伊藤 雄大(いとう ゆうた、1982年4月2日 - )は、日… 伊藤 雄大(いとう ゆうた、1982年4月2日 - )は、日本の元ラグビー選手。現在ジャパンラグビーリーグワン豊田自動織機シャトルズ愛知のFWコーチを務めている。 2001年、國學院久我山高校卒業後、早稲田大学に入る。 2005年、早稲田大学卒業後、ヤマハ発動機ジュビロに加入。 2006年9月9日に行われたジャパンラグビートップリーグ第2節のサントリーサンゴリアス戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2009年、リコーブラックラムズに加入。 2013年、三菱重工相模原ダイナボアーズに加入。 2016年、早稲田大学ラグビー蹴球部のスクラムコーチに就任した。
八木 鉄兵(やぎ てっぺい、1981年8月26日 - )は、… 八木 鉄兵(やぎ てっぺい、1981年8月26日 - )は、日本の元ラグビー選手。 2000年、向上高校卒業後、関東学院大学に入る。 2004年、関東学院大学卒業後、ヤマハ発動機ジュビロに加入。 2005年12月24日に行われたジャパンラグビートップリーグ第11節の三洋電機ワイルドナイツ戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2013年、現役を引退した。
日高 健(ひだか けん、1981年6月25日 - )は、日本… 日高 健(ひだか けん、1981年6月25日 - )は、日本の元ラグビー選手。 2000年、明大中野高校卒業後、明治大学に入る。 2004年、明治大学卒業後、NECグリーンロケッツに加入。同年9月19日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節の日本IBMビッグブルー戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2016年、現役を引退した。
岡崎英二(おかざき えいじ、1981年5月29日 - )は、… 岡崎英二(おかざき えいじ、1981年5月29日 - )は、日本のラグビー選手。 2001年、明大中野八王子高校卒業後、法政大学に入る。なお明大中野八王子高校時代は、花園とは無縁だった。 2005年、法政大学卒業後、釜石シーウェイブスに加入。10シーズンプレイした。なお法政大学在学時代には関東大学ラグビーリーグ戦グループ優勝に貢献した。 2005年11月12日に行われたトップイーストリーグ10第9節の日本航空戦に先発出場で公式戦初出場を果たす。 現在東日本トップクラブリーグの北上矢巾ブレイズラガーに在籍する。
生沼 知裕(おいぬま ともひろ、1981年4月30日 - )… 生沼 知裕(おいぬま ともひろ、1981年4月30日 - )は、ラグビーユニオン選手。 兄が出場した全国高校ラグビー都大会決勝を見て、ラグビーを始めた。 2000年、大東大一高校卒業後、大東文化大学に入る。なお大東大一高校時代、高校日本代表に選ばれたことがある。 2004年、大東文化大学卒業後、セコムラガッツに加入。同年9月4日に行われたトップイースト10第1節のブルーシャークス戦に先発出場で公式戦初出場を果たす。 2009年、リコーブラックラムズに加入。 2017年、リコーブラックラムズを退団。
小堀 弘朝(こぼり ひろとも、1981年4月17日 - )は… 小堀 弘朝(こぼり ひろとも、1981年4月17日 - )は、日本の元ラグビー選手。 2000年、国学院久我山高校卒業後、明治大学に入る。なお国学院久我山高校時代、高校日本代表に選ばれたことがある。 2004年、明治大学卒業後、クボタスピアーズに加入。同年12月19日に行われたジャパンラグビートップリーグ第10節の三洋電機ワイルドナイツ戦に途中出場で公式戦初出場を果たした。 2012年、クボタスピアーズを退団し、全早慶明チャリティマッチで現役を引退した。
