1953年4月5日 - 1975… 保倉 幸恵(ほくら さちえ、1953年4月5日 - 1975年7月8日)は、日本の元モデル、女優。 劇団若草の出身。幼い頃から舞台女優として活躍し、1960年代から1970年代にかけて「週刊マーガレット」、「女学生の友」、「少女フレンド」などの少女雑誌に少女モデルとして頻繁に登場していたほか、「週刊朝日」でも1970年1月2日号から1971年12月31日号までカバーガールを務めた。その後、「週刊朝日」には、「幸恵のミニ・アドバイス」という買い物情報を織り交ぜたエッセイを不定期連載し、1975年3月まで続いた。若草時代の同期生に女優の桃井かおりがいる。少女を中心に高い人気を得るが、その後モデル業を引退した。
仁科 亜季子(にしな あきこ、1953年〈昭和28年〉4月3… 仁科 亜季子(にしな あきこ、1953年〈昭和28年〉4月3日 - )は、日本の女優である。本名は仁科 章子(読み同じ)。仁科 明子(読み同じ)の名でデビューするも、活動休止を経て、1999年に芸能界復帰の際に芸名を仁科 亜季子へと改名している。東京都目黒区出身。身長158cm。B84cm、W58cm、H86cm(1975年1月)。CINEMACT→イマージュエンターテインメント所属。信濃大町観光大使。 学習院女子高等科卒業。油絵が好きで、美大に行くつもりだったが、父と雑誌に載ったグラビアを見たNHKのプロデューサーの薦めにより、1972年(昭和47年)、庄司薫原作のテレビドラマ 『白鳥の歌なんか聞えない』(NHK、銀河ドラマ)出演を機に芸能界デビューした。
小橋 玲子(こばし れいこ、1953年3月3日 - )は、日… 小橋 玲子(こばし れいこ、1953年3月3日 - )は、日本の元女優、歌手。本名同じ。 大阪府出身。精華学園女子高等学校卒業。 父に連れられて入った喫茶店で偶然に雑誌のカメラマンにスカウトされて芸能界入り。小学2年より少女漫画雑誌「なかよし」の表紙モデルとして活動する。その後、テレビドラマ『パパ起きてちょうだい』にレギュラー出演。本作終了後に芸能活動を一時休止するが、中学進学と同時に芸能活動を再開する。 再開後は、テレビドラマ『結婚の条件』などに出演。1968年、『怪奇大作戦』のSRI所員の紅一点・小川さおり役でレギュラー出演。 以後も、テレビドラマ『うちのかあさん』『おんぶにだっこ』のレギュラー出演や、ラジオ番組『ヤング・ヤング・ヤング』のアシスタントなどで活動するが、1970年代中盤に芸能界を引退した。
久万里 由香(くまり ゆか、1953年3月2日 - )は、日… 久万里 由香(くまり ゆか、1953年3月2日 - )は、日本の元女優・タレント。本名、豊田 くまり(旧姓名、スリャクマリ・シェス)。 東京都文京区出身(出生は兵庫県神戸市)。文化学院卒業。浅井企画に所属していた。 インド人の父とインド国籍の日本人である母との間に生まれる。三姉妹の三女で、長姉は真理アンヌ、次姉はモデルのプラバー・シェス。 子供の頃から雑誌モデルやCMなどに出演し、日活映画『非行少年 陽の出の叫び』(1967年)で映画デビュー。芸名は、苗字は本名をもじりつつも姉の真理アンヌと被らないように久万里が自身で考え、名前は日活で決められた。姉の真理アンヌは、自身の経験から「専属契約はした方がいい」「ヌードシーンはやめなさい」などの忠言をしたという。
