荒川 雄太(あらかわ ゆうた、1987年10月14日 - )… 荒川 雄太(あらかわ ゆうた、1987年10月14日 - )は、東京都大田区出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 東京都大田区出身。小学2年生時に地元少年軟式野球チームの西六ジャガーズに入団。日大中時代は軟式の大森ホワイトスネークスでアジアAA選手権大会に日本代表として出場。その後は日大高へ進学し、3年春の県大会優勝、夏は県大会準決勝で桐光学園の山室公志郎から本塁打を放つが延長11回サヨナラ負け。高校通算26本塁打を記録した。 2005年の高校生ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスより1巡目指名を受け入団。同年オフにFA権を行使しシアトル・マリナーズへ移籍した城島健司の後継者として期待され、入団当時は「ポスト城島」と称された。
高江洲 拓哉(たかえす たくや、1987年8月24日 - )… 高江洲 拓哉(たかえす たくや、1987年8月24日 - )は、東京都三鷹市出身の元プロ野球選手(投手)。 兄の影響で小学2年から軟式野球を始める。中学時代は硬式の三鷹リトルシニアで捕手と三塁手を務めた。同じ野球チームには矢野謙次も所属していた。 府中工業高校に進学してからはショートを守っていたが、1年秋からチームの投手の故障と地肩の強さから投手に転向。3年時にはエースとなる。春の都大会で最速143km/hを計測した。夏の西東京大会3回戦で日大三高に0-7で敗れたが、185センチから繰り出す手元で伸びるストレートがスカウトの目に留まった。 その後、2005年の高校生ドラフトで中日ドラゴンズから4巡目指名を受け、入団。
江柄子 裕樹(えがらし ゆうき、1986年11月14日 - … 江柄子 裕樹(えがらし ゆうき、1986年11月14日 - )は、東京都渋谷区出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 渋谷区立原宿外苑中学校では、城南ドリームボーイズに所属。 その後、茨城県のつくば秀英高等学校に進学。当時の監督は阿井英二郎であった。1年時からエースとなり、2年時の春には県大会ベスト8に進出。しかし、3年時の夏は茨城県予選2回戦で水戸工業高校に敗退、甲子園出場は果たせなかった。2年下に山田大樹がいる。 高校卒業後は、明治大学に進学。硬式野球部では下級生時代は、層の厚い投手陣の中で目立った存在ではなかった。4年時の春になって、初めてリーグ戦で登板を果たす。開幕カードの東京大学2回戦に先発すると、5回を3安打2失点で降板し勝ち星は付かなかった。
上野 大樹(うえの ひろき、1986年10月13日 - )は… 上野 大樹(うえの ひろき、1986年10月13日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。元プロ野球選手の上野貴久は実兄。 帝京高では1年夏に甲子園出場するが登板なし。東洋大学に進学。3年秋までは1勝止まりだったが、2008年の第57回全日本大学野球選手権大会にて、最優秀投手賞に選ばれる。4年秋はMVP、最優秀投手の活躍で、明治神宮野球大会にも優勝して4冠に貢献。東都大学リーグ通算8勝3敗。 2008年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから3位指名され、12月19日に契約した。 2009年には、7月3日の対オリックス・バファローズ戦(千葉マリンスタジアム)に中継ぎ投手として一軍デビュー。
井納 翔一(いのう しょういち、1986年5月1日 - )は… 井納 翔一(いのう しょういち、1986年5月1日 - )は、東京都江東区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 ニックネームは「宇宙人」(後述)。 中学時代は軟式野球の大島クラブに所属。木更津総合高等学校時代には、2年夏にチームが第85回全国高等学校野球選手権大会に出場するも、自身は阪神甲子園球場のスタンドで応援していたという。結局、在学中には甲子園球場のマウンドを踏めなかった。 高校卒業後に上武大学へ進学。4年時に頭角を現すと、チームの関甲新学生野球リーグ春秋2季連覇に貢献し、2季連続で最優秀防御率のタイトルを獲得した。チームの春季リーグ優勝で臨んだ第57回全日本大学野球選手権大会で、全国大会へのデビューを果たした。
内村 賢介(うちむら けんすけ、1986年3月17日 - )… 内村 賢介(うちむら けんすけ、1986年3月17日 - )は、東京都大田区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投両打。
