スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山田 龍之介(やまだ りゅうのすけ、1991年10月12日 … 山田 龍之介(やまだ りゅうのすけ、1991年10月12日 - )は、ジャパンラグビーリーグワン日本製鉄釜石シーウェイブスに所属するラグビー選手。 高校からラグビーを始めた。 2010年、大泉高校卒業後、立教大学に入学する。 2013年、立教大学ラグビー部の副将に就任した。 2014年、立教大学卒業後、NECグリーンロケッツ(現・NECグリーンロケッツ東葛)に加入。 2016年8月27日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節のリコーブラックラムズ戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2019年、釜石シーウェイブス(現・日本製鉄釜石シーウェイブス)に加入。
森脇 史登(もりわき ふみと、1987年8月27日 - )は… 森脇 史登(もりわき ふみと、1987年8月27日 - )は、日本の俳優。東京都出身。 東京都練馬区出身。東京都立大泉高等学校中退。 東映アカデミーにて演技を学ぶ。 写真、自転車、ウイスキーなどを好む。
山田 路津子(やまだ るつこ、1979年8月12日 - )は… 山田 路津子(やまだ るつこ、1979年8月12日 - )は、関東地方を拠点に活動している日本の元フリーアナウンサー、行政書士。 東京都出身。帰国子女であり、幼少期にはアメリカの州立幼稚園と州立小学校に通っていた。帰国後、東京都立大泉高等学校と東京海洋大学へ進学した。 大学を卒業後、フリーアナウンサーとして活動。仕事と育児を両立させるために独立開業を志し、2015年に行政書士の資格を取得。行政書士事務所に1年間勤めた後、2017年に東京都内に自らの行政書士事務所を開業した。
岡部 玲子(おかべ れいこ、1979年7月30日 - )は、… 岡部 玲子(おかべ れいこ、1979年7月30日 - )は、日本のタレント、アイドル。本名、松林 玲子。 東京都出身。所属事務所はON-JIN。 テレビ東京系列のオーディション番組『夢☆おうえん隊』(司会:チェリッシュ)にて選抜され、同番組のアイドルグループ『ゆめっこ☆娘』の一員として神戸みゆきらと共に活動する。さらに1998年から1999年にかけて、岡部令子名義で浅川ちひろ(後の浅川稚広)とアイドルユニット「ペパーミント(PepperMint)」を結成し活動していた。 その後、フジテレビ系列の情報番組『めざましテレビ』ではリポーターをこなしバラエティ番組からモデル、CMなどにも活動の幅を広げている。
江澤 慶(えざわ けい、1979年4月12日 - )は、東京… 江澤 慶(えざわ けい、1979年4月12日 - )は、東京都練馬区出身のサッカー指導者。 JFA公認A級コーチジェネラル、UEFA Bライセンスを保有。 2009年から2011年にかけてシャンオーレ郡山で監督を務めた。2012年、福島ユナイテッドFCのコーチに就任。 2018年、ノジマステラ神奈川相模原コーチに就任。
大泉 りか(おおいずみ - 、1977年 - )は、日本の小… 大泉 りか(おおいずみ - 、1977年 - )は、日本の小説家、エッセイスト。 東京都練馬区出身。跡見学園女子大学文学部美学・美術史学科卒業。風俗系出版社を経て、フリーの編集者・ライターとして活動。2004年、自伝的小説「FUCK ME TENDER」でデビュー。 小説家としては大泉りか名義で、ピンクローターズの活動の際は栗戸 理花(くりと りか)名義で活動する。
島崎 敢(しまざき かん、1976年2月 - )は、日本の心… 島崎 敢(しまざき かん、1976年2月 - )は、日本の心理学者(認知科学・実験心理学)。学位は博士(人間科学)(早稲田大学・2009年)。早稲田大学人間科学学術院助教、西埼玉中央病院附属看護学校講師、財団法人交通事故総合分析センター分析委員。 1976年、東京都練馬区にて生まれた。練馬区立旭丘小学校、練馬区立旭丘中学校を経て、東京都立大泉高等学校に進学した。その後、静岡県立大学に入学し、国際関係学部の国際言語文化学科に在籍した。1999年に卒業すると、トラックの運転手として生計を立てる。日々の仕事の中で交通に関する学問的な興味を覚え、大学院への進学を志す。3年後、早稲田大学の大学院に入学し、人間科学研究科にて学んだ。
小林 綾子(こばやし あやこ、1972年〈昭和47年〉8月1… 小林 綾子(こばやし あやこ、1972年〈昭和47年〉8月11日 - )は、日本の女優、声優、タレント。 東京都出身。東映マネージメント所属。以前は東映児童演技研修所→東映アカデミータレント部に所属していた。 5歳よりテレビドラマやCMを中心にタレント活動を始める。テレビの初仕事は、特撮ドラマ『仮面ライダー (スカイライダー)』でネオショッカーにさらわれる女の子の役だった。 NHKが児童劇団を通じて募集した約500人の応募者から選ばれ、1983年、『おしん』の主人公の少女時代を熱演し、一躍、その名を馳せることになる(後年、海外80ヶ国以上で放映された)。また、以降、橋田壽賀子・石井ふく子両氏が関係する作品に常連出演している。
