保苅 実(ほかり みのる、 1971年〈昭和46年〉7月8日… 保苅 実(ほかり みのる、 1971年〈昭和46年〉7月8日 - 2004年〈平成16年〉5月10日)は、日本の歴史学者。オーストラリアに滞在してアボリジニの研究をおこない、ラディカル・オーラル・ヒストリーのアプローチを提唱した。 新潟県新潟市出身。新潟大学教育学部附属新潟小学校時代、母親から「“考えたこと・感じたこと日記”をかきなさい」といわれ、「ぼくはいま金魚鉢をのぞいている。金魚はぼくが見ているのもしらないで泳いでいる。その僕をまた何かが見ているかもしれない」という日記を書き、先生も高く評価したという。5年生の時、歴史の授業で習った「金印」が見たいと、東京上野の国立博物館まで一人で鈍行に乗って行った。
渡辺 克義(わたなべ かつよし、1960年 - )は、日本の… 渡辺 克義(わたなべ かつよし、1960年 - )は、日本の言語学者・歴史学者。長岡崇徳大学教授。本名、渡邊 克義(わたなべ かつよし)。 新潟県生まれ。1978年、新潟県立三条高等学校卒業。1984年、東京外国語大学外国語学部ロシア語学科卒業。1986年、東京都立大学 (1949-2011)大学院修士課程修了。同年からワルシャワ大学に留学してポーランド文化・歴史を学び、1990年に同大学院博士課程修了。帰国後は新潟で中学校教員となる。2004年、東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学専攻修了、「ポーランド人の姓名 ポーランド固有名詞学序説」で博士(文学)。日本学術振興会特別研究員を経て、2000年から山口県立大学助教授、教授。
山田 邦明(やまだ くにあき、1957年12月18日 - )… 山田 邦明(やまだ くにあき、1957年12月18日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。愛知大学教授。 新潟県中魚沼郡川西町(現・十日町市)生まれ。十日町高等学校を経て1981年東京大学国史学科卒、1984年同博士課程中退、同大史料編纂所助手、助教授を経て、2008年愛知大学教授。1997年「鎌倉府と関東」で東京大学より文学博士の学位を取得。2020年、心理学者の樋口義治に代わって愛知大学文学部長に就任した。
柴田 善雅(しばた よしまさ、1949年-)は、日本の歴史学… 柴田 善雅(しばた よしまさ、1949年-)は、日本の歴史学者、経済学者。大東文化大学国際関係学部教授、財務省財務総合政策研究所特別研究官。専門は日本経済史。 新潟県新潟市出身。1973年 早稲田大学政治経済学部卒業。75年 同大学大学院文学研究科修士課程修了。1983年 一橋大学大学院経済学研究科博士後期課程単位修得退学。指導教官は中村政則。 同1983年、大蔵省入省、大臣官房調査企画課(現総合政策課)配属。大蔵省財政金融研究所主任調査官等を経て、1995年より現職。2005年 早稲田大学大学院アジア太平洋研究科で博士(学術)の学位を取得した。博士学位申請論文審査委員会の主査は小林英夫であった。
並木 頼寿(なみき よりひさ、1948年4月27日 - 20… 並木 頼寿(なみき よりひさ、1948年4月27日 - 2009年8月4日)は、日本の歴史学者、東京大学教授。専門は中国史。 1948年、新潟県南魚沼市(旧大和町)で生まれた。新潟県立六日町高等学校を卒業し、東京大学文学部第二類に入学した。東洋史学専修で学び、1973年に卒業。東京大学大学院に進み、 1976年に修士課程を修了した。 1982年、東海大学文学部講師に就任。その後[いつから?]、同助教授に昇格。1988年に東京大学教養学部助教授に転じ、1995年に同教授に昇格した。その後、東京大学大学院総合文化研究科教授[いつから?]。 学界では、2004年から2008年まで、日本現代中国学会事務局長、副理事長を務めた。
池上 裕子(いけがみ ひろこ、1947年11月 - )は、日… 池上 裕子(いけがみ ひろこ、1947年11月 - )は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。成蹊大学名誉教授、淑徳大学客員教授。角川源義賞受賞。専門は戦国時代および近世移行期の社会経済史。 1947年(昭和22年)新潟県佐渡郡(現佐渡市)赤玉出身。新潟県立佐渡高等学校、新潟大学人文学部経済学科卒業後、一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了、1977年(昭和52年)同博士後期課程単位取得退学(経済史専攻で永原慶二門下)。 相模女子大学講師を経て、1991年(平成3年)成蹊大学助教授、1995年(平成7年)成蹊大学文学部教授。国際文学科主任。2001年(平成13年)日本国際文化学会発起人。同年中央大学で博士(史学)の学位を取得。
佐藤 博信(さとう ひろのぶ、1946年10月 - )は、日… 佐藤 博信(さとう ひろのぶ、1946年10月 - )は、日本の歴史学者、千葉大学名誉教授。専門は中世東国史。 新潟県新発田市生まれ。1965年、鎌倉学園高等学校卒業。1969年、早稲田大学第一文学部史学科卒業。同大学院博士課程満期退学。1980年、千葉大学人文学部助教授、教授。1991年、「古河公方足利氏の研究」で早稲田大学文学博士の学位を取得。2012年、定年退職、名誉教授。
