スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
高橋 改(たかはし あらた、1999年8月30日 - )は、… 高橋 改(たかはし あらた、1999年8月30日 - )は、日本の俳優。東京都豊島区出身、東京都北区在住。 小劇場ファンの母親の影響で、幼少期より演劇作品のビデオを観て育つ。1歳から2歳の間を静岡県御殿場市で過ごしていた。豊島区に戻り、豊島区立駒込小学校に通い、進学した豊島区立駒込中学校で演劇部に所属。「劇団X探偵社」を主宰していた渡辺茂の指導を受ける。 2017年に、東京都立高島高等学校を卒業。杏林大学外国語学部中国語学科に入学。2018年よりLighthouseのアクティングコーチ森山シオン(当時は森山心温)に師事。各国のメソッド演技法等を学ぶ。2018年より2年間、山川大智(東宝芸能)よりミュージカルボイストレーニングを受けるため、杏林大学を中途退学。
藤原 広太朗(ふじわら こうたろう 、1990年4月17日 … 藤原 広太朗(ふじわら こうたろう 、1990年4月17日 - )は、東京都板橋区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)及びミッドフィールダー(MF)。 小学2年生時にサッカーを始める。長島裕明に見込まれ、2003年よりFC東京の下部組織に入ると、ボランチ、サイドバック、センターバックなど複数のポジションを担当。センターバックでは同期の畑尾大翔とコンビを組み堅実なプレーで守備のバランスをとった。倉又寿雄監督からは「影のキャプテン」と評され、チームを牽引。他の同期は三田啓貴、岩渕良太、山崎侑輝、山村佑樹、井上亮太、平野又三、六平光成など。 2009年に立命館大学に進学し、同大学のサッカー部に加入。
川面 聡大(かわつら そうた、1989年6月19日 - )は… 川面 聡大(かわつら そうた、1989年6月19日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。東京都出身。東京都立高島高等学校卒、中央大学法学部国際企業関係法学科卒、東海大学大学院体育学研究科コーチング学修了。ミズノトラッククラブ所属。元屋外60mの日本最高記録保持者。 高校時代、インターハイ東京都予選の100m・200mの2種目で準優勝。いずれもこの年のインターハイで二冠に輝く小林雄一に敗れた。 南関東大会では2種目とも本戦に出場できる6位に0.03秒及ばない7位に終わる。 高校卒業後は中央大学に進学。高校時代に全国大会に出場できず、スポーツ推薦での入学は難しかったが、大学側が入学の条件にした日本ジュニア選手権出場をクリアして入学することができた。
喜矢武 豊(きゃん ゆたか、1985年3月15日 - )は、… 喜矢武 豊(きゃん ゆたか、1985年3月15日 - )は、日本のヴィジュアル系エアーバンドゴールデンボンバーのGita-、俳優。 東京都出身。ユークリッド・エージェンシー所属。 小学生の頃から高校2年生頃まで少年野球を続けていた。しかし高校ではレギュラーになれず、中学生、高校生の時に野球選手への夢を断念する。同じ頃に友人の影響でベースの演奏を始め、その後知人にギターを渡されギターに転向し、GLAY、L'Arc〜en〜Ciel、X JAPANなどの楽曲を趣味で演奏する。高校3年生の頃、共通の友人を介して鬼龍院と知り合う。この時鬼龍院が高校の文化祭でDIR EN GREYの楽曲を演奏している映像に衝撃を受け、鬼龍院にバンドを組むことを提案するも断られる。
石川 大我(いしかわ たいが、1974年7月3日 - )は、… 石川 大我(いしかわ たいが、1974年7月3日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(1期)、豊島区議会議員(2期)を務めた。 東京都豊島区西巣鴨に生まれる。豊島区立朝日小学校、豊島区立朝日中学校(現豊島区立巣鴨北中学校)、東京都立高島高等学校、明治学院大学法学部法律学科卒業。早稲田大学大学院政治学研究科公共経営専攻専門職学位課程修了。公共経営修士(専門職)。2000年(平成12年)4月から「高橋タイガ」名で同性愛に関する情報を提供する講演活動等を始める。2002年(平成14年)より石川大我として活動。その後、「ピアフレンズ」という当事者向けのイベントを主宰。2009年(平成21年)7月、ピアフレンズはNPO法人として登記、石川は代表理事に就任した。