山下 大悟(やました だいご、1980年11月17日 - )… 山下 大悟(やました だいご、1980年11月17日 - )は、日本のラグビー選手。現役引退後、2016年現在は早稲田大学ラグビー蹴球部の監督を務める。
上村 康太(かみむら こうた、1980年9月2日 - )は、… 上村 康太(かみむら こうた、1980年9月2日 - )は、日本の元ラグビー選手。 3歳年上の兄とともに野球少年として過ごしていた上村であったが、中学校二年生の春に杉並ラグビースクールへ。当時、悪さばかりしていたという上村を、高校入学を機にラグビーに転向した兄が「そんなことやってんだったらラグビーで発散しろ」とプレーを勧めたことが切っ掛けであった。スクールへ入った当時はラグビーについて何も知らなかった上村は、生まれて初めてのラグビーの試合で言われるがままに相手選手にタックル、相手は救急車で運ばれ上村も脳震盪を起こした。「100パーセント人にぶつかってゆくスポーツ」であるラグビーにより「発散」することが出来て自身は更生出来たと上村は語っている。
榎本 淳平(えのもと じゅんぺい、1979年11月30日 -… 榎本 淳平(えのもと じゅんぺい、1979年11月30日 - )は、日本の元ラグビー選手。2016年現在関東学院大学ラグビー部のヘッドコーチを務めている。 1998年、保善高校卒業後、関東学院大学に入る。 2002年、関東学院大学卒業後、三洋電機ワイルドナイツ(現・パナソニック ワイルドナイツ)に加入。 2011年、現役を引退し、同年からパナソニック ワイルドナイツのバックスコーチを2年間務めた。
野澤 武史(のざわ たけし、1979年4月24日 - )は、… 野澤 武史(のざわ たけし、1979年4月24日 - )は、日本の元ラグビー選手。山川出版社の代表取締役社長を務めるかたわら、日本ラグビーフットボール協会でコーチ職に就き、一般社団法人スポーツを止めるな代表理事を務める。 1998年、慶應義塾高校卒業後、慶應義塾大学に入学する。なお慶應義塾高校時代、高校日本代表候補に選ばれたことがある。 2001年、慶應義塾體育會蹴球部の主将に就任。 2002年、慶應義塾大学卒業後、神戸製鋼コベルコスティーラーズに加入。 2007年、神戸製鋼コベルコスティーラーズの副将に就任。 2009年、現役を引退し、慶應義塾高校ラグビー部のFWコーチに就任。2シーズン務めた。
小池 善行(こいけ よしゆき、1979年3月8日 - )は、… 小池 善行(こいけ よしゆき、1979年3月8日 - )は、日本の元ラグビーユニオン選手。現在ジャパンラグビーリーグワン静岡ブルーレヴズの普及担当を務めている。 中学校からラグビーを始めた。 1997年、東海大菅生高校卒業後、東海大学に入学する。 2000年、東海大学体育会ラグビーフットボール部の主将に就任した。 2001年、東海大学卒業後、セコムラガッツに加入。同年9月22日に行われた東日本社会人リーグ第1戦のNECグリーンロケッツ戦に先発出場で公式戦初出場を果たす。 2008年、横河武蔵野アトラスターズに加入。 2010年、ヤマハ発動機ジュビロに加入。 2016年、現役を引退した。 2021年、静岡ブルーレヴズの普及担当に就任。
生沼 元(おいぬま はじめ、1979年1月27日 - 200… 生沼 元(おいぬま はじめ、1979年1月27日 - 2005年9月16日)は、元ラグビー選手。 大東大一高校、大東文化大学を経てセコムラグビー部(現・狭山セコムラガッツ)に加入。 2003年、精巣腫瘍を患い手術をするも2005年に腫瘍が肺に転移し再発し同年9月16日逝去。
