岡本 二菜(おかもと にな、1997年8月15日 - )は、… 岡本 二菜(おかもと にな、1997年8月15日 - )は、東京都新宿区出身の女子競輪選手。日本競輪選手会東京支部所属、ホームバンクは京王閣競輪場。日本競輪選手養成所(以下、養成所)第118期生。元師匠は石井寛子(104期)。 日本大学鶴ヶ丘高等学校時代から自転車競技を始め、2015年のJOCジュニアオリンピックカップでは2種目で優勝。日本体育大学入学後は2017年全日本学生選手権トラック500mタイムトライアルおよびスプリント優勝、2017年・2018年国民体育大会チームスプリント優勝など実績を残した。なお、大学は日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)を受験するため2年間通ったのち退学した。 2019年1月17日、競輪学校第118回技能試験に合格。
坂本 咲(さかもと さき、1997年3月7日 - )は、東京… 坂本 咲(さかもと さき、1997年3月7日 - )は、東京都品川区出身の元女子競輪選手。日本競輪選手会神奈川支部所属、ホームバンクは川崎競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第110期生。師匠は吉田晴行(59期)。[要出典] 小学校時代から自転車競技を始めた。中学生のときにガールズサマーキャンプに参加し、東京都立美原高等学校進学後は2013年には日本自転車競技連盟強化指定選手に選ばれ、2014年高校総体女子500mタイムトライアル9位、女子ケイリン4位という実績を残した。進学して自転車競技を続けるか競輪選手になるか迷ったが、競輪選手の道に進んだという。 2014年12月24日、競輪学校第110回技能試験に合格。
戸邉 香奈実(とべ かなみ、1993年10月6日 - )は、… 戸邉 香奈実(とべ かなみ、1993年10月6日 - )は、茨城県出身の女子競輪選手。日本競輪選手会茨城支部所属、ホームバンクは取手競輪場。日本競輪選手養成所(以下、養成所)第124期生。師匠は戸邉裕将(72期)。 実父の戸邉英雄(51期)、祖父の戸邉弘(8期。故人)はともに元競輪選手で、自身は三世選手に当たる。ほかにも、親族では師匠でもある戸邉裕将(72期)、山口翼(98期)が競輪選手、戸邉純一(24期)が元競輪選手という、競輪一家。 競輪一家で生まれ育つが、競輪のみならずスポーツには一切興味がなく、中学生の時に陸上短距離で好タイムを記録した程度で、高校での部活は茶道部、箏曲部であったなど選手になるまではそもそも競技としてのスポーツの経験自体が一切なかった。
増茂 るるこ(ましも るるこ、1991年12月10日 - )… 増茂 るるこ(ましも るるこ、1991年12月10日 - )は、東京都出身の女子競輪選手。日本競輪選手会東京支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第102期(ガールズケイリン第1期)生。ホームバンクは立川競輪場、師匠は佐久間仙行(62期)。東京女子体育大学卒業。 東京都立東久留米総合高等学校を経て東京女子体育大学(東女体大)に進学。競輪場でのアルバイト中、周りの人に勧められたことがきっかけとなり、競輪学校を受験し合格。その後は在籍中の東女体大を休学して競輪学校に入校。競輪学校時代の在校競走成績は第10位(9勝)。なお、大学は競輪学校を卒業後に復学し、その後は競輪と学業とを並行させながら無事卒業した。
井上 玲美(いのうえ れみ、1987年5月25日 - )は、… 井上 玲美(いのうえ れみ、1987年5月25日 - )は、東京都青梅市出身の元女子競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第104期生。 東海大菅生高校時代の2005年、全国高等学校選抜自転車競技大会・個人ロードレースで優勝。その後、法政大学に進学。全日本自転車競技選手権大会では毎年上位の成績を収めながら、和田見里美らの存在が立ちはだかり、なかなか優勝に辿りつけなかった。しかし、2011年に2種目制覇、2012年にもポイントレースで優勝した。 2011年12月16日に、日本競輪学校第104回(女子第2回、技能)試験に合格。 2018年3月29日引退。通算398戦5勝、3連対率14.3%。