山田 加奈子(やまだ かなこ、1971年6月20日 - )は… 山田 加奈子(やまだ かなこ、1971年6月20日 - )は、日本の政治家。東京都北区長(1期)。元東京都議会議員(2期)、元北区議会議員(4期)。 東京都北区の電気店に生まれる。北区立滝野川第三小学校、北区立王子中学校(現・北区立王子桜中学校)、東京都立高島高等学校を経て、大妻女子大学短期大学部家政科食物学科卒。卒業後は三井海上火災保険(現・三井住友海上火災保険)に勤務し、その後独立して損保代理店を開く。 2007年に北区議会議員に当選。4期務め、議長、監査委員を務めた。2020年の東京都議会議員補欠選挙に自由民主党公認で立候補し、当選。2021年の東京都議会議員選挙で再選。都議を2期務める。
霜田 正浩(しもだ まさひろ、1967年2月10日 - )は… 霜田 正浩(しもだ まさひろ、1967年2月10日 - )は、東京都豊島区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 東京都立高島高等学校卒業後、ブラジルへ留学、サントスFCなどクラブを渡り歩き経験を積む。サントスでは三浦知良やセザール・サンパイオと親交を築いた。帰国後は日本サッカーリーグのフジタ工業(現:湘南ベルマーレ)や京都紫光クラブ(現:京都サンガF.C. ) に所属し、横河電機を最後に27歳で現役引退。 引退後は、大塚FCヴォルティス徳島でコーチを、古巣となる京都では下部組織の監督や強化担当を務めた。1999年にはクロアチア・ザグレブからJリーグに戻る三浦を京都に引き入れている。 2001年からはFC東京で強化部として主に外国籍選手獲得に尽力。
立川 キウイ(たてかわ キウイ、1967年1月11日 - )… 立川 キウイ(たてかわ キウイ、1967年1月11日 - ) は落語家。本名∶塚田 洋一郎。東京都板橋区出身。落語立川流所属、立川談志直門。 板橋区立中台中学校、東京都立高島高等学校卒業。漫才ブーム到来で「芸人こそ現代の無頼」と考え、ブームの立役者であるビートたけしが立川錦之介として所属する落語立川流と、その家元である七代目立川談志の存在を知る。談志に弟子入りを志願するも「100万円貯金してからこい」と追い返され、4年かけて100万円貯めて再訪し入門。 1990年12月、七代目立川談志に入門し、立川キウイを名乗る。キウイ自身は由来について「入門当時、よしもとばななや、トマト銀行などが流行っていたからでは」など諸説を挙げている。
波潟 和男(なみがた かずお、1966年6月29日- )は、… 波潟 和男(なみがた かずお、1966年6月29日- )は、元競輪選手。東京都出身。現役時は日本競輪選手会東京支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第57期卒業。師匠は清嶋彰一。 東京都立高島高等学校在学中から自転車競技を行っており、高校卒業後は競輪学校に第57期生として入学し、在校成績14位で卒業する。 初出走は1986年5月3日の花月園競輪場で、初勝利は同開催最終日の5日。デビュー後は先行や捲りを武器に成果を挙げ、師匠の清嶋に次ぐ東京の大型先行選手として注目されるようになったが、1989年8月に清嶋が福井に移籍したことで袂を分かつことになる。 直後の同年11月に競輪祭の決勝を捲りで優勝して特別競輪(現在のGI)初制覇を果たし、地元の立川競輪場で翌月開催となるKEIRINグランプリへの出場を決定させた。