中牧 崇(なかまき たかし、1970年4月29日 - 202… 中牧 崇(なかまき たかし、1970年4月29日 - 2020年10月5日)は、日本の地理学者。博士(地理学)。東洋大学非常勤講師(東洋大学現代社会総合研究所客員研究員、東洋大学人間科学総合研究所客員研究員)。他にも高崎経済大学や共愛学園前橋国際大学でも非常勤講師を兼任。 1970年、東京都生まれ。東京都立大泉高等学校を卒業後、立正大学文学部地理学科へ進学。 2000年、立正大学大学院文学研究科地理学専攻博士後期課程修了。博士(地理学)。その後、立正大学非常勤講師を経て東洋大学非常勤講師となる。高崎経済大学非常勤講師や共愛学園前橋国際大学非常勤講師も兼任。田中啓爾記念地理学奨励賞(立正地理学振興会)を受賞した。
近藤 良平(こんどう りょうへい、1968年8月20日 - … 近藤 良平(こんどう りょうへい、1968年8月20日 - )は、日本のダンサー・振付家。彩の国さいたま芸術劇場芸術監督、ダンスカンパニー「コンドルズ」主宰。東京都出身。多摩美術大学美術学部演劇舞踊デザイン学科教授。 東京で生まれ、商社マンの父の転勤で生後6ヶ月で母姉とともにペルーに渡る。以後、日本、ペルー、チリ、アルゼンチンで育つ。中学生の頃に帰国。東京都立大泉高等学校、横浜国立大学教育学部卒業。大学在学中の20歳の時に1年休学し、ヨーロッパを放浪。モダンダンスを始める。 1994年に山崎広太作品にメインダンサーとして抜擢され、バニョレ国際振付コンクール本選に出場以来、笠井叡、木佐貫邦子などの作品にも出演。
黒田 治(くろだ おさむ、1964年5月23日 - )は、日… 黒田 治(くろだ おさむ、1964年5月23日 - )は、日本のラジオパーソナリティー。東京都出身。 立教大学2年生の時に大学生活を充実させる一環として、劇団ひまわり・青年部に入団。半年後、最初の舞台=8人の腕時計(代官山シアター)で主役を演じ、劇団ひまわりの芸能部からテレビやCMのオウディションに声を掛けられるようになる。CMの最初のオウディション NECの文字多重放送 MOJIMOJIで見事合格。そのCMで高橋秀樹の息子役をシリーズで演じた事で、その後、ヴィックス・コフ・ドロップ カゴメレンジランチョンのCM等に立て続けに出演。大学4年生の時、フジテレビ 桃色学園都市宣言「合羽坂学園」にレギュラーで出演していた時に、大手の芸能事務所・渡辺プロダクションから声を掛けられて劇団ひまわりから渡辺プロダクションに移籍。
井田 正道(いだ まさみち、1960年12月27日 - )は… 井田 正道(いだ まさみち、1960年12月27日 - )は、日本の政治学者。明治大学政治経済学部教授。専門は計量政治学(選挙分析、政治意識・世論研究)。日本学術会議連携会員。 東京都生まれ。早稲田大学商学部卒、明治大学大学院政治経済学研究科博士後期課程単取得退学。常磐大学専任講師、明治大学専任講師、助教授を経て現職。2012年~2014年デューク大学客員研究員
吉田 紀子(よしだ のりこ、1959年12月6日 - )は、… 吉田 紀子(よしだ のりこ、1959年12月6日 - )は、日本の脚本家。山梨県甲府市出身。長野県北佐久郡軽井沢町在住。富良野塾2期生。弟は元ニッポン放送編成部長・制作部長でワタナベエンターテインメント取締役の吉田雄生。 山梨県甲府市に生まれ、福島県福島市と東京都練馬区石神井で育つ。 東京都立大泉高等学校の2年生の時に倉本聰脚本のテレビドラマや倉本著のエッセイに触れて脚本家という職業に興味が湧き、演劇学を学べる明治大学文学部文学科演劇学専攻に進学する。大学在学中は映画・演劇サークルに所属し、仲間と名画座に通っては映画について語りあう日々を過ごす。映画監督の中島哲也や脚本家の両沢和幸、映画カメラマンの上野彰吾とはサークルの同期だった。
玖保 キリコ(くぼ きりこ、1959年5月21日 - )は、… 玖保 キリコ(くぼ きりこ、1959年5月21日 - )は、日本の女性漫画家。東京都文京区出身。本名・福住 幸恵。東洋大学文学部英米文学科卒業。 東京の大学で英米文学を教えていたイギリス人と結婚し1996年に渡英し、現在はロンドン在住。 1982年『LaLa』掲載の「物思いモノローグ」でデビュー。『シニカル・ヒステリー・アワー』の連載で人気を得る。『いまどきのこども』で、男性読者にも知られるようになった。 ピッキーピクニックというバンドにも参加していた。 小学館の『マミイ』の表紙に、2000年4月号から2007年9月号までイラストレーションを掲載した。