滝澤 佳之(たきざわ よしゆき、1978年5月30日 - )… 滝澤 佳之(たきざわ よしゆき、1978年5月30日 - )は、元ラグビー選手、指導者。 幼少時代、地元のラグビースクールでラグビーに出会った。 1997年、国学院久我山高校卒業後、明治大学に入る。 2001年、明治大学卒業後、リコー(現・リコーブラックラムズ)に加入。 2011年、リコーブラックラムズの主将に就任した 2013年、トップリーグ通算100試合出場を達成。 2017年、現役引退。明治大学ラグビー部のFW(フォワード)コーチに就任。
高田 晋作(たかだ しんさく、1978年1月27日 - )は… 高田 晋作(たかだ しんさく、1978年1月27日 - )は、日本の元ラグビー選手。 中学からラグビーを始めた。 1996年、國學院久我山高校卒業後、慶應義塾大学に入学。 1999年、慶應義塾體育會蹴球部の主将に就任。慶應義塾大学14年ぶりの大学選手権優勝に貢献。 2000年、慶應義塾大学卒業後、NHKに入局。 2005年、三菱地所に入社。
竹内 圭介(たけうち けいすけ、1976年12月29日 - … 竹内 圭介(たけうち けいすけ、1976年12月29日 - )は、日本のラグビー指導者。現在目黒学院高校ラグビー部の監督を務めている。 小学2年生からラグビーを始めた。 目黒高校、東洋大学を経て、2003年、目黒学院高校ラグビー部のコーチになる。その後2017年、監督に昇格。
笠井 建志(かさい けんじ、1976年6月7日 - )は、日… 笠井 建志(かさい けんじ、1976年6月7日 - )は、日本の元ラグビー選手。
岩渕健輔(いわぶちけんすけ、1975年12月30日 - )は… 岩渕健輔(いわぶちけんすけ、1975年12月30日 - )は、日本の元ラグビー選手。現在は、日本ラグビー協会15人制日本代表GM。
高橋 寛(たかはし ひろし、1974年9月9日 - )は、日… 高橋 寛(たかはし ひろし、1974年9月9日 - )は、日本の元ラグビー選手。 成蹊高校、帝京大学を経て、1999年、東芝府中に加入。 2009年、現役を引退した。
信野 将人(しんの まさと、1974年3月16日- )は、日… 信野 将人(しんの まさと、1974年3月16日- )は、日本の元ラグビー選手。 早大ラグビー部出身の父の影響を受け、国学院久我山高校を経て明治大学に進む。 明大ラグビー部では1年生から正スタンドオフとして試合に出場し、4年生となった1995年には主将を務めた。在学中に大学選手権で2度優勝(1993年、1995年)している。 卒業後はリコーに入社してラグビーを続け、2006年に現役引退、2012年に退社した。 2012年8月7日、タクシーの運転手を殴り、タクシーを奪ったとして警視庁神田署に強盗容疑で逮捕されたが、誤認逮捕で不起訴処分となる。
川合レオ(かわい レオ、1974年3月13日 - )は、日本… 川合レオ(かわい レオ、1974年3月13日 - )は、日本の元ラグビー選手。 玉川学園中等部時代にラグビーを始め、高等部、玉川大学を経たのちに1997年NECグリーンロケッツへと入団した。2000年には日本代表の初キャップを獲得する。2003年首のヘルニアを原因に引退している。 その後2004年から2011年の間、母校玉川大学の玉川大学ラグビー部ヘッドコーチを務め、その後、ジュニアジャパンのコーチを経て、現在は一般社団法人ラグビーパークジャパン代表理事として子どもたちの平日ラグビー教室を運営、さらに公益財団法人日本ラグビーフットボール協会普及育成委員会コーチング部門で部門長を務めている。
龍 啓之助(りゅう けいのすけ、1974年2月2日 - )は… 龍 啓之助(りゅう けいのすけ、1974年2月2日 - )は、日本の医師・元ラグビー選手。 日大二高校、日本大学医学部を経て、1998年、リコー(現・リコーブラックラムズ東京)に加入。 現役引退後は整形外科医師になる。