那州 雪絵(なす ゆきえ、1965年1月4日 - )は、日本… 那州 雪絵(なす ゆきえ、1965年1月4日 - )は、日本の漫画家、アニメーター。東京都豊島区池袋生まれ。血液型はA型。 作品に『花とゆめ』(白泉社)で連載された「ここはグリーン・ウッド」がある。 元アニメーターで、スタジオナンバーワンに所属し、漫画家デビューから数年間は兼業をしていた。また「那州和也」名義で同人活動をしていたこともある。 子供の頃に少年野球チームの選手だったこともあり、少年への憧れ、場合によっては女性であることによるそこからの挫折が創作の原動力になっている節もある。雑誌ぱふ91年10月号で、「女性である事は漫画家である事よりも重要ではない。今、急に男になっても困らない。」とコメントをしている。
山口 香(やまぐち かおり、1964年12月28日 - )は… 山口 香(やまぐち かおり、1964年12月28日 - )は、日本の柔道家(2020年8月現在、七段)、体育学者。学位は博士(生命医科学、山梨大学)、体育学修士(筑波大学大学院・1989年)。筑波大学人間総合科学学術院 人間総合科学研究群 スポーツウエルネス学教授。 1988年ソウルオリンピックで銅メダルを獲得した。全日本柔道連盟女子強化委員、日本オリンピック委員会理事、コナミ取締役、日本学術会議会員、筑波大学柔道部女子監督を歴任。得意技は小内刈。 東京都豊島区で出生し、欧州と米国が強く日本人の勝利が少なかった時期に第3回世界選手権で日本人女性柔道家として史上初の金メダルを獲得している。 現役時代は「女三四郎」と称賛された。
鳥塚 亮(とりづか あきら、男性、1960年6月30日 - … 鳥塚 亮(とりづか あきら、男性、1960年6月30日 - )は、日本の実業家。大井川鐵道株式会社社長。 いすみ鉄道株式会社社長、えちごトキめき鉄道株式会社社長を歴任し、ローカル鉄道の「再生請負人」とも称される。有限会社パシナコーポレーションの社長、特定非営利活動法人おいしいローカル線をつくる会の代表も務めている、Yahooエキスパートとして記事も執筆し、「大井川鐵道社長 鳥塚亮の地域を元気にするブログ」をほぼ毎日更新している。いすみ鉄道時代に発した「乗らなくてもいいんです」という言葉は、鉄道の持つ外部性を端的に表現している。 東京都板橋区出身。東京都立高島高等学校、明治大学商学部を卒業。高卒時から国鉄志望であったが分割民営化などで新規採用がなく、学習塾職員などを経て、27歳で大韓航空に入社。
西川 純(にしかわ じゅん、1959年9月14日- )は、日… 西川 純(にしかわ じゅん、1959年9月14日- )は、日本の教育学者。上越教育大学名誉教授。アクティブラーニングの一種である『学び合い』を提唱した。2013年Dマル合資格取得(兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科代議委員会教官資格審査)。 東京都出身。東京都立高島高等学校卒業、筑波大学第二学群生物学類卒業。同大学院教育研究科教科教育専攻修士課程修了。東京都立富士森高等学校にて理科教諭として勤務。2003年兵庫教育大学より博士取得。 兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科代議委員会教官資格審査:「Dマル合」
内田 睦夫(うちだ むつお、1945年 - 2024年11月… 内田 睦夫(うちだ むつお、1945年 - 2024年11月10日)は、社会人野球の元選手、指導者。東京都立高島高等学校元校長。民間人校長第1号。 静岡県藤枝市出身。島田商業高校では捕手として活躍。卒業後は東海大学工学部に進む。首都大学野球リーグでは6回優勝。渡辺孝博、上田二郎らとバッテリーを組む。リーグ戦通算83試合出場、307打数107安打、打率.349、12本塁打、77打点。首位打者、MVP各1回、ベストナイン2回。 1968年に日立製作所に入社。1969年にプロ野球ドラフト会議でアトムズ(のち東京ヤクルトスワローズ)に11位で指名されたが拒否し残留。都市対抗野球大会には5年連続出場。1971年の都市対抗では大学後輩の渡辺孝博とバッテリーを組み、1回戦で本塁打を放つなど活躍。