野村 均(のむら ひとし、1958年〈昭和33年〉10月10… 野村 均(のむら ひとし、1958年〈昭和33年〉10月10日 - )は、日本の経営者。東京建物社長を務めた。 東京都出身。東京都立大泉高等学校を経て、1981年(昭和56年)3月に早稲田大学商学部を卒業し、4月に東京建物に入社。 営業経験が長く、法人仲介、分譲住宅開発、ビル事業の3分野にそれぞれ10年携わった。2005年ビルマネジメント部長。2008年取締役ビル企画部長。2011年常務取締役関西支店・九州支店担当兼ビル事業本部長。2012年常務取締役ビル事業本部長。2013年取締役常務執行役員関西支店・札幌支店・九州支店・名古屋支店担当兼ビル事業本部長。2015年取締役専務執行役員人事部・企画部・総務コンプライアンス部担当。
イシカワ カズ(本名・石川一久、1958年2月22日 - )… イシカワ カズ(本名・石川一久、1958年2月22日 - )は、日本の音楽プロデューサー。跡見学園女子大学マネジメント学部マネジメント学科教授。イムジカ代表、ジャパンアカデミーフィルハーモニック総監督。東京都出身。指揮者の石川星太郎は長男。
塩崎 剛三(しおざき ごうぞう、1957年9月13日 - )… 塩崎 剛三(しおざき ごうぞう、1957年9月13日 - )は、日本のゲーム開発者、雑誌編集者、ライター。 ペンネームは東府屋ファミ坊(とうふやファミぼう)。パソコン雑誌「月刊ログイン」内にファミリーコンピュータ専門のコーナーを作ることになった1985年2月、兄貴分「ビデオゲーム通信」の主幹「雷門ビデ坊」(野々村文宏)のようなコーナー担当者名が必要となったため、急遽伊豆をドライブした際に湯ヶ島にある旅館名を取って名付けたという逸話がある。 東京都立大泉高等学校を経て1983年(昭和58年)、早稲田大学教育学部卒業後、アスキーに入社。ログイン編集部に配属される。入社前からアスキーでアルバイトをしていて、同誌の編集長である小島文隆は「アルバイト時代からプログラムもできるし原稿も書けた」として塩崎を評価し、雑誌作りだけでなくゲームソフトの開発にも力を発揮する。
桂 扇生(かつら せんしょう、1956年3月17日 - )は… 桂 扇生(かつら せんしょう、1956年3月17日 - )は、落語家。本名∶合田 雅一。福岡県北九州市出身。出囃子は『藤娘』。 東京都立大泉高等学校卒業。 1974年3月、三笑亭夢楽に入門。前座名小夢。1975年4月3日に上野・鈴本演芸場で初高座、演目は「桃太郎」。 1980年2月、春風亭柳若と共に二ツ目昇進。1984年1月に三代目桂文生門下へ移籍し「桂きん治」と改名、師匠文生、桂文朝、桂南喬とともに落語芸術協会を脱退して落語協会に移籍。 1995年3月 柳家小三太、三遊亭圓王、橘家富蔵、初音家左橋、古今亭菊輔、三遊亭吉窓、天乃家白馬、柳家一九、林家うん平と共に真打昇進、「桂扇生」と改名した。 「桂扇生落語会in岩舟」が栃木県栃木市(旧・岩舟町)で2004年以来毎年秋に開催されている。
加藤 勝信(かとう かつのぶ、1955年〈昭和30年〉11月… 加藤 勝信(かとう かつのぶ、1955年〈昭和30年〉11月22日 - )は、日本の政治家、大蔵官僚。自由民主党所属の衆議院議員(9期)、自由民主党政治制度改革本部長。旧姓は室崎(むろさき)。 財務大臣(第23・24代)兼内閣府特命担当大臣(金融)兼デフレ脱却担当大臣(第1次石破内閣・第2次石破内閣)、厚生労働大臣(第19・20・22・26代)、内閣官房長官(第84代)、沖縄基地負担軽減担当大臣(菅義偉内閣)、拉致問題担当大臣(菅義偉内閣)、働き方改革担当大臣(第4次安倍第2次改造内閣)、内閣府特命担当大臣(拉致問題)(第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣)、内閣府特命担当大臣(少子化対策、男女共同参画)(第3次安倍第1次改造内閣・第3次安倍第2次改造内閣)、一億総活躍担当大臣(第3次安倍第1次改造内閣・第3次安倍第2次改造内閣)、女性活躍担当大臣(第3次安倍第1次改造内閣・第3次安倍第2次改造内閣)、再チャレンジ担当大臣(第3次安倍第1次改造内閣・第3次安倍第2次改造内閣)、内閣官房副長官(第2次安倍内閣・第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、内閣人事局長(初代)、内閣府大臣政務官(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、自由民主党総務会長(第56代)、自由民主党総裁特別補佐、第5代日本武術太極拳連盟会長などを歴任。