小杉 陽太(こすぎ ようた、1985年12月8日 - )は、… 小杉 陽太(こすぎ ようた、1985年12月8日 - )は、東京都江東区出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ、実業家。株式会社l'unique代表取締役。 東京都江東区出身(父は秋田県出身)。小学6年生まではバスケットボールをやっていたが、東陽フェニックスのキャプテンに誘われて野球を始める。深川第四中学校在籍は江東ライオンズに所属。二松学舎大附属高校に進学後は1年からベンチ入りし、2002年春の第74回選抜高等学校野球大会に出場するが当時は背番号11の控え投手で登板はなかった。 高校卒業後は亜細亜大学に入学し、硬式野球部に所属して1年春にリーグ戦デビューを果たすが部員の不祥事による活動停止、2部降格などもあり、3年生の進級直前に大学を退学した。
須永 英輝(すなが ひでき、1985年10月28日 - )は… 須永 英輝(すなが ひでき、1985年10月28日 - )は、東京都荒川区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 東京都荒川区出身。2001年、浦和学院高校に進学。1年時の夏にメンバー入りし2学年上の大竹寛の引退後、1年秋からエースを務めた。甲子園通算63奪三振。 2002年春の第74回選抜大会では、優勝候補の一角だった平安高校に快勝し、ベスト8に進出。準々決勝で同大会優勝校だった報徳学園高校と対戦し、初回に3点を奪うも直後に逆転され惜敗した。2002年夏の選手権大会ではその報徳学園高校と対戦し勝利。2回戦で鎌倉健を擁する川之江高校に5-1とリードするもサヨナラ負けを喫した。 2003年の第75回選抜大会では、21世紀枠の隠岐高校に14奪三振で勝利。
大場 翔太(おおば しょうた、1985年6月27日 - )は… 大場 翔太(おおば しょうた、1985年6月27日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手(投手)、YouTuber。右投右打。愛称は「ばっさん」。 八千代松陰高校時代は春に関東大会出場があるものの、夏は県大会ベスト8が最高で甲子園出場はなかった。進学した東洋大学では一年秋からリーグ戦に登板し、二年春には二試合連続完封を挙げるなど青学大高市俊と共にリーグトップの防御率をマーク。以降先発に定着した。三年時に行われたIBAFインターコンチネンタルカップでは最優秀防御率を獲得。 大学4年時は、春はリーグ2位タイ記録の9勝・リーグ新記録の115奪三振。秋にも8勝を挙げ同大学初の東都大学リーグ戦春秋連覇に貢献し、二季連続でMVP・最優秀投手・ベストナインの三冠に輝いた。
大﨑 雄太朗(おおさき ゆうたろう、1984年10月18日 … 大﨑 雄太朗(おおさき ゆうたろう、1984年10月18日 - )は、東京都昭島市生まれ、茨城県稲敷郡茎崎町出身(現つくば市)の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。愛称は「チャキ」。 1992年(小学2年時)より茨城県つくば市の茎崎ファイターズで野球を始める。 1997年(中学1年時)より竜ヶ崎リトルシニアに所属し、同学年に神戸拓光が在籍。中学3年時は、野球以外の競技である陸上走り幅跳びの種目で茨城県総合体育大会に出場し準優勝した。 常総学院高等学校では1年生春から1番二塁手として出場。同学年に横川史学、1学年下に坂克彦が在籍。 2000年(高校1年時)第31回明治神宮野球大会に東福岡高校と対戦し、本塁打を記録したが敗戦。
横川 雄介(よこかわ ゆうすけ、1984年9月12日 - )… 横川 雄介(よこかわ ゆうすけ、1984年9月12日 - )は、東京都日野市出身の元プロ野球選手(捕手)。 東京都立日野高等学校では2年秋の都大会ベスト8。2002年秋のドラフトで、隠し球と言われた強肩を買われて読売ジャイアンツに8巡目指名を受け、入団する。現役都立高校生としては初めてのドラフト指名となったうえ、都立高校からのプロ入りとしても当時では非常に珍しく、「都立の星」と期待された。 2005年オフに戦力外通告を受け、同年12月に育成選手として再契約したが、2006年に再び戦力外通告を受け、12球団合同トライアウトを受けるも獲得球団は現れず、現役を引退した。 2007年からは、阪神タイガースでブルペン捕手を務めている。
稲葉 大樹(いなば ひろき、1984年8月22日 - )は、… 稲葉 大樹(いなば ひろき、1984年8月22日 - )は、東京都江戸川区出身のオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに所属する日本の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。ベースボール・チャレンジ・リーグの創設初年度以来17年にわたって同リーグでプレーを続け、「ミスターBCリーグ」(ミスター独立リーグ)「鉄人」とも称された。 江戸川区立南小岩第二小学校時代は「江戸川リトル」、船橋市立大穴中学校時代は「江戸川ボーイズ」でプレー。 安田学園高等学校から城西大学に進む。大学野球部では、4年生の時に首都大学リーグのベストナインに遊撃手のポジションで選出された。社会人野球チームを持つ九州の企業から内定を得ていたが、卒業を控えて父親が急逝したことから、母親を一人で残せないという理由で辞退し、東京のホテルに就職して横浜市のクラブチーム・横浜ベイブルースでプレーを続けることになった。