青木 英美(あおき ひでみ、1953年1月31日 - )は、… 青木 英美(あおき ひでみ、1953年1月31日 - )は、日本の女優・モデル。東京都新宿区出身。身長165センチメートル、体重49キログラム、B87センチメートル、W59センチメートル、H86センチメートル(1974年1月)。ネポエット所属。 新宿育ち。父親は新宿でバーを経営。中学校では体操部に所属し床運動が得意であった。また、ウォーカー・ブラザースとザ・ビートルズに熱中する学生時代だった。15歳でモデル事務所にスカウトされたことで所属し、麹町学園女子高校2年在学中17歳の1970年3月、東京国際見本市会場で開催された第1回ミス・ヤング・インターナショナル世界大会に日本代表として出場し第2位に選出されたことを機に、東宝テレビ部に所属。
鹿沼 絵里(かぬま えり、1952年12月1日 - 、本名:… 鹿沼 絵里(かぬま えり、1952年12月1日 - 、本名:古尾谷登志江(ふるおや としえ)、旧姓:菅沼)は、日本の女優。旧芸名は鹿沼えり。夫は俳優の古尾谷雅人(先代)。有限会社ビッグアンドエム代表。 東京都出身。精華学園高等部(現東海大学付属市原望洋高等学校)在学中にスカウトされ、テレビドラマ『太陽にほえろ!』でデビュー。東映、東宝、ATGなど映画でも活動。 日活ロマンポルノ『時には娼婦のように』で主役級に抜擢された。以後、1970年代後半から1980年代初めにかけて、日活を代表するポルノ女優の一人として活躍した。映画の代表作としては、若松孝二監督作品の『聖母観音大菩薩』(1977年、主演・松田英子)などがある。
ジャンボ 久世(じゃんぼ くぜ、1952年8月20日 - )… ジャンボ 久世(じゃんぼ くぜ、1952年8月20日 - )は日本の女優、ダンサー。本名は苦瀬静枝。所属事務所は植松芸能事務所。1970年代から日劇ミュージックホールの看板ストリッパーとして活躍した。 東京都北区生まれ。川村学園高校を卒業後、ゴーゴーガールのバイト中に荒木一郎にスカウトされ芸能界入り。1974年、日活『江戸艶笑夜話・蛸と赤貝』に本名で端役出演。一時、赤坂のクラブ「コルドン・ブルー」で踊り子となったが、1975年から日劇ミュージックホールのストリッパーとして出演し始めた。芸名の「ジャンボ」の由来は、103cmのバストサイズにちなんだものだという。1978年3・4月公演の『春風に舞うバタフライ』で日劇ミュージックホール・イーリス賞を受賞するなど、日劇末期の看板女優として活躍した。
潤 ますみ(じゅん ますみ、1952年8月2日 - )は日本… 潤 ますみ(じゅん ますみ、1952年8月2日 - )は日本の女優、歌手。本名・佐藤まり子。東京都墨田区押上出身。 身長162cm。B84cm、W57cm、H83cm(1973年12月)。 施設で生まれ、3歳の時、養父となる父親が東京都庁に勤める子供のいない家庭に貰われる。養父は可愛がってくれたが、養母と上手くいかず、家出を繰り返す。東京家政学院中学校~東京家政学院高校に進み、高校2年時に中退。銀座の喫茶店のウェイトレスをしながら、モデル事務所に所属。自身「『ムゲン』『ビブロス』、モデル仲間と連れ立って遊び歩いた。酒、クスリ、ボンド、ラリって遊んだモデル時代」などと話している。荒木一郎は「潤ますみは前の女房(榊ひろみ)の友達で、オッパイがでかくて、かわいい子がいるって言うから見て俺の事務所(現代企画)に拾ってきた。
松坂 慶子(まつざか けいこ、1952年〈昭和27年〉7月2… 松坂 慶子(まつざか けいこ、1952年〈昭和27年〉7月20日 - )は、日本の女優・歌手・司会者・タレント。本名:高内慶子(たかうち けいこ)。身長162 cm、血液型A型。モマオフィス所属。東京都大田区出身。 韓国人の父と日本人の母との間に誕生。早産で未熟児だったという。7歳下の弟がおり4人家族。「イングリッド・バーグマンのような綺麗な女性になってほしい」との両親の思いから、いくつもの習い事をかけもちしていた。幼少期は大人しい性格で、貸本屋で手塚治虫の『リボンの騎士』を借りたり、『赤毛のアン』や童話を読むなど読書や朗読が好きだった。また一時期、画家のオディロン・ルドンの作品に傾倒し、ルドンの描いた青い花を夢の中で浴びることが快感となり、毎晩のように鑑賞していたという。