おーくん・あきら(1955年8月30日 - )は、日本のデザ… おーくん・あきら(1955年8月30日 - )は、日本のデザイナー、アートディレクター、デザイン教育者、大学教員。本名は、大久保 晃。元サンミュージックプロダクション所属。特定非営利法人「日本障害者芸術支援協会」理事長、湘南スタジオ代表。 東京都文京区出身。1974年、東京都立大泉高等学校卒業。1975年、筑波大学芸術専門学群入学。デザイン学者の高山正喜久に師事し、構成学を専攻する。筑波大学卒業後、特殊法人国際協力事業団(JICA・現在の国際協力機構)から中米のホンジュラス共和国に派遣され、ホンジュラス国立自治大学、ホンジュラス国立美術学校にて2年間デザイン教育に携わる。1981年に帰国後、デザイン業務、制作・発表とデザイン教育を続ける。
小山 和伸(おやま かずのぶ、1955年〈昭和30年〉2月1… 小山 和伸(おやま かずのぶ、1955年〈昭和30年〉2月18日 - )は、日本の経済学者、博士(経済学)。神奈川大学経済学部現代ビジネス学科教授(経営組織論、戦略論)。 東京都出身。東京都立大泉高等学校、横浜国立大学経営学部卒業後、東京大学大学院経済学研究科博士課程入学。大学院修了後、神奈川大学経済学部専任講師、同大助教授を経て、1995年東京大学より博士(経済学)(論文博士)の学位を授与される。同年、神奈川大学経済学部教授(現職)。 1998年7月の第18回参議院議員通常選挙で比例区に維新政党・新風公認(名簿1位)で出馬も、落選。続く2001年7月の第19回参議院議員通常選挙にも比例区に維新政党・新風公認の党副代表として出馬したが、再び落選した。
森 雪之丞(もり ゆきのじょう、本名:森 正和、1954年1… 森 雪之丞(もり ゆきのじょう、本名:森 正和、1954年1月14日 - )は、日本の詩人、作詞家、戯曲家、作曲家。所属事務所はアミューズ。血液型はA型。既婚。ペンネームとしてJoe Lemonを名乗っていた時代もある。弟はバンド「ピカソ」のメンバーで作・編曲家の森英治。 東京都立大泉高等学校から上智大学文学部英文科に進むが、弾き語りの単独ライブや四人囃子にゲスト・ボーカルとして参加するなどライブハウスで活動、大学は中退する。その後シンガーソングライター、作詞家、作曲家として活動。 作詞家としてのデビューは『ドリフのバイのバイのバイ』。 1970年代から1980年代にかけてアニメソングやアイドルへ詞を提供、多数のヒットをとばす。
池上 彰(いけがみ あきら、1950年〈昭和25年〉8月9日… 池上 彰(いけがみ あきら、1950年〈昭和25年〉8月9日 - )は、日本の大学教授、ジャーナリスト、ニュース解説者。長野県松本市出身、元NHK職員。 長野県松本市に生まれ、東京都練馬区で育つ。池上家のルーツは松本で、祖父の代に東京に移り住んだ。父は東京で就職し、転勤先の松本で母と出会い、彰が生まれた。父親は銀行員。子供の頃の愛読書は『クオレ』だった。また、父親が池上が小学生の時に買って帰り、「読め」と言って手渡したのが『君たちはどう生きるか』であり、2017年同書が新装版となって刊行された際にまえがきを寄稿した。練馬区立光和小学校、練馬区立開進第三中学校卒業。 小学5年生の時に、地方新聞記者の活躍を描いた『続地方記者』(1962年、朝日新聞社)と出会ったことと、東京都立大泉高等学校在学中に、広島抗争において暴力団と対決した中国新聞記者がモデルのドラマ『ある勇気の記録』(NETテレビ(現:テレビ朝日))を観たことがきっかけで、記者を志すようになる。
石毛 恭子(いしげ きょうこ、1950年(昭和25年)6月7… 石毛 恭子(いしげ きょうこ、1950年(昭和25年)6月7日 - )は、元フジテレビアナウンサー。 茨城県生まれ。3歳頃に家族で転居後、東京都練馬区で育つ。東京都立大泉高等学校を経て、1971年3月、東京女子大学短期大学部を卒業。 1971年4月、フジテレビ入社。アナウンサーの同期に大川和彦、須田哲夫、岩崎真純、三上彩子。他配属部署の澤雄二、豊田皓も同期。 入社直後に「ママとあそぼう!ピンポンパン」2代目お姉さんに抜擢され、可憐なルックスと軽妙な話術で人気者になった。また、彼女がお姉さん役の時期には、同番組の「ピンポンパン体操」がブームとなり、使用曲は1972年の第14回日本レコード大賞童謡賞を受賞した(歌:杉並児童合唱団・金森勢)。
小美野 廣行(こみの ひろゆき、1948年7月 - )は日本… 小美野 廣行(こみの ひろゆき、1948年7月 - )は日本の公認会計士。関西学院大学大学院経営戦略研究科教授、エスエス製薬代表取締役、日本ベーリンガーインゲルハイム代表取締役、WDBユニバーシティ代表取締役等を歴任。 東京都生まれ。東京学芸大学附属大泉中学校、東京都立大泉高等学校を経て、1971年一橋大学商学部卒業、帝人株式会社入社。古野電気株式会社代表取締役社長の古野幸男は大学及び帝人入社同期。1985年マサチューセッツ工科大学経営大学院修士課程修了。 1996年公認会計士登録。1999年日本ベーリンガーインゲルハイム株式会社常勤監査役。2002年エスエス製薬株式会社代表取締役専務取締役財務経理本部長。