吉田 圭(よしだ けい、1984年7月4日 - )は、東京都… 吉田 圭(よしだ けい、1984年7月4日 - )は、東京都北区出身の元プロ野球選手(内野手)。広島東洋カープに所属していた。 帝京高校では1年秋から一塁手で出場、2年春から外野手。3年時に夏の甲子園でベスト4。また東東京大会準々決勝では芝浦工大高に対して9回1死までノーヒットノーラン。チームメートの松本高明と共に2002年ドラフト2巡目で広島東洋カープに投手として入団。高校通算18本塁打を放った打力も評価されていた。 しかし、左肩を痛め1年目は治療に専念するも、以前のような投球は出来なくなり、シーズン終了後にコーチから野手転向を勧められ、2年目以降は外野手で1軍定着を目指した。 2006年8月31日の巨人戦では一塁手として初スタメンを果たす。
松本 高明(まつもと たかあき、1984年4月12日 - )… 松本 高明(まつもと たかあき、1984年4月12日 - )は、東京都荒川区出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は広島東洋カープの広報担当者。 帝京高等学校では3年夏の東東京大会で打率.591とチーム最高打率を残す。地方大会では出塁した第一打席は必ず先制の生還を果たしていた。甲子園では1番バッターとして5試合4盗塁と活躍しベスト4。また1試合5残塁という珍記録を持っている(2回戦で、2安打2四球1敵失に加え3盗塁を決めるも、一度も生還できず)。これは個人最多残塁の大会タイ記録。 その後、同期の吉田圭とともに2002年ドラフト5巡目で広島東洋カープに入団した。 3年目の2005年に初の一軍昇格。 2006年はセ・パ交流戦で4割近い打率を残す。
小林 高也(こばやし たかや、1984年2月26日 - )は… 小林 高也(こばやし たかや、1984年2月26日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 小中学校時代は、投手として活躍。小学校時代は全国3位、中学時代は調布シニアに所属し全国制覇を成し遂げる。 新潟明訓高時代は、2年時の秋に野手に転向。3年時の春からスタメンとなり、夏は新潟県予選準決勝で敗退。 高校卒業後は、首都大学野球連盟に所属する東京経済大学に進学。2部リーグ在籍のシーズンもあるが大学通算13本塁打を記録し、4年秋は2部ベストナイン。3年時には連盟40周年のOBプロ交流戦で森中聖雄(当時巨人打撃投手)から東京ドームで本塁打を放つ。2005年のプロ野球ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズが同年から運用を開始した育成選手としての指名を実施しようとしたが、この時小林は既に明治安田生命への入社が内定しており、「社会人チーム内定選手は育成選手としての指名はできない」という規定に抵触することから、日本ハム側が指名を見送るという事態になった。
齋藤 達則(さいとう たつのり、1984年1月29日 - )… 齋藤 達則(さいとう たつのり、1984年1月29日 - )は、日本の元社会人野球選手(内野手)である。現役時代はJR東日本硬式野球部所属し、背番号3であった。 千葉県出身。日大三高では3年の春・夏に連続して甲子園出場。春の甲子園ではホームランを記録し、夏の甲子園では全国制覇を遂げている。高校時代の同期に内田和也、千葉英貴、近藤一樹、都築克幸らがいる。2002年に明治大学へ進学。2004年春季リーグ(3年次)には優勝を経験した。2005年春季リーグ(4年次)には首位打者を獲得し、ベストナインにも選ばれた。2006年にJR東日本へ入社。堀井哲也監督の方針から従来の一塁手に加えて二塁手でも出場機会を得てレギュラーを獲得した。
千葉 英貴(ちば ひでき、1983年10月25日 - )は、… 千葉 英貴(ちば ひでき、1983年10月25日 - )は、東京都八王子市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 小学生の頃は「八王子イーグルス」、中学生の頃は「八王子リトルシニア」でプレー。 日大三高3年時は、第73回選抜高等学校野球大会では3回戦敗退だったが、第83回全国高等学校野球選手権大会で優勝を果たす。2001年度のドラフトで横浜ベイスターズから6巡目指名を受け入団。 ドラフト当時、日大三高からは千葉の他に、内田和也がヤクルトスワローズ、近藤一樹が大阪近鉄バファローズ、都築克幸が中日ドラゴンズから指名を受け、1つの高校から4名がプロ入りしたという事が大きなトピックスであった。これは同じ高校の選手が同じ年のドラフトで指名を受けた人数で史上最多タイ記録である。
