スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
白石 まるみ(しらいし まるみ、1962年〈昭和37年〉11… 白石 まるみ(しらいし まるみ、1962年〈昭和37年〉11月27日 - )は、日本の女優、歌手、タレントである。本名は、南川 光江(みなみかわ みつえ)。旧姓は、松田(まつだ)。 東京都出身。FIRST AGENT所属。 夫は会社経営者(一般人)、娘はタレントの守永真彩。都立第一商業高校卒業。 1978年、TBSのテレビドラマ『ムー一族』で主演の郷ひろみの恋人役のオーディション(審査員は出演者だった伴淳三郎ら)に応募し、4万人の応募者の中から2位で選ばれた(このオーディションの優勝者は桂木文)。この当時はまだ中学生で、中学生が選ばれるはずもないと思いながらも、不合格でも何か景品がもらえるということだったので、何かもらえたら郷のファンだった友人にプレゼントしようと思い応募したという。
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辛 淑玉(シン スゴ、ハングル表記:신숙옥、日本名:新山 節… 辛 淑玉(シン スゴ、ハングル表記:신숙옥、日本名:新山 節子〈にいやま せつこ〉、1959年1月16日 - )は、日本在住の人材育成コンサルタント、フリーライター、政治活動家。在日コリアン三世。のりこえねっと共同代表、TRAI(Trans-pacific Research and Action Institute for the hisabetu-nikkei)東京代表。先住民族アイヌの権利回復を求める署名呼びかけ人。 東京都渋谷区生まれの在日コリアン三世。父は在日韓国人2世の辛開星(シンゲソン/新山開一)、母は金癸仙(キムゲソン/金海桂子)。日本名(通名)は、「新山 節子(にいやま せつこ)」を名乗っていた。
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フラワー・メグ(1951年10月7日 - )は、日本のグラビ… フラワー・メグ(1951年10月7日 - )は、日本のグラビアモデル、女優、歌手。 劇団ひまわりに所属していた頃の本名は木村和代。東京都立第一商業高等学校を卒業後に、舞踏家の石井満隆が主宰する舞踊研究所でダンスを本格的に学ぶ。1970年の暮れから、東京都港区赤坂のゴーゴークラブ「スペース・カプセル」のアングラ・ショーに出演。このショーを見たNETテレビのディレクターが、1971年4月開始の新番組『23時ショー』のカバーガールにスカウトする。 フリーで活躍中の武田京子ディレクターも、フラワー・メグをミノルフォン音楽工業株式会社に売り込み、1971年6月1日発売の『ベッドにばかりいるの』で歌手デビュー。
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二代目 金原亭 馬の助(きんげんてい うまのすけ、1945年… 二代目 金原亭 馬の助(きんげんてい うまのすけ、1945年12月19日 - )は、茨城県稲敷郡美浦村出身の落語家。落語協会所属。本名∶松本 直夫。出囃子は『どうぞ叶えて』。 1965年6月、初代金原亭馬の助に入門し「小馬吉」で初高座。 1971年11月、三遊亭歌司、橘家竹蔵、柳家さん八、三遊亭歌橘、三遊亭楽松、林家九蔵、三遊亭朝治と共に二ツ目昇進し「駒三郎」に改名。1976年に師匠馬の助が死去した為十代目金原亭馬生門下に移籍。 1981年3月に柳家さん喬、五街道雲助、三遊亭圓龍、七代目むかし家今松、三遊亭歌司、橘家竹蔵と共に真打昇進し、二代目金原亭馬の助を襲名。 寄席では百面相を演じることもある。
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重信 房子(しげのぶ ふさこ、1945年〈昭和20年〉9月2… 重信 房子(しげのぶ ふさこ、1945年〈昭和20年〉9月28日 - )は、日本のテロリスト、新左翼活動家。元赤軍派中央委員、日本赤軍の元最高幹部。 2000年11月8日に旅券法違反容疑で逮捕。ハーグ事件の共謀共同正犯として有罪となり、懲役20年の判決を受けた。東日本成人矯正医療センターなどで服役していたが、2022年5月28日に刑期満了で出所した。重信メイは娘。 東京都世田谷区で4人兄弟の次女として生まれた。父の末夫は四元義隆と同郷の鹿児島県出身で、第二次世界大戦前の血盟団事件に関与した右翼団体金鶏学院の門下生であった(血盟団メンバーと報じられることがあるが、メンバーではなく事件にも一切関与していない)。