小林 昌二(こばやし しょうじ、1942年12月6日 - )… 小林 昌二(こばやし しょうじ、1942年12月6日 - )は、日本の歴史学者、専門は日本古代史。新潟大学名誉教授。新潟市歴史博物館館長。新潟県出身。 新潟市沼垂生まれ。新潟高校から京都大学文学部国史学科へ進み、1966年卒業。72年には同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。 1974年に愛媛大学教育学部助手となり、75年講師、76年助教授に昇任した。1986年に新潟大学人文学部教授となり、2008年に定年退職し同大名誉教授となる。同年、帝京大学文学部教授となり、2015年に退職した。 2010年からは、新潟市歴史博物館館長を務めている。承平天慶の乱や渟足柵の研究に取り組んでいる。 2024年、瑞宝中綬章受章。
赤澤 計眞(あかざわ かずま、1934年5月5日 - 201… 赤澤 計眞(あかざわ かずま、1934年5月5日 - 2012年5月14日)は、日本の歴史学者。専門はイギリス中世史。 新潟県十日町(現十日町市)に生まれる。実家は「的新」という老舗の仕出屋であった。1938年1月1日に発生した十日町映画館崩壊事故で九死に一生を得た。十日町高校から東京大学文学部へ進学し、1961年には西洋史学科を卒業、さらに1963年には同言語学科を卒業し大学院へ進んだ。西洋中世史を堀米庸三に学びながら、経済史の演習にも参加し、大塚久雄・松田智雄・岡田与好らに信頼されていた。 1972年4月、学生紛争の余波の残る新潟大学に着任し、人文学部史学科西洋史専攻の助教授となった。翌月に同学部は新潟市西大畑町から五十嵐二の町へ移転している。
近藤 秀樹(こんどう ひでき、1932年(昭和7年)4月16… 近藤 秀樹(こんどう ひでき、1932年(昭和7年)4月16日 - 1983年(昭和58年)10月16日)は、日本の歴史学者。新潟大学教授。専攻は中国近代史。 1932年、新潟県長岡市生まれ、または村松町(現・五泉市)生まれ。新潟県立長岡高等学校を経て、京都大学文学部史学科で東洋史を専攻して卒業。同大学院文学研究科修士課程、博士課程を修了。 卒業後はクラレチアン会立の高校教諭、大阪工業大学一般教育科の社会思想史担当を経て、1978年より新潟大学で中国史を教える。「范氏義荘の変遷」(『東洋史研究』21巻4号、1963年)は義荘研究の必読文献である。
福田 豊彦(ふくだ とよひこ、1928年2月4日 - 201… 福田 豊彦(ふくだ とよひこ、1928年2月4日 - 2015年6月9日)は、日本の歴史学者。東京工業大学・国立歴史民俗博物館名誉教授。日本中世史専攻。 1928年、新潟県新潟市生まれ。1959年に北海道大学大学院文学研究科修士課程を修了。 北海道大学文学部助手、東京工業大学教授を経て、国立歴史民俗博物館教授となった。1993年に定年退官。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
北島 正元(きたじま まさもと、1912年8月7日 - 19… 北島 正元(きたじま まさもと、1912年8月7日 - 1983年11月1日)は、日本の歴史学者。東京都立大学名誉教授。専門は近世日本史。 新潟県柏崎市生まれ。旧制長野中学(長野県長野高等学校)、松本高等学校文科乙類を卒業 し、1935年東京帝国大学文学部国史学科卒業。卒業論文は「徳川幕府直領の研究」。近世政治経済史を専攻し、1962年に「江戸幕府の権力構造」により東北大学から文学博士の学位を授与される。 1950年新潟大学助教授、1951年東京都立大学 (1949-2011)助教授、1959年同大学教授、同大学附属図書館長、1977年定年退官後は立正大学教授を務め、1983年退職。専門書のほか、一般向けの著書・編著を多く著した。
吉田 小五郎(よしだ こごろう、1902年1月26日 - 1… 吉田 小五郎(よしだ こごろう、1902年1月26日 - 1983年8月20日)は、日本の歴史学者、教育者。 新潟県柏崎市出身。1924年、慶應義塾大学文学部史学科卒。大学では幸田成友に師事。慶應義塾幼稚舎職員を1965年まで務める。幼稚舎長、慶大講師などを務め、東西交渉史などに業績を残す。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
吉田 東伍(よしだ とうご、元治元年4月14日〈1864年5… 吉田 東伍(よしだ とうご、元治元年4月14日〈1864年5月19日〉 - 大正7年〈1918年〉1月22日)は、日本の歴史学者、地理学者(歴史地理学)。新潟県出身。「大日本地名辞書」の編纂者として知られる。日本歴史地理学会(日本歴史地理研究会)の創設者の一人。 元治元年(1864年)4月14日(4月10日とする資料もある)、越後国蒲原郡保田村(現:阿賀野市安田)の豪農旗野家の子(三男)としてに生まれる。吉田姓は養子先であり、1884年(明治17年)12月から名乗った。1874年(明治7年)に小学校を出たのち、近所の英国人について英語を4年間学び、村で英学者ともてはやされる。1875年(明治8年)、11歳の時から新潟学校(後の新潟英語学校)中学部を3年ほどで中退後、学校教育を受けずに独学で小学校教員となる。