村山 太朗(むらやま たろう、1983年8月30日 - )は… 村山 太朗(むらやま たろう、1983年8月30日 - )は、東京都出身のプロ野球審判員。審判袖番号は2006年から2010年まで46、2011年以降は42。日本大学鶴ヶ丘高等学校、日本大学卒業。 日大鶴ヶ丘高校、日本大学を卒業後にジム・エバンス審判学校での研修を経て2006年にセントラル・リーグ審判員となる。 2017年にはオールスターゲーム初出場を果たし、第2戦(7月15日、ZOZOマリンスタジアム)では球審を務めた。 ストライクコールの際に高い声を出しながら横向きに指を指すのが特徴である。 2019年4月30日の読売ジャイアンツ対中日ドラゴンズ戦(東京ドーム)では三塁塁審を務めた。この試合の1回裏一死一、二塁の場面で打者石川慎吾がレフトフェンス際へ打球を放ち、レフトの伊藤康祐が好捕したようにも見えたが、これをフェンスに当たってからの捕球と正しく判断し、ノーキャッチのジェスチャーを出した。
高口 隆行(たかぐち たかゆき、1983年8月23日 - )… 高口 隆行(たかぐち たかゆき、1983年8月23日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。右投右打。 小学校1年生の時に野球を始め、江戸川南リトルでは全国制覇。江戸川南リトルの先輩に松坂大輔と小谷野栄一がいる。 創価高校では1年秋から遊撃の定位置を掴み、2年春の選抜高校野球では佐賀商に初戦敗退を喫する。3年生(2001年)の夏には全国高等学校野球選手権西東京大会準決勝でその年の全国優勝校である日大三に敗れ、高校での野球生活を終える。その後創価大学に進み、2年からレギュラーの座を手にし、東京新大学リーグのベストナインにも選ばれた。 2005年のプロ野球ドラフト会議(大学生・社会人ほか対象)で6巡目の指名を受け、大学の同期の八木智哉と同じ日本ハムに入団した。
都築 克幸(つづき かつゆき、1983年8月18日 - )は… 都築 克幸(つづき かつゆき、1983年8月18日 - )は、東京都品川区出身の元プロ野球選手(外野手)。 日大三高では1番打者として2001年夏に行われた第83回全国高等学校野球選手権大会で大会通算16安打(甲子園史上2位)打率.571を記録し、強力打線の核弾頭として優勝に貢献。西東京大会でも17打数12安打で打率.706。周囲からは安打製造機と呼ばれていた。2001年夏の大会だけで45打数28安打で打率.622。甲子園終了後のAAAアジア野球選手権代表にも選ばれ高校日本代表の副主将となる。1番打者として活躍し準優勝をする。 2001年度ドラフト会議では、3番を打った内田和也(ヤクルトスワローズから4位指名)、エース近藤一樹(大阪近鉄バファローズから7位指名)、控え投手の千葉英貴(横浜ベイスターズから6位指名)らとともに中日ドラゴンズから6位指名を受けて入団。
根元 俊一(ねもと しゅんいち、1983年7月8日 - )は… 根元 俊一(ねもと しゅんいち、1983年7月8日 - )は、東京都西多摩郡瑞穂町出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投左打。 中学時代の根元は、今後の進路について「都立高校に進学して野球は遊び感覚でやれればいいかな」と考えていたが、別の選手を見に来ていた花咲徳栄高校の岩井隆(当時はコーチ)の目に留まり、同校に進学した。 花咲徳栄高校進学後は、当初周りのレベルの高さに愕然としていたものの、3年時には主将としてチームを牽引し、第83回全国高等学校野球選手権大会に出場。生徒会長も務めた。 大学は東北福祉大学へ進学。1学年先輩に塩川達也がいる。1年時から遊撃手の控えとして出場を重ねると、3年時からは二塁手のレギュラーに定着。
山田 憲(やまだ けん、1983年6月23日 - )は、東京… 山田 憲(やまだ けん、1983年6月23日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(内野手)。 東海大浦安高時代、2年時の2000年に遊撃手のレギュラーとして夏の甲子園の準優勝を経験。 2001年のプロ野球ドラフト会議で、日本ハムファイターズから7巡目指名を受け入団するが、1軍出場のないまま2004年のシーズン終了後に戦力外通告を受けた。 2005年からアマ復帰し、この年に創設されたばかりのサウザンリーフ市原に移籍。遊撃手のレギュラーの座をつかみ、チームを牽引した。 2007年秋、BCリーグのトライアウトを受け、群馬ダイヤモンドペガサスへ入団。スタメンを固定させず、その時期で調子の良い選手を使うという秦真司監督の選手起用方針の中でも、シーズンを通して1番・遊撃手のポジションをキープし、群馬の上信越地区優勝の原動力となった。
村上純平(むらかみ じゅんぺい、1983年4月11日 - )… 村上純平(むらかみ じゅんぺい、1983年4月11日 - )は、鷺宮製作所所属の社会人野球選手。
上野 貴久(うえの たかひさ、1982年12月9日 - )は… 上野 貴久(うえの たかひさ、1982年12月9日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手、元社会人野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツに所属していた。実弟は千葉ロッテマリーンズに所属していた上野大樹。 中学時代は地元の軟式野球チームブラックキラーズに所属していた。帝京高時代は控え投手だったが、進学した東洋大学の野球部では1年生春から主戦投手になる。東都大学リーグ通算75試合登板し14勝28敗、防御率3.43、228奪三振。 大学卒業後の2005年はNTT東日本に入社、同社硬式野球部に所属。2006年の都市対抗では、予選で3勝、本戦で1勝をあげた。同年の大学生・社会人ドラフト会議で読売ジャイアンツから3巡目指名を受け入団(契約金1億円、年俸1500万円)。