冬川 亘(ふゆかわ わたる、1948年3月7日- )は日本の… 冬川 亘(ふゆかわ わたる、1948年3月7日- )は日本の翻訳家、作家。 本名、野口勇。熊本県鹿本郡大字来民(現・山鹿市鹿本町来民)出身。千葉県四街道市在住。東京都立大泉高等学校卒業。東京大学文学部西洋史学科卒業。同大学院西洋史修士課程中退。 訳書『カエアンの聖衣』で星雲賞を受賞。1995年、第27回新潮新人賞を短編『紅栗』で受賞。 2008年を最後に翻訳書はなく、2014年にはかつて冬川が訳した『無伴奏ソナタ』(短編集の共訳)の新訳版(金子浩他訳)が、2015年には『はだかの太陽』の新訳版(小尾芙佐訳)が、2016年には『カエアンの聖衣』の新訳版(大森望訳)が、元出版社である早川書房から、それぞれ別の翻訳者により刊行された。
古屋 一仁(ふるや かずひと、1948年2月 - ) は、日… 古屋 一仁(ふるや かずひと、1948年2月 - ) は、日本の電子工学者。東京工業大学名誉教授。元東京工業高等専門学校校長。元全国高等専門学校連合会会長。 山梨県生まれ。1966年東京都立大泉高等学校卒業。1970年東京工業大学理工学部電子工学科卒業。1972年東京工業大学大学院理工学研究科電子物理工学専攻修士課程修了。1975年東京工業大学大学院理工学研究科電子物理工学専攻博士課程修了、東京工業大学工学部助手。1978年東京工業大学工学部助教授。1980年ベル研究所コンサルタント。1990年東京工業大学大学院理工学研究科教授。 1998年東京工業大学量子効果エレクトロニクス研究センター長。1999年東京工業大学評議員。
大川 和彦(おおかわ かずひこ、1947年10月16日 -… 大川 和彦(おおかわ かずひこ、1947年10月16日 - )は、東京都北区出身の元フジテレビアナウンサー、フジサンケイ人材センター(現:フジキャリアデザイン)開発部長(役員待遇)。 都立大泉高校→成蹊大学卒業後の1971年にフジテレビへ入社。同期に須田哲夫、石毛恭子、記者だった豊田皓等がいる。以後、1970年代~1990年代前半にかけて、F1や競馬、プロ野球など数々のスポーツ実況を担当し、競馬中継は1991年の東京新聞杯(勝馬:ホリノウイナー)まで担当した。F1中継は初年度の1987年から1990年まで実況し、1987年・1988年は日本グランプリの実況を担当した。1991年に人事部に異動した。
三木 千壽(みき ちとし、1947年1月19日 - )は、日… 三木 千壽(みき ちとし、1947年1月19日 - )は、日本の工学者。東京工業大学名誉教授、東京都市大学名誉学長。工学博士、技術士(建設部門)、土木学会認定特別上級土木技術者(鋼・コンクリート)。専門は、構造工学、鋼構造学、橋梁工学。徳島県出身。 東京工業大学(1979年5月)工学博士論文の題は「鋼橋梁部材の疲れ強さ評価に関する基礎的研究」。 父は農林省の農業土木技師で、転勤が多く、頻繁に引っ越し。徳島県で生まれ、小学4年生の夏休みまでは山口県で育った。その後、東京都練馬で中学2年まで育ち、中学3年で広島県に転居。広島大学附属高校に入学するが、高校1年の途中でまた父が東京に転勤になり、東京都立大泉高校に転校した。
深町 純(ふかまち じゅん、1946年〈昭和21年〉5月21… 深町 純(ふかまち じゅん、1946年〈昭和21年〉5月21日 - 2010年〈平成22年〉11月22日)は、日本の作曲家・編曲家・キーボーディスト・シンセサイザー奏者。東京都出身。一部の作品で馬場 浩の名を使用。 3歳よりピアノを習い始め、高校時代にはオペラの指揮や演出を手がける。東京都立大泉高等学校卒業。東京芸術大学作曲科を卒業直前に中退。 1971年(昭和46年)、ポリドールより1stアルバム『ある若者の肖像』でデビュー。以降は作曲、編曲やプロデュース、テレビ番組やCM、映画音楽を手掛けるほか、フュージョンのキーボーディストとして活動。 シンセサイザーにも造詣が深く, 1970年代初頭から数々のアルバムでシンセサイザーを使用している。
杉山 武彦(すぎやま たけひこ、1944年11月26日 - … 杉山 武彦(すぎやま たけひこ、1944年11月26日 - )は、日本の経済学者。専門は交通経済学。一橋大学名誉教授。文教施設協会会長。公益財団法人日本交通公社理事(非常勤)。 一橋大学学長(第15代)・原子力損害賠償・廃炉等支援機構理事長(初代)・運輸政策研究所所長(第3代)・住友生命取締役・東京メトロ取締役などを歴任した。 東京都生まれの交通経済学者。一橋大学大学院商学研究科修了。指導教官は宮川公男で、宮川ゼミの同期に京都大学名誉教授北畠能房や、アイ・アール ジャパンホールディングス創業者鶴野史朗がいる。中学では演劇部、高校・大学ではラグビー部に所属。後年、秋山富一の後任として第7代一橋大学ラグビー部OB会長を務めた。