星野 明宏(ほしの あきひろ、1973年3月4日 - )は、… 星野 明宏(ほしの あきひろ、1973年3月4日 - )は、日本の経営者、教育者、ラグビーユニオン指導者。東京都町田市出身。 町田市立小川小学校、桐蔭学園中学校・高等学校、立命館大学法学部を経て、1995年より株式会社電通に勤務。その後、筑波大学大学院で学び、静岡聖光学院中学校・高等学校へ勤務。寮教員から始まり、担任、学年主任、教頭、副校長を経て、赴任後15年目に学校長を務める。 2020年にコロナウイルスが猛威を振るい始め、当時の安倍首相から全国一斉休校要請が発令される2020年2月27日よりも前に、”生徒の安全確保のために登校を停止するが、学校機能は止めない”独自の休校を決めた。翌2月28日にはホームページ上で学校方針を発表し、翌週の3月2日から全国で最も早くオンライン授業に踏み切った。
天野 慶久(あまの よしひさ、本名同じ、1972年11月22… 天野 慶久(あまの よしひさ、本名同じ、1972年11月22日 - )は、日本の元ラグビー選手、俳優。ケイダッシュ所属。 ポジションはフランカーおよびナンバー8。国学院久我山高等学校では全国高等学校ラグビーフットボール大会ベスト8。明治大学に進学。在学中には、関東大学対抗戦で4年間全勝優勝、全国大学ラグビーフットボール選手権大会で優勝2回、準優勝1回、日本選手権に出場。第1回ジャパンセブンス選手権大会で優勝。卒業後はオーストラリア、イングランド留学を経て、サントリーに入社して活躍した。U23日本代表、日本A代表、日本代表、関東代表、7人制日本代表、10人制日本代表に選出された。 海外クラブチームでプレーしていた時期があり、ゴードン(シドニー)、サニーバンク(ブリスベン)(以上、オーストラリア)、ワンプス(ロンドン)などに在籍していた。
天野 義久(あまの よしひさ、本名同じ、1972年11月22… 天野 義久(あまの よしひさ、本名同じ、1972年11月22日 - )は、日本の元ラグビー選手、俳優。ケイダッシュ所属。
増保 輝則(ますほ てるのり、1972年1月26日 - )は… 増保 輝則(ますほ てるのり、1972年1月26日 - )は、日本の元ラグビー選手。元神戸製鋼コベルコスティーラーズ監督。現在ジャパンラグビーリーグワンコベルコ神戸スティーラーズのアドバイザーを務めている。 淑徳小学校→城北中学・高校→早稲田大学 城北中学でラグビーを始める。城北高校3年時に高校日本代表の主将としてスコットランド遠征に参加。 早稲田大学に進学後、戦後最年少(当時)となる19歳3か月で日本代表に選出され、WTB(ウイング)として活躍。在学中に大学選手権準優勝2回。 1994年に神戸製鋼に入社し、1年目から中心選手として活躍。 1995年の第3回W杯では、ニュージーランド戦で大敗した戦犯の1人としてマスコミのバッシングを受けたが、その後大学時代から太り気味だった体を見事にシェイプアップし、本来の鋭いキレを取り戻し日本代表へ復帰。
伊藤剛臣(いとう たけおみ、1971年4月11日 - )は、… 伊藤剛臣(いとう たけおみ、1971年4月11日 - )は、日本のラグビー選手。釜石シーウェイブス所属。
相良 南海夫(さがら なみお、1969年8月14日 - )は… 相良 南海夫(さがら なみお、1969年8月14日 - )は、日本のラグビー指導者。 早稲田大学高等学院、早稲田大学を経て、1992年、三菱重工相模原(現・三菱重工相模原ダイナボアーズ)に加入。なお早稲田大学時代、ラグビー部主将を務めた。 2000年、三菱重工相模原の監督就任。8年間務めた 2018年、早稲田大学の監督に就任。 2020年、監督として大学選手権で早稲田11年ぶりの優勝を果たす。翌2021年、早稲田大学監督を退任。
