スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
菊地 大稀(きくち たいき、1999年6月2日 - )は、新… 菊地 大稀(きくち たいき、1999年6月2日 - )は、新潟県佐渡郡真野町(現:佐渡市)出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 佐渡市立真野小学校1年時に真野ファイターズで野球を始め、佐渡市立真野中学校3年時には佐渡市選抜のメンバーとして離島甲子園に出場した。 新潟県立佐渡高等学校では1年夏からベンチ入り。3年春の県大会は4回戦に進出したが、3年夏の県大会は初戦敗退し、甲子園に出場することはできなかった。最速145km/hの剛腕として注目を集め、プロ志望届を提出し9球団から調査書が届いたものの、ドラフトでは指名漏れとなった。 進学した桐蔭横浜大学では1年秋の右肘のクリーニング手術、3年春のコロナ禍の影響によるリーグ戦中止などもあり、4年春までの勝ち星は4勝にとどまったが、最終シーズンとなる4年秋は神奈川大学を14奪三振で完封するなど4勝を挙げ、最優秀投手とベストナインに選ばれた。
山田 かおり(やまだ かおり、1983年1月28日 - )は… 山田 かおり(やまだ かおり、1983年1月28日 - )は、新潟放送に所属した元ラジオパーソナリティ。愛称は「りんりん」。 新潟県佐渡郡相川町に生まれ、同郡佐和田町(現在はいずれも佐渡市)で育った。新潟県立佐渡高等学校を経て新潟青陵女子短期大学(現新潟青陵大学短期大学部)幼児教育学科卒業後の2003年、新潟放送にラジオ中継車「スナッピー」のリポーターとして採用。愛称「りんりん」は、中学の時のあだ名である。入社当初は『ブランチバスケット』などで新潟県内各所からの中継リポーターとして活動した。 当初は専らラジオのリポーターとしての活動が主だったが、その後はラジオパーソナリティやテレビ番組のリポーター、さらには同社主催のイベントの司会などにも活動の場を広げた。
髙野 徹(たかの とおる、1962年 - )は、日本の医師、… 髙野 徹(たかの とおる、1962年 - )は、日本の医師、医学博士。専門は甲状腺がんの分子病理学。りんくう総合医療センター甲状腺センター長兼大阪大学特任講師。 新潟県立佐渡高等学校を経て。東京大学理学部天文学科卒業後、大阪大学医学部に学士入学、同大学院修了。大阪大学講師を経て、りんくう総合医療センター甲状腺センター長兼大阪大学特任講師。 2017年から2019年まで福島県県民健康調査検討委員会委員・甲状腺評価部会部会員。2000年に従来の多段階発がん説に変わる甲状腺がんの発がん理論として、発生学との関連性に注目した芽細胞発がん説を提唱。日本甲状腺学会甲状腺専門医、日本甲状腺学会七條賞受賞。2019年から2022年までヨーロッパ甲状腺学会小児甲状腺腫瘍診療ガイドライン作成委員、欧州で最新の小児甲状腺腫瘍診療ガイドラインを作成するにあたり、日本からただ一人招聘された。
曽我 ひとみ(そが ひとみ、1959年(昭和34年)5月17… 曽我 ひとみ(そが ひとみ、1959年(昭和34年)5月17日 - )は、1978年(昭和53年)8月に新潟県佐渡郡真野町(現、佐渡市)から母親の曽我ミヨシとともに北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に拉致された日本人女性。北朝鮮工作員による拉致被害者。1980年(昭和55年)8月にアメリカ人脱走兵のチャールズ・ジェンキンスと結婚し、2人の子をもうけた。2002年(平成14年)10月、24年ぶりに日本への帰国が叶い、2004年(平成16年)7月には夫と娘の日本行きが実現した。現在も佐渡島在住。 曽我ひとみは、1959年(昭和34年)5月17日、曽我茂・ミヨシの長女として新潟県佐渡郡真野町に生まれた。