新田 義孝(にった よしたか、1944年 - )は、日本の工… 新田 義孝(にった よしたか、1944年 - )は、日本の工学者。四日市大学名誉教授。 石川県河北郡津幡町に生まれる。東京都立大泉高等学校を経て、1968年に慶應義塾大学工学部応用化学科を卒業。1970年、慶應義塾大学大学院工学研究科(応用化学専攻)修士課程修了。1976年、慶應義塾大学より工学博士の学位を取得。 四日市大学環境情報学部教授を務め、2015年に退職後は名誉教授となる。 このほか、電力中央研究所理事待遇、クイーンズランド大学や瀋陽農業大学の客員教授といった役職も務めた。
新谷 卓郎(しんたに たくろう、1943年2月4日 - 19… 新谷 卓郎(しんたに たくろう、1943年2月4日 - 1980年11月14日)は、日本の数学者。専門は数論、特に解析的整数論。新谷のゼータ関数および新谷の単数定理(英語版)の導入で知られる。 1961年3月東京都立大泉高等学校卒業、同年4月東京大学理科一類入学。東京大学理学部数学科卒業、東京大学大学院数物系研究科数学専攻修士課程修了。同じく数学者の飯高茂は同級生。東京大学理学部助手などを経て、同助教授となる。1978年の国際数学者会議(ICM 1978 Helsinki)では代数群部門で招待講演者を務めている。1980年、37歳の若さで死去。
殿前 康雄(とのまえ やすお、1942年 - )は、日本の教… 殿前 康雄(とのまえ やすお、1942年 - )は、日本の教育者。翔凜中学校・高等学校理事長代行。東京都立高校や各地の私立高校多数において、教頭、校長などの要職を歴任した。 東京都出身。1960年、東京都立大泉高等学校卒業。1966年、東京理科大学理学部物理学科卒業。 1966年、物理科教諭として都立高校教員となり、東京都立代々木高等学校、東京都立大山高等学校、東京都立久留米西高等学校、東京都立小金井北高等学校、1990年に東京都立久留米高等学校教頭、1994年に東京都立清瀬高等学校教頭、1995年に東京都教育庁人事部管理主事を経て、1996年に東京都立羽村高等学校校長、1999年から2003年まで東京都立八王子東高等学校校長を務めた。
吉村 功(よしむら いさお、1941年1月25日 - )は、… 吉村 功(よしむら いさお、1941年1月25日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元東海テレビ放送アナウンサー。 東京都中野区出身。東京都立大泉高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。現在は岐阜県に在住。岐阜経済大学経営学部情報メディア学科非常勤講師。 少年時代、当時の自宅の近くにあった上井草球場にプロ野球の試合を観に行っていたことがあるが、ある日東急フライヤーズが来た時に、本人曰く大下弘が捨てた鼻紙を目指して吉村を含む大勢の子供たちが殺到、結局他の子に取られてしまったことで、「プロ野球に係われる仕事に就く。それなら、いつか選手と親しくなれる」とこの時子供心に誓ったという。元々アナウンサーに強い憧れを持っていたわけではなかったが、なぜアナウンサーになったのかを振り返ると「これが大きな意味を持っていたのではないか」と感じていると話している。
山下 泰子(やました やすこ、1939年3月5日 - )は、… 山下 泰子(やました やすこ、1939年3月5日 - )は、日本の法学者。博士(法学)(中央大学・論文博士・1996年)。文京学院大学名誉教授。専門は、ジェンダー法・国際人権法。ジェンダー法の第一人者。 東京出身。1951年東京学芸大学附属大泉小学校卒、1954年東京学芸大学附属大泉中学校卒、1957年東京都立大泉高等学校卒、1961年中央大学法学部卒、1970年、同大学院法学研究科政治学専攻博士課程満期退学(指導教授:原田鋼)。 1996年、学位論文「女性差別撤廃条約の研究」で博士(法学)(中央大学)の学位を取得。 中央大学法学部通信教育課程インストラクターや埼玉大学教養部兼任講師などを経て、1979年文京保育専門学校専任教員、1982年文京女子短期大学保育科助教授、1987年保育科教授、1991年文京女子大学経営学部教授、2005年大学院外国語学研究科教授。
亀井 靜香(かめい しずか、1936年11月1日 - )は、… 亀井 靜香(かめい しずか、1936年11月1日 - )は、日本の警察官僚、政治家。階級は警視正(警察庁退官時)。衆議院議員(13期)。通常は新字体で亀井静香と表記。 運輸大臣(第69代)、建設大臣(第64代)、自由民主党政務調査会長(第43代)、国民新党代表(第2代)、内閣府特命担当大臣(金融担当)などを歴任。
金児 昭(かねこ あきら、1936年8月16日 - 2013… 金児 昭(かねこ あきら、1936年8月16日 - 2013年12月19日)は、日本の実業家、経営評論家。信越化学工業顧問、元金融監督庁顧問。 東京都出身。東京都立大泉高等学校を経て、1961年に東京大学農学部(農業経済学)を卒業し、信越化学工業に入社する。一貫して経理、財務部門でキャリアを重ね、1992年に同社の常務取締役(経理、財務、法務、資材関係担当)に就任。同職を1999年まで務める。また、公認会計士試験(筆記・口述)試験委員や金融監督庁顧問(企業会計担当)等も務めた。 衆議院議員の亀井静香とは、大泉高校で同学年だった。 2013年12月19日に心不全のため死去。