小口 耕平(おぐち こうへい、1968年10月6日 - )は… 小口 耕平(おぐち こうへい、1968年10月6日 - )は、日本の実業家、元ラグビー選手。丸昌エンターテインメントの代表取締役を務めている。 大東大一高校、大東文化大学、伊勢丹を経て、リコー(現・リコーブラックラムズ東京)に加入。なお大東文化大学時代、主将を務めた。 1997年6月7日に行われたパシフィック・リム選手権アメリカ合衆国戦で日本代表初キャップを獲得した。 2006年、現役を引退して丸昌の代表取締役に就任。
藤原 秀之(ふじわら ひでゆき、1968年1月10日 - )… 藤原 秀之(ふじわら ひでゆき、1968年1月10日 - )は、日本のラグビー指導者。現在桐蔭学園高校ラグビー部監督を務めている。 高校からラグビーを始めた 大東大一高校卒業後、日本体育大学に入る。なお大東一高校時代、花園優勝経験。 日本体育大学卒業後、1990年、桐蔭学園高校のラグビー部コーチに就任。 2002年、監督に就任。2011年、監督として花園初優勝を経験。
飯島 均(いいじま ひとし、1964年9月1日 - )は、日… 飯島 均(いいじま ひとし、1964年9月1日 - )は、日本の元ラグビー選手及び指導者。現在ジャパンラグビーリーグワン埼玉パナソニックワイルドナイツのGMを務めている。 府中西高校を経て大東文化大学へと進む。大東文化大学4年の時、大学選手権で優勝を経験。 その後、三洋電機(後の三洋電機ワイルドナイツ、現パナソニック ワイルドナイツ)へと進み、同チームの主将を経験。しかし、神戸製鋼の黄金時代なども重なり、全国社会人ラグビーフットボール大会(以下、全国社会人大会)の優勝にはなかなかたどり着けなかった。 1995年度、トライ数を下回ったことで、同点ながらも日本ラグビーフットボール選手権大会(以下、日本選手権)への出場を阻まれ、悲願の全国社会人大会優勝を経験したものの、後味の悪い結果となってしまった。
生田 久貴(いくた ひさたか、1962年11月30日 - )… 生田 久貴(いくた ひさたか、1962年11月30日 - )は、日本の元ラグビー選手、実業家。現在はミクニ代表取締役社長。 慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学(以下、慶大)商学部を卒業。 幼稚舎時代から続けてきたラグビーを慶大でも続け、4年時となる1985年度シーズンにおいて、関東大学ラグビー対抗戦グループでは4位に終わったものの、全国大学ラグビーフットボール選手権大会(以下、大学選手権)の出場権をかけた関東大学ラグビーリーグ戦グループとの交流試合において、同グループ優勝の日本大学に勝利して出場権を得ると、大学選手権では決勝で対戦した明治大学と12 - 12で引き分け両校優勝、翌日行われた抽選の結果、日本ラグビーフットボール選手権大会(日本選手権)の大学代表チームとして出場権を得るに至った。
相沢 雅晴(あいざわ まさはる、1958年5月12日 - )… 相沢 雅晴(あいざわ まさはる、1958年5月12日 - )は、日本の元ラグビー選手。 國學院久我山高校、明治大学を経て、1981年、リコー(現・リコーブラックラムズ東京)に加入。 1984年10月27日に行われた韓国戦で日本代表初キャップを獲得した。 現役引退後、日本国土開発の監督を務めた。 現在はMIP FCの代表を務めており、元日本代表の経験を活かして子供達に指導している。
八角 浩司(やつみ こうじ、1957年7月14日 - )は、… 八角 浩司(やつみ こうじ、1957年7月14日 - )は、日本の元ラグビー選手。 保善高校卒業後、1976年、トヨタ自動車工業(現・トヨタヴェルブリッツ)に加入。 1986年6月7日に行われたカナダ戦で日本代表初キャップを獲得した。