三浦 基裕(みうら もとひろ、1957年〈昭和32年〉3月1… 三浦 基裕(みうら もとひろ、1957年〈昭和32年〉3月17日 - )は、日本の政治家、新聞記者。新潟県佐渡市長(1期)、日刊スポーツ新聞社代表取締役社長などを務めた。 新潟県佐渡郡真野町四日町(現・佐渡市四日町)出身。1975年(昭和50年)3月、新潟県立佐渡高等学校卒業。1976年(昭和51年)4月、上智大学文学部新聞学科に入学。1980年(昭和55年)3月、同大学を卒業。同年4月、日刊スポーツ新聞社に就職。主にプロ野球担当記者を務める。 2009年(平成21年)6月、日刊スポーツ新聞社代表取締役社長に就任。2011年(平成23年)6月、同社を退職。2015年(平成27年)5月、一般社団法人佐渡市スポーツ協会常務理事に就任。
佐渡 稔(さわたり みのる、本名:田中 実(たなか みのる)… 佐渡 稔(さわたり みのる、本名:田中 実(たなか みのる)、1949年5月22日 - )は、新潟県佐渡市出身の日本の俳優。血液型A型。旧芸名三木 まうす(みき まうす)。劇団東京ヴォードヴィルショー、オフィスボードビル所属。芸名の「佐渡」は出身地の新潟県佐渡市(さどし)にちなむこともあって「さど みのる」と呼ばれることも多い。 新潟県立佐渡高等学校出身。劇団東京ヴォードヴィルショーの看板役者として活動しており、同劇団最古参メンバー。記録としては代表の佐藤B作ですら果たしていない唯一劇団東京ヴォードヴィルショーの公演に全出演を果たしている。 若い頃は『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』にて、下宿の学生さんやピンクボーイを演じており、コント中は「田中さん」と呼称し、テロップは「まうす田中」と表記されていた。
池上 裕子(いけがみ ひろこ、1947年11月 - )は、日… 池上 裕子(いけがみ ひろこ、1947年11月 - )は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。成蹊大学名誉教授、淑徳大学客員教授。角川源義賞受賞。専門は戦国時代および近世移行期の社会経済史。 1947年(昭和22年)新潟県佐渡郡(現佐渡市)赤玉出身。新潟県立佐渡高等学校、新潟大学人文学部経済学科卒業後、一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了、1977年(昭和52年)同博士後期課程単位取得退学(経済史専攻で永原慶二門下)。 相模女子大学講師を経て、1991年(平成3年)成蹊大学助教授、1995年(平成7年)成蹊大学文学部教授。国際文学科主任。2001年(平成13年)日本国際文化学会発起人。同年中央大学で博士(史学)の学位を取得。
甲斐 元也(かい もとなり、1946年(昭和21年)4月7日… 甲斐 元也(かい もとなり、1946年(昭和21年)4月7日 - )は、日本の政治家。元新潟県佐渡市長(1期)。
須藤 健一(すどう けんいち、1946年1月31日 - )は… 須藤 健一(すどう けんいち、1946年1月31日 - )は、日本の文化人類学者。堺市博物館館長、国立民族学博物館名誉教授・元館長。 1946年、新潟県佐渡市で生まれた。1965年に新潟県立佐渡高等学校を卒業し、埼玉大学教養学部に進学。1969年に卒業。東京都立大学大学院社会科学研究科に進み、1975年に博士後期課程を単位取得退学。 1975年、国立民族学博物館第4研究部助手に採用された。1986年、国立民族学博物館第1研究部助教授に昇格。1986年、学位論文『ミクロネシアの親族組織と土地所有:母系制社会の構造と変化』を東京都立大学に提出して文学博士の学位を取得。1991年より総合研究大学院大学文化科学研究科助教授を併任。
宮田 亮平(みやた りょうへい、1945年6月8日 - )は… 宮田 亮平(みやた りょうへい、1945年6月8日 - )は、日本の金属工芸家。勲等は瑞宝重光章。第22代文化庁長官、第9代東京藝術大学学長。同名誉教授。パソナグループ社外取締役。公益社団法人日展理事長。文化功労者、日本芸術院会員。 新潟県佐渡市出身。佐渡に伝わる金属工芸「蝋型鋳金」技術保持者の二代目宮田藍堂(みやた らんどう)の三男。初代藍堂は祖父、三代目藍堂は長兄で元・東京藝大工芸科教授の宮田宏平(1926年 - 2007年)、次兄はデザイナーで三重大学名誉教授の宮田修平。兄二人、姉四人を持ち、家族全員芸術家の一家に育つ。次女は金属工芸家の宮田琴(東京藝大工芸科卒)。金属工芸家の山下恒雄(やました つねお、東京藝大工芸科名誉教授)の指導を受けた。