田坂 都(たさか みやこ、1952年〈昭和27年〉6月13日… 田坂 都(たさか みやこ、1952年〈昭和27年〉6月13日 - 没年不詳)は、日本の元女優である。本名は同じ。 1952年(昭和27年)6月13日、山口県萩市に生まれる。 日本橋女学館中学校1年次在学中の1965年(昭和40年)、劇団日本児童に入団する。翌1966年(昭和41年)に映画『三匹の牝猫』でデビュー、野川由美子演ずる主人公の少女期役に抜擢された。以降はテレビドラマを中心に活動を続けながら、1971年(昭和46年)3月に日本橋女学館高等学校を卒業する。 1960年代後半から1970年代にかけて、日本テレビ系列で放映された数々の学園ドラマにレギュラー出演し、知名度を上げる。刑事ドラマや時代劇へのメインゲストとしての出演も数多い。
神崎 愛(かんざき あい、1952年5月30日 - )は、日… 神崎 愛(かんざき あい、1952年5月30日 - )は、日本の女優、フルート奏者、ソプラノ歌手である。本名:宮本 敦子(旧姓:神崎)。東京都大田区出身。身長162cm、体重48kg、血液型はA型。
秋川 リサ(あきかわ リサ、1952年5月12日 - )は、… 秋川 リサ(あきかわ リサ、1952年5月12日 - )は、日本のビーズ作家、女優、ファッションモデル、タレント。株式会社グリーンメディア所属。身長169cm。身長172cm(1975年7月)。身長173cm(1974年1月)、B86cm、W60cm、H90cm(1974年1月)。血液型はB型。1男、1女あり。元女優の伊藤麻里也は娘。 東京都渋谷区笹塚出身。父親がドイツ系アメリカ人(アメリカ軍)で母親が日本人。母子家庭で育つ。文化学院高等部英語科卒業。 1967年、15歳でテイジンのモデルとしてデビュー。16歳でファッション月刊誌『服装』の専属モデルを2年間務めた。 17歳で資生堂専属モデルとなり以降4年間務める。
夏木 マリ(なつき マリ、1952年〈昭和27年〉5月2日 … 夏木 マリ(なつき マリ、1952年〈昭和27年〉5月2日 - )は、日本の歌手、女優、声優。旧芸名および旧姓は中島淳子。夫はパーカッショニストの斎藤ノヴ。 東京都豊島区池袋のびっくりガードに近いぬかりや病院で生まれる。小学校3年から埼玉県大宮市で育ち、県内の小学校、大宮市立三橋中学校、豊島岡女子学園高校をそれぞれ卒業する。高校在学時から坂本博士主宰のサカモト・ミュージック・スクールへ通い、女声合唱団「サカモトプリティーズ」で活動する。ザ・テンプターズやザ・タックスマンを追っかけたことがある。 19歳の1971年に、結婚前の本名の中島淳子名義で「小さな恋」を歌唱して歌手として活動を始める。ジャニス・ジョプリンのような曲を希望するも叶わずに、清純派アイドルとしてデビューした。
児島 美ゆき(こじま みゆき、1952年3月23日 - )は… 児島 美ゆき(こじま みゆき、1952年3月23日 - )は、日本の女優、歌手。1970年までは、芸名児島 みゆきとして活動。血液型、O型。加川事務所所属。東京都出身。武蔵野市立第一小学校、武蔵野市立第一中学校、中野文園高等学校(現・大妻中野高等学校)卒業。