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梶 幹雄(かじ みきお、1940年〈昭和15年〉11月4日 … 梶 幹雄(かじ みきお、1940年〈昭和15年〉11月4日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元ニッポン放送アナウンサー。 台北州(現在の台湾台北市)で生まれ、すぐに東京都に転居。東京都立第一商業高等学校を経て1965年3月に明治大学商学部商学科卒業。大学在学中はグリークラブに所属していた。 同年4月、ニッポン放送に入社。入社同期は同じ大学出身で、元同じくアナウンサーで現・フリーアナウンサーである高嶋秀武。 1968年にリリースされた高石ともやのシングル『受験生ブルース』にて、この曲中に出て来る「ラジオ講座」のアナウンサーとして出演している。 1992年、ニッポン放送を早期退社し、フリーアナウンサーに転向。
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浜田 博(はまだ ひろし、1939年(昭和14年)2月5日 … 浜田 博(はまだ ひろし、1939年(昭和14年)2月5日 - )は、日本の政治家。立憲民主党大分県連顧問。2003年4月より2015年4月まで別府市長を務めた。
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ナオユキ・トヨトシ(Naoyuki Toyotoshi、豊歳… ナオユキ・トヨトシ(Naoyuki Toyotoshi、豊歳 直之、1936年‐)は、パラグアイ共和国の外交官、実業家。 2009年に駐日パラグアイ特命全権大使に就任した。東京に駐日パラグアイ大使館が開設されてから第9代特命全権大使となる。2017年離任。 日本生まれの日本育ちの日本人であり、アルゼンチンを経て、パラグアイ移住後も長く日本国籍者であった。しかし、パラグアイ共和国政府より2009年に駐日特命全権大使に就任を要請され、パラグアイ国籍を取得した。日本国の戸籍の漢字表記は「豊歳 直之」。 トヨトシは、パラグアイの日系社会出身者として、イサオ・タオカ(田岡功)駐日大使(第8代:在任2004年‐2009年)に次いで、2人目の駐日特命全権大使となった。
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永美 ハルオ(ながみ はるお、1933年11月26日 - 2… 永美 ハルオ(ながみ はるお、1933年11月26日 - 2024年9月30日)は日本の漫画家、イラストレーター。永見 ハルオ、永美 はるお名義の作品もある。本名は堀ノ内史旺(ほりのうち・ふみお)。 東京生まれ。東京都立第一商業高等学校を経て、1957年、中央大学経済学部卒業。1966年に漫画家デビュー。日本漫画家協会会員。 講談社ブルーバックスなどのイラストで知られる。 2024年9月30日、死去。90歳没。
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三好 徹(みよし とおる、1931年1月7日 - 2021… 三好 徹(みよし とおる、1931年1月7日 - 2021年4月3日)は、日本のジャーナリスト、作家。東京生まれ。推理小説、スパイ小説、歴史小説などを発表した。本名は河上 雄三。 小学生時代は「雷電為右衛門」などの少年講談や推理小説を愛読。旧制中学校1年の時に陸軍幼年学校を目指したが不合格、2年修了時に合格して、14歳で第二志望だった名古屋陸軍幼年学校に入学した。東京幼年学校の同期に西村京太郎、名古屋幼年学校の2期上に加賀乙彦がいた。敗戦で元の学校に戻り、東京府立第一商業学校(現・東京都立第一商業高等学校)卒業後、横浜高等商業学校(在学中に横浜国立大学経済学部に改名)に進学、卒業後1950年、読売新聞社に入社。