浅島 誠(あさしま まこと、1944年9月6日 - )は、日… 浅島 誠(あさしま まこと、1944年9月6日 - )は、日本の生物学者。専門は発生生物学。東京大学名誉教授。産業技術総合研究所名誉フェロー。横浜市立大学名誉教授。帝京大学学術顧問・特任教授。理学博士(東京大学、1972年)。新潟県佐渡市出身。 生物の分子発生プログラムと各器官形成に興味を持っていたが、1989年、胚発生における分化誘導物質として、アクチビンを世界で初めて同定した。これは世界的に追試されて確認され、高い評価を得た。アクチビンの濃度依存的に胚発生は制御される。 実験材料でもあるイモリをこよなく愛する。年2回のイモリ採取は40年間欠かしたことがない。好きな言葉は"passion(情熱を超えた熱情)"。
後藤 鉄男(ごとう てつお、1931年6月5日- 1982年… 後藤 鉄男(ごとう てつお、1931年6月5日- 1982年12月16日)は、日本の物理学者(素粒子論・場の量子論)。1970年に南部陽一郎が弦理論を提唱した後、南部と独立に南部-後藤のラグランジアン(南部=後藤作用)を提案した。 新潟県出身。旧制佐渡中学(現・新潟県立佐渡高等学校)、旧制新潟高等学校を経て新潟大学医学部に入学。後に理学部に転科した。 1958年大阪大学博士課程修了、日本大学理工学部教授となった。肺癌のため51歳で死去。
田中 圭一(たなか けいいち、1931年3月15日 - 20… 田中 圭一(たなか けいいち、1931年3月15日 - 2018年4月4日)は、日本の歴史学者。筑波大学教授、群馬県立女子大学教授。専門は近世史。佐渡島出身。 新潟県佐渡郡金井町(現・佐渡市)出身。新潟県立佐渡高等学校、新潟大学人文学部を卒業後、高校教諭として勤務しながら研究成果を次々と発表。1967年に京都大学に国内留学して小葉田淳に師事。1987年、『佐渡金銀山の史的研究』で第9回角川源義賞受賞[要出典]。1988年筑波大学教授、95年定年退官、群馬県立女子大学教授[要出典]。「佐渡を世界遺産にする会」の中心として活躍した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
桃井 久資(ももい きゅうじ、1923年〈大正12年〉1月6… 桃井 久資(ももい きゅうじ、1923年〈大正12年〉1月6日 - 2010年〈平成22年〉6月13日)は、新潟県佐渡郡小木町(現在の佐渡市)の元小木町議会議長、元町長。小木町出身。 小木小学校、旧制新潟県立佐渡中学校(現在の新潟県立佐渡高等学校)卒。合資会社久松屋商店代表社員、小木町教育委員、小木町商工会長、小木町議会議員・議長などを経て、1985年に小木町長に当選。2期8年務める。 2010年、耳下腺がんで死去。
市橋 保雄(いちはし やすお、1920年〈大正9年〉12月3… 市橋 保雄(いちはし やすお、1920年〈大正9年〉12月3日 - 1984年〈昭和59年〉11月8日)は、日本の政治家。新潟県両津市(現・佐渡市)長(3期)。 新潟県出身。新潟県立佐渡中学校(現・新潟県立佐渡高等学校)を経て、1941年、東京外国語学校(現・東京外国語大学)卒。翌年、陸軍に入隊し、中尉で終戦を迎える。その後は県立新潟高等女学校(現・新潟県立新潟中央高等学校)教諭となり、1962年、両津市議会議員に当選し、4期務め、議長も務めた。1974年、両津市長に当選、1978年、1982年と続けて再選した。3回目の当選の翌年の1983年に市長を辞職した。 1984年(昭和59年)11月、肝硬変に肝不全を併発し死去した。
西谷 能雄(にしたに よしお、1913年9月8日 - 199… 西谷 能雄(にしたに よしお、1913年9月8日 - 1995年4月29日)は、出版社・未來社の創業者。新潟県佐渡島出身(北海道生まれ)。 旧制佐渡中学卒業後、ストライキで東京外国語学校ロシヤ語科を退学になり、1937年明治大学文藝科卒業。京都大学で哲学を教えていた従兄西谷啓治の世話により京都の弘文堂に勤務する。当時、弘文堂は学術出版社として名高く、「東の岩波、西の弘文堂」と言われたほどで、ほぼ官立大学・国立大学の教授の著書しか出版せず、権威主義の傾向が強かった。しかし西谷は当時まだ無名だった木下順二の『夕鶴』を弘文堂の啓蒙的叢書「アテネ文庫」に入れることを企画会議で頑強に提案した。この企画が当たって『夕鶴』が版を重ねたことから、無名の著者の原稿でも優れていれば刊行すべきであるとの信念を持つに至る。