待田 京介(まちだ きょうすけ、1936年6月22日 - )… 待田 京介(まちだ きょうすけ、1936年6月22日 - )は、日本の俳優、空手指導家。千葉県館山市出身。 都立大泉高校卒業後、さまざまな職業に就くが俳優を志し、「俳優座養成所」「東宝芸能」を経て1958年(昭和33年)に日活へ入社する。1956年の映画『ドラムと恋と夢』では脚本を担当した。同年、井上梅次監督により『素晴らしき男性』で石原裕次郎の弟役にキャスティングされてデビュー。続いて小杉勇監督の『船方さんよ』の主役に起用された。小林旭、川地民夫らと共に売り出され、多くの作品に主演する。1959年(昭和34年)『らぶれたあ』に主演した。1961年に日活を退社してフリーランスへ。 テレビドラマでは、1961年(昭和36年)7月17日より3年間にわたって放送された『月曜日の男』(月曜日夜9時半から10時まで、TBS系列で放送)に主演しブレイク。
市川 慎一(いちかわ しんいち、1936年6月3日 - 20… 市川 慎一(いちかわ しんいち、1936年6月3日 - 2019年1月6日)は、フランス文学者、日欧交渉史研究者、早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。同大学院博士課程修了。1966-1970年フランスのモンペリエ大学に留学。早稲田大学文学部教授。2002年に定年後は、学習院女子大学非常勤講師。慶應義塾大学特別招聘教授、マドリッド・アウトノマ大学客員教授を歴任。2016年春、瑞宝中綬章受勲。2019年1月6日、肺炎のため死去。82歳没。叙従五位。 百科全書・18世紀啓蒙思想を中心とするフランス思想・文学および比較文化専攻。
さとう わきこ(本名:佐藤和貴子、武井和喜子、1935年1月… さとう わきこ(本名:佐藤和貴子、武井和喜子、1935年1月28日 - 2024年3月28日)は、日本の絵本作家。東京市品川区大井町生まれ、練馬区東大泉町育ち。 児童出版美術家連盟所属、子どもの文化研究所所員、岡谷市小さな絵本美術館主宰。 東京学芸大学附属大泉小学校、附属中学校を経て、東京都立大泉高校に進学。高校では美術部に所属し、美術大学への進学を希望していたものの家計の問題で叶わず、映画会社の東宝に就職。しかし、腎臓結核にかかり2年間療養生活に入る。 その後働きながら、高校美術部の顧問の恩師であった東京教育大学美術学科教授の高橋正人にデザインを学び、デザイン会社に就職。寺村輝夫と知り合って、挿絵画家としてデビュー。
日比野 弘(ひびの ひろし、1934年11月20日 - 20… 日比野 弘(ひびの ひろし、1934年11月20日 - 2021年11月14日)は、東京都出身の元ラグビー選手で、指導者。元ラグビー日本代表監督。早稲田大学人間科学部名誉教授。 銀座の陶磁器商「陶雅堂」の長男として生まれるが戦中に練馬へ疎開。中学生の頃はタイガースファンの叔父の影響で野球少年だった。 都立大泉高校から早稲田大学へ進みラグビー部に入部。1年時からレギュラーを獲得し、日本代表・全早大のウイングとして活躍。 卒業後は東横百貨店に勤めたのちに家業を継ぎ4代目社長に、その傍ら母校の早稲田大学ラグビー蹴球部、ラグビー日本代表のコーチや監督として活躍。 1979年に陶雅堂をたたみ、のち早稲田大学体育局に移る。
二村 一夫(にむら かずお、1934年2月 - )は、日本の… 二村 一夫(にむら かずお、1934年2月 - )は、日本の歴史学者。専門は、労働史。法政大学名誉教授、法政大学大原社会問題研究所名誉研究員。 長野県松本市出身。長野県諏訪清陵高等学校、東京都立大泉高等学校を経て、1956年東京大学文学部国史学科卒業。1958年法政大学大学院社会科学研究科修士課程修了、同大学法学部助手。1960年東邦大学一般教養科専任講師。1963年同大学助教授。1966年法政大学大原社会問題研究所兼任研究員。1967年同研究所専任研究員。1973年法政大学教授。1976年ウォーリック大学社会史研究センター訪問研究員。1977年ハーバード大学、ミシガン大学、カリフォルニア大学バークレー校各日本研究所訪問研究員。
栗林 義信(くりばやし よしのぶ、1933年8月15日 - … 栗林 義信(くりばやし よしのぶ、1933年8月15日 - )は、クラシック音楽の声楽家(バリトン)。東京音楽大学名誉教授、日本藝術院会員。公益社団法人日本演奏連盟常任理事、特定非営利活動法人世界芸術文化振興協会副会長。二期会会員。 佐賀県生まれ。佐賀県立佐賀西高等学校から、東京都立大泉高等学校へ転出し、東京芸術大学へ進学。 学生の頃の日本はドイツオペラが主流だったが、芸大在学中にイタリアオペラを連日聞いて感銘を受け、大学の恩師藤原義江に「君はイタリアオペラ向きだ」と言われたこともあり、イタリアオペラを志すようになる。 1956年、大学在学中の23歳で初めて受けた第25回毎日音楽コンクール声楽部門で、第1位となる。