松坂 恭平(まつざか きょうへい、1982年11月23日 -… 松坂 恭平(まつざか きょうへい、1982年11月23日 - )は、東京都江東区出身の元野球選手(内野手)。社会人野球のTokyo Bay lustersに所属していた。 兄は元プロ野球選手の松坂大輔、妻はフリーアナウンサーの廣川明美。 小学1年生で野球をはじめ、江戸川南リトル時代は投手兼遊撃手として全国3位に輝く。中学時代は軟式野球で投手として活躍。実兄・大輔に遜色なき実力を見込まれ、中学卒業直前に幾校もの強豪私学野球部から勧誘があったものの、2歳上の兄が私立横浜高等学校進学したあと、実父が失業するなどの経済的事情から東京都立篠崎高等学校に進学。高校時代は投手として1年生の夏から先発投手として出場するが、故障に悩まされ甲子園出場はできなかった。
那須野 巧(なすの たくみ、1982年10月4日 - )は、… 那須野 巧(なすの たくみ、1982年10月4日 - )は、東京都豊島区出身の元プロ野球選手(投手)。 子供のころは少年野球チームの千早タイガースに所属。野球チームと並行して、中学ではサッカー部に所属し、試合が重なったときはサッカーを優先していた。ただし、サッカーより野球の方が実力が突出していたと自覚し、職業として考えても野球の方が現実的と考え、駒場学園高では野球部に所属。しかし、スポーツ推薦ではなかったため、迷った末の入部であった。一般クラスだったこともあり、1年生の間はボールにも触れない期間が続いた。そんな時期を経て、中学時代は外野か一塁を守っていたが、地肩の強さから投手の練習を始めるようになる。
白井 沙織(しらい さおり、1982年6月18日 - )は、… 白井 沙織(しらい さおり、1982年6月18日 - )は、東京都出身の女子ソフトボール選手(外野手)・指導者。元公立中学校教諭。 東京都出身。佼成学園女子高校1年の時にソフトボールを始める。その後、日本体育大学に進学しソフトボール部に所属。2004年、インターカレッジで優勝。 その後、レオパレス21を経て、2007年に豊田自動織機に入団。レギュラーとして活躍し、2010年には打率.369でベストナイン賞を獲得。 2013年に引退後は一社員として働いていたが、2014年に退職し、地方公務員として公立学校の体育教師に。刈谷市立朝日中学校の副担任、2016年には担任となった。 2017年、教員を辞め、ペヤングのソフトボール部コーチになった。
桑原 義行(くわはら よしゆき、1982年6月15日 - )… 桑原 義行(くわはら よしゆき、1982年6月15日 - )は、東京都北区出身の元プロ野球選手(外野手)・指導者。 日大豊山高校時代、3年時の夏に第82回全国高等学校野球選手権大会に出場。 高校卒業後は、日本大学へ進学。東都大学リーグ通算60試合出場、210打数64安打、打率.305、0本塁打、18打点。2003年春季のリーグ戦で首位打者になる。ベストナイン3度受賞。4年生の時に全日本大学野球選手権大会で準優勝、日米大学野球日本代表に選ばれる。 2004年度ドラフト会議にて横浜ベイスターズから8巡目指名を受けて入団。二軍で好成績を残していたが、9月1日に左膝前十字靭帯断裂の手術を受けた。 2006年、シーズン終盤に骨折で登録抹消となった小池正晃との入れ替えで初昇格の機会が巡って来ると、10月1日の対東京ヤクルトスワローズ戦でプロ初安打。
小島 心二郎(こじま しんじろう、1982年6月11日 - … 小島 心二郎(こじま しんじろう、1982年6月11日 - )は、東京都小平市出身の元プロ野球選手(投手)。旧登録名及び本名は小島 紳二郎(読み方同じ)。 中学時代は東村山リトルシニアでプレー。国士舘高等学校2年時の秋季東京都大会は、決勝での完封勝利など優勝に貢献。3年春の第72回選抜高等学校野球大会では初戦の高岡第一高等学校戦で完封勝利を挙げた。2回戦の智弁和歌山戦で8点差を逆転され敗退。同年6月に来日した全米高校選抜チームとの対戦では、東京都選抜チームのエースとして登板して勝利した。全国高等学校野球選手権東東京大会は、直前に肘を故障して登板することができず、チームは決勝で桑原義行を擁する日大豊山高等学校に敗れたため、甲子園での復帰は叶わなかった。
荻野 忠寛(おぎの ただひろ、1982年4月26日 - )は… 荻野 忠寛(おぎの ただひろ、1982年4月26日 - )は、東京都町田市出身の元プロ野球選手(投手)、指導者。右投右打。現役時代は千葉ロッテマリーンズに所属し、リリーフとして活躍。退団後は社会人野球の日立製作所硬式野球部に所属していた。 現役時代のニックネームは、自身の背番号と、リリーフとして無失点に抑える投球から「ミスターゼロ」。 東京都町田市出身。四人兄弟の次男。小学2年生の時に野球を始める。桜美林高等学校を経て神奈川大学に進学、2年上に加藤大輔がいた。3年秋には明治神宮大会で初戦から先発し、準決勝では青学大の高市俊と投げ合って完投、決勝でも救援登板したが降板後にサヨナラ負けで準優勝。4年時の2004年には大学選手権に出場して初戦完投勝利し、2回戦で完投も那須野巧(日大)の前に敗戦。