梶田 舞(かじた まい、1987年1月26日 - )は、東京… 梶田 舞(かじた まい、1987年1月26日 - )は、東京都台東区出身の元女子競輪選手。現役時代は日本競輪選手会埼玉支部所属(当初は栃木支部所属)。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第104期生。師匠は坂本英一(同59期生。のち解消)。弟子は山本レナ(同106期生、引退)。 小学生の頃から、オリンピック出場を夢見てトライアスロンに打ち込む。中学では陸上部、高校では水泳部に入り、部活のあとにトライアスロンの練習をしていた。 東京都立駒場高等学校時代、全国高校生トライアスロン大会で2003年 4位、2004年 3位の実績を挙げる。その後、スポーツ科学・オリンピック選手・スポーツ指導者・体育教員養成で著名な日本体育大学体育学部に進学し、同校のトライアスロン部に入部したもののオリンピック強化指定選手には選ばれなかったことで1年余で退部し、スポーツ学などの勉学と自主トレーニングなどに打ち込んだ。
内田 慶(うちだ けい、1981年2月11日 - 2008年… 内田 慶(うちだ けい、1981年2月11日 - 2008年9月11日)は元競輪選手、元自転車競技選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第87期生。現役時代は日本競輪選手会栃木支部に所属。師匠は福田明。弟子にはアテネパラリンピック(2004年)、自転車競技・タンデムスプリント(視覚障害部門)において葭原滋男のパイロットとして同種目の銀メダル獲得に貢献した大木卓也がいる。 東京都中央区出身。埼玉県の大和田小学校2年生の時からスイミングクラブに入ってトライアスロンを始め、6年生の時に自転車競技を中心にレースに出場。学校法人石川高等学校を経て作新学院高等学校に転校し、同校を卒業。 2001年、競輪学校に入学。
岡田 征陽(おかだ せいよう、1980年4月6日 - )は、… 岡田 征陽(おかだ せいよう、1980年4月6日 - )は、東京都青梅市出身の競輪選手。日本競輪選手会東京支部所属。日本競輪学校第85期卒業。師匠は富山健一(43期)。 小学生時代は地元サッカー少年団で活躍。小学生6年時には第2回全日本少年ミニサッカー大会(現バーモントカップ)で全国ベスト8の立役者となる。 その後中学3年までサッカーを続けるものの父親の夢であった競輪選手を目指し競技変更。 なお、中学時代は非公式ながら100M11秒ジャストの俊足の持ち主。 東京都立八王子工業高等学校在籍時代、1998年の全国高等学校選抜自転車競技大会(沖縄県総合運動公園自転車競技場)、個人スプリントで優勝。 1999年、日本競輪学校第85期生として入学。
高木 隆弘(たかぎ たかひろ、1969年5月20日 - )は… 高木 隆弘(たかぎ たかひろ、1969年5月20日 - )は、日本の競輪選手。東京都台東区出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第64期卒業。日本競輪選手会常任理事、同神奈川支部長(2024年6月より)、ホームバンクは平塚競輪場。師匠は小門道夫。初出走は1989年8月5日の西武園競輪場で初勝利も同日。血液型A。 法政大学第二高等学校在学中は陸上競技を行っていたが、友人である出口眞浩の勧めにより、高校卒業後に競輪学校を適性試験で受験し合格。競輪学校は28位での卒業で、当初は小田原競輪場を練習拠点とした。やがてデビュー直後から素質が開花して活躍を見せ、同期の学校成績上位であった三宅伸や有坂直樹と並んで『64期三羽烏』と評されるまでになり、1991年には競輪祭新人王戦で優勝し新人王を獲得すると、1992年には早くも獲得賞金上位で地元開催のKEIRINグランプリに出場している(4着)。