松尾 雄治(まつお ゆうじ、1954年1月20日 - )は、… 松尾 雄治(まつお ゆうじ、1954年1月20日 - )は、東京都出身の元ラグビーユニオン選手、スポーツキャスターである。立教大学ラグビー部OBの父親の影響もあり、成城学園中学校高等学校から、ラグビー強豪の私立目黒高校に転校。元祖ミスター・ラグビー。実弟である雄吾(元・三菱自動車工業京都)、雄太(元・栗田工業)、雄介(元・新日本製鐵釜石)も元ラグビー選手である。現在も東京都在住。 東京都渋谷区恵比寿生まれ、世田谷区成城育ち。目黒高校から明治大学、新日本製鐵釜石ラグビー部(現・日本製鉄釜石シーウェイブス)で活躍した。 高校時代は全国高校ラグビーで1年次の第49回大会は優勝、2年次の第50回大会は優勝を果たした盛岡工業にベスト8で抽選で敗れ、3年次の第51回大会は決勝まで進んだが、自軍インゴールに相手(天理高校)が蹴り込んだボールをタッチダウンせず、蹴り出そうとしたが空振り、直後に相手選手がそのボールを押さえ、決勝トライを奪われ準優勝で終わった。
上田 昭夫(うえだ あきお、 1952年10月21日 - 2… 上田 昭夫(うえだ あきお、 1952年10月21日 - 2015年7月23日)は、日本のラグビー選手(SH)及び指導者。元日本代表でキャップ6。元慶應義塾體育會蹴球部(以下、慶大)監督。フジテレビジョン社員としてニュースキャスターを務めたことでも知られる。 東京都豊島区目白出身。父親は慶應義塾大学医学部出身の医師・衛生学者。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学商学部卒業。幼稚舎2年次に発生した雅樹ちゃん誘拐殺人事件で犠牲になった児童は、上田の幼稚舎時代の同級生であった。幼稚舎5年次よりラグビーを始める。大学在学中は蹴球部(ラグビー部)に所属し、4年生の時に主将を務めた。
石塚 武生(いしづか たけお、1952年5月18日 - 20… 石塚 武生(いしづか たけお、1952年5月18日 - 2009年8月6日)は、東京都出身のラグビー選手・指導者。現役時代のポジションはフランカー(FL)。 國學院久我山高校3年でラグビーを始める。 早稲田大学ラグビー蹴球部では4年時で主将を務め、1974年の関東大学対抗戦、大学選手権の2冠に導く。同年、日本代表に初選出され、ニュージーランド遠征に参加。ニュージーランド学生代表戦で代表試合デビューを果たす。 卒業後の1975年、リコーに入社。代表では1980年以降主将を務め、1983年まで積み上げた28キャップは、1989年に林敏之に破られるまで最多記録であった。 現役時代は身長170センチメートル、体重75キログラムとフランカーとしては小柄ながら、果敢にタックルに向かう姿から「タックルマン」の愛称で親しまれた。
水谷 眞(みずたに まこと、1945年9月1日 - )は、東… 水谷 眞(みずたに まこと、1945年9月1日 - )は、東京都出身の元ラグビー選手。 現役時代のポジションは主にウイング(WTB)及びセンター(CTB)。 目黒高校を経て、法政大学へ進む。同大学在籍時代には、第1回/第4回大学選手権で優勝を経験。日本代表に選出され、キャップ4を獲得。 卒業後はリコーに入社。同チーム在籍時代には、『和製オールブラックス』という愛称を持つ強豪チームの一員として、日本選手権で2回、全国社会人大会で3回の優勝を経験した。 引退後はリコー監督、関東ラグビーフットボール協会理事長、日本ラグビーフットボール協会理事等を歴任。また、ラグビー中継の解説者としても多数出演歴がある。
島崎 文治(しまざき ふみはる、1945年4月15日 - )… 島崎 文治(しまざき ふみはる、1945年4月15日 - )は、日本の元ラグビー選手。 保善高校から法政大学へと進学。 1964年〜1967年において法大の日本一に貢献した名CTB。 卒業後は東洋工業ラグビー部(現:マツダブルーズーマーズ)で活躍。 1970年のタイ戦で日本代表初キャップを獲得。通算キャップ数は10。 元マツダラグビー部監督であり1985年には法大ラグビー部監督に就任。 長男の島崎大地も法大ラグビー部で活躍、1992年度にCTBで日本一を経験している。 島崎が監督に就任した頃、法大ラグビー部は低迷期に入っていたが、その理由として、「合宿所の玄関は、常時靴が散乱の状態」「挨拶がまともにできていない」が挙げられると考え、当時コーチだった武村秀夫とともに、学生に徹底的な改善を促した。