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良知 力(らち ちから、男性、1930年1月12日 - 19… 良知 力(らち ちから、男性、1930年1月12日 - 1985年10月20日)は、日本の哲学者。社会思想史家。元一橋大学社会学部長・教授。 1848年に相次いで起きたヨーロッパの市民革命やヘーゲル左派・カール・マルクスの研究に関して多くの業績を残した。特に初期マルクス研究は、廣松渉とともに国内においては代表的な存在であり、また日本に社会史研究を定着させるにあたっても、一橋大学社会学部で同僚であった阿部謹也らと共に主導的役割を果たした。 大学院での指導学生に野村真理(金沢大教授、日本学士院賞)、川越修(同志社大教授)、植村邦彦(関西大教授)、渡辺憲正(関東学院大教授)、杉浦秀一(北海道大学教授)、上野卓郎(一橋大学教授)、前田庸介(首都大学東京名誉教授)など。
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越智 正典(おち まさのり、1928年11月18日 - 20… 越智 正典(おち まさのり、1928年11月18日 - 2025年4月16日)は、日本のアナウンサー、野球評論家、スポーツライター。日本放送協会(NHK)アナウンサー→日本テレビ放送網(NTV)アナウンサー、のち運動部長。東京府(のちの東京都)出身。 「おち せいてん」の読みをあてる場合がある。 東京府立第一商業、早稲田大学政治経済学部卒業。 1951年にNHKへ入局。札幌局勤務ののち、1953年のNTV開局に伴い同局へ第1期アナウンサーとして移籍とする資料があるが、同年10月21日のNHKラジオ第2放送での日米野球(円山球場)の実況を担当しているため、実際には開局翌年移籍とみられる。以後、特にスポーツ中継の実況アナウンサーとして活躍。
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寺村 輝夫(てらむら てるお、1928年11月8日 - 20… 寺村 輝夫(てらむら てるお、1928年11月8日 - 2006年5月21日)は、日本の児童文学作家。東京都出身。代表作は『王さまシリーズ』『こまったさん』『わかったさん』シリーズ、『かいぞくポケット』など。 東京都本郷区(現・文京区)真砂町に、9人兄弟(男7人・女2人)の6男として生まれる。父は日本橋馬喰町の名刺メーカーに勤める中流階級、母は浅草田原町の宮大工の娘。天皇即位礼(御大典)の影響で典夫と名づけられる予定だったが、ありきたりな名という事で、当時の新聞に目立った「輝」を取って輝夫と命名された。幼少時は「特定の境遇にある者を差別してはいけない」と寺村に何度も教えた母の後を追いかけてばかりだったという。
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日暮 雅信(ひぐらし まさのぶ、1927年9月3日 - 20… 日暮 雅信(ひぐらし まさのぶ、1927年9月3日 - 2003年3月11日)は千葉県出身の作曲家。 東京府立第一商業学校(現、東京都立第一商業高等学校)の吹奏楽部でフルートを演奏。中央大学経済学部に進学、進駐軍キャンプでジャズを演奏していた。同大学を卒業後の1952年、バンド「日暮雅信とブルーキューバン」を結成、クラブやNHKの音楽番組に出演。1956年にバンドを解散、作曲活動に専念することになる。 1961年、「管弦楽のための二つの祈り」で毎日音楽コンクール管弦楽部門に入選。以降、管弦楽、室内楽、声楽、舞踏音楽などの分野で活躍するほか、映像作品の音楽も手掛けた。また、楽器の入門書も数多く執筆している。