松井 誠(まつい まこと、1912年(大正元年)10月29日… 松井 誠(まつい まこと、1912年(大正元年)10月29日 - 1972年(昭和47年)11月10日)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員、参議院議員。 新潟県佐渡郡真野村(真野町を経て現佐渡市)で生まれる。両親は父の勤務地の朝鮮在住のため祖父母の元で成長した。佐渡中学校(現新潟県立佐渡高等学校)、第四高等学校(首席卒業)を経て、東京帝国大学法学部法律学科に進学。1935年(昭和10年)高等試験行政科試験、同司法科試験に合格。1936年(昭和11年)同大学を卒業し、満州国国務院司法部の司法官となるが、病のため1940年(昭和15年)に退官した。義兄が勤務していた京城医学専門学校附属医院で療養後、東京帝国大学医学部附属病院に転院し、退院して1944年(昭和19年)東京の前野法律事務所で弁護士として勤めた。
関川 秀雄(せきがわ ひでお、1908年12月1日 ‐197… 関川 秀雄(せきがわ ひでお、1908年12月1日 ‐1977年12月16日)は、日本の映画監督。 1908年12月1日、新潟県佐渡郡(現・佐渡市)の地主の家の四男に生まれる。旧制佐渡中学在学中は画家に憧れていた。卒業後、旧制新潟高校に入学して中退。 劇映画『ひろしま』(日教組プロ、1953年)でベルリン映画祭長編劇映画賞受賞。記録映画『鉄路に生きる』(1951年)が1952年ヴェネツィア国際映画祭教育科学部門第2位。また、児童向け劇映画『トランペット少年』(東映教育映画部、1955年)が第9回エディンバラ国際映画祭で受賞。 戦争孤児を描いた『第二の人生』、学徒兵を描いた反戦映画『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』、砂川の立川基地拡張反対闘争を描いた『爆音と大地』など社会意識の強い作品が多い一方、刑事ドラマ、少年探偵団シリーズなどの映画もつくり、娯楽作品でも腕を振るった。
齋藤 兼吉(さいとう・かねきち、1895年〈明治28年〉1月… 齋藤 兼吉(さいとう・かねきち、1895年〈明治28年〉1月2日 - 1960年〈昭和35年〉10月26日)は、日本の体育学者であり、かつ、陸上競技、水泳、野球で超人的活躍をした運動選手である。 新潟県佐渡郡高千村(現在の新潟県佐渡市)にて生まれる。佐渡の相川町立相川尋常高等小学校(現 佐渡市立相川小学校) から旧制佐渡中学校(現 新潟県立佐渡高等学校)へ進み、佐渡中学校時代から1m75cmの長身でありスポーツ万能の異名を取った。佐渡中学校時代には相撲、柔道、剣道、陸上競技、水泳、野球、端艇とほとんどの競技に選手として参加して活躍したという。 英語を得意としていたことから外交官になりたかったが、実家が貧しかったために教師になることを考え、新潟県高田市の新潟縣高田師範学校(昭和戦後に新潟大学教育学部高田分校となり現在は廃校)に進学し、更に東京高等師範学校に入学する。
舟崎 由之(ふなざき よしゆき、1894年3月7日 - 19… 舟崎 由之(ふなざき よしゆき、1894年3月7日 - 1966年12月2日)は、新潟県出身の実業家、政治家。日本金属の創業者。三国鋼帯株式会社取締役、舟崎鋼業合資会社代表社員。 新潟県佐渡郡金丸村生まれ。旧制佐渡中学校(現在の新潟県立佐渡高等学校)を経て、1917年に早稲田大学理工学部機械科を卒業する。東京銅板技師、高砂鉄工所技師長、三船商事・日本特殊鋼材・日本航空機工業・日本ペニシリン製薬の各社長を歴任した。 1946年から2回、新潟1区から衆議院議員に当選(日本進歩党)。戦後、萩野由之(東京帝国大学教授)の遺した蔵書を高額で買い取り、母校新潟県立佐渡高等学校に寄付した。舟崎文庫の名で保存されている。