松谷 紀代子(まつや きよこ、1952年2月24日 - )は… 松谷 紀代子(まつや きよこ、1952年2月24日 - )は、日本の元女優。本名同じ。 東京都出身。東京都立駒場高等学校卒業。 小学生時代より子役として芸能活動を行い、塩野義製薬の鎮痛解熱薬・セデスのCMに長期にわたり出演していた。一時芸能活動を中断し学業に専念していたが、高校卒業後に芸能活動を再開する。 1973年、特撮テレビドラマ『ウルトラマンタロウ』でZAT隊員・森山いずみ役でレギュラー出演する。同作で共演した三ツ木清隆はインタビューで「真面目で根性がある人という印象があった」と語っている。当時のプロフィールでは、芸能活動を再開した理由として「高校の同級生がすべて進学希望であったため反発して、もう一度芸能界で試してみたいと思った」と述べている。
梅田 智子(、1952年〈昭和27年〉2月23日 - )は、… 梅田 智子(、1952年〈昭和27年〉2月23日 - )は、日本の女優。ギャラクシーオーシャン所属。1970年代の中頃には、梅田 智美(うめだ ともみ)名義で芸能活動していた期間もある。東京都豊島区駒込[要出典]出身。 兄と妹がいる。富士見高等学校卒業。中学・高校時代は水泳、バスケットボールでも活動。 1967年、東宝ニュータレント8期生として東宝へ入社。同期生は、徳永礼子、牧とし子、木村由貴子、鈴木ひとみ、成川哲夫、関口昭子、斉藤宣丈。 1968年、竜雷太主演の『でっかい青春』(日本テレビ)で、シリーズ後半、竜の役どころが市役所職員から高校の代用教員へ変更となり、その際、菊容子、大谷直、中沢治夫らと一緒にレギュラーの生徒役としてデビュー。
真野 響子(まや きょうこ、1952年2月9日 - )は、東… 真野 響子(まや きょうこ、1952年2月9日 - )は、東京都港区麻布出身の女優。戸籍名、柴本 苑子(しばもと そのこ)、旧姓、真野(まの)。
片桐 夕子(かたぎり ゆうこ、1952年1月26日 - )は… 片桐 夕子(かたぎり ゆうこ、1952年1月26日 - )は、日本の女優。東京都出身。本名、小沼 由美子。株式会社仕事所属。身長155cm。
フラワー・メグ(1951年10月7日 - )は、日本のグラビ… フラワー・メグ(1951年10月7日 - )は、日本のグラビアモデル、女優、歌手。 劇団ひまわりに所属していた頃の本名は木村和代。東京都立第一商業高等学校を卒業後に、舞踏家の石井満隆が主宰する舞踊研究所でダンスを本格的に学ぶ。1970年の暮れから、東京都港区赤坂のゴーゴークラブ「スペース・カプセル」のアングラ・ショーに出演。このショーを見たNETテレビのディレクターが、1971年4月開始の新番組『23時ショー』のカバーガールにスカウトする。 フリーで活躍中の武田京子ディレクターも、フラワー・メグをミノルフォン音楽工業株式会社に売り込み、1971年6月1日発売の『ベッドにばかりいるの』で歌手デビュー。
大石 静(おおいし しずか、1951年9月15日 - 、本名… 大石 静(おおいし しずか、1951年9月15日 - 、本名:高橋 静(たかはし しずか))は、日本の脚本家、エッセイスト、作家、女優。 東京都千代田区神田猿楽町出身。日本女子大学文学部卒業。ノート所属。『セカンドバージン』など数々のラブストーリーを手掛け、「ラブストーリーの名手」と評される。夫は舞台監督の高橋正篤。 1951年(昭和26年)東京都千代田区・駿河台にあった旅館「駿台荘」で生まれ育つ(のちに大石の著作のタイトル『駿台荘物語』にもなっている)。同旅館は著名文士等の隠れ場所でもあり、大石の養母がオーナーを務めていた。 1974年(昭和49年)、日本女子大学文学部国文学科(現・日本文学科)卒業。