波潟 和男(なみがた かずお、1966年6月29日- )は、… 波潟 和男(なみがた かずお、1966年6月29日- )は、元競輪選手。東京都出身。現役時は日本競輪選手会東京支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第57期卒業。師匠は清嶋彰一。 東京都立高島高等学校在学中から自転車競技を行っており、高校卒業後は競輪学校に第57期生として入学し、在校成績14位で卒業する。 初出走は1986年5月3日の花月園競輪場で、初勝利は同開催最終日の5日。デビュー後は先行や捲りを武器に成果を挙げ、師匠の清嶋に次ぐ東京の大型先行選手として注目されるようになったが、1989年8月に清嶋が福井に移籍したことで袂を分かつことになる。 直後の同年11月に競輪祭の決勝を捲りで優勝して特別競輪(現在のGI)初制覇を果たし、地元の立川競輪場で翌月開催となるKEIRINグランプリへの出場を決定させた。
飯島 規之(いいじま のりゆき、1966年4月15日 - )… 飯島 規之(いいじま のりゆき、1966年4月15日 - )は、日本の元競輪選手、元自転車競技選手、ワイン醸造家。日本競輪学校第61期卒業。現役時は日本競輪選手会埼玉支部に在籍。 東京都で出まれ、その後は川口市、浦和市(現在のさいたま市桜区)へと移り住む。浦和市立南高等学校(現 さいたま市立浦和南高等学校)を経て日本競輪学校に第61期生として入学。同期に神山雄一郎、山田裕仁、紫原政文らがいる中で、在校成績は1勝すら挙げられなかった。 1988年5月8日花月園競輪場にでデビューし4着。初勝利は翌9日の同場。以降の競輪選手としての実績は芳しくなかったが、これは本人の脚質が競輪向きでなかったことによるもので、それでも長い間選手として活躍し続けた。
小門 洋一(こかど よういち、1961年8月19日 - )は… 小門 洋一(こかど よういち、1961年8月19日 - )は、元競輪選手、元サッカー選手。埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。日本競輪学校第49期卒業。競輪選手現役時は日本競輪選手会神奈川支部所属。師匠は、伯父の小門道夫。ホームバンクは平塚競輪場(元は小田原競輪場)。息子の小門勇太はフットサル選手。 帝京高等学校サッカー部出身で2学年上に早稲田一男、宮内聡、金子久、同学年には現サッカー解説者の川添孝一、元サッカー日本代表の名取篤、とんねるずの木梨憲武、1学年下に辻谷浩幸らがいる。高校3年時(1979年)にはFWとして夏の高校総体ではベスト4、東京都選抜として国体優勝。冬の高校選手権では優勝に貢献。
山口 健治(やまぐち けんじ、1957年1月21日 - )は… 山口 健治(やまぐち けんじ、1957年1月21日 - )は、元競輪選手、現在はスポーツ報知所属の競輪評論家。東京都荒川区出身。日本競輪学校第38期卒業。現役時は日本競輪選手会東京支部所属。血液型はO型。師匠は実兄の山口国男。 通称はヤマケン。また「江戸鷹」の異名も持っていた。江戸っ子らしい、親分肌の性格の持ち主である。 東京都立上野高等学校中退後、兄を追うように日本競輪学校を受験し、学科・技能の試験とも合格して入学を果たした。競輪学校での在校成績は№1で卒業記念レースでも優勝し、柳井譲二・吉井秀仁と『38期三羽烏』、永田敏夫も加えて『四天王』とも称された。卒業後はホームバンクを松戸競輪場とし、初出走は1976年11月3日の立川競輪場で初勝利も同レース。
山口 国男(やまぐち くにお、1950年8月11日- )は、… 山口 国男(やまぐち くにお、1950年8月11日- )は、日本競輪選手会・東京支部に所属していた元競輪選手。東京都荒川区出身。日本競輪学校第24期生。ホームバンクは松戸競輪場だった。自身は長男で、実弟の山口健治は末っ子の四男にあたる。 愛称は『フラワー(ライン)のドン』、『下町の大将』。 競輪の大ファンだった父親の影響を受け、中学を卒業した後、1966年、競輪学校第24期生として入学。翌1967年2月23日、川崎競輪場でデビュー(3着)。1968年、B級で10連勝を果たしA級に特進。1972年の高松宮杯でGI初優出を果たしたが、3着と健闘(優勝は福島正幸)。翌1973年の競輪祭決勝でも3着(優勝は福島)と頑張り、トップクラスの選手としての地位を築いていく。
工藤 元司郎(くどう げんしろう、1944年 - )は、東京… 工藤 元司郎(くどう げんしろう、1944年 - )は、東京都港区出身の元競輪選手で、現在は競輪評論家である。日本競輪学校第16期生で同期に群馬の稲村雅士がいる。現役引退時は日本競輪選手会茨城支部所属。実父の工藤勝美も元競輪選手。