中村 一生(なかむら いっせい、1982年4月2日 - )は… 中村 一生(なかむら いっせい、1982年4月2日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロ野球選手(外野手)、コーチ。右投右打。 東海大学付属浦安高等学校時代の3年時の夏に第82回全国高等学校野球選手権大会へ千葉県代表として出場。「5番・中堅手」として、チームの準優勝に貢献した。 高校卒業後に国際武道大学へ進学。広い守備範囲と俊足を武器に1番打者として千葉県大学リーグで3年秋にMVP、4年春ベストナインを受賞。 2004年のプロ野球ドラフト会議で、中日ドラゴンズから7巡目指名を受け、契約金5,000万円、年俸1,000万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。背番号は「51」。国際武道大学野球部の選手がNPBの球団と契約した事例は、高橋光信に次いで2人目であった。
吉原 道臣(よしはら みちおみ、1981年10月29日 - … 吉原 道臣(よしはら みちおみ、1981年10月29日 - )は、東京都新宿区出身の元プロ野球選手(投手)。 現役時代には横浜ベイスターズに所属。『暫定大魔神』という愛称が付けられた。現役引退後は、OA機器販売会社のオフィス24に勤務しながらシッティングバレーボールの普及活動に携わった後に、焼き鳥屋を経営。 日大豊山高校3年生の夏に、東東京大会の2回戦で、6回参考ながらノーヒットノーランを記録。日本大学への進学後は、1年春にリーグ戦で先発勝利したが1学年上に館山昌平、堤内健、1学年下に那須野巧がいて登板機会は限られ、東都大学野球のリーグ戦で19試合1勝3敗を記録した。高校からの1学年後輩に桑原義行、大学では1学年上に大野隆治、村田修一らがいた。
鳥谷 敬(とりたに たかし、1981年6月26日 - )は、… 鳥谷 敬(とりたに たかし、1981年6月26日 - )は、東京都東村山市出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、野球解説者・野球評論家、コーチ、タレント。個人事務所ラゾ所属。 2004年から2019年にかけて阪神タイガースで16年間、2020年から2021年にかけて千葉ロッテマリーンズで2年間プレーし、日本野球機構(NPB)の一軍公式戦1939試合連続出場、13シーズン連続全試合出場(いずれも歴代2位)、史上50人目の公式戦2000本安打および、史上15人目の1000四球を達成した。遊撃手としては、NPB公式戦シーズン最多打点記録(104打点)および、歴代最長のフルイニング出場記録(667試合)、セントラル・リーグのシーズン最多補殺記録(490補殺)を保持している。
岩隈 久志(いわくま ひさし、1981年4月12日 - )は… 岩隈 久志(いわくま ひさし、1981年4月12日 - )は、東京都東大和市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ、解説者。MLBのシアトル・マリナーズ特任コーチ・アドバイザー、少年硬式野球チームの青山東京ボーイズ創設者・コーチ。 NPBではパ・リーグの大阪近鉄バファローズ、東北楽天ゴールデンイーグルスでエースとして活躍した。近鉄時代の2001年にはチームのパシフィック・リーグ優勝に貢献、また2004年には最多勝利・最高勝率のタイトルを獲得して投手部門でベストナインに選出された。楽天時代の2008年には最多勝利・最優秀防御率・最高勝率の3タイトルを獲得、沢村栄治賞やパ・リーグの最優秀選手 (MVP) を受賞、ベストナインに選出された。
森本 稀哲(もりもと ひちょり、1981年1月31日 - )… 森本 稀哲(もりもと ひちょり、1981年1月31日 - )は、東京都荒川区出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投右打)、コーチ、野球解説者、野球評論家、タレント、YouTuber。 1998年度ドラフト会議にて日本ハムファイターズから4位指名を受けて入団。2006年から2008年にかけて3年連続でゴールデングラブ賞を受賞、2007年にはベストナインにも選ばれた。2011年には横浜ベイスターズへ、2014年には埼玉西武ライオンズへ移籍し、ライオンズ在籍中の2015年に現役を引退。2023年から北海道日本ハムファイターズの一軍外野守備走塁コーチを務める。 小学生の時、汎発性円形脱毛症にかかり、髪の毛が抜けてしまう。
小森 孝憲(こもり たかのり、1980年12月23日 - )… 小森 孝憲(こもり たかのり、1980年12月23日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(投手)。