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森田 誠吾(もりた せいご、本名:堀野 誠吾、1925年10… 森田 誠吾(もりた せいご、本名:堀野 誠吾、1925年10月25日 - 2008年10月16日)は、日本の小説家。 東京出身。東京府立第一商業学校(現東京都立第一商業高等学校)卒業後旧制東京商科大学(一橋大学の前身)中退。久保栄・滝沢修・薄田研二が結成した東京芸術劇場の研究生となり、特に劇作家久保栄に師事する。久保との関係は久保の死(1958年3月15日)まで続く。森田の『曲亭馬琴遺稿』には、久保の戯曲『火山灰地』(1938年)や長編小説『のぼり窯』(1951年)の影響が見受けられる。 東京芸術劇場解体後、実家の広告制作会社精美堂社長を務めていた。 1981年に『曲亭馬琴遺稿』で作家デビュー。
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中村 隆英(なかむら たかふさ、1925年10月15日 - … 中村 隆英(なかむら たかふさ、1925年10月15日 - 2013年9月26日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。専門は、経済統計学・日本経済論。東京出身。
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鈴木 文彌(すずき ぶんや、1925年1月4日 - 2013… 鈴木 文彌(すずき ぶんや、1925年1月4日 - 2013年1月20日)は、日本のフリーアナウンサー、スポーツ評論家。「鈴木文弥」と新字体による表記が用いられる場合もある。 東京府(現:東京都)出身。東京府立第一商業学校を経て早稲田大学卒業。1948年にNHKに入局し、広島中央放送局・大阪中央放送局を経て、1958年より本部編成局アナウンス部に配属され、アナウンサーとして長年に亘り、スポーツ中継の実況担当で活躍。その後一時期、大阪中央放送局のチーフも務めた。 特にオリンピックでは、1964年の東京オリンピックの開会式(ラジオ。市川崑が監督を務めた記録映画で、開会式の場面で流される実況音声は鈴木のものである)や、バレーボール日本女子代表が金メダルを獲得した試合の実況を担当。
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相田 雪雄(あいだ ゆきお、1924年2月1日 - 2015… 相田 雪雄(あいだ ゆきお、1924年2月1日 - 2015年10月8日)は、日本の実業家。元野村證券(現野村ホールディングス)会長。東京都出身。 第一早稲田高等学院時代は竹下登と同級生であった。早稲田大学政治経済学部卒業後の1947年、野村證券に入社。主に国際畑を歩み、副社長を経て、子会社の野村投資顧問(現野村アセットマネジメント)の社長・会長を務めた。1992年、損失補てん問題や暴力団との取引が発覚した証券不祥事で田淵節也野村証券会長が引責辞任した後を受けて、会長として本社に復帰。意識・風土改革を呼びかけるなど社内改革に尽力した。 2015年10月8日、呼吸不全のため死去。91歳没。
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武田 實(たけだ みのる、1922年3月28日 - 2009… 武田 實(たけだ みのる、1922年3月28日 - 2009年3月6日)は、日本の外交官。駐アイルランド特命全権大使等を経て、迎賓館長を務めた。 東京府立第一商業学校(現東京都立第一商業高等学校)を経て、1944年東京商科大学(現一橋大学)卒業。科学技術庁原子力局国際協力課長、在トルコ日本国大使館一等書記官、同参事官等を経て、1967年在オーストラリア日本国大使館参事官。1969年在ブルガリア日本国大使館参事官。1972年参議院参事、参議院事務局渉外部長兼列国議会同盟課長事務取扱。1976年シドニー総領事。1978年駐ラオス特命全権大使。1982年駐アイルランド特命全権大使。1985年迎賓館長。
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河野 一英(こうの かずひで/いちえい、1920年〈大正9年… 河野 一英(こうの かずひで/いちえい、1920年〈大正9年〉8月16日 - 2015年〈平成27年〉7月24日)は、日本の公認会計士(登録番号No.992)。正七位勲四等。元センチュリー監査法人(現・EY新日本有限責任監査法人)会長。大東文化大学名誉教授。商学博士。オーデリック特別顧問、日東工器・日本ライフライン・化学工業日報社・味の浜藤・シレン・各顧問、横浜化成監査役、大蔵省公認会計士試験委員、センチュリー監査法人会長を歴任した。 1920年、平田屋(のちの平田百貨店、現・高麗大然閣タワー)従業員の河野一三(広島県沼田郡緑井村出身)・房(旧姓・村井、三重県出身)夫妻の長男として朝鮮京畿道京城府にて出生した。