仁科 和雄(にしな かずお、1933年8月13日 - 202… 仁科 和雄(にしな かずお、1933年8月13日 - 2023年7月16日)は日本の実業家。元髙島屋代表取締役会長。 東京都立大泉高等学校を経て、一橋大学卒業。大学時代は準硬式野球部に所属、大学4年時には東都大学一部リーグ戦で準優勝した。 三和銀行副頭取を経て、1993年髙島屋代表取締役副社長就任。横浜高島屋との合併を指揮した。仁科は次期社長とみられていたが、その後、高島屋商法違反事件が起き、事件当時総務統括の代表取締役であったことため社長就任が困難になり、代表取締役会長に就任。1996年にはタカシマヤタイムズスクエアを開設。高島屋相談役、特別顧問、特別区人事委員会委員、自由時間倶楽部代表等も務めた。
猪郷 久義(いごう ひさよし、1932年〈昭和7年〉10月1… 猪郷 久義(いごう ひさよし、1932年〈昭和7年〉10月16日 - 2019年〈令和元年〉11月22日)は、日本の地質学者。筑波大学名誉教授。元日本古生物学会会長。 神奈川県川崎市出身。東京都立大泉高校を経て、1949年に東京教育大学理学部地学科地質学鉱物学専攻に進学し、藤本治義教授に師事する。卒業後は東京教育大学大学院理学研究科の修士・博士課程に進み、1960年同大学院理学部博士課程を修了する。 イリノイ州立地質調査所特別副地質技師、目白学園女子短期大学助教授、教授、1968年東京教育大学助手、筑波大学助教授、教授。96年定年退官、名誉教授、国立科学博物館客員研究員、自然史科学研究所所長。多摩六都科学館特別研究員。
山田 直(やまだ ただし、1928年〈昭和3年〉8月14日 … 山田 直(やまだ ただし、1928年〈昭和3年〉8月14日 - 2015年〈平成27年〉10月20日)は、日本のフランス文学者、詩人。慶應義塾大学名誉教授。 1928年(昭和3年)群馬県前橋市に生まれる。1941年(昭和16年)に上京し、旧制大泉中学校(現・東京都立大泉高等学校)を卒業。1954年(昭和29年)慶應義塾大学文学部仏文科卒、1956年(昭和31年)文学修士、1962年(昭和37年)同大学院博士課程修了。 1963年(昭和38年)千葉商科大学専任講師、1967年(昭和42年)助教授。1968年(昭和43年)フランスに留学する。1969年(昭和44年)慶應義塾大法学部助教授、1974年(昭和49年)教授。
多和 健雄(たわ たけお、1918年10月29日 - 200… 多和 健雄(たわ たけお、1918年10月29日 - 2007年6月)は、愛媛県出身の教育者、体育学者、サッカー選手、サッカー指導者。 選手として旧制兵庫県立第三神戸中学校、東京高等師範学校でプレーして、中央大学法学部を卒業した。 大学卒業後は、都立高校体育科教諭として東京都立大泉高等学校などに勤めた。その後、東京教育大学講師となり、1954年には蹴球部監督として関東大学サッカーリーグ戦1部で優勝した。後に教授に昇格し、大学の改編に伴い、筑波大学教授となる。筑波大学退職後は、青山学院大学で教鞭を執った。 主にサッカーの普及・研究において顕著な業績を残した。日本サッカー協会理事・普及指導部長、日本ミニサッカー連盟会長、FIFAコーチングスクール校長、日本幼少児健康教育学会名誉会員などを歴任した。
石上 堅(いしがみ かたし、1908年〈明治41年〉6月26… 石上 堅(いしがみ かたし、1908年〈明治41年〉6月26日 - 1994年〈平成6年〉1月3日)は、国文学・民俗学者。東横学園女子短期大学名誉教授。 東京生まれ。1927年折口信夫に師事、1932年國學院大學文学部卒。1961年「神生誕発想胎生因子の研究」で國學院大學文学博士。東京都立大泉高等学校教諭、國學院大學講師、東横学園女子短期大学(現東京都市大学)教授を経て名誉教授。 1994年1月3日、胃潰瘍のため死去。
大竹 伸朗(おおたけ しんろう、1955〈昭和30〉年10月… 大竹 伸朗(おおたけ しんろう、1955〈昭和30〉年10月8日 - )は、日本の現代美術家。 1955年10月8日、東京都目黒区に生まれる。1957年、大田区南六郷に転居。六郷水門、多摩川、巨人軍練習場、江崎グリコ工場などが、当時の思い出とともに東京の原風景となる。物心ついた頃には身近にテレビがあり、昭和30年代に吹き替えで放映されていた「名犬ラッシー」、「うちのママは世界一」、「ポパイ」、「ブロンコ・シャイアン」、「とつげき!マッキーバー」などのアメリカのテレビ番組を好んで視聴し、大きな影響を受ける。 1962年、大田区立六郷小学校入学。この頃、漫画家になることを決意。第1作目は野球漫画「がんばれ!三ちゃん」。