小谷野 栄一(こやの えいいち、1980年10月10日 - … 小谷野 栄一(こやの えいいち、1980年10月10日 - )は、東京都江東区出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 愛称は「栄ちゃん」。 リトルシニアリーグでは江戸川区の江戸川南リトルリーグに所属。松坂大輔とチームメイトだった。創価高校3年春(1998年)に甲子園(第70回選抜大会)に出場し、2回戦で上重聡を擁するPL学園高校に完封負けを喫し、自身は3番二塁手でフルイニング出場、4打数無安打だった。 創価大学に内部進学し、1年秋からレギュラーとして出場した。1年時の明治神宮野球大会では青山学院大学と対戦し、石川雅規から6打数3安打(再試合を含む)を記録した。4年時の大学選手権では早稲田大学の和田毅から4安打を放った。
矢野 謙次(やの けんじ、1980年9月21日 - )は、東… 矢野 謙次(やの けんじ、1980年9月21日 - )は、東京都三鷹市出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)、プロ野球コーチ。 愛称は「ヤノケン」。 小学校2年の時に「三鷹リトルシニア」で野球を始める。同じリトルシニアには高江洲拓哉が所属していた。三鷹市立第六中学校時代の「三鷹シニア」ではエース兼4番打者として関東大会に出場。國學院久我山高校では同級生に笠木新や田村知佳(女子野球代表、高校女子野球部監督)ら、1年下に河内貴哉がいた。1997年秋季東京大会では河内の好投もあって準決勝に進むが国士舘高に敗退。翌1998年夏の甲子園西東京予選も準決勝で桜美林高に10-9で惜敗、甲子園には届かなかった。
池永 大輔(いけなが だいすけ、1980年7月17日 - )… 池永 大輔(いけなが だいすけ、1980年7月17日 - )は、東京都台東区浅草出身の元プロ野球選手(内野手)。
田村 知佳(たむら ちか、1980年 - )は、元女子野球選… 田村 知佳(たむら ちか、1980年 - )は、元女子野球選手。右投右打。現在、高校で教員を務めている。父親は田村登志親(元プロ野球選手)。 小学校1年生のときに野球を始め、中学生になると父親が監督を務める軟式野球チームに入った。 國學院大學久我山高等学校に入学し、同校硬式野球部初の女子部員として男子部員と同じ練習メニューをこなした。同級生に矢野謙次らがいる。1997年に卒業した後、女子軟式野球部のある日本体育大学に進学し女子野球選手として活躍した。本人は日本体育大学に進学した理由として、「ずっと男子の中でプレーしてきた自分にとって、女子だけの中で野球をやってみたいという気持ちが小さい頃からあったから。
笹川 隆(ささがわ たかし、1979年11月8日 - )は、… 笹川 隆(ささがわ たかし、1979年11月8日 - )は、東京都新宿区出身の元プロ野球選手(内野手、捕手)、プロ野球コーチ。現在は福岡ソフトバンクホークス四軍内野守備走塁コーチ。 中学校時代、ボーイズリーグの新宿ヴァリアンツに所属。チームの主力選手として、1993年関東大会優勝、1994年第25回選手権大会全国優勝に貢献する。 東海大菅生高に進学。硬式野球部に所属し、1996年の第78回全国高等学校野球選手権大会と1997年の第69回選抜高等学校野球大会に出場した。また、1996年秋から野球部の主将も務めた。 1997年のドラフト6位で福岡ダイエーホークスに入団。入団当時は内野手だったが、二軍でも出場機会に恵まれず、2001年途中に的場直樹をはじめ二軍の捕手陣に故障者が続出したこともあって捕手に転向、翌2002年には捕手登録となる。
野田 正義(のだ まさよし、1979年3月5日 - )は、日… 野田 正義(のだ まさよし、1979年3月5日 - )は、日本の社会人野球の元選手(投手、右投右打)である。 東京都出身。桜美林高時代は外野手であり、3年夏には西東京大会ベスト8まで進出したが、甲子園には出場できなかった。 1997年、高校を卒業するとセレクションを経てTDKに入社。肩の強さを買われ、入部と同時に投手に転向。その年の都市対抗野球大会出場に大きく貢献する。20歳前後まではスピード重視のピッチング(3年目に146km/hを計時した)が、その後緩急を利用した技巧派投手にモデルチェンジ。TDKは都市対抗に出たり出なかったりという状態が続いたが、野田はNTT東北、JR東日本東北、JTなどの強豪チームの補強選手として東京ドームに出場し続けた。
伊藤 彰(いとう あきら、1978年12月21日 - )は、… 伊藤 彰(いとう あきら、1978年12月21日 - )は、東京都調布市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、野球指導者。1997年から1999年の登録名は「アキラ」背番号は11番。ドラフト一位指名。高校で世代ナンバーワンと言われた本格派左腕。 元山梨学院大学硬式野球部コーチ。 調布リトルシニアから山梨学院大付高へ進学、1年生だった1994年秋は県大会優勝で関東大会初戦で先発したが敗れた。2年生だった1995年に夏の甲子園で注目され、3年生だった1996年にも夏の甲子園に出場した。同年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから1位指名を受けて入団。同期には岩村明憲らがいた。当初は近鉄バファローズも獲得の意思を表明していたが「左肩に不安がある」という理由からメディカルチェックを要望。