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高松 利夫(たかまつ としお、1919年8月15日 - 没年… 高松 利夫(たかまつ としお、1919年8月15日 - 没年不明)は、東京都出身のプロ野球選手(投手)・解説者・評論家。 東京府立第一商業 から慶應義塾大学へ進学。太平洋戦争中の1943年(昭和18年)10月16日に行われた出陣学徒壮行早慶戦(別名・最後の早慶戦)では先発の久保木清の中継ぎとして登板した。卒業後に菊水クラブへ進み、1950年に大映スターズへ入団。1951年から1953年まで3年連続で9勝を記録。現役生活は6年のみであり通算では負け越しているものの、終始大映の主力投手として活躍した。1955年引退。 引退後はニッポン放送解説者・スポーツニッポン評論家を務めた。
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橋本 公亘(はしもと きみのぶ、1919年〈大正8年〉7月9… 橋本 公亘(はしもと きみのぶ、1919年〈大正8年〉7月9日 - 1998年〈平成10年〉2月6日)は、日本の法学者。専門は憲法、行政法。 1990年まで中央大学法学部教授(法学部長等を歴任)。中央大出身者としての初の日本学士院会員(1992年12月14日から)。1962年から1964年まで第一次臨時行政調査会の臨時委員を務めた。正五位勲二等瑞宝章。 橋本は、高等文官試験司法科・行政科をそれぞれ4番の成績で合格した秀才である。大学卒業後内務省に入ったが、第二次大戦中、短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、1942年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。
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藤井 和郎(ふじい かずろう、1919年3月29日 - 20… 藤井 和郎(ふじい かずろう、1919年3月29日 - 2012年8月29日)は、日本の経営者。不二家社長、会長を務めた。神奈川県横浜市出身。 1937年に東京府立第一商業学校を卒業し、同年に不二家に入社。1946年に取締役に就任し、1970年に専務を経て、1985年に社長に就任し、1989年には会長に就任。 1994年には勲三等瑞宝章を受章。 2012年8月29日心不全で在任中に死去。93歳没。
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奥山 治(おくやま おさむ、1918年(大正7年)1月31日… 奥山 治(おくやま おさむ、1918年(大正7年)1月31日 - 2000年(平成12年)3月18日)は東京都・青ヶ島村の村長を五期17年3か月間務めた人物。生涯において玄米自然食(マクロビオティック)の普及に努めた。東洋哲学の思想家。位階は正六位。 奥山治の出生地青ヶ島は、1785年(天明5年)天明の大噴火で全島民が避難し無人島になった。絶海の孤島の中で、その後五十年もの歳月をかけ、1835年(天保6年)避難先の八丈島から独力還住(全島民帰還)を果たす祖先達を指導したのが佐々木次郎太夫である。柳田國男は佐々木次郎太夫を「青ヶ島のモーゼ」と称えている。 奥山治は、島の名主となった佐々木次郎太夫の末裔である。