本間 雅晴(ほんま まさはる、1887年(明治20年)11月… 本間 雅晴(ほんま まさはる、1887年(明治20年)11月27日 - 1946年(昭和21年)4月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。栄典は従三位勲一等。陸士19期恩賜・陸大27期恩賜。 太平洋戦争においてフィリピン攻略戦を指揮した。英国通の人道主義者であったことは連合国にも知られていたが、バターン死の行進における部下の行為の責任を問われて戦後銃殺刑に処された。 本間賢吉の長男として新潟県佐渡郡畑野町(現:佐渡市畑野)に生れる。佐渡中学を経て陸軍士官学校に進んだ。1907年(明治40年)、陸軍士官学校(19期)を恩賜(歩兵科2位)で卒業。1915年(大正4年)には陸軍大学校(27期)を恩賜(3位)で卒業。
北 昤吉(きた れいきち、1885年(明治18年)7月21日… 北 昤吉(きた れいきち、1885年(明治18年)7月21日 - 1961年(昭和36年)8月5日)は、日本の思想家、思想評論家、教育者、政治家・衆議院議員、日本自由党政調会長。多摩美術大学創立者。別名・礼華。 二・二六事件の首謀者の一人である北一輝の実弟。 新潟県佐渡市(旧新潟県佐渡郡湊町)出身。初代両津町長で酒屋と肥料屋を営む北慶太郎の二男。高等小学校入学と同時に漢学塾に通い、漢学と習字を習う。新潟県立佐渡中学校(新制:佐渡高校)に入学したが、兄と同学年になることを嫌った父親の命令で中学入学が遅れたため、希望していた陸軍幼年学校進学を年齢制限により絶たれる。早稲田大学政治経済学部に入学するも、1年で哲学科に移り、1905年(明治38年)の予科卒業時には首席となり各科総代を務めた。
北 一輝(きた いっき、本名:北 輝次郎(きた てるじろう)… 北 一輝(きた いっき、本名:北 輝次郎(きた てるじろう)、1883年(明治16年)4月3日 - 1937年(昭和12年)8月19日)は、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。二・二六事件を引き起こした皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕され、軍法会議にかけられ、死刑判決を受け刑死した。
八田 三喜(はった みき、1873年 - 1962年)は、日… 八田 三喜(はった みき、1873年 - 1962年)は、日本の教育者。 息子は演出家の八田元夫と教育者の八田亭二。
後藤 五郎治(ごとう ごろうじ、1827年(文政10年1月)… 後藤 五郎治(ごとう ごろうじ、1827年(文政10年1月)- 1897年(明治30年)10月9日)は、明治期の政治家。衆議院議員。名・畯、字・士喜、号・稼亭。五郎次の表記有り。 佐渡国加茂郡、のちの新潟県加茂郡新穂村(佐渡郡新穂村舟下を経て現佐渡市)で生まれた。北君養、圓山溟北に師事し漢学を修めた。 戸長、学区取締兼衛生取締、村長、新潟県会議員、佐渡中学校(現新潟県立佐渡高等学校)監事などを務めた。教育振興、相川鉱山開発などに尽力した。 1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(新潟県第9区、大手倶楽部)で当選し、その後、進歩党に所属して、衆議院議員に1期在任した。議員在任中の1897年10月に死去した。
宇留間 和基(うるま かずもと)は、日本のジャーナリスト、編… 宇留間 和基(うるま かずもと)は、日本のジャーナリスト、編集者。AERA創刊時から編集部に入り、同誌編集長や、初代朝日新聞出版代表取締役社長等を経て、J-CASTニュース編集長。 新潟県相川町(現佐渡市)出身。新潟県立佐渡高等学校を経て、1979年一橋大学社会学部卒業、毎日新聞社入社。その後朝日新聞社に移り、1988年にAERAが創刊されると同誌編集部に入る。 1992年朝日新聞東京社会部。1995年AERA副編集長。2003年から2006年までAERA編集長。朝日新聞社出版本部雑誌編集センター長、図書編集センター長、出版本部長を経て、2008年に朝日新聞出版が設立されると、同社代表取締役社長に就任。