吉田 好太(よしだ こうた、1977年12月24日 - )は… 吉田 好太(よしだ こうた、1977年12月24日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(内野手)。近鉄時代の登録名は「好太」。
五十嵐 貴章(いがらし たかあき、1977年9月21日 - … 五十嵐 貴章(いがらし たかあき、1977年9月21日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(投手)。 国士舘高では、2年秋に都大会ベスト4、3年春は準決勝で先発するが延長の末に敗退。1学年上に筒井正也がいた。関東学園大学へ進学。1年秋から最多勝の活躍をして大学選手権にも出場してリーグ通算22勝。4年春は6勝で優勝に貢献、最高殊勲選手、ベストナインを受賞。日米大学野球では水戸開催(関甲新学生)の地域代表選手として登板した。JR東日本を経て、2001年のドラフト会議にてヤクルトスワローズから7巡目で指名を受け入団。 2004年、一軍での登板がないまま、シーズン終了後に球団から戦力外通告を受ける。 2005年、アメリカ独立リーグ(ゴールデンベースボールリーグ)のジャパン・サムライ・ベアーズに入団するも、2006年に同チームの解散に伴い、社会人野球の京都ファイアーバーズに入団。
中野渡 進(なかのわたり すすむ、1976年9月17日 - … 中野渡 進(なかのわたり すすむ、1976年9月17日 - )は、東京都小平市出身の元プロ野球選手(投手)。 ゲームクリエイターの中野渡昌平とは従兄弟にあたる。 東海大菅生高ではエースとして2年生だった1993年秋に東京都大会で準優勝するも決勝戦で大敗したため翌1994年春の選抜大会には選出されず、卒業後は社会人野球の三菱自動車川崎に入社。2年目の1996年に都市対抗野球で完投勝利、その後は補強選手としても先発。1999年のドラフト会議で、横浜ベイスターズから7位指名を受けて入団しプロ入り。入団時、ユニフォームの背ネームの文字数が非常に多い(NAKANOWATARI=12文字)ことが話題となった。
福本 誠(ふくもと まこと、1976年7月14日 - )は、… 福本 誠(ふくもと まこと、1976年7月14日 - )は、東京都日野市出身の元プロ野球選手(内野手)。
鈴村 裕輔(すずむら ゆうすけ、1976年7月1日 - )は… 鈴村 裕輔(すずむら ゆうすけ、1976年7月1日 - )は、野球史研究家、名城大学外国語学部教授、博士(学術)。 東京都生まれ。東京都立青山高等学校、法政大学文学部哲学科、同大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程、同国際日本学インスティテュート社会科学研究科政治学専攻修士課程および同インスティテュート政治学研究科政治学専攻博士後期課程修了。2008年3月に法政大学より博士(学術)の学位を授与される。法政大学国際日本学研究所客員学術研究員を経て現職。 高校在学時から藤澤文洋に師事してアメリカ野球の研究を行い、1997年に『オールタイム大リーグ名選手101人』(日本スポーツ出版)にオジー・スミスの項目を担当して執筆活動を開始する。
豊田 浩之(とよた ひろゆき、1976年6月1日 - )は日… 豊田 浩之(とよた ひろゆき、1976年6月1日 - )は日本の高校野球指導者。 亜細亜大学では、4年時に正捕手として1年下の佐藤宏志、2年下の吉川昌宏とのバッテリーで春秋リーグ戦優勝に貢献。同期に赤星憲広、1年上に井端弘和、飯塚智広がいる。石川県の北陸大谷高校でコーチとして4年間指導。 その後は母校の岩倉高校に着任。コーチ、監督を務め、2010年からは部長、2014年からは再び監督を務めている。現在では同校の生徒指導部長も務めている。
筒井 正也(つつい まさや、1976年4月11日 - )は、… 筒井 正也(つつい まさや、1976年4月11日 - )は、東京都江東区出身の元プロ野球選手(投手)。現在は中日ドラゴンズでスコアラーを務めている。 中学時代は墨田リトルシニア。国士舘高校で1993年に2年でセンバツに出場し、2回戦の市立船橋高戦では9回表から延長15回まで1安打に抑える好投でベスト4進出に大きく貢献した。1994年、3年夏の西東京大会では3回戦、都立東大和高戦で9回ノーヒットノーランを記録。この大会では打撃でも3本塁打を放ち、決勝進出の原動力となる。 その後、国士舘大学に進学すると1年春のみ東都大学野球1部リーグで1試合に登板、以降は2部で2年生からエースとして活躍。2部リーグながら通算15勝、MVP・最優秀投手賞を各2回受賞している。