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伊藤 達二(いとう たつじ、1916年(大正5年)2月28日… 伊藤 達二(いとう たつじ、1916年(大正5年)2月28日 - 2000年(平成12年)12月11日)は日本の実業家。元三菱地所社長。 神田生まれ。旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業後、三菱合資会社入社。大学の同期に水上達三(のちに三井物産社長)がいる。1953年三菱地所に転籍し、主に営業畑を歩む。 副社長等を経て、1980年社長就任。従来のオフィスビル事業、住宅事業に加え、新たに大型商業施設事業に参入。また三菱重工業横浜造船所跡地を取得し、横浜みなとみらい21の開発を行った。1987年取締役相談役。 2000年12月11日、神奈川県鎌倉市の病院で死去、享年84。
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中里 喜一(なかざと きいち、1912年 <明治45年> 7… 中里 喜一(なかざと きいち、1912年 <明治45年> 7月16日 - 2001年 <平成13年> 1月21日)は、日本の政治家。東京都江戸川区長(9期)。位階は従四位。勲三等瑞宝章。 現在の東京都江戸川区生まれ。東京府立第一商業学校(現・東京都立第一商業高等学校)を卒業した。 1930年、東京府南葛飾郡松江町役場に入る。江戸川区教育課長、総務課長などを経て、1960年、助役となり、1964年、区長に就任する。区長を9期36年務め(この間、特別区区長公選制が導入され、中里は選任制と公選制の両方で区長に選ばれた)、1999年退任、この間、東京23区区会副会長などを歴任した。同年、江戸川区から名誉区民を贈られた。
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長瀬 喜伴(ながせ よしとも / きはん、1912年2月18… 長瀬 喜伴(ながせ よしとも / きはん、1912年2月18日 - 1966年6月16日)は、日本の脚本家。 東京府東京市下谷区(現・東京都台東区)生まれ。東京府立第一商業学校を経て横浜専門学校商科を卒業。 1935年に松竹の蒲田脚本研究所に第4期生として入所し、1937年に松竹大船脚本部に入って斎藤良輔のもとで助手を務めた後、1938年に清水宏監督「新家庭暦」で一本立ちの脚本家となる。以後、家庭劇的なドラマの展開を基調とした“大船調”メロドラマに健筆をふるい、娯楽作家として活躍した。 太平洋戦争末期の1944年に近衛連隊に入隊し、1945年に小笠原諸島の父島で終戦を迎えた。 1954年にフリーとなり、東宝、大映、東京映画などで娯楽ものを中心に多数の映画で脚本を担当したほか、親友の新藤兼人が主宰する近代映画協会にも参加し、会計事務を担当するなど、協力者として会の活動を支えた。
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亀井 トム(かめい とむ、1910年12月29日 - 200… 亀井 トム(かめい とむ、1910年12月29日 - 2000年?)は、日本のジャーナリスト。『週刊埼玉』社長。本名、亀井 兎夢。出生名、久松 兎夢。トム・カメイ名義による著作もある。 子爵久松定弘(旧姓、大河内)の六男として東京市下谷区(現・東京都台東区)に生まれる。1928年、東京府立一商(現・東京都立第一商業高等学校)卒。日本大学専門部経済学科を2年で中退し、叔父の湯目補隆(ゆのめ すけたか、旧制大阪高校や旧制第二高校の校長を歴任)の私塾で学ぶ。1933年、亀井家の養子となる。 埼玉県川越市に住み、1953年から地方新聞『週刊埼玉』を発行。1970年1月、日本国民救援会系の「石川さんを守る会」川越地区の岸野茂(農林技官)と杉山英夫(横川元代議士襲撃事件被告人、大井医院事務長)の来訪と資料提供を受け、1970年2月から同紙で「狭山事件の再検討」を月1回特集する。
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信 欣三(しん きんぞう、1910年7月9日 - 1988年… 信 欣三(しん きんぞう、1910年7月9日 - 1988年12月26日)は、日本の俳優。本名は信 金蔵。1960年代半ばから1970年代半ばにかけては、信 欽三の芸名でも活動した。脚本家・小説家の筒井ともみは義理の姪。墓所は谷中霊園。 東京市出身。祖父の信大蔵は、旧尾張藩士で、幕府軍に参加し箱館戦争を戦ったが、敗れたため逃れたという。その後銀座尾張町にて洋酒、牛乳、氷屋の函館屋を開き、特に幕府顧問のフランス人より習ったアイスクリーム販売が名物であった。 銀座の泰明小学校、東京府立第一商業学校(現、東京都立第一商業高等学校)卒業。東京左翼劇場を経て、1933年に『河向ふの青春』で映画に初出演した。