伊藤 忠幸(いとう ただゆき、1941年11月15日 - )… 伊藤 忠幸(いとう ただゆき、1941年11月15日 - )は、日本の元ラグビー選手。 保善高校から法政大学へと進学。 卒業後はリコーに入団した。 1963年のBCカナダ戦で日本代表初キャップを獲得。 1973年初めての日本代表の欧州遠征で、当時、欧州最強のウェールズとカーディフで対戦、伝説的な2トライをあげている。 1948年に発足した世界最初の中高年ラガーマンクラブチームである『不惑倶楽部』の会長を2016年まで務めている。
堀越 慈(ほりこし めぐみ、1941年8月1日 - )は、東… 堀越 慈(ほりこし めぐみ、1941年8月1日 - )は、東京都出身の元ラグビー選手で、現在は株式会社フォーサイト21代表取締役社長。 現役時代のポジションは主にロック(LO)。 東京都立三田高等学校を経て、慶應義塾大学法学部に入学。同大学ラグビー部の出身で、卒業後はライオン歯磨(現:ライオン)に入社の傍ら、エーコンクラブでラグビーを継続し、1967年のニュージーランド学生代表(NZU)来日試合がラグビー日本代表(以下、日本代表)選手としての初キャップとなった。翌1968年の日本代表ニュージーランド(以下、NZ)遠征メンバーにも選出され、同年6月3日に行われ、23-19で撃破したオールブラックスジュニア戦のフィフティーンとして名を連ねた。
日比野 弘(ひびの ひろし、1934年11月20日 - 20… 日比野 弘(ひびの ひろし、1934年11月20日 - 2021年11月14日)は、東京都出身の元ラグビー選手で、指導者。元ラグビー日本代表監督。早稲田大学人間科学部名誉教授。 銀座の陶磁器商「陶雅堂」の長男として生まれるが戦中に練馬へ疎開。中学生の頃はタイガースファンの叔父の影響で野球少年だった。 都立大泉高校から早稲田大学へ進みラグビー部に入部。1年時からレギュラーを獲得し、日本代表・全早大のウイングとして活躍。 卒業後は東横百貨店に勤めたのちに家業を継ぎ4代目社長に、その傍ら母校の早稲田大学ラグビー蹴球部、ラグビー日本代表のコーチや監督として活躍。 1979年に陶雅堂をたたみ、のち早稲田大学体育局に移る。
鈴木 秀丸(すずき ひでまる、1907年10月30日 - 1… 鈴木 秀丸(すずき ひでまる、1907年10月30日 - 1984年11月24日)は、日本の元ラグビー選手。 世田谷学園中学から法政大学へと進学。法大では主将を務めた。 卒業後は富士箱根自動車(後の小田急箱根。現・箱根登山バス)に進む。1930年のカナダ戦で日本代表初キャップを獲得。法大初の日本代表選手である。 1949年に法大ラグビー部監督に就任。1964年度の第1回全国大学ラグビー選手権大会で法大を優勝に導いた。
西野 綱三(にしの こうぞう、1901年10月6日 - 19… 西野 綱三(にしの こうぞう、1901年10月6日 - 1984年6月15日)は、日本の元ラグビー選手及び同監督。
池戸 成記(いけど しげき)は、日本の校長、ラグビー指導者。… 池戸 成記(いけど しげき)は、日本の校長、ラグビー指導者。現在東京都立白鷗高等学校・附属中学校の校長及び高体連ラグビー専門部の部長を務めている。 日比谷高校、筑波大学を経て、高校教諭になる。なお筑波大学時代、主将を務めたことがある。 野津田高校の校長を歴任して2023年、東京都立白鷗高等学校・附属中学校の校長に就任。