水沢 有美(みずさわ ゆみ、1951年〈昭和26年〉9月8日… 水沢 有美(みずさわ ゆみ、1951年〈昭和26年〉9月8日 - )は、日本の女優、歌手、声優、YouTuber。本名及び旧姓は小沢 有美。 父親は、作家・作詞家の小沢不二夫。 東邦音楽大学附属東邦高等学校卒業。エヌ・エー・シー、東京俳優生活協同組合を経て、水沢有美事務所(提携=株式会社クイーンズカンパニーおよびコントロールプロダクション)所属。 6歳の時に劇団四季の「せむしの悪女」で初舞台。12歳の時には新派の舞台に同世代だった坂東玉三郎 (5代目)と共演した。その後、小学生のころにテレビドラマ『ロック物語』にレギュラー出演。この出演時に水沢 有美と誤表記され、以後芸名として使用するようになる。
田中 真理(たなか まり、1951年〈昭和26年〉8月1日 … 田中 真理(たなか まり、1951年〈昭和26年〉8月1日 - )は、日本の女優。東京都目黒区出身。初期には田中マリ名義で活動していた時期がある。身長166cm(1975年7月)。 実家は目黒区内の薬局。父親の高橋宇一朗は秋田県横手市の崇念寺住職・高橋義雄とロシア人妻の二男。ヴィクトル・スタルヒンの後妻の高橋久仁恵は伯母。中学2年生の時に「劇団こじか」に入団。 高校在学中の1967年、スカウトされて日活に入社。1969年、田中マリの名で『女番長 仁義破り』にて映画デビュー。最初の契約は1年間だったということで、契約切れの後は日活を離れたが、高校卒業後、日活と再契約して田中真理となり、テレビにも進出。
鳥居 恵子(とりい けいこ、1951年7月19日 - )は、… 鳥居 恵子(とりい けいこ、1951年7月19日 - )は、日本の女優。元夫は俳優の藤岡弘。東京都足立区出身。 東京都板橋区成増生まれで足立区北千住育ち。四人兄妹の三番目。足立区立千寿第一小学校(現・千寿本町小学校)、潤徳女子中学校・高等学校卒業。高校時代はソフトボール部に所属、ポジションはショート。在学中に日活の元女優であった母が同社の俳優を介し、卒業と同時に石原プロへ所属する。 1970年に映画『裸の十九才』でデビューする。以降はテレビドラマを中心に活動する一方、着物のモデル業も務める。1974年のテレビドラマ『白い牙』で共演した俳優の藤岡弘と1987年に結婚するが、1990年に離婚。藤岡との間に子はいない。
角 ゆり子(すみ ゆりこ、1951年5月7日 -)は日本の元… 角 ゆり子(すみ ゆりこ、1951年5月7日 -)は日本の元ファッションモデル、女優。東京都目黒区生まれ。 1951年5月7日、東京都目黒区生まれ。姉弟の長女。 1970年9月、SOSモデルスクール入学。同年11月、SOSアーティスト所属。演技、モダンダンス、日舞、殺陣、歌のレッスンを続ける。 ファッションモデルとして活動後、東京女学館短期大学在学中から、学業の余暇にSOSモデルスクールで芝居を学ぶ。その間、1972年3月に同短期大学卒業。翌1973年年、ベストセラーとなった『二十歳の原点』が映画化されたときに、主人公・高野悦子役でデビュー。以降3作に出演するが、その後いったん芸能活動から身を引く。
岩井 友見(いわい ゆみ、1951年5月3日 - )は、日本… 岩井 友見(いわい ゆみ、1951年5月3日 - )は、日本の女優、司会者、日本舞踊正派岩井流宗家として十一代目 岩井半四郎(じゅういちだいめ いわい はんしろう)を名乗る。東京都出身。夫は俳優の船戸順。女優の仁科亜季子と仁科幸子は妹。株式会社フジプランニング所属。 1951年、歌舞伎俳優10代目岩井半四郎の長女として東京都に生まれる。1964年、名跡・岩井粂三郎、9代目岩井半四郎 (1945年死去) の岩井家の養女となる。3歳の時に歌舞伎座にて日本舞踊の初舞台を踏む。文化学院英文科に進学。岩井流家元を襲名。以後、時代劇などのテレビドラマ、舞台などで俳優として活動する。 その後、乗馬シーンの撮影中に落馬し、約60日間に及ぶ治療を余儀なくされる。