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番場 嘉一郎(ばんば かいちろう、1909年(明治42年)1… 番場 嘉一郎(ばんば かいちろう、1909年(明治42年)10月28日 - 1989年(平成元年)5月30日)は、日本の会計学者。一橋大学名誉教授、千葉商科大学名誉教授。元青山学院大学教授。第4代千葉商科大学学長(1975年4月 - 1987年3月)。太田哲三門下。中村忠(一橋大学名誉教授)、山浦久司(第29代会計検査院長)は門下生。従三位。 1909年10月28日、東京都渋谷区初台に生まれる。生涯にわたりこの地で暮らした。 東京府立第一商業学校、東京商科大学(現在の一橋大学)附属商学専門部を経て、1931年4月、同大学本科に入学。 太田哲三のゼミナールに所属し、1934年3月に卒業する。卒業論文は『経営分析研究』。
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植草 甚一(うえくさ じんいち、1908年〈明治41年〉8月… 植草 甚一(うえくさ じんいち、1908年〈明治41年〉8月8日 - 1979年〈昭和54年〉12月2日)は、ジャズ、ミステリー、映画評論家で1970年代・サブカルチャーの旗手だった、通称“J・J氏”。 植草は東京市日本橋区小網町(現・東京都中央区日本橋小網町)にて、木綿問屋の一人息子として生まれた。1915年東華小学校に入学。10歳あたりから、姉に連れられ地元の映画館「水天館」に通った。1921年渋谷鉢山町の東京府立第一商業学校に入学、ここでは首席を通した。1923年9月1日の関東大震災で被災し、これをきっかけに植草家は没落した。 1926年、旧制第一高等学校を受験するが失敗。このため、東京府立第五中学校の補習科に通学。
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小林 栄次(こばやし えいじ、1907年(明治40年)4月6… 小林 栄次(こばやし えいじ、1907年(明治40年)4月6日 - 1980年(昭和55年)1月12日)は、日本の実業家。また、名前の表記は旧字の「榮次」が正式である。株式会社大多摩ハム小林商会の創業者。元日本ハムソーセージ工業協同組合副理事長、社団法人日本食肉加工協会常務理事。 長野県下高井郡長丘村(現在の中野市七瀬区)出身。早くから日本においてハムの製造事業を開始し、食肉加工業界を発展させた者の一人。ドイツ人技師、アウグスト・ローマイヤーのもとで日本において早くからロースハムを売り出し、その普及に貢献した。 1907年(明治40年)4月6日に長野県下高井郡長丘村(現在の中野市七瀬区)に生まれる。
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平澤 貞二郎(ひらさわ ていじろう、1904年1月5日 - … 平澤 貞二郎(ひらさわ ていじろう、1904年1月5日 - 1991年8月20日)は、日本の実業家・詩人である。 平澤貞二郎は福井県坂井市三国町の仏壇屋に生まれ、15歳の時に上京した。1921年に東京府立商業学校(現・東京都立第一商業高等学校)を卒業したのち、大沢商会や報知新聞社などに勤務した。その傍らで詩の創作活動に励み、1925年に萩原朔太郎や室生犀星らが出していた雑誌『感情』の流れを汲んだ『帆船』に参加したり、1927年に詩誌『金蝙蝠』を創刊したり、1928年に詩集『街の小民』を出版したり、1930年にはプロレタリア詩誌合同のプロレタリア詩人会の委員長に就任して機関誌『プロレタリア詩』を13号まで刊行したりするなど、1920年から1930年代頃にはプロレタリア詩人として活動している。
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