桃井 かおり(ももい かおり、1951年〈昭和26年〉4月8… 桃井 かおり(ももい かおり、1951年〈昭和26年〉4月8日 - )は、日本の女優。 東京都世田谷区出身。2005年公開のハリウッド映画『SAYURI』出演を期に、2006年にはアメリカ合衆国映画俳優組合(現・SAG-AFTRA)に加入、活躍の場をハリウッドにも広げる。ロサンゼルス在住。身長162cm(1976年4月)。 1951年に東京都世田谷区の裕福な家庭に生まれる。父は国際政治学者の桃井真、母の悦子(1923〜2022)はアトリエを構える芸術家、4人兄弟で上の兄は脚本家の桃井章。2番目の兄は科学者。弟は銀行員。女優で人形作家の結城美栄子は母方の従姉。親類は岩城滉一の妻・結城アンナ。 3歳からクラシックバレエを始め、中学生の時にイギリスのロイヤル・バレエ・アカデミーに単身留学。
中里 綴(なかさと つづる、1951年3月15日 - 198… 中里 綴(なかさと つづる、1951年3月15日 - 1988年3月5日)は、日本の作詞家、元女優・歌手である。 本名は神田 恵美(かんだ えみ)、女優時代の芸名は江美 早苗(えみ さなえ)、作詞家としての別名に神田 エミ(かんだ えみ)がある。日本音楽著作権協会の全信託会員であり、没後についても同協会が音楽著作権を管理している。元夫に殺害された。 1951年(昭和26年)3月15日、島根県松江市に生まれる。実家は老舗旅館であり、4人兄弟の末っ子であった。 6歳からバレエを習い始め、小学2年生になった1958年(昭和33年)、西野バレエ団に入団する。1966年(昭和41年)3月、松江市内の中学校卒業後、4月、島根県立松江北高等学校に進学するも、親の反対を押し切り同校を中途退学して東京に移り、同バレエ団で活躍、やがて金井克子、由美かおる、奈美悦子、原田糸子と並ぶ5人娘と呼ばれるようになる。
小野 千春(おの ちはる、1951年〈昭和26年〉3月3日 … 小野 千春(おの ちはる、1951年〈昭和26年〉3月3日 - 1999年〈平成11年〉)は、日本の元女優。東京都杉並区出身。 妹は『仮面ライダーV3』の珠純子役で知られる元女優・歌手の小野ひずる。 1969年、国立音楽大学附属高等学校在学中にニッポン放送の座談会番組『ザ・パンチジャーナル』に出演。饒舌でよく目立つところがディレクターの目に止まり、スカウトされた。同年4月スタートのTBSテレビのドラマ『あいつの季節』でデビュー。 同年4月、国立音楽大学声楽科に入学するが、在学中は芸能活動を禁じられていたため、ほどなく中退する。 1970年には当時同じ芸能事務所所属だった前田武彦がいたため『笑点』の「前武の何でも入門」のアシスタントに起用され、その後大喜利コーナーで女性初の座布団運びを務めることになった。
京 春上(きょう はるえ、1950年12月28日 - )は、… 京 春上(きょう はるえ、1950年12月28日 - )は、日本の元女優。東京都墨田区出身。本名、石濱 春上(いしはま はるえ)。 父は文学者の石濱恒夫。母は東京・銀座のバーのママで、織田作之助の最期を看取ったという人物。妹はエッセイスト、挿絵画家の石浜紅子。春上の名の名付け親は、古くから両親が親しかった川端康成で、『源氏物語』から採ったという。小学生の頃から芝居は好きだったが、小学校の卒業文集には「将来は小説家になりたい」と書いたという。演劇を始めたのは中学3年生の時に演劇部に入ってからだった。1968年の川端康成のノーベル文学賞受賞時には、自身も劇作家の北條誠の娘の北條元子と一緒にストックホルムへ同行した。